いま期間限定でネット公開されている、フィンランドの「オンカロ」と呼ばれる放射性廃棄物の最終処分場を扱ったドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」をみた。そうだった僕たちは、永遠を相手にする気持ちで、すべてのことに臨まなくてはいけなかった。これはたとえ話ではなく、放射性廃棄物という、具体的な物質がこの世界に存在してしまっていた。オンカロは、建設が終わり、廃棄物を収納した後埋め戻されるらしい。その後は少なくとも放射性廃棄物が人体に無害になるとされる10万年間は、誰も開けないことを祈るしかないという。そこで地表に「マーカー」と呼ばれる石碑のようなものを作り、"この場所は危険である""この地を掘り返してはいけない"というメッセージを、あらゆる言語や図で表示するらしい。10万年後の人類が、ここを掘り返さないように。これが現在「最先端」で「世界唯一」の廃棄物を処分場らしい。10万年間という時間を超えるために"石"に"言葉と絵"を刻み付けるという方法しか考えつかない。それは多分僕たちがこれまでに、石に刻まれた古代の文字や洞窟の壁に彫られた古代の絵を発見したからだ。その方法しか知らない以上、それに頼るしかない。あまりにも長い年月。放射性物質が発見されてからは、まだ100年ほどしか経ってない。ラスコーやアルタミラの洞窟壁画が描かれたのが今から1万5千年くらい前、エジプトのピラミッドが作られたのが5000年くらい前、キリスト教が起こり西暦が始まったのが2014年前。10万年間は。。うまく想像できない。でも僕たちはそれを相手にしなきゃいけない。放射性廃棄物という具体的な物質が現実に存在している以上は。いきなり10万年は無理でも、せめて1000年くらいの単位で考える癖を。いつも、前後千年間くらいは意識しながら今に挑まないと。簡単なことではないけど。1000年や2000年を、軽く飛び越えるくらいの気持ちでいないと、10万年には太刀打ちできない。放射性物質に太刀打ちできない。

信号機や歩道橋に、時々うんざりする。意識的に正気を保ちながら職場に向かって歩いている。ニーチェやショーペンハウアーの言葉を反芻して、ウディガスリーやボブディランの歌を聞きながら。やっぱりこの、生活をさせられている感じが息苦しい。僕が家の絵を書いている最中、僕と家の間を無数の車が、その多くは貨物を積んだトラックやコンクリートミキサー車などだった。絵を描いている最中に1000台以上は通っただろう。このときの時間の流れが、彼らと僕とでは明らかに違う。囲われた海に放たれて「自由に泳いでいいですよ!」といわれて、多くの人が喜んで泳いでいる。25過ぎたら仕事が楽しくなってくるもんなんや、という人がいたけど、それは自分を納得させるために言っているようにも聞こえる。まわりに対してそう伝えることによって、この世界にそういう自分を定着させようとしている。自由は意志のあとについてくるものだ。あらかじめ与えられた自由は存在しない。「自由」を与えられた時点で、そこから自由が奪われる、自由が逃げて行く。「あなたは何の宗教ですか?」という質問と同じだ。自由に答えられるように見せかけて、この質問は、自分が信じているものを「宗教」のひとつだと考えることを強制する。「それ面白いね」っていうせりふも同じようなもんだ。使い方を注意しないと、これはすぐに侮辱の言葉になる。「面白い」という言葉のなかに、状況を回収してしまう。
あらかじめ決められた振り付けで、ながいあいだ踊らされ、それが楽しいと思えるようになっていくこと。それはオーウェルの「二重思考」とどう違うのか。いつか映像で見た、学生団体のダンス合宿のことを思い出す。何十人かで泊り込み、共同生活をして、ひたすらダンスの練習をする。どこかの大会に出る練習をしているのかと思いきや、違う。合宿最終日に、その合宿メンバーだけで「本番」を踊る。観客は一人もいない。本番が終わったら、何故かみんな感動して泣いている。これが馬鹿にできない。僕たち自身がそんな状態の真っ只中にいるかもしれない。この世界でのべつのありかたを想像する。一番冴えた正気は、発狂の直前にあるのかもしれない。そのぎりぎりの正気を。問題を、救いを、夢を、来世や、次世代や子供に託すな。天国や極楽浄土に求めるな。別の世界ではなく。この世界での別のありかたを想像する。

