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◯風を待たずに-村上慧、牛嶋均、坂口恭平の実践-

会場:熊本市現代美術館 ギャラリーⅢ
開催期間:2017年8月30日~2017年11月12日(火曜休館。ただし日祝日は開館し、翌日休館)
時間:午前10時から午後8時 (展覧会入場は午後7時30分まで)
※余震の状況によりましては変更する場合があります
URL:http://www.camk.or.jp/event/schedule/index.html#g3_vol118
本展では、自作した家を背負って歩いている村上慧の《移住を生活する》や、廃棄された遊具を再利用した牛嶋均の作品、それに当館所蔵の坂口恭平によるモバイルハウス《坂口自邸》など、私たちが生きる状況について思考し続けている3人の作家の実践を紹介します。

<ナイトトーク>村上慧と牛嶋均
日時:9月1日(金)18:00-19:30
会場:熊本市現代美術館 ホームギャラリー

 

◯TERATOTERA祭り2017

 

 

TERATOTERA祭りに参加します。僕は三鷹駅南口出てすぐのデッキ上で展示しています。

開催概要 

日程:2017(平成29)年11月10日(金)11日(土)、12日(日)11:00〜19:00

会場:JR三鷹駅北口周辺施設、空店舗など(会場は全て三鷹駅から1分~5分の範囲です)
参加費:無料
アート展示:有賀慎吾、うらあやか、江上賢一郎、off-Nibroll、中崎透、二藤建人、村上慧、
山城知佳子、山本篤、和田昌宏
ライブパフォーマンス:切腹ピストルズ主催:東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
一般社団法人Ongoing
協力:HYM(ハモニカ横丁ミタカ)、UR都市機構(独立行政法人都市再生機構)、
株式会社 まちづくり三鷹、ほか

トークイベント「政治と芸術」
Neo-poriticalについて考える、締めくくりのトークショー
今回の展覧会の参加アーティストが登壇し、「政治と芸術」をテーマに今の政治状況における自身の生活や活動について語り合います。

開催日時 11月12日(日) 19:30-21:00
会場:三鷹中央ビル2階(三鷹市下連雀3-28-20)
参加費:無料

 

◯未来美展

 

 

 

チラシ表
チラシ裏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯個展「労働をつかむ」

会場:馬喰町 ART+EAT(〒101-0031 千代田区東神田1-2-11 アガタ竹澤ビル202)
開催期間:2017年9月5日~2017年10月7日
時間:火水木12:00~19:00 金土12:00~21:00 日月祝休み
URL:http://www.art-eat.com

<トークイべント>
「労働と体・広告・オリンピック」
9 月 5 日(火)19:30~20:30(開場 18:30)
出演:今福龍太(文化人類学者・批評家)×村上慧
参加費:¥1,500(1オーダーお願いいたします)
定員:50名
※要予約(TEL:03-6413-8049  Mail:info@art-eat.com)
個展オープニングの9月5日には、文化人類学者で批評家の今福龍太さんをお迎えして、「労働と体・広告・オリンピック」というトークイベントを行います。

僕は以前インターネット上の番組で、今福さんの「メディア・スポーツ複合体」としてのオリンピックという話を聞いて衝撃を受けました。テレビ放映に適したものにするためにバレーボールのルールが変わったり、データを得るためにサッカー選手がGPSをつけてプレーしているという話などは、スポーツ選手の身体にメディアや広告が注入されていく恐ろしいイメージを想起させられました。以前から僕はこの「広告」というシステムに代表されるこの資本主義の社会と体の関係についてずっと考えていました。それは、なぜ僕の「移住を生活する」プロジェクトで家をせおって歩いている姿が滑稽に見えるのか、という話にもどこかつながっているようにも思えました。

今福さんの「スポーツの汀」という本のなかで、巨大な未知の海と、僕たちが住む陸地との間にある汀で体を使って行われるのが「サーフィン」であり、それを、巨大な情報の海と、既知の世界との汀で行われる「ネットサーフィン」という言葉で表したのは見事だと書かれていました。そこで思うに「労働」とは、巨大な海としての「資本主義社会」と、陸地としての僕たち一人一人の「生活」との汀で行われるサーフィンのようなものだと考えました。資本主義社会は巨大で底の知れない海だけど、それに対する僕たちは、どうがんばっても一人分の大きさの体しかもっていない。
こういったような話をとっかかりに、僕が最近考えているプロジェクトのアイデアや作品や、今福さんからのお話を通して刺激的な話ができればと思っています。よろしくお願いいたします。

