「三角カフェ」(吉原芸術大サービス参加作品)

期間:2月24日(日)〜3月10日(日)11:00〜18:00 ※荒天の場合休業

場所:花園公園(東京都台東区千束3−20−7)

メニュー:

コーヒー(さかい珈琲特製「三角カフェブレンド」)200円

紅茶(アールグレイ)200円

お菓子 無料

以下のイベントの企画に関わりつつ、作品も出展します。ぜひいらしてください。

僕は2月24日(日)〜3月10日(日)の期間で「三角カフェ」というのをやります。(「他人カフェ」からタイトル変更しました)

いま、美味しいコーヒーと紅茶を出すために頑張っているので、是非お越し下さいませ。

「吉原芸術大サービス 線の上で踊る」

概要:
吉原芸術大サービスとは、2013年3月3日~10日の会期中に台東区千束の「吉原地区」各所で行われる、現代美術の展示・パフォーミングアーツ・伝統芸能のフェスティバルです。

主催:
空鼠(空鼠とは、村上慧・橋本匠・小山一平・阿部圭佑の4人によるシェアスタジオです)

期間:
2013年3月3日(日)〜3月10日(日)11:00〜19:00
※村上慧のみ、2月24日(日)〜3月10日(日)11:00〜18:00の期間で実施

場所:
吉原神社(東京都台東区千束3丁目20−2)及びその周辺
※期間中、詳細な展示位置などを記したマップを配布します。まずはインフォメーションセンターの吉原会館(千束4−24−12)までお越し下さい。

入場料:無料(ただし一部のプログラムを覗く)

会場へのアクセス:
・地下鉄日比谷線 三ノ輪駅より徒歩10分
・JR鴬谷駅、地下鉄日比谷線入谷駅より北めぐりん(100円巡回バス)15分~20分 台東病院前下車すぐ
・東武浅草駅、都営銀座線浅草駅より都営バス 東武浅草駅のりばより草64系統、池袋東口行きに乗って吉原大門下車徒歩5分
・コインパーキングが数台ありますが、混雑軽減のため公共交通機関をご利用の上おこし下さい。

出演作家:
↓↓↓↓↓↓↓↓パフォーマンス参加↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
◯山川冬樹(やまかわふゆき)
◯遠藤一郎(えんどういちろう)
◯狐神楽(きつねかぐら)
◯太田家元九郎(おおたやがんくろう)
◯岡本紋弥+杉浦千弥(おかもともんや・すぎうらせんや)
◯fifi(ふぃふぃ)
◯橋本匠(はしもとたくみ)
◯アンサンブルMOMO(あんさんぶるもも)
◯東山佳永(とうやまかえ)
◯山山山(さんざん)

↓↓↓↓↓↓↓↓展示参加↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
◯加茂昂(かもあきら)
◯村上慧(むらかみさとし)
◯井口雄介(いぐちゆうすけ)
◯津田翔平(つだしょうへい)
◯高田冬彦(たかたふゆひこ)
◯阿部圭佑(あべけいすけ)
◯吉野もも(よしのもも)
◯林友深(はやしともみ)
◯小山一平(こやまいっぺい)
◯服部紫野(はっとりしの)

詳しくは下記リンクより
http://soranezu.blogspot.jp/2013/02/blog-post.html

大きな家の目の前には、小さな家がないと、大きな家は大きくあれないし、速く動くもののそばには、停まっているものがないと、その速さはわからないように、本当はないはずの客観性とか、本当はないはずの安心とか、本当はないはずの悪の定義とか、当たり前すぎて分りにくくなってしまった過剰な需要と供給とか、そういうものが、そういうひとつのものに過ぎないということを見せるには、それらをなんとか相対化して、複数のうちの1つにしてしまう方法を探すしかないのだ。制度を脱臼する方法をいくら探しても、それは終わりのないゲームみたいなもので、実は表面的な取り組みに過ぎないのだ。坂口恭平さんや、宇川直宏さんがやっていることは、ジャンルを抹消して、個人のレベルまで落とし込んでしまうことだと思う。宇川さんの取り組みをみると、それは鏡のように、宇川さんでない人たちの取り組みを教えてくれると思うのだ。それは、「宇川 vs 宇川以外の人類全部」みたいに、この世界をとても大きく相対化していると思うし、これほど攻撃的なことはないなあと思う。

隅田川まで歩いていくと、僕の家がある台東区側にはビニールシートでできた家が並んでいて、そこにすむおじさん達は、アルミ缶を集めたりして生活している。川の反対墨田区側には、首都高速が通っていて、そこを走っている車が、台東区側からはよく見える。大体いつ見ても(中でも夜は特に)ほとんどがトラックで、いろんなものを、いろんな運搬業者が運んでいる様子がよくわかる。高速の向こう側にはアサヒビールのビルがある。墨田区側の川のほとりからみたら、台東区側のビニールハウスの家が並んでいるようすがよく分かるだろうと思う。ここの景色は、川を挟んでお互いを相対化している。でも、高速道路を走っている車からは、まずこちらがわのビニールハウスは認識できないだろうと思う。彼らはものを運ぶのに夢中で、景色を見るにはあまりにも速く走りすぎているから。とまっている側からは、動いている人達がとてもよく見える。100kmで走っている4トントラックの対岸に、まちで拾ったアルミ缶を集めたビニール袋を管理しているおじさん達がいるのだ。でもどちらも、それぞれの事情を抱えて、たぶん精一杯生きているのだ。

昨年のおわりごろ、桜橋中学校という近所の学校の美術部の子たちと一緒に、ブロック塀に壁画を描くという機会があった。そこでは、スプレーによる「落書き」が中学校の印象を悪くしているとして、創立十周年記念の一行事として、ちょっとした縁で、僕(とあと女の子二人)と美術部の子たちが壁画を描くということになったのだ。僕達は中学校の塀に、北斎の浮世絵をペンキで大きく模写したりした。「落書き」が「壁画」になったというわけらしい。その塀は隅田川沿いのランニングコースに面していて、コースの反対側の壁にはスプレーで描かれた誰かのサインがたくさんある。そのスプレーの壁と、北斎の壁がランニングコースを挟んで向かい合っているという構図である。ここでも相対化がなされている。言ってしまえば、これはどちらも「落書き」だし、「壁画」だと思うのだ。スプレーでグラフィティを描いている人達は、彼らなりの切実さからそうしているし、中学校のほうも、地域のイメージアップという切実な目標があってそうしている。どちらかを「だめ」とか簡単に言えない。

