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歩いてる途中にもらった。「宮崎で一番有名なチーズケーキ」らしい。とてもおいしい。
午前中に道の駅日向を出発して、20キロくらい南下したところにある川南町というところにあるガ ソリンスタンドの店員さん達が話しかけてきた。
「ラインとかフェイスブックで、すっごい話題になってますよー」
と言われた。僕はそんなことは知らなかった。
「敷地を探している」 と言ったら社長さんが 「そのへん使っていいよ」 と言ってくれて、あっさり決まった。
夜まで、ガソリンスタンドの休憩室で絵を描いてた。僕が絵を描いている同じ部屋で、ここで働いて いる人同士が世間話をしている。九州を南下するに従って方言がきつくなっている気がする。聞いて てもあんまり聞き取れないのでBGMみたいになってる。

集中力が切れそうになっている。僕の集中力は10ヶ月が限度らしい。もう既に頭が4月の展示向けに切り替わりつつある。
あと夜がどうしても寒い。新しい寝袋を買おう。やっぱり冬はあまり移動したくない。来年の冬は移動せずにどこかに留まって何か別のことをしたい。

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朝起きて自分の家を出て、「寒い寒い」と小さく呟きながら道の駅のトイレに入って顔を洗おうとしたときに、水道からお湯が出てきて
「うわ、お湯がでる!」
って一人なのに声を出してしまうほど感動したり。
行く先々でインフルエンザ感染者やその家族に会うので
「テレビとかのニュースでよく"インフルエンザが全国的に猛威"みたいな話を聞くけど、マジで流行ってるんだな」
って思ったり
「今夜は冷え込むから、晩ご飯を一杯食べておかないとまずいな」
と思って温泉に併設されてるレストランに行って特製カレーを食べたり。(この「冷え込むからたくさん食べておかないと」っていう発想って、自然なものだけどなかなか普段でてこない)
そんで帰ろうとしたら今日の新聞がレジのそばに置いてあったので「これを丸めて服に入れれば暖かいのでは」と思って
「これもらっていっていいですか?」
と聞いたら
「いいですよ。もう閉店なんで」
と言ってくれて「いらない新聞紙をもらえたことでこんなに嬉しかったことはない!」と思ったり
きついこともあるけれど、こういう日々のサバイバルをこなしていくことで、夜に眠るというなんでもないことが最高のご褒美になる。全ては後から考えると「楽しかったなあ」って思えることだ。 しかも、そういうこと1つ1つが全て自分の身をもって経験していることなので、僕はこの毎日をパ ーフェクトに信用する事ができる。
テレビとかツイッターとか新聞とかを見て右往左往しちゃうことはよくあるし、そればっかりに気を取られて何も分かんなくなっちゃってる人もいるけれど、自分で経験したことは、すべて信用する事 ができる。この体験してきた日々に確信がもてる。
そうやって嘘でも又聞きでもない日々が積み重なっていく。これをつきつめていくと人生を肯定できるような気がする。

宮崎県都農町

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空にトンビが飛んでいた

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2014年4月から制作してきた「移住を生活する」を発表する展覧会の詳細が決まりました。
およそ一年間の生活じたいを展示する試みです。僕はこの展覧会をあらかじめ想定して、一年間の生活を営んできました。

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村上 慧『 移住を生活する 1~182』

会期:2015年4月17日(金)‒ 4月29日(水・祝)[*22日(水)のみ休廊] 12:00 ‒ 19:00
オープニングパーティ:4月18日(土)17:30-
アーティストトーク:4月25日(土)17:00-18:30
ゲスト・岸井大輔(劇作家)

会場:Gallery Barco|ギャラリー バルコ
〒125-0061 東京都葛飾区亀有3-27-27 LA CAMERIA 1F
[常磐線(千代田線接続)亀有駅南口よりアリオ亀有方面に徒歩 3 分 ] 入場無料
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ぜひお越し下さい。1軒目の家が古くなったため、展示期間中2軒目の家を公開制作します。

