家族で「この世界の片隅に」を亀有で観た。「かぐや姫の物語」を高松の映画館で見たときのことを思い出した。輪郭戦がぶるぶる震えるような、ああいうアニメーションが映画館で見られるようになったんだと。その延長にあるような。着物をもんぺにするシーンで頭の中のことがスクリーンにそのままでてくる感じとか、夢と現実が混同されたりする感じが、編集・カットすることや物語の中で次々に出来事が降り注いでくることに対して役割をこなし続けることがつながっている。アニメーションという手法に対しての自覚と、物語の中身に対しての自覚が同じライン上にある。
「火星の人」のことも思い出した。細かいディティールが、現実の出来事が話をつくっていく。そこに「作者」の”想像力”はいらない。細かく、例えばご飯とか、服とか、景色を検証していくと自然と物語が立ち上がってくる。
トランプ大統領の演説やツイッターでの発言と、それに湧き上がる人たちとを見ていて、もしかしてこんなノリで原爆を落とされたりしたのかと思うと怒りが湧いてくるが、映画の中で最後のシーンですずが玉音放送で怒ったことは、これに近いのかな。
また「言葉で考えること」と「生きること・役割をこなすこと」の間にある溝についても思い出した。というか「一人で考えたり作ったりすること」と「みんなで生きること」のあいだにある溝の大きさというか。家族で見て、一緒に見た人を離れてこうやって一人で言葉で色々考えて分析しようとする行為自体もナンセンスだと思ってしまうような。そういう批評性もある感じ。まいった。

硬貨の汚さが最もわかるのは、銭湯にいったときお風呂から出て100円返却式ロッカーをあけて、100円玉を財布にしまうために財布をあけたとき。お風呂上がりの今の自分とはとても遠いところに在るものだと感じる。いつもよりぎらぎらして光っているように感じる。お風呂場と硬貨は相性が悪い。

中町通りの民芸店の「サザン」に置いてあるアジアの民芸品は、何に使うのかわかるようでわからないものや自分とは民族的に違うセンスで描かれている模様のものがあったりしてそういうものばっかりの空間にいると、ちょうどよく何かと何かのあいだにおさまってるというか、名前がつけられない、深いところに沈んでいくマインドセットになってくる。とても落ちつく。コップでも鏡でもないけどコップや鏡になんとなく近い気がするものとか、本当に何に使うのかわからないけど長く使われていたことが推測できるものとか、山に山と名前をつける前の状態で山を見ているときの気持ちに戻れる感じがする。用途がわからん民芸品に囲まれているということは、名前が付けられる直前の状態のものに囲まれているということで、それはマクドナルドやスターバックスとは反対の状態で、松本には個人で経営しているお店、例えばバーともライブハウスとも言えるけどどちらでもない店とか、ジャンルに回収されない店は多いけど、この民芸のスタンスとも相性が良いのかもしれない。新美くんがやってるギブミーリトルモアは奥にライブハウスがあってそこに行くにはバーになってるスペースを通らないといけないんだけど、奥のライブハウスにいくために人が集まってくるんだけど、手前のバーのほうが大事だと思う。バーだけでもだめで、ライブハウスだけでもだめで、ライブハウスとバーが別々の入り口をもっていてもだめで。一応何かを設定するんだけど、そこにいたるまでの「廊下的な場所」に本質があるというか、そういうことをやるには松本はとっても良い場所なんだと思う。気づけばawaiも同じ構成になっている。いわゆるオルタナティブスペースがたくさんできてることと民芸運動的であることは近いところにいるというか。

体をつかうことによってプロジェクトにちゃんと血を通わせる。自分はアジア人である

ガストにて。水が半分くらい入ってるグラスを左手でつかんで持ち上げ「これから水飲むよ」と心の中で呟きながらグラスを口元に持っていき、水を一口だけ飲んでまたおなじ位置に戻した。この動作を二回繰り返したら、なんだかじわじわと感動が押し寄せてきた。
体のなかの色々な神経が伝達しあって筋肉が動いて一つの動作を成し遂げているのが実感できた。僕は”あいだ”をすっとばして考える癖がある。何人かで一つの作業を行うときなんかに、例えばテーブルを動かすときなんかに「一旦持ち上げて、それから時計回りに回転させて運びましょう」みたいなことをみんなが口に出して議論しあってるのを見てると「そんなことわざわざ事前に口に出して言わなくても、とりあえずテーブルをみんなで持ち上げたらどうすればいいかわかるのに」と思ったりする。人が何人も集まった状態で一つのことを成し遂げるのに一番良いのは、それぞれが筋肉と神経みたいに伝達しあって動くのが良いけどそのために言葉を介してコミュニケーションしなくてはいけない現状だ。

