12時近くまで寝てしまった。。明日からは8時までには行動開始するのを徹底しないと。。朝撮影に出かけることを体に染み込ませる。昨日はバイトだった。ちゃんと夕方から最後まで入るのは初めて。最初、みんな同じような顔に見えるのが、だんだん「その人の顔」というふうに頭が識別できるようになるのがよく分かる。雑然とした景色に秩序が与えられていくみたい。人が初めて木や花に名前をつけていった時のように。この店は、前にやっていたビアガーデンに比べていろいろと規律が徹底されている印象。覚えることが山ほどあるのが、今日一日でよくわかった。例えば、ビアガーデンの方では忙しくなってくるとドリンクの作り方が目分量になるのをよしとしていたけど、こっちは忙しくなってもみんなちゃんとはかってやっている様子。研修もやたらちゃんとしてる。一人、兄貴分の人を発見した。この人に二度ほど注意されたけど、終わってから「君のロッカー、僕の下かー」「はい。よろしくおねがいしまーす」「がんばってなー」というケアもちゃんとするみたいな。僕より背も高いし、帰りは別の人に車で送ってもらった。大学一年生らしいけど、親から譲ってもらった車を持っていた。キャンパスが遠いかららしいけど、こっちではやっぱりみんな車を持っているようす。

家の絵を描いていて、感情が高ぶって泣きそうになることがある。洗濯物や壁の汚れや、ベランダの植栽やらをひとつひとつ見ながら描いていくうちに、その家で寝泊まりして、仕事にでかけて帰ってくる人と、それを家で待ちながら洗濯物を干したりしている人と。望んで手に入れた暮らしなのに、それに取り囲まれて身動きがとれなくなっていて、しかもそれに気がついていない人。近所の人が誰も気がつかなくて一人で死んでしまったり留守番のしすぎで鬱になってしまったり、毎日通う学校でいじめられているけどどこかに移るわけにもいかなくて耐えきれなくなって自殺してしまったり休日何をすればいいかわからなくて仕事してしまったり。僕も今は高松の家で家賃を払って住んでいるけど、家賃をはらっているから遠くに長期間でかけようという気持ちがそがれやすい。生活が閉じる。すぐに行き詰まる。街に出てちょっと辺りを見回すと、もう滅亡が近づいているような気がしてくる。空き家や空き部屋ばかりが目について、人通りが少ない道路。変な気象。そんなときに目に付いた洗濯物は、命があるというしるし、旗のようなものに見える。
今日からバイトがはじまる。あれだけバイトしたのにもうなぜかお金がない。イタリア行ったり引っ越したりしたからなんだけど。バイトは本当に。魂の墓場だと思う。何日か前に、新しい環境にあわせて精神や身体が変態する時間が「生きている」時間だと書いたので、ぼくはこれから明らかに「生きている時間」に突入するから喜ぶべきところなのかもしれないけど、その対象がバイトというだけでもうげんなりする。これでなんとか最後にしたい。4月にむけて耐え忍ぶしかない。4月になったら楽になるというわけではないのだけど。
今のアイデアは、とても強力で、可能性を秘めているものだ。これをちゃんと取り扱うには、強靭な精神力が必要で。手に負えるのか不安だけれど、僕が生み出してしまったものなので、僕が手なずけられなければ、誰もやらない。圧倒的な強さで取り組まないといけない。それはもう完全に圧倒的な強さでもって取りかからなければいけない。狂わないと生き残れない。狂わないと死ぬ。狂い続けないと死ぬ。今突破する方法はこれしか思いつかない。悲しむ人もいるけれど、もうこれしかないのだ。向き合え。
この世界は真っ黒だけど、この真っ黒な世界を完全に直視するには、たぶん知性と忍耐が必要で。でも僕は、こんな真っ黒な世界とまともに向き合えてしまったら、気が狂ってしまうと思う。幸か不幸か僕にはこの真っ暗な世界に真っ向から向き合うだけの知性と忍耐力と集中力がない。だから気が狂ってない。幸せなことだなー。
いまメールがきた。4通来た。最近迷惑メールの受信数が半端じゃない。誰だアドレス漏らしてるの。多いときは5分に1通くらい来てる。しかも全部送信元のアドレスが違うからアドレス拒否しても全く効果がない。Amazonで買い物したら、Anazonというところからメールが来たしトマト運輸というところからもそっちゅうくる。Anazon。トマト運輸。あとは7000万円あげますとか2億円あげますとか300億円あげますとか本当に騙す気でやってるのか。まず信じるわけがないし、そんなお金突然もらっても使えるわけがない。本当だとしてもそんなわけのわからないお金はいらない。ありがとうございました

