「『気の向くままだね』とか『自由だねえ』とか言われるの嫌なんですよ」
って言ったら水野さんは
「嫌だよな。それくらいわかる」
って言ってくれた。気ままだねえとか言われると、見てる景色が違うんだなあと悲しくなる。ていうか気の向くままの「気」ってなんだ。そんなもの存在 しないんじゃないか。「自分の好きな道を選んだんだね」とか言われるのも苦手。収入が安定しないことを心配する人とか「将来どうやって生きていくん だ」とか言う人も全部同じ。なんとでも言ってくださいっていうかそんなねちっこいこと言うくらいならもっとバカにしてくれ。生きる事とか死ぬ事とか 日本に生まれてきたことの意味とか、福知山線の事故や原発事故を起こしてしまった自分の責任とか考えた事あるのかな。自分自身の話なのだ。全部。お よそこの世界で起こる事で自分の責任じゃないことなんて1つもないのだ。考えたことがあるのかな。収入の不安定を心配する人とか、健康を心配する人 とかは、じゃあその「安定した収入で何をするんだ」とか「健康な体になって何するんだ」みたいに「何するんだ」ってところまで考えたことあるのか な。美術が好きだと言える人間で良かった。もう何度も同じようなことは書いてきたけど自戒も込めて書く。何回でも書く。

7時頃に目が覚めた。一緒に泊まってくれた二人はもう起きていて、台風に関するニュースを見てた。ていうか、どの局を見ても台風に関する ニュースばっかりやってる。今回の台風はかなり危ないヤツらしい。どの局も沖縄とか九州とか四国のリポーターがマイクを持って嵐の中
「すごい風です!立ってるのがやっとです!」
って大声でリポートしてるのを流してる。そんな危ないことしなくていいのにって思ったけど、よく考えたら彼らはテレビの前の視聴者のかわ りに嵐を体験しているのだ。それは必要なことかもしれない。とか思いながら
「大丈夫ですかねえ」
って心配してたら町の人が
「でも富山は立山っていう山が守ってくれてっから。昔から台風の被害は酷くねえんだ」
と誇らしげに話してくれたのがとても良かった。こっちまで嬉しくなった。外は風がなくて空気が冷たくて不気味だ。嵐の前の静けさっていう 雰囲気。でも天気予報をみたら、お昼過ぎまでは風も雨も大丈夫そうだったので早いうちに出発することにした。宴会の残りものとかお菓子と かコンビニおにぎりとかをたくさんもらった。結構重いけど、人からの差し入れの重さは耐えられる。自分で買った物が重いのと、人からもら った物の重さは全然違う。その重さもエネルギーになるというか。

途中雨が降ったりやんだりしたけど風がないおかげでどんどん歩けた。なんとなく気持ちが焦って、休憩を取る時間がもったいなくて4時間半 くらいノンストップで歩いてしまった。途中、からだが2~3個にちぎられたタヌキの死体がバイパスの歩道に転がってるのを見つける。かなりきつい。ハ エもたかってる。自分と同じほ乳類が路上で死んでるのをみるのは虫とか鳥が死んでるのをみるよりきつい。
「そろそろ歩くの限界だなー」と思いはじめたころに、風が出てきた。そんなに強くないけど、風向きが不安定で不気味な風。明らかに台風の風。やばいやばいって思ってたらちょうど近くに道の駅があったのでそこに避難した。もうこれ以上歩けないので、事務所に行って
「家置かせてください」
って敷地の交渉をしてみたら、事務所のおじさんはニヤッと笑って面白がってくれた。そんで
「ここは24時間あいてっから。あんたの家、外は危ねえから中に入れな」
と言ってくれた。
「あんたの他にも2、3人おるわ。もう3日くらいここで寝泊まりしてる人もおる。」
らしい。たしかに他にも「日本一周」って大きく書かれたバックパックのそばで寝袋で寝てる人がいた。結構年上の男性。

外はあっという間に嵐になっている。ものすごい風が吹き荒れてる。危なかった。そんな風の中、僕はもう服が無いので近くのコインランドリーを探して行っ て、洗濯したあと道の駅のそばに温泉があったので入ってきた。休憩スペースに漫画がおいてあって、風呂上がりにアオハライドっていう漫画 を読むなどした。悠里ちゃんって女の子がめちゃかわいい。
そんで道の駅に帰ってきたら、さっきの日本一周の男が、地元のおじちゃんと話してたので輪に入ってみた。日本一周の男はヒッチハイクでま わってるらしく、彼と話してた地元のおじちゃんは昨日彼を車であちこち連れていった人、という関係らしい。日本一周男の方は、道の駅の物 産館で売り子をやってる女の人から電話番号を聞き出そうとしてた。割と気軽にそういうことできるのは旅人の特権かもしれない。おじちゃん の方は道の駅の近所に住んでて、ここでは色んな人と出会えるのでよく来るらしい。道の駅の近所に住むの楽しそう。

