9月24日に
大阪のトークイベントで話します
————–
Tied Debate 05
「定住と移動 − 建築は動くか」
■日時:2016年9月24日(土)16:00~19:
■場所:上町荘 〒542-0062 大阪市中央区上本町西4丁目1-68
■主催:Tied(前川 歩 / 舩橋 耕太郎 / 志水 良 / 山口 陽登 / 中村 昌平)
■参加費:1,000円(1ドリンク付)(座席40席)
■アフターパーティ:1,000円
■ゲスト(順不同):
◉建築家 家成俊勝(dot architects http://dotarchitects.jp/)
◉アーティスト 村上慧(http://
現在、都市や田園につくられ続けている多くの建築は、
しかし、本当に建築は土地に深く根付いてよいのでしょ
私たちの生活は動くことによって成り立っています。生
また、近年は、多拠点での生活、もしくはタイニーハウ
一方、固有の場所に根付き、その場所ならではの建築の
今回のディベートにおいては、ゲストスピーカーとして
https://www.facebook.com/events/687960924689722/
————–
09192338
怒涛の週末がおわって静かになって雨が降っていてさみしい。あづまさんは本当はもっとノイジーでスーパーハードで誰もついていけないクレイジーなものがやりたいのかもしれん。どうしてもエンターテイナーになってしまうのかもしれん。ステージ上で狂った彼女をいつか見たい。ともちゃんはとてもピュアに制作していてあまりつっこむことができなかった。ピュアに自我にまみれながら制作している。彼女の作品についてのトークがフェイスブックの話になったのは自然な流れだった。みんなが各々の自意識に邪魔されながら生活しているフェイスブックの世界。スーツを着て神社の結婚式に参加したときに感じた違和感が近い気もする。つぎはぎというかそういう文化なのか。日本が敗戦国であることをあんなに意識したのは初めてだった。自分がどう見えるかを考えてしまう「自意識」と日本が敗戦国であることを思い出してもやもやしてしまう気持ちは近い。自意識は争いをおこしたりする。「日本を取り戻す」とかっていうフレーズからも自意識を感じる。キリスト教会での結婚式に対応させるために、「神前式」というものを開発して「日本式の結婚式」っぽいものをつくったのは、明治以降に日本を西洋化するためにつくられた伝統だという話を昔どっかで聞いた。それは自意識とは遠く離れたものに感じる。ともちゃんの絵はそのへんと戦ってる。
08280406
小さな希望しか持っていない。みんな所帯じみちゃって悩みがぐちゃぐちゃと。広島で中学生から年収いくらだとかって質問が来た時はびっくりしたが。その先に何があるのか。希望はないのか。なんでこんな後ろ向きなのか。しかしテレビとかネットを見すぎているのかもしれない単純に。テレビやなんかってのは、やっぱりなにか悪いことが起こった時に大きく話題になるし、解決策をさがそうとするからやっぱ距離が必要だと。立派な奴になれ
08140301
ぶんちゃん「死ぬまで俺は、このことは自分の胸の中へ大事にしまっとこうと思ったんだ。でも患って寝てるうちに考えが変わってきちゃったんだ。黙ったってつまんねえ。たったひとことで良いんだ。小せえ時からおめえさんのことが好きだったって、訳ぁねえよ。これっだけでいいんだ。これだけで気がすむんだ。だけどな、どうも俺には言えそうもねえ。だからね、酒を飲んで酒の勢いで一思いにやっつけようと思ったんだ。笑っちゃ嫌だぜおじさん。人に言っちゃ嫌だぜおじさん。」
おじさん「しかしなあぶんちゃん、おじさんに言わせると、それはよした方がよかあねえかなあ?
なげえ間、せっかく後生大事に胸の中へしまっといた事じゃねえかよ。そいつを今更何も外へぶちまける事もねえじゃねえか。うちあけられてその人は喜ぶかい?ねえぶんちゃん、人間てえものは自分の好きなものってえとすぐに自分のものにしたがったり、面と向かってあけすけに好きの嫌いのと言わなきゃあおさまらねえ。そいつは面白くねえと思うな。
例えばだねぇ。例えば、山の上の枝っぷりの良い一本松。こいつはどうにも自分のものにはならねえや。え?自分のものにならなくっても、芯から俺は大好きで、惚れ惚れまいにち眺めるんだ。無論、松はこっちの心は知らねえ。知らなくったって、そんなことは構わねえんだ。人間にだってそういう惚れ方があってもいいじゃあねえか。そういう惚れ方が、本当の惚れ方じゃねえか?自分のものにならねえのを承知の上で、こっそり誰にも内緒で黙って惚れるんだ。惚れっぱなしでお終いになるんよ。いいじゃあねえかこれでけっこうじゃねえか。なにをいまさら”わたくしはお前さんが好きでございました”。キザじゃあねえかそんなのはあ、俺は嫌だねえそんなのは。
宇野信夫「下町」というラジオドラマのクライマックス。近代はぶんちゃんをとったらしい。おじさんはいなくなった。
08140225
やる気とアイデアに満ちている。人間の寿命がもし500年あったら、音楽の長さもかわったりするのか。ロックの一曲の長さも3分じゃなくて30分くらいになったりするのか。
今日は朝アーティストのトビアスのお父さんのレイさんにジープに乗っけてもらい、シューティングレンジで射撃の体験をさせてもらった。3種類の銃を撃たせてもらって、一番小さいのは22口径、一番大きいのは確か40口径と言ってた。
22口径の弾はおもちゃ見たいだ。僕が「これが銃弾?おもちゃみたいだ」といったらレイは「そうだな。でもおもちゃじゃない。危険なものだ。これで殺す事ができる」と言った。撃った感じもほとんど反動がない上に8発連射できて、こんな簡単に撃てちゃうのかと若干ショックを受けた。こんなものでも人に当たれば死んでしまうのかと。逆に一番大きい銃(レイがカウボーイガンと呼ぶお気に入りの銃)は反動が半端じゃなくて一回撃っただけで腕や肩がすこししびれる。彼はこれでゾウも撃てると言っていた。
レイによれば、スウェーデンではほとんど銃による事故や事件はせいぜい一年に1、2件で、その1、2件も違法な持ち込みの銃によるものだという。「アメリカと大違いだ」と言ったらフロリダ生まれのレイは「そうだな。アメリカでは人によっては専用の大きな部屋をつくって、そこに何百っていう銃を保管してたりする。ここにはそんな人はいない。」と言った。
さっきラーズがオフィスに顔をだしたのでちょっと話した。僕は今作っているものをみせて
「こっちでの今年の展示に向けてこれを作っている。しかし何を作ってるのか僕もわからない。」
と言ったら、彼は笑って「それが普通だ」みたいなことを言った。何を作ってるのかわかってるときのほうが少ないと。彼は突然「もし君がパラシュートでこの街に落ちてきたら」とか「タブレットを二つ飲んで一つは日本に、一つはコロンビアに落とす」みたいなことを突然言いだしたりする。彼はディレクターだけどアーティストでもあるので思考が飛躍しまくる。
08140149
その日は、全く言葉が通じない床屋で髪をきってもらった。おじさんからこの辺で一番安い床屋を教えてもらい、その店の前まで行ってみたらそこは席が二つしかない小さな床屋で、店主らしきおばちゃんがソファに座って何か雑誌のようなものを読んでいた。店の前にきたらちょっとびびってしまって、散々店の前をうろうろしたけど、ある瞬間に「もう行ってしまえ」と決心がついて店に飛び込んだ。入ったらおばちゃんは僕の方をみて、何かに驚いたような顔をした。でもすぐに席を指さして「ここに座りなさい」的な事をスウェーデン語で話した(と思う)。席に座ったら赤い散髪用のケープをかけられた。