ある手紙に対する架空の返信

あなたは、やりたいことをして生きていける人間は一握りだ、と言いました。多くの人間は、やりたいことをやりたいと思いながらも、それでは生活できないので、本当は嫌な仕事をして、生活のために、家庭のためにがんばっているんだ。という言い方をしました。あなたの目には、彼女が"安定した仕事"について生活をための我慢•努力をしていない、将来の計画がたてられない能天気な落ちこぼれのような存在に見えるのかもしれませんね。しかしおそらく彼女は"将来の心配をしていない"ことはないと思う。彼女には、どうしても見過ごせない何かがあった。このままでいいのだろうか、私は。という疑問が、歳月を経て耐えられないくらい大きなものとなり、ついには大学をやめるまでになってしまった。彼女のほうこそ、不安でいっぱいなのだと、どうして思えないのか。あなたは言った。日本はどん底だと。ならばなおさら、いままでと同じ方法ではだめかもしれないと、どうして思えないのか。いま、僕たちの生きるこの社会の軋む音が至る所から聞こえてくる。この音を聞きとることができる人は、「大学を卒業し、定年まで雇ってもらえる企業に就職して、定年から死ぬまでの20年間ぶんのお金を、働けるうちに貯めて、そして老後を迎える。迎えられる。」なんてことを考えられるはずがありません。仮にあなたのいう生き方を遂行できる社会だとしましょう。だとしても、"就職するために"大学に入り、"将来のために"就職し、"老後のために"定年まで働いて、それで退職し、死ぬまで貯金で生活する。それでどうなるのですか?いったい、そこになにがあるのですか。寿命まで生きるための暇つぶしのようにしか思えない。それは幸せな人生だと本当に思えますか。あなたは「みんな我慢しているんだから、お前も我慢しなさい」と言っているように聞こえる。やりたい事をできるのはほんの一握りだ、と彼女にいうという事は、お前はその一握りではない、やりたいことをできない人間だ、と言う事とどう違いますか。あなたは彼女に、やりたくない事を我慢してやりなさい、みんなやっているんだから、と言っている。
そもそも「やりたいこと」とかいっている時点で既に終わっている。あなたの言う「やりたいこと」はいつまでたってもできない「やりたいこと」です。「やりたいこと」というのは、常に私たちの前から逃げていきます。なぜなら、僕たちはある満足な状態を持続させることができない。何かに満足したら、また次の欲望をもってしまうようにできている。あなたの言い方では、「やりたいこと」をやれる日がくることは永久にありません。「やりたいことをやる」のではなくて、「あなたがやったことが、やりたかったことになっていく」のだとどうしてわからないのか。やりたいことをさがしてから、やる意味をさがしてからやるのでは、永久にできない。そうではなくて、やったことが意味になっていく。(これは「やることに意味がある」とは違います。それは慰めにすぎない。)繰り返しただ消費していくだけの日々の中に、人間の生の輝きはありません。あなたは、将来の展望が見えないと不安で仕方が無いのでしょう。働きながら年老いて、退職して老後を迎えて死んでいく。その道筋が見えないと不安なのでしょう。「60歳まで雇われる」。しかし、そんなの牢獄でしかないじゃないですか。この世界はなぜこのようなあり方をしていて、別様のあり方をしていないのか、考えたことはありますか。僕たちは、昔から様々な生活のヴァージョンを経て、今の生活のヴァージョンの中でとりあえず生きているにすぎない。