以下はプレスリリースのPDFです。
barco_release

 

“TAMASHII NO KATAMARI / KATAMARI NO TAMASHII
February 04, 2014 at 11:24 PM
I think, “魂(TAMASHII)”is just like “塊(KATAMARI)”."

http://sekimanami.tumblr.com/post/75587840999/tamashii-no-katamari-katamari-no-tamashii

この生活にシフトしてから、2度体調を崩して熱を出してるけど、どちらも原因は"人の家の屋内に 泊まった"か"人がたくさんいる建物の内部に泊まった"からだと思う。自分の家で寝てる限りでは、 そういうことが今のところおこってない。体調を崩したら屋内で寝るのが普通だと思うんだけど、こ の生活の場合は屋内で寝たら体調を崩す事があるみたい。逆になってる。(僕の家の中も"屋内"だと 言いたいんだけど、とりあえずここでは言わない) 同じように、僕は移動をしてる方が食べ物をもらったり仕事をもらったりしてお金がかからない。同 じところに留まっているとお金が減っていく。 でもみんなは「普通は移動するのにお金がかかるもんだ」と言う。これも逆だ。

朝、出発する前に神社の宮司さんが子供を連れて訪ねてきてくれた。
「ここから10号線沿いに20キロくらい南下すると「おふなでのゆ」という温泉がある。そこを超 えると風呂は無いなあ」
と言ってた。
僕はその「おふなでのゆ」という名前が漢字でどう書くのか想像できなかった。でもなんとなく響きが気になった。

宮崎県に入ったからなのか、たまたま今日がそういう日なのかわからないけど、とても暖かい。もう春が近いのがわかる。10号線を歩いてる最中に、3人組の家族と、6,7人のグループと、小学生 くらいの男の子から
「写真を撮ってもいいですか?」
と聞かれた。

10キロくらい歩いたところに「お船出の湯」があった。道の駅や公園やレストランやキャンプ場とセットになって「サンパーク」っていう大きなエリアになってた。
海が奇麗に見えて、遠くには小島 が浮かんでいて灯台がたっている。不思議な形をした岩が並んでいる広い岩場もあって、見ていて飽 きない。「お船出の湯」には絶対に露天風呂があるだろうし、そこからは絶対に海が見えるだろうな と思った。ここで泊まれたらサイコーだなと思った。

道の駅の駅長さんに敷地を交渉したらすんなりとOKしてくれた。この時点でまだ昼の2時くらい。 敷地を確保したら間髪入れずに絵にする家を探して歩いて、すぐ描きはじめた。

夕方に「お船出の湯」に行った。やっぱり露天風呂があって、海が見渡せた。室内の大浴場も大きな ガラス張りになってる。日曜日なので客もたくさん。家族連れがグループで来てたりとか。

夜、温泉から外にでたら鬼のように寒くなっていた。道の駅のお店も閉まっているので30分くらい 歩いたところにあるコンビニに晩ご飯を買いにいこうかと思っていたけど、あまりにも寒すぎるので 歩くのを断念して、お船出の湯に併設されてるレストランに。
もう閉店間際で、客は僕しかいない。僕は「特製カレー」を注文した。 まわりではお店の締め作業が行われている。エプロンをつけたおばちゃんが大きなケースをせわしな く運んだり、別の人がレジを閉めたりしている。20時58分に閉店の看板を出してた。 僕はここにまた来る事があるだろうか。
移動しているからか、「レジをしめる」っていう"明日も行 われるであろう動作"がひとつひとつ面白い。でも移動してなくてもそれは同じように感じるべきこ となのだと思う。 多分、この視点さえ身につけることができれば、実際に移動する必要はない。この視点を維持するためだけに移動している。

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フラワーキッズの理事長さんが、軽トラックですこし家を運んでくれるというのでお昼頃に1週間ぶりにフラワーキッズに家を運んだ。

