「もっと今を、この場を楽しまなくちゃ」というような強迫観念に近いものにとらわれてる人。今を楽しむってのは素敵な事だと思うけれど、意識的に今を楽しもうとめちゃくちゃ頑張っているのをみるのは辛い。インスタグラムやフェイスブックをみてたまに思うことと近い。

道の駅岩城/秋田県由利本荘市岩城内道川字新鶴潟

  
土地

 
床下

  
間取り

時間が溶け出している。秋美の学生が集まるアラヤイチノに滞在して、毎晩のように学生たちと宴会をしてた。学生たちは各々に黒いモノを心に抱えていた。これが美大かと思った。

アラヤイチノは、昼間は誰もいないことが多い。夕方になると学生がだんだん集まって来る。最近は毎日来ているという学生の振本君は、毎日「これから来るかもしれない不特定多数の学生」のために晩ご飯をつくっている(もちろん他の学生たちも一緒にやっているのだけど)。 僕がいるあいだは鍋、鶏肉のトマト煮、ポトフをつくってた。そして集まった人から200円とか300円とか材料費を徴収する。そうやって毎晩のように宴会が行われてる。振本君は毎日ものすごい労働をして いる。自分も食べたい「晩ご飯」をつくることを通してやっていることがすごい。この家を借りた藤浩志さんもすごいけど、振本君も欠かせない。

道の駅岩城にある温泉「港の湯」の脱衣所で、やたらお金の事を気にする小学生くらいの男の子をみた。彼は父親と
「ここの食堂の○○はいくらだっけ?高いな〜。二人で千円越すじゃん」
などと話していた。その後食堂に行ったら彼の母親も一緒になっていた。彼と父親は食券機のところで僕の後ろに並んでいた
「もうさ、白ご飯3つとみそ汁1つでよくない?そしたら380円ですむし」
と言ってた。僕は550円のカツ丼のボタンを押すのを一瞬ためらってしまった。でも、お金はもっと大きなところでめぐっているのだ。と自分に言い聞かせてボタンを押した。

家の絵をホワイトボードに描くことにする。データなら重くないしかさばらない。絵がたまるごとにどこかに送る必要もない

  


「そんなもん持ち込んじゃダメだろ。営業時間始まってるんだよ。そんなもの持ち込まれたら、景観が壊れる。失せろ失せろ!」
と怒られながら道の駅を出発。景観が壊れるとはどういうことだ。
23キロ南下して、友達からの紹介で秋田市新屋にある秋田公立美術大学に突入。アラヤイチノと呼 ばれている滞在施設(秋美学生のたまり場でもある)に家を置かせてもらった。夜は学生も交えて、 教授の藤浩志さんが鍋パーティーを開いてくれた。 藤さんは日本のあちこちに家を借りていて、それぞれが土地の交流場所になっていると言ってた。み んなのいえ。このアラヤイチノも藤さんが借りてる。こういう場所があるのとないので全然違う。学 生にとっても、たぶん町にとっても。 夜遅くなってから町の町会長も来て宴会にまざっていた。ギターをひきながらOASISを熱唱してる 僕たちを、町会長はめっちゃ暖かい目で見守っていた。「まちにこういう場所があるのをどう思いま すか」と聞いたら「ひやひやする」と笑ってた。

   
土地

 
床下

イスとテーブルが足りない。道路がおおすぎる。通り道ばっかりがある。通り道以外のところはだいたいお金がかかる。なので通りすぎる しかない。本当どうかしてる。今日は家は移動させずに、絵を描いたり散歩したり。秋の秋田は全体的にススキ色でうら寂しい風景なんだけど、西 日になってくると驚くほど鮮やかな色合いの風景に変わる。でもその鮮やかな風景もすぐに終わる。4時半にはほとんど夜と呼べるくらいの暗さになる。
家を置いたところはあまり人も通らないので、家のなかで絵を描いたりぼーっとしたり、ゆっくりできた。
この敷地はよくトンボが飛んで来る。家にいると、発泡スチロールの壁をすかした向こうに影が見える。まわりにもアキアカネがたくさん飛んでる。あとハチもよくくる。ミツバチが2 回、ジガバチ(だと思うんだけど、お腹が赤くない)が1回家の中に入ってきた。

夜には東京から写真家の紋ちゃんが写真を撮りに来た。その紋ちゃんも一緒に、道の駅の職員さんに誘われて近くの居酒屋に飲みにいった。この駅はもともと花の種苗センターだったのを道の駅として営業しているらしい。今週末にはシクラメンのフェア、その次にはポインセチアの大きなタワ ーがつくられるらしい。インターネットで「ブルーメッセあきた ポインセチア」と検索すると見事なタワーの写真がいっぱいでてくる。