☆オープニングアクト
村上慧による「BAR 現場」 20:30~22:00 トークイベント終了後、作家が腕によりをかけておいしいお酒を作ります。 ぜひ、会場にてご歓談下さいませ。

よろしくお願いします。

 

○Solo exhibition “Labor"
Period: September 5, 2017 – October 7, 2017
Opening hour: Tue, Wed 12:00 ~ 19:00 Fri,Sat 12: 00 ~ 21: 00
Closed Mondays and holidays
Venue: Bakurocho ART + EAT (Agata Takezawa Building 1-2-11 Higashikanda Chiyoda-ku, 101-0031)
URL: http: //www.art-eat.com
 
<Event>
Talk event “Labor, Body, Advertisement, Olympics"
(only in Japanese)
September 5 (Tue) 19: 30 ~ 20: 30 (open 18: 30)
Guest:Ryuta Imafuku (Cultural Anthropologist / Critic) × Satoshi Murakami
Entrance fee: ¥ 1,500 (1 order please)
※Reservations required (TEL: 03-6413-8049 Mail: info@art-eat.com)
☆ Opening Event
“Construction site Bar" by Murakami Satoshi 20:30 ~ 22:00(After the talk event)
 
○Group show “Without waiting for wind -Satoshi Murakami, Hitoshi Ushijima, Kyohei Sakaguchi’s practice-“
 
Venue: Kumamoto City Contemporary Art Gallery Gallery Ⅲ
Period: August 30, 2017 to November 12, 2017 (Closed on Tuesdays, except holidays→closed on next day)
Time: 10 am to 8 pm (entrance until 7:30 pm)
※ It may be changed depending on the situation of Earthquakes
We will introduce the practice of three artists Who continue to think about the situation we live.
<Night Talk> Satoshi Murakami and Hitoshi Ushima
Date and time: Friday, September 1 18:00-19:30
Venue: Kumamoto City Contemporary Art Museum Home Gallery

惨めに帰って来た。敗者だ。ベックのLoserを聴きながら帰って来てしまった。惨めだ。ベルリンの雰囲気に負けた。街に負けた。一人でやるのが、こんなに勇気がいるようなことだとは、よく考えてなかった。人にカメラのそばについて撮影してもらってするのと、一人でカメラを三脚で立てて録画ボタンを押して、するのとでは全然違う。一人でやるのには、マジで勇気がいる。清掃員は、これまで3回くらいやっているけど必ず誰かに撮影してもらっていた。その撮影者の存在が僕を後押ししてくれていた。味方になってくれていたから。これは、結構面白いポイントかもしれない。世の中には、こうやって公共の場所で何かやってそのビデオを作品ぽくする人もたくさんいるんだろうけど、その中の何割が、マジで一人でやった経験があるだろうか。銀河が奥多摩でドラムを叩く様子を一人で撮影してyoutubeにあげまくっていた「Okutamountain」を思いだす。あれを超えるにはまじでこのベルリン(なぜかベルリン)で一線超える必要があるのだ。今回は撮影者はいない。カメラの盗難の危険とかもあるんだけど、まあ1分とかだし(この1分を捻出するのに、何時間もかけてベルリンの街を歩き回ったあげく、結局捻出できなかった。ブコウスキー流にいうと「すべての時間を無駄にしてしまった」)、大丈夫だろう。怪しいやつがカメラに近づいたら中断して追いかければいいだけだ。結果的に、ベルリンのアレクサンダープラッツの周辺を何時間も歩き回ることになった。昨日あんなに汚かった広場は、今日みたらすっかりゴミが片付けられていた。あれを片付けるのは並大抵のことではない。明日こそはやらなくてはいけない。やらないと、もうベルリンでやるチャンスはない。まさか初一人清掃員アンド撮影がベルリンだとは考えたこともないけど、もうやるしかない。どうかできますように。初めてがベルリンとはなかなか面白いかもしれない。こうやって文章を書いていると

会議室に入った途端にちょっと怯んだというか、ぐっと胸に迫ってくるものがあった。この会議で日本に対する降伏が要求されたと同時に、アメリカのトルーマンはこのときすでに、原爆実験の威力に関する報告を受けて降り、この成果をもってすればスターリンに対して優位に立てると思い、このポツダムの地で、その内容をスターリンに伝えたという。それを聞いたスターリンは自国の核開発にますます力を入れることにしたという。冷戦の構図は、このポツダムからすでに始まっていた。まだこの会議から七十年しかたっていない。当時会談に使われた机や、英米ソの国旗や、それぞれの首脳の控え室は当時のまま残っている。まだなにもかも残っている。そんな状態。最近日本では共謀罪の施行が決まり、「国」の存在感が日に日に強まっている。あの戦争のあと、高度経済成長を経て、中産階級がたくさんうまれ、民主主義がうまくいったように見え、グローバル化が進み、割りを食った人たちが不満を爆発させ、世界中でナショナリズムが台頭しはじめた。EUが生まれ、EUから脱退する国が生まれた。この間で七十年。まだポツダム会談で使われた机や調度品、控え室は、今だに当時のまま残っている。目まぐるしすぎる。短期間であまりにも色々起こりすぎていていったい何がどうなっているのか。