今でも、世界には別様の暮らしがたくさんあります。あなたがメールで書いてくれたような"幸せのありかた"は、ほんのひとつの、小さな小さな考えに過ぎないかもしれないとは思えないのか。もっというと「あなたが彼女のいまの生活に対して不安を抱いてしまうこと」それ自体が、「この競争原理的な資本主義社会を加速させるために仕組まれた巧妙なトリック」であるかもしれないと考えたことはありますか。かつて団地で澄む事がトレンドなのだとされていたころ、あるいはマイホームを買うことが幸せだと奨励されていたころ、"現代の理想的な生活スタイル"なるものがプロパガンダされたころの名残が、あなたのような思考を生むのかもしれない。
話がすこしそれてしまったけど、要するに、娘の不安をわかろうという気持ちが、よりそって一緒に考えようと言う気持ちが文面から感じられない。自分の価値観を相対化できない。押し付けていると気づかずに、押し付けている。視野狭窄に陥っている。手紙では埒が明かない。とにかく一度会って徹底的に話をするべきだと思います。

この一週間はとてもたくさんのことがあって、思い出せる印象的なシーンがたくさんある。昨年は本当に毎日が同じことの繰り返しだった。そのためか、一年がおそろしく早く過ぎてしまって、もう去年の元旦から一年が過ぎてしまったのかと思うとぞっとする。生活は"いつも•既に"ここにある。僕が歩くとき、動いているのは僕ではなくて地面の方だと言う事と同じように、たとえ国家が解体したとしてもこの退屈な生活はここから動くことがない。必要なのは、この退屈な生活の、その場しのぎを繰り返すだけのこの生活の、日々の「違い」を見い出すこと。そして僕たちの生活を対象化•客観化すること。もっと言うとその対象化•客観化の地点でふみとどまる事。「違いを見い出している状態」にとどまり、変化している状態の物事に絶えず名前をつけ続けること。
そのとき。過去を振り返るときに注意しないといけないことがあって。それは「思い出す」ということは、過去に"逃げる"なんて後ろ向きな事ではなくて、いま生きている自分と"過去が共に在る"ということ。土屋先生も話していたように。思い出すという事は、過去が今この瞬間に出現するということ。そして、何かに取り組むたび、その終わりを想像して、その取り組みが終わったとき、取り組む前に終わりを想像したときのことを思いだすことで、ようやく行為が完了する。そうすることによって、過去のその出来事が「ひとつ」と数えられるようになる。そうやって対象化された過去のことは、いつでも現在の僕の前に出現させられる。時間が操作できる。同じように空間も操作できる。無音も音の1つだと、ケージが発見してくれたおかげで、静かな夜に耳をすませていると、この島でがんばっているみんなの声が聞こえてきそうな気がする。というか、どれだけ長い距離が互いを隔てていても、その距離のせいで、声がかき消されてしまったとしても、そのかき消された無音が僕の耳元まで届いているということになる。みんなの声が聞こえているということになる。距離が消え去る。そう考えるだけで静かな夜が、賑やかになってくる。そんなことを思いながら、二ヶ月前のオープニングのときと同じ道を辿って、吉備サービスエリアから備前一宮駅までの道を歩いて帰った。またあの道を歩く事もあるだろう。こわがることは何もない。ただあの道を夜に通るのは怖かった。そういえばこの正月で、レジデンスのお誘いもいただいた。それはとても"いい話"で、すこし前だったら迷わず飛びついていたけれど、いまは自分の計画があり、かつレジデンスの企画者が同世代で、すごく良いやつだったので、ぜひ仲間として一緒にがんばりたい、という意志を伝えた。彼女にもまた会うだろう。今日も静かな夜なのでみんなの声が聞こえてくる。がんばる

東京駅前の真っ黒な高層ビル群。見上げると何かにくじけそうになるな。大きな権力と、無力感。しかしくじけてはいけない。1人でつくる、素人としてつくることを諦めてはいけない。首に負荷がかかるほどにビルを見上げないといけないなんて。
