僕は分裂している。みんなで生活した方が豊かで、その必要があると知りつつ、引きこもりたいと思ってしまっている。

僕は幼い頃、四世代家族だった。

でも過去に四世代家族だったからこう思っているとかじゃなくて、分裂していると今思っていることが大事だ。

内的な行いが外的な行いになってしまう社会の中に生きているんだ。だから自信を持て。

自分の地図をかけ。みんな自分の地図を描いてるのに、気づかないふりをしている。

自信を持て。あなたが状況をつくるんだ。振り回せ、まわりを。

人を信じるな。何かに対しての信仰を強要するな。信じるか信じないかを聞くな。信じてるか信じてないかで答えるしか無くなってしまう。ボケてくれ。頼むから。

友達と飲んで深夜東京で借りたアトリエに歩いて帰る途中、千歳烏山のあたりで日本橋まで18キロという表示を見てびっくりした。近い。東京はせまいぞ。電車や車もいいけど歩く感覚を奪われるな。賞味期限の数字を見る前に食品を自分の目でみろ。匂いもかげ。

歩きカップラーメンをしていたらあっというまだ。はじめてあるきながらカップラーメンを食べました。帰ってから食べようと思っていたけど仙川の駅近くあたりの甲州街道でファミリーマートの前をとおってしまったのではいってカップラーメンをかってレジの横でお湯を入れてしまった。それで歩いているので食べるしかない。エレファントカシマシを聞いている。食べられる。よるなのでひとめもきにならない。キューピーの建物が見える頃には食べ終わっていたような気がする。

食べきってゴミは別のコンビニを探して持ち歩いた。

桜上水のあたりには終電もない時間なのにあいている八百屋があった。あれはいったい。

東京に場所を借りた。自信をなくすのは辛いことだ。悲しいことだ。自尊心や尊厳はもしかしたら生きていくうえで一番大切なもので、傷つけられるのは耐え難いことだ。社会はあの手この手を使って自尊心を傷つけたり自信をなくさせようとしてくる。しかもやっかいなことは、ほとんどの場合悪気なくそれを働きかけてくる。友人、家族、職場の人、テレビ、広告。あの手この手で悪気なく。

自信を与えてくれる人なんてほんの一握りだ、、ひとりでもいたら、その人をものすごく大切にしたほうがいい。

ようするに坂口さんはそういうようなことを言っているんだ。キューピーの建物から千歳烏山のファミマみでカップラーメン一個分だ。そう書くぞ。

広告は匿名性が高い話。人の知らなさに漬け込む話。つまり車のスピード、人との関わり方のスピード。

四つ木にリトルエチオピアという料理屋。四つ木にはエチオピア人が100人くらい住んでいる。

若年健康診断を受ける。

自信がない人間は公務員になるか、公務員と結婚する。公務員と結婚する自信もないという人間もいて、その人間に残される道は公務員になるということだけだ。自信のない人間が公務員をやっているので、こんなことになってしまっている。

便を出したいという欲求は、時に駅の公衆トイレでマスターベーションをしたいという性衝動と似ている。

デザインをアートと称し、と市原さんが言っているが、そんな単純な構造ではない。もちろん何かしら物を言うときには構造を単純化する事が必要だけど、これはちがう。

入居のために壊した蜘蛛の巣の蜘蛛が、僕がぼーっとしてるあいだにもう新しい家を作りはじめていた。

11時ごろのこと。

美容室に行こうと思って家から一番近いとこらに初めて入ったが客がマダムばかりで囲まれてビビっている。

僕のまわりの人たちから自分への自信を奪っている社会のシステムとそれによって生まれる思い込みを壊さなければならない。週に何日働かなくちゃダメだとか嫌でもこれはやらないとダメなんだとかお金はこの歳ならこのくらい持ってないとダメだとか君は人付き合いが苦手なんだなとか人をナヨナヨさせるようなことばっかり教えやがって

また安心安全便利快適勢力にもこれ以上負けるわけにはいかない。我々も毒されちまっている。思えばいつも我々は負けっぱなしだあいつらに。。あなたはどういう見解ですか?そう思わない?ホーキング博士の本に出てくる時間の話がわかりやすいよ。

最初から負け戦なのかもしれないけど。でも宮本に倣って言うと、負けたっていいじゃないか戦ってさえいれば。

とにかく自信だけは持っていこーぜ自信さえあればこっちの勝ちだよ。

04181110

しばらく忘れてたけど、20歳くらいの時に自分に課したことがあった。自分の心が空中を未来に飛び続けているとしたら、僕の身の回りでおこることや出会う人たちは、歳を重ねるごとに僕の心に様々なものを残して、心は重さを増していくんだろうなというイメージだった。そこで自分に課したことがあった。

04142041

なんで本人の電話番号にかけないのか?やり口が汚い。ソフトバンクの債権回収室とやら。

03201705

未来が落ちてきて、現在を通っているはずが、通っていなくて、過去にどんどん流れていく感覚。過去、思い出や未来、煩わしい不安や保険に押しつぶされそうな現在の自分を解放するために、時間の捉え方を変える。うまくいけば革命がおこるだろう。

風みたいに時間が吹き抜けていく。時間は前だけじゃなくて、横や後ろからやってきて、いろいろな方向に吹き抜けていくけど、いまここにある体の中を通ることはない。

03181847

力を抜いて人と接することが重要だ。

03161800

何か食べ物を食べる事が重要だ。

松本のガストの席から使えたリッチモンドホテルのwifiに鍵がかかって使えなくなった代わりに、ガストに1日60分3回まで使えるフリーwifiができている。

松本の、読書と知識の吸収が大好きな大学生が、ダンサーで優れた教員でもある先生のことについて「先生が話すことと同じことを、僕ら大学生が言っても全然だめだ。同じことを知っているのに」というようなことを言っていて、不思議な考え方だなと思ったけど、まあそう考えるのもわかるなと思っていた。でもいま気がついたが、それは少し危ない考え方だ。それで突き詰めていくと、そのへんで生きてる人なんかと話すよりも、本だけを読んでいたほうが良い。本のほうが、生きてる人なんかよりはるかに大事なことが詰まっている、だから人と話す時間を本にあてないともったいない、というような考え方になってしまうだろう。

ついに20日目に突入した。ホテルも教習所も人数が減って閑散としてきた。とは言っても、僕と同じく今日卒業検定の人たちはそれなりに数がいる。雲ひとつない快晴で、気候も最高。

昨日、道路を歩きながら自動車を眺めている時に思ったのだけどよくみたら、周りが全然見えない機械だ。あんなものに乗ってるのか。あんな不完全なものに・・。

卒業検定は、先週と同様3人ひと組で行われる。かつ同じ車を何組かのグループが共有するので、最初のグループが終わったら次の3ないし2人のグループに交代するという流れ。僕は最初のグループではあったけど先週みたいに、その中でも一番最初ではなかった。同じ車にのる人の中に、先週の応急処置教習で一緒だった眼鏡の男の子がいた。彼は「いやあなんか、ダメな気がするんですよね。朝起きた時は、いけるぞ!と思ってたんですけど、なんかどんどん落ちちゃって。あぁおなかいたい。」と言っていた。僕は「おなかもいたくなりますよねえ。こんなところ」と言った。「そうですねえ」と言われた。

彼は仮免検定で一度落ちて延泊し、さらにそれに受かったあと気を抜いてしまって体調を壊してしまい、さらに延泊し、結局これまでに2回延泊しているらしい。順当に行けば5日に卒業の予定だったらしいけど今日は10日で、彼は今日で22日目らしい。先輩だ。「ここの生活には慣れました」と言っていた。緊張する性格なんだろう。受かってほしい。

検定は、途中路上停車から本線に復帰する際、後ろにきた軽自動車がかなりスピードをだしていて、こっちも邪魔にならないように一気に加速したのだけど、その軽自動車が完全に反対車線に入って追い越してきて、ちょっとびっくりするということがあったけど特に大きなミスはなかったと思う。あの軽の運転者は教習車が法定速度ぴったりで走るのに苛立つタイプなんだろう。教官は、昨日補習をやってくれた男の人だった。

最後に

「はい。まあね、三人に共通することなんだけど、もうちょっとテキパキやろうよ、とかそこ半クラッチいるか?とか、細かいことはありますが、それによって安全や危険に影響があるようなことはないと思うので、まあできていたと思いましす。そういうわけで終わりです。」

と言われた。これは期待していいのだろうか?結果はいま(11時17分)から1時間半後にはでるだろう。それまで待機。

 

今、掛川から豊橋に向かう電車のなかでこれを書いている。受かった。ついにやった・・。ついに自動車学校を卒業した。あとは今週の金曜日にでも塩尻の免許センターに行って筆記試験を受けて合格すれば免許がもらえる。合格発表の後「卒業式」と言うものが教室で行われた。教官が

「卒業おめでとうございます。早く帰りたいよね!もうすこし説明することがあります。まず映像を見ていただきます。」

と言ってまず映像を見せられた。あのサイコ野郎が映像の中で立っていた。こちらに向かって語りかけてくる。あのサイコ野郎が

「みなさん、合格おめでとうございます。自動車に乗れれば、行動範囲が一気に広がり、たくさんの楽しい思い出が増えていくはずです。皆さんはどこへいくのでしょうか。楽しみですね。しかし、ハンドルを握る皆さん次第で、悲惨な思い出になってしまいます。これから、この学校の卒業生たちが卒業して一年以内に起こしがちな事故や違反の映像を見ていただきます。」

と言って、「だい・・5位・・は・・」と、やたら音が飛びまくる映像が始まる。

卒業一年以内に違反があると、それがこの自動車学校に報告される仕組みになっているらしい。5位は信号無視(過去8年間で759件)、4位は通行禁止(一方通行無視など。774件)、3位は一時不停止(1067件)、2位はシートベルト違反(1150件)、1位は速度超過(1490件)。ちなみに年間4300人くらいが卒業するらしい。

