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あっというまに飛行機は10時間のフライトを終えて成田空港に着陸し、いま僕はもう東京都内を電車で動いている。これからも都内の移動と、東京から松本への移動があるので途切れ途切れになるだろうけど、書けるときに日記を書いていく。振り返りながら。

機内食はまあまあだったけど、離陸して少し経って夕食としての機内食がでてから、着陸2時間前に朝食としての機内食が出てくるのだが、朝食のほうは全く食べる気が起こらなかった。時間としては十分空いているんだろうけど、その間に体を動かすこともなく、何かイベントが起こるわけでもなく、ただ席に座ってうつらうつらしたり映画を見たりしているだけなので、ついさっき夕食をたべたばかりなのにもう朝食が出て来ているような感じがしてしまう。こうやって部屋に閉じ込めれてひたすらごはんだけを提供される人生を想像するとおそろしい。周りの席を眺めながら、人がそれぞれのコクピットに座って人生を操縦しているのだと考えるとぐっとくる。

帰国した途端に。家賃と光熱費のお金を口座に振り込まないととか、通帳に記帳しないととか、そういうことを気にする部分が頭のどこかに出現した。そういうものを日常と呼ぶのならレジデンスや旅行をするということは、日常から距離をとって、ただ「何を作るべきか、何をすべきか、何を見るべきか」だけを気にすることができる大切な時間だ。僕の場合、結婚して松本に居を構えてからそちらが「日常」と呼ぶにふさわしいものになり、いま熊本で預かってもらっている発泡スチロールの家での生活はすこしずつ「日常」と呼べるものから遠ざかっている。

飛行機の中。スカンジナビアン航空でコペンハーゲン空港から成田空港に向かっている。ついに帰国。去年来た時は2ヶ月間滞在していたので期間的には去年の方が長かったのだけど、今年のほうが色々と盛りだくさんで、とても長く感じた。去年はもう終盤には早く日本に帰りたいと思っていたが、今年はなんだか寂しい。レジデンスを終えてその土地を去るのはいつも寂しい。ラーズやエリンやソフィアやニーナに次に会えるのはいつか。それかもう会えないのか。今年の滞在ではブラッドフォード一家やセイバーマン一家に会うことができなかった。手紙を書きたい。エミルにはまた会える気がする。

今回の滞在は、奈保子が来てからは旅行の体を成していた。かなりのハードスケジュールだったが。6月19日に電車でOrebroを発ち、20日にはコペンハーゲンに寄ってドルトムント。ここまで電車だった。スウェーデン、デンマーク、ドイツと通ってきた。二日間ドルトムントからミュンスターに通って彫刻プロジェクトを見て23日にドルトムントを発ちカッセルへ。これはバス。カッセルでドクメンタ。そんで26日にカッセルからベルリンへ。これもバス。ベルリンでKWとユダヤ博物館をみてベルリン在住のアーティスト田口さん魚住さんリュウスイさんたちと飲むのを一泊でこなして27日にはヴェニスへ。Margheraのホテルに泊まってヴェネチアに通いながらヴェニスビエンナーレとIntution展を見て29日には高速バスでミラノへ。ミラノへ行ったのは、ミラノ発ストックホルム着の飛行機が安かったからだ。夜にはミラノからストックホルムのスカヴスタ空港にフライト。スカヴスタ空港からストックホルム市内にバスで行き、ストックホルムでとったホテルで2時間だけ寝て30日朝早くから再びバスでアーランダ空港へ。そしてアーランダ空港からコペンハーゲンにフライトし、コペンハーゲンから成田にフライトしている最中だ。今は。この旅程を作品制作のための撮影を5箇所で行いながら二人でこなした。次から次と面白いトラブルが起きた。

ヴェニス2日目が終わった。これで僕たちの旅行はひと段落。あとは帰宅に向けて移動する。明日FlixBusでいったんミラノに行き、ライアンエアーでストックホルムのスカヴスタ空港まで行き、ストックホルム市内で一泊し、翌朝バスでストックホルムアーランダ空港に行き、SASに乗って成田空港にいく。旅行は、1日をちゃんと1日として過ごそうと思える。

今日は7時には起きてしっかり朝から撮影→アルセナーレ→Intution展と計画通りにすごすつもりが、7時に目覚ましで目が覚めた時、「こりゃあだめだ」と思ってまた寝てしまった。とても疲れている。そりゃまいにちこんな歩いて2、3日で何十キロも何百キロも移動してっていうのを繰り返して、ぶらぶら街を見るだけならまだしも二年に一度と五年に一度と十年に一度の芸術祭と、それぞれに付随する関連企画や面白そうな展示を鬼のようにまわっていて、それに加えて作品制作のための撮影までしている。疲れないわけがない。奈保子も疲れている。撮影してもらっている。ありがたい。

ヴェニスビエンナーレは、数週間前に一人で来た時と違い、二人でまわっていると色々と新しい発見がある。Intuitionももう一度観れた。ジャコメッティの彫刻に似てるものやジョルジュブラックの彫刻作品に似たものが二千年前にすでに作られていたりする。そして奈保子はここ数日で自作の歌をよく歌うようになった。

ヴェニスの空港に到着したのは、数えたら3日前だった。空港でヴェネチアビエンナーレの広告を見て「きたぞー」と思ったのが随分と昔のように感じられる。Flixbusでミラノに向かっているけど、高速道路が随分と混んでいて到着が遅れそうだ。昨日は息つく間もなかった。起きて活動を開始したのが遅かったのもあるけど、ヴェネチアについてから撮影と二つの展覧会を見て、その間に歩きながらホテルでこしらえた昼ごはんのハムチーズサンドを食べたりした。夜は一昨日も入ったホテルのそばの「ピッコロ」というレストランに入った。小さな地元のレストランという感じで、僕が四年前に一人でヴェニスに来た時に2日間ほどかけて勇気を振り絞って入ったレストラン。四年前ここで食べたカプレーゼがボールに入って出てきてびっくりしたのを覚えているけど、今回頼んでみたらお皿で出てきた。奈保子も「ピッコロ」をとても気に入った様子だった。ホテルには、四年前も働いていた中国系の女性がまだ働いていた。バスの運転手がラジオを聴きながら運転している。こっちのバスの運転手は自由で気持ち良い。と書いていたらなにやら電話もはじめた。バスの運転手に限らず、あらゆる店で働いている人たちも、カウンターに立ちながら普通に何か食べたり飲んだりしている。ピザ屋の人も客の対応の合間に自分で作ったピザをカウンターで食べていた。昨日入ったIntution展も、18時閉場なのに15分前から「閉めます」と案内され、10分前には外に出された。会場は3階(日本式でいうと4階)まであるんだけど「閉めます」と案内されて3階から階段で降りる時、来場者が2階や1階の展示会場に入れないように階段からの入り口に係員が経っていて、「バイバイ~」と帰るのを促していた。早く帰りたいのが露骨すぎる。でもIntutionは良い展示だった。最後にみたのがこれでよかった。ヴェニスもドクメンタも、コンセプチュアルな作品が多く、展示に付随するテキストを読むのに疲れてしまっているところに、作品に最低限のキャプションしかつけず、キャプションも付いてない作品も多くあるIntutionの展示は安らかな気持ちになった。2千年前に作られた民芸と、数十年前に作られたモダンアートの彫刻が同じような形をしている。似てるといえばアルセナーレに土屋先生の作品そっくりなのがひとつあった。