僕らはやらなければならない。嫌になることは数えたら切りが無いほどあるし、どうしようもない奴もたくさんいるけれど、僕らはやらなければならない。2009年の特別講義でのディーターラムスの言葉が思い出される。「君たちはやらなければいけない」。幸い多くの同志がいる。今日彼らと話ができた。いまも多くの顔が思い浮かぶ。彼らと共に。しかし1人で。

2014年賀状

僕は家を出るとき、ドアを開けるとき「お前はどこにいくのだ」と自問してしまうドグマに縛られている。どこか具体的な目的地があることや、用事があることは、家をでることとは無関係のはずなのに、「まずどこに行こうか」と考えずにはいられなくなっている。漫画「今日の猫村さん」で、猫村さんが勤め先の家の不良娘に「どこにおでかけになるのですか?」と聞き、娘は「うるせーほっとけ」と答える。思い当たる人も多いだろうこの違和感は、どこから来ているのか。僕も、実家に住んでいた頃、無目的に家を出ようとするのを両親に見られるのが、なんだか苦手だった。とくに悪い事をしているわけではないのに、「どこに行くの?」と聞かれると、答えに窮してしまう。何か自分が悪い事をしているような気がしてしまう。僕は「散歩」と答えていたけど。でも僕の中では、言語化できない衝動があったし。完了できないことはわかっているけれど、歩き始めずにはいられない何かがあった。この違和感は、かつてのシチュアシオニストたちの活動ともなにかつながるような気がする。僕自身が学生時代にやってた「東京もぐら」と称した散歩活動とも。このあいだ「歩いている時、動いているのは僕ではなくて地面の方だとしか思えない」と書いたけれど、これは、いま書いた「お前はどこに行くのだ」という自問と、相対する考え方だと思う。「いま自分は移動中である」と「今自分は静止している状態である」という二項対立の考え方は、「目的地に行く最中なのか」と「目的地に着いている状態なのか」という僕たちの生活スタイルに起因しているような気がする。つまり僕たちは「動かない家」を出て、"自分が動きながら"「職場」に行って、時々、動かないスーパーや本屋や役所にも、"自分が動いていく"というこの生活のありかたに。細かく分業が進んだせいで、お金を稼ぐことが第一の欲求になってしまいかねないこのありかた。これは多分、逆なんだと思う。動いていないのは自分の方だ。だって、この間も書いた通り、僕は僕が動いているのをみた事がない。僕が歩いているとき、僕を僕と認識するこの主体のようなものは、"ここ"から離れる事がない。動いているのは地面の方で、僕は動いていないから。
最近佐々木中さんの「夜戦と永遠」を読んでいるのだけど、佐々木さんも言っているように「本を読む事」は、「知識の移動」なんていう受動的な物では断じて無いのだ、と本を閉じるたびに思う。僕は家で本を読んでいるとき、あきらかに能動的に動いている。「書き手と共に彼処にいきたい/いけない」のあいだで、常に動いている。でも、バイトに行く道中、歩きながらも僕は動いていない。動きの中で静止していたり、静止している中で動いていたりする。本当はたぶんそうなのだと思う。ただ「動いているのは人で、建物は動かないという事にしておこう」という取り決めの中に生きているにすぎない。そのほうが効率が良い(ということになっている)から。ただ「~ということにしておこう」という状態にすぎないことを忘れてはいけない。