そしてあのサイコ野郎が続ける「みなさんは、これらの行為が違反であることを知っていますよね?そして、これらの違反をしてしまった方々も、卒業した時は皆さんと同じでした。ではなぜこのような違反をしてしまったのか。みてみましょう」僕はあんたがなんでサイコ野郎になってしまったのかの方に興味がある。

そして、「免許取得一ヶ月」というテロップの後に、教習所内のコースの一時停止のところで男が『あ、止まれだ。停止線で止まらなきゃ。右も、左も、来てないな』と独り言をつぶやいて運転する映像を見せられ、続いて「3ヶ月後」と出て、今度は同じ人が「ここ止まれだけど先が見えないんだよなあ・・。あぶね!行き過ぎちゃったか」と独り言を呟いて運転する映像を見せられ、6ヶ月後は相変わらず独り言は呟いてるけど全く止まらなくなった運転を見せられ、9ヶ月後に自転車と接触する。サイコ野郎が言う

「運転に慣れてくると、止まれで止まらなくても事故にならないと学んでしまいます。そして事故が起こってしまいます。」

こうやってサイコ野郎の映像は終わり

「皆さんが笑顔でいつまでも運転していただけることが、自動車学校一同の願いです」という字幕が流れて、今度は教室で自動車学校のおそらく全教官が揃って「卒業おめでとうございます。わあ~~」と手を振る映像で終わる。

なんというか、入学時のあの異常な厳しさとは打ってかわって、優しい。ヤンキーを教える先生のやりかただ・・。「ヤンキーを教える先生のやり方」について詳しくはないけど、そんな感じがする。

映像の後「卒業証書授与」が突然始まる。教室の一番右前に座っていた「わたなべかいと」君というひとが「成績優秀だったからね」と、明らかに適当な感じで代表で立たされて卒業証書を授与されていた。拍手が起こった。

そのあと、この後の本免許試験についての説明があって、解散となった。「わたなべかいと」氏は、帰り際に4人くらいから「じゃあな、成績優秀者」と言われていた。友達が多いんだろうな。彼は卒業検定で僕と同じ車だったけど良い奴だった。ちなみにあのお腹を痛がっていた彼も受かっていた。よかった。

その後、いつも通りバスには乗らずに歩いて掛川駅まで行って、青春18きっぷを使って電車に乗った。掛川から7時間の旅。帰る直前、あの倉庫をのぞいたら五十嵐さんがバイクの手入れをしていた。

「五十嵐先生。一回落ちたんですけど、今日受かりました。ありがとうございました」

『おお~そうか~。頑張ってください。良い小説書いてください。』

「ありがとうございます。先生もお体お気をつけてください」

『ありがとうございます』

と挨拶できた。五十嵐さんに会えてよかった。この教習所での最良の出会いだった。ありがとうございました。ということで、20日間に及んでしまった免許合宿はこれで終了。魂の墓場みたいな場所だった。よく言えば、多様性にあふれていた。それなりに思い出にはなったけど、もう二度と来たくはない。免許センターに行って試験をうけるという試練がのこってるけどとりあえずお疲れ様でした。

ロッキーについてもう少し。努力が実らなかったり、実っても誰かの邪魔が入ったり、不運に見舞われたり、大切な人の不幸があったり、様々な困難にあいながらも、ロッキー、そしてクリードも、周りの人々の助けを借りながら、何度も立ち上がる。ロッキーはスーパースターになったが、同時に弱い男でもあるということを、僕たち観客は知っている。だから、彼をただのスーパースターの金持ちとしてしか見ない人々のセリフが、ロッキーには当てはまらないということもわかる。僕たち観客はロッキーが乗り越えてきた困難の数々を知っているからだ。始めこそ運に恵まれたロッキーだったけど、その後はただ努力と、絶望と、そこからの再生の繰り返しだったことを知っているからだ。そして時が流れ、ロッキーの子供達の時代になる。ロッキーの息子は父親の七光りと言われて苦しみ、自分の不幸を父親のせいにする。「クリード」においても、始め主人公のドニーは、父の名前を隠してボクサーになろうとする。父から逃げようとする。でも、最後ドニーは父が偉大な真のチャンプであることを、自らの戦いによって証明する。それは、ドニーの物語の始まりでもある。「名を継ぐ」ということは、父の名前を借りて何かをするということではないのだ。魂の尊厳を継ぐことなのだ。ただ伝統を形として守るということでもなく、伝統に反抗する、ということでもない。そのふたつの安易な道に走らず、どちらでもないあいだで苦しみながら、工夫と努力を重ねた先に何かを見つけた時に、初めて「継ぐ」ということが可能なのだ。まさに幕末の、堕落した「血だけは正統な武士」と、そんなものは武士ではないと怒り、血はただの農民だったりして武士ではないが、魂は紛れもなく武士になった「新撰組」のような話だ・・。本当に素晴らしい映画をみた。「クリード」が見れて本当によかった。そして「クリード」は「ロッキー」があったから生まれたものだ・・。表現を表現で超えていくということ。その難しさと素晴らしさを教えてくれた。

8日は10時に、バスタオルの交換の人のノックで目が覚めた。朝ごはんを食べ損なった。今日は、予定が正真正銘何もない。天気もいいのでどこか、浜松とかにいってギネスが飲める店でも探そうかなと、お昼頃までは思っていたけどアマゾンプライムで「ロッキー」を見始めてしまって、出かけるのを諦めた。そうと決めたら、ロッキー1を見終わった時点でコンビニに行って、缶ビールとお菓子とタバコを買い込んできて、ロッキー鑑賞体制を整えた。結局、そこから翌日、つまり今日(9日)の夜まで断続的に、ロッキー、ロッキー2、ロッキー3、ロッキー4、ロッキー5を見て、さらに2006年の「ロッキー ザファイナル」をみて、さらに2015年の「クリード チャンプを継ぐ男」を見た。この二日間でロッキーシリーズを7本も見てしまった・・。なにやってんだ・・。

しかしサイコーだった。スタローンはロッキーのストーリーを自分で書いて制作会社に売り込んで、しかも自分が主人公じゃないとやらないと言って企画を通してこの映画を実現させたらしい。本当にサイコーだった。人間の自尊心が最も大切なことだという教え、「鏡に映ってる奴をみろ。そいつがいちばんの強敵だ。ボクシングにおいても、人生においてもだ」という教え、素晴らしかった。どんなに不幸が続いても、卑屈にならず腐らずに一生懸命やることだ。それしかないんだ。「クリード」で主人公ドニーが現役チャンプとのエキシビジョンマッチの最終ラウンドに入る前、劣勢で目もボロボロだったのでロッキーに「もうやめよう。十分やった」と言われたけど「いやだ。証明するんだ」と言って、ロッキーに「何をだ」と聞かれて、「俺は”過ち”じゃない」と言うシーンで涙腺が崩壊した。ドニーの父親は元世界チャンプのアポロ・クリードで、アポロが愛人とのあいだにつくった子供がドニーなので、テレビなんかで「アポロの過ちは、アポロの品格を下げるか?」などと言われていたのだ。

ロッキーは「ドニー」のその言葉を聞いて「俺は今までたくさんの人に救われたが、お前にも救われた。俺も病気と戦って勝ちたい。お前にも勝ってほしい」というのだ。さいこーだ・・。「俺は俺の伝説をつくるんだ。父親ではなく」という流れもサイコーだ。まさに現代の、我々の映画だ・・。

今日の13時50分から50分間、7日の卒業検定に落ちたぶんの補習(運転教習)をうけたけど、それ以外はずっとロッキーを見ていた。今日は11時半くらいまでホテルでロッキーを見て、歩いて教習所に行って、お昼ご飯を食堂で食べて、補習が始まる5分前の13時45分まで教習所のwifiをつかって教習所のロビーでロッキーを見て、補習が終わった後ホテルまで歩いて帰ってきて、部屋でロッキーをみた。もはや、教習のあいまにロッキーをみているのではなくて、ロッキーのあいだに教習があった。これだけ続けて見られるというのも素晴らしい。バットマン ダークナイトシリーズを3本続けてみるのは無理だろう。

明日は2度目の卒業検定がある。今度こそ受からなければ・・。次も落ちたらもう笑えない。

卒業検定の日。仮免の時と同じように7時50分に教習所に集合。ただし今回はホテルのチェックアウトを済ませて荷物をまとめて荷物と一緒にバスに乗る。バスには二十五人くらい乗っている。ちょっと曇ってるけど、風はあるけど、青空だ。ざまーみろ。雨は全くふってないし降る気配もない。

検定前に、教習所内の倉庫のようなところで溶接の作業をしていた五十嵐さん(彼は溶接もできるらしい)が「今日検定か。大丈夫。歩行者と自転車に注意してな。」と言ってくれた。嬉しかった。

卒業検定も、仮免検定と同じく1番目だった。卒検は運転だけで学科試験はないので運転に全てをかけるしかない。しかしやらかしてしまった。終盤までは割と上手くやれていたとおもうけど、最後の最後に「駐車」(この駐車という言葉に気を取られて左側の確認が甘かった)するときに、縁石に乗り上げてしまった。もうこれはダメかもしれんと思ったけど、不思議と検定中止(『危険行為』や明らかに減点が多いときは中止になる)にはならず、そのまま校内での縦列駐車の検定までやって終了(さらに終了後に色々注意点とかアドバイスをもらった)したので、どういうつもりなのかわからない。教官は初対面の、ちょっと不思議なおじちゃんだった。合格発表まではすこし時間があるので緊張状態が強いられる。Brassed offの続きを見ようか本を読もうか・・。それともメールを返そうか・・。もし落ちたら次に検定が受けられるのは火曜日なのであと3泊することになる。明日と明後日はかなり時間ができるだろからその時間をつかって、ぐっと集中して小説を進めようなどと考えている。一週間だれにもメールを返していなかったので、合格発表を待っている間に5通返した。あと3通返さなければならない。メールを書くのは嬉しいはずなんだけど書き始めるまでが面倒くさい・・掃除みたいだ。受かっても落ちてもどっちでもいいや。落ちたらホテルに安く泊まれて仕事ができると思えば。映画も観れるし。本も全然読み進めてない。