住所を変えてみる。住む地域を変える。模様替えをしてみる。着る服のテイストを変えてみる。近所付き合いの距離感を変えてみる。寝る部屋を変えてみる。習慣や趣味を変えてみる。
そのとき新しい環境に合わせて、身体や精神が変態するあいだの時間が「生きている」時間で。生き続けるために、ある状態とある状態の間の往復運動をする。自分のまわりの環境を俯瞰して捉える目を持つために。より「よく生きる」ためにはどうしたら良いか比較できるようにするために。思考を常に働かせておくために。ある状態に落ち着いたとしても、そこでなにか問題が発生した時逃げられるように。

色々と考えながら描いてみたけど、やっぱり家の絵が一番、対立するものとしてふさわしい気がする。看板の絵も「近い」けど、家の絵が一番シャープでストレートな気がする。ガードレールは「遠い」。街灯はまだよくわからない。歩道橋も描いて見たい。
で今日最初の材料を買ってきた。1820×910×30mmの発泡スチロール4枚。スタイロを使うか迷ったけれど、重さがあるのと、「発泡スチロール」っていう、誰もが想像できるものを使うことに面白さがあるような気がして、スタイロはやめた。これから、大きさを決めていく。
そしてバイト生活がまた始まる。。
20131123-235527.jpg

昨日、香川県庁舎に行ってきた。丹下健三が設計した建物で、写真では何度か見ていたけれど、実物は初めて見た。コンクリートを使って日本家屋とか神社を思い出させるよあな作り込みが細かく行われていて、めっちゃ力強くてかっこいい建物だった。まわりのまちなみから完全に独立して存在している感じがした。
で、この建物を描こうと思ってやり始めてみたら、なんだか全然気分が乗らなくて途中でやめてしまった。

なんでか考えてみると、僕にとって建物の絵を描くということは、その対象に対する、何か攻撃めいた感情(僕たちの生活は閉じ込められている元凶の、この不動産というものを紙に小さく描ききるという攻撃的な感情がある)とか、僕自身大学で建築を専攻していたときに抱いた建築や建築家への不信感とか、そこで生活•仕事をしている人たちや、この名もない建物を記憶に刻むための描く行為とか、いろんなものが入り交じっているので、香川県庁舎のような有名な建築は、わざわざ僕が描きとる必要はないし、その建物が発するオーラも筆を邪魔する感覚があったかもしれない。なんにしても、僕がやらなくてもいいんじゃないかという気持ちが働いて、やる気が起きなかったのかもしれない。

9月までの、鬼のようなバイト生活で貯めた貯金で、いま生活できている。でもそれも残り少なくなってきた。
4月からの動きのために、3月までにまたお金をためなくてはいけないのだけど、入金予定は展示のギャラだけで、何か別にお金になる仕事を探さなくちゃいけないかなーと思っていた。
で、昨日キキさんがやってる古本屋「なタ書」に遊びに行ってみたら、なんと百貨店か何かの3月までの緊急雇用で、フォトショップのイラストレーターが使える人をさがしているという情報を教えてもらった。キキさんさすがやー!と思って、早速紹介をお願いしたのだけど、今日1日待っても連絡が無いので、キキさん忘れたかな〜それかもう人がいるのかなあ〜なんて思って、やっぱり自分で探したほうがいいのかなあと思っている。でももう少し待ってみる。

あと、一昨日税務署に行って「美術家」で個人事業主申請をしてきた。大分で小鷹さんと話して、申請を決めた。あっけないくらいすんなりと終わった

「そうではない状態」をつくりだすことによって、この世界を「そうである状態」につくりかえることができる。

[告知]

Art project Oita「循環」

期間:2013年11月9日~2014年1月5日
会場:大分市中央町3丁目3-3-19「the bridge」向かいのフンドーキンマンション4、5階

入場料:500円(期間中何度でも入場可)

参加作家:遠藤一郎、林千歩、平川渚、飯島浩二、SAVAKO、安東幸夫、水川千春、はまぐちさくらこ、秋山裕徳太子、村上慧、旅する服屋さんメイドイン、たろ、愛☆まどんな、雪野恭弘、小鷹拓郎、小野愛、篠原有司男

 

—————————————————————–

 