学生時代にすごくお世話になった、師匠とでも呼びたいある人が、いま旦那さんの実家に嫁いで、義父母との関係がうまくいかず、精神的にすごく落ちている。ツイッターでその心情が垣間見えるのだけれど、あの鬼のように怖かった人が、窮屈な環境に置かれて、「耐える」とか「東京はよかった」とか「眠れない」とかツイッターに書き込んでいて、その"どうしようもなさ"が伝わってきてつらい。なぜこんなことになっているのか。ASEANの会食で日本の首相がAKBやらEXILEやらを呼んで「エンターテインメントを楽しみましょう」なんて発言がなぜできるのか。知り合いの母親が、旦那さんにとっては二度目の結婚相手ということもあって、近くに友達もいないし、特に「趣味」もないので、家でテレビなど観ながらずーーっと留守番をしているという生活を長いこと送っていた結果、重度の鬱になってしまった、ということがなぜ起こるのか。丸亀市の、あの怖くなるほど暗くて誰もいなくてシャッターしか見当たらない商店街がなぜ生まれてしまうのか。その元凶の多くは、さっき言ったことのなかにあるような気がしてきた。

家のすぐ近くに刑務所があって、そこに「刑務所作業品展示場所」という、誰でも入れるスペースがある。今日入ってみたら、全国のいろんな場所にある刑務所で作られた製品が展示販売されていた。いくつかは、既存のキャラクターものや、メーカーと共同でつくられたブランドものっぽい製品もあったけれど、ほとんどは、ただ「刑務所でつくられた製品」という事前情報のみで売り度されている商品だった。「
スケッチブック」と書かれたスケッチブック、革製の無地の財布、南部鉄器の鍋、碁盤、将棋盤、それっぽい模様が編まれている小物入れ、切り出した石に”可愛らしい感じの動物の絵”が描かれている文鎮、木製のテーブルなどなど。それらを見ていて、値段が「高い」のか「安い」のか判断できないことに気がついた。それらは、僕がお店で普段目にするような、事前の広告やパッケージのイメージがあって購入するものでも、口コミとかで購入するものでもない。純粋に、ただモノとしての商品。同じ物が別のお店で売っていて、こっちの方が安いからこっちで買う、なんてこともできない。たとえば財布があって、それがどれくらい丈夫で長持ちしそうかという基準だけで、値段が高いか安いかを判断することができない。製造する企業側の広告戦略とか、人気とか、そういう一切の情報がない、純粋な日用品。ちょっと前に、商品の値段は、その製造にかけられたコストによって決まるという話を、マルクスを解説しているような本で読んだけど、それで考えてみても、わからない。商品が買うに値するかどうかの判断基準はもはや、有用性とか、デザインの嗜好とか、いかに長持ちしそうか、とは別のところにあるような気がした。怪しい空間だった。普段目にしている、競争原理の中で作られている商品たちとは、完全に違う世界のもの。僕はどれも買おうという気にはならなかった。僕以外に誰も客はいなかった。これらはどのくらい売れるんだろう。ファンとかがいそうな気もする。ちょっと調べてみたら、刑務所作業製品の中で、函館で作られている「マル獄シリーズ」というラインナップがあった。円で囲まれた獄という字があり、その下に「prison」と描かれているロゴのシリーズ。スマートフォンのケースとか巾着袋とか前掛けとかがある。これらは、少し欲しいかもなあと思った。なんか自虐的なユーモアの匂いがして。メイドイン刑務所、という事を伝えるためにロゴを作り、消費者に買ってもらうためにわかりやすくシリーズ化している。面白い(というかマズイ)のは「欲しいかもなあと思った」その理由が、その商品の有用性とかでは全く無くて、「刑務所で作られている事を自覚してブランド化している」ということに対して思った、ということだ。こういうかたちで商品に接しないと、そのモノや買う価値があるのかないのかがわからなくなっている。こんなことは散々議論されていることだとは思う。「人々は、コーヒーやパソコンが欲しいのではなく、スターバックスでMacBookを開くというスタイル(イメージ?)を買うのだ」みたいなせりふも聞いたことがある。だけど、自分がそんな世界に浸りきって体質化しちゃってることに気がついて戦慄した。