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朝起きて外に出てみたら風がなくなってた。昨日まであんなに強かったのに。台風が近づいてるからからかな。不気味だ。
家を置かせてもらったドラッグストアの近くで絵を描いてからお昼前に出発した。歩いて1時間くらいしたあたりで小学生くらいの女の子数 人から
「なにしてるんですかー?ご飯いりませんか?」
と声をかけられた。ここらは下飯野という地区でちょうどお祭りをやっていて、町の皆で公民館の前に集まって宴会をしてるみたい。この 「祭の宴会に呼ばれる」パターンが定期的にあるな。行ってみたら、やっぱりすごい質問攻めにあった。みんな気持ちが高揚しているから 色々聞きたがるし、家にも入りたがる。神輿につけられてたプラスチックの飾りを窓の上に差されりした。あれよあれよという間にうどんと かオードブルとかビールが出てきて
「食べろ食べろ」
と言われた。僕の正面に座っていて水野さんという人が、心から興味を持って親身に話を聞いてくれた。
「神輿の担ぎ手が足りないんだ」
って話をされて
「泊まる敷地があれば、神輿でもなんでも手伝いますよ」
って言ったら
「それはなんとかなる」
みたいになって、僕は神輿を担ぐ事になった。

十数人の男と二人の中学生男子が主な担ぎ手で、その周りを二人の中学生女子とか子供とか町のお偉いさん方がくっついて神輿を担いでまわ る。100軒くらいの家をまわって玄関の前まで神輿を持っていって、家とか車に神輿をぶつけようとしたり、それを家の人が阻止しようと したりする。過去に松の木を折ったりとか家に傷をつけたりとかって例もたくさんあったみたい。僕の話をよく聞いてくれた水野さんが中心 になって盛りあげる役を担ってる感じだ。二人の中学生男子に前を担がせたりとかいろいろ気を回してた。かと思ったら突然いなくなったり 戻ってきたりする。誰かが担がなくなってもと咎める人はいない。でも担ぎ手は思った以上に少なくて大変だった。一番少ない時で8人しか いなかった。前後左右に2本ずつ担ぎ棒がでてるから、8人は最低人数だ。そんな状態だから、ずっと担いでいられない。だから、家の前に 行く時以外は神輿を台車に乗せて運んでた。僕の地元葛飾も浅草も神輿の担ぎ手がいなくて苦労してた。どこも一緒らしい。水野さんは
「『面白くない』って思われちゃうから駄目なんやろうなあ。若い奴らが次も来たくなるような工夫をしていかんと。」
と言ってた。担ぎ手は少ないけど、中学生男子二人が彼女らしき女の子も連れてきたりして良い感じに祭に関わってるのがとても良い。彼ら がいるのといないのとでは祭の雰囲気も全然違うと思う。女の子が男を見て、男がそれに答えるように神輿を担ぐのだ。

夕方全ての家を周り終わってから神輿をしまう前に、公民館に置いてある僕の家の目の前でもワッショイワッショイとやってくれた。そんで また宴会になった。手伝ったことをみんなで感謝してくれた。
「一人の時に家が歩いてんの見ても声かけんわあ。みんなで宴会してる時だったからよかった」
って言ってくれた人がいた。それから案の定、僕をどこに泊まらせるかっていう話になった。
「敷地さえ借りられれば自分の家で寝るから外でも大丈夫です」
って言うと水野さんが
「いや、それはちょっと失礼や。この公民館はだめなんかなあ」
って言う。町会長は
「町の人間が誰か一緒に寝泊まりするなら、公民館に泊まってもらってええよ」
と言う。水野さんは明日朝早くから山登りに行くらしく、公民館に泊まることはできないみたい。自分は居られないけど、村上さんをどうか 頼むって他の人に必死にお願いしてくれた。
「俺はいなくなってしまうから本当に申し訳ないんやけど、神輿を担いでもらって盛り上げてもらった人に『外で寝てください』なんて、町 としてどうなんや。台風も来てるし。そんなことできるか」
みたいなことを、何度も言ってた。他の人から
「水野さんおってくれたらなあ」
って言われると
「それは本当に申し訳ない」
と言ってた。どうしても山に行きたいみたいだ。そこがかっこよかった。
僕はそのやりとりをそばで聞いてた。神輿を手伝ってもらったっていうのは、街全体の問題なんだけど、その人をどこに泊めるかっていう段階になると町の一人一人個人の問題になる。だからややこしいんだと思う。水野さんの 言い分はみんなが同意していて
「じゃあどうするか」
ってのを話し合ってくれた。結果的に、町の人二人が僕と一緒に公民館に泊まってくれ ることになった。嬉しい。

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台風19号で風が強くなってて気温も低い。今回のは本当に気をつけた方がいいみたい。台風は嫌だな。小さい頃は風が強くて楽しいとか思ってけどこの生活で台風に来られるのは心から嫌だ。お昼ごろには谷口家を出発した。別れ際にした握手の手がすごく大きくて厚かった。さすが海の男の手だった。僕が