おばちゃんがスウェーデン語で話しかけてきたんだけど、僕は「すいませんスウェーデン語はわからないです」と英語で言ったら、わからないということは伝わったらしいが、おばちゃんは英語が話せないらしい。彼女はハサミを指して何かを言った後、壁にかけてあるバリカンを指してまた何か言った。明らかに僕に何かを聞いているような調子だった。これは要するにバリカンでバッサリといくかハサミでいくかという事なのか?と一瞬考え、僕はハサミのほうを指して「こっちで」と英語で言った。そしたらおばちゃんはハサミで髪を切り始めた。僕は新しい街で床屋に入るのが好きで、どこか新しい街に長期滞在するようなとき、その街の床屋にいって髪を切ってもらったりする。これはある種の洗礼のような儀式だと思っている。でも言葉が通じない床屋は初めてだった。おばちゃんは言葉が通じないにもかかわらずどんどん大胆に僕の髪を切っていった。おばちゃんのケープのつけかたが雑で、切った髪の毛は首のところからどんどん入ってきた。おばちゃんの手には派手なピンクのマニキュアが塗ってあった。このマニキュアの色とおばちゃんの佇まいが不釣り合いだった。
髪を切るってのは考えたら暴力的なことだなと思った。僕はおばちゃんの手に髪型を任せるしかない、とても弱い立場の人間なのだと思った。でもおばちゃんの中にはなにか「こういう感じにすればいいだろう」という確固たるビジョンがあるらしく、手つきに迷いはなかった。切っている間は終始無言だった。
おわってみたら、かなりばっさり切られたけど意外と悪くないなと思えた。前髪の残し方が特徴的で、おばちゃんのこだわりのようなものが感じられた。もしかしたらエーレブルーではこういう前髪が流行ってるのかもしれないけど。僕は親指をたてて「Good」を連発した。おばちゃんがすこし笑った。
切ったあとおばちゃんは「フンドレッティ」みたいな単語を繰り返し言っていて、そういえばこの店は180クローネで切ってくれるとおじさんが言っていたような気がすると思い出し、これはもしかしたら180という意味かと思って手の指で1と8を作って提示したら頷いたので、僕は180クローネ支払って店を出た。
08110001
やるきがでなくてまいった。さっき、ソフィアが野外彫刻がたくさん展示してあるっていうKonst på Högっていうとこに連れていってくれたのだけど、ずっと室内で作業しててぼーっとして、しかも今日は寒くて、あまり頭に入らず。おもしろいのもありそうだったけどどうも。ただ山の上から見る一面の森林と湖はとても綺麗だった。
しかし寒い。今日は特別に寒いらしいけど、明日も最低気温7度らしい。最近は天気も曇りが多くて、なんとなく冬の前という漢字がする。8月でこれなのか。ソフィアはマフラーを巻いてた。
08100142
一昨日から家は動かしてない。OpenArtのオフィスの余った一部屋をエリンが僕の部屋としてあけてくれて、これから9月の帰国まではこの部屋で滞在することになりそう。
一昨日と昨日は発泡ハウスでの就寝と同じスタイルでマットに寝袋で寝てたけど、今日ソフィアが布団みたいなふかふかのマットレスを持ってきてくれた。「地面が硬いでしょ」と。あと枕も家にたくさんあるから明日持ってきてくれるらしい。加えて、さっきガラスのドアにプチプチの緩衝材シートを貼って視線も遮り、完全に”部屋”になった。
今日はずっとその部屋でペンを動かす制作をしてて、夕方頃に動かなすぎて気分がわるくなったので、エリンに教えられたNew China Tradingっていうアジアな食材が集まってるスーパーに初めて行ってきた。醤油とか、味噌とか、日本の米(Sushi RiceとかHinodeっていう名前で売られてた)とか、ココナッツミルクとか、魚醬のようなものとか、アジアンな食材がたくさんある。店員も中国人っぽい。店に来てるお客さんにもアジア系の人が多かった。僕はそこでSushi Riceと乾燥わかめと味噌とかつおだしの素を買った。やっぱり食の習慣はなかなか変わらない。こっちではたくさんの優しい人たちがスウェディッシュな料理をつくってくれたり、スーパーに行って見慣れないものをちょっと買って料理してみたりもするけど、やっぱり基本的には日本で食べていたような食べ物が食べたい。この習慣から逃げられない。ずっと住んでれば慣れるもんなのか。
そこで売られてるいくつかのものに、中国産なのになぜかパッケージの表が日本語で書かれている食べ物をいくつか見た。それらはよく漢字が間違ってたり、なぞの言い回しが使われてたりした。なぜ日本語を無理に使おうとするのか。
08100123
今回のビデオレターから、遠い未来を見据えて手応えのあるものを形づくろうとする意志を感じて心にくるものがあった。有識者会議に議論を任せたり、あるいはいきなり国民投票をやったりするんじゃなくて、まず小さな単位の人たちで話し合って、その結論を上に上に押し上げていくっていうことをやるべきなんじゃないか。震災のときも繰り返し言われて、結局うまくいかずに終わってしまったけど、ここでそれができんとまずいんじゃないか。まじで。大丈夫なのか。そういうしくみが出来上がってないことが、あらためてすごくもどかしく思う。ボールは明らかにこちらにある。そんで、これも忘れ去られていくことを多分憂いている。今回のことは、いかにいまの社会がディスコミュニケーションばっかりで、矛盾に満ちていて、なにかの犠牲のもとに、何かを成立させた気になっているだけだったということをまた新しい形で浮かび上がらせた。どうすればいいのか。
荒川修作は永遠ていう言い方をしている。
「永遠の生命と、1億円あったらどっち欲しいですかと聞いたら、みんな1億円を取るんだよ。・・もうここまで文明が落ちたら、もう落ちっぱなしだ」
「我々が消えていく前に、”無限”てのが感じられたらどんなだろう。感じるだけでいいんだよ。まずは。『ああ、そんなものか』ってのがわかったらな、今度はお前たち “労働”は全然違うぞ。それに向けるから。何のために働くか。・・この地球上で人間は、誰一人として労働の目的を持たなかったんだ。」
と言っているけど、永遠とまではいかなくとも、例えば仮に僕たちの寿命が100年じゃなくて、500年だったら、もう少し遠い未来のことや、地球の環境のことや、原子力のことについて、今とは全然違う切実さで考えられるんじゃないか。彼が言った永遠っていうのは、未来っていう意味でもあるんじゃないか。
このへんは彼が「美」はしみったれてるっていうところともリンクしてくるんじゃないか。
「死ぬっていうことを真剣に考えない奴は”人間”じゃないんだから。どうしようもない。「美しい」とか「美しくない」とか、そんなくだらないこと。美とか美でないってのは、どうしてか知ってるか。死んでっちゃうからそういうものを作ったんだよ。・・日本の国学者なんかみんな、牢屋にいれた方がいいんだよ小林秀雄まで。「仮の宿から、ちょっと仮の宿へ住んで、ちょっと」なんて、あんなの。一番しみったれてんだよ。夏目漱石も全部だよ。「我輩は猫である」なんて。あいつは本当に猫だったんだよ。猫にしとけばよかったのに。・・文章なんか出して人間みたいな顔してるからあんなになるんだ。あんな本は2度と出しちゃいけないんだ。いいか、国学者がなにやったかっていうと「桜が綺麗です」。どうしてリンゴの花は良くないんだよ。リンゴ作っちゃうからだよ。あの実を。「桜はなんにも作らず・・。だからあれのほうが」なんて言うんだよ。いいか、これだけたくさんの梨の木やなんかから桜の木を選んだのは。いいか、しみったれてんのもいいところなんだぞお前。」