エアコンの室外機が敷地から少しはみ出ているんじゃないかと隣の敷地の持ち主が言ってくる問題に頭を悩ませる。確かに室外機の足部分が5~10cmくらいはみ出しているっぽい。なのでそのプラスチックの足をとりはずし、それより短い木製の足をつくって室外機に取り付けた。たぶん5センチくらいは引っ込んだ。でもまだ数センチはみ出しているかもしれない。隣の敷地に室外機の足が数センチはみ出してるという状態で生きている。

関係者が関係者と繋がって関係者になっていく。それを文化連携と呼ぶ。

わからん。知るほど分からなくなっていく。震災についてやることが大事なことなんだと思い込もうとしていないか。身内でやっていれば良いと思えることが、万人に開いたかのようなフリをするととたんにうさんくさくなる。ただ、こわいものはないと思えた。それは良かった。自分の中に関して迷っているのか、外に関して迷っているのかもわからなくなってきた。

名古屋から松本への高速バスの中。関西国際空港についたあと、朝まで空港のベンチで仮眠(仲間が何人かいた)し、12月1日に大阪から浜松まで新幹線で移動。初めて浜松に降りた。リトミックという方法論で音楽教室をやっている北市さんと合流して砂丘や秋野不矩美術館を見て回って北市家に帰ってくる。夜に旦那さんも帰ってきて一緒にご飯。旦那さんは自動車メーカーのスズキで二輪車のエンジニアをやっている人。起こされてきたスケッチをかくデザイナーがいて、それを設計図にする人がいて、クレイモデルをつくる人がいる。クレイモデルはデザイナーが削ったりして形を整えたりするらしい。スズキには一人天才的なデザイナーがいたが、今では彼は昇格して「削り」はやらなくいなったことを「もったいない」と言っていた。デザイナーが現場で手を動かすことを「削る」と言うみたい。旦那さんはデザイナーと話し合いながら車輪まわりの設計をやり、大量生産できるようにもっていく仕事らしい。工場の余りのステンレスでつくった手作りの小さなナイフを見せてもらったけど、そのクオリティの高さにびっくりした。手作りとは思えない。さすがスズキのエンジニアだ。他に人間の耳がノイズキャンセリング機能を持っているという話など。
今日はまずノヴァ公民館とアルスノヴァを見学した。刺激をもらった。「ただ存在している」ということへの前向きな肯定を感じた。人がただそこにいるというだけで、何かしら「成っている」のだという主張を感じた。そのあとアクトタワーというバブル期に建てられたけど家賃が高すぎてガラガラ状態の超高いタワービルの展望台に連れて行ってもらった。天気がとてもよくて富士山も見えた。浜名湖のあたりが台地になっていて、海抜の低い浜松駅周辺の中心街と台地との境界がよく見えてとても面白かった。海から山に向かって、台地のラインに沿って林がいくつも並んでいた。
そのあと鴨江アートセンターへ。解体が決定していた明治時代の空気をのこした警察庁舎をアートセンターに改装したもの。浜松はトヨタの創業者を生み、スズキも生んだ。車の製造で発達した町というのもあって、町も車社会。なのでみんな車のスピードでしか町を見ておらず、それをなんとかしたいという話をした。車向けの大きな看板なんかも景観をめちゃくちゃにする。スピードの問題。なにか考えたい。自分と浜松との接点をさぐりたい。スピードの問題といいつつ僕はいま松本行きの高速バスにのって時速100キロで移動している。

バスの中で「星を継ぐもの」を読み終えた。素晴らしかった。冒頭を読み返してみたら、その部分を札幌での天神山スタジオのロビーで読んでいたことを思い出した。読書の記憶は場所の記憶とセットになりやすい。それにしても、まさか「星を継ぐもの」が私たちのことだったとは!すごい本だった。最後にとんでもない解が示されて、それでびっくりしてたら間髪入れずそれをしのぐ仮説がたてられて鳥肌のまま読み終わった。
どんでん返しがロジックによって成されてる。SFなのに。徹底的に科学に基づいてストーリーが組まれていた「火星の人」を読んだ後ではちょっと無茶なところもあるけど。でもロジックの作り方と、想像力の大きさというか射程の遠さというか、すごかった。「現実もこの設定でいい」と思ってしまう。ちょうどパンスペルミアのことを知ったあとだったのでなおさら。

熊本で見たジブリの立体県建造物展。「絵がうまいなー」という感想が最初に出てきた。でもすぐ後に、この絵は何のために誰が描いたものなのかと思ったりして、そういうことを考えるようには展覧会を作っていないのだと思い当たった。最後の方に宮崎駿さんが荒川修作のアイデアをもとにして描いた住宅の絵があった。宮崎さんは荒川さんを「畏友」と呼んでいた。犬の顔をした荒川さんが「宮崎かってに変えるな」「本当はもっとスゴイんだぞ」「宿命をひっくりかえすノダ」「イイカネ」と話している。