昨日はリベスキンドが設計したベルリンのユダヤ博物館も見学してきた。このポツダムの宮殿のほうは、日本語ガイドに沿って宮殿内をまわって、1時間半程度だった。さすがユダヤ博物館のほうは、こっちも日本語ガイドがあったけど、全部まわるのに4時間かかった。ぜんぶちゃんと見ようとしたら1日では見切れない。ユダヤに関する展示は、さすがにものすごく力が入っていて、僕は北海道博物館でみたアイヌの展示と比べてしまったけど、比べ物にならない量だった。ユダヤの人々一人一人の物語にフォーカスする部分がたくさんあって単純にユダヤという総称でくくられるのを、注意深く避けて展示しているように見えた。ショックだったのは、ヒトラーが、第一次大戦の時に活躍して戦死したユダヤの兵士たちの墓からネームプレートを剥ぎ取る政策もおこなっていたということ。ユダヤ人に対する、肯定的な気持ちを抹消するために。信じられないけどこれもわずか七十年前の話だ。ベルリン市内には壁がたっていたラインがわかるように道路上に残っていたり、空爆で破壊された西ドイツの教会が遺構として残されていたり、こういう力の入った博物館があったり、いろいろなところで歴史の動脈を感じることができる。僕が泊まっているポツダムのホステルのキッチンスペースにも、毛沢東とレーニンとスターリンとマルクスなんかが「Welcome to the party」の文字とともに描かれたアイロニカルなポスターがあったりする。このへんの、過去に対する自覚が、いたるところに張り巡らされていて、湯浅さんとも、このあいだ久々に話して、彼女はもともとそういう色々な話をするのが好きなことは知っているけど、原発とか移民とかの話が自然にでてきて、こういう話は日常的にしているのだろうなと思った。

さて昨日いったアレクサンダープラッツ(ベルリンの最も中心らしい)の広場はゴミが落ちまくっていて大変汚かった。清掃員の映像は、アレクサンダープラッツ周辺と、ベルリン芸術大学周辺で撮るのが良さそう。今日はまたこれからベルリン市街に行ってぷらぷらしてこようと思う。一応撮影できるようにひとしきり持っていこうか。

コーラが飲みたくなる。気候のせいなのか。町の雰囲気のせいなのか。

相手が誰であれ、僕以外の人とのその場だけのコミュニケーションのために、僕が長い間ずっと考えてきた制作に関する動機やモチベーションが阻害されるようなことがあってはならない。言語の問題とか、その時の気分の問題とか、そんなのは関係ない。僕は僕がやるべきなのは何か、それだけを考えるべきだ。誰に何と言われようと。

ポツダムのホステルのキッチンで窓から外を見てたら「良い天気か?」と聞かれたので「良い天気だ」と言ったら「天国が微笑んでいるHeaven is smiling」と言った。初老の男性。

いまはSバーンという電車にのって、ポツダム駅からアレクサンダープラッツ駅に向かっている。電車は結構な森の中を走っている。ベルリンという年のど真ん中から電車で20分でこんな森が広がっているところがあるのが、まずびっくり。東京はそこまでも建物が続いている。規模としてはやっぱり圧倒的だ。圧倒的に集中しすぎだ。昨日湯浅さんが話していたけど、ドイツは国会はベルリンにあるけど、ベルリンは産業の中心地ではないらしい。ミュンヘンとか、ケルンとか、国内の色々なところに役割が分散していて、しかもどの都市も「ドイツの他の都市がダメになっても、うちは大丈夫」と思っていて自立心が強いらしい。日本は東京が潰れたもうダメでしょ。と言っていた。彼女はいまこっちの大学で、よくわからないが建築で持続可能なものを志向する勉強をしているらしく、修士課程を取得中。日本人の留学生は全然いないと言っていた。韓国人の留学生はたくさんいる。中国からも。日本人も何人かいるが、日本人同士でつるむのをなぜか嫌がる傾向があるらしい。中国や韓国からの留学生は、お互いにめちゃくちゃ助け合っていると言っていた。日本人は、あんな小さな国でも、あの囲いの中でしか生きられない民族なんだから、あそこでしか住めないのに、なんで原発を動かそうとするのかわからない。と。なんの反論もできない。

