雨の時に歩いてると、何故かいつも左の靴のつま先の上から濡れ始める。前に履いてた靴もそうだった。左からすぐビショビショになる。足の動かし方が左右で微妙に違うのだと思う。目で観察しても全然わからないけど。

 今日は歩くのやめようと思ってたけど昼過ぎから天気が回復してきたので歩くことにした。秋の秋田は奇麗だ。

 

 車修理屋の駐車場から南に向かって6キロくらい歩いたとこにある道の駅に突入。道の駅は久々。この生活の一番の現場はどこかというと、土地を交渉しているところだった。

今回のお風呂場「田屋の湯」が素晴らしかった。寝室から徒歩15分くらい。グーグルで調べて行ったけど看板とかは特に出てなくて、普通の家かと思ったけど窓の隙間からそこが銭湯であることを確信して入った。小さな銭湯だけど温泉で、底が見えないくらい真っ黒いお湯。

  
土地
  
間取り

  
床下

レシートと紙幣はどっちも同じようなもんだけど、レシートと違ってお金の最高なところは、お金はいつもは軽いけど、必要になったときだけ重い物と交換できることだ。食べ物や飲み物は、お腹が減ってなくても喉がかわいてなくても、いつも重い。喉が渇いてないときに3本も4本も満タンのペットボトルを持っていると嫌になる。その点、お金は重さを変える事が出来る。

今日も歩いた。雨が降っている。昼過ぎからは風がつよくなるという予報もでてた。

まずは森岳温泉ゆうぱるから、芸術家の加藤國男さんの住む家に行った。加藤夫妻は今日から泊まりで秋田に行く用事があるらしく、去年みたいに泊まることはできないけど色々と話を聞かせてくれた。家に入ってまず加藤さんは

「今の時期はこれだ」

と行って、室内に何十個も干してある干し柿を指した。干した日数によってヒモを色分けしてある。湿度35~40%で数日干したあと(太陽にあてて干すのと、室内に入れて干すのを繰り返すらしい)、最後だけ湿度60%のところで干すことで干し柿が白い粉(甘い)をふく。それで完成。ワイン漬けや焼酎漬けの干し柿も作ってる。1年で1000個以上つくるらしい。干し柿は、軒先にぶら下がったままになってるのはよく見るけど、こんな日付ごとに色分けして湿度管理までしてる家は初めてみた。加藤さんはなんでも本気でやる。


 あと最近「美人画」を始めたらしい。あと味噌漬け。「やってみると面白いなー」と言ってた。加藤さんはよく「面白いなー」という。お酒や句やステンドグラスや彫刻も相変わらずやってる。


  

そのあとは五城目・井川町のほうに向かった。今日は歩きながらラジオを聞いていたら、渋谷の本屋さんの選書コーナーが「偏っている」といういちゃもんをつけられたというニュースが流れてきた。あと自民党がメディアに対して「公平中立」を求める口出しを平気でするようになってきたということも言ってた。メディアに中立を求めるのは「アートわからない」みたいな態度に似ている。あと「政治は私には関係ない」みたいな態度にも。

 

去年お世話になった井川町の人と連絡がとれず、とりあえずその人の勤め先の車修理屋に突入した。人はいたけど、今日は事務所は休みらしく、その人も連絡をとってくれたけど何かで忙しくて今は対応できないらしい。強い風と雨のうえ、まだ4時半なのにもう真っ暗だったのでとりあえずそこに家を置かせてもらうことにして、僕は秋田駅あたりまで行って漫画喫茶に泊まることにした。

風のなか、家を建物に固定する作業をしてたらタオルが駐車場に飛んでいって、そのまま忘れてきてしまった。大変に悔いている。今頃雨で水浸し、下手したら車や人に踏まれてドロドロになってるかもしれない。タオルさんに本当に申し訳ない。
  
土地
 
床下

この日記は僕が生きてる限りは更新されるだろうけど、死んだらとまる。

今日は2回くらい、冬の風を感じて寒いなと思った。それよりもはるかにたくさん、陽射しを感じてあったかいなと思った。

 