08080250 Örebroでの記事まとめ
Newspaper:
Radio:http://sverigesradio.se/sida/avsnitt/768175?programid=3118 (Fast forward to 3:17)
TV:http://www.svt.se/nyheter/lokalt/orebro/darfor-bor-han-i-ett-frigolithus
08072138
4日はオープンアートオフィス泊。夜ふらふら散歩してたら、缶ビールっぽいものをもって広場を歩いてる男性が警官に呼び止められて、それはお酒か、そこに捨てなさい。みたいなことを言われて男性が捨てているのを見た。捨てればオッケーなのか。
5日は敷地を交渉しにニコライ大聖堂へ行った。オフィスから歩いてすぐの、エーレブルーのセントラル広場の目の前に立ってる、街のど真ん中の教会。教会前の広場はポケモンGOのポケストップになってて人がたくさん芝生に座ってスマホをいじっている。つまらん。
教会の建築はゴシック調ではあるけどストックホルム大聖堂ほど装飾的でもない。700年くらい前からこの場所にあるらしい。内部の中央通路にはLGBTの権利を表す虹色の敷物が敷いてあった。
日本も色々あるが、スウェーデンにも色々あるんだろうなと、理解できた瞬間があった。昨日は広島に原爆が落とされた日で、日本は敗戦のコンプレックスだとか、歴史が蓄積されないだとか色々言われているけど、スウェーデンもキリスト教化された国の一つで、教会が虹色の敷物を敷いていて、色々あったし、今も色々あるんだろうなと。
歴史の動脈のことを考える時、積み重ねたレンガのように、わかりやすく蓄積されたようなものをイメージするけれど、歴史がそうやって「わかりやすく蓄積されていく」ということはないんだろうと思う。しかし本当にキリスト教にはまんまとやられている。
ちょうど僕が教会についたときだれかのお葬式の直後だったらしく、教会のドアの前には黒服の人たちが何人かいた。家を背負って歩いてそこにつっこんでいったので、若干不謹慎だったかもしれない。全員が完全に訝しんでいた。
最初中にいた女性に「この教会のオフィスはどこですか」と聞いたら、向かいの建物のカフェの中だと言われ、そこに行ってチャイムを押して、出てきた女性に「自分は家を運んで寝泊まりしているアーティストで、敷地を借りたいんだ」とフライヤーを見せてopen artという言葉を使わずに説明したんだけど「ここに寝る場所はない」と言われた。「ここはただのカフェなんだ」みたいなことを言ってて、よくわからんが、その女性がまた完全に怪しい人間を見る感じで見てきた。
そのあともう一度教会に行き教会の人に直接プロジェクトの説明をしてみようとしたら、たまたまアーティストのアレックスに会った。彼が「交渉してくる」というので、僕もあわてて着いていったんだけど、彼は教会で人を捕まえてすでに「open art」というワードを使って説明してくれていて、許可をとってきてしまった。彼が話していたのがこの教会の司祭っぽい。知的な印象のおばさんだった。僕としてはopen artというワードが魔法のように街の人からの信頼を得てしまうのでそれを使わず許可をとってみたかったのだけど、よく考えたらopen artがなかったらここには来ていないわけで、変なことにこだわっているのかもしれない。このへんの微妙な議論がこっちのアーティストたちとできないのが歯がゆい。
無事に許可とれたのはいいけど、なにせ街の中心部なのでひとがたくさんいる。夜中に人が来ても全然おかしくない。でもすごく開けっぴろげな場所なので、逆に危ない目には合わないかもしれない。
しかもエミルいわく、先週に給料日があり、今日は金曜の夜だからみんな酒を飲みに街に出るぞと言われた。大丈夫かと思ったけど、逆に人の目によって、変な訪問者を減らす、身を守るということがあるかもと思って、あえて大聖堂の正面入り口の扉の前に家を置いて寝てみることにした。こんな試みは初めて。
夜、先日庭を貸してくれた家族からメールが来る。今日テレビで僕の取材の様子が流れたらしい。僕はローカルニュースだと聞かされていたので油断してたけど、svtという国営放送のローカル枠ということだったらしい。
夜になり、なるべく目立たないように家に入り、物音を立てぬように家の中で支度をして、耳栓をつけて、横になった。しばらくは人の気配や、誰かがすこしドアを開けようとする音(でも、鍵が閉まっているとわかるとすぐに諦めて去っていく)で寝付けなかっけどいつの間にか寝てた。
そんで、ドアをノックする大きな音で夜中の4時前に起こされた。耳栓を外したら、なんか外が賑やか。男女入り混じった若いグループがすぐ近くのベンチで飲んでるらしい。そのなかの一人のお調子者みたいなやつが、ちょっかいを出しにきているという感じ。ハローと言ってドアを開けようとしたり、家をゆすったりしてくる。完全にめんどくさい状況になったなと思ったけど、耳栓をつけて無視することにした。しばらくしたら去っていった。
彼らがなんと騒いでたのかは全然聞き取れないけど「オープンアート」というワードは頻繁に聞こえた。オープンアートのプロジェクトだと知ってるから、ちょっかいを出せたんだろうなと思う。
これは大事なポイントかもしれん。オープンアートの作品だと知っていなければ、こんな怪しい、中にどんなやつがいるかわからないものにいたずらをしようとはなかなか思えないと思う。オープンアートの一環になることで、これは安全なものだっていうことが保証されてしまっている。
翌日6日。夜中に起こされたことで眠くてかなりうんざりしていた。家を再びオフィスに移動させた。アレックスが「今夜友達の誕生日パーティーがある」と誘ってくれて、そのためのビールを買いにナショナル酒屋へ。このナショナル酒屋に行かないと、アルコール度数が高いお酒は買えない。この酒屋は全国にあり、ここで売られてるすべてのお酒は価格が統一されてるらしい。中は酒屋というよりも綺麗なデパートという印象。買うとき、全員がID提示を求められる。
ビールコーナーが充実していて、なんとアルコール度数10パーセントのビールも売っていた。スウェーデン製。
結局友達の誕生日パーティーは1週間後の勘違いらしく、5人くらいでえみるの家で飲んだ。
僕は例によって飲みすぎて、今日のお昼くらいまで頭がくらくらして何もできなかった。彼らと一緒に飲んでるとたいていこうなる。彼らはお酒が強すぎる。無性にラーメンが食べたい。スウェーデンはラーメン屋がないのがとてもつらい。ラーメン屋がないのが結構つらい。スウェーデンに引っ越せと言われたら、ラーメン屋がないから嫌だと言おう。
08042107
去年から国際宇宙ステーションで始まっているたんぽぽ計画っていうプロジェクトがある。