僕は何かを「だめ」と決めつけるのがひどく苦手だ。自分のことを棚に上げて言ってみると、美大生はもっと自分の作品を、多くの色んな種類の人の目に耐えうるかどうか、歳月に耐え得るかどうかをもっと切実に考えて作品を作った方が良いんじゃないかと、卒業制作展後のゴミの山をみて思ったのだけれど、彼らはそもそもそれを望んでいないのだったら、「わたしがんばった!おいしいもの食べたいー」とか言うんだったら、それはそれで良いと思うし、僕もみんなと一緒においしいものを食べにいきたいと思うのだけど。それを批判できたら、それとおなじように世の中のいろんなアレをアレできたら、もっと楽なのかもしれないなあ。どこにも行き場がない怒りとかもやもやを、「おまえこのやろう!」という感じでぶっ放したいのだけど「でも、事情があるんだよなあ」とか思ったり「がんばったんだよ!」と言われると、「ああ、よかったなあ。おいしいもの食べにいこう」という感じになってしまうのだなあ。

チャールズ・ブコウスキーは、2時間を活かすために、10時間は潰さなくちゃいけない。用心しなければいけないのは、全ての時間を潰してはならないということだ。と書いていた。ちょうど21年と5ヶ月前の、このくらいの時間に。

彼は50歳を過ぎてから作家業に専念し始めた。それまで、日本でいうところドヤ街の日雇い労働者のような生活をしたり、郵便局で働いたりしていた。その歳月は、彼にとってとても苦しい時間だったけれど、彼は、自分が苦しい状況に居るということに対してとっても自覚的だった。そしてその歳月が、彼が作家になると覚悟を決めたときに「たわごとでお茶を濁してはならない」ということを教えてくれたと書いている。

僕は、誰かに何かを伝えるためとかではなく、自分を救済するために作品をつくりはじめたのだった。ちょっと忘れていたなあ。さいきん、再びそのことに気付くことができた。自分を救済できないことは、たぶん死ぬことよりも辛い。美術は表面的な実践だと思う。それを使って、地域に産業を根付かせようとしたりするのは、無理があるし、無責任だと思う。そのことを再び確認する事が出来た。

いま、ある地域に、ある種のお祭りを定着させようと頑張っている一人のアーティストを知っている。ある地域での日常を研究して、それを俯瞰するような、別の営みをその地域に定着させる作風を売りにしているアーティストも知っている。それはそれで勝手にやってくれればいいと思うけれど、それは表面的実践に過ぎないということを、当人は自覚しているのかな。それを忘れてしまったら、その地域に住んでいる人間が、素材として使われているだけのようで、なんだかなあ、と思う。もちろん、アーティストはある意味で詐欺師でなければいけないとも思うから、自分の価値を自分でつくっていかなくちゃいけない人種だと思うから、別に構わないのだけど。。

このあいだ武蔵野美術大学の卒業修了制作展に行った。そこで百瀬文さんという人の作品が結構話題になっていた。僕も観た。それは、とても「よく出来ていた」。時間を区切って、ちゃんと最初から最後まで見せる展示方法も考えられていたし、作品のアイデアもシンプルで分りやすかった。(アイデアが先にあったんだろうな、という感じもしたけれど)。そして、観た後にそれまでと世界が違って観えるような気さえした。でも、それでも、なんだか「嫌みな感じ」が拭え切れなかった。(僕と歳も近いせいもあって)作家への嫉妬心とかもあったのかもしれない。でも、それを考えても、なんだか素直に絶賛できないところがあった。たぶんそれは、ある意味で「よく出来すぎていた」からで、さっきの話を持ってくると、作家が「自分を救済するためにつくられたもの」というよりは「作品を置く」ということに執着した結果生まれたものだからかもしれない、と思った。

まあいいや。今日は高松から来たなタ書(古本屋)のキキさんと、香川出身のふじさわさんと、中塚と飲んできた。ふじさわさんの家で。

あいかわらず、どこまでが本当の話でどこからが作られた話なのかほとんど分らない、ちょっと天才的なキキさんの話法は健在だったけれど、僕が前に会ったときと比べると、今日はキキさんの話を「よく聞いて観察することができた」気がする。観察しようと思えば、どんな人が相手でもできる。そのとき、自分のアタマがちゃんと冷えていたらのはなしだけれど。

路地裏とかで、なんかわけのわからないイカれたおっさんにナイフで脅されたりしたら、観察とかできる自信はない。

あと、今日うちのアトリエにみかんがたくさん届いた。吉原神社の吉原さんが届けてくれたものらしい。僕もいまそれを食べながらパソコンに向かっている。

同居人の阿部君が

「このみかん、くそうまい」と言っていた。漢字で書くと「糞美味い」だ。糞うまい。

そして阿部君は、小山君に向かって

「みかんの面白いむきかたやってる人知ってるー?」

と言う。その「みかんの面白いむき方やってる人」を、インターネットで調べて小山君に見せている。それを見て2人は笑っている。

僕はそれを聞いて「なんてこった!」と思う。

あと今日、建築現場の資材運びのバイトを募集していた会社から電話がかかってくる。

電話口の彼女は「まだ仕事さがしてる?」と聞いてくる。タメ口であった。

僕は「はい。一ヶ月くらいの短期ですけど」と言う。

「一ヶ月でどれくらい入れる?」と彼女

「7〜10日くらいなら」と答える。

「いま、現場がきびしいところだから、経験者じゃないと使い物にならないんだよね〜。現場はいったことある?」

「あります」

「石膏ボード何枚持てる?」と彼女。

(おお!「石膏ボードを何枚もてるか」が、その世界ではその人の力量を表すのか!と、ちょっと新鮮な発見をした気持ちに。)