久々に家を動かした。絵本の入校日が近づいてたり、奈良で展示があったりで、ここ1ヶ月くらい「歩いて描く」という通常運転をしていなかった。8日に能代に戻ってきてから「夢工房咲く咲く」をスタジオみたいに使われてもらって、ずっと籠って制作してたおかげでちょっと一段落できた。11日には東京から編集者とカメラマンがきて、そのときは「咲く咲く」を会議室みたいに使わせてもらった。

「夢工房咲く咲く」は通常のカフェとしての営業に加えて、先生を招いた英会話教室やデコパージュ(ナプキンなどに描かれた模様を切り抜いて石けんやコップなどに貼って装飾するやつ)教室や陶芸教室など色々な講座を開いていて、毎週日曜には駐車場で朝市をやってて、野菜なんかが売り買いされてる。ちょっと一人(+α)でまわしてるお店とは思えない。オーナーの能登さんは咲く咲くでの活動に加えて、つい先日坂田明・ジムオルーク・スガダイロー・山本達久の4人を能代のホールに呼んでのライブを企画してたりもする。起喜来のわいちさんとはまた違ったタイプの「公共の人」だと思った。平山はかり店の平山さんと合わせて能代の文化を担っている。

その二人と別れて、森岳温泉の銭湯「ゆうぱる」に向かった。17キロくらい。ラジオをつけたりとめたりして、瞬間と永遠のバランスを保ちながら歩いた。ラジオをつけると、イタリアでオリーブの品質偽装があったというニュースや、国内初のジェット機MRJが飛んだというニュースや、大麻をすった小学生の兄が逮捕されたというニュースがながれてきたりする。ラジオをとめると自分の足音や、歩くリズムにあわせて家が軋む音が聞こえてくる。ラジオをつけていたときは小さくまとまっていたからだがすこしずつ解放されていって、すこやかな気持ちになる。

昔から、何か面白いことを考えついたりするのはいつも歩いてるときだった。高校生のときは毎日夜に散歩することで、からだが解放されるのを発見できたのが救いだった。

 

 

森岳温泉はとてもしょっぱい温泉。これまでいくつも温泉にはいってきたけど、これ以上しょっぱい温泉は知らない。「ゆうぱる」には去年も世話になってる。ここの館長が近くに住んでる芸術家の加藤國男さん(ステンドグラスなんかを作ってる人)を紹介してくれた。

ゆうぱるの加藤さんコーナー。絵も書(木彫)もステンドグラスも全部加藤國男作
今日はたまたま三種町の人たちが集まっていて、大広間で宴会をやってた。僕は近くで絵を描くなどしてたんだけど、館長さんがこれまで3人に心臓マッサージを施して、2人は救った話なんかが聞こえてきた。「口からお湯吹けば大丈夫」「1人は助けられなかった。たまたま他に客がいなくて、発見した時には浴槽に浮いてた。」みたいな話が聞こえてくる。

 

夜は大広間で寝ると良いといわれた。こういうとき、外の自分の家で寝た方がおちつくと言っても信じてもらえない。特に東北では。みんな「寒いでしょ」と言ってくれる。やさしい。なので最近はもうあまり言わない。流れにまかせる。

なので大広間に寝袋をしいたのだけど、寝袋は買ったばっかりのモンベルの♯1の900で、完全に寒冷地しようなので室内ではむしろ暑くてなかなか寝つけない。なので窓を開けて外のデッキに寝袋をしいて寝た。それでもTシャツ1枚になるくらいでちょうどいい。そしたら寝れた。

 

翌朝、館長さんに「探したよー。拉致されたかと思ったよ。北朝鮮に。」と言われた。

土地

  
床下

銭湯が人情の場所になっていた、みたいな見方は「あとから見いだされたもの」。昔はただ必要だったから銭湯があって、それが生まれた結果(あとから考えると)人情の場所としても機能していたっていうことなんだろうけど、だからといって人情の場所としての銭湯を復活させようみたいな言い方は、むしろ銭湯の可能性を狭めてしまう。僕はこの発泡スチロールの家での生活においては銭湯が家の風呂みたいなもんだから行くし、ただなんとなく銭湯に行きたいから行く。なんとなく広い風呂が好きだから行く。

