信濃町駅から四谷駅に向かって坂を上がったところにある、とある浄土宗のお寺の境内にいる。静かだ。いま外で住職さんが入り口の門を閉めている音がする。今日の敷地には門限がある。「移住を生活する』としては史上初めてかもしれない。門限は20時だった。ここに家を置く許可をもらったのは17時半で、そのときお寺の門が20時で閉まることを伝えられ(ちなみに明日の朝は6時には出るようにとも言われた)たので、急いで行動する必要がある、ということで、まずはiPhoneBooking comをひらいて今日ずっと一緒に撮影をしてくれた涼ちゃんの宿を四谷三丁目駅近くで確保し、近くに風呂場がないかグーグルマップで探し、塩湯という銭湯が歩いて10分弱のところにあるのを見つけ、1748分にはそこに入り(470円。昨日の光明泉も同額だった)、体を洗って湯船に浸かって(壁には雪をかぶった山のペンキ絵が描かれていた)、203分のドライヤーで髪を乾かし、脱衣所でiPhoneを出して「四ツ谷 電源 カフェ」と調べて電源とWiFiのある「Burg Holic」というハンバーグ屋を近くに見つけ、1830分には塩湯を出て、道に置かれた小さな箱みたいな物に座りながらタバコを吸って独りごちているおじさんのそばを通って、1840分に店に入り、店員に「電源がある席はどこですか?」と聞いたら「電源席はあるんですが、17時以降はパソコンを開くのはご遠慮いただいてます」「え!そうなんですか。充電はしてもいいですか?」「大丈夫です。英会話とか・・作業でなければ」「そういうのはないですけど、カメラのデータをパソコンに移すくらいはしてもいいですか?」「大丈夫ですよ」というやりとりをして席についてiPhone用のリチウムバッテリーとパソコンを電源に繋いで今日撮影したカメラのデータをパソコンに移し、1パイントのビールとハンバーグとライスを食べてから店のトイレで歯を磨き、1945分には店を出て、1956分(門限4分前)に、要するにお風呂とご飯と歯磨きとトイレを済ませて家に帰ってきた。

 今日はこのお寺に至るまで4つのお寺を交渉してきたがすべて断られた。そんななか5軒目のここで、住職さんが出てきてくれて、ちょっと不審そうな表情をしながらも、こちらの話をちゃんと聞いてくれ、「朝6時くらいまでだったら」「騒がなければ」ということで了承してもらい「夜も20時ごろに門がしまるので」「はい。わかりました。」ご飯は?」「食べて、ここに帰ってきます20時までに。」「トイレは?」「一応携帯トイレを持ってるんですが、20時から6時だったら大丈夫だと思います。外でしたりはしません。」「トイレは、あそこにあります」と住職さんが境内のトイレを指してくれたので「つかっていいんですか?ありがとうございます」「はい。では、変なことは無しでお願いします」というやりとりをし、上述した怒涛の2時間半を経て今に至る。

 それにしても今年珠洲に行った時にお寺の人から「敷地貸してくれるお寺も、宗派によって違うんじゃない?浄土真宗とかは敷地借りやすいかも」と聞いていたけど、これはちょっと当たっているかもしれない。1軒目のお寺は曹洞宗で、「申し訳ないんですが、檀家寺なので。檀家さんの許可もないと」ということで断られ(でも去り際に「頑張ってください」と言ってくれた)、2軒のお寺も曹洞宗で、とても愛想よく「今住職がいないもので」と断られ、3軒目のお寺は真宗大谷派で、ここは住職らしき男性が出てきて、彼は本当に申し訳なさそうに「申し訳ないんですが、そういうものはお断りしてまして」と断られ、4軒目の日蓮宗のお寺はインターホン越しの交渉で、男性がでたのだけど、ここはなぜかインターホンを押して出た最初の「ハイ」からものすごく怪訝そうな、とても低い声でこちらの話を「ハイ」「ハイ」「ハイ」と聞いてから「ちょっといま住職がいないので」と断られた。「住職がいないので」は紋切り型の断り文句だけど、本当に住職がいないのかどうかはわからないが、そう言われたらとにかく諦めて次に行った方が良い。そして5軒目でここにたどり着いた。本当に良かった。さっきお風呂に入っている時に「これはちょっと楽しいかもしれない」と思った。敷地を借りて、近くでご飯やトイレやお風呂場を探す、というのは、まず楽しい。敷地の交渉は今でも緊張するし、断られ続けると、なんでこんなことやってるんだという気持ちになるけど、敷地が得られると、こんなに良いものはない。とはいえ、別に好きでやっているわけではないので、複雑な状況だ。これは自分がやるしかないことなのでやっているにすぎず、やっている以上は楽しむしかないのだ。