奈保子はもう寝ている。僕は今日奈保子が制作で撮影してくれた2000枚以上の写真をパソコンに取り込んでいる合間にこれを書いている。連日移動しているような感じだ。疲れがとれないまま。今はヴェニスにいる。マルゲラ地区のホテル。僕が四年前。初めてヴェネチアビエンナーレを見にきたときに一人で泊まったホテルと同じホテル。あの時はみんなピザ食べ過ぎだとかいろいろ日記に書いていた。今日の夕方までベルリンにいた。昼頃まで寝て、ホテルをチェックアウトした。今後乗る予定の2つの飛行機とバスの搭乗券をプリントアウトする必要があったのでホテルのレセプションに行ってUSBを渡してお願いしたらPDFファイルが読み込めなくて印刷できないという事態が発生し、その後何度かファイルの拡張子を作り直してもうまくいかず、結局印刷できなかった。なのでチェックアウトのあと、地下鉄で近場のプリントサービスの店に行きそこで搭乗券を印刷した。日本のKINKOSのような店がベルリンにもあった。A4モノクロ印刷4枚で0.48€。その後ベルリン大聖堂にに行って撮影をし、そのあと奈保子の大学の後輩でライプツィヒに住んでいるタカミくんとすこしお茶(お茶というか、CurryWurstを食べた)をして、その後三人でリベスキンドのユダヤ博物館に行って1時間で駆け足で展示を見て(わざわざライプツィヒから来てくれたタカミくんには申し訳なかった、、)、シェーネフェルト空港に行った。シェーネフェルト空港はどうやらLCCしか乗り入れていない空港のようだった。まだできてから六年しか経ってないらしい。シェーネフェルトからEasyJetというLCCでヴェネチアのマルコポーロ空港に行き、そこからバスでMestre駅まで来て、歩いてこのホテルまできた。昨日の朝はカッセルにいたのが信じられない。

ドクメンタは、全部でたしか32会場あるのだけど、2日間で10箇所くらいしか回れなかった。といっても2日目は昼前まで寝ていたし撮影もしたのでよく見た方だと思う。郵便局を展示会場にしたところと、アテネの美術館のコレクションをカッセルに持って来たコレクション展と、ニューギャラリーという美術館でボイスの展示が観れたのがよかった。あと「墓場の博物館」があって、そこのドクメンタ作品というよりもともと博物館が所蔵していたコレクション展も面白い。ただ全体的にミュンスターでひとつひとつの作品に愛がこめられて、丁寧につくって丁寧に展示がされていた印象があったのでドクメンタは見るのにしんどいものがあった。でも町全体から感じられるドクメンタのオーラは素晴らしくて、到着した日は涙が出そうにもなったりもした。

明日明後日でヴェネチアビエンナーレと、先月見きれなかったIntuitionを見る。あと撮影もやる。奈保子は疲れが溜まっているみたいだ。せっかくの旅行だけど、せっかくヨーロッパに来ると考えると色々スケジュールを詰め込んでしまう。の割には事前に宿をとったりすることもしないというか余裕がなくてやっていなかったし、なんとかなると思っていた。実際なんとかなっているし楽しいけど、仕事なのか休みなのかわけがわからない。awai art centerでは今回みたミュンスターとドクメンタとヴェネチアビエンナーレの報告展示をやるらしい。なんでも仕事になってしまう・・・。

前もって予定をたてずに動いているぶん、瞬発力はあるが、今日には明日の予定や明後日の交通手段の心配をし、明日になればまたその明日の心配をする。そうやって日々を過ごしているような気がしてさみしいので、「今日にありがとう」という曲を今日二人で作った。でもメロディーはもう忘れた。しかし本当に、いつも何かの準備ばかりしているような気がする・・。何かの準備がおわったらまた何かの準備がはじまるような気がする。今を生きるのは難しい。

ほんとうにあっという間に時間が過ぎていき、ざーざー流れ過ぎて行く出来事の洪水の中でなんとかその一部でも取り出して残しておこうと手を伸ばすような感覚で、日記を書く。手を頑張って伸ばさないとあっという間に過ぎてしまう。

昨日はドクメンタ2日目を見て、ひとつ制作をし、寝て、今朝早くタクシーでカッセルのウィルヘルムスルーエ駅バス停まで行きそこから5時45分発11時着のバスでベルリンにきた。いまはベルリンのホテルにいる。「ベルリンには一晩しかいないしたまにはよい宿を取ろう」といってとったこのホテルはゲイホテルだった。でもとても綺麗で安くてフロントの人たちもとても感じが良い。地下鉄からも近い。部屋にはコンドームもあり、ガラスで透け透けのバスルームもある。ベッドのうえの棚にはエイズ防止のためのドネーションキャンペーンのリーフレットが置いてあり、プールで取っ組み合っている筋骨隆々の男性三人の写真が印刷されている。新鮮だ。このホテルにはバーもあり、そこはゲイも含めた一般の人にも人気らしい。ホテルについてのインフォメーションの冊子には、ベルリンの紹介文として「ダイバーシティのユートピア」と書かれている。さすがベルリン。

さっきまではベルリン在住のアーティスト三人と奈保子と五人でピザを食べたあと11時過ぎまで飲んでいた。田口さんの話がとても面白かった。昔森美術館でみた映像作品の背景には、ジプシーや警察まで巻き込んだ物語があった。知らなかった。彼はベルリンに住んでいるということをフル活用していた。

ドクメンタの話を書こうを思ったが、もう眠気が限界だ。ねる。明日も撮影。人にも会う。

ドクメンタ1日目。見てきた。疲れた。奈保子は疲れたうえに少し機嫌を悪くしてアパートに着いたらすぐに寝てしまった。アパートのオーナーから庭のバーベキューに誘われたが断ってベッドに直行した。僕はシャワーを浴びて歯を磨いて少し落ち着き、ミュンスターやドクメンタのカタログをぱらぱらと見ていた。

ドルトムントからカッセルに行く途中のバス。Flixbusで、あとすこしでカッセルに着くというところで警察が乗り込んで来て、乗客全員をIDチェックした。僕らは普通にパスポートを渡して行き先や目的を告げたら返してくれたが、なぜかIDカードを回収され、しばらくして返されていた人もいた。一通り終わったあと、トランクルームにある荷物も犬が入って検査しはじめた。しばらくしたらさっきの警官が入ってきて男女二人組にたいして何か言った。するとその二人はなんと荷物をまとめてバスから降りてしまった。僕は窓から離れていたので様子がわからないけど、どうやら男性の方がパトカーの中で取り調べを受けているらしい。しばらくして、その二人を残したままバスが出発してしまった。もしかしたらなんらかのドラッグを持っていたのかも。こんなことあるのか。奈保子は「毎日何か起こる。珍道中もいいとこやで」と言っている。

運転手のおばちゃんが下着が透けた白くて薄くてゆるい肌着みたいなTシャツを着ている。見た目が全然仕事中の人という感じがしない。見た目は完全に乗客。面白すぎる。

ドルトムントに滞在している。A&O HOTELというホテルで、ドイツのあちこちにチェーン展開している宿らしい。キングサイズのベッド(マットレスはシングルサイズのものが二つ並んでいるかたち)と小さな机と椅子二脚と、専用トイレとシャワールームがついて2泊で2人で1万2千円くらい。安い。0階には24時間オープンしているバーもついてる。ラウンジも広くて快適。奈保子はさっきまでベッドに座ってメールを返したり仕事っぽいことをしていたけど、さっきシャワーに入っていった。

この宿も良いけど、一昨日ドルトムントに着いた時に1泊だけ滞在したドルトムントフラッツという宿がとてもよかった。アパートスタイルで、ベッドとシャワールームとトイレに加え、キッチンと大きなソファとベランダもついている。ベランダには椅子とテーブルもある。それで2泊で1万円くらいだった。できればそこにそのまま滞在したかったけど、前の日記に書いた通り、ストックホルムからの移動に丸2日弱かかってしまい、1日ドルトムントに着くのが遅れてしまったせいでドルトムントフラッツには一泊しか泊まれず、延泊を申請しても部屋は空いていないと言われた。旅行には計画が大切だ。一人ならなんでも良いと思えるけど、二人だとなんでも良いとは思えなくなる。

