釜山最後の瞬間はバタバタだった。昨夜は釜山現代美術館の館内に家を置いて眠り、今日のお昼は「あなたのスタミナのために」と、釜山現代美術館の館長とキムさんとアーティストのジンさんがカルビタンをご馳走してくれた。美術館からピックアップトラックでジンさんに家を釜山国際フェリーターミナルまで運んでもらい、ジンさんとはそこで別れた。ジンさんはイングランドのチェルシーカレッジで彫刻を勉強していたらしい。イングランドに六年くらい住んでいたようだ。鉄とは何かを考えながら、彫刻作品と作ったり、彫刻作品のような楽器を作ったりしながら、ミュージシャンにもなりたいと思っていた元プロバドミントンプレイヤーの彫刻家。ガタイが良くて、野太いハスキーボイスで色黒で、快活かつとても思慮深い最高の人だった。また会いたい。家が一部壊されながら(その部品はミリさんの提案でキムさんにプレゼントした)も、どうにか船に積み込むことができた。3万ウォン取られた・・。大阪で税関を担当していた男と同じ人じゃないか?というくらいそっくりなオーラを纏い(同じ仕事をしている人間は年月を経るごとに似てくるということだ)、同じような大きさのテーブルで仕事をしている男にカードで3万ウォンを払って、キムさんとミリさんと別れ、バタバタと船に乗船した。1ヶ月前に大阪で同じ船に乗ったはずだけど、あの時に比べて僕は確実にフランクな人間になっている・・。韓国の力か旅行の力か。手元には現金でウォンが4100ウォンほどのこっていて、どう使おうか港で迷って缶ビールを買おうとしたが船の中でなにか帰るだろうと思って買わなかったのが正解だった。いま大きなプラカップにいっぱいそそいでもらった生ビールを飲みながらこれを書いている。3時から5時まではハッピーアワーで3000ウォンだという。あと1100ウォンある。何かに使えるだろうか。

船は快適だけど一つ心配なのは同じ部屋の韓国人のタンクトップで短パン姿のカラフルなおじさんがちょっと面倒臭そうだ。同じ部屋だからと思って挨拶程度に少し話したら「大阪に行ってショッピングをします。嬉しいです。成人製品をいろいろ買うつもりです。」というテキストをiPhoneの翻訳アプリで見せてきて、笑っていた。読み上げ機能も併せて。

日記の続き。翌日は戸田郁子さんに暑い中案内してもらい、暑い中朝から夕方までかけて仁川を見てまわった。仁川は港からすぐにフェリーに乗って大連など中国まで行きやすい。昔から中国人の出入りが多く、大きなチャイナタウンもある。戸田さんは中国にも八年ほど住んでいたらしく、中国料理も食べられる韓国の街で日本家屋を改装した家に住んでいる。

戸田さんが住んでいる家は90年以上前に日本人によって建てられた家を改装したもの。「日帝時代」(とこちらでは呼ばれる)に朝鮮総督府のもと、仁川につくられた日本人街の一角にある。かつてここらには長屋づくりの日本家屋がたくさん並んでいて日本人がたくさん暮らしており、解放後は韓国人がその長屋を改装して住みはじめ、今でもそうやって住んでいる人がたくさんいる。しかし日本の大工によって作られた木造の土壁の家は、日本より寒い仁川には不向きで、解放後は韓国人たちが木造の壁の外側にコンクリートを打ったりモルタルを塗ったりして外壁を作り直したものがほとんど。なので見た目はいわゆる日本の家とはすこし違っていて、しかもその違い方がそれぞれの家で個性があってとても面白い。ただ、これら日本人によって建てられた家は、戸田さんによるとほんの十年くらい前までは「敵産家屋」と呼ばれており、基本的に日本人が建てた家に住むのよくないことだとする雰囲気があったという。そのなか、戸田さんたちは家が新しく一軒建てられるほどの予算を費やしてこの木造の家を、その構造が見えるようなかたちで改装し、ギャラリー兼ゲストハウス兼住居として使っている。この家の歴史をつたえたいと戸田さんは言っていた。戸田さんの文筆業も、戸田さんが住む家も、歴史を伝えるという一点で一貫していると思った。

「敵産家屋」という呼び方は少しショックを受けた。いま釜山市立美術館で開催中の展覧会の中で画家の安藤義茂が朝鮮で描いた絵が展示されているのだけど、それがなぜすごいかという戸田さんの話もすこしショックだった。つい最近まで日本人の画家が「日帝時代」に朝鮮半島で描いた絵を韓国国内で展示するなんてことはできなかったらしい。それはつまり、日本人からプラスの影響を受けたということを公のものとしたくないという感情からきている。日本人の画家がかつて朝鮮半島で絵を描いていたという事実は、韓国の公の立場からしたらあまり見たくないところなんだろうと思う。とても複雑な感情だと思う。

戸田さんは、仁川は残された街だと言っていた。良い意味でも悪い意味でも。新しい支庁がかつての仁川中心街(つまりこのエリア)からすこし外れたところにできた結果、このあたりは街が寂れてしまったという。結果的に街の中に古い家と、それを改装して住んできた人々が残り、新しい公共文化施設もたくさん生まれて、とても面白い街になっている。街を歩いていると、人の移動の痕跡が全て家の改装の跡になって残っていて、とてもダイナミックな気持ちになる。12以上の個人博物館(歯医者の待合室が、朝鮮戦争で志願して戦線に向かった兵士達を記念した博物館になっていたり、19-20世紀はじめの時代の日用品を大量に集めた個人の博物館があったり、世界中の消防車や救急車のミニカーを集めた個人博物館があったり、半端じゃない公共マインドを持った人々がたくさんいる街でもある)・公共博物館に加えてアートプラットフォームという綺麗なレジデンス施設まである。

港の近くにはタルトンネというスラム街がかつて存在し、そこには北朝鮮からの避難民や仁川国際空港の建設労働者達が住んでいた。今でもその一部が残っていて、人も住んでいる。ここも案内してもらったのだけど面白かった。人の家なのであまりジロジロ見るのも失礼なのだけど、自力で建てられた家がどんどん建て増しされて隣の家とつながって全体で一体化していて、生き物の中にいるようだった。

役所はこのような「見栄えの悪い家」を相手に、「屋根を直す代わりに壁にペイントをさせてくれないか」という事業も行っているらしく、その一角をすこし見ることもできたのだけど、パステルカラーに塗られた壁に鳥や花などが描かれていて、その家全体が醸し出しているセルフビルドっぽい雰囲気と混ざってなんとも言えない風景を作っていた。

戸田さんとのツアーは暑さもあり、夕方16時ごろに解散となった。戸田さんには暑い中大変な思いをしながら色々と説明していただいた。ありがたい。

その日の夜は戸田さんが紹介してくれたモーテルに宿泊。翌日は久々に、一人で涼しいところに1日中いられる日だったのでほとんど外出せずにずっと部屋に引きこもっていた。

いまソウルから釜山に向かうKTXの座席の中でこれを書いている。釜山駅でおりて、そこから地下鉄+徒歩20分ほどで釜山現代美術館にある自分の家まで戻って眠る。明日には家とともにフェリーにのって大阪に戻る。韓国滞在もいよいよ終盤になった。KTXは快適だ。今回の座席は電源もある。WiFiも飛んでいる。シートは倒せないが隣にいた人が前の駅で降りたので横にもなれる。

 

2018年7月24日〜29日부산광역시사하구하단2동낙동남로の부산현대미술관

日記をさぼってしまった。今日は7月26日。午後10時を過ぎているけど、今日は宿からほとんど出ずに、ずっと部屋でiPhoneを見たりパソコンで音楽を聞いたりしながらずっとごろごろしていた。久々に丸一日誰にも会わず、何も生産的なことはせず、ご飯もコンビニで買ってきて済ませただけという日。日記を書かなければと思いつつ結局こんな時間に。一昨日、家を美術館に預けた。これでもってとりあえず引越し釜山編(「家の動詞形」という展覧会でもあった)はお終い。

午前中に「看板図書館」のためのインタビュー採録(これにもキムさんや社長さんが熱心に協力してくれて、釜山現代美術館の館長さんと社長さんとお茶屋さんの3箇所に取材できた。キムさんも、異業種への取材を結構面白がって色々質問してくれた。)をやって、午後3時10分ソウル発KTXに乗って仁川へ向かった。前の晩にあまり眠れていなかったのもあり、座ってすぐにぐったりと寝落ちしてしまった。今回KorailPassという制度を使ってKTXを使ってみた。iPhoneの画面上でしかチケットを見せることができない状態だったので若干不安だったけれど、結局チケットの確認はされなかった。到着した日のソウルは釜山よりも暑かった。寝不足で疲れていたので、暑さが絶望的で、これから地下鉄にのって仁川までたどり着けるだろうかと思った。ソウルで地下鉄に乗り換え、またこの地下鉄が冷房があまり効いてなくて辛かった。多分30分くらい乗って東仁川駅についたのだけど、途中立っていてクラクラする熱中症のような症状が出て、とても疲れていることがわかった。

まず仁川官洞ギャラリーのゲストハウスに。作家の戸田郁子さんがやっているギャラリー・ゲストハウス。戸田さんは、馬喰町アートイートで出会ったぱくきょんみさんに紹介してもらった。戸田さんの「中国朝鮮族を生きる」という本を読むと、朝鮮半島の人々の移動の様子と、その移動にかつての日本がどれだけ深く関わってしまっていたか、「関わる」なんて生易しいものではなく、彼らに内面化されてしまっていたかがよくわかる。戸田さんがゲストハウスをやっていると聞き、さらに仁川の町を一緒に歩くツアーもやっているということだったので、せっかく韓国にいくなら仁川まで行ってしまえと思ってコンタクトをとってみたら快諾していただいた。戸田さんに会うのは少し緊張していた(たぶん1ヶ月くらい前がピーク)はずなのだけど、着いた頃にはもう疲れはてており、緊張する余裕もなく、今思うと失礼な言葉遣いをしていたかもしれない・・。なので着いてすぐに戸田さんに紹介していただいた焼肉屋さんで一人テジカルビを食べて、シャワーを浴びて眠った。ゲストハウスにはクーラーはなかった。最初はそう聞いてひるんでしまった。「暑いのでクーラーがある宿を紹介しましょうか」と言われてそうしようかと思ったがせっかくここにきたので一泊泊まってみることにしたのだけど床が「オンドル」という床暖房になっている床で、これがスイッチを切っているとヒンヤリとしていて、扇風機もありぐっすり眠れた。

2018年7月23日부산광역시사하구하단2동낙동남로の부산현대미술관

眠い。昨日は横になった時は風があって涼しかったのにしばらくしたら風がなくなってしまい、湿度も上がってきて寝苦しくなって、うとうとしながら朝を迎えた。海が近いせいか蚊も多かった。でも4時間くらいは眠れたと思う。