熊本交通センターから高速バスにのって2時間で福岡の天神に着いて、rethink booksという本屋さんでぶらぶら立ち読みをして、地下鉄で福岡空港に向かった。福岡は空港が市街地から近くて良い。
福岡空港から関西国際空港に向かうJETSTARの飛行機を予約していて空港でチェックインしようとしたらなにやら会社のシステムがダウンしていて、自動チェックインができなくなっている。ウェブチェックインも「予定通りサーバーメンテナンスのために利用できない」ということでできない。それだけじゃなくて面白いのが、手動のチェックインカウンターにみんな並んでるんだけど、そのチェックイン処理もパソコンではできないらしく、何も印刷されていない紙の航空チケットにスタッフが手書きで「SATOSHI MURAKAMIサマ」「seat 19D」とかって書き込んで渡してくれた。レアな半券を手に入れた。
機内で「星を継ぐもの」を読みながら離陸を待ってたら僕のすこし後ろになんどもクルーを呼ぶ男性がいて
「この遅延はどういう理由によるものなんですか?会社側の・・システムが。なるほどなるほど。到着してから、まあ僕は帰るだけなんでいいんですけど。他の人で次の乗り継ぎとか、予定とか遅れた人に対して、会社側はどういう対応を・・・。なるほど、まず着いてからですね。わかりましたl」
「混乱してるなかこういうこというのは申し訳ないんですが、いまこの飛行機は飛べる状態なんですか?書類の作成に、時間がかかっている。なるほどなるほど」
「今トイレは使える状態なんですか?いいんですか?はいはい」
「いや僕もね、お客様を相手にする仕事をしているものですから。どういう状態なのかなと思いまして。混乱しますよねーこういう時。」
「いやなんか喉が渇いちゃってね。ちょっと飲み物をとっていいですか。ああ、アルコールしか持ち合わせが無くて、持ち込みのアルコールを飲むのはダメなんですよね。販売してる飲み物を買いたいんですが、現金ですか。ああJCBは使えない。現金で。はい。領収書というか、レシートもらえますか。簡単なのでいいので・・」
とかいろいろ大きな声で話している。機内はピリピリしてる。右隣の女性は誰かに電話して「もう30分以上座らされとる。超イライラするわー」と言っている。

離陸した。僕の左に座ってる人も、左斜め前の人も静かに待っていた。機内のピリピリした空気は一部の人たちがつくっていて、その一部の人でさらにタチの悪い人は、自分のピリピリを他人も感じていて、それを自分が代弁してやっていると思い込んでいる。
それにしても星を継ぐものが面白い展開になってきた。ミネルヴァという星が実は地球のことなんじゃないかという!

教科書で習うような歴史と、自分の個人史や家族の歴史のあいだが飛びすぎちゃっててつながらない。そこにはつながりがあるのに意識に上らない。なんでいままで間を埋めようとしたことがなかったのか。その間を埋めるにはひいじいちゃんのことを調べ始める必要がある。「愚か者は祖父までで歴史が止まっている」っていうのは確かニーチェの言葉だった。

目先の細々としたものにとらわれてはいけない。良いものを作るには必要だったのだと思えないと。

点線は、1次元から2次元へのイメージ。縫い目は、2次元から3次元なのだけど、2次元と3次元を行き来するイメージ。軌跡が現れたり消えたりするイメージ。表と裏を行き来する。途絶えたようでいて実は続いているイメージ。一度途絶えないと「縫い目」にならない。

右足のつま先の裏が痛い。昨日たくさん歩いたからなのか、なにか別の原因なのかわからないけど。内出血してるみたいな痛み。こういうのは初めてだ。昨日は久しぶりに長距離歩いた。
昨日は天気はいいけど風が強い日だった。午前中はお寺をドローイングしていたけど風で集中が削がれて、ドローイングの線が乱れたと思う。適当になってた。でも後で見返してみるとそれが面白かったりもするから、とにかく描き残していくことが重要なんのだと思う。こうやって日記を残すことも。
おとといの夜は「お寺の離れで寝るといい」と言われて寝ようとしたのだけどなんだか全然寝付けなかった。物置の雰囲気とかがあまり馴染めなかったし、普通に「自分の家で寝たい」と思った。僕は自分の家を作り、それをここまで運んできているのに、その家を野外において自分がここで寝ているという状態も突然許せなくなって荷物をまとめて野外(お寺の駐輪場)の自分の家に行ってそこで横になった。とっても落ち着いてすぐに眠くなった。みんなこの家で寝ることが辛いことだと思い込みがちだ。優しい人たちだ。
朝、目がさめたらすぐに住職さんがやってきて「朝ご飯準備できたよ」と言った。朝ごはんをお寺の中の客間のようなところでいただいた。お寺は新しく建て替えたばかりらしく、とっても綺麗だった。住職さんはとなりで新聞を読んでた。話を聞くとここは室町時代後期から続いているらしい。ご飯を食べ終わってドロイーングをしたあと、寺を11時過ぎに出発した。玉名市から熊本市に向けて国道3号線を通る山側のルート。25キロくらい。福岡に入ってからずっと思ってたけど九州の山はなだらかで歩きやすい。このあたりも筑後平野なのか。途中に大きな街はないけど町はあり、町と町の間にも途切れずに家があり、田んぼが広大に広がっていて遠くの方になだらかな山がある。そういう景色が続いている。
だいぶ暗くなってきた6時前くらいに熊本の友達の池澤さんの家の近くにある長崎次郎書店という本屋さんに着いた。池澤さんに電話したらたまたまお仕事がお休みで迎えに出てきてくれた。お腹が空いていたので本屋さんに頼んで敷地内にちょっとのあいだ家を置かせてもらおうと思ったけど店員さんと話してみたら色々と面倒そうだったのでそのまま解体して池澤さんの家に入れることに。屋根と壁を一枚はずしたら家をドアから入れることができた。一旦家を置いてご飯を食べに居酒屋に。月曜日なのにお店はとっても混んでいた。やっぱり熊本人は外で人と飲んでしゃべるのが好きなんだ。