「手が大きいですね」

って言ったら

「はあ」

って笑ってた。そういえば谷口さんは、自分のマグロ漁船の話を「そんなたいした話じゃないです」って言ってた。僕からしたら滅多に聞けない凄い話なんだけど、本人からしたら違うのだ。自分の経験とずっと一緒に生きていかなくちゃいけないのだから。自分の話が自分にとって新鮮なものじゃないのは当たり前なのだ。そりゃあそうだ。だから新しい人がいるんだ。新しい人とたまに出会って、自分の経験を新鮮に捉えなおさないとつまらなくなっちゃう。たしかフィッシュマンズに「新しい人」って歌があったな。時々新しい人に出会う事は大事だ。

 

歩いてる途中、バイクにのったおじさんに話しかけられていつもの通り説明したら

「ワタリやっとるのか」

って言われた。ワタリっていう単語があるのか。初めて聞いた。ウィキペディアで「渡り」を調べてみると生物が移動する理由は「食料」「繁殖」「気候的要因」の3種類らしい。僕も「気候的要因」っていう理由で、生物が渡りをする理由にちゃんと合致してる。

 

富山市に入ったころから暗くなってきたので、近場で温泉を探した。着いたのが5時くらい。温泉の駐車場を交渉しようと思ったんだけど、入っていきなり交渉するのはなんか気が引けてしまって、お風呂に入ってからにしようと思った。これが間違いだったかもしれない。お風呂からあがって交渉をしてみたら

「社長さんがもう帰っちゃって、わたしでは判断できない」

ということで断られた。もう5時半を過ぎて外はだいぶ暗い。急いでお寺を探した。1軒目も2軒目も留守で、3軒目はどこがお寺なのかわからなかった。もう6時過ぎてて、夜の暗さになっちゃった。こんな時間まで見つからなかったのは埼玉の浦和で田谷さんと一緒に敷地を探したとき以来かも。久々に本気で焦った。半年前だったら焦りすぎて体調が悪くなってたと思うけど今は少し余裕がある。4軒目のお寺でようやく人がいたので交渉してみたら

「いま住職がいなくて、わたしでは判断できないんです。申し訳ないです」

と断られた。今日はそういう日らしい。責任者に出会えない日。

 

もう近くにお寺もなくて他にめぼしい場所も見当たらない。今日は失敗するかもしれない。日が落ちるのがどんどん早くなってて、体がそれに慣れてないのだ。敷地交渉する時間帯をもっと早くしていかないといけないのだ。

仕方がないので、近くの大きなドラッグストアに行ってそこの店長さんに「無理だったら家だけ置かせてもらおう」っていうスタンスで交渉した。

「寝泊まりは無理だけど、家を置くくらいならいいよ。台風近づいてるから気をつけて」

って言ってくれた。

やっぱり。そんで僕は4キロくらい離れたところにある漫画喫茶に泊まることにした。危ないところだったけど、ドラッグストアみたいな場所でも交渉できるってことがわかった。いつか交番とか警察署もいってみたい。へらへらと敷地交渉したい。

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10月12日(日)
大阪読売テレビ(関西ローカル)
23:00から24:00
に放送される
「大阪ほんわかテレビ」内の「情報喫茶店」コーナーで僕の活動を取り上げていただきます。先日上越まで取材に来てくれて、リポーターや取材クルーの人たちと半日くらい一緒に行動しました。それが6〜8分くらいにまとめて放送されるみたいです。よろしくお願いします。

僕はただ敷地を借りただけで何もしていないんだけど、ありがたいことに入善ショッピングセンターの事務局長さんが活動を気に入ってくれたらし く、出発するときに大量の差し入れを買ってくれたうえに、フードコートでお昼ご飯をご馳走してくれた。フードコートの受付の人が
「村上さん来たよ!」
とキッチンの人たちに言っていた。

それから魚津方面に歩き始めた。ここ数日、道ばたで声をかけてくれる人が増えている気がする。突然
「がんばってな」
と言われて栄養ドリンクを渡されたりする。何も説明してないのに。家が歩いてるのを見かけた人が、いろいろネットで調べて「こういうことをやっ てるらしい」っていう情報を添えてFacebookで公開したりして、それがシェアされて情報が広がっていく。みたいなことがあちこちで起こってるん だろうと思う。あるいは撮られた写真が人の手から人の手へメールで流れたりして噂が広まったり。とっても面白い事が起こってる。職場とか学校の 違いを超えて、近い場所に住んでるっていうだけの共通点で噂が広がっていく。「あそこに新しいラーメン屋ができるらしいわよ」みたいな噂に近 い。この噂の広がりを可視化してみたい。