昨日はチムジルバンを出てオフィスに寄って家に帰る途中ご飯屋さんに一人で入りでビビンネンミョン(ビビン冷麺)を食べ、家のあるササンナショナルスポーツセンターに戻ったらそこのブックカフェにキムさんとミリさんがいたのでアイスチョコレートを飲みながらすこし話した。二人は文化新聞という新聞を読んでいたので見せてもらった。以前から思っていたけど、こちらの新聞記事には時々漢字が混ざっている。最近のことらしい。例えば「停電」という漢字をキムさんは読めるみたいだったけどミリさんは読めなかった。

111年ぶりの高温を記録したらしいこの夏の高温の記事や、その気温のために原発の稼働を増やした(?)記事、「脱原発」という文字も見えた。そういえばツイッターでうらあやかがつぶやいていた韓国の原子力発電所での放射能漏れの事故のことを知っているかと聞いてみたらミリさんもキムさんも知らなかった。

それから釜山では最後の引越しとなる移動を夕方4時ごろから開始して、6時過ぎごろに家の「最終目的敷地」である釜山現代美術館に到着。職員は6時には退勤するみたいで学芸員室にはキムさんの他は誰もいなかった。ついてすぐにシャワーを借りて、キムさんとご飯を食べに。キムチチゲ。「トイジャンチゲ」と「キムチチゲ」が一番伝統的な家庭料理だと言っていた。思うに韓国は鍋料理が進化してる。漬物の小皿をたくさん並べることからもわかるように、みんなでテーブルを囲んで食べる文化があるかもしれない。またこっちの食堂では昔からそういう伝統らしく、どこに行っても金属製の器、箸、テーブルを使っている。特にご飯を入れる容器は大体どこもコンギと呼んでいる、大きさや形が同じで蓋がつくものを使っている。韓国にきて驚いたことのひとつに、韓国料理屋さんが多いことがあるけど、さらに驚いたのは大衆食堂のような店でもWiFiが使えたりすること。また店員をボタンで呼べる食堂も多い。フリーWiFiはとてもたくさんあって、街中ではインターネットに困らない。みんな韓国料理を昔からの方法・雰囲気で食べつつ、ITしっかりやってる。拭いた紙を便器に流さずにゴミ箱に捨てるタイプのトイレもけっこうあるけど、WiFiはしっかり通ってたりする。面白い。

僕はたぶん明け方5時くらいから美術館のロビーにいるのだけど、6時半には美術館の電気がつき、自動ドアが開いて入れるようになった。ここも恐ろしく早起きだ。ロビーの床に座って柱にある電源のそばで作業していたらカニがパソコンケースの中に入ってきた。海が近い。こういう公共施設は開館時間以外も出入りできるものなのか?日本では確かに試したことがない。もしそうなら閉館後の公共施設で清掃員をやるのも面白そうだ。掃除はやったほうがいい。予算が足りなくて掃除ができない分を僕が綺麗にしてあげようと思う。職員の人(多分警備の人)が「シャワーもありますよ」というのをわざわざ携帯電話で日本語訳を調べて伝えてくれた。そしてこれから、黒澤さんからのメールがきっかけになって急遽「看板図書館」釜山編のインタビュー採録のための打ち合わせをキムさんとやることになった。

2018年7月22日부산광역시사상구학장동가야대로の사상구국민체육센터

今日もオフィスにいる。냉정近くにある「A Twosome Place(11:00~23:30)」の一階の席。昨夜は床が硬かったので背中が痛い、その上まだすこし眠い。疲れている。疲れているが、エレファントカシマシのWake Upを聞いて何でもやってやるぜという持ちにもなっている。

昨夜は、床が硬いかわりにしい環境で眠れた。なぜ床が硬いかというと、昨夜は夜8時ごろに敷地から地下で一いったところにある「泉ビル施設」にお風呂に入りにいったのだけど、そこが24時間在できるチムジルバンがあり、そこでになってるうちに23時になり、このままてしまおうということにしてそのままてしまった。チムジルバンというのは、眠できる場所という意味だけでなく、スチムサウナがあるスペスも指すらしい。そこには60度とか45度とか35度とかいろいろな度のサウナ室がんでいた。

そのチムジルバンの床が石張りの硬い床だった。ほかに2,30人はになっていた。タオルケットのような毛布のようなものが棚に大量においてあり、それをとって床に敷いてになるスタイル。1枚敷くだけでは床の硬さが緩和できないので僕は最初2枚取り、になってみたがまだ全然硬いと感じたのであと2枚取りに行き、3重にしたうえに腰の部分にはタオルケットを二つ折りにして敷いた。その上さらにあと2枚とってて、掛け布とした。6枚使っている。周りを見渡してみたが6枚も使っているのは僕だけのようだった。みんな床に1枚敷いて、多い人でも2枚。3枚の人も一人確認した。何も敷かないでている猛者もいる。タフな人たちだ。僕なんか本は15枚くらい敷いて柔らかい布にしたいところだった。

昨日はオフィスから家にり、国楽院を16時前に出して17時半ごろに今の敷地である「ササンナショナルスポツセンタ」に着いた。ここは金さんが。現代美術館(今日は現代美術館までく)と、国楽院の間で良いところがないかとシチョン(市)の人に聞いてみたら紹介された場所らしい。「私もよく知らない場所なんですよ」と言っていた。金さんは引越しの時には僕の家まできて「ここから〜キロくらいです。だいたい〜時間〜分くらいです。」着いたら「明日は〜時くらいに出にしますか。私は〜時にます」といろいろ案をしてくれる。そういえば写真美術館でった人は国会議員じゃなくてあの写真美術館の財長だったらしい。彼は「シニアキュレ」と言っていた。彼がマグナムフォトの展覧会を企したということだったのか。

スポツセンタはついた時にはもう閉まっていて警備員も誰もいないような態なのにドアは開いていて中に入ることができた。不思議だ。国楽院も朝6時すぎくらいにはにドアが開いていて中に入ることができた。夜ご飯に韓では夏の定番料理だという「ネンコンカルグクス(냉콩칼국수)」(冷たい豆乳スプのうどんのような食べ物)を食べて、金さんは車でろうとしたところスポツセンタの駐車場のシャッターが閉められていて、車を出すことができる警備員もだれもいないのでどうしようもなく(一人、係者らしき男と話したけど非常に不親切な人でこちらの話を聞くがない子だった。韓語のやり取りだったので細かくはわからないが)、地下でヘウンデの自宅までっていった。

そしてチムジルバンに行き、夜を明かした。10000ウォン。昨夜僕は室を二つ持っていた。昨夜も29度だったので家で眠ったら苦しかっただろうけどチムジルバンと違って柔らかい床は手に入ったはずだ。眠るのにちょうど良い場所を夏の釜山で見つけるのは難しいらしい。朝ごはんにこの近くのセブンイレブンでカップラメンとチョコを食べてこのオフィスに出勤した。今日は夕方からいよいよ釜山最後の引越し。現代美術館に行く。

2018年7月21日부산시부산진구연지동の국립부산국악원

オフィス(EDIYA COFFEE)にいる。昨夜は夜中になっても気温が29近くあり、とても寝苦しい夜だった。日中の太陽光を浴びて熱を帯びた地面の上にヨガマットの床を敷くので、横になっているとじわじわと床下から熱が伝わってくる。昨夜横になった際には蚊除けの薬も塗らず、耳栓もしなかったのだけどあまりに寝付けないので、真夜中に思い立って、足に蚊除けの薬を塗って耳栓もつけて横になってみたら眠れた。割と静かな敷地だったけど、やっぱり環境音が睡眠を阻害していたらしい。眠る時には耳栓をつけたほうがいい。このことは何度も学んだはずだけど忘れてしまう。

このオフィスは冷房が効きすぎていなくて良い。向かいのテーブルにはおばさん五人と小学生くらいの男の子(茶髪)がいちごのかき氷を食べている。隣では丸いメガネをかけた僕と同じくらいの男性がパソコンを凝視しながらなにか考え込んでいる。その隣は30代くらいの女性がノートと何か本を机に広げてペンでなにかを書いている。その向かいのテーブルにはスポーツウエアを着たまた30代くらいの女性が本を読んでいる。一人客は僕を除けばこのカフェではその3人。他はみんな二人以上のグループ。6組くらいいる。ほぼ満席。一人客は僕を含めて全員、4人がけのテーブルを独り占めしている。僕はこのカフェに入ってもう1時間半くらい経っていると思うけど、隣の男性は僕が入る前からこのカフェにいる。グラスの飲み物は空になっている。

朝ごはんはコンビニGS25でマック&チーズバーガーと飲むヨーグルトをクレジットカードで買って、バーガーは冷たいまま食べた。ウォンが入れてある財布を家に忘れ、韓国で初めてクレジットカードを使うことになり、レジで何の滞りもなくカードが使えた喜びでレンジでバーガーを温めるのを忘れてしまったからなのだけど、ちょうど体も熱くなってしまってるし、ちょうどいいやということにして冷たいまま食べた。結構うまかった。

昨日は写真美術館で国会議員の方(彼は釜山および東京で行われたマグナムフォトの展覧会にも関わっていたらしい。気さくなおじさんだった。)と会ったあと、16時半ごろに出発。2時間半で10キロほど歩いて今の敷地の国立国楽院にたどり着いた。汗だくで、Tシャツ(「無理してない人」と書かれている)が自分の肌みたいになった。しかし夕方「国会議員」を待っていたおかげで出発が夕方になったので、着く頃にはいくらか気温はマシになっていた。国楽院はガラス張りの長方形の巨大な建物で、韓国の伝統的な雅楽や舞踊などの公演を行なっている国立の文化施設らしい。着いてすぐにスタッフの女性と会って、シャワーを貸してもらった。キムさんははじめ、このすぐ隣にあるもと米軍基地だった市民公園を敷地にしようとしてくれていたらしいが、そこは夜門が閉まるので厳しいと言われたらしい。釜山博物館はやはり特別だったみたいだ。警備のおじさんが僕にジェスチャーを交えながら「ファジャンシル、ヤランシ、クローズ」と教えてくれた。公衆トイレは11時に閉まるということらしい。ここのトイレには石鹸がある。これは助かる。またゴミ箱も家から数十歩のところにある。シャワーを浴びた後キムさんと一緒にご飯にいったのだけど、たまたま見つけてキムさんのオススメで入った「カンジャンケジャン」の食堂で食べた「カンジャンケジャン」(カニの醤油漬けのようなもの)が驚くほど美味しかった。ご飯泥棒と呼ばれているらしく、その名の通り白米にとても合う。こんなにご飯に合うものが韓国で生まれていることに衝撃を受けた。こっちにきてベストの食べ物。やはり彼らは味噌やら醤油やらを研究してきた人たちだ・・。どうにか日本で作りたいと思ったけど、レシピが複雑そう。

