例のマムシ殺しの猫のマムーがいる家に遊びに行った。

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ここが定位置。

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お腹もさわれる。

ここの末っ子の男の子は、ゲームをやりながら、その模様を激しく実況する。いきなり敬語になったり面白い効果音がはいったりする。

「おれ釣りすっから。ねえ見てて!行くよ。釣り!パーン!
釣りをしています!はい。時間を、待ってください。
いま釣りをしています。

あ、きた。よっしゃサカナゲットー!!イエーイ!!サカナゲットしたー!
サカナゲットしたよ。

まちがえた。やべー。
あの、あのーポカポカなってるでしょ。あれが、こっちにきたら、とって、とるの。

次の時間を待ちましょう」

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茨城県常陸太田市にあるCafe 結+1 というスペースで、今日限り展示してます。
日時:
6月18日 12:00〜17:00
(14:00からアーティストの佐藤悠くんとトークをします)
場所:
Cafe 結+1
茨城県常陸太田市東一町2288

ここは鯨が丘商店街というところ。常陸太田に住んでる大工さんの話。

昔は凄かったらしいよ。俺が小さい頃は、マックスバリューとか山新とか大きな店もなかったから、みんなこの商店街に買いに来てた。野菜は八百屋で、魚は魚屋で。まあスーパーとかもあったんだけど、みんなそれぞれの店で買うようにしてた。
もっと前。俺が生まれる前はここら一帯で常陸太田ってのは物がたくさんあるところだから、外からもみんな買い物に来てて、毎日お祭りみたいだったらしいよ。

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今日の敷地は、去年もお世話になった茨城県常陸太田市に住んでるアーティストの友達の家の軒先を借りた。
常陸太田市が総務省の「地域おこし協力隊」の制度を使ってアーティストインレジデンス事業を行っていて、その招聘アーティストの一人としてここで暮らしながら制作活動をしてる。
今は常陸太田市の絵本を作ったり、自家製ヨーグルトを作ったりしながら暮らしてる。

家の前には田んぼが広がってて、その向こうに山も見える。夜になるとカエルが合唱する。

近所には獣医師の家族も住んでる。その家の玄関にはマムシを殺してくれるマムーという猫がいるらしい。

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ヨーグルトとフルーツグラノラとキウイとハチミツを混ぜた朝ごはん。

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絵本のための絵。常陸太田にあるものがたくさん出てくる。

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今日の敷地は茨城県水戸市五軒町にある芸術館の駐輪場の隅っこを借りた。
道端で、大阪から来たというフリーのアナウンサーの人に知り合った。アナウンサー業の他に、人に教える仕事をしている。発声や、大学生が面接をする際の儀礼作法の指導(顔をあげろとか、声を出せとか)なんかをしてる。水戸には演劇を観にきた。

今日の風呂場は極楽湯というスーパー銭湯。駐車場がやたら広くて、しかもほとんど埋まっている。中にはお風呂の他にレストランと、あと膨大な量の漫画が揃っている。家族連れはみかけない。大学生くらいの若いグループが9割くらい。

露天風呂でテレビが見られるようになっていて、そこで「結婚式で流される歌ランキング」という番組をやっていた。1位まで発表されたあとで、それを見ていた茶色い髪の毛のお兄さんが、連れの黒髪のお兄さんに向かって
「俺は、結婚式は自分で歌う」
と話しかけていた。

翌日、芸術館の広場で結婚式が行われてた。入場曲はOasisの「Whatever」。
新郎新婦はドレスにタキシードでリングの贈呈などをしているので、洋式のようだけど、牧師らしき人はいない。司会の人は「神前式」と言う。

立会人の拍手でもって、結婚成立を宣言してた。

「立会人の皆様、お二人が夫婦となること、ご承認いただけますでしょうか。ご承認いただける方は大きな拍手をお願いいたします。…ありがとうございます。今の拍手をもちまして、お二人のご結婚が成立したことをここに宣言いたします」

みんなとても嬉しそうに笑ってる。

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今日の敷地は一昨日の日記にも書いた猫の家の軒先を借りた。
猫は3匹住んでる。ご主人が大阪で一匹もらってきて、他の人からもう一匹もらったら、その二匹が子供を産んで3匹になった。