生命の起源は地球上ではなく、宇宙のどこかから運ばれてきたものが地球に落下したんじゃないかという「パンスペルミア」という説があり、その可能性を探るために「地球の微生物が大気圏を超えて宇宙に飛び出すことはありうるのか」「宇宙をただよってるものから有機物をみつけることはできるのか」というような実験をする計画。宇宙のちりをとらえ、そのなかから有機体をさがす。なんて途方もない実験だろう。そんでそのパンスペルミアの立場をとってる研究者が「宇宙には高度な文明がたくさんある(あった)はずだが、文明の寿命が短すぎるから、文明どうしが出会うことはない」と言うようなことを言っている。このわくわく感久しく忘れていた。今の地球上のように、おそらくたくさんの星で生命がうまれ、その多くの生命体が地球のように大規模な定住社会を経て高度化して、高度化しすぎてほろんでいったと、ちょっと考えるだけでいい。
08042050
今日はラジオの取材が終わってすぐに家をOpen ArtのOfficeにまた移動させた。そんでエリンとソフィとのフィーカの時間に、近くにあるニコライ教会っていう教会が、LGBTの権利を主張する虹色の旗を掲げたりする、とってもオープンで素晴らしい教会だという話になり、宗教の話になった。
スウェーデンは一応今ではキリスト教国だけど、キリスト教以前に別の神話の信仰をもっていたのもあり、熱心なキリスト教徒は少ないらしい。多くの人はご飯を食べる前にお祈りをしたり、日曜日に教会に行ったりはしない。教会はミーティングの場所として認知されていたりする。ちなみにニコライ教会前の芝生広場は、ポケモンGOのポケストップになっており、お祈りに来た人じゃなくてポケモンGOのプレイヤーでいっぱいになっている。
と言っていた。そこから”social law”の話になり、僕はこっちにきてとにかくコーヒーを飲む機会が増えたので、「コーヒーはソーシャルロウみたいだ」と言ったら二人とも「そうだ」と言ってた。みんなコーヒーを飲む時に、紅茶を頼んだりすると「なんでコーヒーを飲まないの?」といつも聞かれると笑っていた。ここは「コーヒーカントリー」だと。
08042042
2日、黄色い家の庭にいるときにNAっていう地元の新聞が取材にきた。記者とカメラマン二人できて、僕から20分くらい話を聞いて写真を撮って帰っていった。翌日の3日、その記事が載った新聞が出たと人から聞いたので売店に買いにってみたら、僕の写真が1面トップにでかでかとあって「satoshiは家を置く場所を探しています」みたいな見出しと一緒に載ってて目を疑った。まさか1面に載るなんて全く考えもしてなかった。柔軟な編集部だなあと。あとで人から聞いたんだけど、いまこのあたりには地方紙がこの一つしかないという。スウェーデンでは近年「新聞クライシス」があって、かつてはたくさんあった新聞社はどんどん潰れてしまい、このNA誌もとても大きなオフィスを持っていたけど、今では小さくなってしまっているらしい。ちなみに新聞は20クローナだった。日本の倍くらいする。
2日に家ごとOpen Art Officeにいったん戻った。今日は教会に行く予定だったのだけど、スタッフの一人のエリンが、今日このオフィスの上にある屋上庭園で寝てもいいっていう許可をもらったというので、急遽そこを今日の敷地にすることになった。このオフィスはKäramarenていう、ここらでは有名な大きな建築物の中に入っていて、4階あたりの部分に屋上庭園がある。屋上庭園から上にも二つの建物が伸びてるんだけど、そこはマンションになっていて、その庭園には普段はマンションの住人しか入れない。今回はそこに入る許可をもらえたらしい。それを聞いて、スタッフのソフィアも「行ったことないから私も行ってみたい!」みたいな感じで盛り上がり、さらにNAの記事をみたという地元テレビ曲の記者も来て、結構な大所帯で屋上庭園にあがった。
今までで一番大きく作った家を背負いながらあまり広くない階段を苦労してあがり、あと一つ扉を越えれば屋上庭園っていうところまできて、家が扉を通らないっていう事態が起きた。他に入り口がないか探しにいってくれたりしたけど見つからない。僕の家は屋根部分がすこしでっぱってるので、試しに屋根を外してみた。僕は外せば入るだろうと思ってたけど、屋根をはずしても、側面の窓の飾りとしてつけたでっぱりが引っかかって入らなかった。あと1.5センチ扉が大きければ入るという感じ。そこで今度はテレビのクルーの人が、ドアクローザーのせいで全開になってない扉を全開にすれば通るんじゃないかと言って、ソフィアがドライバーをオフィスからもってきて、ドアクローザーを扉から取り外して、それでようやく入った。
テレビの取材は生放送じゃないとはいえ、英語で自分が考えてることを説明するのはかなりきびしかったけど、まあそれなりに伝わったと思う。英語を話す上で大事なのは、自分は話せないと思うんじゃなくて、自分は話せていると思うことが大事だというのもわかってきた。最後に「見てる人になにか伝えたいことはありますか」と聞かれ、「I will make my exhibition that visitors can carry my house,so please come and feel my heaviness」と答えて、答えた後に「feel my heaviness」っていう言葉が口をついて出てきたことにびっくりした。日本語での会話だったらまず出てこないくらい積極的なワードだ。でも考えたらこれまでこういうことを言わなかったのは不思議だ。
屋上庭園は、事前にエリンが「私は日本の庭園のような印象をもったわ」と言ってたけど、たしかに池があって、石があって、木が植えてあって、どこからか水の音が聞こえて、そういう印象をもつのもわからなくもない。ただ日本の庭園と決定的に違って、地面が芝生でできていて、どこででも座ってピクニックができそうな雰囲気が漂ってる。いわゆる日本庭園は多くの場合、その中に入っていってそこらに座り込むものではない。でも、今日の朝地元のラジオの記者(新聞、テレビときて、今日はラジオの取材も来た)も「この庭は日本を思い出すね」と言ってて、なぜこの雰囲気から日本を感じるのかはとっても興味深い。
08031056
この移動生活をするにあたって、日本と大きく違う点が3つある。まず公共のトイレが少ない。日本だと大きなスーパーにいくとたいていトイレも無料で使えるけど、こっちではスーパーにトイレはない。トイレが併設されてるようなコンビニもない。大きなデパートにはさすがにあるけど有料の場合も多い。5~10クローナかかる。
次に、スーパーで売ってる多くの食べ物は調理が必要。僕は日本でコンビニを食事・トイレ・休憩・インターネットのスポットとして使っていてとても大事な存在だったことがこっちにきてわかった。日本ではコンビニで売ってる多くのものが、持ち歩きに特化していた。こっちで買えるその場で食べられるものというと、お菓子(めちゃ種類がある)やパン、あと飲み物くらい。パンも、多くのものは買ってすぐに食べるというより、家に持って帰って調理して食べるという感じ。全体的にサイズが大きくて、その場で全部食べようとすると結構おかしな光景になる。
そんで、一軒家の庭が広い。多くの庭は家と同じくらいの面積がある。庭は芝生がほとんどで、芝生はとてもやわらかい。庭では足の細長い小さな蜘蛛やハサミムシをよくみる。時々15センチくらいの超でかいナメクジもいる。あとヒル(多分)も見る。
08022227
昨日は面白い店がある家の庭を夕方4時ごろに出発。日本では夕方4時から歩き始めるなんてほとんどなかった。スウェーデンは今の時期夜遅くまで明るいからいつまでも歩けてしまう気がする。