話したこと。
僕は最近「家を動かしに家に戻る」という状態が続いている。一年目ほど、家につきっきりで一年中移動しているわけじゃない。特に今年はとても切れ切れにこの”移動”をやっている。今年は瀬戸内国際芸術祭のために小豆島に2ヶ月くらい滞在したところから始まり、そのまま島に家を預けて東京で展示に参加したり、山口県の防府で家を預けて長野で展示をしてスウェーデンに行って滞在制作をしたり、福岡県の久留米に預けて小豆島に行ったり札幌に行ったりし、そんで熊本について、これから熊本に家をしばらく預かってもらおうとしている。途切れながら続いてる。でも3日前に筑後で出会った人たちや一昨日出会ったお寺の人たちや昨日出会った住職さんも、僕が途切れなくこれをやっていると自然に思っただろうし、僕自身もずっと継続している意識がある。家を動かしに戻るという状態がなんなのかよくわからないけど、この家を動かす日々は何か考えを深めたりアイデアを出すのにとても大事な時間になってる。松本の家で過ごすのとは明らかに違うスイッチが入ってるし、どこかで滞在制作してる時とも違う。池澤さんは、この移動をずっとぶっ続けでやってるのを見るのは多分辛い。今みたいな切れ切れの状態が面白いと思うと言ってた。
僕は布を縫う時のことを思い出した。糸が表から見えなくなり、裏側を通ってもう一度表側に来る。そういうイメージで続いている。表からは見えないが、裏で糸が繋がっているような感じ。断絶と継続が両立するような状態になっている。逆に断絶があるから継続できる。僕はこの土地に糸を塗っていくようなイメージでやればいいのだ。この地面の下に走っている断層のことも思いつつ。断ち切ることで連帯するというか、終わらせることで始めることができるというか。そういう意味での「断絶」は前向きで良いものだ。
そういう話をしたら、池澤さんが「ラインズ 線の文化史」という本を貸してくれた。これがとんでもない本で、これからますます面白くなりそう。

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「いいかな?」
と言って住職さんが普段着で入ってきた。アサヒスーパードライのロング缶を1本持っていた。
「ビール持ってきたけん。酒の趣味がなかったらごめんね。日本酒のほうがいいかな。ビールでいいか。テレビはその長いリモコンで観れるけんね。ビデオは、そのもうひとつのやつでみれるばってん。下の方にエロビデオが入ってるけんね。ここはただやけん(笑)。エアコンはその白いやつでつけられるけん。じゃあね。もう来ないからね。」

