調子に乗るなって言葉、めちゃくちゃである

幼い頃に「調子にのるな」と言われ続けた呪いがいまだに解けていないように思う。
おそらく、この呪いを受けたのは小学校から中学校のころ。いま思えば小さなクラス内社会の、しかし強力なヒエラルキーの中にどっぷりと浸かっていたとき、この言葉は最も強い呪いだった。体をこわばらせ、思考を奪う力を持っていた。
例えば休み時間に友達と話しているとき。僕自身はそんなに話すのが得意ではなかったのだけど、珍しく気持ちが乗っているようなとき、自分が話していること自体が楽しくなってきて、それに笑顔で答えてくれる友達も少しはいて、このままクラスのみんなを笑わせることができるんじゃないかとすら思えてきて、自分の話に自信が持てている最高潮の瞬間に、この言葉はどこからともなく、主にヒエラルキー上位の男の口から飛んでくる。さっきまで滑らかに動いていた僕の口はかたまって、心臓をぐっと握りつぶされるような恥ずかしさで体がいっぱいになり、僕はごめん、と謝る。調子乗ってたわ〜と、笑顔を作ってごまかす。僕には人を楽しませるような資格はないのだ。すみっこで黙っているほうがよっぽどよかった。変なこと話さなければよかったと、全身が闇に飲み込まれていく感じ。
この言葉は一度言われてしまうと、本当に呪いとして機能する。日々のあらゆる瞬間に、自分はいま調子に乗ってやいないかと、すくなくとも調子に乗っているように見えてはいないかと、自らの言動を厳しく監視する目が生まれてしまう。軽い吃音症になっていた時期があったのも、この影響かと思われる。
あれから20年以上経ち、吃音も治り、30を過ぎた大人になった今でも、この「目」の名残のようなものが僕の中で生きているのを感じる。調子にのってはいけない。調子に乗っていると思われてはいけないと、どこかで思ってしまっている。それは僕に自信を失わせる。いい加減、解けてほしいのだけど。僕はもっともっと調子に乗りたいのだけど。
しかし「調子に乗るな」って、すごい言葉だな。めちゃくちゃだ。「調子に乗ってる」って、良いことじゃないか。「調子いいね」だと褒め言葉なのに、「調子乗ってるね」だと罵倒になる。調子に乗ることの、いったい何が悪いのか。ある意味では怖さの表れなのかもしれない。ヒエラルキー上位の人間による、みんなを横一線に並ばせておきたいという欲望の現れ。自分の劣等感や自信のなさを、他人を黙らせておくことで表出するのを防いでいるのか。(07041953)

Posted by satoshimurakami