今日の敷地は、僕が作ったフライヤーを見て連絡してくれたアーティストの男の子(エーレブルーの美術学校を卒業したばかりで、夏からはロンドンのゴールドスミスカレッジにいくらしい)の家の庭。家は黄色い壁の木の家で、家の周りを囲んでいる芝生の庭には古い木が何本も生えている。トマトやバジルやパプリカを育ててる小さなビニールハウスがあって、多くのスウェーデンの一軒家の庭と同じくいくつかのテーブルと椅子が置いてあって、あと大きな犬がいる。とっても人なつっこくてやんちゃな若いわんこなんだけど、よく訓練されたハンティングドッグらしい。あとで知った。
連絡をくれたアーティストの子は、モーターや機械を使って人形や植物やアコーディオンを動かして、不穏な雰囲気を醸し出すスカルプチャーを作っている。家に小さいころ描いた絵(シルクハットをかぶったピエロのような人が、ドクロの風船を持って笑っている絵)が飾ってあって、彼はそれを僕に見られて「これは、遠い昔に描いたやつだから。母さんが好きだというから飾ってあるんだ」と若干恥ずかしそうにしていた。
彼には兄弟がいて、彼は東京に住んでアニメや音楽の仕事をしているらしい。「先輩クラブ」という、カルト的な人気があるアニメーションの作者で、初回をスウェーデンでつくり、日本に持って行ったところ大受けし、いまでは日本に住んでアニメの続編などをつくっているという。
お父さんはアメリカ生まれで、お母さんがスウェーデン生まれ。お父さんは世界中を旅した経験があるらしく、日本にも行ったことがあると言っていた。見た目が若干怖いけど、知的でとてもやさしい人だった。
僕が「スウェーデンの人々と、日本人のメンタルは似ているところがあるかもしれない」と言ったら彼も賛同していた。「シャイな人が多いけれど、一度仲良くなったらとても親切で、温厚で静かな人種だ」と。
彼はハンティングの趣味があり、銃を何種類か持っているというので見せてもらった。ショットガンや2キロ先まで狙える本物の狙撃銃を持たせてもらった。スウェーデンでは非常に厳しい試験や検査をパスすれば銃が所持できるらしい。僕は本物の銃を見るのは初めてで、どの銃もとても重い。持つと動悸がした。これで人を何人も殺せるのか、と思うと動悸が激しくなった。最近、人がたくさん殺される事件があまりに多い。そういう犯罪を、自分とは違うとんでもない奴がしでかしたことだと考えるのは簡単だけど、残念ながら暴力への欲望はほとんどの人の心のどこかにあるものだと思う。やっぱり生き物だから。エーレブルーには狙撃場があるらしく「もしやってみたければ、今度シューティングに連れていくよ」と言われたとき、僕は心底「この銃を撃ってみたい」と思った。だから「ぜひやってみたい」と言った。だけど「銃を撃ってみたい」っていう欲望が自分の中のどこから来るのかわからない。
夜になり家でみんなでご飯を食べ、しばらくゆっくりしたあと「それじゃあ僕は家に戻ります」と言って庭の家に戻ろうとしたらお父さんに「君が「家に戻る」と言うのはなんか変な感じだな。庭に君の家があるんだから」と言われた。たぶんこの変な瞬間に、このプロジェクトの肝がある。
翌朝この家のお母さんと庭で朝ごはんを食べた。彼女は「アメリカは素晴らしい自然があるし、素晴らし人々もいる。だけどスウェーデンのほうが住みやすいと思う。やっぱり犯罪は多いし、格差もひどいし、あと最近出てきたトランプ。なんだアレは」と言ってた。
僕は家の外壁を見た。多くのスウェーデンの家と同様、縦方向に組まれた木製で色は黄色。ところどころにトンボやトカゲなどをモチーフにした飾りがついてる。彼女は「壁は自分たちで定期的に塗っている」と言った。「昔から黄色なのか」と聞いたら、「2年に1度、壁を1面ずつ上塗りしてる。いっぺんに塗ると大変だから。だから昔から黄色しか塗ってないの」と言った。
そういえば住宅街を歩いてると、時々家族で壁を塗ってる家を見かける。「日本ではあまり見ない光景だ」と言ったら「スウェーデンでは、壁の色を塗ったりするのが休みの主な過ごし方だ。アメリカもそうだった。」と言った。
だからかもしれない、エーレブルーの住宅街の色合いは全体的にマットな質感で手作り感があちこちから感じられる。日本の住宅街と違って、キラキラしてたりピカピカしてたりしない。みんな「自分の家に住んでいる」という感じがする。日本の住宅街で時々感じる「住まわされてる感」がない。
08011044
今は、エーレブルーの中心からすこし南のほうに行った一軒家の庭にいる。ここもOpenArtのスタッフのソフィアが紹介してくれた家。建てられてから90年くらいの家で、白いセラミック製の綺麗な薪ストーブがあって「これは昔からあるトラディショナルなストーブなの」と言ってた。スウェーデンの家は基本的に背が高いけれど、この家はまわりと比べても背が高くて、地階ではこの家のお母さんがお店をやってる。映画や歴史的な人物や動物やよくわからないいろんなものにコスプレできる服や小物を貸したりしている店。服をいろんなところから集めてきたり自分で作ったりしていて、その膨大なコレクションが地階に詰まっていた。当然、一年で一番忙しい時期はハロウィンらしい。
昨日、夕食(ポテトとサーモンとサラダとパンの、ティピカルスウェディッシュなご飯をつくってくれた)を一緒に食べているとき、家族でゲストハウスをつくっているという話をしてくれた。ここから車で30分くらい走った湖のほとりに、1年ほど前からお父さんが中心になって、完全セルフビルドでゲストハウスを作っているという。工事はほとんど終わっていてあとは水道パイプをつけるだけだと言っていた。スウーェデンでは25㎡くらいまでの小屋は自分で作れるらしい。お母さんがわざわざパソコンで写真をたくさん見せてくれた。家族みんなで壁の骨組みを立ち上げたり、家が完成して誕生日パーティーをやったり湖で泳いだりしてる写真を見て、この家族がこれまで共に過ごしてきた時間が流れこんできて、なんだかえらく感動してしまった。
この家の隣は、外国(たしかポーランドと言ってた)から来た出稼ぎの人たちの家で、スウェーデンでは建設現場などで多くのポーランド人が働いてるらしい。同じように、スウェーデン人もノルウェーに出稼ぎにいくという。「スウェーデンよりもノルウェーは物価が高い。だから出稼ぎにいくんだ。とても簡単に行けるから、カフェとかレストランでしばらく働いてお金を稼いでくる。言葉も近いからお互いに理解出来る。」と言っていた。
翌朝「マッシュルーム」と呼ばれているウォータータワーに連れて行ってくれた。特徴的な形をした貯水塔で、エレベーターで上に上がれて、エーレブルーを見渡せる展望台がある。登ってみたわかったけど、エーレブルー周辺は地形はフラットで高低差がない(スウェーデンは北のほうにいくと少しずつ山になっていくらしい)。そして周辺をぐるっと森に囲まれていて、大きな湖も見える。50メートルくらいの塔だけど、街は全て見渡せる。コンパクトさがよくわかる。
そのあと、小さな家がたくさん集まっているという場所に連れて行ってくれた。行ってみるとフェンスに囲まれた敷地内にたくさん小さい家が集まっている大きな庭のような場所だった。もともと大きなサマーハウスを持てない労働者もサマーハウスを持てるようにと企業が土地を用意し、そこにそれぞれが小さな家を建てたらしい。今ではサマーハウスとして使ってる人もいるけど、宿泊施設としても貸してる家もあるみたい。こういう庭がエーレブルーの中だけで他にもいくつかあると言っていた。