朝、4時半頃に一度目が覚めた。文明ングというタイトルはやめようと思った。すぐ寝て、今度は7時半頃に目がさめた。外を通る車のタイヤの音で、雨が降っていることがわかった。8時過ぎた頃に住職さんが「おはようございます」と訪ねてきて「朝ごはんよかったら。持ってきます。あまり期待しないでよトースト一枚とかそんなもんだから」と言う。断るのもアレなので(こういう時断るのが苦手だ。というか受け取らないと悪い気がする)「じゃあお願いします。ありがとうございます」と。僕は雨でもお寺を描くために一度外に出て写真をとってそれをパソコンに入れてその画面を見ながら絵を描きはじめた。しばらくしたら再び住職さんがトースト2枚と目玉焼きとウインナーとレタスふた切れとコーヒーが乗ったお盆を持って来た。住職さんはパソコンをみて
「パソコンも持ってるのか」
「はい。日記とか書いています」
「書きものもあるのか。出発する時は一声かけて。私も出かけるから」と言って去っていった。
11時前には絵が描き終わって、それを大牟田駅に同化してるファミリーマートでコピーしてメッセージを書いて、出発する準備を整えて挨拶をするために玄関のチャイムを押したら奥さんが出てきた。住職さんはもう出かけたらしい。奥さんにコピーしたドローイングをプレゼントして見送られながら出発。それからひたすらひたすら歩いて18キロくらい歩いたところで16時過ぎに玉名市の玉名駅近くに着いた。雨はいつの間にか止んでいた。
玉名駅近くで敷地を交渉しようと思って二つあったお寺に行ってみたけどチャイムを押す前に直感で「ここはやめよう」と思って二つともやめた。そこからさらに1.5キロくらい歩いたところにお寺が密集してる地域があったのでそこで敷地交渉を始めた。ひとつめに行った大きな神社は社務所で女性に「ちょっと宮司がいないのでなんともいえませんね。何時に帰ってくるかもわかりません。はい」と断られた。彼女は明らかに不審なものを見る目をしていた。二つめにいったお寺では住職さんが出てきたけど「うちは困りますよね。こういうことだったら、トイレがある公園とか。うちは困りますよ」と断られた。暗くなってきたなと思いつつ三つめに行ったお寺が子供の声もして賑やかだった。たくさん家族がいるみたい。チャイムを押したら女性が出てきて「今、住職が!ちょっと待ってください。中に入って待っててください」と言って家にいれてくれた。この時点でだいぶホッとしていたと思う。ちょっとしたら住職さんが出てきて一通り説明を聞いて「中でねてもええよ。そとでもかまわんけど」と言ってくれた。ほっとした。もうすこしで「玉名はだめだな」とか思うところだっけど思わずにすんでよかった。この住職さんがめちゃ親切な人で、僕に強く「中でねるのがいい」と勧めてくれた。「離れがあるからそこを使うといい。見るだけ見てみたら」と言うのでみせてもらった。そこは水道(ちょっとサビっぽいけど)もあるしトイレもある離れだった。断るのもアレなので(断るのが苦手だ)「ここで寝ます」と言った。
住職さんが「夕ご飯は・・」といいかけたので「晩御飯は向かいのラーメン屋(すぐ向かいにラーメン屋があった)で食べます。大丈夫です」と言った。
「そうか。ラーメン食べ。お風呂は、9時過ぎたぐらいだったらうちのお風呂いいよ。しばらくお風呂入ってないろ」
「いやあ、僕が緊張するからいいです。近くに銭湯ないですかねえ」
「あがったところにあるけどなあ。20分くらいかかるぞ」
「なんとかします」
とやりとり。住職さんが去り際に「ラーメン代やる」と千円札をくれた。「ありがとうございます」と受け取った。つくづく断るのが苦手だ。このプロジェクトに対する僕の認識と、現場で出会う多くの人がする認識が大きく違いすぎる。こうやってお寺で人から何かもらったりするのを続けると何か悪いことをしている気がしてくる。「旅」とか「経験のひとつ」という枠からどうしても出られない。期間を決めてやれば割り切れるかもしれないとも思う。昨日のマヤ暦のおじさんの話じゃないけど、節をつくるのは本当に大事かもしれない。

去り際に住職さんは
「風呂上がり何時か知らんが缶ビール持ってくるかもしれん。ここ冷蔵庫ないばってん。あとでまた顔だすけんね。」
と言い残していった。「ありがとうございます」としか返せなかった。僕はお寺を出て向かいのラーメン屋に入った。入って椅子に座ったらすぐにおばちゃんから「なんにしましょう」と聞かれたのでちょっと慌てて頭上に貼り出されてるメニューをみたら「ラーメン」「大盛ラーメン」「ご飯小」「ご飯中」「ビール中」「ジュース」とある。ラーメンは「ラーメン」の一種類だけらしい。わかりやすい。ぼくはおばちゃんに「ラーメンをひとつ」と言った。「ジュース」というのはなんだろうと思った。しばらくしてラーメンがきた。ラーメンが来たら「にんにく入れますか」とすかさず別の女性の店員が駆け寄ってきた。その後も観察してると、ラーメンを出す時に客ににんにくを入れるか聞いている。僕はにんにくが入ったラーメンを食べ終わって、ご飯小を頼んでそれも食べおわり、ラーメン屋を出て温泉を目指して川沿いを歩いて北上した。事前に地図を見たときは川沿いは気持ちが良いだろうなと思ったけど実際は道路の川の側には歩道がなくて反対側を歩かなくちゃいけなかったのであまり皮を感じられなかった。手持ちの石鹸が昨日の銭湯でなくなって、シャンプーもあるか自信がなかったので10分くらい歩いたところにあるファミリーマートに入って石鹸を一つ買った。最悪頭は石鹸で洗えば良い。さらに5分くらい歩いたところに足湯公園というのがあって、投光器が焚かれて人が集まっていた。ステージがあって「おやじロックフェス」という地元感あふれる音楽イベントがちょうど閉会の挨拶をしていた。ちょっとだけそれをのぞいてそばにある「玉の湯」に入った。大人一人200円の公衆浴場と聞いていたので温泉街によくある小さな銭湯かとおもったら結構立派な銭湯で、テレビが観れる休憩スペースもある。テレビのニュースではキューバのカストロが亡くなったニュースに関して、キューバの街頭でのインタビューを放送していた。若い女性が「崇拝すべき人だ」と答えていた。お風呂は結構混んでいた。いまはお風呂上がりで休憩室にいる。これから家(寺)に帰る。最近エレファントカシマシの「扉」というアルバムをよく聞いている。