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こいつは天天。大阪から来た猫。

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これはポン。一番馴れ馴れしい。

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これはビュウ。天天とポンの子供。

夜、串焼き屋に連れて行ってもらった。
そこのオーナーの話。
「家庭で子育てしないで地域で子育てしてたよね。よその子でも悪いことすれば怒ったもんね。いま下手に怒ったら訴えられるよ。
そこにガソリンスタンドやってる社長がいて、二人乗りしてた中学生がいたんで
「二人乗りしちゃダメだぞおまえたち」
って言ってそれで帰ったら次の日警察から電話かかってきて
「『胸ぐらつかまれて脅かされた』って言ってる」
って。その中学生が親に訴えちゃったんだな。相手二人でこっち一人でしょ。他に見てる人もいないから。
じゃあどう対応したのかっていうと、警察が
「このままじゃどうにもなんないから、とりあえず認めて下さい」
って言うんだよ。やらないことを認めるわけにいかないよねえ。最後までやってないって突っぱねたんだ。
「認めた方が問題の解決は早いですよ」
って言われたんだけど。そんな馬鹿らしいことないよね」

その後、隠れ家的なバーを紹介してもらったので行ってきた。そこでボンベイサファイアをロックで頼んだら、マスターに
「ジン好きなんですか?」
と聞かれた。
「ボンベイサファイアしか飲んだことないです」
と言ったらマスターのスイッチが入ったみたいで、話がとまらなくなった。
「ジンはカクテルの一材料っていう風にみんな思っちゃってるから、ストレートで飲む人はあんまりいないんだよ。飲んでみればいいのに。例えばジントニックって注文入った時に、うちはトニックウォーターだけで3種類あるし、ジンもたくさんある。そんでトニックウォーターとジンの比率は2対1か3対1かでも違うし。
だからお店行ったら「おすすめのジンをください」って注文してみるといいよ。ジンはそんなに高くないからさ。うちのおすすめはヴィクトリアン・バット・ジンとか。これはボンベイサファイアよりもスパイシー。香りが楽しめる。スコットランドとかの店行くと、飲み終わったグラスを下げないんだよ。香りが残ってるから。テーブルに5つくらい空のグラスが残ってて、飲み終わった後も香りを楽しんでたりする。お酒はもう、飲んで酔っ払うだけの時代じゃなくて、香りをずっと嗅げるんだから、それを楽しむ。」

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今日は、つくば市に住んでいる元映画看板職人の家の車庫を敷地に借りた。
車庫にも「タイタニック」や「無法松の一生」なんかの看板が置いてあったけど、家の中にも色々な看板や俳優のポートレイトが飾ってあった。最近の映画のものもある。静物画のような絵もある。

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「これは水性塗料です。水彩絵の具とも違う。看板の塗料ってのは一番安いんですよ。こういうものってのは、今はもうやってる職人はいないですよ。紙はザラ紙。新聞紙とおんなじ紙ですよ。真っ白に印刷してない新聞紙。それをベニヤに貼り付けて、結局は後から後から上に貼り付けていくから。糊と紙がベニヤみたいに厚くなっちゃう感じ。だからね、もう今はもうとてもじゃないけど覚えるまで辛抱できる人はいないし、その必要もないし、今の時代はね。何もかもコンピューターでパパッとやっちゃうから修行もなにもないですよ。
まあでもね、展示会なんかやるとみんな珍しいなって言ってくれるんですけど。今は映画のサークルやってて、昔の名画鑑賞会なんかやるんですよ。そういうときはそのためにポスター描いたりするんです。一日しかやんないですけど。
昔だったら1枚描くのに1日でやっちゃったけど。僕ら芸術家とか絵描きじゃないですから。職人ですから。パパっとやっちゃう。モタモタしてると映画終わっちゃうから。映画は2週間しかやらないですから。
そのかわりインパクトのあるような要領っていうか、遠くから見てもこれは高倉健だ美空ひばりだジョンウェインだってわかるように。早いっていうか要領がいい。芸術家じゃないから。
今は水彩画のクラブで、みんなと一緒に公民館の講座なんかでやってます。絵は好きですから。基本的に絵には変わりないんですけど、絵では食べていけないっていうのがあるから。昔は食べられたんですよ。映画の看板で。だけど今は映画館がないんだから。まあシネコンはありますけど。みんなポスター大きくしたものを印刷してて。だから描こうとしても映画館はないしお金にならないから。
看板屋は50年前までやってました。辞めてからは文字とか、デザイン関係のものに関わってやってきたんですけどね。だから文字も表彰状の文字からゴシック明朝全部やって。他に何もできないからそれで食べてきました。