雨の時に歩いてると、何故かいつも左の靴のつま先の上から濡れ始める。前に履いてた靴もそうだった。左からすぐビショビショになる。足の動かし方が左右で微妙に違うのだと思う。目で観察しても全然わからないけど。

 今日は歩くのやめようと思ってたけど昼過ぎから天気が回復してきたので歩くことにした。秋の秋田は奇麗だ。

 

 車修理屋の駐車場から南に向かって6キロくらい歩いたとこにある道の駅に突入。道の駅は久々。この生活の一番の現場はどこかというと、土地を交渉しているところだった。

今回のお風呂場「田屋の湯」が素晴らしかった。寝室から徒歩15分くらい。グーグルで調べて行ったけど看板とかは特に出てなくて、普通の家かと思ったけど窓の隙間からそこが銭湯であることを確信して入った。小さな銭湯だけど温泉で、底が見えないくらい真っ黒いお湯。

  
土地
  
間取り

  
床下

レシートと紙幣はどっちも同じようなもんだけど、レシートと違ってお金の最高なところは、お金はいつもは軽いけど、必要になったときだけ重い物と交換できることだ。食べ物や飲み物は、お腹が減ってなくても喉がかわいてなくても、いつも重い。喉が渇いてないときに3本も4本も満タンのペットボトルを持っていると嫌になる。その点、お金は重さを変える事が出来る。

今日も歩いた。雨が降っている。昼過ぎからは風がつよくなるという予報もでてた。

まずは森岳温泉ゆうぱるから、芸術家の加藤國男さんの住む家に行った。加藤夫妻は今日から泊まりで秋田に行く用事があるらしく、去年みたいに泊まることはできないけど色々と話を聞かせてくれた。家に入ってまず加藤さんは

「今の時期はこれだ」

と行って、室内に何十個も干してある干し柿を指した。干した日数によってヒモを色分けしてある。湿度35~40%で数日干したあと(太陽にあてて干すのと、室内に入れて干すのを繰り返すらしい)、最後だけ湿度60%のところで干すことで干し柿が白い粉(甘い)をふく。それで完成。ワイン漬けや焼酎漬けの干し柿も作ってる。1年で1000個以上つくるらしい。干し柿は、軒先にぶら下がったままになってるのはよく見るけど、こんな日付ごとに色分けして湿度管理までしてる家は初めてみた。加藤さんはなんでも本気でやる。


 あと最近「美人画」を始めたらしい。あと味噌漬け。「やってみると面白いなー」と言ってた。加藤さんはよく「面白いなー」という。お酒や句やステンドグラスや彫刻も相変わらずやってる。


  

そのあとは五城目・井川町のほうに向かった。今日は歩きながらラジオを聞いていたら、渋谷の本屋さんの選書コーナーが「偏っている」といういちゃもんをつけられたというニュースが流れてきた。あと自民党がメディアに対して「公平中立」を求める口出しを平気でするようになってきたということも言ってた。メディアに中立を求めるのは「アートわからない」みたいな態度に似ている。あと「政治は私には関係ない」みたいな態度にも。

 

去年お世話になった井川町の人と連絡がとれず、とりあえずその人の勤め先の車修理屋に突入した。人はいたけど、今日は事務所は休みらしく、その人も連絡をとってくれたけど何かで忙しくて今は対応できないらしい。強い風と雨のうえ、まだ4時半なのにもう真っ暗だったのでとりあえずそこに家を置かせてもらうことにして、僕は秋田駅あたりまで行って漫画喫茶に泊まることにした。

風のなか、家を建物に固定する作業をしてたらタオルが駐車場に飛んでいって、そのまま忘れてきてしまった。大変に悔いている。今頃雨で水浸し、下手したら車や人に踏まれてドロドロになってるかもしれない。タオルさんに本当に申し訳ない。
  
土地
 
床下

この日記は僕が生きてる限りは更新されるだろうけど、死んだらとまる。

今日は2回くらい、冬の風を感じて寒いなと思った。それよりもはるかにたくさん、陽射しを感じてあったかいなと思った。

 

久々に家を動かした。絵本の入校日が近づいてたり、奈良で展示があったりで、ここ1ヶ月くらい「歩いて描く」という通常運転をしていなかった。8日に能代に戻ってきてから「夢工房咲く咲く」をスタジオみたいに使われてもらって、ずっと籠って制作してたおかげでちょっと一段落できた。11日には東京から編集者とカメラマンがきて、そのときは「咲く咲く」を会議室みたいに使わせてもらった。