 そういえば、代官山を出発するときにTOO MUCH MAGAZINEのよしむらさん(ぼくはよしむらさんだと思っていたのだけど、後でメールを見返したら「つじむら よし」さんだった。ここはよしむらさんということにする)に、偶然会った。職場が近いらしい。よしむらさんは少ない荷物と洒落たジャージ姿で、代官山が日程た。相変わらずひょうひょうとしゃべくりながら「まだ出発しないのか。まだか」と、僕が出発するのを待っていた。対して、出発前に「お邪魔しました。そろそろ出発します」と挨拶したアートフロントギャラリーの人たちは、「はい。お疲れ様です~」と、普通に挨拶を交わすのみで終わった。やはりアートギャラリーの人たちは普段からアーティストと仕事をしているだけあって、いろいろなことに慣れていて、簡単なことでは驚いたり興奮したりしない。居心地が良い。

あと、そういえば昨日はアーティストの淺井裕介さんがここにきていたらしく、僕が家を離れているあいだに僕の家のポストに個展のDMが入れられていた。久々にポストを活用してくれる人が現れた。しかし写真を撮り忘れたので、

淺井裕介個展

なんか/食わせろ

2020年3月7日(土)ー4月4日(土)

東京都品川区東品川1-33-10

Terrada Art Complex 4F

 今日は距離としては代官山のアートフロントギャラリーからおよそ5キロ移動したくらいだけど、時間にしたら4時間くらい歩いていた。のちに映像にするために撮影してもらいながら移動したので時間がかかった。急遽来られなくなった映像作家のジョンから借りたGoPro2台を自分の身体と家に装着し、涼ちゃんに自分のNIKONのカメラを持ってもらい、計3台で撮影しながら歩き回った。代官山から青山通りまで抜けて、表参道を通り、完成したばかりの新国立競技場のそばを通り、信濃町まで。一人で歩いていると、家とすれ違う路上の人々がどんな表情をするのか全然わからないのだけど、こうやって人についてもらいながら歩いていると、どうやらみんな幸せそうな顔をしているらしい。新国立競技場は初めて見たのだけど、近くでみるととにかくでかい。よくこんなものをこんな短期間で作ったもんだ。職人さんたちは本当に偉い。しかし自慢の木のルーバーが、目から遠すぎるせいか全然木に見えなかった。全体に、軽やかさとかは全くない。今の時代らしくもない。でもとにかく、ここまで作った。ネットではウイルスでオリンピックが中止になるだのならないだの、みんなまるで窓の開け閉めの話みたいに軽く言ってるけど、このでかさは半端じゃない。でもそれを考えると、この競技場が中身が空っぽの存在に思えてきてしまう。ザハの、完了済みの設計案を白紙撤回し(なぜ首相にそんな権限があるのかまったくわからない)、3000億円だった予算は3兆円になり、そしていまウイルスで中止か開催かみたいになっている。いったいなにがどうなっているんだ。最近ニュースを見ていると居心地が悪くなる。なぜか知らないけど首相の一言一言に謎の強さがあり、みんなそれに従っている。この国はいつ法治主義から人治主義に変わったのか。僕は家を動かすしかない。

まずい2217分になってしまった。寝なければ。そして明日は550分には起きねば。突然の健康生活だ。

 今日の敷地は代官山交番前という車通りの多い交差点の目の前なので耳栓が必要だと思い、中目黒駅前のトモズで耳栓を買った。民度がたかそうな中目黒でもトイレットペーパーは売り切れていた。そのまま近くのおにやんまといううどん屋で天ぷらうどんを食べて、風呂(光明泉)にいってきた。ここが噂通りのかなり良い銭湯で、中目黒駅から徒歩5分もかからないところにあり、脱衣所では電車の通る音が聞こえるほどの好立地ながら、空が見える露天風呂がある。サウナもある。露天風呂もサウナも浴槽もそんなに大きくないけどあまり嫌じゃない。そしてものすごく混んでいた。サウナは人が密集しすぎて家畜小屋(他に良い言葉が見当たらない)みたいになっていた。ウイルス騒動で人の密集はよくないこととされているこのご時世のなか、サウナは唯一の例外地帯なのかもしれない。僕は家畜小屋には入らなかった。

 40個くらいはありそうなロッカーはほとんど埋まっていて、ロッカーの空き待ちの人が出るくらい。驚いたのは年齢層の低さで、こんなに若い人ばっかりの銭湯は初めて見るかもしれない。18~20代くらいの大学生と思しき人が一番多くて、見た中で一番歳がいってそうな人でも40代くらいだった。大学生のグループが多人数で銭湯にいるのはよく見るけど、ここにきてる人たちはそれぞれ2、3人の別々のグループだったので、世界一少子高齢化している国にいるとは思えない。露天風呂では、就職活動中と思しき男子二人組が「クリエイティブ」とか「コピーライター」とか「ファーム」などの単語を交えながら話をしている。「コンサルタントって結局何やる仕事なの?」「お前クリエイティブ向いてると思うわ~」などなど。そういえばさっきオフィス(蔦屋のスタバ)で右に座っていた女性の後に座った男の子は大学生っぽくて、パソコンの画面にスティーブ・ジョブスの言葉を大映しにしながらハッカーについての本を読んでいた。彼は次々と友達らしき人から「おす、偶然だね~」みたいな感じに話しかけられていた。不思議な街だ。誰が読んでいるかわからないが、中目黒にきたら光明泉はおすすめです。