 

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昨晩は古民家ヴィレッジの2階部分で寝た。一昨日自分の家で寝た時には床下のアスファルトからの冷え込みが結構しんどかった。なので”社長”の石永さん(というらしい)一押しの畳の上で寝てみようと思った。早く寝付こうと思って夜9時頃には寝袋に入った。翌日からのイベントの準備のために、夜遅くまで1階に人が集まっていた。ここの2階は吹き抜けのようなものなので、1階の賑やかさがもろに2階に伝わってくるいのと、あと寝袋の中が暑すぎて寝付けなかった。なので近くにあった窓を全開にしたりした。
僕はいつも通り耳栓をして寝袋に入ってたけど、けっこう会話が聞こえてきた。みんなこの施設のことを「公民館」と呼んでいる。”女性達”がどういう関係性なのかわからないけど、この場所になじみのある人もいるっぽい。不思議なコミュニティだ。夜中の11時過ぎ近くまで準備をしていた。女性達はおでんとかを作っていた。
翌日は朝8時くらいから準備が始まっていた。僕は9時過ぎに下に降りて行って、準備を見学したりしてた。かなりの人数がかかわっているっぽい。15人以上はいたと思う。子供を連れて準備してる人もいた。物販コーナもあって、そこでは「いのちの大切さ」について、一般の人から集められたエッセイをまとめた本が売られていたり、地元の杉でできた木箱が売られていたり、あと大分県から有機生姜シロップとか野菜とか、宮崎県からお米とか米ぬかのお茶とか、いろいろ売ってた。家を背負って歩いてる村上という人がいるということは”ライン”で伝わっているらしく、みんな僕に向かって「村上さんですか」と話しかけてくれた。そのうちの一人のおじさんが「生年月日を教えてもらえませんか」というので教えたら、「マヤ暦って知ってる?」と別のおばちゃんが言う。「最近限界を迎えたというマヤ暦ですか?」と言ったら「ちょっと違うんだけど、まあ話聞いてみて」という。おじさんは携帯で何かを打ちこんで「風か」と言っている。「何かわかるんですか?」と聞いたら「詳しく見てみませんか?まだお時間ありますか?」というので「まだ大丈夫です」と言ったら「ちょっと奥の部屋に行きましょう」と言って奥の部屋に行った。僕はついて行った。
奥の部屋で二人で向かい合って座って、おじさんはA4のファイルとパソコンを広げた。どちらにも色々な記号とか文字が書かれてる。「村上さんは番号でいうと182で、今世は『白い風』です。そして本質は『白い犬』です。あと13の音を持っています。13というのは一番多い数です。」と言われた。白い風にも白い犬にも性質があって、僕はその説明を聞きながら『それはあってる』と言ったり『これは違うな』と思ったりしていた。マヤ暦によると、僕が人生の道を見つけるのは51歳の時で、52歳のときにもう一度生まれるらしい。長生きしなくちゃなあと思った。”音”というのは1から13まで数があって、13の音の人は、要するにまわりの音を13こ聞くことができるらしい。1の人は1つの音しか聞こえないらしい。この話は納得がいった。でも納得がいくというのはどういうことだろう。おじさんの話を聞きながら、昔新宿の路上でお金を払って手相占いしてもらった時には『あんたは30で自分の道を見つける』と言われたことを思い出していた。確かあのときは誰かと一緒にいて、本当は両手みるところを、二人で片手ずつ見てもらって、一人分の料金だけ払ってやってもらったんだった。あのときは誰と一緒だったんだっけ?思い出せない。自分は大学生だった気がする。