夕方、そろそろ場所を探さないとなあと思ってた頃にサングラスをかけた男の人に話しかけられた。彼は緑色のハーレーに乗っていた。彼は僕の日記を読んでくれたらしい。話してるうちに
「今日うち泊まってくださいよ!」
と言ってくれたので行く事にした。魚津市の、道路の向こうに海が見える家に住んでる谷口さん。ここらは春先になると蜃気楼が見えるらしく、谷口 さんはそれが自宅から見られる。いいな。 夜、お酒をのみつつお話した。彼は20年前にマグロ釣り漁船の漁師だった事があるらしく、そのときの経験から僕の活動と近いものを感じたらし い。マグロ漁船。噂には聞いてたけど実際乗ったことのある人に初めて出会った。世界2周したらしい。基本的に一度漁に出たら1年は帰ってこな い。400トンくらいの船の上で寝泊まりする。船内には階級があって、上位3人くらいは1人部屋があるけどその他は2人部屋が基本らしい。食料 とか燃料はいろんな国の港に入って調達する。まさに移動生活。しかも半分無国籍状態。海の上で消費するものなので、食品とかタバコとかお酒とか 買う時に税金がかからない。タバコとかお酒を1万本単位で買ってたという。釣ったマグロは船で冷凍保存しておく。ホオジロザメなんかも針にかか ってくるので、ヒレだけとってお金にして全員で山分けにするらしい。ケープタウンが治安悪すぎて、ディスコから道路の向かいのディスコまで行く のにタクシーが必要だったりとか、パナマ運河を渡る時に船で山を越えた経験が忘れられないとか刺激的な話が聞けた。

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今いるところから7キロくらい山の方に行くと「発電所美術館」てのがある。水力発電所を改修した美術館。ちょっと行ってみたいと話したら、敷地を貸してくれた美術 館の学芸員が招待券を一枚くれた。お昼頃まで学芸員と話し込んだりして、2時頃出発した。

富山はなんとなく、水の土地っていう感じがする。あちこちに水路が走っていて、その流れを利用して水車を回してる家もあった。水車の力で、庭の植木に水を与えて た。実際に使われてる水車を見たの初めてかも。美術館まであと2キロくらいのところで田んぼを広くする工事をしてたおじちゃんたちに話しかけられて、歩いてきたル ートを話したら
「親不知はどうしたん?」
って聞かれた。やっぱり危ない場所として有名みたい。
「普通に頑張って歩きました」
って言ったら大笑いされた。

発電所美術館では丸山純子さんという作家の展覧会をやっていたんだけど、休憩室にカタログが置かれていて、その中で丸山さんについて誰かが書いた文書で
「彼女は最初、コンビニ袋で花をつくるという作品やワークショップであちこち呼ばれるようになり、このままいけばこういう方向性でブレイクするかと思っていたら、 突然やめた。そして石けんをつかった作品づくりに邁進しはじめた。おそらく、同じような作品ばかりつくることによって他のことが出来なくなるのが嫌だったんだろう と思う」
みたいな一節があった。これはとても切実な問題なのだ。僕にとっても。同じ作家がつくる作品にはわかりやすい一貫性がないと評価されにくいみたいな空気が漂ってる 気がする。どうも。特にこんな悶々と文章を書いたりしながら制作してる僕も、端からは迷いがあって評価できないみたいに見られやすいと思う。僕は迷うし、目的とか もない。だけど「迷いをもつ」ということに関しては迷いがないし、目的とかいらないと思っている。目的はいらないけど志向性はすごく大事だと思ってる。この二つを 一緒にして考えるとわからなくなっちゃう。僕は自分の活動に強い志向性をもたせてるつもり。面白さや美しさは志向性の中に宿る。アクティヴィズムは転覆への志向性 そのものの中に宿り、転覆が成功したらそこで終わり。

美術館をみた後は入善ショッピングセンターに向かった。今日の敷地はそこの駐車場。昨日、歩いてたらこのショッピングセンターの事務局長さんが車で話しかけてくれ て名刺を渡してくれた。
「警備員にも言っとくから、いつでも来て勝手に寝ていいよ」
と言ってくれた。着いてみたら凄く大きなショッピングセンターで、めちゃ便利そう。コンビニもコインランドリーもソフトバンクショップもマックも本屋も徒歩5分圏 内にある。銭湯も歩いて15分くらいのところにあるっぽい。こんな好条件初めてかも。 家を置いて発泡酒を飲みながら銭湯に行ってるとき、その事務局長さんが僕の家を発見したらしく、わざわざメールをくれた。めちゃいい人や。

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歩きであんまり長距離を歩けないことによって、思いもよらない場所にとまることになる。そこで発見がいっぱいあるから面白いっていう話から、鉄腕ダッシュのソーラーカーの企画みたいだねといわれた。そんなのあったな。 日が暮れてバッテリーがなくなると動けなくなるやつ。でもあれは、彼らが本当に動けなくなってるわけじゃない。撮影クルーが他にいて、実は彼らの身の安全は保証されてる。仮にその地域で動けなくなったとしても「車が動けなくなったんだな」って、近所の人たちに理解されて終わり。想像の範囲を超えない。
テレビを見る人は、彼らが本当にマジで困るわけではないことを心の奥でわかってる。「そういう設定」でやってるってことを了承した上でそれを楽しんでいる。ネタとしてやっているというか。震災前はそれでよかったのかもしれない。僕も鉄腕ダッシュはよく見てたし。でも震災後は楽しめる気がしない。自分たちの生活を自覚的に見つめないといけないことがわかってからは、生活の範囲にまで表現を拡げていかないといけなくなったと思う。ネタをマジでやらないといけなくなった、というか。表現を生活に食い込ませるチャンスなのだ。