 脱衣所で歯を磨いて光明泉を出た後、日記の続きを書きたいなと思い、風呂上がりに代官山蔦屋のスタバという、代官山に住んでないとできない芸当をキメようかと思ったが、なんとさっきよりもはるかに混んでいて、席は空いておらず、レジには行列ができていた。もう23時すぎているのに。本当に面白い街だ。これでもっとちかくに安くてうまい定食屋か居酒屋があれば最高なのだけど、

代官山蔦屋のスターバックスにいる。電源がついているカウンターテーブルに座っていて、左には手帳を机に出してなにやらずっとiPhoneをいじっている人、右には集中して誰かに手紙を書いている人。どちらも若い女性。正面にはパソコンを睨んで何かの作業をしている若い男性。他にもパソコンを開いている人が多い。なんというか、みんなスマートだ。荷物が少なくて、机の上にはリップクリームとパソコンだけ置いているような感じの人たち。そんななかでKARRIMOR製のでかいバックパックを机の下において、机の上にはGoPro2台と、GoProのマイクロSDカードをパソコンに読み込むためのコネクタと、iPhone用の携帯リチウムバッテリーと、GoProのバッテリー充電器と、このMacBookを全て電源につなげた状態でこれを書いている。電源がなければこんなところ使わないんだけど、取り急ぎ電源のあるカフェはここしか知らない。ここを利用するためには、スターバックスで何か飲み物を注文する必要があるので、一番小さいサイズのラテを頼んだのだけど、机の上に広げている荷物の体積に対して飲み物の大きさがあまりにも小さいので、なんだか申し訳ない。もう一つ大きなサイズを頼めばよかった。これを書いているうちに手紙を書いていた右の人が立ち去っていった。店内は混んでいるけど、満席というわけではない。
今日はおよそ一年ぶりに「移住を生活する」をスタートさせた。偶然にも今日は東日本大震災から10年目に入る3月11日。つつじヶ丘から駒沢公園(共同通信の記者の人が、撮影したいということで寄った)を経て、代官山まで15キロくらい。5時間くらいは歩いた。久々に家と一緒に歩いて、やっぱりこれは良いなと思った。毎年この時期に移住生活をやるのは良いかもしれない。定期的に、自分に突きつける必要がある。自分を通して、周りの人にも突きつける必要があるかもしれない。今日本は、というか世界中で新型コロナウイルスと名付けられた風邪(COVID-19というらしい)でパニックになっていて、ニュースばっか見てると世界にどんどん余裕がなくなってるように見えるけど、家を背負って歩いた感じはいつもと全然変わらなかった。街では人が歩いていて、iPhoneを見たり、買い物や、立ち話をしている。松陰神社前近くの鰻屋さんは満席だったし、いつも行列ができている店は、今日も行列ができていた。マスクをしている人の割合はすこし多いかもしれない。
駒沢公園ですこし休もうと家を地面に置いたら、ものの5分くらいで「巡回中」と書かれた自転車にのった公園管理のおじさんが通りかかり、「なにか言うだろうな」と思っていたら案の定「これはなんですか?」と言うので、「ちょっと撮影を」と答えたら(瞬間「しまった」と思った。「すぐどかしますんで」とだけ言えばよかったのだ。久々に家を動かしているのでナマっているのかも)、「撮影の許可を取ってますか?撮影には許可がいります」とたたみかけてきた。
それはまあどうにかごまかしたのだけど、おじさんはさらに家を指して「こういうものを設置するのは、ダメです」と言う。他にはどういうものがあるんだ?と思いつつも、「設置しているわけではないのですが」と言ったら、言い終わる前に「設置しているかどうかは、こちらが決めます。」という(いまこうしてパソコンで「設置」と書いてるけど、その時の僕は「接地」という感じを思い浮かべていた)。
「設置しているかどうかは、こちらが決めます」という言葉の強さにびっくりしてしまったけど、こういうときは引き下がったほうがいいので「とにかくすぐにどかしますんで」とだけ言った。そしたらおじさんは去っていった。結論として、駒沢公園はとても窮屈な公園だった。ツーリングやランニングのコースがあるので、そこはしょうがないのだけど、せっかく芝生の気持ち良さそうなところがあるのに、この様子だと家をおいて休憩なんかとてもできない。2度と行きたくない。この白い小さな家がどういうもので、なぜここに置いてあり、いつ移動させるのかを普通に聞いてから対応すればいいのに。なんのために「人間」が公園の管理人をやっているのか。とにかく、「こういう物」を設置するのはだめなので、すぐにどかしなさいと言われるので、休憩もできない。ロボットにやらせてるのと変わらない。あるいはあのおじさんはロボットだったのか?
ひさびさに家を動かしてやはり思い知った。この家は、背負って歩いている時はみんなけっこう「なにあれ〜」「歩く家だ〜」「面白いね〜」などとキャイキャイもりあがるが、地面に置かれたまさにその瞬間から、「不審なもの」になる。「え・・こんなのあったっけ・・」みたいな感じになる。反応が全て予想できる。こっちが思った通りのことを言う。「こういうものは設置できません」とか。相手に予想されていることを口にして、よく恥ずかしくないなと素直に思う。
駒沢公園を出て、代官山までに一回デニーズで休憩した。駐輪場に家を置いて、店に入り、席を案内してくれた店員さんに写真を見せながら「こういうものを下の駐輪場に置かせてもらってるんですが、ちょっと店にいるあいだだけ、置かせてもらっても大丈夫ですかね?1時間くらいで出るんで」みたいな説明をしたら「ペットか何かですか?」と言われた。ちょっと予想外だったので、「いや違います。ちょっと背負って動かしてて、発泡スチロールでできた家なんですけど・・」みたいなわけのわからんことを言ってしまった。そしたら「お持ち帰りになるのであれば大丈夫です」と言ってくれた。僕の家は「お持ち帰り」になるので大丈夫だった。
それから代官山ヒルサイドテラスのアートフロントギャラリーの前まで家を動かし、今夜の敷地はヒルサイドテラスになった。もともとは「奥能登国際芸術祭」の打ち合わせで来る予定だったのだけど、数日前に、ちょうど移住生活中なので打ち合わせついでに敷地を貸してくれませんかと相談したら良いですよ、ということに。オーナーの朝倉さんも了承してくれた。このあたりに住んでいるらしい。北川フラムさんは「やっぱりオーナーがその土地にいるから良いんですよ。自分の街だから良くしたいと思えるから。チェーン店で入ってくるばっかりだとダメになっちゃう」と言っていた。