このSバーンに乗るまでの過程を思い返して書いてみる。なんだかんだ、ゆっくりパソコンを開く時間が取れなかった。18時間のバス移動は疲れすぎた。ストックホルムから18時間かけて、途中に1時間程度のフェリーも挟んで、ベルリンのセントラルバスステーションというところに、昨日朝8時についた。湯浅さんと10時にベルリン中央駅に待ち合わせをしていた。僕はてっきり、バスステーションに両替できる店があると思い、日本円をユーロに両替せずに来た。これが大間違いだった。バスから降りてまずはトイレにいこうと思ったらトイレの利用に0.5ユーロ必要だった。ユーロは1セントも持ってない。じゃあ両替だと思い、バスステーションのインフォメーションセンターで両替店はどこかと聞いたら「ここにはない。キャッシュポイントを使え」と言われた。衝撃を受けつつキャッシュポイントって何だと考えたらおそらくキャッシングの機械のことで、試しに僕のクレジットカードを入れてみたら「このカードにその機能がありません」と表示された。これはまずいかもしれないと思いはじめた。トイレに行きたいのがそのまずさに拍車をかけた。とりあえずベルリン中央駅までいければなんとかなると思い、 Uバーンという地下鉄に乗ろうとして、券売機できっぷを買おうとクレジットカードをいれたら、僕のカードはICチップがないタイプのカードで、使えなかった。いよいよ身動きが取れなくなった。旅行をなめていた。緊急事態っぽいので、無料で使えるWi-Fiスポットを頑張って探しだし、湯浅さんに「ユーロがなくて身動きがとれない」とメールをした。そしたら30分後くらいに、湯浅さんがバスステーションまで来てくれた。実に6年ぶりの再会。お金を借りて地下鉄に乗り、ベルリン芸大がある駅まで行き、そこで日本円からユーロに両替することができた。

ベルリン芸大の学食で一緒にご飯を食べ、先述したような話をし、掃除道具を買うならどこがいいかという相談をした。ベルリン芸大の学食は、公道沿いに普通にレストランみたいに建っている。

と、こんなん書いてたら突然電車内で吹奏楽が。4,5人の演奏隊がなんかきいたことのある曲を歌いながら演奏している。自由だ。湯浅さんも言ってたけど、なんか、振る舞いが自由だ。みんなの。街をあるいてると、よく合唱が聞こえてくるし、こうやって演奏も始まるし、電車に自転車が普通に乗れるし、平日なのか休日なのか町を見ても全然わからないし。ビールは安いし。

掃除道具は、ホームセンターがいいと言われたので、ホームセンターがいくつかまとまっているという駅を教えてもらい、そこでおりていくつか買った。安い。100円ショップみたいな値段だ。

買い物をして、ホステルを予約してあるポツダム駅まで来て、近くのスーパーでご飯をすこし買いためて、昨日は早い時間に寝た。

500cc120円くらい。確かに安いと思って袋から瓶を出してよく見たら、ALKOHOLFREIES PILSENERと書いてあった。またやってしまった。

去年スウェーデンでも同じミスを犯した。日本のビールみたいにわかりやすく大きく0.0%と書いてあるわけではないのでよく見ないとアルコールゼロのビールを普通に間違えて買っちゃう。現地の人は間違えないのか?

ベルリンはとても住みやすそうなところだと、来た初日にして思ってしまった。ドイツ語が日常会話程度でできれば、けっこう天国みたいなところだと思う。物価もそんなに高いわけではないし。何よりビールが安い。色々な種類の人たちがいて雑多で落ち着くけど整っている。

ヨーロッパ中を長距離バスで結んでいるFlixbusというバスに乗って、ストックホルムからベルリンに向かって移動している。所要時間が史上最長の18時間。こんなに長い時間バスに乗ったことはない。先日の成田からストックホルムまでの飛行機よりも長い。高速道路を走っている。それにしても、バーガーキングはどこにでもあるな。59ユーロ。だいたい7000円くらいで、18時間かけてストックホルムからベルリンに行ける。

Pressbyranというコンビニでパンとサンドイッチみたいなやつと水(買ってから炭酸入りだと気がついた)を買ってバスに乗り込んだ。ストックホルム中央駅には、電車の駅に併設してバスの駅がある。バスタ新宿みたいに、バスが乗り付けるプラットフォームがたくさんあって、何時にどこ行きが出るかが大きなディスプレイに表示されている。