でもいろいろ言われて嬉しい。こうやって僕のやってることに対してある程度批判的に見てくれる人がいるから僕も対抗して自分の考えを再確認することができるし、じゃあリアカーじゃだめなのかとかいろいろ言ってくれるおかげで、自分も考えて
「車輪がついたら駐車場とかにおけるようになっちゃう。敷地を見つけるまで居場所がないってのが大事だと思ってる」
って答えることができる。なんでだめなのかを考えることができるので、結局のところ何を言われても何をされてもオールライトで、僕を面白がる人も面白がれない人も全員をリスペクトするのだ。死ななければいいだけだ。

僕が自分の活動の話をしたら、こっちの人がこのあたりのことを話してくれた。ここらでも海沿いの地域の人は言葉遣いが荒くて仲間意識が強い。そう いうところに外から嫁いだ人がびっくりするような感覚で近所付き合いをしている。例えば 「良いタコが捕れたから、あんたの家の冷蔵庫に入れておいたよ」 と言われて、帰って冷蔵庫を開けたら生きたタコが入ってたり。最初は信じられないと思っていたけど何年も住んでると慣れていったらしい。 ここは富山だけど、金沢の方に行くとまた全然違う。外から人が嫁いで来て家を新築すると、町の人がみんな家を見にくる。部屋をみるだけじゃなく て、タンスの中とか押し入れとか隅々までみてまわる風習がまだ残っているところがあるらしい。どんな家が建ったのかを見るというよりも、人が嫁い で来るということは嫁入り道具を持って来るということ。で、例えば持ってきた着物を見ると、その人の家がどの程度のレベルの家なのかがわかる。だ から、タンスの中にはそうやって人に見せるための服なんかをいれておく。そういう風習の名残がまだ残っているらしい。素直にそれはちょっと嫌だ。 それはちょっといきすぎているなあと思う。でもそれは嫁いできた人をちゃんと迎え入れようとする町の態度なんだろうとも思う。その態度のありかた は大切にしなくちゃいけないと思う。そんな隅々まで見てしまった以上、その人をよそ者扱いするわけにもいかないし、見られてしまった以上は町のコ ミュニティに入っていかざるをえないだろうと思う。 僕が大学卒業後の2年間浅草に住んでいた頃、お祭りがあった。路上で綿アメを売るのを手伝ったりしてたらすぐ近くのマンションの子連れの夫婦がで てきて
「お祭りが今日あるなんて今日知りました!参加したいんですけど、どうやったら参加できるんですかねえ」 って聞いてきた。僕はたまたま近所の人たちとの縁があって出店も神輿も参加できてたけど、そこへの入りかたがわからないせいで参加したくてもでき ない人もいるんだなと気づいた。そういうことが浅草でもおこっているのだ。タンスの中まで見るってのはいきすぎてるけど、祭に参加できないっての もさみしい。近所との付き合い方の距離は地域差が激しい。何か1つ絶対にうまくいく方法があるわけでもない。難しいな。

話してるうちに「自分探し」というキーワードがまたでてきた。嫌いな言葉。でも考えてみたらこういう日記を書いてることも、そういう自分探し的な、何か未成熟で過渡期 的なものと結びつけられる原因になるなと思った。大学時代に教授から
「迷いが無い人の方が強い。迷いをなくせ」 って言われた事も思い出した。「そうじゃないだろ」って当初思ったけどそれは今でも思ってる。自分のやりたいことを探している気もないし、好きな 事をやっている気もない。答えとか到達地点を見つける気なんて最初からない。みんな「これがわたしのやりたかったことだ」って結論をさっさとだし て考えるのをやめたがる。『自分には何かができる』って思った途端に何も出来なくなる。答えを出さず問いをたてつづける事の方が体力がいるのだ。 なんでみんなわからないんだろう。

ものすごい騒音のなかで目が覚めた。そういえば国道のそばで寝てるんだった。顔を洗いに外に出たら日本海の水平線が目に入って、それを見て いてロックバンドのU2の事を思い出した。たしかNo line on the horizonってタイトルのアルバムがある。水平線は自然界には存在しない。それ を見ている人がいるから存在する。人の数だけ水平線がある。同じように敷地の境界も存在しない。国境も。それを見ている人がいるから存在す るように見えるだけなのだ。

洞門というのは地名のことじゃなくて、トンネルのことらしい。よく山の道沿いにつくられてる、片方が外に開けているトンネルのことをどうや ら洞門と呼ぶ。親不知の町をでたあともしばらくその洞門が続いて道が危なかった。丸太を50本ぐらい積んだ超でかいトラックが自分の50cm 横を通り越していくのは生きた心地がしなかった。でもまた運のいいことに一部区間が点検中で片側交互通行になっていて、なんとか洞門区間を 乗り切った。途中、お腹がすいたけどしばらくお店も無いなあと思っていたら、最高のタイミングで京都の舞鶴から山登りに来た島田さんという 夫婦がアンパンとおにぎりを差し入れてくれたりして。

