翌朝、昨日の朝はいつも通り6時前に老人方のおしゃべりの声で目が覚めたけど、家にさわったりしてくる人はほとんどいなかったので助かった。ただし、爆音のクラシックが前日と同じく流れている。誰かが流しているのか、博物館が放送しているのかわからないけどすごく爆音で、良い音でクラシックが流れる。いつも通り老人たちが7時過ぎには過ぎ去り、静かになってからまた眠った。起きたら汗だくで10時近くになっていた。とにかく涼もうと思ってまず博物館に入ったのだけどそのまま展示を全部見てしまった。近代歴史館と同じく、この釜山博物館の常設展示をみても、釜山の歴史は日本との関係性の歴史でもあるということがよくわかる。日本だけでなく世界の情勢に翻弄されながらたくましく生きてきた釜山の人たちのようすが伝わってくる。5世紀ごろの陶質土器(と日本語のキャプションには書いてあった)がかっこよかった。918年に高麗王朝が建国されると首都が開京(現在の北朝鮮の開城市らしい)になり、釜山は中央政府から離れて辺境地域となったが高麗末期に倭寇(日本からの侵略)の出没が急増したことが地理的な重要性が見直される契機になり、拠点として注目され始めた。貿易やトンシンサ(通信使)を通じて日本と交流を続けてきた(朝鮮にたいして支配的な振る舞いをしてきた人物として豊臣秀吉の名前もでてきた)。「Painting of the Valiant Resistance at Dongnaeseong Fortress 」という絵には、日本と書かれた旗を持った軍隊に東莱府要塞というところが攻め落とされる様子が描かれていた。そして1876年間の日朝修好条規から日本は朝鮮、釜山に対して支配的な色を強め、1910年の韓国併合となり、近代歴史館で見た展示内容に話がつながっていく。
家を落ち着けたあとキムさんと一緒に近所に昼ご飯を食べに行った。綺麗で広い料理屋で、不思議な味(とても美味しい)のスープ(大量にわかめが入っている)とご飯(色々混ぜてビビンバにする)といくつかの漬物と秋刀魚のような白身魚を焼いたものを食した。このわかめスープ(ハングルではなんというか忘れてしまった)は、キムさんによると誕生日や出産した後などに食べる韓国では伝統的な料理らしい。誕生日に食べるというのは、出産後の母親が食べることから転じたらしい。とにかく大量のわかめを食した。そして今はそこからほど近いTOM N TOMS COFFEEというカフェにきている。これからすこし作業をして、沐浴湯を探して汗を流してから晩御飯を食べて門限までに家に帰らなければ・・。
昨日は晩御飯どうしようか1時間以上歩き回った挙句ベトナム料理屋さんに入った。「金太郎」という「日本式正当居酒屋」も気になったけど一人で入る勇気はでなかった。そして公園で1時すぎに眠り、いま公園前のEDIYA COFFEEにきている。ここはAngels in us Coffeeに比べて安い。アイスティーとクリームとチョコがサンドされたパンとアイスティーで4000ウォンだった大丈夫か?あの愛想の良い女の子が700円で働かされているかもしれないと思うと心苦しい。それと昨日もAngels~でアイスティーを頼んだのだけど、どちらもシロップが初めから入っていてものすごく甘い。シロップ抜いてくださいという韓国語を覚えた方がいい。
今は釜山市庁舎の公園の目の前にある「Angels in us Coffee」(洒落た名前だ)というカフェの3回の席で通りを見下ろしながらクーラーの効いた席でパソコンとバッテリーを充電しながら店のWiFiも繋いでこの日記を書いている。このカフェの3階には野外になっている部屋があってそこが喫煙所になっている。どうやら韓国では飲食店なんかの屋内ではタバコを吸うことが法律で規制されているらしい。カフェが充電と日記を書く拠点になるのだけど、この店に電源席があるかどうかは入ってすぐに店員に確かめる必要があった。そこでGoogle翻訳で電源はありますか?という日本語を韓国語に翻訳して店に入ってすぐに「ジュンウォンイッスブニカ?」