11時過ぎに古民家ヴィレッジを出発した。大牟田方面に延々延々と歩いた。福岡は話しかけてくる人がたくさんいる。写真を撮っていいですかとか、何やってるんですか写真撮っていいですかとか、どこまでいくんですか写真撮っていいですかとか、いくつですかとか、警察にも久々に職質された。
20キロくらい歩いて夕方4時半頃に大牟田の国道沿いにある教会みたいな建物の真宗の法恩寺というお寺のチャイムを押して敷地の交渉をした。女性がでてきて、いろいろ説明して、その人がコーヒーも出してくれて、僕はそれを野外で飲みながらすこしおしゃべりして、そうしてるうちに住職さんが帰ってきた。住職さんは目力の強い人で、最初は明らかに僕に敵対心を向けていたけどすこし話してるうちに(身分証明書を要求されたので見せたりもした)すこし信用してくれたらしく、許可をくれた。最初は駐車場の桜の木の下に家を置くということで話がまとまったのだけど「雨が降ったらどうする。今日はこれから雨だ」といって「正面の門を入ったところが3畳分くらいの玄関になってるからそこでよければ中に入れていいよ」と言ってくれたのでそうした。
住職さんが「何かあまりものでよかったら出すよ。今日はスペアリブをやるみたいだし」というので少し待っていたら女性の人がおにぎり二つと漬物とスペアリブ2切れとパスタと茹でたジャガイモにマヨネーズをかけたものを一式お盆に入れて持ってきてくれた。とっても美味しかった。ありがたい。なにかお礼をしたい。
そのご飯を食べたあと歩いて10分くらいの「神明湯」という渋い銭湯に行った。かなり古い型の銭湯だった。入り口はドアがふたつ並んでる。ドアには「男湯」「女湯」とだけ目立たずに書かれている。遠目からはここが銭湯だとは気づかないかもしれない。おばちゃんが番台にいた。男の脱衣所には小さな老犬もいた。ひとなっつこいやつだった。良い時間だったけど僕の他には男湯には一人も客がいなかった。女湯には一人客がいるらしく、ときどき音が聞こえた。大人380円だったけど、運悪く財布に小銭が200円と1万円札しかなくて、「大きいのしかないから崩してきます」とおばちゃんに言ったら「どこでくずすの?」と聞かれた。「どっかでなんとか」と言ったら「いいよ。ちょっと待ってください」と言って脱衣所についてるドアを開けておくに消えていった。しばらくして千円札をもって現れた。「9千6百20円のお返しね」といっておつりをくれた。「すいません。ありがとうございます。」と言って受け取った。それから着替えて浴室に入った。浴室には「お湯が減ったら『お湯』と『水』をだしてください」と書いてある紙が貼ってあった。こういう銭湯はたいていめちゃ熱いのだけど、ここはぬるめで入りやすかった。こんなに熱くない古い銭湯は初めてかもしれない。いままでかなりの数の銭湯に入ってきたけど。お風呂をでるまで他に客は来なかった。
銭湯を出たら、雨はほとんど止んでた(お寺に家を置いたときからちょっとだけ降っていた)。歩いて家に帰ってきて、荷物をおいて、手ぶらになって散歩にでかけた。すぐ近くに大牟田駅がある。そこにファミリーマートがある。一回入って、なんとなく何も買わずに出て、ちょっと歩いて引き返してきてもう一回入って缶ビールを一つだけ買った。その缶ビールを飲みながら、ふらふら歩いた。駅前の国道(お寺の前の国道でもある)はとっても広くて、大牟田がもともと炭鉱で発展した町であり、いまでも工業団地として発展している町であることが感じられた。大牟田の炭鉱は世界遺産にもなっているらしい。駅前の大きなモニュメントにそう刻まれていた。
ふらふら散歩しながら、来年東京でやる展示について考えていた。「文明ング」というタイトルにしようと決めた。そういえば、マヤ暦のおじさんから「節をつくったほうがいい。竹と同じで。だらだらと節がないのはいけない」と言われたんだった。態度表明をしないと、伝わらないのだと思った。これはこう見えるだろうという自意識を少なからず考えないと何も伝わらず、何も伝わらないのは良くない。他にも「わが家の崖」とか「家カッター」とかいろいろ考えたが「文明ング」としか言えないものがある。文明という言葉のing型。瞬間の永遠というか。このグローバリゼーションと分断と孤立の時代に「文明ング」という態度を表明しないといけない。関係代名詞についても考えたい。「&」や「と」という言葉。展示したいものはたくさんある。次は「人に見てもらうための展覧会」をつくるという意識でもって臨んでみたい。
いまは玄関に置いてある家の中でこの日記を書いている。家の目の前にはトイレも2部屋ある。このトイレのドアノブが不思議で、下ではなく上に引き上げないとドアが開かない。二つとも。気がついたらこれを書き始めてから1時間経っている。