大分での滞在制作から帰ってきて、すぐに風邪をひいて一日寝込んでました。37.5度の熱が出た。

帰りの未来へ号にのっている時点で、のどがいたくて、これは危ないと思っていたけど、未来へ号おりたあたりからだるくなってきて、家に着く頃にはもう完全に風邪ひいてた。

 

10月31日から昨日まで、大分市で開催されている「Art project Oita」に出品するため、大分市中央町にある「フンドーキンマンション」という建物で滞在制作をしていました。

Island Japanの伊藤さんと一郎さんからのお誘いを受けて参加したのですが、これがとっても楽しかったです。ただみんなでわいわいやって楽しかったというだけじゃなくて、参加作家として、ちゃんと制作ができたということをふくめて、充実した10日間でした。途中、2回くらい絶望に近い状態に陥り、夜中に走ってみたり、海まで散歩したり、ずっとやめていたタバコをすってみたりして、なんとか乗り越えて、作品に形を与えることができました。僕の制作部屋は5階だったのですが、フンドーキンマンションは、1階の次が4階になっているから、上の階の部屋に居ると地上との隔たり感が強くて、部屋にずっといるとどんどん孤立した気持ちになっていく建物でした。

最近は、映像編集の面白さにちょっとはまっています。映像の中では、例えば、町で掃除をしている清掃員を撮影して、その人が手を動かさないでぼーっとたっている瞬間だけを編集で取り出すといったことができる、みたいな、そんな映像制作の頭になっています。

 

今回の大分の滞在制作、10日間の短いあいだだったけど、古いビルにみんなで滞在して、それぞれの関係がとても密な状態で生活していたので、最後のお別れのときは、とても寂しい気持ちになりました。僕は最近までずっとバイトばっかりで、制作活動をあまりやっていなかったので、久しぶりに作家の人たちと交流して、緊張とか、不安とかで、まわりの作家さん達とうまくコミュニケーションがとれないという状態になってしまっていたけど、最終的に良い展示が作れたと思います。

また、一緒に仕事した作家さんたちの作品以上に、その振る舞いをみて、感動することが多くありました。

旅する服屋ともくんをみていて、僕自身が少し前までは、なにかと地域のコミュニティに入り込んでいくことを武器にしていたことを思い出した。地元の人が集まる居酒屋に通って仲良くなって、漁師の船に乗せてもらったり、祭りに参加したり現地の人と海に入って貝をとったり、持ち寄りの鍋をやったりして、とにかく地元の人と親密な関係をつくることを作品の一部にしていて、いまあのときみたいな動き方ができるかと自分に問うと、できないかもしれない、と思う。もう一度行かなくちゃいけない、というのが面倒に感じてしまったことが何度もあって、一度関係をつくってしまうと、それを維持しなくちゃいけない、という気持ちが勝手に働いてしまって、疎遠になった気持ちに”僕自身が勝手に”なってしまう。でも、ともくんや、一郎さんをみて、変に気を使うことは、相手にとっても自分にとってもよくないことになるのだと、改めて思った。

小鷹拓郎さんは、「自分のフィルターを通した他人の話」をするときに話し方のスイッチが切り替わる感じがあって、それがもろに今回の「401号室の元住民の展覧会を開催する」という作品に現れていて面白かった。飯島さんの作品もかっこよかった。一郎さんのもよかった。

女性作家の人たちのかっこよさにも痺れた。さくらこさんが来た初日に、部屋をのぞいてみたら床に寝ていて、その姿に作家としての覚悟みたいなものが見て取れて(というか勝手に僕が見て取ったんだけど)痺れた。さくらこさんもだけど、愛まどんなさんとか水川さんもずっと一貫したスタイルでぶれずに制作していて、その振る舞いもとてもかっこよかったし千歩ちゃんかわいかったし。

裏さんたちをはじめ、別府に滞在中の小野さんとかコーヒー屋のさくらとか、チェリーさんとか、大分を拠点として活動している人たちと仲良くなれたのも嬉しかった。しかも、なんと僕の学生時代に仲良くしてもらっていた先輩が、フンドーキンマンションの近くの飲食店立ち上げに深く関わっていたらしいということが、大分から帰ってきてからわかって、展覧会のクロージングで会う約束をした。これから何度も足を運ぶ場所になっていきそうな気がする。

 

僕はこれから、風邪をなおしつつ、自分のプロジェクトのための「練習」をはじめようと思う。この世界を、僕の活動に反射させて、大きくうつし出すために。

今回の滞在で戦っている人たちと再会できて本当によかった。「たたかっている人たち」と久しく会っていなかった気がする。またみんなと再会できるようにがんばる。