山下達郎が実在するかどうかも、地球が丸いかどうかも、確かめたことがない。地球が丸いというのは間違っている。空気も水も閉じた世界の中で循環する有限のものなので、地球は裏返しで閉じている球体のようなかたちをしている。また、僕が歩くとき、動いているのは僕ではなくて地面の方だとしか思えない。僕を僕と認識して一と数えるこの主体のようなものは、いくら歩いても、この場所から動くことがない。僕が動くということは、世界が動くということになる、そうとしか考えられない。なので僕が変わるということは、世界が変わるということになる。世界を「変える」ことはできない。それができると考えるのは危険だ。ただ、世界は変えることができない上に、自分が生まれるはるか以前から、死んだ後のはるか未来まで、悲しいほどにながく、世界は続いていく、という事実を引き受け、絶望し、自分は何もしていないんじゃないか、何もできないんじゃないかという囁きに折れそうになりながら、もがいて、ふとした時に、世界が既に変わっている、と気がつくことができる。世界を変えるという言い方は適切ではない。世界は、気がついたときには既に変わっているという言い方ができる。

http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2013/12/14/32akb/
都内でasean首脳の方々を招いて開いた夕食会で、首相はakbやexileをステージに招き「エンターテイメントを楽しみましょう」と言ったらしい。ことの経緯は知らないけれど「エンターテイメントを楽しみましょう」なんて言葉が、よくも言えたものだ。何様だ。すごく嫌悪感を抱いた。ちょっと吐き気さえ覚えた。akbもエグザイルも全然好きじゃないけれど、こんな噴飯ものの場違いなところで「エンターテイメントを楽しみましょう」なんて紹介のされ方でパフォーマンスさせられて、かわいそうだと思った。「エンターテイメントを楽しみましょう」。こんな言葉を平然と言ってのけるなんて。こんな「エンターテイメントを楽しみましょう」なんて言葉が、すくなくとも「先進国」とされている国の首相が。どんな国だよ。「エンターテイメント」「楽しみましょう」なんて言葉が生まれてしまう、このありかた。もう何度も同じ事を書いてきたような気がするけれど。定住とか鬱とか自殺とか暇とか、そういう言葉をかすめていく例のアレ。仕事して、家賃を稼いで、光熱費を稼いで、仕事場への交通費と保険料を稼いで、残りをわずかな享楽のために使って、日々の営みをこなしていくこのありかた。この「アレ」。ひとつのヴァージョンにすぎないかもしれないのに、いま猛威をふるっているアレ。これを超えていけますように。岩手の仮設住宅で泣きながら話をしていたあの人の。大変な思いをしつつ、いつも笑顔を見せているあの人の、服従、畏怖、憧れを独占しているアレを。僕にそれができますように。

大学生の時に、高知県立美術館で観たニコラ•デ•マリアの「Gloria」という絵をもう一度観るために、また、中塚を「ひろめ市場」に連れていくために。あと沢田マンションを一目見るために。10日から11日まで、中塚と二人で高知に行ってきた。
「Gloria」という絵は、僕が大学2,3年生くらいのときに、寝袋と共に四国周辺をふらふらしていて、たまたま寄った高知県立美術館で、企画展を観た後に館を出ようと思ったら、ドアの上にかかっていたその絵に出会った。青と緑と黄と赤の極彩色しかつかっていないような絵で、左上につたない字でGROLIAと描かれている。当時学んでいた建築設計への不信感があり、自分はどうなっていくべきなのか何がしたいのかよくわからない時期だったこともあり、その絵を観たとき衝撃波をくらい、一枚の絵にこれだけの力があるのかと感動した記憶が、たびたび僕を救ってくれていた。もう一度観たいと、ずっと思っていた。またひろめ市場とは、高知市内にある、飲食店のデパートみたいなところで、ここに夜来ると、必ず誰かしらと相席になり、自然に会話がはじまるような、しかも日本酒や焼酎やビールやカツオの藁焼きやらと、高知のおいしいものがたくさん飲み食いできる。