「石膏ボード3、4枚くらい持てないと、ダメかもねえ」と彼女。

「3、4枚くらいなら持てると思いますけど。。うーん。ちょっと考えさせてください〜」という感じで電話を切る。

こういう感じの一日。僕はいま、「さかい珈琲」のショップカード作成依頼のサブワーク「吉原神社にたてる看板作成」という仕事に取りかかりはじめている。明日から五日間くらいは、それに集中しようと思っている。ただし、26日になんだか面白そうな対談企画の打ち合わせひとつ、27日には英検の試験監督のバイトがあるのだ。これは、今月末にいく、ここ数年の僕に取っての唯一と言ってもいい娯楽「大学の友達との乗鞍山小屋一泊ツアー」のお金を稼ぐために。僕はなんだかんだ今月は10万円くらい収入があったのだけれど、3万2千円は二ヶ月分の奨学金返済に、2万3千円は先月のクレジットカード利用の引き落としに、2万5千円は今月の家賃に消えてしまうのだ。なんでこんなにお金がかかるんだ。そのうえ情けないことに、現在はまだ健康保険と携帯電話の利用代金は、親のお世話になったままだし、国民年金とかは一切払ってない。。空鼠を出るタイミングで、こんな情けない生活ともオサラバしなければいけない。もっと一人で生きていかなくてはいけない。僕はもっと、自分を追い込まなきゃいけないのだ。くそうまい蜜柑を食べて寝る。

(日付と時間をタイトルにした文章は、自分を鎮めるために書いています)

あまりにもお金がない。お金がない状態が続きすぎている。

今日の晩ご飯は「米のみ レシピ」で調べてみた。すると、仲間達がたくさんいることがわかった。みんな米と調味料しかない状態で、素敵なご飯を作っていた。感動した。

「ちょっと相談してみるか」と思って、今日の昼、山谷の労働センターに行ってみた。労働センターは山谷のドヤ街の真ん中にあって、そこには朝早く行くと、たくさんの日雇い労働者達が列をなして仕事をもらいにきているところである。僕は昼間に行ったのだけれど、それでも労働センターに近づいていくうちに、路上で立ち話しているおじさんや、道ばたに座り込んでいるおじさん、道路にチューハイ缶と共に倒れているおじさんなんかがたくさんいて、覚悟はしていたけど、かなり特殊な雰囲気のところだった。

僕は事前に「労働センターの3階にいって名前等を登録すれば、"利用者カード"なるものを手に入れ、日雇い労働者の仲間入りができる」というところまで調べていたのだが、情けない事に、労働センターの中まで入る勇気がなかった。外から眺めるだけで精一杯であった。あまりにもアウェイだった。

情けないという気持ちだったが、同時に「僕にはまだここで働く資格がないような気がする」とも思った。かれらおじさんたちは、もう人生をかけて日雇い労働をしている。彼らからしたら「他に方法がない」のだ。僕は、そうでもない。山谷に来たのは、半分は好奇心だ。そんな人間が、ここで働いて言い訳がない。もちろんこれは言い訳だ。どうしようもない人間だ。

本当にどうしようもない。今朝一日が始まるのが憂鬱だった。ここ最近毎日そうだ。僕はなにがやりたいのだ。

今日は、あるプロジェクトのプランをもう一度練り直し、模型を作り、写真を撮って、ディレクターにメールを送ったらこんな時間になってしまった。といっても、起きるのが遅すぎるのだ。僕は10時か11時くらいに起きた。

起きるのが遅いと言えば、今日同居人の小山はさっき起きて来た。0時すぎくらいに起きてきたのだ。今日の朝に眠ったとかそういう理由じゃない。彼はたぶん16時間以上寝ていた。それはそれですごい。逆に「なんでいま起きてくるんだ」と思ってしまったほどだ。昼夜逆転とかそういうレベルじゃない。眠っている状態と起きている状態が逆転する感覚。いま僕は小山の夢の中にいるのかもしれない。

しかし、同居人だちの、日々の暮らし方、のんびりさには、ほとほと飽きれるというか、やれやれ、というか。僕が一緒に住んでいなければ、彼らがどんな毎日を送ろうが知ったこっちゃない。何時間寝ようが一日中パソコンで映画を観ていようが知った事か。僕は僕で生きていくのだから。

でも一緒にいると、何故か、ここに居ると腐る、と強く思う。もう毎日、というか毎分思っているかもしれない。ここにいると腐る。と。でもこんな生活ともあと2ヶ月ちょっとでおさらばだ。僕はここ空鼠を出て行くのだ。でも彼らが悪いとか、どうしようもない人間だとか言いたいわけではない。どうしようもないのは僕だけだ。みんながみんなそれぞれの人生を歩んでいるのだ。どうしようもない、と言う資格があるのは、人生の当人だけだ。

辛抱だ。いま手がけているプロジェクトが一段落したら、僕は遠くに行くのだ。西へ行くのだ。

思えばこれまでもずっと、「もうここにはされたくない」という原動力で動いてきたような気がする。僕はどこにいても、すこし期間がたつと、その場所がつまらなくなってしまう。病気だ。これまで何千回「ここにはいたくない」と思っただろう。病気だ。本当に面倒くさくてどうしようもない。

「僕は乗り遅れてしまった」とときどき思う。

今日インターネットでパティスミスのトークショウをちょっとみたのだけれど、彼女は「フルパッケージで人生を楽しんで」と言っていた。この上ない救済。フルパッケージ。生まれてから死ぬまでの自分の時間をひとつのパッケージとして考える。そうしたら、ひとつの方向に進むと思われていた時間が、量としての時間に変わっていくような気がする。基本的にアーティストとか作家とかいう人種は、朝起きてから寝るまでの時間(あるいはもっとながい人生の時間)の使い方を、自分で考えて、制作に向かわせる体質づくりをしないといけない。自分のリズムを自分で作って、自分の背中を自分でおしていく。こんなきつい事はないと思うけれど、上から振ってくる予定に振り回されている人達からしたら、気楽で楽しそうに見えるらしい。