富山県の朝日町というところに着いたあたりのときにツイッターで「家の置き場を探しています」とつぶやいたら、先輩の美術作家から「前にそ の町の美術館で展示させてもらった事がある。連絡してみます」っていうメッセージが来た。そこに行ってみたら運良くその担当の学芸員が帰る ところに出くわして、事情を説明したら
「うちの駐車場ならいいですよ」
と言ってくれた。家を置かせてもらってスーパーにご飯を買いにいくころにはもう夜で、空をみたら赤くて暗い月があった。そういえば今日は皆 既月食だってツイッター上で騒がれていた。月が暗くなっているぶん星がよく見える。住宅街を通るとどの家もそわそわしてるうように感じる。 望遠鏡を出してみてるお父さんとか、一眼レフカメラを三脚に取り付けている若い男の人とか。

いまその駐車場に置いてある家の中でこの日記を書いている。昨日と違ってすごく静かだ。やっぱ寝るのは静かなところがいい。虫が鳴いてる。 何種類かの虫がいて、各種一匹ずつ鳴いてる。オーケストラみたい。

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昨晩家を置いた場所が国道から1メートルくらいのところで、国道とはフェンスで隔てられているだけなのでものすごくうるさかった。深夜から朝までずーっと車の往来が止ま ない。家を置いた時点で気がついてたけど「昨日はお寺の境内で静かだったし、たまにはうるさいところで寝てみるのも面白い」とか思ってそこに決めてしまったけど甘かっ た。寝ようとしてるときに、数メートル横を通る大型トラックのうるささは尋常じゃない。昨晩はどうにか寝たけど、何日もああいう環境にいたらノイローゼになりそう。

境鉱泉という温泉の休憩スペースでこの文章を書いてる。富山の黒部峡という地酒を宣伝するチラシがテーブルにおいてある。もうここは富山県に入るらしい。でも、僕の 家はまだぎりぎり新潟県に置いてある。とってもいい温泉だった。シャンプーはないけど石けんは常備してある。地元の人が集まる温泉らしく、僕には聞き取れない方言 で話してる人がいる。
「ボケ防止にみんな……してひとつだけでも…」
みたいな話してる。

今日は、朝起きたら青空になってた。台風が過ぎ去って空気が澄んでる。まだ風は少し残ってるけど、お昼頃お寺を出発した。一昨日お巡りさんに言われたように、まず 糸魚川駅に行ってみた。洞門という地域の道路がせまくて危ないらしいので、電車で家を何駅か運んでもらえるか聞いてみた。若いお兄さんが対応してくれて、少し笑いな がら
「少々お待ちくださいね」
と言って奥に引っ込んでいった。5分くらい窓口の前で待ってたら
「待合室に暖房はいってるよ!サウナみたいになってるよ~」
っていう大きな声が窓口の中から聞こえてきた。良いもの見た気がした。しばらくして若いお兄さんが戻ってきて
「一応車両に持ち込める荷物の大きさが、縦横高さ合わせて2.5メートルまでっていう決まりはあるんですけど…。警察に言われたんですよね?」
「そうですね。乗せてもらえるならそうしなさいって言われました」
「あまり混んでる車両ではないので、車掌次第では乗せられると思うんですが…。どうしても他に方法がないのであれば…。」
「とりあえず家を持ってきてみます!」
そんで家を持ってもう一回来たら、その若いお兄さんが上司っぽい人(多分車掌さん)を連れて家を見にきた。そして 「思ったよりでかいっすね…」
と言った。その上司っぽい人は家を少し見た後、窓口の奥の方に入っていった。しばらくして出てきて
「すいません。ちょっと乗せるには大きすぎるので…。すいません。」
と僕に告げた。結局駄目だったけど楽しいやり取りだった。家を持って歩いてきちゃって、この先歩道がなくて危ない道があるっていう状況の僕をみてみんな一生懸命考 えて掛け合ってくれた。でも規則にはかなわないのだな。だから、その危ない道を通るしかない。というかあちら側へ行くにはここを通るしかないのに、なんでその道が 車は通れて歩行者が通れないような状況になってるのだ。
10キロくらい歩いたら洞門というところに来た。確かに危ない道だ。道幅が狭いトンネルがずっと続いてて、大きなトラックとかダンプカーがたくさん通っている。た だ運がいいことにたまたま工事中で、長い範囲に渡って片側ずつ通行になっていた。工事のおじちゃんたちがみんな協力して僕を誘導してくれた。僕を追い越す車の列 (道路の左側を通る)とすれ違う車の列(道路の右側を通る)が交互に来るので、それらと反対側の道の端を通るようにして歩いた。昔のゲームでこういうのあったよう な気がする。そうやってなんとか洞門をクリアした。工事していなかったら今まで歩いた中で一番危ない区間だったかも。