そして落ちた。受けた人は30人はいたと思うけど僕の他に4人くらい落ちていた。落ちたことがわかったあと、受付で「どこに泊まるかとか、延泊の手続きがあるので合宿事務所にすぐに行ってください」と言われたので行ったら、初日にバスで僕たちを駅まで迎えに来ていた職員のおじさんに「村上くん?ちょっと待ってて」と言われて「顔と名前覚えてるんだなあ」と、嬉しいよりもちょっと怖くなった。事務所に入ったら、初日に登場して以来姿をほとんど見ていなかったBOSSがいた。彼は「合宿事務所」内の偉い人らしい。僕が入るなりBOSSが「村上さん、も来たね」と呟いていた。なんでみんな名前と顔を知ってるんだ・・。BOSSは

「どうしてそんなにたくさん落ちたの~。みんなの内容見たけど、中止項目やらかしてるから、自覚症状あると思うけど、君は何やらかしたの?」

と、一人ずつ落ちた理由を尋ねていった。最後に

「村上さんは?なにやったの?」と聞くので

「最後に縁石に乗り上げちゃいました」と笑って答えたら

「そんな左に寄せなくていいから!あんまり離れてると問題だけど、寄せすぎなくていいんだから!」と言ってくれた。そして最後にみんなに「もう落ちんなよ」と励ましてくれた。

「落ちたので、一度補習を受けてもらいます。補習は月曜日です。今日はもう何もありません。明日も、何もありません。明後日が補習。」

とのことで、突然1日半の自由時間が与えられた。

自動車免許の合宿なんかに時間をかけてる場合じゃないのに何やってんだと思いながら歩いてホテルに向かったけど、歩いてるうちに「この機会を何かに活かさないとだめだ」と思って、小説を進める意欲がメラメラと湧いて来たのだけど、ホテルに着く頃にはなんか歩き疲れてしまって、部屋(312号室から212号室になった)に入ってから小説を1時間くらい進めたけどどうも打ち込めないので、やはり映画を見ようと思い、Brassed offの続きと、アマゾンプライムで「バットマン ダークナイト」と「太陽の王子 ホルスの大冒険」を見た。ブラスは良かった。炭鉱労働者によるブラスバンドのお話。実話に基づいている。「炭鉱はもう過去のもの」なので、90年代半ばにイギリスではたくさんの炭鉱が閉鎖された。職を失った人たちが大勢生まれた。その炭鉱労働者たちが仕事仲間で100年以上続くブラスバンドをやっている。炭鉱が閉鎖されてしまうので、そのブラスバンドの存続も危なくなるけど、というお話。最高だった。ダークナイトは大変に重い映画で、すごく疲れてしまった。マーベルもDCコミックスも、ヒーロー像を模索している。『バットマンはただの無法ものの市民じゃないか』という「シビルウォー」にも通じる問題を扱っている。なにが正義で何が悪で、誰かを守れば誰かが傷つき、誰かをやっつければまた別の何が生まれる。重い・・。フェリーにのった市民と犯罪者たちが、お互いに爆弾のボタンをおさなかったという点だけに希望が見えた。あそこでボタンを押されていたら、それ以上続けて見るのは耐えられなかったかもしれない。太陽の王子ホルスは素晴らしい映画だった。。人は不完全だから愛おしい。

ホテルも教習所もだいぶ雰囲気が変わって来た。30,40代らしき人がふえてきた。皆訳ありのような、味わい深い表情をしている。ホテルから教習所へ向かうバスも、もう満杯になるようなことはないだろう。今日は、朝1時限目から最後の運転教習。なんの取っ掛かりもない、毒にも薬にもならない無口な教官だった。何も言われなかったし、何も褒められなかった。途中、僕の車の後ろに一般車がたくさん連なって走っていたので「後ろ繋がっちゃってますね」と言ったら「はい」と言われて、それで終わりだった。もう話しかけるのはやめようと思った。

そのあと、5時限目からの「応急救護教習」まで時間ができた。まずタバコを切らしていたのでタバコを買いに行こうと思った。完全に曇り空だけど、雲が風で流れていくのがわかる。それを眺めている。教習所の近くのコンビニ前のベンチでタバコを吸っている。僕は29年間生きてきた。いろいろな人に会った。泣いたり笑ったり踊ったり喜んだり苦しんだり悲しんだり、たいへん忙しくやってきた。人を悲しませたり迷惑かけたりもした。自分の人生を自覚的に生きたいとずっと思ってきたし、そのためがんばってきたつもりではあるけど、いま考えると、流されていた部分もたくさんある。流されているということにも気がつかないで。自分は、まず自分と付き合って生きていかなくちゃいけなくて、その上で周りの家族や恋人や仲間たちがいる。僕たちが無意識にすりこまれてしまっている、常識とか、時代によってつくられている感覚を、無自覚なままに他の人との交流で使ってしまうというセオリーから、僕たちは抜けられない。そうすることによって、僕たちはその人に対しても、そのすりこみを行ってしまっている。そうやって僕はすりこみを与えられて生きてきたし、おそらく人にも与えながら生きてきてしまったんだろう。勉強がたりない。とにかく大切なのはまず、目を覚ますことだ。体を動かして、頭を使って、いろいろなところに飛び込んで、自分の無自覚と戦うことだ・・。そして、おそらく全てが完全に達成されることはないまま死ぬだろう。それを受け入れて歩いていくしかない。

4時限目に本免許学科試験の模擬テストをうけてみた。テストをやっていて気がついたのだけど、テスト中自信がない問題にあたったら印をつけてあとで見直すようにしていて、つまりテストは○×問題なので、何もわからなくても1/2の確率で正解する。なので、自信がない問題でも正解してしまったら、あとで見直そうとは思わなくなってしまうけど、間違っていたら見直すことになるので「この問題が正解なのか確信はないけど多分あってるだろう」というような問題に当たった時「これが正解ならわざわざ見直す必要はないだろう。なので、あとで見直すための印はつけないでおこう」というふうに考えてテストをやっている。こういう問題がけっこう多い。この感覚が不思議なんだ。未来の行動を今の自分が行なってしまっているようで。

テストを受けている最中、今日入校したばかりらしい教習生を教官が案内しているのを見た。「ここが自習室です。自分で勉強もできるし、模擬テストも受けられます」僕らも、16日前に同じ説明を同じようにうけた。僕たちは30人以上いた。今日のは2,3人しか生徒がいなかった。寂しい。道の駅に2日間滞在したりすると、こういう気持ちになる。テストは99点だった。なんかすごいぞ俺。こんな状態で99点とは。えらいぞ。

模擬テストの担当教官が百地先生だった。

「99点。いやあ、すごい。100点とりたかったっすねえ。」といいながら99という数字を回答に書いた。嬉しい。その後さらに先生がなにか呟いてたので、え?と聞いたら

「滅多に見ないっすよこれ。いやあすごい。100点取りたかったっすね」

と言われた。飛び上がるほど嬉しい。彼は褒めるのがうまい。本当に「いやあ、すごいなあ」としみじみした感じで言ってくれる。素敵な先生だ。この先もこの学校で、体に気をつけて頑張って欲しい。僕が卒業したあと、いつか掛川に来ることがあるだろう。そのとき「あの教習所では今日も、あの時より少しだけ歳をとった百地先生が『いやあ、いいっすねえ』と言って生徒を励ましてるんだろうな」と思えるだろう。それはとても素敵なことだ。

テストの見直しで「追い越しにメリットがあるか」を実験した結果が教科書にのっているのを発見した。国道一号線の静岡駅前から愛知県境までの102.6キロメートルの区間を、A車は時速60キロで走行、出来るだけ多くの車を追い越す。B車は時速50キロ以下で走行、絶対に追い越しをしない。というルールで二つの車が目的地に到着するのにどれくらい差が出るかという実験があるらしい。結果はA車は83台の車を追い越し、2時間19分で到着。B車は77台の車に追い越されながら、2時間29分で到着した。わずか10分の差だったらしい。

5時限目からの応急処置教習は3時限連続の教習で、僕を含めて10人の教習生と1人の教官が仲良く同じ部屋にずっと居た。あの茶髪のにーちゃんも建築のにーちゃんも居た。建築のにーちゃんと、講習が始まる前に少しだけ話した。

「明日卒検すか?」

『はい』

「どうすか?余裕すか?」

『いやあ、緊張しちゃうと思うからわかんないなあ』

「緊張しますよねえ」

と言う会話。その後はとくに何も話さなかった。ひどく酔っ払ったと思った時や、酔っ払った人を寝かせるときは必ず横向きに寝かせてください、という話や、AEDの電気パッドはめちゃめちゃ粘着力が強く、一度間違えた場所に貼ってしまったら薄皮が剥がれるくらいらしいので、救急隊が来るまで貼りっぱなしでいい、なのでものすごく胸毛が濃い人相手にAEDを使うときはその粘着力をつかって一度ビッと胸毛をひっぺがしてしまい、予備の粘着パッドを使うという方法がある、という話が面白かった、

心肺蘇生法は

1「意識の確認」

2「119番通報をする人・AEDをもってくる人を指名する」

3「呼吸の確認」

4「呼吸ない場合心臓マッサージ30回(成人の場合5cm胸が沈むくらいの強さ)」

5「人工呼吸2回」

6「再び心臓マッサージ30回・人工呼吸2回の繰り返し」

(救急車が来るまでの時間(全国平均で約8分)これをやり続ける。)