今日は暑かった。ちょっと蒸していた。昨日今日とミュンスター彫刻プロジェクトを見て回った。そもそもドルトムントではなくミュンスターに泊まりたかったのだけど、宿をとるのが遅すぎて(4日前にストックホルムで)空いている宿は信じられないくらい高いホテルだけだった。一晩寝るのに何万円も何十万円もかける人の気持ちは、たぶん当面わからない。ドルトムントからミュンスターは50キロくらい離れているけど、電車だと40分くらいで移動できると検索結果が出てきたのでそれをあてにしてドルトムントにとった。実際には定刻でも50分くらいはかかるし、電車がよく遅れるので実際1時間以上はかかっていた。往復で二人で44ユーロ。不思議なことに3人でのっても同じ料金。DBの料金システムは最後までよくわからなかった。券売機で乗る電車の時間指定をさせられるが、印刷されてくるチケットには時間などは何も書いていない。「3時間有効」とかは書いてある。イタリアと同じだ。よくわからない。

奈保子がシャワーから上がっている。「このホステルはかなりかゆいところに手が届く感じだな」と言っている。確かに洗面台にティッシュが備え付けられているのはとても良い。だいたいシャワーに入ったあとは鼻をかみたくなるので。

このパソコンを置いている小さな机には、からになったペットボトルが3本置いてある。街を歩いてると喉が乾くので、ペットボトルに水道水を入れて持ち歩くのが通例になっている。

ミュンスター彫刻プロジェクトは、さすが10年に一回なだけあってどの作品も気合が入っているというか、リサーチが効いていてとても面白かった。ジェレミーデラーなんかは十年前から作品の計画を立てていたらしい。全ては回れなかった。半分くらいか。Arakawa Eiさんの作品が見られなかったのが悔しいのと、レベッカホルンの遺跡を使ったパブリックアートが日曜日の15時から18時しかやっていなくて、それが見られないのがとても悔しい。日本人は荒川さんの他に田中こうきさんも出してた。田中さんのはちょっと気持ちわるかった。一緒に過ごしたオリジンの違う人たちが議論してる映像をボイスの国で見るのは感動的だったけれど。ユイグの大規模な作品が怪しくて面白かった。スケート場だった施設の床を全面的に切りきざんで土砂を運び出して建物の中に渓谷のようなものをつくり、そこに蜂塚を置いて、イソギンチャクや赤い小さな魚が入った、中が見えたり見えなくなったりする綺麗な水槽を置いて、なんらかの「kind of biological cells」をcountする機械(と現場の監視員が言っていた)を置いて、天井に穴を開けて開閉する大きな蓋をつけていた。地面には一部水が溜まっていて、草がすこし生えていて不思議なビオトープがあったが、そこには蜂やハエがたくさん死んでいた。尋常ではないくらい死んでいるいので、何かが施されているとしか思えない。ちょっとカタログを読み込みたい。作品のアプリもあるらしいので後で調べようと思っていたけど、いまアプリをダウンロードしてみたら、そのアプリは作品がある場所で使うものだった・・。いまゆっくりと作品のマテリアルをみると「ヒト癌細胞」とある。頭がおかしい。

優勝はCosima von Bonin/Tom Burrという人。これはやられた。美術館の前の公共スペースにヘンリームーアの彫刻があり、その隣に、その彫刻がそっくり入りそうな大きさの「fragil」と書かれたクレートが積んである大きなトラックが駐車している。僕はてっきりヘンリームーアのパブリックアートの読み替えのワンアイデア作品かと思って「よいなあ」とか言って感心してたら、あとでカタログを見たらそんな浅い作品じゃなかった。建築学的なクレバーさもぷんぷんする。やられた。

あとは写真で何度も見たカバコフの空を見上げてテキストを読む作品を生で見られたのもよかった。監視員やインフォメーションセンターのスタッフがみんなとても愛想がよくて気持ちよい。展示作品の場所が書いてる地図を3ユーロで買える。これは別に買わなくても公式アプリを無料でダウンロードすれば地図は手に入る。展示は基本的に全て無料で見ることができ、赤い小さな布のリュックももらえる。あとセンスもステッカーももらえる。ステッカーは何枚でももらえる。地図を見ながら作品の近くまでいくと、地面に赤いスプレーで「SP>」というマークが書いてあるのでその>の方向に進むと作品がある。古い作品にはスプレーのマークはない。

あと古いクラブのなかに映像を展示していたBarbara Wagner&Benjamin de Burcaとパフォーマーが検索エンジンになっていたPiriciと焚き火で発電してiPhoneの充電したりWi-Fiを飛ばしたりしていたAram Barthollもよかった。しかし英語の聞き取りと読み取りがあまりできないのが本当に辛い・・。絶対に英語はなんとかせんとまじで話にならん。。起きるのが遅くて、起きてから3時間くらい0階のラウンジで飛行機をとったり宿をとったりして、15時半の電車にのったが遅れて17時過ぎにミュンスターにつき、それから自転車を借りて(16時以降は8.5ユーロ。21時まで)急いでまわった。急いでまわったので作品の撮影ができなかったのがくやしい・・。今後カッセルとヴェニスとベルリンとできればミラノでも撮りたい。ミュンスターは良い教会がいくつかあったのだけど。まあ仕方ない。

結局ストックホルムにユーレイルパスはなかった。ツーリストインフォメーションのスタッフ二人に、念のため別々に確認したが二人ともから「ユーレイルパスはこのあたりではオスロとコペンハーゲンにしかない」と言われた(ちなみにSJ(スウェーデン国鉄)の切符売り場のスタッフに聞いたら「ツーリストインフォメーションで帰るかもしれない」と言われた)。スウェーデンで店頭販売してるところは一箇所もないということだ。びっくりだ。

その日と翌日は、ドルトムントの宿をすでに取っていたのでドルトムントには着かなければならない。なので普通に高速電車のチケット(ストックホルムから2万円くらい)を取ろうとしたら、なんとすでに予定していた時刻発の電車はSoldOutしていた。その電車にのるために朝6時の電車に乗って来たわけだけど、それに乗れないということになった。とりあえず落ち着こうと、駅構内のフードコートの椅子に座って、これからの1週間の予定を立てた。この時初めて、ちゃんと移動手段や宿を丁寧に調べながら予定をたてた。予定を立てるのが遅すぎる。加藤巧さんの「安くするには計画せな」という言葉が思い出される(正確にこういう言い方だったかは思い出せない)。ドルトムント(ミュンスター)→カッセル→ベルリン→ヴェニスという予定が組み上がった。その日は夜行電車でコペンハーゲンまで行き、翌日1日かけて電車でコペンハーゲンからドルトムントまでいこうということになり、夜行電車のチケットと、ドルトムントまでの電車チケット、ベルリンまでの宿をネットで取って、その日はストックホルムを観光することになった。ストックホルム中央駅の公共Wi-Fiを使って交通費を計算した結果ユーレイルパスよりも普通に行ったほうが安いということがわかり、普通電車で行くことになり、電車と宿の予約をいっぺんに数日分やった。公共Wi-Fiで宿の予約などをするのは、たぶん本当はよくない。昼間はストックホルム写真美術館(フィンランドの写真家で面白い人がいた。あとアーヴィン・ペンのコレクション展もやっていてよかった)に行ったりして、夜23時過ぎストックホルム発の寝台列車に乗った。つもりが、なんと普通のボックス席でしかも席が倒れないやつであった。僕らが乗っている車両以外は全て寝台車両なのに、この車両だけ普通の電車だ。しかもこの車両の中でもこの席だけ、2席と3席が向き合っていて、ガラスの扉で廊下から隔絶された謎の仕上がりになっている。この電車に7時間以上だ。まいった。しかも時間を過ぎても出発しない。しかもパソコンのバッテリーも残り16パーセントで、充電するコンセントもついていない。とても古い車両で、網棚的な収納のところにはなぜか壊れた肘掛けがある。幸い向かいのふた席にはまだ人が来ていないので足は割と楽にできるが、人がきたら悲惨なことになる。いま大まかに測って見たら、こっちの席の座面と向かいの席の座面のあいだは40cm弱しか離れていない。どこに足を置けばいいのか。もしかしたら私たち日本人は甘やかされすぎて来たのかもしれない。いくら安くとはいえ、夜行列車でこんな席に乗客を乗せるのはよほどタフじゃないとできない。まじでどうかしている。