と帽子を被ったとてもおしゃれな若い男性の店員に聞いたら笑って頷いて韓国語で何かを言っていた。どうやらあるらしい。伝わったのが嬉しい。そこでアイスティーのレギュラーサイズ(4500ウォン)を頼んで3回のテーブルにかれこれ1時間半くらい居座っている。他に客は2組。うち一人は僕と同じようにアイスコーヒーを脇に置いてパソコンを見ている。韓国のコンビニや飲食店やカフェの店員はみんな結構頻繁に携帯を見ながら接客をしていて(場合によって電話も)、昨夜23時過ぎにトイレのために市庁舎の中に入った(なんとトイレは24時間利用できるらしい)のだけどそこの警備員の人も電話していた。ヨーロッパの店でもみんな携帯をみながら接客していて、日本は仕事中に携帯とかをみることを禁止する空気があるけど窮屈だなと思った。なんか旅行ブログみたいなことを書いてしまった。釜山は電源があるカフェが東京以上にたくさんあって充電にはあまり困らない。たいていの店にはWiFiも飛んでいる。さすがサムスンがある先進国だ・・。
食べ終わったあとその店のお手洗いでそのまま歯磨きをすませてしまってから(夜歯を磨くところがないので)店をでて家に戻って日記などを書いていた。そうしたら夜9時ごろに、外から複数名の若い男性の声が近づいてきた。あきらかにこちらに向かってきている。こういうときは緊張する。
声は家のすぐそばまで来た。そして突然家が揺れた。彼らが手で揺すったのだと思う。なにか話しながら(韓国語なのでわからない)家を揺すったり叩いたりしている。「きたな・・」と思いつつ、無視していたのだけど、ゆすり方がだんだんエスカレートしてきてすこし攻撃的になってきたので「なに?」と日本語で少し大きく声をだしたら「ウワー」と行って声の主たちは逃げて行った。僕は日記にもどったのだけど、1分もしないうちにまた戻ってきて、また揺すってくる。今度の相手は厄介そうだなと思った。「出るか?」と。こういう時はこっちから出て行って話をしてしまったほうが手っ取り早い。相手にもよるだろうけど。ますます攻撃的にゆすってくるので今度は「なに」と言いながらドアを開けた。彼らは声を出しながらまた逃げていく。二人組だった。後ろ姿はかなり若そうだ。
またドアを閉めて様子を伺っていたら、今度は壁にぺちぺち何かが当たる音が始まった。どうやら石を投げられているらしい。ちょっと止んでいなくなった?と思ったら、まだいる。という感じが繰り返され、めんどうなので思い切って出て行った。また逃げていく。そのまま家を出て、通りの方まで歩いて行った。そしたら二人組はなんかバラバラになって歩道にたって携帯を見たりしている。自分が投げたと僕にバレていないと思っているらしい。そのうちの一人のメガネの少年に英語で「石を投げたのは君か」と話してみたら、ちょっと驚いて「Can you speak to me?」とか言ってきたので、僕は英語で僕は日本から来たアーティストで、これは釜山現代美術館とのプロジェクトであると言った。そしたら「あいつは僕の友達なんだけど、彼が石を投げたんだ。ソーリー、知らなかったんです。あの家が『ダークハウス』(多分そう言っていた。ないか違法なものという意味なのか)に見えたから。」と言う。どっちが石を投げたのかはどうでもいいけど「ソーリー」という彼は結構真面目そうな少年で、年を聞いたら17歳の高校生だという。そしてもう一人の少年の方へ去っていった。結局石を投げた方の奴からは謝られていない。
昨日はずっと雨が降ったり止んだりの天気。一昨日の夜からずっとそうだった。寒いくらいだったのでお茶カフェを探しに行く途中ナンポドンで「1000ウォン」と大きく看板を出している服屋をみつけたのでそこで合成素材でできた白黒カラー七分袖の服を1000ウォンで買った。同じ値段で「You only live once」と書かれた青い長袖の服もあったのでそっちと迷ったのだけどこの大きめサイズの服の方が韓国スタイルっぽいなと思ったのが決め手となった。