という流れ。講習は人形相手だったけれど、本物の人を相手にして、その胸を5cmも沈むくらいの力で押し込む勇気が持てるか不安だ。さらに、被害者になんの反応もない場合、それでも8分やり続ける気力がもてるだろうか。これまでにも何度か教わった気がするけど覚えてない。このくらいは覚えておきたい。役に立ちそうな講習が受けられた。これを受けていないと、運転免許を持つ資格なしということになっているらしい。

そのあと送迎バスでホテルに戻って来た。雨が降っているので歩かなかった。歩けば靴がびしょびしょになってしまうからだ。ホテルのロビーにある自販機で買った「麒麟 淡麗 生」を飲みながらテレビで水戸黄門を見ている。フロントにチップスターののり塩味が売っていたので買って食べて見たが全然だめだ・・。湖池屋にもカルビーにも程遠い。水戸黄門をわかる範囲で説明すると、なんか意地悪な女の人がいて、それに苦しめられてる女の人がいて、その女の人を水戸黄門が助けそうな展開だ。水戸黄門は、今回は敵が偉い人で「この紋所が目に入らぬか」というあのシーンがなかったのでカタルシスはあまりなかった。

テレビを水戸黄門の途中で消し、昨日の日記に書いた、最後に威風堂々が演奏される映画をネットで見つけられないかと思って「威風堂々 映画」で検索したら割とすぐに、その映画が「ブラス!」(原題Brassedoff)という映画だということがわかり、さらにニコニコ動画にその全編がアップされていたので見始めた。8時前にご飯を食べに下に降りた。ご飯を受け取るときに自分の部屋番号を言う必要があるのだけど、例の厨房のチャーミングなおばちゃんが、今日初めて僕が部屋番号を言う前に「312だっけ?」と言ってくれた。覚えてくれた。

「僕明日で卒業なんで今日がご飯最後なんですけど、とっても美味しかったです。ありがとうございました。」

と言ったら「最後の晩餐だ。がんばって」と言われた。ホテルの食堂というかロビーにはあの茶髪のにーちゃんが他の合宿生2人と話していた。彼は、全く表情を変えないまま誰にでも話しかけることができるという特殊能力をもっているらしい。

昨夜、カーテンを閉めて寝たにもかかわらず、今朝も6時ごろには起きてしまった。曇り空。7時半くらいまでごろごろして、8時25分のバスで教習所に行った。バスの人数も減って来た。新年度が始まっているのを感じる。年度と年度のあいだに混みあうのが教習所なのだ。

今日は、2時限目から2時間連続で高速道路の運転教習だった。三人グループでやると聞いていたけど、二人だった。人数が減ってきたからだろう。そういえばこのあいだの路上停車教習も三人と言われていたのに二人だった。高速教習を受けるもう一人は時々見かける、いつもスターウォーズのトートバッグ持ってる女の子だった。100キロで走るのは、大変神経を使うことがわかった。少しのハンドル操作が車体に大きく影響する。集中を要するので、ハンドルを片方放すとかはできなさそうだ。高速を走ってる最中に雨が降り出してすこし焦った。ワイパーを動かしたんだけど、雨が止んだ後もワイパーが動きっぱなしだったことに気がつかず、助手席の教官が黙ってワイパーを操作してとめてくれた。

雨がやむ。という言葉からは、「時間でやむ」という連想があるけど、高速道路を走っている最中に車に雨が降らなくなることも、雨がやむでいいのか?時間と空間は切り離せるものではなく、ここには「時空」というものがひろがっているのだと考えるのが相対論の前提らしいけど、時空というのは「高速で走る車のなかで、雨がやんだ」というようなことだろう。

高速教習の後、もう一回マンツーマンで一般道の路上教習があった。そのさい、花鳥園の前を通りかかった。塀に、たくさんの鳥や鳥と遊んでいる人たちの大きな写真がたくさん貼られていた。とても楽しそうだ。

そのあと、人でごった返すこともなくなった食堂でご飯を食べて、午後に2回目の模擬テストを受けた。95点だった。これで2回合格したので、卒業検定を受けられる。いよいよ明後日には卒業検定だ・・。テストの後はさっさとホテルに帰った。曇り空だけど、雨は降ってない。

晩御飯はタルタルソースっぽいものがかけられた唐揚げだった。僕と同じ日に入ってきたオートマ限定の人たちが今日卒業していった。ホテルのラウンジというか食堂みたいなスペースは、僕がここに来た日と比べると、大変閑散としてしまった。猿でも屍でも、いなくなるとすこしさみしい。ぼくの他に4人いるだけだ。二人組の女の子が僕のすぐ後ろで話していて、まわりが静かなので丸聞こえだった。

「あの子おとなっぽいよね。二十代後半かと思った。」

『えー!それはないっしょ。』

「同い年って実感ない。あの子、どう?」

『うーん』

「かっこいいよね。タイプじゃないけど。」

『タイプじゃないんだ』

「まわりの女の子、すごいよね。女の子から話しかけるって。私そんな勇気ないわ。誰かいる?かっこいい人』

『うーん。こっちにきてからってことでしょ?・・さっき話してた子かっこいいと思うけど。わたし人の顔すぐ忘れちゃんだよね。学校ではよくみるけど・・』

「ホテル違うからね。会わないよね。・・・ナンパしちゃえば、とか言われたんだけど。逆ナンてすごくない?!そんな勇気ないよ。相当だよ逆ナンて。このホテルに泊まってるさ、ヨーロッパのハーフの子がさ、女の子と手繋いで歩いてるのみたんだよね。コンビニ行ったときにみたんだけど、わたしがみた途端手放したんだよね。バレたくないんだろうなと思って」

などなど、大変楽しそうにしている。彼らはマジで修学旅行みたいな感じで合宿免許に臨んでいる。というか、そういう臨み方しかできないんだろう。しばらくして彼女たちは「お風呂はいろ。はいった?」などと言いながら部屋に戻っていった。

昨日から今日にかけて、講習のあいまの空き時間やホテルに帰ってからの時間で

・プライベートライアン/スピルバーグ

・ターミナル/スピルバーグ

・300スリーハンドレッド/ザックスナイダー

をみた。300以外は一度見たことあるけど、完全に忘れていた。ターミナルは何度も泣いたけど、違和感もあった。

もう何年も、タイトルもストーリも思い出せないけど強烈に頭に残っている映画があって、多分映画のクライマックスあたりで、背が高くて天井がない観光バスみたいなものに少数のオーケストラが乗っていて、走りながら「威風堂々」を演奏するというシーンだけ覚えているのだけど、ずっと思い出せない。あれはなんていう映画だったか、、

俺なにやってんだか(笑)って。自分を笑うことを覚えろよ。ニーチェが教えてくれたように。何があっても自分を笑えよ。毎日天気が良すぎて、それでもう笑けちゃうよ。「文句のつけようがない天気だな!わはは」不安とか満たされなさに、これでもうさよならできるぞ、もう苦しくならないですむぞと毎日思いながら、いつも結局さよならできない、なにやってんだかって自分で笑って、それで歩いていくしかない。ほんと賑やかな人だ。退屈しないよ。俺会議を開いている。男が、寝不足でフラフラしながら会議室入ってきて、われわれはいま、試練の時を迎えております。突然幸せになったり不幸になったり忙しいですね。体力だけはついたかもしれませんね、でも寝不足のほうは、もしかしたら部屋のカーテンを閉めないで寝てるからというだけの理由かもしれません、と報告して。村上慧さんは、この度の合宿で進めようと思っていた小説が一向にすすみませんね。合宿での出来事は辛くも刺激的で、日記は書けているんですが、さてどうしたらいいでしょうかねと別の男に話しかけているが男は聞こえていないふりをしている。また別の男はいつもの服で会議室に座っていて、いつもと同じように話す。わたしから報告することはなにもありません。29年間、正確に仕事をしてきました。これからもそうします。私からは以上ですと言ってシメる。

今朝も5時半ごろに目が覚めてしまった。だけどふと、「早い時間に起きちゃうのは、カーテンを閉めてないせいで朝日が顔に差し込んでくるという単純な理由からではないか?」と思った。今夜はカーテンを閉めて眠ろう。

今日は、日曜日から繰り越した座学を二つ午前中に聞いた。教室に入ると、仮免許検定で落ちたのであろう、あの茶髪のにーちゃんや例の建築の青年がいた。懐かしい気持ち。座学の内容は「死角と運転」というやつ。あの、普通の先生だ。2輪車と4輪車のいろいろな位置関係における注意点や、事故は右直事故が多いという話や、交差点を曲がる時の死角の注意点や、車自体の死角について、などの話を聞いた。教科書に面白い記述がある。

「無事故運転者は、死角となっているところに危険がないかを探り、常に慎重な運転をしています。しかし、事故を起こした運転者の言い訳を聞くと、

・駐車車両のかげに歩行者がいるとは思わなかった。

・カーブで対向車があるとは思わなかった。

・交差点で右方から車が来るとは思わなかった。

など、死角にある危険を予測せず、先入観で他の交通はないものと自分勝手な判断をしています。」

『事故を起こした運転者の言い訳』という言葉に悪意を感じる。

座学の合間にタバコを吸ってたら、またあの茶髪のにーちゃんに話しかけられた。彼もタバコを吸う。「風強いな」と話しかけて来た。「いつも風強いですよね」と言った。「いくつですか?」と聞かれた。

『29です』

「まだ大丈夫」

まだ大丈夫ってなにがだ?彼は34歳らしい。年上だった・・。免許をとるのは二回目らしい。

『年が近そうな人が一人いるなとは思ってました』

「わかるよねそういうの」

彼は、やはり仮免検定に落ちたらしい。でも「7日が雨の予報だったから、それもあってわざと落とした」と言っていた。『なるほど!』と言った。そんな方法があるのか。と一瞬思ったけど、でもそれは言い訳ではないか?仮免検定に受かった上で、雨なら雨で卒検受けてみればいいじゃないか。それで落ちたらまたやりなおせばいい。わざわざ仮免検定の段階で一度落ちる必要なんてあるのか?この話から、彼の人格がすこし見えた気がする。しかし免許二回目とは、過去に何があったんだ。彼の表情に漂う諦観の元は、その免許取り消しが関係しているんじゃないか?と思うと彼に興味が湧いてきた。あの顔つきは、絶対に何かを背負っている。