奈保子はJCBのカードがこっちでも使えるかどうかをインターネットで検索している。「大丈夫な気がする」と言っている。

今朝6時2分の電車でOrebro中央駅を出発して、ストックホルム中央駅に向かう電車に乗った。ユーレイルパスという、ヨーロッパ以外の国に住んでいる人がヨーロッパを旅行するのに使える電車の乗り放題チケットを買って、ドイツ・(できればアテネ)・イタリアと回ってストックホルムに戻って来てそこから日本に帰ろうということになった。たまたま、OpenART参加アーティストの魚住さんたちと同じ電車だった。彼らは今日の飛行機でベルリンに帰るためにアーランダ空港へ向かうらしい。

電車が、20分くらい走って着いた駅から動かなくなった。長い間停車していたので奈保子と「停車時間ながいね」と話していたら、スウェーデン語で車内アナウンスが流れた。「ストックホルム」という単語は聞き取れたがそれ以外は何を言ってるのかわからず、ヘラジカにぶつかったかアヒルの親子が遅れてるかしているんだろうと呑気に話していたら、乗客がバタバタと降りだし、何が起こってるのかわからず誰かに聞こうと思い歩いていたら魚住さんに会い、曰く「ストックホルム行きの人はここで降りないといけないらしいです」という。「誰も状況をわかってない」とも。奈保子が電車のスタッフのおばさんに聞いたら、ここで降りて反対側のホームから乗ってくれとのことだった。他の乗客もみんな状況がわからないようで不安そうに電車から降りていたが、電車に残っている人もいたので、本当にわけがわからない。

魚住さんたちは、メキシコ人っぽい顔立ちの男女二人組と一緒になっていた。彼らもアーランダ空港へ向かっているらしいが、飛行機のフライト時間は魚住さんたちよりもぎりぎりな様子だった。

乗り換えた電車に乗って座っていたらSJ(スウェーデン国鉄)スタッフのおばさんが「あなたたちがアーランダにいくファミリー?」と聞いて来た。おばさんは「この電車は8時35分にストックホルム中央駅に着き、そこから乗り換えてアーランダ空港へ行くと~時~分に空港につくことになる。それ以上早くは、私たちの鉄道ではできない」ということを一生懸命説明してくれた。メキシコ人らしき二人組は英語がほとんど通じないらしく、魚住さんたちが一生懸命説明していたが苦労していた。結局ストックホルム中央駅まで行ってたら飛行機に間に合わないかもしれないということになったらしく、4人は途中の駅で降りて行った。タクシーを捕まえてそこから空港にいくらしい。僕たちは引き続きストックホルム中央駅まで行き、そこで降りた。

11日からOrebroに入り、OpenARTの設営を始めた。今回のメイン仕事。文化庁の短期研修制度の研修員としても本気ださんといかん。しかし、文化庁はどうやらお金をくれるだけで他には何もしてくれなさそうだ。

昨日その設営がひと段落した。まだ一部だけ未完成だけどとりあえず今の所できることは終わった。一昨日から奈保子もOrebroに来ている。一人でいないと日記を書かなくなる。オープンアートのスタッフのみんなや、アレックスやエミルにも再開できた。さっき少しだけだけど、川俣さんにも挨拶できた。OpenARTは明日から会期始まる。今夜は関係者向けの盛大なパーティーがある。ディナー(オールベジタリアン向けらしい)と、コンサートとダンスフロアとオープンバーがあるらしい。四方八方に気持ちがとっちらかっていて訳がわからなくなりつつある。明後日からの予定もまだ何も立てていない。ドクメンタとミュンスターとヴェニスビエンナーレ(再び)。10日間でコンプリートできるのか。

イタリアのバス運転手はマジでひどい運転をする。道路がぼこぼこしてるっていうのもあるんだろうけど、それにしても、Laurentinaという駅からシャンピーノ空港までのバスは、事故か?って思うくらいのブレーキが2,3回踏まれた。座っていても、前の席の下の部分に足をつけて踏ん張ってないと危ないレベル。昨日行ったスーパーでは、閉店間際で店員がレジを通した商品をゴミを投げるみたに扱っててそれにもびっくりした。イタリア人面白すぎる。

昨日はザハハディド設計した21世紀美術館に行ってきた。客が少なくて心配になる。おとといのヴァチカン美術館とは大違いだ・・。どこの国でも現代美術館は客が少ないのか?美術館は全体的に、なんかうら寂しいというか、手が行き届いてないというか(でも監視のスタッフはやたらたくさんいる)、センスがないというか・・。外の広場っぽいところは、スケートしてる子供達がいたり日向ぼっこしてる大人たちがいたりして賑わっていた。さすが外で過ごすのが得意なヨーロッパ人。企画展は全然良くなかったけど、コレクションに面白いのがいくつかあった。特にwannes goetschalckxというベルギーの作家の1storyという映像が最高。あとカバコフの作品が見られたもの良かった。全体的に建築に接近した作品や(フランシスアリスの路上で寝てる者たちを投影するやつもあった)、建築の図面や模型を展示していたりもした。スカルパの図面や、この美術館のすぐ近くにあるレンゾピアノ設計の劇場の模型など。なぜか伊東豊雄の初期の住宅(U字型のめっちゃ内向きなやつ)の原寸大モデルの一部もあった。でも全体的にセンスのなさが隠しきれていない。物量も少ない。

今日は朝ホステルをチェックアウトして、ローマ駅付近で2カット撮影し、地下鉄とバスでこのシャンピーノ空港まできた。これから19時50分発のヨーロッパ最安と言われるライアンエアーに乗りストックホルムに行く。いよいよOpenARTの設営が始まる・・。奈保子も15日にくる。最後15日にOrebroでも撮影したい。

今日はロックの日で、おばあちゃんの命日だ。お墓参りにいけない。帰国したら挨拶しなくては。

昨日は夜行バスで早朝にローマにつき、たまたますぐ近くだった予約したホステルに行って大きなスーツケースだけ預けて(これが大間違いだった。リュックも預けるべきだったのだ)、電車でローマ駅まで行って、そこから歩いてコロッセオを通りがかりに見て、ヴァチカンまで行った。まずサン・ピエトロ寺院に入ろうと思ったのだけど、中央の広場にこれでもかっていうくらい長い行列ができていて、それが寺院の入り口まで続いている。「これに並ばなくてはいけないのか・・観光地なめてた・・」と思って並び始めたら意外とするすると列が動き、たぶん30分かからないうちに入れた。列はセキュリティチェックの列だった。荷物の中に不審なものがないかのチェック。ちなみにローマにはあちこちにイタリア軍の兵士が二人一組で路上警備をしていて、みんな機関銃を持っている。物騒だ。ちなみにヴェニスビエンナーレの会場でも三人一組のイタリア軍兵士が機関銃をもってパトロールしているのを見た。ちなみに路上には他にも、あと両手の肘から先がないおじさんがそれを通りがかりの人に見せて物乞いをしていたり、足のつま先がないおじさんがそれを通りがかりの人にみせて物乞いをしていたり、サン・ピエトロ広場には「ワンユーロワンウォーター・ワンユーロワンウォーター・ワンユーロワンウォーター」と早口で呪文のように水を売っている人たちがいたり、あとこれはヴェニスでもいたけど、自撮り棒を売っている人もいる、あとなんか正体不明のパックされた小さな赤い粒を売っている人もいた。あれはなんだったんだ。