1日が早い。もうこっちに来てから3日目とは。このまま何が起こってるのか全然わからないうちに死ぬ。何が起こってるかわからんうちに40日間のヨーロッパ滞在が終わって。どうせ何が起こってるのかわからんのだったら、さっさと作品をぼんぼん撮影してしまった方が良いだろう。でも、なんだろう日本で撮影するときとは全然違う種類の緊張が。白人に対してコンプレックスを持っているからなのか、街にいる市民たちの、リテラシーというか寛容さが計り難いからなのか。わからないけど。でもここで立ち止まるというかひるむのは本末転倒もいいところだ。そういうものの物差しになるべく、僕はこの作品をやるんだから。物差しをおくことをびびってたら”それ”をはかることは永遠にできないだろう。はかってから、あれこれ言うべきであって、ものさしは”置かれなくてはいけない”だろう。常に。どんな場合でも。

スウェーデンは一つの商品の単価は高い(この炭酸水は普通のペットボトルサイズで300円くらいする)けど、なぜか、二つで~円とか、~と組み合わせれば~円、みたいな抱き合わせが店内の色々な張り紙を通して推奨されまくっていて、実際その値引き率がかなり高い。一本25SEKする飲み物が、2つ買うと35SEKになったりする。これはいったいどういう精神状態なのか。

ベルリンというか正確にはベルリンに近いコットブスという街には、僕の大学の同期で、三年生のときに二人で組んで設計課題に取り掛かったが、二人とも我が強いので途中で分裂した相手であり、メールでは度々連絡を取り合っていたけど会うのは大学卒業して以来初めての湯浅さんが住んでいる。よくわからないけど建築の勉強をしているらしい。もう数年ドイツにいる。僕が到着する明日の朝9時半にベルリンに来てくれるらしいのですごくすごく楽しみだ。しかし、窓の外の景色がずっと平らだ。人工的な森がひたすら永遠に遠くまで続いている。妖怪とかがいなさそうだ。日本の会津の山みたいな深くてこわい山はこの国にはあるのか?よくもここまで耕したもんだ。もともとこんな平らだとは到底考えられない。でも去年聞いた話では、スウェーデンは北に行くと自然が厳しくなって行くというから、いま南に向かっている以上ここから山がけわしくなって行くことはないんだろう。長旅だ。18時間の移動が、どんな影響を与えるのか全然想像がつかない。飛行機みたいに超高速ではないので、時差ボケするとかそういうことはないけど。そういえば、到着した日に空港で寝て、翌日は早かったけどホステルで寝て、からだはあんまり疲れていないような気がする。時差ボケもいまのところ感じない。いま日本は21時半か。こっちは真昼間。そういえば事前に予想していたほど寒くない。半袖でも全然大丈夫。夜はちょっと半袖では肌寒いかもしれないけど。空の色も、日本のそれとは質が違くて、青みが薄い。

今、菜の花らしき黄色い花が一面に咲いている畑を通過した。綺麗だったけど、人工物感を強く感じてしまった。こんなこと言ってしまうと怒られそうだが、要するにただ黄色いだけで、その”平さ”は他の景色と完全に一緒だ。この”平らな自然の所在のない感じ”、前にどこかで見たことあると思ったら、フラワーパークだ。日本のいくつかのフラワーパークに行ったことがあるけど、それはとても綺麗なんだけど、なんというか所在がない。平らすぎて。心が落ち着かない。あのフラワーパークの方向性は、このヨーロッパ的な自然開発の方向性と同じだったか。今気がついた。

前の席で、小さい女の子の子供。ムスリムのお母さんが隣にすわってるんだけど、その子供が泣いている。この子がどこまでいくのかわからないけど(このバスはベルリンが終着で、途中にコペンハーゲンとかいくつか停車地がある)、もしベルリンだったら18時間バスに乗ってるのは子供にはきついだろう。そんで、親も好きでバスに乗せているわけではないのだろう。人様の事情を勝手に読み取ってしまうのはよくないけれど、色々見て取れる。ちなみに僕の隣には、3.5%の缶ビール(たぶん、スーパーでかったやつ。スウェーデンでは3.5%までのアルコールはスーパーで買える)をもった、右腕にタトゥーがある青年が座っている。後ろにはその仲間っぽい人もいる。その騒がしいのを嫌がって、前の席に移動してしまった女性もいる。高速バスはいつも多様性にあふれている。日本でも。ヨーロッパでも。さすがEU。国境をいくつかまたぐのに、一本の高速バスでいけるのは素晴らしい。