朝は7時ごろには起きたのだけど昨夜は寝苦しくてあまり眠れておらず、朝ごはんをクレジットカードで買って食べた後も何もやる気が起こらず、国楽院のあまり冷房が効いていないロビーでうとうとしてしまっていたので思い切って近くのチムジルバンを検索していってみることにした。昼寝目的で。チムジルバンというのは、仮眠室のような場所を指すらしい。今までスーパー銭湯のような店のことだと思っていた。家から10分弱歩いてたどり着いたこのチムジルバンが大正解で、6000ウォンで仮眠できた。そこからこのオフィスに出勤した。

今はまだゴウン写真美術館にいるのだけど、なんと今から釜山の国会議員がここを訪問するらしく、僕にも会いたいと言ってくれているようで、それを待っている。日本の国会議員にも会ったことないのに。

2018年7月19日〜20日부산광역시해운대구중동の고은사진미술관본관

昨日は日記を書いてない。すこし滞りがちだ。今は、釜山で3度目の外泊となってしまったヘウンデビーチ近くのCANVAS HOSTELというホステルのロビーにいる。釜山に来て17日目で3回目。週に一度のペースで外泊している。でも昨日はすこし身の危険を感じるほどに疲れていた。外で絵を描いていたらクラクラしてきて、幼い頃熱中症で倒れた時の症状を思い出したので泊まってしまうことにした。それにしても釜山は無理なく外泊できるやすい宿がたくさんある。

朝ここでご飯(トーストやジャムやバターや乾燥麺やシリアルが置いてあり、自分で焼いたりして食べて食器も自分で洗うセルフスタイル)を食べて、ここまでの地図をまとめて、さっきチェックアウトをしたところ。すこし冷房が効きすぎていて、半袖短パンの身には寒い。でも外のテラス席は31度だ。ここで作業しつつ、時々外に出て体を温めるスタイル。ここはカーテン付きの2段ベッド(布団で分厚い上に柔らかすぎて眠りにくかったけどそれが贅沢な悩みだ。とても清潔で良いホステルだった。)のドミトリーで13500ウォン。西成みたいな値段だ・・。

一昨日の日記から遡って思い出してみると、APECハウス付近を15時半ごろに出発。これもジョンさんが撮影に同行した。そういえばジョンさんは、釜山の地下鉄の切符売り場のところですこし迷っていたらすぐに韓国人のおばさんに話しかけられて、行きたい駅を一緒に探してくれたらしい。さらにその券売機が1000ウォン札しか使えないものでジョンさんは10000ウォン札しか持っていないことがわかったらおばさんは自分の財布で両替しようとしてくれて、それが足りずに両替できないとわかったらこんどは1000ウォンぐらい私が払ってくれると言って払おうとしてくれたらしい。ジョンさんはそれは大丈夫と言って遠慮して、もう一度よく探したら1000ウォン札がみつかり、無事に切符を買った後もおばさんは「アイスコーヒー飲む?」と言ってアイスコーヒーを買ってくれて駅で一緒に飲んだらしい。「私は見た目がアメリカ人だから。韓国の人親切にしてくれる。25年前に釜山に来たときもそうだった。村上さんは見た目が日本人だから、わからないかもしれないけど」と言っていた。

とにかくジョンさんと、それと写真家のリーさんも同行しながら次の敷地である「ゴウン写真美術館」に向かった。2キロ弱。途中まで道を間違えていてヘウンデビーチのど真ん中を通過してしまった。ヘウンデビーチは完全なる海水浴場という雰囲気の海水浴場だったのだけど、それ以上にビーチから見える建設中の超高層ビル(あとでミリさんに聞いたらこれはアパートメントだと言っていてさらに仰天した)が、全くもって合成写真のように景色の中に浮いていて、怖いほどだった。本当にびっくりして韓国人のクルー達にその驚きを伝えようとしたのだけどあまり伝わらなかった。この高層アパートメントのセンスは、日本人にはない。聞けばこちらに来て僕が知り合った韓国人は全員アパートメントに住んでいる。みんなヘウンデ周辺だ。16階に住んでいたり、22階に住んでいたり、27階に住んでいたりする。「釜山には古い建物がなくて、高いビルばっかり建っていてそういう景色はあまり好きじゃない」と彼らはいうけど、このセンスこそ彼らのカルチャーなのではないか。ジョンさんもこの高層アパートメントについては”very” interestingと言ってた。

ゴウン写真美術館のスタッフも例に漏れずみんな女性だった。綺麗な美術館で、日本の写真家達の企画展が開催されてた。東松照明の太陽の鉛筆シリーズとか、石内都さんのアパートメントシリーズとか。

そこに家をおいてすぐ裏にあるバーガーキングでキムさん、リーさん、ミリさん、ジョンさんと五人ではやめの晩御飯を食べて韓国チームとは解散。ジョンさんが「ホームプラス」という商業施設のようなところに行ってダイソーを見つけ、そこで夜間撮影用のLEDライト(「日本で買ったものと全く同じものを買った」と笑っていた。1000ウォンだったらしい。)を手に入れているあいだ、僕は家から歩いて10分くらいのところにある沐浴湯に行って、夜に再会して二人でTHE BAY101でビールで打ち上げ。その晩、家では静かに眠れた。写真美術館の門は閉館時間中はしまっているので明け方に家を揺すられたりすることもなかった。

そして昨日、写真美術館の前でしばらく絵を描いて、ジョンさんは帰国。僕はホームプラスの中にあるAngel in us Coffeeでパソコン作業をしつつこのホステルを予約。夕方にチェックインしてお昼寝したあと、写真美術館のスタッフの女性陣+写真家のリーさんと、焼肉屋さんにいった。りーさんは「ゴウン写真美術館は韓国では最も素晴らしい写真美術館の一つだ」と言っていた。ハングルと英語と日本語がごちゃまぜの(一人のセリフの中に英語も日本語も混ざるような、文字通りの)楽しい席だった。写真美術館のスタッフのなかに日本語がすこし話せる人が二人ほどいた。釜山にいると自分がハングルを少しでも話せないことが恥ずかしくなる。そのくらい、話せる人がよくいる。そのあとこのホステルに戻り、洗濯物をフロントに預けて眠り。今に至る。

今日は9キロほど歩いて「釜山市民公園」に引っ越しする。いよいよ釜山編ラストスパート。23日には家共々、釜山現代美術館に到着予定。

2018年7月18日부산광역시해운대중동동백섬の누리마루Apec하우스

ジョンさんはGo ProやGoProを腕や頭や胸に巻いたり壁に貼り付けたりできるアタッチメントグッズや、高性能の音声レコーダーなど色々記映像機材を持ってきてくれていた。例のA Twosome Placeというカフェ(ジョンさんは、僕が利用するカフェを「ユアオフィス」と言っていたのが面白かった。”Back to the office“とか“Find your new office”とか。これからはこういう場所のことをオフィスと呼ぼう。それとそこでiPhoneやらを充電する様子をみて「your station」とも言っていた。「充電ステーションおよびオフィス」。良いね)1時間ほど打ち合わせをしたあとにキムさんと現代美術館チーフキュレーターのパクさんと合流してチャンポンを食べた後、家に機材を装着。家を肩で担ぐための木製のかつぎ棒に音声レコーダーとGoProを巻きつける。GoProは家の中から窓の外を撮影したり、僕自身を撮影したり足元を撮影したり色々動かしながら歩くことにした。それから次の敷地に向けて出発。3km1時間ほど歩いたのだけど、そのあいだジョンさんもデジタル一眼レフカメラを持って顔を真っ赤に日焼させながら僕に同行して撮影した。このプロジェクト始めてから五年目になるけど、これまでずっと一人でやってきた。誰か映像を撮ってくれたら面白いのになとずっと思っていた。今回東アジア文化都市のおかげでそれが実現した。しかも釜山で。嬉しい。Johnさんは金沢でも撮影してくれる予定。二つの都市で行ったこのプロジェクトの様子を、5~10分ほどの映像にする予定。

そして次の敷地はなんとAPECハウスだった。APECというのはあのアジア太平洋経済協力のAPEC。建物は「ヌリマル」と呼ばれている。2005年に釜山でAPECが行われた時に使われた場所で、今でもフォーラムなどに使われるらしいけど基本的に観光地のような場所になっているらしい。これまで役所とか美術館とかいろいろ公的施設を渡り歩いてきたが、ついにAPECに到達した。

ただし翌朝イベントがあるらしく、8時には門の外に出てくれと言われた。それ以外は、トイレは12時まで管理人がいるから使ってもいいですよとか、ときどき夜蛇がでるから気をつけてとか、いろいろ親切にしてくれた。さすがAPECの会場なだけあって、景色は絶景だった。太平洋が見渡せる。レレインボーブリッジのような綺麗な橋と、釜山でいちばんの金持ちが集まって住んでいるという高層マンション郡が見える。18時以降は人がいなくなってこの景色を独り占めできるとは贅沢極まりない。

夜はそこからほど近い、海沿いのデッキの上にテラス席がたくさんならんでいて色々な種類のビールが飲めるThe Bay101というところで四人でビールを飲み(ビールも食べ物も高かった。ギネスの生ビールが500cc弱で14000ウォン。MAXという韓国のビールをみんなで飲んだ。奢っていただいた。ありがとうございます。)、解散してそこからまた歩いて10分くらいのところにあるSPA(お風呂場)へ。フロントで最初から英語で話しかけ(コンビニやレストランなどは別として、こういうスーパー銭湯みたいなところで下手に韓国語で話しかけると韓国語で施設の説明をされた時に全くわからないので英語でいった)て無事お風呂に入れた。11000ウォン。フロントに指の指紋認証の機器が置いてあり、常連らしき人たちが次々とSPAに入ってきてはその機器に指をおいて入場していくのを見た。何かが進んでいる・・。

ヌリマルの翌朝のイベントというのがどんなイベントなのかわからなかったけど、お風呂の帰り道にたまたま目にした電柱にくくりつけられたノボリに「MINISTER OF YOUTH WORLD FORUM 7.19 APECハウス」と書いてあった。なんだかスゴそうだ。

昨夜は海のそばだったこともあるかもしれないけど、割と涼しくて眠りやすかった。そういえばパクとキムさんがUSB充電式の小さな扇風機(韓国人はみんな道路でこれを顔に当てながら歩いている)をプレゼントしてくれた。夜床と寝袋をだしたり荷物をかつぎ棒に吊したりする眠る準備と、朝起きて荷物を降ろして寝袋と床をしまって窓をあけて移動する準備と、どちらもGoProで撮影した。良いものができそうなきがする。約束通り朝8時に家をAPECハウスの門の外に出して、いまはそこから歩いて10分くらいのオフィスにいる。