Groliaの方は、なんと展示してある館が夜まで閉まっていて、観る事ができなかった。。ものすごく残念だったけれど、まだ時期じゃない、と絵に突き放されたような気もする。まだ観てはいけない、と。企画展の草間彌生「永遠の永遠の永遠」とシャガールのコレクション展を観た。草間さんのアクリルで描いた何十枚もの連作が凄まじかった。この人も、精神病院に毎日通いながら、ぎりぎりの状態で描き続けている。絵が良いとか悪いとか、きれいとか汚いとか、そういう話ではない。草間さん自身の生命維持の線の瀬戸際で描かれた異形の絵たちだった。ものすごく勇気づけられた。なぜか、展示室の床が、誰もいないのにパチパチなっていた。美術は、売買の対象にするため、美術史へのコミットの仕方を競う、という側面以上に、その人自身の切実さをいかに注ぎ込めるか、いかに生き延びるか、っていう、祈りのような側面を持っていなくてはいけない。関連映像ということで、草間さんのドキュメンタリーが上映されていたのだけど、そこで彼女は「わたしはピカソもアンディも出し抜いて、トップの作家になりたいんだ」と言っていた。
ひろめ市場では、中塚が相席の人たちとよく話して飲んで、夜気持ち悪くなって大変そうにしてた。彼女の気質からして、ひろめ市場みたいなところにきちゃうと、人との話がはずんでしまって、飲みすぎてしまうのだと思う。
帰ってきたその日の夕方からまたバイトだったのだけど、スタッフがみんなピュアすぎて、にやにやしてしまう。たとえば先日の例の兄貴分の彼とのやりとりは、店を閉めるころになると、リセットと呼ばれる、メニューやテーブルをアルコールで拭く作業があるのだけど、僕はいそいでやれと言われていたのもあって、メニュー(クリップで何枚かがまとめられている)を拭くとき、クリップを外さずにさらっと拭いていたら、彼がやってきて「いま見とったけど、それじゃあやっつけ仕事や。やってないのと一緒や。ちゃんと(メニューをとめているクリップも)外して、メニューのカドからカドまで、しっかり拭いていこうや」というようなことを言われた。何かの研修ビデオに出てきそうな台詞だ。衝撃だった。この間も彼は「中途半端は絶対あかん」と言っていた。彼にはそういう信念があるのだ。かっこいい。また、梅酒のロックをつくるのに、ロックグラスを取り出して、先に梅酒を入れ、後で氷を入れていたときに、その場にいた古株スタッフから「それ梅酒ですよね。先に氷じゃなくて梅酒入れるんでしたっけ?」と聞かれて、「え?どっちでもいいんじゃないんですか?」と答えたら「どっちでも良くないと思います。」といい、その人はどこかに行ってしまった。少し経ってから別の人(この人は社員)が来て「梅酒ロックのときは、先に氷いれてから、梅酒な」と言われた。なんじゃその順番縛り。と思いながらも、すいません、と謝った。終わってから店長に(僕はまだ研修中なので、毎回終わりに、今日はどんなことで困ったか、話をする時間がある)、梅酒の件を話してみたら、店長の方は「氷の上から梅酒を入れると、氷が溶けて滑って、お酒の中に氷が落ちてくれるけん、その方が確実なんやけど、梅酒の後に氷入れても、ちゃんと氷をまわして、お酒に落としてくれれば(これは僕も教わっている)、結果的にできるものは同じやから、どっちでもいいと思うんやけど、伝わらんなー。」と言っていた。さらに「全部店長が悪いんやけどな。」「人に伝えるって難しいなー」と言って、少し深刻に考えはじめる店長がいた。人によってやりかたも違うし考え方も違うのだけどみんな、どこかで無意識のうちに、自分のやり方が間違ってないと、思っている、祈っている。だから、人から言われたことを、読み込むというのは、とても難しいことなのだ。店長がぼやいていたのもそれなのだ。佐々木中さんも言っているじゃないか。人が書いた本なんて読めるわけがない。読めたら気が狂ってしまう。でも、それでも、読まなければいけない。取りて読めと。