そこから2時間くらい運転してくれて、宮崎県の日向市というところについた。

車の中で理事長の話を聞いてた。昔、仕事のストレスで脱毛症になって、みんながいろいろ声をかけてくれたんだけど、その中で一番救われた言葉が、軽度の知的障害の人から発せられた
「あれ、髪型変わったな。前のほうがいいなあ」
というものだった、という話を聞いてなんか涙が出そうになった。そうだよなあ。それが一番当たり前の反応だよな。僕たちは変に知識を詰め込んでいるせいで、ねじ曲がった反応しかできなくなってしまっているっていうことは多いにあり得る。「ストレスではげちゃった」っていうことを予備知識として知っちゃっているせいで「髪型変わったなあ」っていう"ごく普通の反応"ができなくなっちゃうのだ。気をつけよう。
自分が関わる当事者になったことで、障がい者に対して厳しくなった、という話も面白い。
「あんたが頑張っている姿をみるから、こっちもあなたを応援するのを頑張れるんだ。がんばりもしないで応援はできない」
ということを言えるようになったという。すごい。僕はそういう言い方はできないだろう。でもそれもすごく当たり前の話だ。何も頑張っていない人を応援する気にはなれない。
「その人が障がい者だからという理由だけで、やさしくしなくちゃいけないし応援しなくちゃいけない」
と考える事は、ある種の差別をするということになるのかもしれない。さっき書いたような「へんな予備知識を知ってしまっているから、普通の反応ができなくなる」ということはまさにこういうことだな。

夕方暗くなる前にトラックから降ろしてもらって、敷地を探した。お寺を2軒あたったけどどちらもダメだった。1軒目は住職さんから
「昔、同じような感じで旅の学生がきてお寺をめちゃくちゃにしていった。それ以来断る事にしてるんだ。申し訳ないけど」
と言われた。その住職さんは本当に申し訳なさそうにして、僕を見送ってくれた。
2軒目は
「うちは法人だから、役員さんの許可とか色々必要になっちゃうんだよ。ごめんなさいねえ」
と言われた。3軒目にあたった五十猛神社というところで
「全然大丈夫ですよーーー」
と言われた。久々の神社泊な気がする。

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この神社は、交差点の名前になってた。昔から親しまれてるんだろうな。

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孤独になればなるほど、音楽はこころの奥に響く

1週間くらい寝込んでた。37.1度の微熱が出て、病院に行ったけど 「熱が低いからインフルエンザとは考えられない」 と言われた。けど僕は全身のだるさからインフルエンザであると言うことが分かっているので、お医者さんからもらった抗生物質等はほとんど飲まなかった。

ともかくずっと寝込んでいたんだけど、その間にアイエスアイエスとかなんとかいう人たちに日本人の人質が殺される事件が起こって「日本も中東紛争の当事者だったのだ」と気がついて衝撃を受け た。震災だけで大変な事になってかなり参っているのに、その上にこれだ。ずいぶんダメージを受けている。寝る前に動悸があって苦しくなることがあるけど体調はようやく回復した。
僕は基本的に自分の身のまわりの事しか考えられないので、何か大きな事件が起こったら自分の事として引きつけて考えるようにしてるんだけど、これをやりすぎると闇に飲み込まれる。ニュースとかを見ないようにすることが必要なときもある。

朝、村上さんが車で津久見市内をまわってくれた。津久見はみかんとセメントの町で、太平洋セメントの工場がかっこいい。

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昼には、一昨日誘われた初期仏教の勉強会に行ってきた。
前半は仏教の歴史について、後半は経典の注釈を読 みこんでいく2部構成になってて、前半の方は予備知識がない僕にはよくわからない内容だったけど、後半は楽しく聞けたと思う。
日本で広まっている仏教はほとんどが大乗仏教で、それは歴史の授業では「小乗仏教がだめだったから大乗仏教が広まった」みたいな言い方をされるんだけど、全然そ んなことはない、という話が印象的。
インドでは基本的に小乗仏教が主流で、大乗仏教は文学のようなものとしてみなされているらしい。
話をしにきていた先生は、日本では少ない初期仏教(テーラワーダ)の和尚さんで、日本の仏教学会 のことを批判的に話していた。
「大乗仏教の地位を下げるような研究をする人は日本では人気が出ない」
と言ってた。そういうことって宗教の世界でもあるんだな。