金沢から映像作家のJohn Wellsさんがきてくれた。昨日。20日まで釜山に滞在する。僕が釜山でパフォーマンス(とここでは言ってしまうことにした)生活をする様子の映像をとってくれる。外からの映像ももちろん、家そのものにもマイクをつけたりGoProのような小さなカメラをつけたりしながら撮影してみたいと思っている。ジョンさんもたくさんアイデアがあると言っていた。昨夜は釜山現代美術館の館長と、キムさんとジョンさんと僕と4人で海雲台ビーチそばの、釜山の海沿いの綺麗な夜景が一望できる、でもとても庶民的な(こんな店日本にはなさそう。夜景がセールスポイントになってしまって高い店になってしまいそう)食堂で刺身を食べた。ジョンさんはアメリカ出身だが日本語もできる。館長は韓国語と英語ができる。ので、英語と日本語と韓国語が入り混じっている。色々話したけど、館長が釜山からヨーロッパまで電車で行きたいと言っていた。今は北朝鮮がああいう状態だから陸はつながっているけど、いつか行きたいと。若い世代が実現してくれるはずだと言っていた。金正恩さんとムンジェインさんの会談はとても象徴的で、韓国の人々は良い未来を見たはずだと言っていた。これまで金正恩は見えない人物だったが、いまはそれが変わりつつある。よい兆候だと言っていた。

ご飯の後みんなと別れてお風呂に入ろうと思ったが近くの沐浴湯はもうしまっていて、おととい行った新世界のSPALANDは24時まで開いてるが入場が22時半までということでお風呂には入れず。ウェットティッシュで体を拭いてTシャツだけ着替えてどうにか寝た。しかしこのとき計画を立てた。早起きしてSPALANDの朝風呂に入って、そのままSPALANDの涼しくて柔らかいソファのあるリラックスルームで10時ごろまで仮眠する。これがベスト。なので6時過ぎには起きて、SPALANDへ行った。この新世界というデパートは、当初はこんなに大きく作る予定ではなかったらしいが建てる時に温泉が噴き出してしまい、それから「世界最大のデパート」と言われるまで大きくなってしまったらしい。朝風呂は8000ウォンだった。10過ぎまでのんびりして今は家に戻ってきた。市立美術館のロビー。15分後にはジョンさんがくる。

2018年7月16日〜17日부산시해운대구우동の부산시립미술관

 

 

キムさんは、日本領事館が敷地を貸すことはできないと言われたとき「びっくりした」と、本当にびっくりした様子で話していた。仮にそれが市の事業でも、日本では役所に寝たりするのは無理だと思うといったら、理解できないと。昨今の公園のベンチなんかをみると日本では寝るというか人が公共の場で横になることに対する無意識でほとんど生理的な拒絶反応がある。

昨日釜山博物館をお昼過ぎに出て、2時間で8キロほど歩いて噂の「ヘウンデ」近くの釜山市立美術館に家を移動させた。美術館には広い庭があって、デニスオッペンハイムやアンソニーゴームリーのパブリックアート。また本館とは別に「李禹煥空間」という、リーウーファンの「関係項」シリーズや広い画面に幅の広い刷毛で一点だけペインティングするシリーズなどの作品が集中的に見られる二階建ての建物があって、僕の家はその建物の前、同じくリーウーファン先生の野外作品の近くに置かせてもらった。市立美術館の館長さんからは、アーティストの村上隆さんは毎年お正月にはリーウーファン先生の家を訪ねるらしく「村上なので一緒ですね」とのお話・・。また美術館のエントランスには川俣正さんの作品がぶちこまれていた。美術館は20年ほど前に建てられた、シルエットだけみると地図における工場を表す記号みたいな形をしていて、のっぺりとした大きな建物なので、そのエントランス部分につくられた、ひとつひとつは一人で持てるサイズの木材がたくさんビスでつなげて作られた川俣さんのゲートは、美術館の建物と対照的だった。川俣さんはスウェーデンで見たような広場などに独立してつくる作品よりもやっぱり建物に打ち込むようなスタイルの作品のほうがイカす。美術館には日本語が話せる学芸員が数名いて、そのうちのひとりパクさんという人がいてキムさんとも元同僚。パクさんは昔東村山に住んだことがあるらしく、武蔵野美術大学やその隣の朝鮮大学校のことも知っていた。夜はそのパクさんとキムさんと三人でサムギョプサル。

夜は湿度がそれほど高くなく、寝つきやすかった。また静かだった。この辺りはニュータウン。僕が家を置いて寝るには最高の環境だ。朝5時に爆音で音楽をかけながら集団でやってくるおばちゃんもいなかった。朝は起きてまずプギョンデ大学駅近くのコインランドリーに行って洗濯をし、(洗濯に行って帰ってきたら2時間半ほど経っていた)、リーウーファン先生の作品と美術館のなかの展示をさらっと見て、いま近くのA Twosome Placeというすこし高級な雰囲気を醸し出しているカフェにいる。かれこれ2時間はいる。お昼ご飯もここで長さ30cmくらいあるベーコンとバカみたいな量のスクランブルエッグにまみれたトーストのごはん(「カントリーブレックファスト」らしい)をたべた。アイスカフェラテと合わせて10000ウォン強。

おの件のわかめスープはミ(ビ)ヨクというらしい。

釜山は公園がすくなくて、街に余白がないような気がするといったけど、僕は普通に家賃を払って借りているアトリエや家にいるときは部屋の中で仕事をするんだかしないんだかはっきり行動に移せないままごろごろしたりしがちで、そういう時間も好きで、そういう時こそ、家にいるなあという気がするのだけど、街で敷地を借りて暮らそうとするとそういう余白的というか、茶の間あるいはリビング的な場所をみつけにくい。なぜなら現代でいう街は矢印でいうと矢の先にあたる部分なので、目的主義的というか、例えば僕はカフェはかなりリビングに近い使い方(ファミレスはもっとそうだけど韓国には存在しない)をしているけど、それでも最低限の「カフェにいる人がするべき振る舞い」は強いられている。何時間も居座ったりするのは気がひけるし、パソコンを開いてたり本を開いてたり、なにか描いてたりしないとダメだという気持ちになる。そういう意味では、街は人をなんらかの行動、アクションに駆り立てる役割を持っている。なので家にいてどうも元気が出ないとかやる気がないとか、消費してばっかりだと思うことになったらまず街に出掛けることが大事だ。僕も寝るとき以外は全然家にいない。また逆に矢印の元のような場所を街に見出していくというのも面白い。パソコンとコーヒーを持って道路でちょうど良い場所をさがしたり。

行きつけだった銭湯には浴槽が2種類あって、ヨルタン、オンタンとそれぞれ書いてあるのだけど。前者は熱い湯、後者はぬるい湯を意味している。ヨル、という字面が熱いを意味することをなんとなく僕は知っているような気がして、とても懐かしい気持ちになった。なぜだろう。なぜ僕はヨル、が熱いを意味することを知っているのだ?

自分は案外というか、計画的な人間だと思う。それが時々嫌になる。一昨日銭湯にいるときにそう思えた、というのも、何か行動をする際に、例えば銭湯に入る前から銭湯を出た後のことを考えて生きている。持ち歩く必要がありそうなものを事前に持って出かけたり。ただこれは今の敷地に門限があることも関係しているかもしれない・・。しかもそうやって事前に決めた予定がずれていくのが面白いと思っているので、事前の計画通りにはならないことがほとんど。一昨日はそんなことを思いながらいつもの沐浴湯(フロントには初登場のおばちゃんがいた)に行った後にそのすぐ隣にある食堂に入ってしまった。これも計画から逸れた。銭湯に入る前は、弁当屋で豚肉ビビンバ弁当を買うと決めていたはずだが銭湯をでた勢いで食堂に入った。そしてこれが正解だった。クルクッパというやつを頼んだのだけど、とても美味しかった。牡蠣がたくさん入ったクッパ。8000ウォンでこれだけお腹いっぱい美味しいものが食べられるとは・・。韓国、マジリスペクトはずれナシ。ただし公園などで寝泊まりする身としては、おばちゃんたちが賑やかすぎるのが玉に瑕だ。食堂から帰って、21時(土曜日は21時まで開館している)を過ぎて、誰もいない博物館の敷地のベンチに一人ですわるのは結構気分がよかった。夜は相変わらず寝苦しかったが。そういえば眠る前に家のドアをあけて荷物整理でゴソゴソやっていたら後ろから「村上さん」と声をかけられて、まさか夜に誰もいない博物館で日本語で話しかけられるとは思っていなかったので「はい!」と大声で返事してしまったのだけど、それはとても愛想の良い警備のおじさんで、「大丈夫ですか?お水、飲みますか?」と声をかけてくれた。日本語上手ですね。といったら「すこしだけね」と。こうやって日本語が少し話せる人が韓国には多い。カフェなんかにいてもなんとなくわかる。「気をつけて。えらい!」と言って警備のおじさんは去って行った。

翌朝、昨日の朝はいつも通り6時前に老人方のおしゃべりの声で目が覚めたけど、家にさわったりしてくる人はほとんどいなかったので助かった。ただし、爆音のクラシックが前日と同じく流れている。誰かが流しているのか、博物館が放送しているのかわからないけどすごく爆音で、良い音でクラシックが流れる。いつも通り老人たちが7時過ぎには過ぎ去り、静かになってからまた眠った。起きたら汗だくで10時近くになっていた。とにかく涼もうと思ってまず博物館に入ったのだけどそのまま展示を全部見てしまった。近代歴史館と同じく、この釜山博物館の常設展示をみても、釜山の歴史は日本との関係性の歴史でもあるということがよくわかる。日本だけでなく世界の情勢に翻弄されながらたくましく生きてきた釜山の人たちのようすが伝わってくる。5世紀ごろの陶質土器(と日本語のキャプションには書いてあった)がかっこよかった。918年に高麗王朝が建国されると首都が開京(現在の北朝鮮の開城市らしい)になり、釜山は中央政府から離れて辺境地域となったが高麗末期に倭寇(日本からの侵略)の出没が急増したことが地理的な重要性が見直される契機になり、拠点として注目され始めた。貿易やトンシンサ(通信使)を通じて日本と交流を続けてきた(朝鮮にたいして支配的な振る舞いをしてきた人物として豊臣秀吉の名前もでてきた)。「Painting of the Valiant Resistance at Dongnaeseong Fortress 」という絵には、日本と書かれた旗を持った軍隊に東莱府要塞というところが攻め落とされる様子が描かれていた。そして1876年間の日朝修好条規から日本は朝鮮、釜山に対して支配的な色を強め、1910年の韓国併合となり、近代歴史館で見た展示内容に話がつながっていく。