でもこの「あとから見いだされたもの」問題は結構厄介で、気をつけないとすぐ足をとられる。基本的に「伝統を守ろう」みたいな思考の仕方はこれにはまっている。「伝統を守ろう」と聞いたときに僕たちは、当の伝統ではなくて「伝統を守ろうとしている人たち」のことを見ている。この時代にチューブの絵の具を使うのではなく、泥を使って描いたり、顔料を溶いて描いたりする人をみるときに、「絵」そのものより「描いてる人のふるまい」を見ちゃう。どうしても。

この問題は本当によく考えないと、あっという間にやられちゃう。ここにこういう事を書くことだって「あとから見いだされたもの」に過ぎないかもしれない。あぶない。

 

最初の気持ちを何度でも思い出して、今の自分に投影する。どちらを目指すのか、指針をさだめる。目的地は定めない。自分で自分に問いかけて、自分で答える。これでいいか、まだか、自分で反省し、自分で褒め、自分の背中を押す。一人で賑やかな街になり、一人で静かな森になる。山にも海にも空にもなる。一人で。深海に潜る。みんなの足場がある深いところまで潜る。すこしずつ無理をして、すこしずつ深く潜る。

 

ツイッターを凍結した。しばらく情報源を絞る。

今井町で持ち寄り鍋をやっているときに気がついた。ダシとわずかな塩と醤油だけで長時間鍋をやっていると、薄味ながらも、素材の味が効いたとても深い味わいの鍋ができてくる。そんな味ばっかり1日中味わっていると、だんだん時代の感覚が昔に戻っていくような感じがする。

そんな鍋を食べている最中に、コアラのマーチとかコンビニで売ってるような餃子とかを食べると、味が強すぎて、その場からとても浮いてみえる。食べ物と言うよりは、工業製品を食べているような気がする。それはたしかに美味しいけど、その美味しさは口だけで終わる。鍋のように、からだにしみ込んでいくような美味しさじゃない。とても強くて癖になるけど、とても表面的な美味しさ。

情報も同じだと思う。ツイッターやフェイスブックなんか見てると、その場ではとても気になる情報がたくさん流れて来る。バイラルメディアなんかその典型だと思う。その場では気になって見る、その場では笑ったり、泣いたり、ちょっとした感動ができちゃったりする。でもその場だけで終わる。絶対に1年後には覚えていない。「泣ける」とか「笑える」とか、大事な言葉が短絡的に使われていて、本当にクソみたいな現象だと思う。表面的な情報をいったん絞る。情報は現実の景色よりもインターネットの方にたくさんあるという錯覚をもう一度確認しないといけない。いまここにいる虫、草、景色、からだの動き、思考から、ダシの効いた鍋のような、からだに染み渡る情報をひきだす訓練をしなければいけない。

体調の良し悪しは、思っている以上に食事が原因になっている事が多い。今日は夜になったら、なんかいてもたってもいられなくなって、歩いて30分のところにあるスーパー銭湯に行ってみたら体重が少し落ちてた。ちゃんと食べてなかったことが原因だったらしい。このところずっと絵を描いたり文章を書いたりで滞在場所に引きこもっている。今井町は、短期で滞在するのにはちょっと息苦しくて居心地が悪い。こもって制作するのには向いてるかもしれないけど。

スーパー銭湯のあとでもまだなにか我慢できなくて、とにかく今日は外食するぞと思って、近くの夢庵てところに初めて入ってみた。メニューを見ると、明らかに美味しそうに見えるものとそうじゃないものがある。何が美味しそうに見えるかで、このからだに何の栄養素が不足しているかがわかる。

人になにかを伝えるためにつくるっていうのは、深海から海面近くに上がっていく感じに似ている。いま僕は絵本をつくっていることで、深海の生き物を、海上に出しても死なないようにする作業をしている。

深海に潜っていくと、みんなの足場がある。多くの人は海面の上でしかコミュニケーションをしない。深海に足場があることを知らない。海面の上でお互いが別れているようにみえていて、みんなそれしか信じていない。下にいくからには中途半端はいけない。みんなの足場がある深いところまでいかないといけない。