あと、車に乗りながら旦那さんがある大きなビルを指して「この建物がみんな気に入らないんだ、周りと色が違うから」と言っていた建物があった。確かに少しばかり派手な印象はあるけど僕には十分控えめなカラーリングに見えた。
もう8月だ。東京では新しい都知事が決まった。この家のお母さんは、先日津久井で起きた障害者施設での殺傷事件のことを知っていた。このニュースはこちらの新聞でもテレビでも取り上げられてるらしい。
07311559
昨日どこにいたかがうまく思い出せない。正確には昨日の記憶が昨日のものなのか一昨日なのかわからない。
そうだ昨日はホステルの庭にいた。日中はぐずぐずした天気で、湿度が高くて時々雨が降るような気候だった。日本の夏を思い出した。夕方から晴れて、気温もちょうどよくて気持ちよかった。ただ風がつよかった。
昨日はホステルから、stora holmenていう児童遊園のような公園に移動した。Open Artのオフィス経由で、オーナーのアンダースさんが公園に家を置いていいっていう許可をだしてくれた。公園で許可をとって寝るなんて日本では一度も出来なかった。stora holmenは9時~18時まで営業している児童遊園で、営業時間が終わると園内を回る小さな電車とか小さなメリーゴーランドとかは止まるけど、公園そのものは自由に出入りできる。公衆トイレもあるし、誰でも使える水道があるし、小さな売店まである。日清のカップヌードルが売ってた。
アンダースさんはめちゃ気のよいおっちゃんで、4年前からここを運営しているらしい。子供が好きだと言っていた。長いこと使われてなくて物置になってるスタッフ用のシャワールームを貸してくれたり、ホットドッグやカップラーメンを差し入れてくれた。
「日本でもこういう公園に泊まったことがあるか」と聞かれて
「日本では公園には泊まれない」と言ったら
「お金がたくさんかかるのか」と言うので
「日本の公園では許可がもらえない」と言ったら、「Oh…」と言った。公園ていう場所の考え方が日本と違うんだろうけど、それをうまく言えない。
アンダースさんは「またいつでも来てくれ」(アンダースさんが日本人だったらこういう感じでいいそうだ。英語で聞いたことを日本語に帰る時に、語尾の言い回しにちょっと悩む)と言って、僕の電話番号を自分の携帯に「Tokyo」という名前で登録していた。「私は東京には友人がいないからこれがわかりやすい」と笑っていた。
夜にちょっと散歩してみたけど、昼間賑やかだったのが嘘みたいに夜は人っ子一人歩いてなくて、結構こわい。遠くの方から、野外でやってるらしいライブの音が聞こえた。エーレブルーは最近毎日のようにどこかしらでライブをやってるのが聞こえる。フェスみたいで楽しい。
今日も風が強い。家は小高い丘の上に置いて、普段は全然人が来ないようなスペースだけど時々子供が家を見つけて近寄ってきてドアを開けようとする。僕は中で日記を書いたり絵を描いたりごろごろしたりしていて、中から「Hello!」って声をかけたら子供はドアを引くのをやめて、お父さんを呼んできたりする。僕は中から顔を出して父親と子供に声をかけたら、スウェーデン語で話しかけられ、スウェーデン語はわからないと言ったら英語で「ちょっと家をみせてもらってます」と言って去っていく。
07301036
いまは朝の10時32分。エーレブルーの町中にあるホステルの庭のベンチに座ってパソコンを開いている。とても広くて素敵な庭で、地面はやわらかい芝生。ベンチや小さなテーブルが数組置いてある。テーブルには鉢に入った花が飾られてる。あと子供が遊ぶための小さなツリーハウスや、小さな泉もある。泉には噴水と、小さな滝もある。噴水から落ちる水の気持ちよい音が1日中聞こえる。道路に面して2階建の薄いピンク色のホステルの建物があり、建物の裏側にこの庭がある。建物の1階にオーナー夫婦が住んでいて、2階がホステルとして使われてる。ここには昨日着いた。
一昨日は家は動かさず引き続きトーマスの家の庭が敷地だった。僕が起きた時には家の人は誰もいなくて、ちょっと不安になるくらい静かだった。わずかな環境音とたまに車が通る音がするくらいで、庭の椅子に座って通りの方を眺めててもほとんど誰も通り掛からず、誰も住んでないのかと思っちゃうくらいの静けさ。夏休みでみんな出かけてるからなのか、もともとこういう感じなのかわからないけど、ゴーストタウンのようだった。どの建物も色が基本的に似ていて、道路に多少ゴミが落ちていても街全体からは綺麗な印象を受ける。ちょっと前に「奇抜な色の家を建てたりしたら法律違反なのか?」と人に聞いてみたら、「法律違反ではないけど、周りの人がとても怒る。『ここにふさわしくない』と。」と言っていた。
僕は日中絵を描いたり散歩したりふらふらとしていた。昼間に知らない番号から着信があり、出てみたら「寝る敷地を貸せます!」という男の人からの電話だった。Open Artのオフィスで僕が敷地を探してる話を聞いたらしい。そんで来週の月曜日に彼の両親の家の庭で寝ることに。彼もアーティストで「明日から個展があるから、よかったらそのオープニングに来て話をしよう」というので「いけると思う」と言って電話を切った。
夕方、近くのフードショップで、菓子パンのようなものと、サラダバーのようにパスタやサラダを選んで紙の容器に入れ、重さで値段がきまるやつ(これが結構いい。そんな安くはないけど野菜やパスタは新鮮で美味しい)と、ノンアルコールビール(買ってからノンアルコールだと気付いた)を買って庭の椅子に座って食べてたら息子氏が帰ってきて、「食べ物を買いにいく」というので今度はふたりで同じフードショップにいった。息子氏は「料理は得意じゃないけど、なにかパスタをつかってつくる」と言ってた。その後家で僕の分も夕食をつくってくれた。短くてツイストしたパスタにブロッコリーとベーコンを添えたシンプルなやつ。
早く寝るつもりだったんだけど、家に戻ってから息子氏に教えて貰ったWi-Fiがつながったので、奈保子に「無料で読める」と教えてもらった漫画「ブラックジャックによろしく」をネットで読みはじえてしまって、気がついたら明け方の4時になってた。どうも寝床でネットが使えてしまうのはよくない。こっちではネットが使えるのはWi-Fiがつかえるところだけだ。そのおかげで実感できたけど、1日のどこかでネットを使って何かしらを見ないと、禁断症状に近いようなものがでる。これはもう受け入れるしかないのか。しかしスウェーデンまできて人の家の庭で明け方までネットで漫画を見て起きてるというのはどうなのか。
そんで昨日は夕方4時頃にトーマスの家を出て、まずは電話をくれた彼の個展会場に行ってちょっと挨拶して、その後このホステルまできた。ここは、OpenArtのスタッフが探しだしてくれた場所。さっきオーナーに聞いたら、去年のOpen Artの参加作家の中に家族がいるらしい。
ホステルには僕の他におしゃれなおじさん4人組がいて、彼らは1週間くらい滞在している。ブリッジっていうカードゲームの世界大会がこのあたりで開催されていて、それに参加しにきているらしい。「とにかく多くの国から、めっちゃたくさん人がくるんだ」みたいなことを言ってた。僕はそのおじさんの一人にopen artを知ってる?と聞いたら「知ってるよ」と言ってた。