今日の間取りとしては

寝室=ヒルサイドテラス
オフィス=代官山蔦屋
トイレ=ヒルサイドテラス
バスルーム=光明泉(アートフロントギャラリーの人が教えてくれた近くの銭湯。「かなり良いですよ」とのこと。サウナもあるとのこと。)
ダイニングルームは未定。これから探してご飯を食べて、風呂に入って寝るとする。ドローイングと間取り図は明日。20時07分。

BBCでマイクロソフトのカーボンネガティブのニュースを読んでなんだかぐっときてしまった。「全てを解決する夢の技術が到来する」か「解決は不可能」みたいな二つの極で話題にしてしまいがちな環境のことにずっと前から取り組んできて、今もカナダのカーボンエンジニアリングという会社では1日1トンのCD2が待機中から取り除かれ、1日バレルの燃料がCO2から作られていて、近い未来その商業施設を立てるべく低コスト化に向かっていて、2018年時点で1トンのCO2を取り除くのに100ドルまで抑えている(これは2010年で予想された額の1/6らしい)というニュースもあり、課題をひとつずつ解決してすこしずつ前に進めていくし、2050年までに自社がこれまでに排出した全てのC02を待機中から取り除くという大きなビジョンも描く。さらにはパリ協定があったのに各国政府は実際的な行動に移っていないという批判もしていて、地球を背負って立つという自覚の強さとか、説得力に打たれた。いろいろ文句をつける人もいるけど少なくともうちの国の「セクシーに解決しないといけない」とか言って環境サミットに行った出先で牛肉のステーキを食べている環境相が恥ずかしいことは間違いない。

今日久々に展覧会を見て回ろうと思いたって上野へ行ったがついた頃にはお腹が空いており、このままでは集中して見られないと感じたので西洋美術館脇のカフェで「ミートボールボロネーゼ」を食べた後で西洋美術館へ入り、内藤コレクションのゴシック写本の展覧会と常設展をまず観た。写本の展覧会はとても良くて、印刷技術以前の世界では文字も絵も人の手によって描かれていたので、文字は絵にもなりうるし逆も然りで、印刷技術が生まれたことによって、それらがいつからか分けられてしまったんだろう。ひとつ、今度の3月からやるグループ展で作ろうかと思っている作品のアイデアもでてきた。常設展も久々に。ギュスターヴ・ドレの「ラ・シエスタ、スペインの思い出」という縦長の大きな絵画に見入ってしまう。しばらく鳥肌が立っていた。これもだけど、この常設展の感じだと、19世紀の絵画の方が面白く感じる。20世紀に入るとマーケットなんかとも連動して頭脳的に進化していくので、見ていて退屈な印象。しかしそのあと、東京ステーションギャラリーで岡崎乾二郎さん監修の坂田一男展に行って、20世紀の仕事にうちのめされた。展覧会のなかで、第一次大戦から第二次大戦の戦間期の大変な時代に身を置きながら、なぜ坂田は抽象的な思考を持続できたのかという問いかけがあり、手榴弾の内部構造を抽象化したように思われる「コンポジション」という作品(だいたいが「コンポジション」という作品なのだけど)とか、銃剣を持った兵士を抽象化したと思しき「コンポジション」などがあって、さらに岡山のアトリエが1944年に高波の被害にあって水没し、多くの絵画の絵の具が剥がれてしまったことを受け、それを修復して作品化するだけでなく、その事件以降、最初から一部が剥がれているかのような絵画も作り始める。自分の力ではどうしようもない時代の力とか、戦争とか、災害とかを抽象化して絵に閉じ込めることで抵抗する。世の中の出来事全てを素材とみなして使う力というか意思というか。それだけじゃなくて、展示されている作品は制作年不詳ばかりで、僕は見ているあいだ、坂田一男が絵の向こう側で笑っているように感じた。明らかに制作年の違うエスキースが一枚の紙の裏表に描かれていたり、いつ描かれ、あるいは描き足されたかわからないような作品たち。時間も抽象化して平面のなかに閉じ込めてしまおうとしているというか。恐ろしい。それで夜に、ニュースサイトを見ていて、もうすぐセンター試験があり、センター試験の日には痴漢が増えるという記事を読んで胸糞悪い話だなと思い「痴漢レーダー」というアプリをiPhoneに入れてみた。痴漢にあったらこのアプリで助けを呼ぶことで同じアプリを入れている人が近くにいたら助けられるという機能の他に、過去に痴漢や「ぶつかり」などにあった、目撃した、という情報が地図上にストックされていく機能もあり、新宿駅や渋谷駅なんかの被害情報を見ていたらなんだか気分が悪くなってしまった。痴漢だけではなく、世の中には単なる悪意によって行動してしまう人も多くいるらしい。通りすがりざまに怪我をしている手にカバンをぶつけられたとか、頭を殴られたとか、エスカレーターで突き落とそうとしてきたという被害情報とか、あるいは妊娠している人がするバッジを見て舌打ちするおじさんがいたり、妊婦が優先席の目の前に立っていてもわざと席を譲らないおじさんがいるというような話をきくうちに坂田一男展を思い出し、そして、絵画が19世紀から20世紀を経ていまの時代につながり、そこで僕が生きて作品をつくっていることは繋がっているんだなと、改めて気がついた。僕がいまのところそうならずに済んでいるいるのは、単に作品を作っているからだと思う。絵画が進んできた抽象化する歴史は、僕がやっていることと同じ地平にある。時代の空気や災害さえ抽象化して作品に取り込む力を鍛えたいし、みんな鍛えればいいのに。しかしみんなが坂田さんみたいに抽象化できるわけではないんだな、それが足りないんだなと思ってしまった。思って「しまった」という感じ。