賞状を書く仕事もやってました。ホームセンターで表彰状をつくる仕事。賞状の文字ってのは独特なんですよ。書道をやってる人の文字じゃダメなんですよ。書体は書道の文字とは別なんですよ。ホームセンターではペットコーナーの看板で犬とか猫とかグッピーを描いたりも。今はパソコンでやってるみたいです。

僕は月謝払って勉強したものはないです。絵も字も全部独学です。真っ白いチラシの裏が真っ黒くなるほど夜中までやった。ものすごい夢中になって、食べるために勉強したから。人に見せたり公募展の会員になるために勉強したわけじゃない。
僕はこれで食べてきた。一応扶養家族も養ってきた。ちょっと文字が人より上手だなくらいじゃダメなんです。お客さんに気に入られないと家族まで飢え死にしちゃう。看板の絵もそうです。夢中になってやった。生活かかってるってのはやっぱり凄い。とことんやった。今はもうやってないですけど。

映画の看板は15歳から30歳までやった。好きだから高校行かないでやった。映画の看板はマニュアルもねいし芸大みたいなカリキュラムもないから。自己流で始まって、東京へいって東京で描いてる先輩と一緒に働きながらね。30で辞めたころは映画はテレビに押されてた。映画のピークってのは昭和35年です。そのころにテレビがバーっと普及した。それから映画は映画館じゃなくてテレビでみるというふうになって衰退してきたんで、このまま映画にかじりついててもだめだと思って。一緒に看板描いてた人はイラストレーターになったり、そういう人はいますけど、映写技師では自殺した人もいる。当時としては花形の仕事だったんだけど。映画がなくなっちゃったから。映画館の支配人なんかやってたのに。今は映画館のオーナー館っていうのはほとんどないですからね。シネコンはあるけど。
僕らは文字やなんかやってたから、あの当時東京の晴海の展示場でいろんな展示会やってたんですよ。今の幕張メッセのところ。あそこへ行っていろんな看板描いたり文字書いたりして。
だから文字と絵だけで生きてきた。一応男だからね、扶養義務というか責任感があるじゃないですか。好きな女性とかわいい子供を飢えさせたり路頭に迷わせたりっていうことはできないですもんね。だから僕は自分でも、夜も寝ないで勉強もしたし。
ゴシック明朝は早かったんですけど、表彰状の文字はね、ものすごい練習して。筆も筆屋に行って一番いい筆を買ってきてね。やっぱり弘法筆を選ばずっていうけど、僕は筆は選ぶ。いい筆といい腕といい紙、全部揃わないと良い仕事はできないから。

人にはね、芸大の教授とかにみてもらうんでない、一般の人が良いと思う絵をかきなさいって言うんですよ。誰が見てもパッと見て綺麗だなっていうものを描いたほうがいいと言ってる。そしてね、絵なんか目くじら立てて勉強しない方がいいよ、って。奥が深いからね。」

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隣にミノムシがいた

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カバキコマチグモかな

車に轢かれた蛇の死体を三回もみた。

今日の敷地は茨城県つくばみらい市にある建設会社の社員寮の正面玄関の前を借りた。去年社長夫婦にこのあたりの路上でたまたま知り合い、そのままつくば市玉取にある家に泊めてもらったことがある。その家は普段はあまり寝泊まりするのには使ってないらしいけど猫が3匹いて、その猫にご飯をあげるために通ったり、たまに泊まったりしているらしい。ほぼ猫の家になってる。

この社員寮はとても大きいのだけど、いま住んでる人は少ない。

昔はたくさんの人が住んでいて寮母さんのような人がいて泊まっている人のためにご飯を作ったりするくらいだったけど、みんな自分の家を建てたりして寮をでていった。でも建物は災害時の拠点として機能したり、研修の会場に使っていたり、バーベキューやったりなど色々活躍しているとのこと。

「建設業は年度末に工事が集中するから、寒い時期にピークがくるの。遠くから職人さんを呼んで現場に入ってもらうから、そういう時に寮があるだけで職人さんが『じゃあ行けるよ』って言ってくれるの。旅館手配したりなんなりっていうのは大変だからね」