よく考えたら、「観光」っぽいのをするのは今回の旅ではこれが初めてだ。ヴァチカンはさすがヴェネチア以上に世界的な観光地で、平日なのに観光客でごった返していた。

セキュリティチェックを終えて中に入り、ドームエントランスと書かれたところに行き、列にならんで、あれよあれよとすすんでいたら、現金で6ユーロ払わされて、500段くらいの階段を登らされ、気がついたらドームの天井に登ってサン・ピエトロ寺院を観光する人々を遥か高みから見下ろしていた。僕はただ普通にこの教会を、パンニーニが描いたのと同じく下から見たかっただけだが、気がついたらめっちゃ高いところにいた。夜行バスでかなり疲れていたところに500段以上の階段はきつく、正直はやく帰りたいとずっと思いながら狭い通路を登っていた。登っている段階で、これはなんだかおかしいとは思っていたけど。その後500段以上の階段を降りて下にたどり着き、普通にサン・ピエトロ寺院に入った。どうやら寺院を普通に見学するぶんにはお金を払う必要はなかったらしい。また貴重な現金を無駄にしたしまった・・。サン・ピエトロ寺院は、そのバカみたいに高い天井のおかげで下にいくら多くの人がいても全然狭苦しくない。バカみたいに大量に置いてある凝った美術品や壁画や天井の装飾に囲まれていたはずけど、細部をちゃんと思い出せない。ただ空間に圧倒されて佇んでいただけだった。それはとても気持ち良かった。そこで一つ作品のアイデアを得た。今回の旅の間に作ることにした。

その後ヴァチカン美術館に向かった。通りがかりのレストランでスパゲッティボロネーゼを食べたのだけど、これがとても美味しかった。1200円くらい。ヴァチカン美術館はサン・ピエトロ寺院以上に人がごった返していて、作品なんか観れたもんじゃなかった。膨大な壁画やタペストリー大理石の彫刻にずっと頭がくらくらしていた。宗教画はとっつきにくい。ただ、歴史の蓄積が分厚いなあということだけ感じた。疲れていた。終盤に突然ルドンのドローイングがでてきてとてもホッとした。ようやく作品が見られる、という感じ。そこからはずっとモダンアートの展示だったけど、あまりにも疲れていて人当たりもして、しかも階段を1000段上り下りしたあとだったので倒れそうになっていて、最後はすっ飛ばして出て来てしまった。しかし、あまりにも周りのみんなが延々と写真を撮っているので、この人たちはいったい何を写真に撮ってるんだろうということをずっと考えてしまっていた。去年ストックホルム大聖堂に行った時に、観光はもしかしたら成熟の証なのかもしれないと感じたけど、それに関していうとサン・ピエトロ大聖堂はまだ良かったけど、ヴァチカン美術館はなんか怒りさえ湧いて来た。カメラをもった手を掲げて、天井画を撮ってるかと思ったら自分の写真を撮ってる人とか。疲れていたというのもあるだろうけど。あそこは疲れている時に行くべきではない。みんな写真をとりすぎだ。shoot and forget,shoot and forget,shoot and forget..膨大な壁画や大理石の彫刻をみているうちに、考えてみれば今まで、芸術作品をひとつでもちゃんと見れたことがあるだろうかと思った。ここにいる誰も、この作品をちゃんと見てはいないだろうし、今後も永久にちゃんとみることもないだろう。ここにある作品に限らずだ。作品をちゃんとみるってのがどういうことなのかはわからないけど、いくら見ても全然見えない感じが、作品によって濃く出たり薄く出たりするだけで、完全にクリアに何かを見れたことなんて、多分誰も一回も経験したことがないんだろう。だからみるんだろう。引き続き。

倒れそうになったので急いで「出口」と書いてるほうに歩き、ヴァチカン美術館を出たら、最初のサン・ピエトロ教会の出入り口に放り出された。逆戻りはできないので、そこからまた日差しの中を20分くらいあるいて美術館の入り口まで戻り、そこで預けていたリュックを取り返してホステルに帰って来た。

サン・ピエトロ寺院のおみやげ屋さんで、ローマ教皇とサン・ピエトロ寺院が印刷されたヤバいTシャツを日本への土産に買った。このTシャツ着てるとクリスチャンだと思われちゃうかなと思ったけど、それはないだろうと思い直した。そのくらい「観光地としてのヴァチカン」を感じさせるデザインだった。このTシャツを見た人は、「彼はクリスチャンなんだな」と思う前に「ヴァチカンの観光土産なんだな」と思うだろう。この「観光地のお土産にされるTシャツのデザイン」のリテラシーを僕たちはいつから持っているんだ。「観光」とは何なのかは、このTシャツに全て現れてるんじゃないか?観光とは、あの悪しき日常化の働きのことじゃないか?

夕方に奈保子と少しだけ電話。ちょっと様子が心配だけど、大きなイベントの直前だから無理もない。ずっと準備して来た「あそびなおす」に僕がいられないのはとても残念だけど、うまくいってほしいと普通に願っている。

夜はホステル近くの「日本料理屋 DAIFUKU」というレストランに行って海鮮チャーハンを食べた。従業員の多くは中国人だ。一人に「日本人?」と聞いて見たら「チャイニーズジャパニーズ」と言ってた。僕の向かいに座っている、多分イタリア人のおばちゃんがアサヒの瓶ビールを飲んでいるのが面白かった。

ローマ駅の目の前のマックで働いているが、彼はどうやら英語が不得意らしく、英語話者の客相手に苦労している様子。彼がイタリア語で何をいってるのかわからないが、必死で注文を聞いたり、ハッシュドポテトを袋にいれるのを見ていれば一生懸命なのはわかる。話してる言葉は違うが、日本と同じようなメニューを提供して、同じように一生懸命働いている。言葉がわからないぶん、よけいに彼の袋詰めとかの振る舞いが、人間的に浮かび上がっている。見ているとなんというか、人生も悪いもんじゃないなという感じだ。

ベーコンエッグマフィンはひどい見た目だけど、カプチーノがとてもおいしい。日本のマックのカプチーノもこんな美味しいのか?それともやっぱりイタリアはコーヒーがうまいのか?

ヴェニスにいながら、イ・ランの曲を聞いて良いなあと思ったり、VIdeoNews.comで日本の労働条件についての問題についての番組をみたりしている。インターネットのおかげだ。おかげというかせいというか。

さっき、撮影してきてやった。この世界的な観光地を掃除した。一瞬だけ。メストレ駅で3カット(でも使えるのは1カットだけだろう)と、サンタルチア駅で1カット。その後もヴェネチア島内をいろいろ歩いてまわったけど、どうも撮影する気にならずそのまま帰って来て、いまはホテルのロビーに戻って来ている。僕の他に二人も日本人がいる。ここのスタッフとはすっかり顔なじみになってしまった。

Trenitaliaの電車。チケットを買う段階で何時何分発のどこまでの電車に乗るのかを指定しないといけない。札よりも大きな、しかもしっかりした紙の大袈裟なチケットが出てくる。券売機で2分後発のチケットを買おうとすると「直前すぎますよ!もっと後のにすれば?」と親切にも警告してくれるんだが、当の電車は、定刻より3分くらい速くても平気で出発する。しかも、車内でチケットをチェックするときは、券売機で指定した電車に乗ってなくても何も言わない。面白すぎる。

アルセナーレをみてきた。疲れた。とにかく頭脳戦だ。全体的に、第三世界というか、非ヨーロッパの作家が多かったように思う。まだステートメントをちゃんと読み解いていないけれど。知らないアーティストばかりで、あたまが開かれっぱなしで消耗した。新しい作家の作品を見るのは神経をつかう。面白いのもいくつかあった。100点以上の作品をずーっと見ていて、なんか人間ばっかり見ているなと思って、疲れていたところに、Nevin Aladag(トルコ)の遊具を動かして音を鳴らす映像作品と、大きな蛾のようなものをカーペットでつくっていたPetrit Halilaj(コソボ)の作品に救われた。もしかしたらアーティストは人間ばっかり見すぎかもしれない。あとGuan Xiao(中国)の作品には笑った。アルセナーレには、目が嬉しいタイプの作品というか視覚体験として嬉しい作品がほとんどなかった。とにかく頭脳戦を強いられる。そしてまさかの、去年茨城の芸術祭で制作を手伝ったミヒャエル・ボイトラーの作品もあった。あのドイツ人は今回も水に浮かぶ巨大なストラクチャーをつくっていた。サムは今回も来たんだろうか。あとアルセナーレ会場にはいくつかナショナルパビリオンもあって、そこで見たイタリア館が面白かった。連日展示を見すぎて、頭が変な状態に硬直している。アウトプットが必要だ。というか連日動きまくっていて疲れているのか?結構寝ているのに。