地球が何十億年とかけてつくってきたこの土、空気、海を放射能が一瞬でダメにする。それなのに僕たちは「かなしい」とか「かなしくない」とか、産業がどうとか、快適な暮らしとか、どうでもいいくだらないことばっかり話題にしている。こんなに他の生物に迷惑ばっかりかける生き物は本当にいなくなった方がいいかもしれない。荒川さんに会いたい。

岸井さんの「始末をかく」のなかで、川沿いを歩いてたら突然道端でにおいをかがれたときのゾクッとする感覚が未だにからだに残っている。あの時からだに感じた「落差」が、そのまま横浜の土地の高低差や立地によるヒエラルキーっていう落差と、いまなら通じる。

過去に外部からきた人間に嫌な思いをさせられたせいで、外から来た全員に対し て同じように排他的に振る舞ってしまうのかもしれないけれど、それでもそれは ダメだ。ビジターに対して排他的にふるまうことは、絶対にどこかで自分の首を しめることになる。なにが自分や町にとって結果的なプラスになるかわからない 以上、他者を最初から排するのはだめだ。大津の教会の神父さんはキリスト教批 判の勉強会をしていた。それを忘れたくない。もちろん最初から相手にするべき じゃない人もいる。特にネット上に。
アートで空き家活用とか、まちおこしとか、そういう名目が見え隠れするような ものはやっぱり違和感があるけど参加した以上は、楽しかったと思えるものにしたいのであれこれ考えているけど。敷居が低すぎるどころか、グランドレベルよりも 下みたいなとこで展示している感じがする。土足でずかずかとあがられてきてる 感じが、なんだかつらい。設営中ドアのところに「アートイベントの設営をして います。ご迷惑おかけしてます」と書かれていて、こっちとしては、呼ばれてや っているわけだけど「迷惑かけてもうしわけありません」と書かれている。この現象はなんだ。

展覧会に参加します。

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「作法のためのリマインダ」

日時:2015年10月24日(土)〜11月3日(火・祝)10:00~17:00
※10月24日(土)、30日(金)、31日(土)ナイトビューイングにつき~19:00

場所:元トウネ精米工場・中野町家 奈良県橿原市今井町

入場料:缶バッジ型入場フリーパス300円(中野町家は無料/他はならぁとキュレーター会場も入場可)

参加作家:
青田 真也
加藤 巧 (本展担当キュレーター)
宮田 篤
村上 慧

この展覧会は、「覚え書き」のようなものです。
形のあるなしに限らず、ものごとをつくるというときに「方法」や「ルール」ができることがあります。ものごとを上手に作ったり、たくさん作ったり、長い間続けていったり、時には考え直したりするための「方法」や「ルール」は、続けられ大事にされるうちに「作法」と呼ばれるようになることがあります。茶道をはじめ、伝統芸能にまつわるイメージのある「作法」という言葉ですが、あらためて見つめてみると「《作》る上での方《法》」と読むことができるかもしれません。
今回展示をするのは、「削る/描く/読む/住む」といったシンプルな動作について思索を続けるアーティストたちです。作り手それぞれの動作たちの中にもまた、作るうえでの方法やルール、つまり「作法」があります。この中世よりの自治都市・今井町で、生活を作り、関わりを作り、営みを絶やさずに町を作ってきたように、「作法」という言葉を場作りともの作りとの交点として、これからも私たちがものごとを作り続けていくためのいくつかの「覚え書き=《リマインダ》」を残してみることとします。

《関連イベント》
・11/3(火・祝)午前中〜15:00ごろ
宮田 篤「おとなもこどももあそべるぶんがく《微分帖(びぶんちょう)》」ワークショップ@中野町家
参加無料

・10/25(日)、11/1(日)、11/3(火・祝)10:00~17:00
持ち寄り鍋パーティー@中野町家(主催・村上慧)
鍋パーティをやっていますのでお気軽にお越し下さい

[Reminder for making methods] 24th Oct- 3rd Nov. 2015
@ “Tohne’s former rice milling plant" and “Nakano traditional town house" Imai Cho, Kashihara city, Nara pref.