で、その勉強会の道中に風邪をひいた。車の中で突然喉が痛くなって「なんか悪い菌が入ったな」 と思ったんだけど、村上さんの家に帰ってきたころには身体が全体的にだるくて「これはウイルス性 のやつだなあ、インフルエンザっぽいなあ」と思った。
晩ご飯を村上さんたちと一緒に食べてからすぐ寝た。

なんか突然思い出したんだけど、ある人が以前「自分は選挙には行かない」と話していた。彼は「社 会と自分との距離をどうとるかっていうことや」と話していた。

また、政治や社会問題のことを「自分にはわからない」と言って「それっぽいわかったような顔をして話している人」の事をあざ笑うような態度を取ったりする人もいる。

考えたくないと思う事はたくさんあるし、考えたくない時は考えなくていいとおもうんだけど、商売ができたり、整備された道路を歩けたりするのはまぎれ もなくこの「国」というものがあるからで、それって距離をとろうとしてもとれるわけがなくて、例えば距離をとろうとしたら、どの国の領土でもない場所で、電気や水道を全部自分で整えて、自給自 足の生活をするしかないと思うんだけど、そういうことじゃないのか。
「社会と距離をとる」という言葉の意味がわからない。社会学者の人に会ったら聞きたい。

朝、フラワーキッズの職員の村上さんという人(僕のことを事前にテレビで見た事があるらしい)が おにぎりを差し入れにきてくれて
「今日家の置き場所なかったら、うちに来ても大丈夫ですよ!」
と言ってくれた。
僕は基本的に、色んなところで寝てみたいっていう欲望があるらしい。今日は村上さんの家に行くことにした。

午前中に大分合同新聞の人が僕の取材をするためにフラワーキッズに来た。
人のよさそうなおばちゃんで、僕の話に反応して「私もねえ、」と言って自分の話をしてくれたりして面白かった。
「車や電車で、目的地まで一気に行ってしまうのはもったいない」
という話をしたら
「私も車が運転できないから、自転車をよく使うんですよ。そしたらあそこに菜の花が咲いてるなあ、とか、ここがこう変わったなあとか、っていう事に気づいて主人に話すんですけど、主人は普段 車で移動してるのでわからないんですよ。」
という話をしてくれた。

お昼から夕方まで津久見の町をずーっと散歩していた。ここは山には石灰石の鉱山(地元の人は「石山」と呼ぶ)があり、海にはセメント工場がある。鉱山施設から海まで太いパイプが走っていて、石 を運んでいる。歩いててとっても面白い。「セメント町」という名前の住所があったり、巨大な工場 が住宅地の中にあったり。

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暗くなる前に、僕の家を村上さんの家の車庫に移した。

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フラワーキッズに絵を描いてプレゼントした

村上さんと、その娘さんとお母さんと4人で 鍋をつつきながらお話した。僕も村上なのでややこしい。
2、3ヶ月前に3人そろって僕のことをテレビで見たらしく、そのときのことをお母さんが
「いかに自分の家の中に無駄な物が多いかっていうことを思ったわ。これで生活できるんや。ってなあ」
と話してた。

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朝、家の中で絵を描いたりしてたら、僕の家のすぐそばまで車がきて、ドアが開く音がして、人が近づいてくる足音がして
「すいません~」
という女の人の声がした。「またなんかイベント発生だな」と思ってドアを開けたら、蜜柑がたくさん入ったビニール袋を持った女の人が立ってて
「この近くにあるフラワーキッズっていう施設の者なんですけど、ツイッターで見て来ました」
と言う。
「もしこのあとお時間あったら、フラワーキッズまで来ていただけませんか」
と言うので
「行きます」
と答えた。後で聞いた話、彼女はこうやって訪ねる前にお寺に
「白い家はまだありますか?」
って電話したらしい。そんでお寺の人が
「ホワイトハウスならまだあります」
と答えたらしい。面白い。