明日はここをチェックアウトする。朝早く起きて撮影をして、チェックアウトして、荷物をここに預かってもらってヴェニスをもうすこし観光して(気力があればグッゲンハイムに行きたい)、夜行バス(再び)でローマに行くことにした。サン・ピエトロ大聖堂が楽しみ。

毎日せっせと展覧会をみてまわっている。毎日と言ってもまだ2日だけれど。いまヴェニス(マルゲーラ)のホテルのロビーにいる。インターネットが使えるのがこのロビーだけだ。部屋では使えない。VideoNews.comを見ていた。今週は珍しく会員へのプレゼントがあるらしい。応募してみようかと思ったけど、これは「問い合わせ」フォームから応募すればいいのか?わからない。イタリアは、これまでのストックホルム・ベルリン・チューリッヒまでとは随分と気候が違う。蚊に悩ませれている。「蚊がいなくなるスプレー」を持ってくるべきだった。あれの効果は素晴らしい。本当に蚊がいなくなってしまうのだ。でもあれは飛行機に持込めなさそうだ。イタリアは、これが地中海気候というやつか、という感じがする。瀬戸内海とどことなく似ているところがある。湿度が高い。ベルリンもチューリッヒも暑かったけど、乾燥していたので日陰は楽だった。ヴェニスは日陰も時々暑い。あといつも眩しい。目が疲れる。

昨日はビエンナーレのジャルディーニ会場を見た。噂には聞いていたけど、ドイツ館が良かった。ぐっときた。とても混んでいた。40分くらい並んでようやく入った。隣に日本館があるけど、日本館も僕は好きな展示だったけど、ドイツ館に負けてた。うまい具合に対比ができてしまっていた。日本館の作品の「リフレクション」的な、表と裏の二元論が取りこぼしているものをドイツ館は必死にすくい上げようとしているように見えた。ドイツ館は床がガラス張りになっており、観客はそのガラスの上を歩き、ガラスの下をパフォーマーが動き回っているんだけど、そのガラスに観客の「リフレクション」がうつっていた。でも現実には、リフレクションの下にも空間があり、そこで人が動き回っている。強い理性を感じた。とても良かった。あとスイス館も興味深い。彫刻家のジャコメッティの複雑な女性関係を扱い、別の立ち位置からジャコメッティの作品を考える。嫌な過去からは逃げられない。ジャコメッティの作品をチューリッヒでたくさんみたあとだったのでぐっときた。ジャルディーニ会場を一通り見て、帰り際にふらっとジンバブエ館をのぞいた。3階(日本式だと4階か?)に会場があるのだけど、その途中の階段の電気が消えていて真っ暗になっていた。こっちであってるのか?と思いつつ、なんだか前にもこんな経験があるなと思い出し、イタリアではこういうスタイルが普通なのかもしれないと思ってそのままずんずんと進んで行ったら、奥に明るい「ジンバブエ館」の展示室が見えた。そんでぐったり疲れて帰って来た。

初日に続いて、昨日もホテルの一階にあるピザレストランでご飯を食べた。ここにはマジで食べ物はピザしかない。ウエイターの女の子が僕のことを覚えていた。コックも。イタリア人はなんでこんなに人懐っこいんだ。支払いの時に、現金だとすっと終わるが、カードだとレストランにカードリーダーがないのでホテルのレスプションの方まで10秒くらい歩いて行かなくてはならず、それを今日もお願いした。なにしろ手持ちの現金が少なく、引き出す方法もないので。昨日のレセプションにも、初日と同じ調子の良さそうなにいちゃんが立っていた。(ちなみに今日もそいつだ)。彼は、初日で僕の顔を覚えていた。調子よく手でバチっとタッチ的なことを求めてきたので、こっちも返そうとしたら、ふっと手を交わされた。腹が立った。彼も絶対にイタリア人だ。「これぞイタリア人」という感じのふるまいだ。預かったクレジットカードの返し方(ぽいっと投げる)とか、僕が日本人だと言ったら「日本人はリスペクトだ!リスペクト!」と言うので「行ったことある?」と聞いてみたら「ないけどここにいるだけでたくさんの日本人に会える。リスペクトしてるんだ!」という感じとか。調子が良い。同じくレセプションに立っている別のにいちゃんが「日本人はいい。中国人はだめだ。」みたいなことを話してたら突然「あまり喋りすぎるな」と英語で言ったりもする。あれは僕に向かって言ったのか、彼に向かって言ったのか?(たった今、そのもう一人のにいちゃんのほうが、いまロビーを通りかかり、僕に向かって「よう」という感じで手を上げて去って行った。)

今日は、月曜日でビエンナーレ会場は休みなので、アルセナーレ会場を見るのは明日にして、プンタデラドガーナとパラッツォグラッシのデミアン・ハースト展と、エスパスルイヴィトンヴェネチアのピエールユイグと、 Giorgio Cini Foundationのいくつかの展覧会(ヴィックムニーズの展示もやってると書いてあったのだけど、会場がわからなかった)と、Paul Mccarthyともう一人のVRの展示と、それと同じ会場でやってたラウシェンバーグとウォーホルの展示と、Sottsassというガラスなどを扱う作家の展示と、あとIntuition展を見て来た。ハースト展は期待していたけどよくなかった。金のかかった遊びに付き合わされた気がする。作品一つ一つをじっくり見る気が起こらなかった。あのでかいやつとか、どうやって搬入したんだ。Intuitionが素晴らしかった。でも時間がなくて最後流し見になってしまったけど、また会期中にヴェニスに来ることがあればまた見たい。60ユーロ以上する重いカタログを買ってしまった。荷物が増えた。。Sottsassも良かった。グッゲンハイムが時間がなくて見られなかった。しかしぐったりだ。もうシャワーをあびてごろごろして寝たい。

そういえば、昨日明け方4時くらいに一旦目が覚めてしまったのでその時間で「文学的なジャーナル」を読み終えた。一人の人間による、私的なはずの日記が、突然こっちの世界に侵食してくるような、ぞっとする瞬間がいくつかある。面白い。これはB&BのTさんに勧められて買った本だ。いまは小川さやかの「その日暮らしの人類学」を読み始めるところだ。こっちは池澤さんがくれた本だ。

明日はアルセナーレをみて、明後日までに撮影(一人だ。。)をやるのはいいとして、明後日どこにいこうかまよっている。パンニーニのサン・ピエトロ大聖堂がすごかったので、ローマにいって実物を見ようか、あるいはパリにいってルーヴル美術館で他のパンニーニ作品を見ようか。あるいはどっちも行ってしまおうか。ロンドンも行きたい。しかし時間はもうそんなにないぞ。と、いまルーヴル美術館公式ウェブサイトから調べてみたらなんとパンニーニ作品は一つしかなかった。どういうことだ。こういうときどこを調べればいいんだ。

日記をさぼっていた。531日から62日まではチューリッヒに滞在していた。友達がチューリッヒにいるということもあって、清掃員村上の撮影をチューリッヒでもやろうと思った。前の日記にも書いたけど、友達が手伝っているedition finkというアートブックを作っているスタジオの一室を、寝室として使わせてもらった。スイスでも5本指に入るアートブックスタジオらしい。ここで作られたとても良い本がたくさん本棚に並んでいた。オーナーがめちゃくちゃ良い人で、可能な時はいつもご飯に誘ってくれたり、僕が「ヨーロッパの清掃員はみんな蛍光色の服を着ている。どこかでこういう服が帰るところはないかな」と相談してみたら、インターネットで店を調べてくれて、結果的に安く蛍光イエローのTシャツを買うことができた。(でも、そのTシャツをさっそくチューリッヒに忘れて、ここヴェニスに来てしまった。)