恐ろしいことに《喫煙所》を庭に作ったら、それまで普通に吸っていたアトリエの他の場所でタバコを吸うことに罪悪感を覚えるようになった。自分で作っただけの喫煙所なのに。

内田涼展の設営をアトリエで手伝って、展示が完成してからじわじわと時間を経るごとに、それまでアトリエとしで使っていた空間がどんどん変わっていくのを感じた。秒ごとに、だんだん変容していく感じ。それまでと違う場に生まれ変わっていくのを、その場の只中で見ている。まずそれまでと同じ色のはずの白い壁が、絵が飾られたことで本当に綺麗に白く見える。これは今までのギャラリーや美術館で展覧会を鑑賞してきたから生まれる錯覚のようなものなのか、絵には壁の色を変える力がもともと備っているのか、その辺はわからないけどとにかく白く感じる。部屋も広くなった。まあ掃除したからってのもあるけど、壁が白くなったってのも大きいと思う。なにより内田の絵がその変容の力の源になっている気がする。絵が、それが飾られる家に与える影響はそれだけ大きいっていうことだろう。

落ち葉を集めることで神聖な気持ちになる。神に仕えているような。時間の循環を感じる。時間を集めているみたいだ。

食器は体の延長だから、ご飯を食べたあとは手を洗って口をゆすぐのと同じタイミングで洗いたい。台所の食器棚や調味料が並んでいるのが面白いのは、そこに人の体を見るから。

僕も制作場所として借りさせてもらっている「つつじヶ丘アトリエ」にて、アトリエメンバーの内田涼の個展が開催されます。その会期に合わせて《喫煙所》をやります。これまでに制作した《Smoking Democracy》と高松市美術館で発表した《喫煙所》二つの作品を踏まえつつ、煙草を通して公共について考えてみようというアイデアです。喫煙者の方はぜひ煙草を吸いに、非喫煙者の方は、喫煙者が喫煙所の中で煙草を吸っている姿を見に、ぜひきてください。

日時:2019年12月21日(土)〜12月29日(日)の13:00〜19:30ごろまで(24,25日は休み)

場所:つつじヶ丘アトリエ(東京都三鷹市中原1-11-17)

近くに豆腐屋があるというのを知って、小さい頃は肉屋で豚のひき肉300グラム、魚屋でアジ2尾、豆腐屋で絹豆腐一丁と油揚げ一枚、八百屋でネギと玉ねぎ、みたいなお使いの頼まれ方をしていたことを思い出した。それぞれの店がそれぞれの商品を売ったり作ったりしていて、それを買って回るのは今思うと楽しそうだ。消費と生産の距離が今ほど離れていなかった。近くにあった。それが当たり前だったはずだ。でもだんだんと、スーパーでまとめて買うのが普通になり、それが当たり前に変わった。

「住む」を扱うことの難しさ。するではなくて、状態である、ということはポイントしにくいので。

日々の諸々に対して制作的態度を常にもつこと。まずはそのマインドをなんとかしないと、例えば移動をサブスプリクションにしたときに、それに流されるだけのものになってはいけない。