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朝家の中で寝ていたら人が近づいてきてドアを開けようとしたので「はい」と言って窓を開けたら「ああ、すいません!」と驚いて「なにかなーと思って、お休みになられてるとは知らずに」と言うので「この家を管理されてる方ですか?」と聞いたら「管理というか、所有者です」と言う。こちらこそこんなところで寝かせてもらっててすいませんという感じだ。そのおじさんは地元で建築家をやっていて、シックハウス症候群や色々な家に関する問題を考えていった結果、地元産の材料で家をつくることに行き着き、そういう住宅を作ってきたらしい。最近は建築設計はもう若いのに任せて引退して、自分は「もう年金生活だから・・」と、東京などでこの地方でつくられたものの素晴らしさについて話したり伝えたりすることに専念しているらしい。問題をみつけ、そのために行動し、今は伝える側になった。
この家は明治二十年くらいに出雲の方から移築されてきた古民家で、数十年前にこの家に住んでいたおばさんが亡くなり、しばらく空き家だったんだけどそのおじさんの一念発起で、そういう活動をするための拠点として買いとり、NPOを立ち上げた。「いまではみなさんに好き勝手使ってもらっている」と笑って話してくれた。「明日から女性たちが”命の大切さ”についての朗読をやるイベントがあるから、もし時間があったらもう1日いてってください。中に無料で泊まっていいから。」と言うのでそうすることにした。
お昼前に”女性達”が集まりだした。話を聞いてみると明日明後日命に関しての文章をみんなに寄せてもらって、それを朗読するというのがメインのイベントらしい。「わたしたちも日本をあちこち動いて活動してるの」。
僕は今日は1日かけてこの「古民家ヴィレッジ」を描いてた。このあたりは近くにコンビニもスーパーもなくて、自動販売機が5分くらいあるいたところにある。他は民家や工場。大きな川もある。最寄りのコンビニはセブンイレブンで30分くらい歩く。そこからもうすこし歩いたところに芸文館がある。コンビニまで行けばそばに「恋ぼたる」という道の駅みたいな施設があって、そこには温泉もある。朝からずっと絵を描いてたけど夕方ちかくになってお腹が空いたのでコンビニまで歩いて行った。途中に工場とか瓦礫の山と化した空き家があったりしたけどほとんどは畑と田んぼ。昨日聞いた話だと筑後は小麦も多いらしい。
コンビニでカップラーメンとお菓子の詰め合わせを買ってカップラーメンにお湯を入れて、温泉館がある公園(広域公園という名前で、広大な芝生の公園。とにかく広い。)に歩いて行ってベンチに座ってカップラーメンを食べて、お菓子の詰め合わせを食べながら温泉館に向かって行って、温泉館の受付で500円払って温泉に入った。脱衣所のロッカーがなぜか有料で、十円だった。温泉は茶色い水で、硫黄と鉄っぽい匂いがかすかにするけどしょっぱかったりはしない。炭酸泉らしい。地元のおじさんがたくさんいて、特に露天風呂の方はお湯の温度がぬるいのもあって、おじさん達が入り浸って相撲の話や野球の話をしていた。ちなみにやっぱりこのあたりはソフトバンクホークスファンが多いらしい。おじさんたちは、博多弁が強くて、相撲や野球の話をしているのはわかったけど具体的に何を話してるのかは全然わからない。若いお客さんは見たところ一人もいなかった。温泉の食堂兼休憩所(おじさんやおばさんたちがテレビの前に集まって相撲を見ていた。大事な場面らしかった)でドローイングの続きを少しだけやって温泉を出て、またコンビニに寄って納豆巻きとチャーハンおにぎりと辛子高菜おにぎりとバドワイザーの缶をかってバドワイザーを飲みながら家(古民家ヴィレッジ)まで帰った。道では車はたくさん通り過ぎていくけど、歩いてる人は他に一人もいない。古民家ヴィレッジに着いたら朝会ったおじさん(”女性達”からは社長さんと呼ばれていた)が中で、木村さんと芸文館の学芸員のみまんださんの布団や荷物を離れの方に移しているところだった(「こっちに明日のイベントの女性陣がとまるから、あっちに移しておいた」)。”社長さん”に朝の話の続きを「ものづくりって具体的にどういうものですか」と聞いてみた。「自分は建築屋さんだから、建築に使うもの、例えば漆喰とか、杉板とか、畳とか」。
地方のものづくりっていうのは家族とか夫婦単位だから、企業としての持久力がない。だけど品質が素晴らしいので、残りの人生をかけてこれを伝えていきたい。矢部川のいぐさを使った畳。このあたりは熊本県の八代に注ぐ産地なのだけど、品質が素晴らしい。加工して表面積を増やした杉板。からだに良いし、悪いものは吸収してくれる。
「女性陣は8時前には帰って来ると言ってたから、なかよくやってください」
と言って社長さんは帰っていった。もうすぐ8時になる。寝るか。

 

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みんな誰が好き何が好きとか簡単に言うが、~は実は~で、これがどうしても納得できないとかいろいろ話してみると、それは聞きたくなかったという言葉が平気で返って来る。こんなにみんなが上っ面しかみないのだったら、上っ面をめちゃくちゃにやっていくしかない。ああ。これはこうで右は左でとか、そういうことはどうでもいい。深みに真実を求めてはならない全ては表に現れてくるみたいな言葉があるけど、僕にはどうしても人間は内臓に支えられて生きているとしか思えない。だったらからだを裏返して内臓を表にだすしかない。要約するのもやめよう。過去に積み上げてきたものを一度切り刻んでいこう。