蚊のようなものが飛んでいる。。もうそんな時期か。ヴェニスはちょっと蒸し暑い。

チューリッヒではチューリッヒ美術館(大規模な改装中だったけど入れた)に行ったほかには、街をぶらぶらして、清掃員の撮影をしただけであった。チューリッヒ美術館は膨大な数のコレクション展がとても良かった。特にOld Mastersのコーナーにあったパオロ・パニーニの「サン・ピエトロ寺院」。噂は聞いていたけど大きな実物を見たのは初めてだと思う。これはもう平面作品というより、建築物だった。建築物が出現していた。調べてみたらルーブル美術館にでかいのが4点あるらしいので、できれば今回の旅のどこかでやはりパリにも行きたい。あと彫刻家のジャコメッティのコレクションもたくさん。彫刻も良いけどドローイングも鳥肌。ジャコメッティの作品が同時代のシュールレアリズムの作品と一緒に展示されていた。

清掃員の撮影は、友人の色々な助言を借りながら良いものが撮れたと思う。自分の仕事が終わってないのに撮影を手伝ってくれた。ありがとう。やっぱりベルリンで一人で撮った時とは心の余裕が全然違う。それなりに緊張するけど、アングルや体の動きをいろいろ考えながらできる。一人でやるとそれらを深く考える余裕がない。ちなみに撮影していない時には「清掃中」の黄色い看板が見えないように服を被せて運んだりやビデオカメラに布をかけて運んだりしていたけど、友人に「その黄色い看板はそんなに気になるものじゃないよ。たぶんカメラも。自意識メーター上がってる」と言われた。そうだこの撮影は自意識との戦いだ。その自意識を克服し、完全に自分の清掃員の世界にできたとき、本当に良い動きが生まれる。

天井をよくみると蚊が4匹ほどとまっている。やつらは明るいときはこうやって高いところに待機し、人が電気を消してから降りて来る習性をもっている。これは種差海岸のキャンプ場で、一晩中蚊と戦ったあの時に学んだことだ。今日は電気をつけっぱなしにして、顔に手ぬぐいでもかけて寝ることにする。

チューリッヒでの撮影日の前日、なぜかインターネットでブラッディマンデイという漫画を全巻読破してしまった。朝5時までかかって。馬鹿だ。よりによって前日に。おかげで撮影がおわったころには本当にくたくたになっていた。去年も「ブラックジャックによろしく」をスウェーデンで朝までかかって読破した覚えがある。能代では、マクロスFだかまどマギだかを朝までかけて全話観た。時々こういうことがある。

そんで昨日の夜、チューリッヒ発のFlixbus(再びの)に乗ってヴェニスまで来た。チューリッヒのバス停でずっと「ローマ行きのバスが来ない」みたいなこと(たぶん)を一人でイタリア語で騒いでいた男がいて、めちゃくちゃ目立っていた。さすがイタリア人で元気いい人は、別次元だなあとか思っていた。しばらくして自分のバスが来たので乗ったら、そのイタリア人が乗っていて、しかも彼の隣しか席が空いてなかった。うわぁ、、と思ってしまったが、彼は騒がしいけど、それは陽気さの裏返しで、席における自分のテリトリーとかも守るナイスガイだった。起きている間はイタリア語でなにかしら独り言をしていた。僕にも時々話しかけてくる。僕はイタリア語はわからないけど、彼にとって僕がわかってないことはあまり大事ではないらしい。前の席の人に向かってなぜか僕のことを「グッドマン。グッドマン」と紹介してくれた。くたくたの状態で乗ったのですぐ寝れるかと思ったけど不思議とそんなに眠くならなかった。隣の陽気なイタリア人が先に寝た。イタリア人は陽気で良い。長距離バスなんかでその本領を発揮するんだなと思った。バスに荷物を預けるときも、列になって並んでいるイタリア人たちのおかげでその場の空気が和んで笑いが絶えなかったし、運転手も良いイタリア人だった。

今朝の9時ごろにメストレ駅に着いた。すぐに予約していたHOTEL COLOMBOに行って大きな荷物だけ預けた。実はこのホテル、4年前にヴェニスビエンナーレを見に来たときに泊まったHotel VIennaのすぐ裏にある。目立つ外見をしているので、4年前に来た時に「こんなホテルあるのか」と思ったのを覚えている。Hotel Viennaは今も健在だったし、そのとなりにある良い雰囲気の小さなレストランも営業していて嬉しくなった。4年前、このレストランで何度かご飯を食べた。初日と2日目は確か勇気がなくて入れなかったのを覚えている。

大きな荷物をあずけて、一旦ヴェネチア島に行った。そこでぷらぷら歩いて、島の中央あたりにあるレストランでビールとイカスミのスパゲッティ(edition finkのゲオルクさんに「ブラックスパゲッティを食べたことがあるか?」と聞かれてから、頭はずっとイカスミのスパゲッティだった)を食べてホテルに戻ってきて、チェックインをして、それから昼寝をした。ホテルに着いたのは14時だったけど、起きたら20時だった。不思議な夢をみた。現在の年齢になった高校の同級生とともに、高校の卒業式をもう一度やるという夢。みんな忙しいので、集まって合唱など(なぜか合唱をやっていた)を練習する時間がとれず、式はひどいものだった。僕の家族も来ていた。

夢から覚めた時はひどく絶望的な気持ちになってしまい、なんでこんな自分はところにいるんだと思ってゴロゴロしていたけど、どうにか体を起こして、ホテルの1階にあるピザ&バーの店で夕食(プロシュートのピザ)を食べて、その後ネットでビエンナーレやヴェニスでやっている他の展覧会の調べ物などをして今にいたる。ヴェニスでは、ビエンナーレ2会場と、チューリッヒで人に教えてもらったPaul Russoというキュレーターがやっているという展覧会、プンタデラドガーナ、パラッツォグラッシ、Fondazione Giorgio Cini、グッゲンハイムヴェニスをまわり、清掃員の撮影もする。また一人だ。。

チューリッヒはとても良い。ベルリンとは違って空気がとても綺麗で、街全体の雰囲気が上品。やたらと銀行がたくさんある。スーツを着た人が多い。ホームレスや物乞いが見当たらない。お金持ちの街という感じ。物価はめちゃくちゃ高いので、お金さえあれば住むのにはとても良い街だ。でもここも、綺麗すぎてずっと住んでいると退屈してくるかもしれない。あらゆるところに人間の手が入っている。「裏」がない。日本でいう「裏山」のような場所がない。日も長くて、夜は10時半くらいまでにようやく暗くなる。妖怪は生まれないだろう。edition finkという、スイスでは有名なアートブックのデザインをやっている事務所の一部屋を居室として使わせてもらっている。

今日は涼しい。今日は涼しいが、昨日までずっと暑かった。ベルリン。こんな真夏日みたいに暑いとは。昨日までは毎日最低気温が20度越えで、日差しも強い。でも空気が乾燥しているので、暑さがそれとなくさわやか。でも町の空気が悪い。ずっと鼻炎が発症しているような状態だ。特にビールを飲んだあとなんか特に。でもマスクをしてる人はほとんどいない。というか一人も見なかった。ストックホルムでもそうだったけど街中に、なんかふわふわした白いワタのようなものが飛びまくっている。なんらかの植物の胞子だと思うけど突き止められず。あれはなんなんだ。ベルリンは住みやすそうだけど、この空気の悪い感じはちょっときつい。あるいは、花粉症みたいななんらかのアレルギーで鼻炎が発症してる可能性もあるけど。さっき寄ったベルリンセントラルバスステーションの売店の男がめちゃくちゃ愛想が悪かった。そういえばここに着いた日に話したインフォメーションセンターのおっさんも愛想悪かった。ここでものすごいいろんなタイプの人を相手に仕事をしてると、なんかあんな感じになっちゃうのかなと思ったけど。それにしても。こっちではとにかく、自分から主張していかないとマジで話も聞いてもらえない。ドイツは意外とカードが使えないところが多かった。スウェーデンではほとんどの人がカードで支払いをしていて、現金を使ってる人は数えるくらいしか見なかった。そのつもりで、あんまり現金を持ってきてなかったんだけど、これが大間違いだった。現金は6万円弱しか持って来ておらず、いますでに3万円くらいになってしまった。これからチューリッヒ、ヴェネチア、もしかしたらロンドンと滞在するのに。大丈夫か。しかもまた運が悪いことに、僕のカードにはICチップがついておらず、そのせいで使えないこともある。さっきも売店で、カードを使おうとしたら使えず、現金!と言われた。あれは挿入方向が間違っていたんじゃないかとも思うけども。とにかく、なるべく現金を使わずに過ごすしかない。帰国したら、キャッシングができるICチップ付きのカードにしようと決めた。