ただそんなレベルの話とはもう完全に圧倒的に無関係に、バイト生活には既にうんざりしている。苦悩のために生きているっていうショーペンハウアーの言葉がいつも頭のどこかにある。これで本当に最後になんとかしたい。あれだけバイトしたのに、中塚との引っ越しやらいろいろと積み重なった結果、なぜかもうお金が無くて、でもどんどん税金とか奨学金とかいろいろな支払いはどんどん降り掛かってきて、免除申請を出し忘れてた期間滞納してた年金の支払い催促の電話もなる。悪夢だ。祈るんだ。早く過ぎされ。

今年ももうすぐ終わる。2013年を振り返ってみると、大学を卒業してからの2年間、2011年、2012年に比べると、圧倒的に何もしていない時期だった。1月から2月は、フジテレビでの展示の撤収後、空鼠で吉原関連のことをずっとやっていた。3月に六本木アートナイトに参加してから、5月くらいまでの記憶がほとんど無い。5月から9月末までは1日12時間働いていたバイトの記憶がほとんどで、そのあいまに、ランドセルを作品にした記憶がぼんやりと浮かんでいる、という感じ。そしてイタリアに行き、大分のプロジェクトに参加させてもらって、高松に越して、そしていまもバイトをしている。何をやってるんだか。今年みたものとしては映画「立候補」の印象が強くのこっている。終盤のマック赤坂のスピーチと踊り、そして息子の叫びがいまも記憶にやきついている。「おまえらそんなエネルギーあるなら、立候補してみろよ!」というあの叫びが。これは参議院議員選挙での三宅洋平の言葉と記憶の中でセットになる。ランドセルの作品を作りながら、iPhoneで三宅さんの演説を初めて聞いたときの革命前夜の感じは、三宅さんが気づかせてくれたあの感じは、今もたしかに続いている。また想田監督の「選挙2」ともつながる。そんな「革命」なんて言葉とはまるで無関係であるかのような、清掃員とビアガーデンのバイトの雰囲気もよく覚えている。朝6時に、ふらふらと起き上がって、電車内でブコウスキーを読んで、ウディ•ガスリーや友川カズキを聞きながら清掃現場まで行き、9時ごろまで働いたら家に帰り、すぐに昼寝をして、1時ごろにはまたバイト先のビアガーデンに出かけ、23時半ごろまで働いて、缶ビールを飲みながらかえってくる。それの繰り返しが5ヶ月間。あの時間は結局なんだったのだ。でもそのおかげで、ブコウスキーとちゃんと出会えたのもよかった。彼もアメリカ中を転々としながら、その毎日の生活、うんざりするような日雇い労働と、まちで会うさまざまな女たちとの刹那的な情愛のなかでエネルギーを貯め、その切実な文体を磨いていった。ブコウスキーは言っていた。「すべての時間を無駄にしてはならない」と。ずっと集中を持続させるのは不可能なことだ。2時間の集中をつくりだすために、8時間は無駄にしないといけないかもしれない。晩年彼は、日中は競馬に出かけ、夜家に帰ってきてからワープロ(もしくはタイプライター)の前に座る。という生活をしていた。友川カズキさんのライブにも行ったのだった。黒い衝撃波が伝わってくるすごいライブだった。展覧会は、ベニスビエンナーレがやっぱりすごかった。ウォルターデマリアの作品と、大竹さんのスクラップブックと、イスラエル館のインスタレーション、あとまちのギャラリーでやっていた小さな展示の、小泉めいろうさんの作品をよく覚えてる。ホテルのそばのBar Piccoloのあのご主人は今日もいつも通りの顔をしてるだろうか。演劇はあんまり観られなった。二日連続で遊園地再生事業団とキャラメルボックスという組み合わせをみた記憶は強くのこっている。作品の内容以上に、その振れ幅を。観客に「完成品をみせつける」ような、大衆向けのエンターテイメント志向のものと、観客を「べつの場所に連れて行こうとする」ような、解釈される事を逃れ続けるような志向のものとの振れ幅。その両者の「わかりあえなさ」からくる寂しい気持ちをよく覚えている。