「夢工房咲く咲く」は通常のカフェとしての営業に加えて、先生を招いた英会話教室やデコパージュ(ナプキンなどに描かれた模様を切り抜いて石けんやコップなどに貼って装飾するやつ)教室や陶芸教室など色々な講座を開いていて、毎週日曜には駐車場で朝市をやってて、野菜なんかが売り買いされてる。ちょっと一人(+α)でまわしてるお店とは思えない。オーナーの能登さんは咲く咲くでの活動に加えて、つい先日坂田明・ジムオルーク・スガダイロー・山本達久の4人を能代のホールに呼んでのライブを企画してたりもする。起喜来のわいちさんとはまた違ったタイプの「公共の人」だと思った。平山はかり店の平山さんと合わせて能代の文化を担っている。

その二人と別れて、森岳温泉の銭湯「ゆうぱる」に向かった。17キロくらい。ラジオをつけたりとめたりして、瞬間と永遠のバランスを保ちながら歩いた。ラジオをつけると、イタリアでオリーブの品質偽装があったというニュースや、国内初のジェット機MRJが飛んだというニュースや、大麻をすった小学生の兄が逮捕されたというニュースがながれてきたりする。ラジオをとめると自分の足音や、歩くリズムにあわせて家が軋む音が聞こえてくる。ラジオをつけていたときは小さくまとまっていたからだがすこしずつ解放されていって、すこやかな気持ちになる。

昔から、何か面白いことを考えついたりするのはいつも歩いてるときだった。高校生のときは毎日夜に散歩することで、からだが解放されるのを発見できたのが救いだった。

 

 

森岳温泉はとてもしょっぱい温泉。これまでいくつも温泉にはいってきたけど、これ以上しょっぱい温泉は知らない。「ゆうぱる」には去年も世話になってる。ここの館長が近くに住んでる芸術家の加藤國男さん(ステンドグラスなんかを作ってる人)を紹介してくれた。

ゆうぱるの加藤さんコーナー。絵も書(木彫)もステンドグラスも全部加藤國男作
今日はたまたま三種町の人たちが集まっていて、大広間で宴会をやってた。僕は近くで絵を描くなどしてたんだけど、館長さんがこれまで3人に心臓マッサージを施して、2人は救った話なんかが聞こえてきた。「口からお湯吹けば大丈夫」「1人は助けられなかった。たまたま他に客がいなくて、発見した時には浴槽に浮いてた。」みたいな話が聞こえてくる。

 

夜は大広間で寝ると良いといわれた。こういうとき、外の自分の家で寝た方がおちつくと言っても信じてもらえない。特に東北では。みんな「寒いでしょ」と言ってくれる。やさしい。なので最近はもうあまり言わない。流れにまかせる。

なので大広間に寝袋をしいたのだけど、寝袋は買ったばっかりのモンベルの♯1の900で、完全に寒冷地しようなので室内ではむしろ暑くてなかなか寝つけない。なので窓を開けて外のデッキに寝袋をしいて寝た。それでもTシャツ1枚になるくらいでちょうどいい。そしたら寝れた。

 

翌朝、館長さんに「探したよー。拉致されたかと思ったよ。北朝鮮に。」と言われた。

土地

  
床下

銭湯が人情の場所になっていた、みたいな見方は「あとから見いだされたもの」。昔はただ必要だったから銭湯があって、それが生まれた結果(あとから考えると)人情の場所としても機能していたっていうことなんだろうけど、だからといって人情の場所としての銭湯を復活させようみたいな言い方は、むしろ銭湯の可能性を狭めてしまう。僕はこの発泡スチロールの家での生活においては銭湯が家の風呂みたいなもんだから行くし、ただなんとなく銭湯に行きたいから行く。なんとなく広い風呂が好きだから行く。

でもこの「あとから見いだされたもの」問題は結構厄介で、気をつけないとすぐ足をとられる。基本的に「伝統を守ろう」みたいな思考の仕方はこれにはまっている。「伝統を守ろう」と聞いたときに僕たちは、当の伝統ではなくて「伝統を守ろうとしている人たち」のことを見ている。この時代にチューブの絵の具を使うのではなく、泥を使って描いたり、顔料を溶いて描いたりする人をみるときに、「絵」そのものより「描いてる人のふるまい」を見ちゃう。どうしても。

この問題は本当によく考えないと、あっという間にやられちゃう。ここにこういう事を書くことだって「あとから見いだされたもの」に過ぎないかもしれない。あぶない。

 

最初の気持ちを何度でも思い出して、今の自分に投影する。どちらを目指すのか、指針をさだめる。目的地は定めない。自分で自分に問いかけて、自分で答える。これでいいか、まだか、自分で反省し、自分で褒め、自分の背中を押す。一人で賑やかな街になり、一人で静かな森になる。山にも海にも空にもなる。一人で。深海に潜る。みんなの足場がある深いところまで潜る。すこしずつ無理をして、すこしずつ深く潜る。

 