僕は一年半くらい前からつつじヶ丘という駅の近くでアトリエを借りているんですが、建売住宅がこの短い間にものすごく増えていて、なんというか、自分で考えるのが面倒だからもう出来てるところに住んじゃおう、みたいな考え方なんじゃないかと思ってしまって。それは住むということに対して受動的すぎるんじゃないかというか、そんな感じがしてまして。年金だけでは老後に平均2000万円足りなくなるみたいな報告書が話題になったとき、僕はすごく不安になってしまったんですが、老後のために貯金した方がいいかな、とかそういう思考モードに入らされちゃいまして、多くの人があのきとはそうだったと思いますが。その時にラジオで年金は「長生きリスク」にそなえる ためにあるという話をしていて、ショックを受けてしまいました。長生きリスクなんて・・すごい言葉だと思いませんか。人生は死ぬまでのカウントダウンに過ぎないと言われているみたいで、なんかラジオを聴いていて元気がなくなってきてしまって。同じような文脈で「将来はお金が足りなくなったときのために投資をしましょう」という話もしていて、僕は普段から色々なところに投資をしているつもりではあるんですけど、例えば添加物が入った食べ物は出来るだけ食べないようにするとか、たまに高い服を買うとか、将来の制作のためにプロジェクターとかカメラを買うとか。でもそれは将来買えなくなった時のために買う訳ではなくて、未来の自分がなにかを生み出すときに必要になるかもしれないからという、前向きな気持ちでやってるんですけど。服とかカメラとかは、そうやって生産的に考えられるんですけど、なぜか家は時間の単位が大き過ぎるからか、規模が大きいからかわかりませんけど後ろ向きになりがちなのかなと。自分は将来死んでいくんだから、それまでしのげればいいでしょっていう、ペシミズムがあるなという感じが。

住むことを扱うということは、とても抽象的で、みんなイメージしにくいし、なにかこうすれば幸せになれるみたいな世の共通の像はもう僕が生まれる前に壊れてしまったので、そういう像を失った人たちが、とりあえずここに住んどこうみたいな感じで建売住宅に住んじゃうのも無理はないのかなと思います。建売住宅を買ったという方がいたら、あとでぜひお話を聞きたいんですけど・・。「移住を生活する」などのプロジェクトは、住むこと自体を制作行為として行い、作品化するんですが、それは、いま話したような「生活することは引き算である。」っていう風潮に対抗するものにもなっているのかなと。

その気持ちをみんなと共有したほうが楽しいと思うので、僕は「村上家に泊まる」というワークショップを今年初めてやってみました。1日これをやるだけで、今までカフェなんかとは無縁に生きてきた人が一人でカフェに行くようになったりして、期間は1泊っていう短い間ですけど、効果は大きいのかなと。

「人の家を、自分が設計していいのか」家は自分の体の延長なのに、人に設計を頼むのはおかしな話だ。(吉阪さんの言葉らしい)

自分の家に釘一本打てないのは変な話じゃないか。住むことと家が離れている。建築のプランを作るには、一つ思考を飛躍させる必要がある。それは、人の住む家を俺が考えていいのかっていう問題。この壁は僕にとってはとても高くて、そこに理由を与えるために、個人的な営みでも、社会的なアクションになるというロジックを使い、そこから看板や経済の話に結び付けているけど、吉阪さんの言葉を読むと、その壁はやはり無視してはいけないというか、僕の方がまともなんじゃないかという気がしてくる。みんな、無自覚に人のものを作りすぎている。なんかテレビとかみてても思うんだけえど、もっと人に何かを作ったり影響を与えたりする奥ゆかしさみたいなものがない気がする。下品というか。

吉阪さんもそこになにかひっかかるものはなかったのかと思う。自邸のスケルトンインフィルみたいなものも、思想としてあるけど、作品の、途中で止める感じをどうにか形にしている。

個人のことが公共のものになることの話。本の話、美術館に収蔵された話、俺の黄金コースの話、間取りの話。砂場で遊んだり砂浜で像を作ったりするように場所を作る話。

フルッサーの投企の話と住居の話。

『我々は居住する動物である。巣に住むにしても、洞窟に住むにしても、テントに住むにしても。また、家屋に住むにしても、縦横に積み重ねられた箱型住宅に住むにしても、キャンピング・カーに住むにしても、橋の下に住むにしても。慣れた場所、通例の場所がなくては、我々は何も経験できないのである。慣れないもの、異例なものは雑音だらけで、慣れたもの、通例のものの中で処理されて初めて経験となる。~住所不定の彷徨者は何も経験せず、「あちこちと」回るにすぎない。~堅固で快適な家は、慣習の場所として雑音を受け止め、経験へと処理する能力を、もはや果たせなくなって居るように見える。~これは存在論的な問題である。今まで我々は、自分を個体であると思ってきた。つまり、人間はそれ以上細かく分けられない物で、空間と時間の中を動いて居るのだと思って来た。家は、そうした運動が集中される場所であった。家は~「現に立っているもの」であった。しかし「人間」という個体の運動は、ますます厳密になってゆく分析に服した。~人間は家を出て世界を経験し、経験したことを処理するために家に帰る。人間は世界を発見するために出かけ、自分を再発見するために帰ってくる。だが、人間は世界で自分を失い、家に帰って世界を失う。~我々が自分をインディヴィジュアル(分けられないもの)と考えることはもはやできない。それ以来、個人(インディヴィジュアル)の運動と、そのさい家が果たす役割について語ることは、もうできなくなったのである。だから、家を新しく投企しなければならない。新しい投企がなされるまでは、我々は家無しでしかない。』