座学のあと、運転シミュレーターを使った実技講習があった。「どんどん事故ってください。シミュレーターで無事故無違反で走られちゃうと、良い講習になりません」と事前に教官から言われてはいたが、5回くらい人やバイクを轢き殺してしまった。車の陰から突然飛び出して来た歩行者や、右折するトラックの後ろから飛び出して来たバイクや、突然車道に寄って来た自転車など、いろんな人を轢いた。幸い子供は轢かなかった。

そのあと、ドライブレコーダーで録画しながらの運転教習があった。まさか室内側にもカメラがついているとは思わなかった。あとでその映像を見ながら色々注意されたのだけどなによりも、運転中の自分の表情が面白すぎる。ずっと眉間にシワが寄っていて、無駄に真剣な表情をしている。運転中こんな顔してるのかと絶望的な気持ちになった。「超真面目な顔で運転してるね」と教官にもいわれた。あと、別の教習生が運転してるあいだ後ろに座っていた時の僕の姿勢悪さにも驚いた。ずっと体を右に傾けながら座っている。多分前をみようとしているんだけど、それにしてもこんな姿勢で座ってるのかと、衝撃を受けた。「ずっと斜めに座り続けてるの、すごいね」と教官にもいわれた。

そのあとは「山道教習」というやつ。山道を運転する練習。あの「もうわけわかんなくなっちゃってるけどごめんね~」の教官だったのだけど、教習中に彼は素敵な話をしてくれた。

「横断歩道ってのは、歩道ですからね。車が通れるように仕方なく平らになってますけど。でも全然止まってくれない車たくさんあるよね」

『ぼくも、車って偉そうだなってずっと思ってました。』

「車は全然偉くないからね。むしろ私たちが使わせてもらってるんだからね。」

あまりにも車社会になってしまったので、この精神を忘れがちなんだと思う。歩行者がまず居て、車というのは特殊な乗り物なので、基本的に車は歩行者よりも謙虚に小さな態度でちまちま走るべきなんだ。荒川修作も『あの道路の真ん中、なんであそこを車が走ってるんだ。あそこを俺たちが歩かなくちゃいけないのに!俺たちが真ん中歩いてて、車が横をちまちま走ってるならわかるよ。だいたい、車が俺より大きいとは何事だ。車は、俺より小さくなくちゃいけない!』みたいなこと言ってた。

「横断歩道以外の道でも、歩行者が横断しているところに通りかかったら、その通行を妨げてはいけない」という法律から、この精神がまだ生きていることがうかがえる。終了後、車の中で「もう今日はこれでおわりでしょ?酒でも飲み行きますか?」と言われ、「まだ卒検の模擬テスト2回合格してないんで(仮免許の時と同じく、模擬テストで2回合格しないと卒業検定テストがうけられない)、テスト受けなきゃなんです」と答えた。「あ、すいませんでした」と笑われたけど、今思えば不思議な言い方だ。あれは「酒飲みにいきませんか?」というお誘いだったのか?・・わからない・・。こういうときどう振る舞えばいいんだ・・。

運転教習後、教習車が停めてある駐車場からタバコをくわえながら喫煙所に歩いてたら、また茶髪のにーちゃんに突然

「すげえ、もうたばこくわえてんの。すげえ」

と、タバコをくわえるジェスチャーとともに話しかけられた。不思議な人だ。

今日のシメに模擬テストを一回受けて見た。全部で95問あり、100点満点で90点以上が合格。仮免検定の2倍くらいの問題数なのですこし疲れる。99点だった。嘘みたいだ・・。1点は、ものすごく初歩的なミスで落としていた。最初から99点とは逆に不安になる。そんで歩いてホテルまで帰って来た。今日は禁酒しようと思ってコンビニでビールを買うのを我慢した。

3つの運転教習。夜帰り道歩いていて、ホテルの近くまで来たときに、路上で例の建築の青年に出会った。「こんな時間までどうしたんですか」と言われた。「散歩が好きなんだ」と答えた。彼はジムでトレーニングをしていたらしい。「俺も散歩好きなんですよ。この道行くと、池があるの知ってますか?走ってるときに見つけたんすけど、家があって、お城も見えてめっちゃ綺麗なんですよ」と池を教えてくれた。その池に行った。池と、桜がある丘があった。月もとてもきれいに見えた。お城は見えなかった。

朝1限目から運転教習。路上停車の練習。停車はともかく、あいかわらず発進が遅れる。半クラッチを見つけるのに時間がかかる。「クラッチを見つける」って言う表現、大昔に聞いたことがあるような気がする。たしか父親から。足の踏み込み具合でクラッチを見つけるわけだけど、足でやってるのに『見つける』っていう言葉を使うのは素敵だなと、幼い頃に思った気がする。

続けて座学「交通事故のとき、自動車の所有者などの心得と保険制度」という内容。不思議な日本語だ。百地先生だった。百地さんが「はいじゃあ原簿集めます」と言いながら颯爽と教室に入ってきたとき、「ももちさんだ!」と嬉しくなった。彼は今日も昨日と全く同じ格好だ。いつも決まっている。

事故の当事者になったり、事故を目撃したときにどういう行動を取ればいいかを教わる講義だったのだけど、今回も百地さんは終始自分の体験談を交えながら講義を進めていた。

「昔、ぴっかぴかに綺麗にして大事に乗っていた自分の車に乗ってるときに、信号待ちで止まってたら後ろからコンッて追突されたことがあります。その瞬間にわたしちょっとプツーンときちゃいまして『やってくれたなこの野郎』と思って車降りて後ろに行きました。そういうときって相手の車なんか見ないですね。自分の車をみて大丈夫かとか、そうなりますね。そのとき大きな4WDの車に乗っていたんですが、ほとんどへこんでませんでした。それで相手の車見たら、軽自動車だったんですけどバンパーがグシャってなっていて『こんなに違うのかー』と思いました。それで、相手の運転席のところに行って『身元を確認しないと』と思って、『ちょっと免許証控えさせて』って言おうとしたら、女性で、もうポロポロ泣いてるんですよ。『泣きたいのはこっちだよ』と思って、免許証もらってメモしようと思って書くんですけど、私ももう動揺していて、手がプルプルプルプル震えちゃって書けなかったです。ああ言う時ってね、動揺しちゃいますよね。今思えば、写真撮ればよかったなと思って、でもたぶん写真もプルプルプルプルしちゃって撮れなかったでしょうけどね。はい、じゃあ次のページ・・」

というぐあい。

「ひき逃げはダメですよ。何で轢き逃げするのかって、私知り合いの現役警察官に聞いて見たことがあります。『こわくてにげちゃう』そうです。そりゃ、怖いですよね。・・わたしたちは人を見たら、もうその人の運転を見なくても、初めての免許か、免許停止されて2回目に取りに来た人なのか、だいたいわかるんですけど。昔。私と同じくらいの歳のお父さんでした。『あー絶対この人二回目だろうな』と思っていました。運転もスイスイやってました。教習中に、私助手席から『免許、初めてじゃないですよね?差し支え無ければ、最初の免許どうしてなくなっちゃったか教えていただけますか?』と聞きました。そしたら表情がどんどん硬くなっちゃったんです。『ああ、これはもしかしたら重い事故おこしちゃったのかな』と思って、マズイこと聞いちゃったなと思いました。なので『あ、無理にお答えにならなくて大丈夫ですよ』と言いました。表情がどんどんこわばっていくので、『これはもしかしたら、相手が亡くなっちゃったのかな』と思いました。そのあと普通に教習してたんですけど、終了五分前くらいに『実は、重たい事故起こしちゃったんですよ』といい話しはじめました。私は『キター』と思いました。『相手の方亡くなっちゃったんです。俺、轢いた時、逃げちゃったんですよ。怖くて。』と言ってました。」

「人を轢いて殺しちゃったら、損害賠償っていくらくらいかかるかわかりますか?・・昔こんなことがありました。教習所の閑散期でね、閑散期は座学もマンツーマンになったりするんですけど、ある日教室に入ったら、みるからにヤンキーな三人組が前に座ってました。その人たちに、事故起こしちゃだめだよ、と言う話をしてました。『事故起こして人が亡くなっちゃったら、いくらくらいとられるかわかる?よし、じゃあ想像してみて、君の大事な人。君、お母さんとか兄弟もだけど、彼女が一番大事じゃない?』と聞いたら彼は『まあ・・うっす・・』と言いました。『じゃあ、考えてみて彼女が友達と歩いてて、なんかアル中の男の運転するトラックに轢かれて亡くなってしまいました。君ならいくらとりたい?』と聞きました。そしたら彼はしばらく考えて、割と自信満々に『・・・俺なら200万とるっすよ』と言いました。そしたら隣の奴が『俺なら300万とるっす』と言いました。それを聞いてた後ろに座ってる三人目のやつが、おまえらわかってねえなって感じだったんで、『じゃあ君なら?』と聞いてみました。そしたら彼も言ったるぜって感じで指を一本立てました。そして言いました。『俺なら、100万すね』『下がってんじゃねーか!』って思いました。なんか3段オチのコントみたいでしたけどね!さあ!みなさんわかりますよね?あなたの事故で人が亡くなってしまったら、1億くらい請求されることも普通にありますからね!4億っていう例も見たことあるな。だからね、任意保険、入ってくださいね。」

