01102134
今日久々に展覧会を見て回ろうと思いたって上野へ行ったがついた頃にはお腹が空いており、このままでは集中して見られないと感じたので西洋美術館脇のカフェで「ミートボールボロネーゼ」を食べた後で西洋美術館へ入り、内藤コレクションのゴシック写本の展覧会と常設展をまず観た。写本の展覧会はとても良くて、印刷技術以前の世界では文字も絵も人の手によって描かれていたので、文字は絵にもなりうるし逆も然りで、印刷技術が生まれたことによって、それらがいつからか分けられてしまったんだろう。ひとつ、今度の3月からやるグループ展で作ろうかと思っている作品のアイデアもでてきた。常設展も久々に。ギュスターヴ・ドレの「ラ・シエスタ、スペインの思い出」という縦長の大きな絵画に見入ってしまう。しばらく鳥肌が立っていた。これもだけど、この常設展の感じだと、19世紀の絵画の方が面白く感じる。20世紀に入るとマーケットなんかとも連動して頭脳的に進化していくので、見ていて退屈な印象。しかしそのあと、東京ステーションギャラリーで岡崎乾二郎さん監修の坂田一男展に行って、20世紀の仕事にうちのめされた。展覧会のなかで、第一次大戦から第二次大戦の戦間期の大変な時代に身を置きながら、なぜ坂田は抽象的な思考を持続できたのかという問いかけがあり、手榴弾の内部構造を抽象化したように思われる「コンポジション」という作品(だいたいが「コンポジション」という作品なのだけど)とか、銃剣を持った兵士を抽象化したと思しき「コンポジション」などがあって、さらに岡山のアトリエが1944年に高波の被害にあって水没し、多くの絵画の絵の具が剥がれてしまったことを受け、それを修復して作品化するだけでなく、その事件以降、最初から一部が剥がれているかのような絵画も作り始める。自分の力ではどうしようもない時代の力とか、戦争とか、災害とかを抽象化して絵に閉じ込めることで抵抗する。世の中の出来事全てを素材とみなして使う力というか意思というか。それだけじゃなくて、展示されている作品は制作年不詳ばかりで、僕は見ているあいだ、坂田一男が絵の向こう側で笑っているように感じた。明らかに制作年の違うエスキースが一枚の紙の裏表に描かれていたり、いつ描かれ、あるいは描き足されたかわからないような作品たち。時間も抽象化して平面のなかに閉じ込めてしまおうとしているというか。恐ろしい。それで夜に、ニュースサイトを見ていて、もうすぐセンター試験があり、センター試験の日には痴漢が増えるという記事を読んで胸糞悪い話だなと思い「痴漢レーダー」というアプリをiPhoneに入れてみた。痴漢にあったらこのアプリで助けを呼ぶことで同じアプリを入れている人が近くにいたら助けられるという機能の他に、過去に痴漢や「ぶつかり」などにあった、目撃した、という情報が地図上にストックされていく機能もあり、新宿駅や渋谷駅なんかの被害情報を見ていたらなんだか気分が悪くなってしまった。痴漢だけではなく、世の中には単なる悪意によって行動してしまう人も多くいるらしい。通りすがりざまに怪我をしている手にカバンをぶつけられたとか、頭を殴られたとか、エスカレーターで突き落とそうとしてきたという被害情報とか、あるいは妊娠している人がするバッジを見て舌打ちするおじさんがいたり、妊婦が優先席の目の前に立っていてもわざと席を譲らないおじさんがいるというような話をきくうちに坂田一男展を思い出し、そして、絵画が19世紀から20世紀を経ていまの時代につながり、そこで僕が生きて作品をつくっていることは繋がっているんだなと、改めて気がついた。僕がいまのところそうならずに済んでいるいるのは、単に作品を作っているからだと思う。絵画が進んできた抽象化する歴史は、僕がやっていることと同じ地平にある。時代の空気や災害さえ抽象化して作品に取り込む力を鍛えたいし、みんな鍛えればいいのに。しかしみんなが坂田さんみたいに抽象化できるわけではないんだな、それが足りないんだなと思ってしまった。思って「しまった」という感じ。