という記述があり、これは知人が言っていた

『暇な時間に非生産的な(と一般にみなされる)行動をとって退屈を紛らわせている人は、人目を気にすることになる。つまり、一人前の大人がスマホでゲームしたりマンガを読んだりだらだらテレビを見たりするのは、あまり褒められた行為とは見なされないので、そうした人たちは人目が気にならないところでそうした行動に没頭する。あるいは、コメダコーヒーや図書館など文化的だとみなされるような場所に行く。

 退屈な人、退屈しのぎをしている人は、退屈していることに気付かされることを嫌う。人は誰しも「退屈そうだ」と思われたくないのである。「退屈そうな人」は「何も意味のあることができない人」であり「希望のない人」と同義なのだ。それが単なる退屈しのぎであっても、プレミアムな生活をしているだとか、勤勉だとか、社会に貢献しているとか、趣味を楽しんでいるスポーツマンか文化人であるといった、香りづけが必要なのである。』

に通じる。他にもこの本の「都市をデザインする」という章の中で「まず問われるのは、なぜ村ではなく都市を投企するのか、ということだ。~あらかじめ結論だけを言っておけば、村は観想のための空間を提供しないからである。第一印象とは違って、農耕文化の中で農耕に従事する農村生活は、都市文明が可能にする間暇を提供しないからである。」

「観想を提供する」ことと歩くこと

シチュアシオニスト

「この機関誌の編集規則は集団的編集である。個人によって書かれ、個人の署名のあるいくつかの記事も、われわれの同志全員に関係があり、その共同の探求の個別的側面と見なされなければならない。われわれは文学雑誌や美術雑誌のようなかたちで生き残ることには反対している。 『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』に発表されたすべてのテクストは、出典を明記しなくても、自由に転載、翻訳、翻案できる。」

自分をどこに位置づけるかという話。建築としてやってくれと言われて、一昨日TBSラジオでも吉阪さんと今和次郎の話を名前を出した。建築課題の話、建築をすることの壁の話、それを反転させるロジック、俺の黄金コースの話

店で注文するときに見る料理の写真と、実際に出てきた料理の写真を撮影して並べてみるということをやり始めたのだけど、それは「広告看板の家 高松」に住んでいて、ここに住むとはどういうことかを考えていたら、パッケージの問題に行き着いた。

ワークショップをやってるときに、ボランティアで手伝ってくれてるおばちゃんが女の子の参加者に対して「女の子なんだから、」という言い方をしていて、それは言っちゃいけないよなあと思いつつ自分もうまく注意できなかったり、今日3331でワークショップを一緒にやったスタッフが、子供と一緒にいる保護者を、子供とどういう関係かわからないのに女の人だからという理由だけでお母さんとか読んでしまって、他に呼び方がないものかという話を後でしていて、女の子だから○○でしょうとか、一緒にいるっていうだけで保護者の人をお母さんかもわからないのにお母さんって呼ばないとか、そういう細かい言動や態度から伝わること、そういうスタッフの挙動のほうが、ワークショップで家を作りましょうとか、絵を描きましょうとか、そういうことよりもはるかに大きなことが子供達に伝わるのかもしれない。ワークショップにおいて一番大事にするべきなのはそういうことで、やる内容は家を作ろうでも絵を描こうでもろうそくを作ろうでも石鹸を作ろうでもなんでもよいのかもしれない。ただその工程や募集の過程の中でスタッフが人間に対してどういうスタンスを取るべきかということこそをデザインするべきなのかもしれない。

今の季節、セミの幼虫が歩いているのをよく見ますね。

セミの幼虫ってどんなやつかわかりますか?わかりますよね。茶色くて、目がくりっとしているやつです。ゆっくりとしか動けないので、昼だと取りに喰われるから夜に地表に出てきて羽化するんですが・・

小さい時、セミの幼虫をよく捕まえて無事に羽化ができるようにいろいろやってあげていました。そういうことが良いことなのかどうかはわかりませんが、今でも反射的に、人に踏まれそうなところを歩いてるセミの幼虫を見つけたら、つい拾って人目のつかない草地に話しています。もちろん羽化できる木があるようなところに。

映画新聞記者を見た。全体に「ペンタゴンペーパーズ(邦題)」を思い出した。印刷機が動く様子を終盤に持ってくる感じとか、演出も似ている。ペンタゴンペーパーズは50年前の話だけど、これは現行の政権のもとでの新聞記者と官僚の葛藤を描いている。ペンタゴンペーパーズは、「運命の瞬間」のときは割と軽い感じの演出で描かれていたけど、この映画は全体に重たい演出だった。全体的にずっと重たい感じ、という意味では単調だったけど、内閣調査室のシーンの青い光の感じと、自殺した官僚の神崎さんの家の中の赤い色味というか、自然な色味が対照的で、その行き来はスリリングで面白かった。そして終わり方がペンタゴンペーパーズと違った。答えを出していなかった。つまり「立派な人間」とは「かっこいい」とはなんなのか、というのは映画の中で、それとなく描かれているけど、その勇気ある決断をした松坂桃李演じる官僚が、その後ハッピーエンドを迎えるようには描かれていない。わからない。唐突に終わる。ボールが突然こちら側に渡される感じ。それが現代の問題を扱う映画らしいというか、その決断がどんな帰結をもたらすのかまでは描いていない。原案があるらしいので、それを読んでみたいと思った。その終わり方が気になる。