また朝鮮戦争の戦火を避けて多くの人が南へ避難し、釜山にたどり着いたという記述がある。釜山の避難民は最大で60万人に達したらしい。これがあの釜山風冷麺を生んだ。

夜はこの近所に住んでいるという社長さんとキムさんと一緒に牛肉の焼肉を食べに行った。毎日焼肉だ・・。しかも今回は高そうだった。社長さんには頭が上がらない。お風呂に入ったあと疲れているのを感じて釜山博物館に置いた家から徒歩5分程度のところにあるヴィンセントゲストハウスという宿にアポなしで訪ねて行ったがお快く受け入れてくれ、そこで外泊した。八人部屋のドミトリールームで25000ウォンで朝食(アメリカンブレックファストとのこと。目玉焼きとトーストと炒め物とシリアル)付き。僕のほかに部屋には誰もおらず最高にゆっくりできた。

昨日はその後、先日行ったプギョンデ大学駅の近くの沐浴湯に再び行った。あの時の大学生らしき人(黒縁メガネ)が同じくフロントにいた。お風呂から上がった後、タバコを吸いに彼が外に出てきたので「大学生ですか?」と英語で尋ねて見たら違うという。5年くらい前に卒業したらしい。ということは僕とそんなに年が変わらないはず。近くのプギョン大学でサイエンスだかメカニックだかを勉強して、いまはこの辺に住んでいるらしい。大学を出てから銭湯で働いているというところが、仲良くなれそうだ。釜山は好きですか?と聞いて見たら「so so..」と。海雲台とかが近くで便利だといってた。「ヘウンデビーチ。ビキニガールグッド」と言っていた。

お風呂から上がって晩御飯はサムギョプサルがいいなと思ってどの店なら食べられるかななどと考えながら歩いていたらいつの間にか20時になっており、結局門限は守れなかった。ハングルでサムギョプサルとわかりやすく書かれたお店に入り、再び一人焼肉を家族連れやカップルに囲まれながらかました。サムギョプサルは「三枚肉」みたいな意味らしく、二人前からしかできない。サムギョプサルと一緒に茶色くて薄っぺらい板のような見たこともないものがでてきて、何も考えずにそのまま一口食べてから一応調べてみようと持っていろいろ日本語でキーワード検索をかけてこの物体がなにかをしらべてみたら「コプテギ」と呼ばれる豚の皮で、焼いて食べるものだった。生で食べてしまった・・。大丈夫か?色々心配になって豚肉の食中毒などを調べてしまったけどそれを見ることで気分が悪くなってきたので諦めて普通に食事を続けた。何か症状がでてから考えればいいのだ・・。

ご飯のあと、家に帰ろうとしたら案の定博物館の敷地の門はしまっていたのだけど、門のそばの生垣がどうにか超えられそうだったのでそこを突破して入ることに成功した。暗くてよくわからなかったけど、たぶん蜘蛛の巣を2つこわした。しかし、門は20時で閉まるけど敷地内に眠ってもいいよなんていう公共施設が日本にあるだろうか。韓国は公に資する精神が素晴らしい。家に着いたはいいのだけど大変に蒸し暑くて寝苦しい夜で、うとうとしていたら朝5時過ぎになったという感じで眠れた気がしない。

「ここは門の中の場所だから、早朝に起こされることはないだろう」と思っていたけど甘かった。釜山の老人パワーはこんなところでも健在だったのだ・・。例によって六時前に家をノックしたりドアを開けようとする老人たち(主におばちゃん)に起こされた。中から声をだしたら家のそばにいた人がびっくりして遠巻きに眺めていた老人たちが笑う。朝から元気な人たちだよほんとに。などと思いながらもう一回寝ようとしたけどおばちゃんがふたたび話しかけてきたのでドアを開けてイルボンだからハングルわからないと、たぶん相当に嫌そうな顔をしながら日本語で言ったはずなんだけど、おばちゃんはニコニコとしたり顔で「ははん。わかったわかった」みたいな表情をしている。パンフレットをわたしたらテンキューテンキューと笑顔で受け取る。タフな人たちだ、、。ドアの前にたくさん置いていたパンフレットは全てなくなっていた。たぶんこの老人たちではない。掃除の人が早朝に取ったのか?それか韓国では古紙をなんらかお金に変えることができて、それをしようとした人が取ったのか。いったい何が起こっているのか。

老人たちは小一時間賑わってから去って行った。ここでも、支庁や南区庁で起こったことが同じようにおこったということだ。つまり、朝6時くらいにどこからともなくおばちゃんたちがやってきて、ひとしきり賑わってから去っていく。(体操をしたりもする。ここでは体操はしていなかったと思う)去った後は嘘みたいに静かになる。僕はおばちゃんたちが去ってから2時間くらいは眠ることができた。

そして今日は朝コンビニでハンバーガーとピザパンのようなものをかってイートインコーナーで温めて食べて、今は昨日行ったTOM N TOMS COFFEEの向かいにあるEDIYA COFFEEにいる。今日も暑い。どうやら釜山も日本と同じく梅雨明けしたらしい。今夜サッカーW杯の三位決定戦。見たい・・。

2018年7月13日〜15日부산시남구유엔평화로の부산박물관の軒下

そういえば釜山現代美術館の学芸員室のスタッフが女性ばっかり(印象としては20人くらいの女性に対して男性が2,3人という感じだった)だったのでキムさんに聞いてみたら「最近若い男の人はなんかやる気がない。女性の方がやる気がある。」と言っていた・・。「もっと男性を採用したい」と、どこかに掛け合ったことがあるらしいけど「試験で落ちてしまうからどうしようもない」と。美術全体でもそうだと言っていた。美術学校なんかは女性が多い。そういえば日本でもそうだった。なぜだ。

それとは関係ないが(もしかしたらあるかもしれないが)安倍首相は韓国では人気がないらしい。なぜかははっきりしている。

釜山は全体的に街がかつかつしていて空間はすべて利用しながら街がつくられている感じだ。公園も少ない。公園は公共施設や博物館などと一緒にあって、公園の作りも道路かベンチかという感じだ。余白がない感じ。すこし息がつまる。それと路上駐車が普通に行われているので、家で歩く時は邪魔になる。

洗濯物はホテルで乾燥機にかけたけど乾ききる前にチェックアウト時刻の12時になってしまい、南区庁に置いてある家に戻ってそばにある手すりにまだ乾いてないTシャツと靴下を干した。キムさんと2日ぶりに合流(家の引っ越し日にはキムさんがくる、という日々になりつつある)して、先日の国際新聞の記事が昨日出たというので見せてもらった。紙面の半分くらい使って紹介されていた。すこし窓を直してから、南区庁から1.6キロほど離れた釜山博物館に家を移動させた。20分くらい。今日も暑い。iPhoneの天気アプリによると31度あるらしい。集団で見学に来ていた高校生くらいの学生の注目を浴びながら博物館に突入し、館内のカフェのそばに家を落ち着けた。近くにある木を囲んでいる丸いベンチにおじさんたちが集まっており、なにやら怒鳴りながら将棋をしている。市庁舎と同じような光景だ。だいたい明るい時間帯はいつ行ってもおじさんがいる。

博物館は「AFRICA」という企画展と、旧石器時代から人が住んでいたという釜山の歴史が土器や石器とともに説明されている常設展が無料で見られる。常設展を流し見してきたけど、釜山の歴史は古くから日本と共にあるということがよくわかった。昔は東莱地区が釜山の中心地だったらしい。明日またゆっくり見る。博物館は9~18時までなので館内のトイレはその時間なら使える。外にも公衆トイレがある。ここは何時まで使えるかはわからない。ここは今までと違い、博物館の敷地全体の門が20時で閉まってしまうので20時までに家に帰らないといけない。まさしく門限。それも面白い。ただし過ぎてもどこかから入れそうではある。

家を落ち着けたあとキムさんと一緒に近所に昼ご飯を食べに行った。綺麗で広い料理屋で、不思議な味(とても美味しい)のスープ(大量にわかめが入っている)とご飯(色々混ぜてビビンバにする)といくつかの漬物と秋刀魚のような白身魚を焼いたものを食した。このわかめスープ(ハングルではなんというか忘れてしまった)は、キムさんによると誕生日や出産した後などに食べる韓国では伝統的な料理らしい。誕生日に食べるというのは、出産後の母親が食べることから転じたらしい。とにかく大量のわかめを食した。そして今はそこからほど近いTOM N TOMS COFFEEというカフェにきている。これからすこし作業をして、沐浴湯を探して汗を流してから晩御飯を食べて門限までに家に帰らなければ・・。

2018年7月11日〜12日부산광역시남구대연の부산남구청

昨日はカフェをめぐる予定(1つの店に3時間も4時間もいるのは気がひける・・)でEDIYA COFFEEを出たのだけど外に出て5分くらい歩いたところで眠気を感じて「どこかで時間を気にせず絵を描いたり寝たりしたい」と思ってしまったので路上の日陰でブッキングドットコムアプリを立ち上げて近所のホテルを探して地下鉄で2駅のところに1night2days Hotelという安くて良さそうな宿があったのでそこで昨夜は外泊をしていまはその翌日の午前11時38分でまだホテルの部屋にいる。ネット上で調べた時はわからなかったけどここは日本でいうラブホテルだ。フロントの窓がとても小さくて、部屋の照明が暗めで、お風呂とベッドが広い。これで40000ウォンは安い。ベッドの他に二人がけの派手な緑色の小ぶりなソファと小さなテーブルがあり、そのテーブルには日本のラブホテルよろしく灰皿とライターが乗っている。室内でタバコを吸ってはいけないはずではなかったかと思って掃除のおばちゃんに「タンベ、OK?」と聞いてみたら「ノーノー」と勢いよく言われた。ではなぜ灰皿とライターがあるのか・・。昔吸えた頃の名残が残っているのか。吸えなくなったけど灰皿とライターは交換したりしているのか。だとしたら面白い。

なので昨日は宿に来て絵を描いたり電話をしたり歩いたルートをまとめたりごろごろしたりして、夜は近くにあるパスタ屋さんで激辛のシーフードパスタを食べた。メニューに唐辛子マークはついていて、シーフードパスタで辛いとはどんなもんかと思って頼んでみたけど本当に激辛だった。辛いパスタなんて初めて食べた。まさか韓国に来て最初に食べる辛いもんがパスタになるとは思っていなかった。店員の一人が福岡にいたことがあるらしく、日本語が話せる人だった。