また教習の最後に百地さんは

「免許とったあと、初めて家の車を運転するとき、運転しづらいと思う。教習車しか乗ったことないからね。すぐ慣れるけどね。けどね、色々戸惑いはあると思う」

と言っていた。この「運転しづらいと思う」の「思う」の言い方が優しかった。やさしい・・。あのサイコ野郎やレイシストやハラスメント親父とは大違いだ。・・こうやって書き出してみるとこの教習所が素晴らしいメンバーで構成されていることがわかる。美しい国だ。」

百地さんのあとは、なんかまた違う新しい人による「乗車と積載・けん引」という講習。特に特徴のない先生であまり覚えてない。

教習の後、教習所の裏のショッピングセンターで2足200円の靴下を買った。洗濯物が滞りがち。一度部屋に入ってしまったら、洗濯機を回すために部屋をでるのが億劫になってしまう。

靴下を買った後運転教習が二回。うちひとつは路上停車複数というやつで、後部座席に一人教習生を乗せた状態で路上を走り、路上停車の練習をするというもの。他の教習生の車に乗るのは初めて。僕と運転の癖が違って面白かった。彼はギアを頻繁にトップにする。僕ももうすこしトップギアを使った方が、検定的にはいいのかもしれない。

あの建築の青年とすれ違った。すれ違いざまににお疲れ様ですといわれた。彼は3人で歩いてた。よかった元気そうで。話し相手もできたんだろう。

そのあとは、また座学だった。受講生が少なくて、一番前の列のどこかに座らざるをえなかったのだけど、誰が来るかわからないので教壇から一番遠いドア横の机に座った。そしたらあのサイコ野郎が『原簿集めます』といいながら入ってきた。まだ一番遠いところにしてよかった・・。

もう一度強烈な嫌悪感を抱いてしまったので、もう彼のあらゆる挙動や言動が生理的に無理で気持ち悪くなる。講習中、僕が教科書やメモ紙に殴り書きしたものを以下に転写する。

「あのサイコ野郎だ.不必要に大きな声でダミ声でやべえ不快だこんな拷問みたいな時間・・・声がいやだ.もう生理的にムリ.(教習の映像をみながら)『演技力に差がある.上中下で言うと中くらい同じギャラ払ってるのかな』とか、たのむからだまってくれ『こんな大根役者つかっていいんだねーギャラ発生するんだね!!』うざい.うるさい.へんなつっこみを入れるな.声がムリ.ムリな上にでかい.さいあく.さいあく.さいあく.さいあく.さいあく.あとセンスない.嫁とか.『休みがないのにこんな暇そうな女二人の映像見るのいやなの!でも皆さんに見せなきゃいけないの!!こっちは2週間ずっと働いてるの!こんなやすみなんかないんだから!!』こっちのセリフだお前の声を、法的に聞かないといけないなんてふざけてる.」

「ウルセーーー.マジで,そんな音量いらないだろ死ね」

「耳栓があった…よかった…(ここで僕はリュックの中に持っていた耳栓を取り出してさりげなく付けた)耳栓あってもうるさい」

「市役所に行くのに地図を見て話し合ってる二人の女の映像に『市役所なんて目つぶってもいけるよね!!』もでかい声でわめきちらす…」

「みみせんしてからだいぶ落ち着いた..不快な言葉やフレーズを連発はしてるが、「耳栓してる」ということが落ち着けてくれる」

「私の嫁」という言い方も嫌だし、こんなサイコ野郎でも一緒になってくれる人がいるのだと思うと、なんて美しい世界なんだ・・。

気持ち悪くなりそうなのをこらえながら、免許の本試験に出るポイントの線引きだけは逃すまいと教科書とあの男の説明に向き合って50分間・・・。苦痛だった・・。

そのあともうひとつ座学があり(これはまあ普通の退屈な先生だった)、その後最後の講習は「高速道路での運転」という奴で、始まる前は『教官はまともな奴であってくれ』と思っていたし、メモにもそう殴り書きしてある。そして、百地先生が「じゃあはじめます」といいながら教室に入って来たとき「ありがとう神様」と思ったし、メモにもそう殴り書きしてある。

昨日の日記に書き忘れてしまったけど、昨日はあのサイコ野郎の授業の後には百地先生の授業もあった。

「車に働く自然の力と運転」という内容で、最初に彼は「この中には、大雪になる街に住んでる人もいるかと思いますが、掛川では全然雪が降りません」という話から始めた。あのサイコ野郎と比べると、この普通の話がとても優しい内容に聞こえてしまう。

「あれは18年前でした。私結婚したばっかりでいろいろイベントがあった年なので覚えているんですが。新婚でした。夜二人でテレビを見ていたら、天気予報で『明日は大雪になります』と言っていました。嘘だろ~と言ってましたが、翌朝起きて窓をあけたら、一面銀世界になっていました。『おいユキ(妻の名前がユキなのか?)!すごいぞ!』といって女房を起こしました。ベランダに出て、すごいねーと言いました。二人で雪だるま作りました。当時は仲良かったんですね。(ここで教室から笑いが起きる)その日わたしは仕事で、マイクロバスを運転して駅まで教習生を迎えにいかないといけなかったんで、出勤してマイクロバス乗ったんですが、雪なんて降らない街なのでノーマルタイヤです。大丈夫かな~と思ったんですが生徒も待ってるので行くしかない。と、決心して出発しました。それで慎重に走っていたんですが、信号のある交差点で、渡る直前に黄色に変わりました。そういうときあるでしょう?『まいったな、行っちゃおうかな。でも「掛川自動車学校」っていう看板背負ってるしな・・。無理に横断するのはよくない』と思って、ブレーキかけました。そしたらツルーッって滑っちゃって、後輪がグワーってスピンしちゃって、ヤベーヤベー!と思って慌てて体制立て直したんですがバスは全然止まらず、交差点のど真ん中で斜めに止まりました。青になった道路の車から当然クラクション鳴らされました。『おい何やってんだ自動車学校!』と言われました。もう私は「スイマセン。スイマセン」って頭下げるしかありませんでした。もうね、あの日はその後もトラックがスピンしちゃってこっちの車線に回転しながらつっこんできたり、いろいろありまして、生徒を拾って1時間くらい遅れて教習所に戻ってきました。でも他のバスは半分も戻ってきてませんでした。全然生徒が来られないので、あの日は1時限は中止にしたと思います。すごかったですよ。道路をはしってたらあちこちで事故が起こってて、追突はあたりまえで、正面衝突も見ましたし、一番ひどかったのは、完全にひっくり返ってる車もありました。あんなの見たことない』

と楽しい話をしてくれた。自分の経験から、誠実に話そうとしている感じが伝わってくる。百地サンはマトモな先生だ・・。面白くて、優しい。生徒の顔は全然覚えられないらしいけど。

他の教官は基本的に差別主義者ばっかりだ。今日は午後の講義は後日に動かしてもらったので午前中にふたつ座学をうけるのみ。運転教習は金曜日に仮免受かった人たちは今日だけおやすみらしい。二つ目の講座が「特徴的な事故と事故の悲惨さ」という座学。嫌な予感がした。あの眠くするのが上手な教官だった。まず、僕の前に座っているMILANOと刺繍された服を着ている青年の白髪がすごい。苦労してるんだろうか・・。まだ若いのにごくろうさまです。

「事故は年間で何件くらい起こるか知ってますか?・・・50万件くらい起こります。死亡者は昨年が3600人くらいです。一年で割りやすいね。1日10人くらい死にます。この教室(と言って、彼は講習を聞いている生徒の数を数え始める。すごく嫌な感じ・・気持ち悪くなってくる)、・・ちょうどいいね(ちょうどいいってなんだ?後ろの人も『ちょうどいいってw』と言っていた)。まずこの窓際の列の人(僕は窓際に座っていた)、1日目に死にます。次にこの列の人、2日目に死にます。この列は3日目に死にます。この列は4日目、この列は5日目。というように、1週間も経たないうちにこの教室の人みんな死にます。」

このとき手元にあった紙に、僕は以下の言葉を殴り書きしていた。

-笑えねえよ。言葉に気をつけろ。死とか・・。気持ちが落ちてる人のこと考えろクズが。おめーが死ねよ。1週間で70回死ね。

これだけ書いていたので、まだ元気だ僕は。しかしなんでこんなこと言うんだろう。脅かしてるのか?事故に気をつけましょう。ってことなのか?でもそのためにこの教室の人みんな死にます、なんて言う必要ないだろ馬鹿なのか?死なねーし。生きるし。

また、講義中にこのクズは「おーい。うしろのおねーさん。大丈夫?しゃべらないようにね。退出する?」と言って注意する。まあそれはいいんだけど、こうやって人を注意するときに、前に座っている屍たちがみんなして後ろを振り返る。こいつらは何を確認したいんだ?僕は腹がたったので、目の前の青年(白髪の男)を思いっきり見返していた。目は合わなかった。

「速いと運転うまいと思ってる人たまにいますけどね、運転がうまいってのは速いことじゃないですよ。・・走るのは誰でも走れるんですよ。馬鹿でもチョンでも走れます。」

チョンて、今は朝鮮人への差別用語じゃないのか。放送禁止になってる言葉じゃないのか?これはアウトだ・・。何も知らないのか?運転に関することしか知らないのか。他のことは何一つも知らないのか?ずっと教習所にいるから無理もないのか。もしかしたら教習所という場所は隔離性が高い場所で、働いてる人たちはある意味守られてしまっていてガラパゴス化して、独自の文化を築いてしまっているのかもしれない。それともどの会社にもこんなやつがいるのか?就職したことがないのでわからない。

この座学(座学とか呼ぶのも嫌だ)のあと、食堂でご飯(今日はお弁当だった。多分日曜日だから)を食べて出かけた。路上で自動車を運転するという経験を経てあらためて街を歩いてみると、いたるところに、ほんとありとあらゆるところに標識と標示がある。よくもまあこんな大量に、ここは歩行者軽車両道路で、ここは停車禁止で、ここは制限速度50キロで、とつくったもんだと感心する。警察の努力の痕跡。これもこの国の歴史か・・。