この人はみんなopen artを知ってるようだ。Open Artっていう名前を最初に聞いた時は「大丈夫か?」と思ったけど、こっちにきて、現地のアーティストやディレクターやスタッフやスポンサーになっている会社のCEOなどいろいろな人と会ってるうちに、みんなの生活の中にこの芸術祭が根付いていて、大事に思ってるのが伝わってきた。ローカルな芸術祭なんだけど、そのローカルさがとても自然だ。「自然にやろうとしたら、まあこういう感じになるよな」っていう、意表をつかれるところもある。ディレクターのラーズは、過去の作品写真を見せながら一つ一つ「こいつが面白いんだよ」と楽しそうに話す。この芸術祭の性格はラーズのキャラクタによるところがおおきいんだろうけど、ワンマンていう感じでもない。みんな自然に、楽しそうに、ある種のドライさをもって、ビジネスライクになりすぎず、力を抜きつつせっせとやるというか。日本にはたくさん芸術祭があるけど、芸術祭の運営もアーティストも、それがもう職業になっちゃってもはや量産体制の域に達しているけど、その話をこっちのアーティストにしたら「スウェーデンにはアートフェスティバルは全然ないよ。芸術祭はお金がかかりすぎるから」と言ってて、その言葉が眩しかった。
さっきまでホステルのオーナー夫婦が用意してくれた朝ごはんを一緒に食べて、そのあとオーナー夫婦は「take a little trip」と言って出かけていった。また「来年OpenArtで会いましょう」と言って別れた。相変わらず噴水が気持ちよい音を立てている。ここにこういう時間が流れているということを、これから生涯思いだすことができるだろう。いまこの瞬間も、この地では噴水が気持ちよい音を立てているはずだっていうふうに。
今日は午後からまた別の場所へ動く。
07292309
過渡期だ。みんな、自分がどこにいるかわからない。お前だけじゃないぞ。みんなわかってないんだ。だから自信を持ってやっている人を求めている。あぶない。自信を持ってやってる人を求めるのは危ない。このままでいいのかとか、ここで何をするべきなのかとか、意外とみんなわかってないんだ。まわりからそう見られてしまってるのに、自分はそうじゃないと言い続ける終わらない戦いのなかに全員が放り出されている状態だ。まじではんぱない状態だ。
07281110
昨晩はopen artのオフィスを出発し、人に録画をしてもらいながら2キロちょっと離れた一軒家の庭まで歩いた。すれ違いざまにこっちから何度か通行人に「ハロー」と言ってみたけど、返事が返ってきたのは数人だった。もう少し通行人の反応があるかと思ったけど。日本の地方都市と似てるなあと思った。途中2人の人に話しかけられた。一人は男性で「あんたは家がないのか?」と言った。僕は「これが私の家なんです」と答えたら、彼はちょっと笑って「Oh」みたいな感じで去っていった。「家がないのか?」っていう声かけは日本でも度々あった。もう一人はおばあちゃんで「…かたつむり…」と言ってたけど、僕はsnailという単語しか聞き取れず、笑って去るしかなかった。(みんなまずはスウェーデン語で話しかけてきて、スウェーデン語がわからないというと、即座に英語に変換する。)
今日敷地を借りる家は先日open artスタッフが集まるパーティーで知り合った人の家で、快く貸してくれた。ただしこの家のオーナー夫婦はいま夏休み中(今の時期スウェーデン人の多くは夏休み中で、自分のサマーハウスに行ったり旅行に行ったりする)で、家にいない。着いた時家の庭にオーナーじゃない男性と女性がいて、彼らが僕を迎えてくれた。彼らは「オーナーは2階に住んでて、私たちは1階に住んでる」と言っていた。アパートみたいな感じなのかな。よくわからない。
しばらくして息子さんが仕事から帰ってきた。アート関係の仕事ではない。街の寿司バーで寿司を買ってきてくれた。一緒にご飯を食べて、少し話をした。彼は僕と歳が近い。「日本では、スウェーデンは治安の良さと福祉体制がしっかりしてるという良いイメージがある」と言ったら「彼はその通りだと思う」と言ってた。
「スウェーデンで一番問題になってることはなに?」と聞いてみたら「大きな問題が二つあると思う。」と言って「一つは、格差が大きくなってること。もう一つは、スウェーデンはいま多くの移民を抱えていて、彼らが財政を圧迫していると言って、よく思ってない人がいる。EUを抜けるべきだという人もイギリスやフランスほどじゃないけどいる。ヨーロッパの他の国と同じような状況だと思う」と、つかえながら話してくれた。彼も僕に英語で伝えるのが時々辛そうだったけど、大雑把な言い回ししかできないぶん、大胆に話ができることもある。言葉を細かく使うのをたまにはやめてみてもいいかもしれない。
あとテレビを見せてもらった、夜の8時台で日本でいうとゴールデンタイムっていうやつでどの曲もバラエティをやってタレントが出まくってる時間帯だけど、こっちではそんなバラエティみたいな形態は存在しないようだった。真面目な番組しかやってない印象。アメリカのドラマとか、なんかよくわからないけど森の中で人がカメラに向かって話してる番組とか。日本のテレビみたいに、話してることをそのまま字幕にするようなことはない。英語の会話だけ、スウェーデン語の字幕がついてた。あと馬に2つの車輪がついた乗り物を引っ張らせてレースをする番組が。これは日本でいう競馬のようなものらしい。「なぜ彼らは馬に直接乗らないんだ」と聞いたら「いろいろとある」みたいなことを言ってた。
「日本ではテレビが人々を馬鹿にしていると思う」って言ったら彼も「スウェーデンも一緒だ。難しいことを簡単に扱おうとする」と言ってた。でも難しいことを扱っている時点でレベル高いじゃないか。彼はテレビはほとんど見ず、ほとんどインターネットらしい。インターネットで何を見てるんだと言ったらちょっと考えて「ツイッターはよく見てるかもしれない」と言ってた。そのあとシャワーを借りて歯を磨いて「僕は家に戻るけど、夜の間はドアに鍵をかけて大丈夫。僕はポータブルトイレを持ってるから」と言って家に戻った。ポータブルトイレというのは空のペットボトルのことだ。この「家に戻ります」と言って玄関をでて庭に置いてある自分の小さな家に向かう瞬間が好きだ。なんか笑ってしまう。
ここらは静かな住宅街(エーレブルーは中心街以外はだいたい静かな住宅街だけど)だし、おまけに地面は芝生だし、寝るためのマットも日本で使ってるような銀マットじゃなくて、もっと厚手のしっかりしたやつだし、家も大きいので快適に過ごせてる。明け方に少しだけ雨が降ったけど雨漏りはなかった。
当面は、open artのスタッフに場所を探ってもらい、その場所をまわりながら生活するというスタイルになりそうだ。関係者やその友達の家であれば、僕が交渉するまでもなくすんなりと敷地を借りることができるだろうし、公園とか広場もopen artのスタッフからあたってもらえば借りることは難しくないだろうと思う。現にソフィアが、ある公園に電話で掛け合って、泊まってもいいという許可をとってくれた。公園で許可がもらえるなんて日本では考えられない。公園ていうものの考え方が日本と違うこともあるだろうけど、なにより、この芸術祭が街に受け入れられてる証拠だと思う。
でもopen artのスタッフを介さず、できればopen artというキーワードも出さずに「この家を置く敷地を貸してもらえませんか」という交渉だけでいずれ敷地を借りたい。今日歩いてみて、なんとなく教会だったらいけるんじゃないかっていう直感があった。
07271239