-「辛くなかった?」

「辛かった!」

-「辛いでしょう?なんで?」

「辛いの好きなんですよ」

-「あ、好きなんだ。」

というやり取りをしたが、辛いの好きなんだというのは今考えるとただの強がりだ。別に好きではないしこんなに辛いと知っていたら絶対に頼んではいなかっただろう。

このホテルの2階にランドリールームがあることに気がつかず、昨夜浴槽と手持ちの洗剤をつかって3日分の服を洗い、階段のところで見つけたダンボールに入った大量のハンガーを見つけたのでそれを使って間接照明の凹み部分などをどうにか利用して洗濯物を部屋に干して一晩置いてみたのだけど朝起きても全く乾いておらず、宿をチェックアウトして地下鉄に乗ってコインランドリーまで行くかと思って荷物をまとめてエレベーターに乗ったら、2Fのところに「Laundry Room(Free use)」と書いてあるのを見つけて慌てて2階のボタンを押してランドリールームを見つけ、どうやら500ウォンで30分、1000ウォンで60分使える乾燥機があったので1階のフロントで10000ウォン札を1000ウォン札に両替してもらって乾燥機にかけ、いまはそれを待ちながらこの日記を書いている。そろそろ30分たつので乾いたと思う。

韓国経済の70だか80%はサムスンとLGと現代で占められているらしい多すぎる。

一昨日の日記を書いた後EDIYA COFFEEから戻ったら家のドアが破壊されていた。僕の家のドアは二つの小さな蝶番で留めてあるのだけど、上の蝶番が壊されていて、ドアが家の中に向かって倒れかかるように壊れていた。公園には乱暴な人がいるもんだ・・。いつもどこかから喧嘩する声が聞こえる。ドアはその後、近くにある万屋(ここが面白かった。小さいけど韓国で必要な生活用品がそろう。落としぶたのようなモノの種類が豊富だった)で緑色のガムテープのようなものを買って直した。ちなみに今では窓もガムテープでとめられている。

お昼ご飯に冷麺(冷麺はもともと現在の北朝鮮発祥の食べ物が朝鮮戦争のときに持ち込まれ、正規の材料が釜山では取れなかったので代わりの材料をアメリカ軍から仕入れ、それで作ったオリジナルの冷麺とは少し違うものが、今では釜山の名物になっているらしい)を食べたあと、キムさんの紹介で写真家のLee Dong Keunさんに家を撮影してもらった。彼はキムさん曰く有名な写真家らしく、どんな写真を撮っているのかきいたら「マイノリティを撮っている」と説明してくれた。現在韓国には、北朝鮮から亡命した人たちが32000人くらい住んでいるらしく、Leeさんは彼らを撮影したり、中国側から北朝鮮の景色を撮影したりしている。北朝鮮の人々が民族衣装をまとって彼らの踊りを踊っている様子を8mmで撮影した映像も見せてもらった。そんな彼が僕の家を撮ってくれた。

昨日は僕が釜山に来て一番暑い日でLeeさんも「こんな暑くて大丈夫か」と心配してくれたけど市庁舎前の公園から南区庁(ナングチョン)に家を移動させた。6キロすこし、歩いて1時間半くらい。日本のラジオをインターネットで聞きながら歩いたのだけど、例の水害に関して脱水症状に注意してという話を専門家がしていたけど、僕も歩きながら大量に汗をかいていたので脱水症状で倒れる自分を想像せずにはいられなかった。韓国の119番通報は何番か調べておけばよかった。と思った。とにかくそのくらい暑く、その上市庁から南区庁までは山を迂回しながらの道だったのでとても起伏がはげしく急な坂ばかりで、距離としては6キロだけど歴史博物館から市庁までの11キロよりもしんどい道のり。途中高校(らしきもの)と小学校(らしきもの)を通って、ちょうと下校時間の子供達とぶつかったので何かいろいろ話しかけられたけど僕は暑くてそれどころではなかったのでアニョハセヨとだけ言ってどんどん歩いた。途中、LOTTE CASTLEという巨大なマンション群があってなんてストレートなネーミングだと思ったのだけど、このくらいど直球の方が韓国では自然なのかもしれない。釜山はすごく高いマンションがたくさんある。景色から浮いて不自然に見える。そのマンションに囲まれた小さな公園で、おばちゃんたちが元気よくお喋りに興じていたりする。

5時半ごろに南区庁に到着。ここもキムさんが交渉してくれた土地。公共施設を渡り歩いている。何度も言うが日本では考えられなかったことだ・・。晩御飯はちょっと日本風のカウンター席の丼屋さんでステーキ丼を食べた。月桂冠があった。汗だくだったのでご飯を食べたあとすぐGoogleで沐浴湯と検索し銭湯を探す旅へ。これが思いもよらない長旅になってしまった。1軒目に見つけた煙突がある古い銭湯は潰れてレストランになっていた。2軒目のチムジルバンはフロントの女性に手で×つくりながら「チムジルバン、ノー」と言われた。今はやってないらしい。3軒目に見つけたのがビルで、3階と表記があったのでエレベーターに乗って三階につき、扉が開いたらそこは廃墟だった。ぞっとした。真っ暗な広い空間が広がっていて、椅子とか机とかが散乱していてついていないテレビがフロントデスク(だった場所)の上にのっていた。写真を撮ろうかと思ったけど何か写ってしまったら嫌なのでやめた。4軒目、マンションに建て替えられていた。5軒目の沐浴湯(「コプッタン」。亀湯という意味らしい。韓国でも日本の銭湯と同じようなネーミングをするようだ)の1階にフロントがあり、2階が女湯で3階が男湯になっていた。中には入れたけどフロントに人がいない。3階まで上がってみたら脱衣所は電気がついていてテレビもついている。人は誰もいない。客も、一人も見当たらない。浴室ものぞいてみたけど誰もいないけど入れそうだったが、お金をどこに払えばいいかわからず、勝手に入ってなにかややこしいことになったら嫌だなと思ってもう一度1階に戻ってフロントに張り出されているハングルで書かれた紙をGoogle翻訳で読み解いてみたら8時までらしい。すでに7時55分で、今から入ってややこしいことになったら嫌だと思い仕方なく諦めた。この諦めは辛かった・・。が、ようやく次にみつけた6軒目の銭湯があたりだった。そのあたりは「キョンソンデ・プギョンデ大学駅」という駅の近くで、学生街になっている。フロントにいたのも大学生らしき男性だった。彼は僕が日本から来た旅行者だとわかると、英語も交えて一生懸命銭湯について説明してくれた。「スリーピング、ノー。オンリーシャワー」など。タオルも1枚おまけで貸してくれた。ハングルで「ミョッシッカジ?」と聞いたらジェスチャーも交えて12時までだと教えてくれた。とにかくようやくお風呂にありつけた。

お風呂のあと、再び暑いなかしばらく歩き回って南区庁の近くにEDIYA COFFEEを見つけた。女性が一人で働いていた。23時までやってるらしい。そこで充電をしながら休憩。僕はいまバッテリー二つと、ポケットWiFiとiPhoneとMacBookと、充電する必要のあるものを5つも持っている。南区庁の中のトイレの個室にも電源があった。使っていいかどうかはわからないが・・。でも日本では公衆トイレの電源なんか使っちゃダメそうだけど韓国では大丈夫そうな気がする。夜は暑かった。足を出す窓を開けて、郵便受け口(小さいけど)を開けておくと家の中に風が通り、だいぶ眠りやすくなる。

例によって朝5時ごろにおばちゃんたちによって起こされた。支庁の公園と同じく、ここも朝の体操の会場になっているらしい。こっちの体操は日本のラジオ体操とは全然違う。とてもテンポの速いポップスに合わせて老人たちが体操をしている。かなり異様な光景だ・・。これを自然とやっているとは・・。当たり前のものほど変にみえる。おばちゃんたちがさった後は静かになり、9時ごろまで眠れた。お昼前に近所の定食屋でヤチェビビンパ(野菜ビビンバ)を5000ウォンで食べて、今は昨日と同じEDIYA COFFEEにきている。いつも店員が一人しかいない・・。今日は男性だ。市庁舎前の店も一人だった。さっきからずっとおなじ男の人が一人で一生懸命注文を受けてはドリンクをつくっている。6人くらいの団体で来た女性たちは、注文してからドリンクをもらうまでに10分はかかっている。一人で回して大変そうだ・・。隣に座っている小さな子供を連れたお母さんはスマートフォンで「イヤイヤヨー」のハングルバージョンの歌の映像を子供に見せている。

今日もとても暑い。外で絵を描く気にはなれないので写真を撮ってカフェを渡り歩きながら絵を書いていく旅をこれからやろうと思う。ご飯もちゃんと食べたし。

公園で許可を取って寝るという経験は日本では無かったので単純に比べられないけど、釜山市庁舎前の公園で寝ているとみんなこぞって家を触ってくる。なぜかドアを開けようとしてくる。これは日本でも同じだけど。今朝は8時ごろにおじさんがなにか機嫌が悪いらしく悪態をつきながら蹴っ飛ばしてきた。釜山の人は気性が荒い・・。うとうとしていたのでびっくりして何もできなかったが今になって腹が立ってきた。あそこで僕が出ていったらあのおじさんは自分が蹴っ飛ばした箱から人が出てきたということを受け入れるのに戸惑っただろう。それを想像するだけでとりあえずよしとする。釜山の公園の朝は早くて、彼らは6時すぎくらいに集団で体操を始める。ラジオ体操みたいなもんだとおもうけど運の悪いことにその体操場所が家を置いてあるすぐ隣で、体操にきた人がみんな家を触ってくるのでどうしても起きてしまう。その体操がおわると、いったん静かになる。9時くらいまで眠れる。東浩紀がiPhoneで写真を見せてくれる夢を見た。

公園で眠るということは、町で一番遅くまで起きている人が公園に来なくなるころに眠り、一番早起きの人が公園に来る頃に起きるということだ・・。過酷だ。でも公共の場に身を置くということはこういうことなのかもしれない。でももう公園は嫌だな・・。昨夜たくさん入れておいたアクリルケースの中のパンフレットも全部無くなっていたし。そんな馬鹿な。

昨日は晩御飯どうしようか1時間以上歩き回った挙句ベトナム料理屋さんに入った。「金太郎」という「日本式正当居酒屋」も気になったけど一人で入る勇気はでなかった。そして公園で1時すぎに眠り、いま公園前のEDIYA COFFEEにきている。ここはAngels in us Coffeeに比べて安い。アイスティーとクリームとチョコがサンドされたパンとアイスティーで4000ウォンだった大丈夫か?あの愛想の良い女の子が700円で働かされているかもしれないと思うと心苦しい。それと昨日もAngels~でアイスティーを頼んだのだけど、どちらもシロップが初めから入っていてものすごく甘い。シロップ抜いてくださいという韓国語を覚えた方がいい。