たぶん、みんな暇を毛嫌いしすぎるのだ。予定がない事の不安に耐えられない。その不安を安直に埋めようと、どっかの会社の面接に行ったりして、その先何年間もの予定を埋めてしまうのだ。結婚を焦ったりするのもそうだ。予定が決まってないことへの不安。僕は最近、ひたすら作品のプランを練ったり、絵を描いたりする時間がほとんどだ。たまに、ちょっとした制作の依頼を受けたり、人に会いにいったりもするけど。それは僕の最近の日々では「ハレ」の時間になる。

最近の僕はもう笑っちゃう程お金がないし、外に出るとお金がかかる事を知っているから(人に会うのも美術館にいくのも映画を観るのも、まして演劇なんか。。)机に向かってひたすら作品のプランを練ったり、絵を描いたり、本を読んだりするしかないのだけど、この時間はこの上ない贅沢な時間だと思っている。はたからみたら、お気楽で楽しそうな生活に見えるらしい。でもこれは、絶望とか死とか鬱とかと隣り合わせ(だけど、贅沢な)の時間なのだ。眠っているあいだだけは気楽だと認めるけど。明日は、ちょっと、山谷の労働センターに行って僕でも仕事を紹介してもらえるか聞いてみようと思う。半分は好奇心、半分は切実さで。

今日まで、お台場のフジテレビで「お台場合衆国」というイベントが行われていました。そのなかで、僕が以前出演させていただいた「アーホ!」という番組が「アーホ展」としてブースを出展していました。僕もそこに参加させてもらっていました。すいません、ここに告知するのを忘れていました。。

http://www.fujitv.co.jp/uso2012winter/area2.html

僕はこの企画として、フジテレビで「似顔絵屋さん」をやらせてもらいました。「屋さん」といっても、書いた似顔絵は無料でプレゼントです。

ただし「最初に断っておきますが、僕は似顔絵屋じゃないので、あんまり似てなくても文句言わないでください」という挨拶から始まる似顔絵屋さんです。そうすることで、「似顔絵屋」という表向きはつくりつつ、「 客」と「自分」ではなく「主体」どうしの関係をつくれるかと思ったからです。書いた似顔絵をプレゼントする時の映像を撮らせてもらい、それを似顔絵のレプリカと一緒に展示しました。

さてぼくは、最初はフジテレビに居るだけで「なんかどろどろした消費欲が充満している空気」みたいなものにアてられそうになりました。EXILEの曲が一曲ループで流れつづける館内に「こんなに来るのか!」と思うほどたくさんのお客さんがいました。似顔絵屋さんで話したお客さんのうち9割は、東京都以外から休日を利用して遊びにきている人でした。

なにより驚いたのは、朝、入場チケットを買うために並んでいる人の数です。ディズニーランドにも劣らないような数の人が並んでいました。

それを見て僕は、「大衆」の存在みたいなものを痛感させられました。フジテレビという巨大な鉄の電波棟と、そこにならぶ大勢の人達、という構図が、現代を象徴しているようでした。

ちょっと話は飛ぶけれど僕はさきの衆議院議員選挙で、自民党が圧勝したことにショックを覚えました。うちにはテレビがないので、いまはツイッターとネットのニュースを主な情報源にしているのですが、そこで僕が選挙前に目にした情報の多くは、自民党や民主党には任せない未来を期待させるものでした。

2011年の震災以来、原発事故以来、国政に関わる大きな最初の選挙で、この国は変わるかもしれないという期待感がありました。それは必ず選挙に表れる筈だと思い込んでいました。しかし結果は自民党の圧勝で、僕は事態を理解するのに数分かかりました。

そんなことがあったから、今回のフジテレビで感じた「大衆の存在感」は、とてもタイムリーでした。視覚的に「社会の多数派」を見せつけられた気持ちでした。「ああ、自民党に入れたのはこの人たちかあ」と。

先日行われた「家主リレー」part24の最終版動画を公開します。吉祥寺アトレ。テラトテラ祭り2012

これを見れば「家主リレー」とはなんだったのか、一目瞭然です

 

朝、那須を出発しました。すこしずつ体が原付の運転を覚えてきました。

通りかかった那須高原の公園に、空間線量を表示している看板が。

ぼくは「へえーここはこんなもんなんだ」と、思ってしまいました。そういう世界になってしまったのだなあ。

 

「私の美術館」という個人美術館。此木三紅大さんという作家さんのコレクションとか、ステンドグラスとかが展示してある。このフクロウの門はすごかったです。

美術館がこんなところにあって、たまたま通りがかりでもしないかぎり、絶対に観ないタイプの作品をたくさん観ました。

 

 

で、夜には仙台に着きました。那須(ちょっとさむい)→福島(とても寒い)→仙台(わりと暖かい)という気温の変化が、原付で走っているとよく分かりました。

駅前のイルミネーション

今日の昼前くらいから、東京から岩手に向けて原付で出発しました。岩手でやろうとしている新しいプロジェクトのためのリサーチです。

原付免許を数日前にとったばかりの身で、いきなりの長距離旅行です。

いまこの記事は、栃木県の那須塩原にある漫画喫茶からかいています。

東京から岩手までの道を景色を見ながら走っていこうと思っていたのですが、たぶん今日は一日目ということもあって、あんまりまわりを見る余裕がありませんでした。風も強くて、かなり運転に集中しないといけなかったし。