昨夜はOpenArtのオフィスで寝てみた。新しい家のトライアル。スウェーデンは日本よりもずっと道路が広く、歩道も広く、家も大きい。アパートも広い。こっちに来て二人のアパートに入れてもらったけど、両方とも中に入ってからの奥行きの深さに驚いた。あと、靴は玄関ぽいエリアで脱ぐ。この「玄関ぽいエリア」にはマットが敷いてあったりする靴箱が置いてあったりするけど、別にマットの上じゃないところで脱いでも差し支えないし靴箱に入ってなくてもいい。「このへんで脱いで、このへんで履く」っていう大雑把さがある。ストックホルムのホステルでは、みんなロビーやら玄関やらを裸足で歩いてたり、かと思えば靴で歩いてたりして「どっちだよw」と思った。
とにかく基本的に土地が広いで僕ものびのびできるように日本の家よりもすこし大きく作った。さて今日から歩き始める。こっちにきてまだ3週間くらいで日本とどのくらい勝手が違うのか、まだ見えないところがたくさんあるので緊張はあるけど、ストックホルムに行って色々見て、もう向いてるのが前なのか後ろなのかもわからんがやるしかないということになった。前か後ろかはわからんが、とにかく中心はここにとりもどさないといけない。1日という時間が目の前にそびえ立っている。子供の頃に感じた夏休みの1日が始まる前のような感じが。毎日同じ事をしていたらどんどん遠のいていくあの感じが。
今日は朝8時半ごろにOpenArtスタッフのソフィアが出勤してきてせっせと掃除を始めて、仕事にとりかかっていた。僕は彼女たちの話し声で目覚めた。朝ごはんにソフィアが、「Just swedish food」と言って、ドライブレッドとチーズとバターを買ってきてくれた。こっちではチーズが安くて、ハードなパンにバターを塗って、専用の器具(最初僕はこれを、ジャガイモの皮むき機だと思った)で薄く切ったチーズをのせて食べるっていうスタイルが一般的らしい。あとみんなコーヒーを飲むのが好きだ。コーヒーを飲む時間を大事にしてると思う。コーヒーブレイクのような時間のことを彼らはフィーカと呼んだりするけど、街中で「フィーカを持ち歩こう」みたいなキャッチコピーで食べものが売ったりしているので、使い方はあまり厳密じゃないっぽい。
あらゆる建物が石でできていて、それぞれに歴史が蓄積されてるようだ。ほとんどの建物がゆうに築百年以上はたってるだろう。やっぱり地震がないのが大きいのだと思う。ストックホルムで見た陸橋の柱は細くて強度が不安だなと思った。街を歩く人は荷物がみんな少ない、現金を使わずにカードを使う。とにかく身軽に歩いている。僕たちは遊動生活と引き換えに身軽な体とクレジットカードを手に入れたんだろう。ここにいるとよくわかる。
07260021
僕が泊まってるホステルは狭い部屋に2段ベッドが3つ置いてあるドミトリー形式なんだけど、僕が最初に来たときから同じ部屋に大きめのバックパックを背負った若い男子(ヨーロッパだろうけどどこの国かはよくわからない)二人組がいて、僕が土曜の15時にホステルに着いたときにはベッドでごろごろしながらiPhoneをいじってて、土曜日の夕方17時過ぎにホステルに戻ってきたときもベッドでごろごろしながらiPhoneをいじってて僕は「出かけろよww」と思った。
日曜日は友達に勧められたスコーグスシュルコゴーデンに行った。これが素晴らしかった。教会やビジターセンターの建築も良かったけど、ひとつひとつの墓地にそれぞれ花だったり置物だったりが並んでいる風景を見たとき、建築的な体験と、カルチャーショックが相まって鳥肌がたった。とてものびのびしていて、お墓がこんなに清々しくなるものなのかと。学生時代、建築のアイデアコンペに出すため、お墓に町の寄り合い所の機能を持たせる設計をやろうとしたことがあったけど、そのときに見ておきたかった。100年くらい前に、ストックホルムで墓地が不足したことから計画され作られたもの。木々や小道のランドスケープと建築とがひとつになってる。僕は伊勢神宮を思い出した。
お墓にはひとつひとつにだいたい一人の名前(多いやつもある)があって、それぞれの石に花だったり、猫の置物だったり、小さな灯りのようなものだったりが添えられてる。何も置いてないお墓もある。また墓石もひとつひとつデザインが違って、ただの大きな石に名前を彫ってあるようなやつもあった。日本のお寺のお墓よりも「ここにいる感じ」がある。多分一番動かせないのはお墓だ。墓石を動かしたとしても、お墓が動いたことにはならないだろう。歴史的な建築物の移築はよくあることだけど、お墓は動かせないだろう。それはたぶん生きることは動くことで死ぬことは止まることだから。墓は動かないだろう。
今日はいくつかの教会と宮殿などをみてまわるなど。とにかくやるしかない。ストックホルム大聖堂は700年くらいの歴史をもつゴシック調の大聖堂。これでもかっていうくらいに装飾された説教壇とかをみてると、彫刻や建築や絵画は、ある時代では力を見せつけるために利用されていたことを思い出す。ここに入ったときの「うお!なんかすげえ」っていう感動によって小さな自分と大きな力の差を植え付けられる。今はそこに観光客がたくさんきて写真を撮りまくって帰っていく。説教壇とかはもはや凄みを見せるものじゃなくて、その形だけがのこってて、それをみんな写真にとりまくる。観光客っていう視点はある種の成熟の証なんだろう。こういう大聖堂を舞台にしてブラックな歴史をつくりまくってきたキリスト教だけど、人間はすこしは前に進めたのか。今でもしかしキリスト教にはまんまとやられているな。人間は遊動生活時代には頭を他のことに色々と使っていたので余力をぶちまける対象なんてなかったんだろうけど、定住生活にシフトした余力でこんなすごい大聖堂とかをつくったり、フェイスブックやツイッターをやって人の投稿に嫉妬したりして自殺したり人を殺しまくったりするんだから本当には何がなんだかわかってないな。
07250000
もうわかった。もうこりゃあだめだ。怒りをぶちまけるぞ。それも、ちょっとひねる。もううだうだやっていてはだめだ。もうよくわかった。噂には聞いていたけど、もう完全にうんざりとよくわかった。ねじまがった人と、ねじまがった人を無意識に作り出している世界と、幸せとかお金のこととか、もう本当になんにも話にならん。何かが閉じてるだとか、表面的だとか、もうどうでもいい。適当なことも言っていいし、調子にのってもいいぞ。不完全で不平等でどんどんお金が入ってくる人もいればどんどん死んでいく人たちもいて、犬とか猫とかもどんどん殺されていて、虫たちもどんどん殺されていて、日々DNAをいじくる人もいて、目の前の仕事でいっぱいいっぱいの人もいれば、そんなにいっぱいいっぱいじゃないのにおなじようにご飯を食べて暮らしている組み合わせもある世界だ。東京で営業で成績が取れなくてデスクを上司に蹴られる会社員もいれば、年収300万円以上の人との結婚は考えられないという会話で盛り上がる人もいれば、ストックホルムでお金を路上でせびるおっさんもいれば(5クローネくれと言って2クローネしかもらえないと不満げに去っていく。しかもそのお金でタバコを買う)、タバコを奪い取る女(たばこが入った箱をテーブルに置いておくと「タバコをくれ」といって勝手に中から何本も取り出して持って行こうとする)もいる。おとなしく平和に生きてるつもりで、目の前の敵にも気づかないでやっていると、やられるぞ。声を上げないとまずい。やられる。なんでも使ってなんでもやる。中途半端では生殺しだ。朝に殺されるってのはこのことか。