2018年7月9日〜10日부산시연제구연산동の부산시청공원の中

今は釜山市庁舎の公園の目の前にある「Angels in us Coffee」(洒落た名前だ)というカフェの3回の席で通りを見下ろしながらクーラーの効いた席でパソコンとバッテリーを充電しながら店のWiFiも繋いでこの日記を書いている。このカフェの3階には野外になっている部屋があってそこが喫煙所になっている。どうやら韓国では飲食店なんかの屋内ではタバコを吸うことが法律で規制されているらしい。カフェが充電と日記を書く拠点になるのだけど、この店に電源席があるかどうかは入ってすぐに店員に確かめる必要があった。そこでGoogle翻訳で電源はありますか?という日本語を韓国語に翻訳して店に入ってすぐに「ジュンウォンイッスブニカ?」と帽子を被ったとてもおしゃれな若い男性の店員に聞いたら笑って頷いて韓国語で何かを言っていた。どうやらあるらしい。伝わったのが嬉しい。そこでアイスティーのレギュラーサイズ(4500ウォン)を頼んで3回のテーブルにかれこれ1時間半くらい居座っている。他に客は2組。うち一人は僕と同じようにアイスコーヒーを脇に置いてパソコンを見ている。韓国のコンビニや飲食店やカフェの店員はみんな結構頻繁に携帯を見ながら接客をしていて(場合によって電話も)、昨夜23時過ぎにトイレのために市庁舎の中に入った(なんとトイレは24時間利用できるらしい)のだけどそこの警備員の人も電話していた。ヨーロッパの店でもみんな携帯をみながら接客していて、日本は仕事中に携帯とかをみることを禁止する空気があるけど窮屈だなと思った。なんか旅行ブログみたいなことを書いてしまった。釜山は電源があるカフェが東京以上にたくさんあって充電にはあまり困らない。たいていの店にはWiFiも飛んでいる。さすがサムスンがある先進国だ・・。

この辺りにはこの他にもカフェが山ほどあってEDIYA COFFEEというのもすぐ裏にあるのだけどこれは釜山でよく見る。まだ行ったことはない。あとロッテリアもマクドナルドもある。今日は雨の予報だったらしいけど晴れてとても暑い。昨日の夜は湿度が91%あったけどいまは73パーセント。日差しがきついほどの天気。日本では広島のあたりが豪雨で大変なことになっているようだ。100人以上の死者が出ているらしい。昨日の夜行ったチムジルバンの脱衣所のテレビでも豪雨のニュースが流れていて、自衛隊が救助活動を行う映像を見ることができた。幸い雨は落ち着いたようだけどまだ行方不明者がたくさんいるらしい。一人でも多くの人が助かることを祈る。

昨日は朝起きて(清掃員の人が家の屋根にも箒をかけてくれたらしく箒の繊維のようなものが屋根にたくさんついていた)、沐浴湯には入らずにスターバックスで一昨日の日記を書いて、そのあと国際新聞(クグチェシンブン)の記者の取材を受けた。家と一緒に撮影されたあと、キムさんとミリさんと記者と僕の四人でカフェに入って1時間半くらい話した。昨夜は市庁舎前の公園に家を置いて寝たし、一昨日までは市立の歴史博物館の敷地で寝ていた。こうやって役場の土地を借りて眠るようなことは日本では許されたことがない。みんな断られた。「日本では役所の土地を借りたことがない。断られてばかりだ。」と言った記者の人が目を丸くして驚いていた。キムさんは「韓国は逆だ」と言ってた。公共というものの考え方が違うのかもしれない。儒教の精神のおかげなのか、何かしら大陸由来のセンスがあるのか・・?

「侵略の象徴」である歴史博物館の建物敷地を借りて日本人の僕が寝ていたら石を投げられたということが、何かとても面白い気がするという話を記者にするのを忘れた。

取材を受けたあとそのままみんなでご飯を食べた。巨大な(といってもいいと思う)鍋の中に真っ赤(本当に真っ赤だった)な出汁とキムチと麺が入ったもの(「キムチ鍋」と呼んでいた。)と、なんかキムチと一緒になった豚肉の炒め物のようなものとご飯を食べた。鍋は本当に真っ赤だったので、いよいよ辛くて食べられないものが来たかと思ったけど食べて見ると程よい辛さで美味しくてあっという間に食してしまった。見かけによらない。しかしこっちに来てこんな色の食べ物ばかり食べている。食べ物がだいたい赤か茶色だ。僕は先日買ったばかりの服にキムチの出汁を飛ばして汚してしまったけどみんな白い服を汚さずに綺麗に食べているから不思議だ・・。夜に路地などを歩くとキムチの匂いがしてくる国。

赤い食べ物でパワーチャージして2時ごろから歴史博物館を出発して歩き始めた。11キロほど歩いた市庁舎へ向かった。3時間くらい。1、2度おじさんとおばさんに韓国語で何か話しかけられたようだけど何と言っているのかもわからなかったので日本と同じようにスルーして歩いた。一度すれ違いざまに男の人が、僕から見えるように「グッ」と力強く親指を立てて応援してくれた。僕も返した。顔は見えなかったけど。これがとても嬉しかった。

5時ごろに市庁舎前の公園に到着。釜山広域市全体の市庁舎なのでものすごく大きい。なんとなく丹下健三の都庁を思い出させるファサードの30階建てくらいのビル。すぐ隣に市議会と、警視庁がある。公園内には将棋らしきもの(日本の将棋と少し違うようだった。駒が丸い。)をベンチでうっているおじさんたちや、テントがたくさんでていてそこで靴や服や食べ物を売ってる人や、ランニングやウォーキングをする人や、4,5人でおしゃべりしているおばちゃんたちがいて賑やかで緑もたくさんある良い公園だった。さすがにWiFiは飛んでいないけど自動販売機も公衆トイレもゴミ箱もある。特にゴミ箱が助かる。子供のための遊具エリアもある。さらにキムさんの紹介で、市役所の「東アジア文化都市」の担当者の人たちが挨拶にきてくれて、彼らが「チムジルバン」もすぐ近くにあることを教えてくれた。(彼らはなんと僕に釜山の記念品まで贈呈してくれた。丁寧な包装がなされた二つの箱で、一つには綺麗なキーホルダーともう一つはスカーフ。「寒いかと思って」と言っていた。釜山の公務員優しい。)韓国のスーパー銭湯みたいなもので、昨夜入ってみたのだけど(フロントで韓国語で色々話されたが全くわからなかったけどなんとか入浴できた)24時間営業で仮眠室もサウナもあって(他の階にはもっといろいろあるような説明っぷりだったけど行っていない)、10000ウォンだった。公園は22時でなんか放送があって街灯が消され、それから公衆トイレは入れなくなっていたけど市庁舎のトイレがあるしお風呂も24時間入れるので今回は大変良い間取りだ。このカフェもあるし。

昨夜のご飯はキムさんと二人でチキンの店に入って「チメ」をやった。チキンとメッチュ(ビール)のことらしく、チメをしながらサッカー中継なんかを見るということらしい。キムさんと2時間以上チメった。彼は美術館に勤める前は作家だったらしい。大学で非常勤で教えたりしながら制作活動をやっていたとのこと。日本の作家とおなじような働き方だ。韓国の現代美術はどんな感じなのかと聞いて見たら「レベルはとても高いのだけど、みんな同じようなテーマを扱ってしまっている」と言っていた。なんで韓国の男性はみんな髪が短いのか、とも聞いたら、「私の考えでは」と前置きして軍隊に入るという経験があるからじゃないかと言っていた。力強く男らしくあれ、という価値観が強いらしく、髪が長いのは女性の役割だ、という考え方。また「軍隊に入るという経験は人生の中でとても大事な成長を与えてくれる。私の場合はそうだった」と言った後で、入隊前はみんな入りたくないと思うのが一般的なんじゃないか、と言っていた。学生だったり、なんらかの理由があれば入隊は先に伸ばすことができるらしいけど、先に伸ばしすぎると後で入隊した時にまわりが若い人ばかりということになり苦労するだろうと言っていて、僕は自分の免許合宿のことを思い出した。釜山の人は日本でいうと大阪人のようなもので「釜山の男」というアイデンティティーがあるらしく、声が大きくて男らしさを大事にする。釜山の人からしたらソウルの男は優しすぎるイメージがあるという。ソウルと釜山にはなにか対立感情のようなものがあるのか、とは聞けなかった。

日曜日の朝は街が静かった。いつもより遅く起きているだろう家の中の雰囲気がつたわってくる。昨日は結局歴史博物館から家は動かさなかった。沐浴湯の人がいつものおばちゃんじゃなくて男性だったので怯んでしまった。朝9時ごろに沐浴湯に行き、家に戻ってきてから歴史博物館の展示をゆっくりと見て回った。

展示によるとこの歴史博物館の建物は、そもそも日本が朝鮮経済を支配する目的で設立された東洋拓殖株式会社の釜山支店として1929年に建てられたものらしい。終戦後は、アメリカ軍の駐屯地として使われたのち、アメリカ国務部傘下の広報機関として「釜山アメリカ文化院(アメリカンセンター)」とされた。さらに朝鮮戦争中にはアメリカ大使館の機能を果たし、60~70年代には何やら図書を貸し出したり、語学研修やアメリカ留学に関する情報を提供する場所となっていた。84年には2階がアメリカ領事館になった。が、82年には韓国の一方的に依存の対象となっていたアメリカへの反感から、数人の大学生らがこの建物に火をつけるという事件が発生している。95年に米軍基地返還運動の市民団体が連合し対策委員会を組織するなかで96年にアメリカ政府によってアメリカ文化院の閉鎖が決定、99年4月にこの建物は韓国に返還された。釜山市は侵略の象徴であったこの建物を、教育の場として活用するために歴史博物館として開館させたという。そして今となっては、その建物の前に家とともに日本から来た僕が敷地を借りて寝泊まりしている。

展示室の冒頭、1870年から始まる近現代年表の一番最初の項目は「18755月 日本の軍艦の雲揚号が釜山港に入港」という項目から始まる。釜山の近代史は悲しいことに日本の侵略の歴史と一致してしまっているらしい。この土地で徴兵制を敷いた日本が60万人の朝鮮人を戦場に引っ張りだし、12万人がなくなったとされるが詳しい数は分かっていないこと、若い朝鮮の女性を日本や満州に連行したこと。そうやって慰安婦にされた女性のインタビューの映像。農業、水産業、工業において日本の経済侵略が朝鮮の伝統的な商圏や市場を破壊した話。釜山港の埋め立ては日本人の居留領域拡大という性格が強かったこと。などなどがパネル、映像、写真、模型や当時の記録文書などで語られている。例えば日帝強占期は、朝鮮米と日本の工業製品の交換が主な貿易内容だったらしいが、それに関しては