教習所がクソすぎて魂が削られていくけどやられっぱなしは癪なので反撃を考えなくてはいけない。なんらかの表現によって。ただでは転ばんぞ、、。反撃をしなければ。考えれば我々はずっとやられっぱなしじゃないかあんなどうしようもない奴らに。あんな・・あんなクズと差別主義者と屍に。物心ついてからずっとやられっぱなしだ。反撃だ。しかしやっかいなのは、奴らは俺の中にいるんだ。忘れてはいけない反撃する相手は自分のなかにいる、、

明日は一限目から運転教習が入っていた(翌日の運転教習のスケジュールが、ホテルの階段の踊り場に毎日貼り出されるというシステムだ)。僕が月を眺めつつ、音楽を聴きながら歩いているときに、聞いている音楽の中で歌い手が「電気を消してくれ 月をみてたんだ」と歌ったときに起こる、二つ走っているものの窓が重なる感じ。面白い。

4月だ。明日もがんばろう。

ベッドに備え付けのアラームが7時にしか設定できない。若干体調が悪いので、昨夜はお風呂に入らずに厚着して寝た。たぶん環境のせいで疲れている・・。こんな神経削られるとは思わなかった。

今日は一限目から座学。久しぶりだ。「適性検査に基づく行動分析」という、気持ちの悪そうな講義だ・・。まず先日の適性検査の結果から、円チャートのようなものを作らせられた。各項目の評価が良いほど円が大きくなり、項目ごとの評価にばらつきがあるほど円がデコボコする。そのチャートを作ってください、と言われた。

「こういう時性格出るよね!自分だけわかりゃいいかってフリーハンドにするやつ、定規で綺麗にひくやつ、あとこれを二つ折りにして仮免のところに差し込んで、事務の人がハンコ打ちやすいようにするやつ、これも性格ね!!」

と教官がやたら大声でわめきたてていたけど、この話には何にも繋がらなかった。無意味に声を発しているみたいでもう最初から不愉快だった。

「いろんな性格の人が、この社会にはいっぱいいるの!ハンドル持つと性格変わる奴もいます。こち亀でさ、本田ってやつがバイクまたがると性格変わるでしょ。ああいうやつ。後ろの車の人がどんな表情をして車を運転しているのか、私たちは路上教習の時バックミラーでそれも見ています!観察すること!これも危険予測につながるの!」

「事故は、起こしやすい人が繰り返し起こすというけいこうがあります!すこしは懲りてほしいですけどね!僕は、運転適性は4A(5Aが最高)でした!運転免許を取る時、会社でやった時、去年試しにやって見た時、全て4Aでした!私は今まで事故を起こしたことがありません!私は事故を起こさない人なんですね!このなかで4Aの人!・・いるね!明るい未来が待っています。僕と同じ人生を歩むことになりますのでね!」

「さて、ここの人が鍵を握っています!3C!(僕は3Cだった)統計的には4割の人が3Cです。重大事故の分布!3Cがバンバン起こしている!これ、本気でとった統計ですよ!1Eなんて!ありえないよね!人間とは思えない!次は無事故無違反の人!これも3Cが多いですね!3Cはどちらにも転ぶことができます!」

3Cの分母が多いなら、重大事故の数とか無事故無違反の数を単純に比べても比較できないと思うんだけどその辺の修正がしてあるとは思えない表を見せられた。そこを疑ってしまうので、この話を受けて気をつけようとか、次の話をちゃんと聞こうとか、そういうレベルまでいけない・・。聞いてるのがつらい。

「ここを卒業して、一年未満の人が大事故を起こしたら、警察署から手紙が来るんです。あなたのとこの卒業生、とんでもないことしましたよ。教習原簿見せてください。ってね。何をみたいかっていうと、この適性検査結果がみたいんですよ!最近は4つありました。一つ目はこれね。バイクで、追い越しかけて、対抗普通自動車と正面衝突で死亡。無理な追い越ししたんだろうね!死んだってさ!」

死んだってさ!の言い方に狂気を感じる。こいつ大丈夫か?とすでにこの時思っていた。

「次はこれ、これは僕ね、擁護させてください!私ね、ここで指導員やる前は、営業にいたんです。いろんな所に行って、今度うちの自動車学校きてくださいねって言う営業ね!家に営業行くときは、だいたい玄関先で長い時間座って、足しびれちゃうんですけど、この家はね!外は寒かったでしょうって言って入れてくれたの!あったかいこたつに入れてくれてね。さらにね、お茶が出てきたの!ありえない!(僕は『全然ありえなくないだろう』と思い、もうこの教室を出たいと思った)さらにね、小腹がすいたでしょって言って、近くの和菓子屋さんの栗蒸し羊羹が出てきた!すっごく良い家だった。本人にもあったんだけどね。受け答えもしっかりしてて、すっごくしっかりした人だった。でもこの事故があった。時間に注目してもらいたいんですけどね、朝9時。この人は、このとき3交代勤務で働いてて、夜勤あけで残業もあって、疲れて帰ってきてたんだね!ここからあと50mで自宅だった!自宅近くは事故が起こりやすいと言われているんですけど!それでこの緩いカーブで、寝ちゃったんだね!それでかわいそうなのが、助手席に乗っていた同乗者が亡くなっちゃった。高齢者だったんだけどね、近くの病院まで送ろうとしていた!」

「次はこれ!こいつなんか全然意味わからん!日本なのに、右側走ったんだって!日本なのに!(ここで教室から笑い声が起こる)死んだってさ。」

去年くらいのことだけど、車に同乗していて、店の駐車場から外に出るとき「あれ、左側通行だよね?日本って。時々、わかんなくなっちゃうんだよね・・。」と言われたことがあって「左側通行だよ、たしか」と教えたことがあった。僕だって、運転教習を受けていて、左側を走るんだよな?と一瞬考えるてしまうことはある。僕たちはロボットではないので、そのときの気持ちによって、レストランのメニューの文字が読めなくなったり、いつもは書ける漢字が書けなくなったり、自分が何歳なのかわからなくなっちゃったり、道路って左側通行だっけ?って一瞬考えてしまうことはあるんだ。僕はそういう、素敵な友人たちをたくさん知っている。それを『日本なのに右側走ったんだって!死んだってさ。』とは?頭おかしいのか?生まれてからこれまで何をしてきたんだ?何を見てきて、何を考えて生きてきた。涙が出て来る。素敵な人たちを笑われたようで・・。そしてそれに同調して笑う人たち。事故で亡くなった人が、当時どんな心持ちで何を考えて、何を抱えていたのか、なぜそういうことになってしまったのか、ほんの一瞬も考えないのか?僕たちに与えられている情報は「車で逆走して事故にあって運転者は死亡しました。」というだけだ。それだけを見て「日本なのに右側走ったんだってさ~」「わはは」。なんだここは・・。もう帰ろうかな。耐えられない。どこかに訴えた方がいいのか?車で間違えて逆走してしまって、事故で亡くなってしまった人の友人や親しい人が、この教室の中に一人でもいるかもしれないのに、そういうことが考えられないのか?もしいたら、どう責任とるつもりなんだ?涙がとまらない。教習所のロビーで一人で泣いている。もう本当に帰りたい。病気だ。全員病院にいったほうがいい・・・。この文を書いてる時、かげろうに似た緑色の細い虫が僕の左腕に止まってくれた。慰めてもらってしまった。

こいつは他にも、性格の傾向別に、役者がちょっとパロディーチックに車の運転をする映像(この映像も、日本の地上波のレベルの低いワイドショーを見てるみたいで吐き気がする)をみながら、不快なことを連発する。

「決断力が低い人!ファミレスでメニューを2時間くらい見ちゃうやつ!回転寿司で、ネタがどんどん流れてきちゃって!選べない!そういうやつね!」

「次神経質な人!潔癖症みたいな人!私がいちばん嫌いなタイプの人です!見てるだけで吐き気をもよおします。見てください彼、車に乗る前に指差し確認しますよ。はい!こういうのむかつくよね!見りゃわかるじゃん!私こう言う人は絶対信用しねえ!」

「次!自己中心的な人!ナルシスト!良く言うと、切り替えが早い。わるくいうと、あっけらかん!自分のことしか考えないで、路上駐車しちゃうような人です。」

などなど、映像の中にツッコミを入れて笑っている。差別的で、レベルの低いワイドショーみたいに芸能人のゴシップばっかり追っかけてるような感性で、笑いを取ろうとする。しかも不快なダミ声で。確かにこいつは無事故の「優良運転者」なのかもしれないが、僕は一瞬でも長く同じ部屋にいたくない・・。僕の友人たちは本当に素晴らしい人たちばっかりだ・・。

おかげで次の講義があまり頭に入らなかった・・。あんな連中とおなじ屋根の下にいると思うと耐えられない。「悪条件下での運転」という項目。「運転と座学の繰り返しでね、皆さんも疲れてるでしょう」といって、体をつかった眠気覚ましの方法(背伸びしたり、手のツボを押したりする)を、わざわざ画像付きで色々教えてくれた。