Shinya Aota
Takumi Kato
Atsushi Miyata
Satoshi Murakami

(As parts of “Core" exhibitions in “HANARART 2015" Prefectural Art Festival in Nara)

 

http://hanarart.jp/2015/imai-toune

特にお金がもらえたりするわけではなく、誰かがみているわけでもないのに、とても重い荷物を背負い、誰も歩いてない道を一人でずっと歩いてたりすると、一体この重みは何なのかがわからなくなってくる。何のための重みなのか。そしてずっと誰とも話さずにいると、じぶんはいま「いつ」にいるのかが曖昧になってくる。頭の中身が外にどんどん流れていって、いつとか、どことか、誰とかっていうことの区分けが消滅していく。いまが何世紀なのか、ここはどこなのか、誰とは誰なのか、そういうことが問題ではなくなっていく。そして不安になってくる。不安が心地よいときもあるし、気持ちが悪くなる時もある。

気持ちが悪い時はラジオを聞く。ラジオは「いまは2時です。こんなニュースがありました。」ということを、教えてくれる。1年後にはみんな忘れてしまうであろうニュースをとりあげたりして話している。瞬間を刻んでいる。そうすると永遠の中に溶け出していた「いつ」「どこ」「だれ」という区分けが輪郭を取り戻していく。瞬間と永遠が僕のからだを媒介して結びつき、ぐっとチューニングが合ってくる。瞬間と永遠が、同時にからだの中に立ち現れる。そのバランスが保てると、自分がいまここにいるということに自信がもてるようになる。なんのための重さなのかとか、そういうことも問題ではないのかもしれない。自分はいまここにいるということに対して、自分で自信をもつということなのかもしれない。

昨日から東京に来ている。写真家の紋ちゃんに連れられて原宿にいった。金曜ということもあって、人がたくさんいた。人というより、何か空っぽでペラペラの膜のようなものがたくさん歩いていたように思う。原宿には肉体がないように感じた。重さもない。

道端の植え込みに座っている人がリアルだった。彼らは体の疲労を感じて座っているのだと考えると、とても安心した。その疲労感がこの街ではとても浮いて見える。

車や電車はタイムマシンのよう。5日かかるところを1日で連れて行ってくれる。歩きの移動が常態化してくると、時間と距離が同期されてくる。焼山は昨日の町、大湯温泉は今日の町、というふうに。だから今日車で大湯温泉に行ったりしたら、昨日に戻ったような感覚になると思う。というかある意味では交通機関はタイムマシンなんだと思う。歩くスピードはずっと昔から変わらないから、スピードが速くなるということは時間を飛ばすということになる。あまりに毎日のように車や電車に乗って移動しているので、タイムマシンであるという感覚を無くしてしまう。歩きのスピードはかわらないのに、僕たちに強いられるスピードは年々増していっている。日常的にからだに負荷がかかっているのだと思う。

 

今日はタイムマシンも併用して、大湯温泉から能代まで行った。「平山はかり店」と「夢工房咲く咲く」がある町。平山さんが指揮をとってる「まちなか美術展」というイベントが明日から始まるらしい。池田修三さんという秋田出身の版画家の作品を市から借りて展示したりしていた。借りる際の苦労話など聞いた。


去年はまだオープンしたてで品数も少なかった平山はかり店は、商品が揃えられてて平山さんのカラーがでてめちゃお洒落になっている。はかりの店なので、定規とか秤とか升とかはもちろんあるけどポストカードとか文房具とか色々ある。

今日の敷地は「夢工房咲く咲く」の駐車場

土地

 

床下

 

間取り

休屋のバックパッカーズから23キロほど離れた大湯温泉というところに向かう。休屋からちょっと歩くと秋田県に入る。「熊出没注意」という看板を見かけるようになる。森は紅葉が始まっている。

大湯温泉は、個展に一番客で来てくれた文太郎君がいる町。彼は父親のガソリンスタンドを手伝っていて、去年初めてあった時は「ここで一生を終える」と言っていた。

 

寒さの割に装備が貧弱すぎるので、今日はいずみ荘というところで宿をとることにした。そしてあしたは電車も使って一気に能代まで向かう。紋ちゃんの撮影があるので明後日の夜には東京にいかないといけない。この付近で家を預かってくれそうなところは能代の人たち以外に思いつかない。