その後5キロくらい歩いたら「親不知」っていう町に着いた。山と海に挟まれた国道沿いの細長い町。廃校になった学校の駐車場を、何かの工事関係者が拠点に使ってい た。1軒だけあるお寺で敷地交渉してみようとしたけど誰もいなくて、近くに道の駅があったからそっちに行った。最近の敷地は道の駅とお寺を繰り返している。なんだ かつまらない。 家を置いてすこし散歩してみた。ここらは翡翠の採掘地らしくあちこちにヒスイっていう文字が見える。今はやってなさそうな民宿がたくさん並んでいる。大きな海水浴 場があるから、海水浴シーズンには賑わうのかな。賑わってるイメージが全く湧かない。国道の反対側にある道の駅以外に、町に人が溜まる場所がない。これから冬にな っていくってのもあるんだろうけど、街全体にどんよりと寂しさが漂っている感じがする。国道と平行して走っている町の道路を歩いても人とすれ違わない。やたらと警 部服を着た色黒のおじさん達が目につく。何かの工事のために交通整理をしてるんだろうけど、他に人がいなさすぎるから、何か全員で僕を騙しにかかってるんじゃない かって妄想しちゃう。「親不知交流センター まるたん坊」っていう、宿泊と入浴ができる市営の施設があったからそこでお風呂に入ろうと思ったらドアに「定休日」と書 かれた札が下がってた。でもドアをあけてみたら開いた。インターホンを鳴らしてみたけど誰も出てこないのでちょっと靴を脱いであがってみた。ディズニーの「7人のこ びと」のキャラクターが「WELCOME」と書かれたボードを持ってこっちを見ている。それがこわい。なので入るのをやめた。
調べたら駅で二駅のところに温泉があるようなのでそこに向かう。親不知の駅から日本海と奇麗な夕日が高速道路ごしに見える。高速道路は景色を見るにあたっては邪魔 だ。見るためじゃなくて車を走らせるために作られているのだから当たり前だ。そんで越中宮崎っていう駅まで電車で行って、境鉱泉に来た。

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台風が近づいてるのがわかる。雨と風がだんだん強くなってる。近くのスーパーまで出かけてみたけ ど、強い風が急に吹いたりして傘があまり役にたたない。今日は家で歩くのは危ないと思ったので、 お寺の住職の奥さんに、もう一日居させて下さいとお願いしたらオッケーしてくれた。

服がもう無いので、近くのコインランドリーを探して雨の中歩いて行った。結果的に、そのまま一日中コインランドリーにいることになった。机と椅子があったので、絵を描いて過ごしてた。制服を着た人も私服の人 も、結構ひっきりなしに色んな人がきては洗濯機や乾燥機の中に各々服を入れてコインを入れて出て 行ったり、帰ってきて服を自分の籠やら袋やらに入れて持ち帰っていった。隣のピザ屋の店員さんも 来たし、車でたくさん服を抱えてきた主婦らしき人もたくさん来た。僕がいたからかもしれないけれ ど、不思議な事に洗濯が終わるのをコインランドリー内で待ってる人はいなかった。それなのに、洗 濯が終わったのを知らせる音がなってからだいたい5分以内にはみんなそれぞれの洗濯物を回収しに 戻ってくる。みんな忙しいんだろうなあ。今日はずっと雨が降っているので、洗濯物が乾かなくて 久々にランドリーに来た人もいるんだろうな。雨が降ろうが洗濯物がたまろうが、日々の生活はどん どん先へ進んでいくからな。暗くなってきた頃、用務員ぽいおじさんが来て窓の鍵を閉めたり電気を つけたりして帰っていった。いま五時半、ようやく雨が上がって雲が薄くなってきた気がする。もう 外は真っ暗。

雨が降り止まない。今日も留まっていようか迷ったけど、音楽を聴きながら絵を描いていたらエネルギーが湧いてきたので今日は歩くことにし た。家の中で
「よし。いくぞ。いくぞ。」 って独り言をつぶやきながら移動する準備をした。雨は降っているけど風はなさそうだった。でも台風の風は突然強くなったりするから油断でき ない。 僕は敵を攻撃するつもりで家の絵を描いている。あるいは距離をとるつもりで。細かいところまで小さな画用紙に描ききってしまうことはひとつ の攻撃になると思ってやっている。撮影することをshootというのと同じ。それはすごく地味な行為だけど。あからさまに攻撃を連想させるよう なことをしたほうがわかりやすいのかもしれないけど、家と個人(あるいは社会システムと個人)の関係はそんな単純じゃない。とても複雑で、 全てが全てに繋がっていて、人に向かって指した指が自分にはねかえって来るような状況になっちゃってる。だからひたすら、博物館に家の絵を 陳列させていくように描く。陳列することで距離が生まれる。陳列する対象を客体化できる。

インフォメーションのお姉さんにも今日発つ旨を伝えて、12時半頃出発した。引き続き海沿いの国道8号線を歩く。スズメバチの死んだやつを 最近よく見る。そういう時期なのかな。
今日はロードバイクのレースをやってるから、歩いてるとたくさんのレーサー達とすれ違う。みんな良い 表情をして、ニヤニヤしてこっちを見ながらすれ違っていく。
3時頃、歩道に家を置いて海が見えるセブンイレブンで休憩して出てきたら家のそばにパトカーが停まっている。久々なのでどきどきした。おま わりさんはにこにこしながら
「こんにちは。旅ですか」
と話しかけてきた。
「はい。職質ですか?」
と聞いたら
「そうですね。いわゆる、そうです。」
と答えた。いつも通り原付の免許証を出して、荷物検査をされた。一通りすんだあと、お巡りさんが
「ひとつお願いがあるんですけど、この先親知らずっていう町のあたりの道路がすごく危ないです。狭くて歩道もなくて、くねくねとしてる上に 大型トラックがバンバン通るから、その区間だけ電車をつかってもらえませんか?」
と言ってきた。
「これ電車乗りますかね?」
「これくらいなら、言えばのせてくれるんじゃないですかね」
と言う。そうしてみようと思った。