その次は運転教習・・。また五十嵐サンだった。五十嵐さんは安定感があって良い。

「ツツジが咲いてきたな~まだ3月なのにな。ほんと自然ちゅうやつは、あったかくなると早いな。今年は茶摘みもはやいかもしれんぞ」

と、静岡県の人らしい言葉が聞けて嬉しかった。

その次は続けて座学「自動車の保守管理」。あのハラスメント教官だ・・。でもあいつよりはまだましだ。

「私、今の車乗って5年くらいなんですけど、3年くらい乗った時に、イグニッションキーの電池が切れたんですね。ボタン電池を交換しないといけなくなって、それで会社帰りに、車屋さんにいって電池の交換をお願いして見ました。いくらだと思います?・・2160円?こまかいな。ひとつ1200円、二つあるので、2400円(彼はわざわざ教室正面に投影されている画面内に1200という文字をふたつ書いていた)でした。財布を見ると、ちょっと足りませんでした。なのでわかりました、と言って交換はお願いせずに出て生きました。その帰りに、セブンイレブンに入ったらちょうど切れていたボタン電池が売ってました。二つ入りで、360円。それを買って、家で、イグニッションキーの電池の蓋を500円玉で外して、30秒くらいで交換しました。この30秒の手間で、2000円とってるんですね。ボロもうけですね。ぼったくりですね。なのでみなさんも、簡単な整備は自分でやらないともったいないですよ。」

という導入から、車の整備の講義を始めていた。

お昼ご飯は豚キムチ丼とキャベツの千切りと味噌汁(インスタント)と水。全然関係ないけど、母音+その母音に対応するハ行の子音二文字で、色々な笑い声になるという発見をした。

お昼ご飯の後、ここ最近一番の勇気を出して事務の人に

「もし可能なら、日曜の午後をあけたいので、この15番と17番の教習を後日に移したいんですけど・・。」と言いにいった。初めて事務の人と話した。

「そうですか。次に15と17が受けられるのは4日ですね。まあ、どうしてもなんですよね?わかりました。午前の講座はちゃんと受けてくださいね。」

と。

お昼過ぎから夜までのあいだにさらに2回の運転教習。教習所には運転教習の指導員が控えるための大部屋があるのだけど、たいてい教習時間中は誰もいない。彼らも大変だよ朝から晩まで10分間隔で、猿だか屍だかもはっきりしない教習生の運転に付き添って。一発目は五十嵐さんだったので聞いてみたら、「去年の12月からずっと。一日中。」と言っていた。一日中フルで仕事してるらしい。

二発目はあの眠くするのが上手な先生、だと思うけどもう誰が誰だかわからん。なんでこの年まで免許とらなかったの~?と聞かれたので「まあ東京生まれなんで必要なかったんですよ。やっぱあったらいいな~と思ったんすよ」と答えた。

教習が終わる頃にはもう暗くなっていた。酒でも飲まんと、と思ってジョニーウォーカーのレッドレーベルをコンビニで買ってちびちびやりながら歩いてホテルまで帰ってきた。赤みがかった月が綺麗だ。

大変な1日だった。教習所にきて最も長い日になった。まず朝7時50分に教習所に集合した。さすがに6時台にホテルを出て歩いて行くのは前日の夜の時点で諦めていて、目覚ましは7時にセットして起きた。とは言ってもいつも通り6時前に目が覚めてしまったのだけど。7時35分ホテル発の送迎バスに乗って教習所へ。僕と同じ日に入った教習生たちが一つの教室に集められて仮免許検定の説明をうけた。まず僕の受験番号が1番だった。なんで?年の順?

説明が終わって、すぐに実技検定が行われた。受験番号1番なので、当然一番最初に車にのる。少しだけ緊張したけどうまくやれたと思う。一箇所だけ、半クラッチが雑になってガタッときてしまったところがあったけど、全体的に減点されるようなところはほとんどなかったと思う。運転が終わった後、「じゃあ村上さんね」と教官が話しかけて来た。説明を受けた際「運転が終わった後で教官から一言あると思います。ワンポイントアドバイスです。聞いてください。」と言われていたので何を言われるんだろうと思って構えていたら

「いい運転でしたよ。」

「あ、ありがとうございます。」

「おつかれさま。」

とすぐに終わった。これは・・。やったぞ。やったぞ俺は。いけるぞ。自信をもて。何事にもな。自信を持てよ。ロビーでパソコンを開いてこの一連の流れを日記のためにメモしていたら、向かいに座っているすごく頭の悪そうな20歳くらいの男が携帯を垂直に立てて、カメラ部分をこっちに向けてじっと構えている。自分を映す方のカメラを見て鏡がわりにしているのか、なにかしているのかもしれないけどすごく不愉快だ・・。撮ってんじゃねえよと言ったとして、撮ってねえよ自意識過剰だよ言われて終わりだろうけど、携帯を構えられるだけで不愉快に思えてしまうほど頭の悪そうな男だ。頭の悪そうな男は視界に入れるべきではない・・。どんどん口が悪くなるな。新宿で働いてるときも僕は口が悪くなっていた。ハルさんと「今日も馬鹿ばっかり来るな」とか「まともな客いねえよ」とか「こんなクソみたいな職場」とか裏で散々言ってアハハと笑っていた。お昼休憩に二人で中華料理屋に行ってビール飲んで午後からまた店にでたこともあった。「酒飲まねえとやってられねえよ。アハハ」とか言って。楽しかった。まわりの悪口を言い合えるのは貴重だ・・。ハルさんはシンガーソングライターでもあって、CDももらった。サイコーのにーちゃんだ・・。

ロビーで座ってたら、突然「降りる時なんもいわれんかった?」と茶髪の、もしかしたら同じ年(あとでもう一度見かけたけど、そんなことはない多分年下だ)くらいの男性に話しかけられた。人ってこうやって突然話しかけていいもんなのか?びっくりして「いや、特に・・。いい運転でしたよとだけ言われました。あはは。」とか言ってなんか自慢したみたいになってしまったかもしれない。ああこんなことを後で気にしてしまう自分が本当に嫌だ・・・。

茶髪の彼はなんというか、チャラチャラしてそうだけど、味わい深い顔つきをしている・・。なんかというか、諦観を感じる顔だ。

「俺多分ダメだわ。左右確認が全然できてなかった。すげー緊張しちゃった。緊張してるねっていわれたわ。」

と、彼はその諦観を感じる表情で話していた。

実技のあと、ロビーのモニターで合格者発表があって、その後第二教室で筆記試験が始まる。あの話しかけてきた茶髪のにーちゃんと、例の建築やってる男の子が筆記試験の会場にいない。。落ちたのか?

試験監督の先生はあの、人を眠くするのが上手な教官だった。受験番号1番なので当然教室の一番前にすわるわけで、今回初めてこの教官を間近で見たけど、不愉快だ・・。見れば見るほど不愉快な気持ちになる・・。目が濁っていて死んでいる。薄ら笑いが顔にはりついている。書類にボールペンで記入するにあたって「掠れるのがダメ」「二度書きはダメ」とか説明するのだけど、その声に気持ちの悪い優しさが混ざっている。とても、こころがすこやかな状態だ。

試験は、あとで見直したら確実に間違えた問題が1つ、自信がない問題が2つくらいあった。若干の不安があるけど多分大丈夫だろう。しかし、あとで見直しても回答の成否がわからないのはおかしい。こんなテキストで出題してるうちは、出題者の意図を深読みしすぎて間違えて落ちる人は絶えないだろう。この問題は合ってて、この問題が間違ってるなら、多分この人は深読みしすぎたんだろうという判断をして、不正解でも正解になるような採点方法なら納得だけどそうなってはいないだろう。

そのあと2時まで1時間半くらいお昼休みをもらった。ご飯(今日はカレーだった)を食べて、いつも通り散歩したのだけどくしゃみがとまらなくてちょっと寒気もする。大丈夫か?花粉症か、風邪か。わからないけどもう帰りたい。でもこの後2時に合格発表があり、それに受かったらあと3回も運転教習が入っている。突然の、鬼のようなスケジュール。仮運転免許を取ったその日に、路上教習3回もやるとは・・。

2時に再び第二教室に集まり、あの不愉快な教官が「それじゃあ画面を見てください。合格発表します。自分の番号があるか確認してください」。「きゃー」みたいな黄色い声が後ろの方からあがる。キラキラキラキラ~みたいな効果音とともに番号が発表された。ワードでつくったらしいフォーマット。僕の番号1番も、赤い字で書いてあった。受かった。受かってから気がついたのだけど、ものすごく心拍数が上がっていた。ここで落ちていたら延泊することになっていた・・。94点で合格したらしいけど、どの問題が間違っていたのかはわからない。100点はいなかったらしい。

そのあと割とすぐに運転教習。五十嵐サンだった。しょっぱなからバイパス道路に出て、60キロで走ってきた。自分で運転していると、道路がガタガタしていることがよくわかった。五十嵐さんはこの掛川自動車学校にきて25年くらいになるらしい。その前に30年くらい、浜松の自動車学校で働いていたけどそこがつぶれてしまい、そこにいた教官たちは散らばったらしい。「今では、この時期は教習生で混み合うけど、他はガラガラになる。昔は、ずっと混んでいた。車離れもあるかもしれんな」と言っていた。

そのあと1時限あいて、次の路上教習。今度は加藤サン(頭こんがらがってわけわかんなくなってるけどよろしく~と言っていた人)。ローギアで半クラッチを見つけるのにどうしても時間がかかりがちで「発進が遅い」と言われた。加藤さんには他にも色々言われた。ここ、子供飛び出し注意っていう看板見えてた?とか横断歩道あるよ。あの自転車は、あの横断歩道を渡るのかな?渡るかもしれないよ。今追い抜く理由はあるかな?とか。色々。

そのあとすぐにまた路上教習。くらくらする。今度は新キャラの先生だった。ちょっと車好きらしく、「初代ラパンを持っていた。初代ラパンが一番かっこいい」という話をしている時に、ちょうどその初代ラパンが対向車線から走ってきて、「あ!あれ!初代ラパン!」とテンション上がっていた。愉快な仲間たちだ・・。

それで全ての教習がおわった。疲れていたけど、運転中に見た月がとても綺麗だったので、歩いて帰ろうと思ってホテルまで結局歩いて帰った。今日は映画は見ない。

自分を信じるところから始めろ。自分も信じられないようでは・・。覚悟を決めろ。全部本気でやれ。ぶっちぎれ。子供のままで、かつ大人のソウルも抱いてけよ。