土地


床下

乙女の像という、何が良いのか全く分からない彫刻作品が十和田湖畔にあって、付近にはあちこちに「乙女の像はこちら」という看板が出てる。観光客もけっこうその像を訪れている。お店の人に「乙女の像はどっちですか」と聞いてるところもよくみる。店の人は慣れた感じで「右です」と答えている。僕も看板がでてるから観にいってみたけど、人が次々に訪れては写真を撮っては帰っていくのを眺めてるうちに絶望的な気持ちになった。これはもうどうしようもないなと思った。

家族や親族何人かで、低い建物が多く、淀んだ空気が漂っている町(かつて被差別部落だったであろう町)を歩いている。

そして父親に「ここは○○(聞き取れなかった)という土地だから、手で印くらいは結んどいた方がいいぞ。○○(聞き取れなかった。「キツネ」という単語が入っていた気がする)の印、知らないの?」

と言われる。父は手で、ちょっと複雑な印を組みながら、それぞれの印とその流れが持つストーリーを教えてくれる。最初は、なにか恐ろしい物に対して矢を放つという話だった気がする。

 

そしたら突然、道の左側から大きな猫みたいなものが、金属のフェンスをやぶって飛び出してきた。全体的に白い毛だけど、傷や汚れがたくさんあったように思う。そして、左側の目だけが確か3個ついてた。目は完全にイッてた。

 

僕たちはいつのまにか、その化猫から走って逃げている。誰かがそいつに矢を放ったが、その一発目の矢は口でキャッチされ噛み砕かれる。二発目の矢を、何かまじないをかけて放とうとしているときに目が覚める。

十和田湖温泉郷から十和田湖畔にあるボートクルーズの店「グリランド」を目指して奥入瀬渓流のなかを歩いた。温泉郷のほうは閑散としていたのに、渓流のほうはハイキングやツーリングやらの自然散策の客でけっこうにぎわっている。歩いてたらデンマーク人のカップルに英語で話しかけられた。

「何をやってるんだ?」と聞かれたので簡単な英語と身振りで、絵も見せながら一生懸命説明したら、何かが伝わったらしく大変感心して「絵をひとつ売ってくれ」と言われた。

そして

「なんのためのアートなんだ?」「art  for…?」

という質問をされた。うまくこたえられなかったけどart forという言葉は焼き付いた。なんのためのアートなのか。せめて生活の方法、建築の方法のためのアートだと答えたかった。考えがうまく通じないのが大変悔しい。

男性に「いつまで歩くのか?」と聞かれたので「わからない」「I don’t know」と答えた。

すると「ok.nature knows」と言われた。

グリランドは去年と変わらない空気が流れている。RIBボート(主に軍用,レスキューに使われるボート)で十和田湖ツアーに連れて行ってくれるお店で、去年何度か乗せてもらった。奥入瀬渓流もそうだけど、十和田湖畔はずっと昔から人の手が入っていない原生の森で、おまけに湖は水深320メートルある。恐ろしいほど静かで妖しい湖。自殺スポットでもある。特に日が落ちてから暗くなるまでの時間が最高に美しい。

 

そしてグリランドは社長さんが面白い。話を聞くと出生地も明らかじゃないらしく、多分青森市だけど秋田市という説もあると自分で言ってた。そしてサーカス団の血筋らしい。生活に関する細かいことはあまりできない感じだけどギャンブラー気質で、話がよく飛躍する。独特の空気をつくる。冬は経営してないので、毎年4月から11月ごろまでやってて、その時期だけそこにスタッフが集まって来る。そのメンバーは年によって変わったり変わらなかったりする。けっこう彼を慕って集まって来るひとも多いと思う。

今日は、新しいクルーザーを仕入れたいのでボートを売るという決断をして電話をかけてた。けっこう大きな額。

「来年はFM33(クルーザー)で稼げればいいべ。もしだめだったら津軽海峡いってマグロ釣ればいいべ」

と言ってた。

今日の敷地はそのグリランドのガレージみたいなとこ。

土地


床下