逆によく見えたのは、道路(国道4号線)に落ちているいろんな種類のごみが、よく見えました。

なんだかよくわからないひしゃげた鉄板(1m×1mくらいある。あぶない)とか、長さ50cm位の垂木とか、コンバースのスニーカーの片方とか、ゴムのチューブ(これはたくさんあった)、軍手の片方、空き缶と空きペットボトルと空き瓶(これらはたぶん車から放り捨てられたものだと思う)などいろんなものが、落ちてました。掃除する人がいないのか、こまめにやっていないだけなのかわからないけど、だいぶ前に捨てられたと思しきものがたくさん残っていました。原付にのって、道路にごみを捨てる人への敵意が強くなりました。あぶないんだもん

あと、当たり前かもしれないけど、北上するにしたがって気温も下がっていきました。

最近東京も寒い日が続いていたけれど、此処はたぶん東京に比べて、もう少し寒いです。

あともう少しで福島県に入ります。僕はガイガーカウンターを持っていないけど、このあたりは東京よりも線量は高いのかな。わからないけど。

明日は仙台あたりまでいけたらよいなあと思っています。

途中で「りんどう湖ファミリー牧場」と「私の美術館」によってみようと思っています。りんどう湖ファミリー牧場はだいぶ昔に何かの遠足で行ったことがあるので、どんな場所だったか思いだすために行ってみます。

昨日映像作品を1つ撮りました。上の写真はその1シーンです。

撮影は阿部圭佑君です。

これを「みっけるフェス!」というイベントにゲスト出品させていただくことになりました。

http://www.mikkedojo.com/uploads/9/5/0/4/9504907/010.pdf

もしよかったら観に来てください。

 

「椿本さんと、僕の両親と、野村くんの部屋があるビル」

画用紙にボールペン

250mm×350mm

2012.11.23


「あなたから3番目の話 練習2」

165×115(mm)

ラミネート紙にマッキー、コピック/ラミネート加工

2012/11/22

「あなたから3番目の話 練習1」

120×160(mm)

ラミネート紙にマッキー、コピック/ラミネート加工

2012/11/20

art itの「連載 田中功起 質問する 7-6:片岡真実さんから3」

http://www.art-it.asia/u/admin_columns/TH0tOK4LpPr1fkQDhW7J/

というところを読んでいて、キュレーターの片岡真実さんが"均衡"という言葉を使っていました。

「均衡」について

僕はいつも作品をつくったり、アクションを起こす時に"主体を複数化したい"という欲求があることに最近気がつきました。それはどうしてなのか、考えてみたら、それはもしかしたら1つの理由として

僕は小学生の頃、寝る前に布団で、自分が死んだときのことをイメージしていたら、(いま生きているという実感も、いまどこにいるという認識も、自分がなにものであるという意識も全部なくなって、永遠の暗闇のような"無"の中に放り出される感覚)その事実に耐えきれなくなって「死ぬのがこわい」と母親に泣きついたことがあります。最初にこれをやったときの恐怖は、いまでも覚えています。

そして死ぬときのことをイメージするのは、いまでもときどきやっています。

それをすると「生きている自分」というものが相対化され、「いま生きている、これからも生きていくという意志」につながってくるから。ともするとだらけてしまいそうになる自分を、相対化するために「死」に対抗しうる唯一の手段としての「生」を、「生者としての自分」を「死者としての自分」と"均衡させる"ような感覚です。

それがもしかしたら、相対化とか、相対化をもっと推し進めた"複数化"というかたちにつながってくるんじゃないかなと思った。暴論かもしれないけども。

“生"を複数化させるには、"死"を提出することに加えて、他の「"生"たち」と相対させないといけないような、それがお互いに均衡しあうような。そんな感覚。

先日アトレ吉祥寺でやった作品「家主リレー」のpart8の映像を公開します。

これは「テラトテラ祭り」の参加企画として行われました。ぜひ観てください。

セラの「行為」と「もの」の関係

リクリットの

「人間」と「人間」の関係と、加えて、横浜トリエンナーレ08の「demo station」のような「時間」の扱い方

が、「家主リレー」に影響として表れている。ように思う

あと、最近みたいくつかの演劇と

もちろん10月24日の記事に書いたような、伊勢神宮の式年遷宮が基底のような気がするけれど。そんなことがあるかもしれないなあというメモ

チョコバナナパフェを食べながら、メロンソーダを飲みたいです。

 

こういう"喫茶店アイテム"的なもののリアリティというか、共通認識っていつから定着したのだろう。

日本的なもの。とか、わたしたちのリアリティ。とか
昨日地点の「光のない。」を観て、「わたしたち」とは誰かを考え直さなくちゃいけないなと思った。

“アート"とは、西洋で生まれた1つのジャンルで、言ってしまえばヨーロッパの人達の「私達が世界の中心であり、価値基準である」というような態度のもとに普及しているものです。これまではそう思っていました。

これに対抗したのがスーパーフラットという運動だったと認識しています。村上隆さんは、「もう欧州中心の世界ではない」という言説を唱えるのも、結局ヨーロッパの人達であるという事実。結局世界はある一定の方向に進歩しているもので、その最先端に居るのが私達であるという、結局ヨーロッパが世界の中心である、という考えから離れられない、救いようのない病的な体質に対しての怒りを、「私達日本人は、彼らからしたら人間扱いされていない、怪物である。怪物であるが故の表現者であるということを提示する」という衝動がスーパーフラットであったと思っています。

それは、"彼ら"のアートワールドの中に自らを投げ入れて戦う方法。そうして"西洋の美術の文脈に日本的なカルチャーを投げ入れることによって、ヨーロッパの美術を(逆説的に)相対化する"というやりかた。

それは例えば、日本の相撲界にモンゴルやらロシアやらの力士がたくさん入ってきて、彼らが国内で(時に日本人以上に)力を発揮する。というようなこと、を狙ってのこと。のような気がします。

そうして生まれたものは「わたしたち日本人のリアリティ」ではないかもしれませんが、1つの存在証明のかたちであったような気がします。

あと、他に、うまく言えませんが「そこから逃げる」ような態度が考えられるかなあと思います。それは、"わたしたち日本人には、わたしたちにとってのリアリティがあればよいのだ"という考え方。純粋に"面白いもの"を探していけば良いのだ、という態度。そこまで振り切ってしまうと、それまでの歴史によってその存在が担保されて、ここまで発達して来た"美術"に対しての背信行為のような気もしていまって、僕はどうにもそこに振り切る事ができません。あと、それはひとつの引きこもりのような態度にも見えてしまっていました。