5時前に糸魚川駅近くについて、出発したときからずっとアテにしていた銭湯に行ってみたんだけど、なんと無くなっていた。銭湯はやっぱり生 き残りが厳しいんだろうなあ。なので、まずは敷地を確保しようと近くでお寺を探した。敷地の交渉はいつまで経っても慣れない。緊張で震え る。 敷地を貸してくれると言うことは、ある程度は僕のことを受け入れてくれたということだ。それはとても嬉しいけど、受け入れてくれる人しかい なかったらつまらない。だけど受け入れられる人のとこにも受け入れられない人のとこにも、どちらにも関係なくとまりたい。ハエがどこにで もとまるように。カバコフのハエのように。人にとっては、それが新鮮な果物か犬の糞かって違いは凄く大きいけど、ハエには両者が同じよう に見えている。ハエは世界をそのように見ているはず。カバコフはハエをそのような存在として考えていた。ハエになればいいのだ。 こう考えていくと、敷地交渉に失敗しても成功しても同じようなもんだと思えるので少し楽になる。
1軒目は
「うちはちょっと。。このあたりたくさんお寺あるので他をあたってみてもらえますか。すみません。」
とやんわり断られた。
2軒目で
「敷地だけでいいの?どこに置くかだな」
とオッケーしてくれた。家を置いたら即お風呂に向かった。こっから電車で次の駅の「姫川」ってところまで行って、そこに日帰り温泉がある。 2日ぶりの風呂。
温泉に入りながら
「いろいろあったなあ」
「いろいろあったからなあ。今温泉が気持ちいいなあ」
「これからもいろいろあるんだろうな。そして気持ちいい温泉に入るんだろうなあ」
って独り言が口から自然に出てきた。
返ってきて寝ようとしたけど思ったより雨が家の中に浸み込んでくるので、ひさしのある場所に移すことに。一旦寝る体制になってから家を動か すのは結構大変なのだ。しかも雨が降っているし夜だから暗い。まずは寝袋と銀マットを丸めて先に移動先に持っていく。それから戻って家の中 でリュックを背負って前方の窓だけあけて、目を凝らしながらお墓のそばをあるく。この作業を東京で強固な屋根の下にいるなおこと電話しなが らした。彼女はホテルの中にいて
「雨の存在を感じない」
と言ってた。こっちは雨で一大事だ。家を移動させながら「すごい人生だな」と思った。誰かドキュメンタリー撮ってくれたらめちゃ面白いと思 うんだけどな。

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「これ、人寝てんのかな?あ、鍵かかってるわ」
って声で目が覚めた。僕の家のすぐ前でがちゃがちゃって音がしたから郵便受けからのぞいてみたら、男の人が自転車を組み立ててた。
「ここなら風こない」
ってセリフを繰り返し言っていた。 外に出てみたら、なんかロードバイクに乗った人が何百人もいて、駐車場のところで行列になってた。「8時からスタートです」みたいなア ナウンスもきこえる。今日はレースがあるみたい。みんな派手なウェアをきて自分の順番が来るのを待ってる。ずっと楽しみにしていたんだ ろうな。雨合羽を来てるレーサーもいた。いまは曇り空でけっこう寒い。雨が降りそうだけど空はなんとか持ちこたえている感じ。

昨日は移動してない。5日か6日動きつづけると、動きたくなくなる日が来るらしい。風も強くて雨も降ってるからなおさら。朝起きた時 点で「今日は歩くのやめよう」って結論した。ネット環境があるので、ちょっと漫画を読んでみたり散歩したり、絵を描いたりして過ご した。土曜日なので駐車場もいっぱいになってる。どうやらここらは釣りスポットらしく、朝か堤防で釣りしてる人が何住十人も列になっ て立ってた。 雨が降る中、片道30分くらいのスーパーまで行ってパンとか買ってきたら靴が濡れた。靴が濡れたら行動するのが億劫になる。合計でパ ンを5個たべたけど夜にはお腹がすいてきたので、もう早く寝ようと思って6時半には家の中で横になった。道の駅で1日すごすとなんと なくさみしい気持ちになる。僕がベンチに座ってパソコンを見てる最中も親子連れとか夫婦とかカップルとかたくさんの人が来て、お土産 を買ったりご飯を食べるお店を選んだり地図を見たりして、最後にはみんな帰っていった。

あと一郎さんからメールがきた。
「さとしーーー。いまどこだーーー。まだ東北にいるのかーーーー」
ってきたから
「いまは新潟県の能生町ってところにいます」
って返した。またお風呂に入れなかった。