なんにせよ、ベルリン滞在は終わった。今はFlixbusでチューリッヒに向かっている。フランクフルト経由で。また15時間の長旅になる。ベルリンでは結局美術館やギャラリーに行けなかった。チューリッヒではいけるだろうか。窓から外はずっと同じだ。ここの風景はずっと草原と低い山だ。日本が懐かしい。あの険しい山々が。ヨーロッパの大地は、本当に、よくもまあこれだけ耕したもんだと思うほどにずっと平坦で草原が続いている。ロンドン周辺と、スカンジアビアの南側からドイツを経て、スイスの中央部までの風景しか知らないが、本当にずっと草原だ。何度も着て生地がすれきった「BOMBORI」のロゴが入っている白いTシャツと、まだ新しい水色の作業着の(清掃員の)ようなスラックスを履いて、ベルリンの中央バス駅からフランクフルトに向かうバスに乗っている。バスは、13時20分にベルリンを出発し、途中で豪雨に見舞われながら、いまでは雨も止んだドイツ中央部の草原を突っ切っている高速道路を南西に向かって走っている。いつか小説を書きたい。自分の話ではない、なにかフィクションを書きたい。登場人物をつくりあげ、自分の中に住まわせ、また別の人物とやりとりをさせたい。どうも、主語が自分から離れると、文章も自分から離れしまうような気がして、筆が進まない。今まで何度かトライして見たが難しかった。何か、明確な命題と物語の大枠を作り上げてからの方がいいんだろう。いや、ここに書いてあることもフィクションかもしれないぞ。僕が本当はどこにいて、何をしているかなんて確認のしようがない。いまヨーロッパでバスに乗ってるかのように見せかけているが、本当は東京の実家にいるかもしれない。札幌にいるかもしれない。あるいは、Orebroにある安いホテルに泊まって、ベッドに座ってパソコンを開いてるかもしれない。わからないぞ。これを読んでるかのようにみせかけているが、本当なのか?何か、パソコンの前に座って字面を追ってはいるが全然読めていないんじゃないのか。一体だれに向かって、書いたふりをしたり、読んだふりをしたりするのか。そういうふりをしているのか?なにかよくわからない他者のようなものにむかって読んでいるふりをしているのか?

必要とされたらすぐにやめなくてはいけない。と書いたことがあるけどそれはあながち間違ってないんじゃないかと思っている。基本的に「人から頼まれる仕事」はこれまでの”実績”を踏まえられて”何かしらの役にたちそう”なものを求められることではじまる。なんというか”ある一定の枠組みをもつ認識の中側からしか生まれてこない”のが”人から頼まれる仕事”だ。ミステリー小説の真髄は、ミステリー小説とされる本の中には存在しないと、居島さんが言っていたけど、これと同じだ。何がクリティカルでラディカルなものなのか。本当に制度そのものを扱おうとしたら、その制度そのものをメタに扱うための土台を永遠につくらないといけないことになる。達成されない。つまり仲間がいない。見渡しても今生きている人では一郎さんくらいしか知らない。荒川さんは死んでしまった。基本的にみんな、どこかでなんらかの制度内で一番上を目指すということを考えてしまっている。それはもちろん「人から頼まれる仕事」で生きるには一番良い方法なんだろう。”仕事”とされるものは、ある種のルーティンとしてしか成立しえない。蓄積がものを言う。すごく砕いて言うと「”自分がやるべきだと思ったこと”が仕事になった瞬間”自分がやるべきだとは思えないこと”になってしまう。この究極のジレンマ。どこに行き着くのかわからん。とりあえず当面は難しいことは考えないで、やるべきだと思うことをやり、それを変に当てはめなければいいだけか。しかし専門性とはかけ離れていく作業だ。つらい。僕は何かを蓄積してこれただろうか。つらい。これは考え始めると絶望的になるに違いないのであんまり考えないようにする。というか考えても不毛なことだ。やることが変わるわけではない。28歳にもなってまだこんなところにいる。本を読もう。当面はアーレントとソンタグと岡崎祥久と保苅実と小川さやかを。オーウェルのカタロニア讃歌もまだ読み終わってなかった。人から勧めてもらった本はなぜか大抵面白い。

(06040259追記)あとブレヒトも。

古川日出男さんの「ベルカ、吠えないのか?」を昨日ポツダムのホステルのベッドの上で読み終わった。こっちに来る前に、松本の丸善書店で急いで買ったのだった。凄まじいくらいの読後感。読後徐々にその想像力の巨大さが押し寄せて来る感じ。離れ技だ。これまでまったくマークしてなかった地点からこっちの世界を記述されるような。こんな物語をどうやったら思いつくのか。。読んでいて、書き手が掴もうとしているものの大きさに唖然、というか恐ろしさを感じることがしばしばあった。これはマジで敵わないなと思ってしまうこともあった。あとで考えると、文学をやる覚悟の大きさを目の前にして、ただ突っ立っているだけだった。しかもその本を、今から72年前に日本に対する降伏を要求する「ビッグスリー」による会議が行われたこのポツダムで読んでしまった。本の中で重要な地として出てくる米領サモアには、いま友達が青年海外協力隊として働きに行っている。その遠い太平洋の島国と、このポツダムと、日本とを、ぐおんぐおんと行き来させられる。犬の血統の話。やめておけばいいものを、ネットでこの本に関する直木賞審査員の書評を読んでしまった。本当にやめておけばよかった。でも誰かと話したかった。けど近くにいるのは、ホステルに泊まっているインドからきた旅人。彼は誰かと電話で話していた。そこで彼に「ちょっとこの本、すごかったんだ。」と話しかけるような気にはなれなかった。というかそんな人はいない。

どうにか、とりあえず撮影はやってきた。でも、必ずしも満足の内容ではない。今回は引き分けくらいか。ベルリンと。もしかしたら負けてるかも。一人で撮ると、どうしてもカメラを僕から離れたところに置いてしまいがちで、結果的に全体的にちょっと遠巻きに撮れてしまった。それと映像を見返して初めて気がついたけど、どうやら完全な屋外でやるよりは、この作品は半屋内のような場所でやったほうが効果的なこともわかった。しかし残念ながら、今日の僕には屋内で一人でこれを撮影するだけの勇気はなかった。湯浅さんの協力が得られる31日まで待って、追加で撮影すればよいのかもしれないけど、いったんベルリンを離れる。撮影時間は時間にしてわずか15分弱だけど、こんなに消耗するとは思わなかった。まじで勇気が足りない。勇気が。アンパンマンが。

撮影中に「そのカメラでいま私を撮してなかった?」と聞いて来た女性がいた。その時は撮影してなかったのでメモリーも見せて写ってないの説明したら笑顔で去って行ったけど、日本では一度もされたことがない質問だったので驚いた。それ以外は、本当にベルリン(アレクサンダープラッツ周辺だけで撮影した)は、いろいろな人がいろいろなことをやっていて、それが承認されている街だ。突然裸になる女性(なにかの撮影っぽかったけどびっくりした)がいたり、たくさん物乞いがいたり、タバコをくれと言ってくるひとがいたり、弾き語りしてる黒人の兄ちゃんがいたり、なんか中度半端なブレイクダンスを披露してる人がいたり、ドラムとバイオリンの路上ライブをやってたり、ペットボトルや缶を集めるためにゴミ箱を漁って回っているひとがいたり(これは本当にたくさんいる)。日本人もみかけた。けど、中国人や韓国人の20分の1程度という印象。ちなみにポツダム会議が行われた宮殿では日本人観光客が2組もいた。