それは例えばモンゴルとかで、相撲から発展したような"なんらかの競技"が生まれたとして、それをモンゴル国内でどんどんレベルを高め合っていくような。感じですか。ちょっと違うかな。考えてみれば、わざわざ"相撲"というルールに乗っ取って、日本の中に飛び込んで戦うようなことはしなくても良いのではないか。とも思います。"そこに迷いがでてきてしまったのであれば"

でも、昨年、地震があって、津波がきて、原発の事故が起きてしまって、放射能という、見えない不安がまき散らされてしまったこの世界において、そもそも"わたしたち"って誰なのか。ジャンルとか国籍とか、そんな区分けとは無関係にあちこち飛び回る"見えない不安"が現実の世界に表れてしまった以後の、この世界において"わたしたち"とは誰を指せば良いのか。それが分からなくなってしまったというか、"わたし"とか"あなた"とかっていう区分け自体、最初から存在しなかったんじゃないか、と思いました。

もしかしたら、これから先何か1つのものが"わたしたち日本人としてのリアリティ"として提示されるなんてことはないのかもしれません。例えば宇川直弘さんとか、坂口恭平さんがやっていることは、いわゆる西洋発祥のアートワールドとしての"美術"の範囲には収まらないかもしれないし、"わたしたち日本人にとってのリアリティ"とは言い切れないけれども、とても面白いと思うし、新しいと思うし、歴史に対して目をつぶっているような態度にも見えない。それは、彼ら本人のキャラクターによるところが大きいと思いますが。

うん

オーストリアの作家イエリネクが昨年の東日本大震災をうけて、書き下ろした戯曲を地点が演出した「光のない。」を観てきました。池袋芸術劇場。

 

凄まじい衝撃をくらってしまいました。いま見終わってから3時間半経っているのですが、まだ頭の体勢が崩れていて、うまく感想を書けるか分からないのですがやってみます。

 

まず、席について、ちょっと「おかしいぞ」とおもったのが、舞台の幕が、鉄みたいな重い質感をしていて、あれはなんだ。と思い、その時はあんまり気に留めなかったのですが。。これは後で書きます。

 

基本的に5人の役者(うち2人はダイビングスーツを来てヒレを付けてぺたぺた歩いてる)が身振りと言葉で劇を進めていきます。なにか筋道のたったストーリーがあるわけではありません。

「わたしたちー」という呼びかけから舞台は始まりました。「みなさーん」と呼びかけるかのように。「わたしたち−」と。もうこの瞬間から、ほぼ終幕まで鳥肌がたちっぱなしでした。

そこで、この演目で大切なテーマの1つは「当事者性」とか「主体」「客体」ということだと。わたしはあなたであり、あなたたちはわたしである。

放射能は目に見えないもので、耳にも聞こえないもので、味もしないし、匂いもしないけど、わたしたちはそれに"時間"を奪われてしまいました。とおい未来まで、ながい時間を奪われてしまいました。"その瞬間"から、わたしたちの過去も、現在も未来も、何か違う世界に連れて行かれてしまいました。

この放射能の問題は、いま、言ってしまえば"ホット"な話題であり、下手に扱うととんでもなくシラけたものになってしまう危険があると思うのですが、扱わずにいるのも難しいというか、かなりジレンマがあると思うし、そもそも「これはこういう問題である」と1から10まで認識するのも不可能なことだと思います。それを舞台に"あげてみせた"という感じがしました。

いや「あげられてしまった」と言う方が正しいかもしれません。そして「迷うことを迷わない」という意志を感じました。

全編にわたって、アクセントをズラされた言葉と、傾いた舞台と、ダイビングスーツとで演出された舞台は、「宙に浮いている」ようでした。そこでは、敵とか味方とか正義とか悪とか、"あなた"と"わたし"の区分けもなく、何があるか強いて言うと"時間(音楽)"と"運動"だけが現前して、舞台にたっていた5人の役者は、もはや"人間"ではなく、ではそれは"放射能"だったのかあるいは"他者性そのもの"だったのか、わかりませんが、ただあれは間違いなく、"人間"ではなく、最後の方なんか特に。「あれはなんだ」と目をこらしてみてしまうほどに。役者と、舞台と、演出と、戯曲と、音楽が、もはや奇跡的に舞台上で結晶していて、演劇が可能な表現の射程距離の広さを見せつけられた、というか。

そして最後、ものすごい空気が高まって最高に気持ちの良いときに、ゆっくりと幕が(気がついたら半分くらい降りていた、という感じに、静かに、でも容赦なく)おりて、舞台は終わります。あとで調べたら、このカーテンは、鉄製の防火シャッターだったのです。

僕と言う観客にとって、もはや"希望"にも見え始めた、舞台上の輝く(綺麗な光が満ちて、本当に輝いていました)"世界"が、防火シャッターによって隔たれてしまい、会場は真っ暗になり、人々の声(歌)がしばらく余韻のように響き、閉幕します。

凄まじい体験をしてしまった、という感じです。なんというか、デザインの力に頼りすぎず(例えばチェルフィッチュは、舞台上の空間を"デザインする"ような作風だと思います)、演出によって役者の個性が奪われてしまうようなこともなく、"奇跡的な"作品(あるいは"奇跡的に成り立っていると見せるような")だった。そんな気がします。

 

ああ、すごかったー。

アトリエの前に転がっていた缶に「収集できません」のシールが貼ってあった。たまたまゴミ収集場所に転がって来ただけで、こんな結果になるのか!と思いました。

 

このあいだ、F/Tの

「たった一人の中庭」/ジャン・ミシェル・ブリュイエール

を観てきました。もともとフランスで敢行されたものを東京用にすこしつくりかえて持ってきたもののようです。ヨーロッパにたくさんあるけどマスメディアからは"ないものとされがちな"「移民キャンプ」を再現しているような展示/パフォーマンスです。