ツイッターを凍結した。しばらく情報源を絞る。

今井町で持ち寄り鍋をやっているときに気がついた。ダシとわずかな塩と醤油だけで長時間鍋をやっていると、薄味ながらも、素材の味が効いたとても深い味わいの鍋ができてくる。そんな味ばっかり1日中味わっていると、だんだん時代の感覚が昔に戻っていくような感じがする。

そんな鍋を食べている最中に、コアラのマーチとかコンビニで売ってるような餃子とかを食べると、味が強すぎて、その場からとても浮いてみえる。食べ物と言うよりは、工業製品を食べているような気がする。それはたしかに美味しいけど、その美味しさは口だけで終わる。鍋のように、からだにしみ込んでいくような美味しさじゃない。とても強くて癖になるけど、とても表面的な美味しさ。

情報も同じだと思う。ツイッターやフェイスブックなんか見てると、その場ではとても気になる情報がたくさん流れて来る。バイラルメディアなんかその典型だと思う。その場では気になって見る、その場では笑ったり、泣いたり、ちょっとした感動ができちゃったりする。でもその場だけで終わる。絶対に1年後には覚えていない。「泣ける」とか「笑える」とか、大事な言葉が短絡的に使われていて、本当にクソみたいな現象だと思う。表面的な情報をいったん絞る。情報は現実の景色よりもインターネットの方にたくさんあるという錯覚をもう一度確認しないといけない。いまここにいる虫、草、景色、からだの動き、思考から、ダシの効いた鍋のような、からだに染み渡る情報をひきだす訓練をしなければいけない。

体調の良し悪しは、思っている以上に食事が原因になっている事が多い。今日は夜になったら、なんかいてもたってもいられなくなって、歩いて30分のところにあるスーパー銭湯に行ってみたら体重が少し落ちてた。ちゃんと食べてなかったことが原因だったらしい。このところずっと絵を描いたり文章を書いたりで滞在場所に引きこもっている。今井町は、短期で滞在するのにはちょっと息苦しくて居心地が悪い。こもって制作するのには向いてるかもしれないけど。

スーパー銭湯のあとでもまだなにか我慢できなくて、とにかく今日は外食するぞと思って、近くの夢庵てところに初めて入ってみた。メニューを見ると、明らかに美味しそうに見えるものとそうじゃないものがある。何が美味しそうに見えるかで、このからだに何の栄養素が不足しているかがわかる。

人になにかを伝えるためにつくるっていうのは、深海から海面近くに上がっていく感じに似ている。いま僕は絵本をつくっていることで、深海の生き物を、海上に出しても死なないようにする作業をしている。

深海に潜っていくと、みんなの足場がある。多くの人は海面の上でしかコミュニケーションをしない。深海に足場があることを知らない。海面の上でお互いが別れているようにみえていて、みんなそれしか信じていない。下にいくからには中途半端はいけない。みんなの足場がある深いところまでいかないといけない。

地球が何十億年とかけてつくってきたこの土、空気、海を放射能が一瞬でダメにする。それなのに僕たちは「かなしい」とか「かなしくない」とか、産業がどうとか、快適な暮らしとか、どうでもいいくだらないことばっかり話題にしている。こんなに他の生物に迷惑ばっかりかける生き物は本当にいなくなった方がいいかもしれない。荒川さんに会いたい。

岸井さんの「始末をかく」のなかで、川沿いを歩いてたら突然道端でにおいをかがれたときのゾクッとする感覚が未だにからだに残っている。あの時からだに感じた「落差」が、そのまま横浜の土地の高低差や立地によるヒエラルキーっていう落差と、いまなら通じる。

過去に外部からきた人間に嫌な思いをさせられたせいで、外から来た全員に対し て同じように排他的に振る舞ってしまうのかもしれないけれど、それでもそれは ダメだ。ビジターに対して排他的にふるまうことは、絶対にどこかで自分の首を しめることになる。なにが自分や町にとって結果的なプラスになるかわからない 以上、他者を最初から排するのはだめだ。大津の教会の神父さんはキリスト教批 判の勉強会をしていた。それを忘れたくない。もちろん最初から相手にするべき じゃない人もいる。特にネット上に。
アートで空き家活用とか、まちおこしとか、そういう名目が見え隠れするような ものはやっぱり違和感があるけど参加した以上は、楽しかったと思えるものにしたいのであれこれ考えているけど。敷居が低すぎるどころか、グランドレベルよりも 下みたいなとこで展示している感じがする。土足でずかずかとあがられてきてる 感じが、なんだかつらい。設営中ドアのところに「アートイベントの設営をして います。ご迷惑おかけしてます」と書かれていて、こっちとしては、呼ばれてや っているわけだけど「迷惑かけてもうしわけありません」と書かれている。この現象はなんだ。