今度長野の善光寺に社員旅行に行くらしい。
「善光寺に行ったら蕎麦食べなくっちゃねえ」
と言ってた。

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エビハウスでの会話
(*_*)「細胞って半年で全部入れかわるんでしょ。あれ。三ヶ月だっけ」
(°_°)「全然違うけど」
(・ω・)「なんで私の傷はずっと残ってるの」
(°_°)「マッサージとかすればいいのかも」
(・ω・)「あ、マッサージ。ガン細胞も育つらしい」
(u_u)「え。そうなの」
(・ω・)「おばあちゃんにマッサージしてたら、医者にあんまり良くないって言われた。『え、でも気持ち良さそうな顔してますけど』って」
(*_*)「短期的な快楽を取るか。死をとるか」
(°_°)「それでおばあちゃん死んじゃったらやだね。私がおばあちゃんを、、みたいな」
(・ω・)入れ替わった細胞を外に寄せてったら、自分がもう一人できる」
(°_°)「たしかに」

今日は流山から取手まで歩いて、茨城県取手市にある芸大生の友達が住んでいるシェアハウスの敷地を借りた。
ここは東京芸大の取手キャンパスに通う学生4人のシェアハウスで、3年前にここを借りて、それからずっとメンバーも変わらず一緒に暮らしている。「エビハウス」と名付けられている。
住人はそれぞれ、明後日学校に提出しなければいけない卒業制作のプロポーザルを書いていたり、韓国料理屋のバイトを辞めて新しくはじめたマンションの植栽を整えるバイトに行ったりしている。花壇に生えた雑草を抜いたりするらしい。

エビハウスにはサンルームもある。
「晴れた日には、『乾燥機かよ』っていうくらい早く乾きます」
と言ってた。

「ちょっと手伝って欲しいことがあるんですけど」
と言われて、半年分くらいたまった瓶を住人二人と一緒に捨てに行った。買い物カゴに溢れるくらいの量を手分けして持って出た。
エビハウスの前には狭くて急な石の階段があって、おまけに暗い。二人の住人はいつものことのように懐中電灯を持っている。僕はその明かりを頼りに歩いた。
ゴミ捨て場に着いてみると三つの箱があった。箱には他の瓶はあまり入ってない。大量の瓶を、透明と黒と緑それぞれの色に分けて捨てた。一本だけ青い瓶があった。
「これは緑だ」
と言ってそれは緑の箱に捨てた。
二人の住人は、溜まっていた瓶がなくなって嬉しそうにしていた。

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取手駅近くのガスト。向かいの席に若い男の子が一人座っている。なんとなく緊張しているのが伝わってくる。テキパキと店内を動きまわっていた男性の店員が彼に近づいて紙を2枚渡す。たぶん家から職場までの交通手段や、週何日出勤できるかとかを書く面接票。1枚は見本らしい。
男の子は男性の店員(たぶん店のマネージャー)が去った後、その面接票らしき紙と向かい合っている。時々筆を迷わせている。店内ではマネージャーを含めた全ての店員がせわしなく動いている。

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敷地は去年もお世話になった真言宗豊山派の寺院「光明院」の境内を借りた。尋ねた時住職さんはいなかったけど、奥さんが僕のことを覚えてくれていて
「もうすぐ子供達と一緒に帰ってくると思いますよ。どうぞどうぞ」
と境内に迎え入れてくれた。去年と同じ位置に家を置かせてもらった。

このお寺は200年ほど前に建立された寺院で、現住職は25代目の椎橋友都さん。婿としてこのお寺に入って、3年ほど前に亡くなった先代の跡を継いで住職になった。3人の子供と奥さんと義理の母親と暮らしている。次男は三ヶ月ほど前の朝から、お父さんと一緒にお経の真似をするのが好き。

近くに「一茶双樹記念館」という建物がある。小林一茶のパトロン的存在だった双樹という人(大金持ちだったらしい)がいたのもあって、一茶がよくこのあたりに来ていたという。月曜日は休館日で記念館には入れなかった。

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JR馬橋駅東口前。看板が光っている。FAMILY MART、くつろぎの里 庄や、居酒屋 はなの舞、備長 しちりん。電車から降りてくる人たちの波がくる。駅前の小さなロータリーには乗用車が数台停まっていて、誰かを待っている。目当ての人を迎えたらどこかに走っていく。

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