まず、ものすごいお金がかかったことが予想される大規模な展示でした。あと、「移民」や「強制送還」というキーワードがたくさんでてきました。もともと"アクティビスト"であったという作家の思想的な背景がよく反映されていました。

とても新鮮な経験でした。いま僕が住んでるこの国の表現は、この場合でいう移民キャンプや、中国でいうと天安門事件や共産主義に対するシニカルな視点なんちゃら、のような、とりあげるべき大きなテーマを正面から扱うことをあまりしない(というかできない?)ような状態にあると思います。そんなテーマ見当たらないのかもしれないけど、3月11日の震災以降も、それを語ること自体も、なんていうか「日々」みたいなものに回収されてしまっているように感じていた僕の目には、この作品はとても新鮮に映りました。

この作品は、社会問題をかなり正面から扱うことからスタートしていました。そして、それがその社会問題の枠を超えて、リアリティに訴えかけて来ました。たとえば、移民キャンプで黒人の生活を管理している(役を演じている)人達が来ている白衣が、最初の瞬間「防護服」に見えてしまいました。それに気付いてから、この作品は、移民キャンプを一義的に扱っているのではなく、おおきくこの社会というか、人の営みを捉えようとしているのだと思いました。

 

「明らかに社会問題ですよ」みたいな題材で、ある種の「弱者」に属している人たちのことを"使って"、このように"表現"するのは、いかがなものかという疑念も沸きました。

この作家は、アクティビズムと芸術について、インタビューでこんなふうに言っています。

ア ク テ ィ ビ ス ト は 、『 何 も し な い と い う こ と を 拒 絶 す る 』 目的 に達 す る た め に 行 動 し ま す 。ま た ア ク テ ィ ビ ズ ム に お い て は 、終  わ り な き 行 為 、 行為そのものの本質的価値が重要であり、それ以上の目的 はありませ ん。アクティビズムはこうした観点からすればすでに成功した行 為の 総体なのです。問いと結果の乖離によって、アクティビズムを的確に 区 別することができるでしょう。もしも、ある行為が具体的な目的を 持 っ て い  た ら 、そ れ は ア ク テ ィ ビ ズ ム で は あ り ま せ ん 。   例 えば シリア の 反  体 制 派 を アクティビスト と 見 なす 人 はいないでしょ う。彼らは、独裁者 を退け自由を取り戻すという、極めて明確な目的 のために行動しているので す。彼らは目的に到達するまで絶え間ない 危険に身をさらしながら行動しま すが、彼らはアクティビストではあ りません。

一方、今年のアヴィニョン演劇祭では、アサド大統領の独裁と 犯罪に対す る抗議のために何人かの演劇関係者が集合しました。感 動的な告発文を作成 した者もいれば、それにいち早く署名した者も いました。そのうち最も栄養 状態の良い 4、5 人は、炎天下のもとハン ガ ー ス ト ラ イ キ を し て プ ー チ  ン や イ ラ ン 、中 国 に 対 し て の 嘆 願 を 行 な い ました。こうした行為が 具体的な結果に結びつく確率は遥かにゼロ以下 で し ょ う が 、誰 が そ ん な  こ と を 気 に す る で し ょ う か ?   芸 術 は 、終 わ り な き 手 段 、ま さ に そ  の も の で す 。 芸 術 に は 終 わ り が な く、芸 術 をするということ 以 外 の  目 的 はありません

 

これを読んで、「"結局のところ芸術はお金持ちの道楽だ"という見方をされてしまう事から逃れられないな」と思いました。これを考えはじめると、いつも落ち込む一方になってしまうのですが。アーティストは、世界を変えるために活動するけど、世界が本当に変わってしまう事は望まない、何か目的をもった途端に芸術ではなくなってしまう、という矛盾の中で活動しなきゃいけない、と思います。

そして美術の役割は、僕達の社会やあなたという個人をなんとか相対化する。相対化する事で多様性を認め(同時に相対化した対象を批判して)ていく。ということだと思いました。

 

あと今日、AI KOWADAギャラリーに丹羽良徳さんの個展「時代の反対語が可能性」を観に行きました。

映像作品「首相官邸前から富士山山頂までデモ行進する」がものすごい良かったです。鳥肌がたちました。夜、風の強い富士山の山道を、「反原発」と書かれた赤い旗をもってもくもくと歩く丹羽さんの後姿は、同時に僕自身や、官邸前でデモ行進している人達の後姿でもあるように思えました。

 

あと映像の編集と見せ方が良くて、参考になりました。

 

僕がいま生きてる社会は、社会そのものにとって必要な役割がたくさんあって、その役割を人が交代して務めつづけることによって存続すると、ふと思いました。コンビニのバイト店員とか総理大臣とかアイドルとかもそうかも。もちろん新たな役割を作る人もいるかもしれないけど。僕たちの社会を存続させるために僕たちは日々予定をこなしてると思うと、やるせない気持ちになったり。
社会を存続させる、というか、例えば東京から熊本まで2時間で移動するためだったり、コンビニで24時間レッドブルを買えるようにするために、時間を割いて働いて、日々の予定をこなして年老いていく僕たちのこんな生活を相対化するためのリレーです。
来年は伊勢神宮の式年遷宮があります。式年遷宮は20年おきに全ての社殿を新しく建て直すものです。そうやって、建築の技術が後の世代に受け継がれていきます。「保存するために壊す」儀式です。
この話を知ったとき、歴史を繋げるためにモノを残すのではなくモノを壊す姿勢にえらく感銘をうけました
「家主リレー」の仕組みは、半分はこの式年遷宮から発想しました。成立するためには人がバトンタッチしないといけない作品です。リレーがとまると作品は崩れます。だからたくさんの人に来てもらいたいのです。。