「日帝強占期の朝鮮と日本の貿易の骨格は朝鮮米と日本の工業製品との交換であった。日帝は日本人産業資本家の利潤確保のため、安い朝鮮米を日本に持ち去り、日本で生産された工業品を朝鮮へ持ち込んだ。日本に流入した朝鮮米は日本の労働者の賃金を引き下げ安い日本の工業製品は朝鮮の家内手工業を破壊した。1930年代以降、戦時経済体制を支援するために金、重石、鉄などの鉱産物を日本に持ち去り、朝鮮には軍需物資を生産できる基盤施設を造成した。

 朝鮮と日本との貿易において、主な港となった釜山港には、貿易を補助する市場が発達した。輸出用穀物と水産物が集まる市場だけでなく、輸入品を消費するための常設市場や百貨店が登場した。常設市場の拡大は、朝鮮の伝統的な5日市場や朝鮮の商人の商圏の衰退を招くことになった。」

と記述されている。ここにくる前に敷地として借りていたペクサン記念館の土地に以前あった、ペクサン商会もおそらく東洋拓殖株式会社と対立的なやりとりを当時していたかもしれない。ペクサン商会に関する記述もあって、朝鮮の抗日独立運動を資金で支援するために作られたが、それに気づいた日本の警察が弾圧、1927年に廃業となってしまったらしい。

いまではペクサン商会跡地も、東洋拓殖株式会社跡地もどちらも「観光施設」になっているのが興味深い。歴史博物館の方は特に、日本人観光客の観光スポットとしての役割が大きいらしく、一昨日も昨日も日本人がいて展示を見ながら話をしていた。日本語の音声で映像をきいている若い男性もいた。彼も日本人だろう。

僕はペクサン商会跡地も東洋拓殖株式会社跡地も、敷地として借りて寝泊まりできている。観光という考え方は便利なもんだ。

展示を見たあと、しばらく絵を描き、お昼過ぎにいよいよ替えの服がなくなっていたので洗濯物をもって地下鉄に乗った。韓国で初めての電車に洗濯物と一緒に乗ることになるとは。歴史博物館の最寄り駅の「中央駅」から「西面駅」で乗り換えて「慶星大・釜慶大駅」でおりて10分くらいあるいたところにあるCoin Washというコインランドリーに行って来た。近所を歩いても見当たらなかったし、ネットで可能な限り調べてもここが一番最寄りのコインランドリーだった。家から洗濯機まで30分以上かかる間取りということだ。。コインランドリーにはフリーWiFiも飛んでいた。

釜山の地下鉄は切符を買うか、2000ウォンでチャージ式のカードを買ってそれにチャージするかで乗車できた。日本と同じ。せっかくなのでカードを買ってチャージしてみた。帰ってきて洗濯物をおいて、例のお茶カフェに行ってみた。めちゃめちゃ愛想の良い若いおばちゃん(言い方に困る、ご婦人?)が一人でやっているらしい喫茶店で、静かで良い店だった。韓国緑茶をいただいた。お猪口で飲むスタイルらしい。夜はまともに食べていない・・。スターバックスで日記を書きながら食べたベーグルと、歴史博物館の真向かいのコンビニでCASSという飲み口の爽やかな韓国ナンバーワンシェアを誇るビールと、スナック菓子くらいだ。あと何味かわからないおにぎりも買った。それはこれから朝ごはんとして食べる。ゴミの捨て場に困る。ナンポドンは、夜になると渋谷みたいに通りに店から出たゴミが溢れかえるのでそこに捨てればなんとなく回収されるんだろうけどなんだか気がひける。地下鉄にゴミ箱はあった。映画ミュージアム前の喫煙所にもあった。あとコンビニか。

昨日今日とかけて歴史博物館の絵を描いていたわけだけど、車のクラクションが多いのが気になった。彼らはわりとすぐにクラクションを鳴らす性格らしい。

毎日晩御飯に何を食べようか困るのだけど、昨夜は歩いていて見つけたナンポドンのあたりにある「味松松(アジソンソン)」というご飯屋さんへ行った。なんとなく日本の牛丼屋を彷彿とさせる店で、キムさんは「韓国には一人で定食を食べるような店がない」と言っていて、たしかにそういうことが普通にできそうな店はなかなか見ないのだけど、そこには珍しく一人のカウンター席があったのだった。席にIHヒーターがあって、そこに運ばれて来たキムチ鍋を置いて沸騰させて自分で火を通してから食べるというスタイル。卵やふりかけのようなものがのったご飯もついてきて、鍋を食べたあとはその中にご飯を入れてクッパみたいにして食べる。食べ方が壁に張り出されていて、韓国語の他に英語と日本語で書かれていた。

食べ終わったあとその店のお手洗いでそのまま歯磨きをすませてしまってから(夜歯を磨くところがないので)店をでて家に戻って日記などを書いていた。そうしたら夜9時ごろに、外から複数名の若い男性の声が近づいてきた。あきらかにこちらに向かってきている。こういうときは緊張する。
声は家のすぐそばまで来た。そして突然家が揺れた。彼らが手で揺すったのだと思う。なにか話しながら(韓国語なのでわからない)家を揺すったり叩いたりしている。「きたな・・」と思いつつ、無視していたのだけど、ゆすり方がだんだんエスカレートしてきてすこし攻撃的になってきたので「なに?」と日本語で少し大きく声をだしたら「ウワー」と行って声の主たちは逃げて行った。僕は日記にもどったのだけど、1分もしないうちにまた戻ってきて、また揺すってくる。今度の相手は厄介そうだなと思った。「出るか?」と。こういう時はこっちから出て行って話をしてしまったほうが手っ取り早い。相手にもよるだろうけど。ますます攻撃的にゆすってくるので今度は「なに」と言いながらドアを開けた。彼らは声を出しながらまた逃げていく。二人組だった。後ろ姿はかなり若そうだ。
またドアを閉めて様子を伺っていたら、今度は壁にぺちぺち何かが当たる音が始まった。どうやら石を投げられているらしい。ちょっと止んでいなくなった?と思ったら、まだいる。という感じが繰り返され、めんどうなので思い切って出て行った。また逃げていく。そのまま家を出て、通りの方まで歩いて行った。そしたら二人組はなんかバラバラになって歩道にたって携帯を見たりしている。自分が投げたと僕にバレていないと思っているらしい。そのうちの一人のメガネの少年に英語で「石を投げたのは君か」と話してみたら、ちょっと驚いて「Can you speak to me?」とか言ってきたので、僕は英語で僕は日本から来たアーティストで、これは釜山現代美術館とのプロジェクトであると言った。そしたら「あいつは僕の友達なんだけど、彼が石を投げたんだ。ソーリー、知らなかったんです。あの家が『ダークハウス』(多分そう言っていた。ないか違法なものという意味なのか)に見えたから。」と言う。どっちが石を投げたのかはどうでもいいけど「ソーリー」という彼は結構真面目そうな少年で、年を聞いたら17歳の高校生だという。そしてもう一人の少年の方へ去っていった。結局石を投げた方の奴からは謝られていない。

こんなに象徴的なこと日本でもなかった・・。彼らは僕が何か違法というか悪いことをしていると判断して、いたずらしようと思ったのか懲らしめてやろうと思ったんだろうと思う。これがいわゆる私刑ってやつだ。そんな彼らに謝らせた。何か意義深いことをした気がする。ただ仮に僕がただ私的に博物館から許可をもらってやってるだけで、釜山現代美術館のプロジェクトじゃなかったら彼らの態度は変わっただろうか。こうやって石を投げられたり、場合によっては暴力をうけたり殺されたりしてしまう路上生活者もいる。怖いだろうと思う。

昨日は朝ホテルのお風呂に入ってそこで歯を磨いて、そのあとどこかで髪を切ろうとあちこちうろうろした。日本と同じく赤と青と白のくるくるが床屋の目印なのだけど、注意して歩いてみるとたくさんある。なぜかみんな建物の奥に入ったところや二階とか地下とか、奥まったところにある。どこもちゃんと営業しているようだった。安いところは5000ウォン。安すぎる。多分昔からこういう床屋文化があって、それがまだ生きている。髪を切るということへの敷居が低いのかもしれない。あとカフェも多い。話すのが好きなんだろうと思う。これは大阪と似ている。僕が入ったところは「미용실(美容院)」と書かれていたけど日本の床屋のような店で、10000ウォンだった。








 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

アニョハセヨー、と入ったらおじさんがイエ、アニョハセヨー。と明るく返してくれた。他に客はいない。ヘアカット、オルマ?みたいに聞いたら指を一本立てて「一万」と。お願いします、と日本語で言って椅子に座ったらおじさんが韓国語で「~~~イルボン~~。~ジャパン~」と言ってニコニコ話しかけてきたので。「イエ、イルボン」と自分を指差して答えたら、イルボンイルボンとニコニコいいながら手で「いいね!」とやってきた。日本が好きらしい。「ハングクスタイル」とだけ言って髪を切ってもらった。なかなかかわいいショートヘアになった。髪を切った後シャンプー台に連れられて、そのあとはタオルを渡されて自分で拭くようにジェスチャーをされた。僕が切ってもらっている間に客がもう一人入って来ていて、おじさんはそっちの相手をしはじめた。僕が髪を一通り吹いたらドライヤーを渡されたので僕は自分でドライヤーをして、お金を払って店をでた。

そしてなぜか髪を切った途端に、街でチラシを配っている人に声をかけられるようになった。すこし韓国人ぽくなったらしいぞ・・。徴兵制があるからかもしれないけど、男子はみんなショートヘアだ。カットする前の僕よりも長い髪の若い人は一人も見ていない。

今敷地にしている歴史博物館が決まる前、映画ミュージアムでキムさんと社長さんが学芸員相手に交渉をしてくれたのだけど言葉の壁で僕が入る余地が全くなかった。自分の手を離れて稼働することの嬉しさ、面白さは良いのだけど(そうすることでプロジェクトの性格が変わってくる。スウェーデンでは民間発の小さな町のビエンナーレだったので、スタッフは知人や友人などの庭や民間の商業ビルの敷地などを敷地に紹介してくれた。今回は釜山という大都市で私立美術館のアテンドなのでいまのところ公共施設が多い)、主体的にやってみたいという気持ちもあるので、自分で交渉することも挟んでやっていきたい・・。

映画ミュージアムとの交渉の間僕はiPhoneのGoogle音声翻訳で彼らのやり取りを聞いていた。それをペーストしておく。

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