主演の女優の方がとても良かった。最高だった。神崎の部屋で松坂桃李相手に言った「私たち、このままでいいんですか?」というセリフ、これがこの作品全体を象徴している。こちら側に指を指されるような感じ。「私たち」には、観客の側も含まれている。あと、多田さんという調査室のボスから卑怯にも匿名でかかってきた電話、しかも内容は「君のお父さんの記事、本当は誤報じゃなかったんだ」というだけの、ただの嫌がらせでしかない者に対して、これはむかつく!!さあ、どう返す?と観客の誰もが思ったであろう場面で、主役の記者が返した「あの、わざわざありがとうございます。という台詞は最高だった。誰よりも自分を信じ、疑えという父の言葉を背負って生きている人間と、自分の体と現政権とを一体化させて見事な思考停止に陥っている多田との、経験値と格の違いをたった十数文字で見せられて痺れた。

しかし、これがもしかしたら一番大事なのかもしれないけど、この映画は普通にエンターテイメントというか、楽しめる映画として見た。主人公二人の心情もよく描かれていて理解できたし、何回か泣いた。面白かった。武田砂鉄さんだったか、誰かも言っていたけど、この映画が「政権批判」みたいな感じでメディアに取り上げられることがあるらしいけど、それはちょっと神経症だ。普通に楽しめばいいのに、わざわざ自分の時間を割いて目くじら立てるような人間がいることに僕はリアリティがないけど、実際そういう神経症の人はいるんだろう。私のまわりには見当たらないけど。

ある作品を知ってしまったが故に、それまで長年うまくいっていた夫婦の間の意見の違い、好き嫌いの違い、価値観の違いが露呈し、知らなければそのままうまくいっていたかもしれない夫婦の仲を分断するようなことは、芸術作品にはあり得る。芸術は人を分断し得る。

平和の少女像は、制作というより生産されてきたものだということと、昔これそのものが美術館で展示中止になったわけではなく、模型が展示中止になった、ということから、企画者側に、なんらかの、表現の自由を問う以上の意図があったのでは。

脅迫のファックスに対して警察が警備を強化したり捜査をしなかったことがまず最大の問題なんだろう。その上で、この間書いたような、物事と距離をとること、そのうえで議論を促すようなこちら側の方法自体が、リベラルな態度であり、彼らから見たらそれ自体が偏った政治思想とあり、そこに腹を立てているんだろう。もちろん土台には乗ってこない。だからこちらの言葉で、議論を、などと呼びかけても。分断が埋まるようなことはない。

全部いっぺんに解決するのは無理なんだろう。俺は勉強して、韓国へ行き、一人の人間として発信する。それしかない。そうしていくしかない。一人ずつが。

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展 その後」の「平和の少女像」の展示が神経症の人たちによる病的な反発と脅迫のせいで中止になった。(神経症という言い方は宮台真司にならっている)

そしてこれが一番大事なのだけど、その結果その展示を俺が見られなくなった。どうしてくれる。俺は10月に見に行こうと思っていたのに。

過去に検閲を受けたり展示中止になった作品を、経緯とともに展示し、なぜそうなったのかを考えるのがこの展示で、ある場所で展示できなかったものを(外で展示しようとするのではなくて)、美術館という美術を見に来る人のためにつくられた箱のなかで見せるっていうことを通して、検閲について考える。そういうプラットフォームのためにあるのが美術という方法なのだろうけど、それができない、そういうことを普段考えていないがために物事と距離が取れなくなってしまった人たちによって、距離をとって考えようとしている俺が邪魔されている。彼らは物事に対して近距離で直接向き合うことしかできなくなっている。彼らの中には「自分か相手」しかない。自分の中にバッファーがない。プラットフォームがない。その結果神経症に陥っている。その上名古屋市長も、なんか知らんけど、人気を取るチャンスだと思ったのか、ここぞとばかりに前に出て展示の中止を求めていた。

政治家も神経症の人たちに合わせて振舞って俺のことを邪魔している。とても辛い。唯一、愛知県知事の記者会見がすこしだけ救いだった。

名古屋市長には是非、元パリ市長ベルトラン・ドラノエの「リベルテに生きる」を読んでもらいたい。

しんどい。ニュースを見過ぎた。

世田谷文学館で原田治展をみた後にオペラシティでジュリアンオピーを見た。同じ日にみてよかった。原田治は「抽象画を描きたかった」みたいことが描いてあって抽象画も展示してあったのだけど、抽象画とイラストレーションを別のものとして考えていた印象。