来てくれた方同士が交代することで成立する「家主リレー」という作品を行います。

10月27日(土)、28日(日)に吉祥寺駅ビル「アトレ吉祥寺」1階の「はなびの広場」です。
皆様何卒ご来場の程よろしくお願い致します。

日時:10月27日(土)、28日(日)12:00〜22:00

場所:アトレ吉祥寺一階「はなびの広場」
※予約不要。ご都合のつく時間にいらしてください。アトレのイベントページ:http://www.atre.co.jp/admin/oshirase/pdf/14_event201210.pdf

テラトテラ:http://teratotera.jp/event/fes2012kichijoji_art/

村上慧:1988年東京生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。
人間が交流した記録を、映像やパフォーマンス、立体作品として発表している。
主なプロジェクトとして、発泡スチロール製の家を担いで歩き、数週間移動生活をする「引越しと定住を繰り返す生活(仮)」(2011〜)。団体で数ヶ月間だけ移住するプロジェクト「×日町」(2012)など。
http://satoshimurakami.net/

 

HelloI am going to do an art piece that works by the visitors alternation of seats.
This will take place at “Hanabi No Hiroba" of “Atre Kichijoji" on 27th(sat)and 28th(sun) of October.
Your attendance is earnestly requested.

Date/Time: October 27th,(sat) 28th(sun) 12:00〜22:00
Place: 1-1-24″Hanabi No Ma" first floor of “Kichijoji Atre"
Minamicho Kichijoji Musashino-shi Tokyo Japan

No reservation needed, please attend anytime you wish.

event page of Atre:
http://www.atre.co.jp/admin/oshirase/pdf/14_event201210.pdf
teratotera:
http://teratotera.jp/event/fes2012kichijoji_art/

Satoshi Murakami: Born in 1988. exhibiting the records of communications in between people in form of films, performances and 3 dimentions. His main works are : “Life of moving and settlement(temporary)" (2011) in which he carries a house made of styrofoam and lives inside of it for several weeks by changing the place to stay, or project “Batsukamachi" (2012) in which a group of artists build houses for each and immigrate there for several months.
http://www.atre.co.jp/admin/oshirase/pdf/14_event201210.pdf
www.atre.co.jp

 

「やってきたことをまとめてみる」が終わってませんが、新潟から帰って来て2週間くらいがたってしまいました。

イベントとてんらんかいのお知らせです

☆10月21日に、僕もメンバーに入ってるシェアアトリエ空鼠にて

「×日町に滞在した③ヶ月を⑥時間の映像で振り返りながらできるだけ多くのことを喋る⑦時間 

というイベントをやります。7時間もあります

http://soranezu.blogspot.jp/2012/10/blog-post.html

 

☆10月27、28日に吉祥寺駅ビル「アトレ吉祥寺」の「はなびの広場」にて「家主リレー」という作品をやります。中央線沿線で行われているアートプロジェクト「テラトテラ祭り」の一環として行います。

以下詳細

日時:10月27(土)、28日(日)12:00〜22:00

場所:アトレ吉祥寺一階「はなびの広場」

※予約などは不要です。ご都合のつく時間にいらしてください。

 

これは、来てくれたお客さんがそこに居ることによって、成立する作品です。皆様何卒ご来場の程よろしくお願い致します。友人知人にもひろめてもらえると嬉しいです。お願いします。

アトレのイベントページhttp://www.atre.co.jp/admin/oshirase/pdf/14_event201210.pdf

テラトテラのページhttp://teratotera.jp/event/fes2012kichijoji_art/

 

よろしくお願いします!

×日町って一体なんだったのか。

まず僕がチラシに書いた「×日町について」という文章をここに引用してみる。

『田舎を訪れたときに電車に乗って外を見ていると、とんでもない山奥に家が並んでいたりして、こんなところにも生活があるんだなと感心することがあります。

この国にはいろんな土地があって、いたるところに人が住んでいます。そして、各地にはそれぞれに受け継がれてきた土地の雰囲気とか、ルールがあるのだと思います。

去年の震災のあと、僕のまわりで人が引っ越したという話をよく聞きました。テレビのニュースでも、たくさんの人が移住しているというニュースをよく見ます。

それぞれの引越し先で、人と出会ったり、それまでの生活とのギャップを感じたりするのだと思います。そして引っ越した人達と、それを受け入れる人達とが影響を与え合いながら、お互いに歩み寄っていくのだと思います。(中略)

そんな折に、新潟県十日町で新しくオープンする特別養護老人ホームで、芸術祭に合わせてなにか企画をやってくれないか、というお話を頂きました。

老人ホームとは、僕たち若者(!)にとっては全く未知の世界です。

移住して、新しいルールの中に入っていき、影響を与え合うこと。この機会を活かして、それを形にしてみたいと思いました。

そこで僕たちは、3ヶ月ほど移住してみることにしました。

ただし部屋を借りて引っ越すのではなく、自分たちが住む家から作って、住むことにしました。人が越してきたということを分かりやすく見せるためです。

これは僕達自らが移住者となり、十日町の特別養護老人ホームのそばで生活し、地域と関わっていく過程を記述しながら、6人のメンバーがそれぞれの方法で制作発表を行っていくプロジェクトです。』

 

ちょっとテキトーに簡単にして説明してみるとこれは「人が移住し、そこに馴染む過程で相互に与えあう影響を記録しながら、作品を制作していくというプロジェクト」で、一番大切なのは「地域」と「特別養護老人ホーム」の間に「×日町」が出現するということ。

×日町は 期間限定で出現して、複数の人が「地域」と「老人ホーム」の間に住むところ。

期間限定なので、「それまではなかった」→「それが出現し、しばらく存在した」→「それがなくなった」という段階がある。そこで生まれるのは「対比」であって、「相対化」だ。「地域」と「老人ホーム」と「僕達」の、相対関係がそこで生まれる。そこで生まれる一番大事なものは「生活形態の相対化」。

とここまで書いたところで、ちょっと頭がからまってきたので、いったんやめます。また明日以降に書きます。。ちょっと上の話は飛躍しすぎたかも。

 

村上