0113
小説講座に通い始めた。今期から入った新しいメンバー三人が立って、講師からの質問を受けつつ自己紹介のあと、講師からの芥川賞予想を聞く。「とりやまさんか、ダークホースでくずさんかなと思います」芥川賞にふさわしい作品の、完全で明確な基準が講師の中にあるようで、興味深かった。
前回出された原稿を、受講者が順番に話していく。ひとり3〜5分とか。自己紹介からあとは、いっさい説明がない。小説講座とは、いったいどんなことが語られるのか興味をもっていたが、参加してみてなるほどと思った。講師がなにかを語るというよりも、受講者が作品を書き、読む場所を提供している。
「今日は、3作品です。じゃあいきましょうか。〇〇さん」と名指すと、名指された人が感想を語り始めておどろいた。語り終えるときは「以上です」という。話がおわったとき、講師は名前を指すこともあるが、多くは「はい」としかいわない。それでも受講者たちは順番を心得ているらしく、自然に自分の番を察知し、話し始める。講師からの話は、他の受講者と同じか、少ないくらい。もっと講師がしゃべれよと思わなくもないがみんなで読んで感想を言うという営みというかそういう場所であることが大事なんだろう。それはよくわかる。結局自分に小説を書かせる環境に、自分の身を置くこと以上の小説の勉強なんかないのだ。感想の中身は、みんなかなり忌憚のない意見を言っていてよかった。批判と称賛がまったく同じトーンで語られ、本気度が伝わってくる。わたしはどれも最後まで読めておらず、何も言えず。
印象深かった言葉
「散文は難しい。散文は基本は難しい。本当はちゃんと散文が書けてから、「文学的な文章」をかかなければいけない。新聞記者の文体は散文ではない。記事の文体。散文で書くのは難しいのだという意識。散文でも書き手の個性は出てくる。「文学的な文章」に個性はでてこない」
「小説になってないからだめとか、なってるからよいとかではない。読者が設定されていない。読者を低くみている。なぜだめかわかるか。高みから書いてる感じがする」
「自己批評をしないと」
どれも制作においては当たり前すぎるほどの話だと思うけれど、それがむしろ新鮮だった。