なんかイベントの予感がした。わくわくしながらフラワーキッズに向かった。

ここはNPOが運営している児童施設で、発達の遅い子供とかを預かる保育施設でもあり、学童も兼 ねてるみたい。僕が行ったときはちょうどお昼ご飯の前の時間で、何人かのこどもはかなり興奮して 喜んでくれた。いきなり超ハイテンションになって飛び回る子とか、不思議な質問をしてくる子とか色々いて、家を持っている僕っていう存在もその中の一人みたいに思えたというか、楽な気持ちで接 する事ができた気がする。職員さん達も、いろいろな子供を見るのに慣れているのでかなりタフ。なにをやっても受け入れられるような器の大きさが皆さんにあるような気がする。

午前中は子供たちと遊んで、午後は絵を描きに出かけた。昼過ぎから雨が降ってきた。今日はこのま まここの敷地を借りることになりそうな雰囲気になった。

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昼は園長さんがお弁当を用意してくれて、職員や子供たちと一緒に食べた。ひろくんと、かなくんという二人の男の子が
「一緒にたべよう」と誘ってくれた。

夜にここの理事長さんと会った。かなり経験値の高そうな男性。
「これからお風呂に行きます」
と言って出かけようとしたら、車で送迎までしてくれた。

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行った「塩湯」っていう温泉がまたサイコーで、日帰り温泉と料理屋が一緒になってるんだけど、海鮮料理が安くて美味しい。僕は定食を頼んだんだけどこれで千円だった。

夜寝る前に、同じNPOが運営しててこの近くにある「パレット」という福祉施設の人が僕を訪ねて きた。
「日記を読んだんですけど、お寺が良く出てきて仏教の事が書いてあるので訪ねてみようと思いました」
と言って、僕にメモをくれた。なにやら今度の土曜日に「初期仏教」の勉強会が大分市のお寺で開催 されて、しかもその寺の住職さんがムサビの彫刻学科卒業らしい。僕の先輩にあたる。これは行くし かない。

という感じで土曜まで津久見に滞在することになった。

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7時半頃、和尚さんが朝ご飯に招待してくれた。

ここは臨済宗(禅宗)のお寺で、息子さんはお寺を継ぐために神戸で修行中らしい。
禅宗なので、和尚になるには座禅の修行をする必要がある。みんなだいたい3、4年の修行を積んで終わるんだけど、息子さんは8年くらいやってるらしい。 20代をほとんど修行で過ごしてる。すごい。

その修行の話がまた凄まじい。一ヶ月に一週間くらい、ほとんど1日中座禅をして過ごす期間があって、そのあいだはご飯は他の人が支度してくれるから、そ れ以外の時間はずっと座禅をしていて、夜は23時くらいまでやって寝て、翌日3、4時には起きてすぐ座禅をするという。
12月は8日にお釈迦様が悟りを 開いた日なので、1~8日の8日間は布団も取り上げられて、ひたすら座禅をするという日々。

修行中は托鉢の時と、ちょっとした買い物のための数時間以外は外に出る事もできない。ある程度、外の世界の情報からも遮断されるだろうと思う。そういう 日々を過ごす事は、この時代にとても切実に必要な気がする。

僕たちは人の手によってわかりやすくまとめられた情報だけを大量に消費する日々を過ごしている。情報というものは暴力なので、自分で善し悪しを判断する 感性を、多分僕たちは奪われている。その修行の日々に20代の8年間を息子さんは費やした。本当にすごいことだと思う。

正午過ぎにお寺を出発。和尚さんと奥さんが見送ってくれた。今日はここから10キロくらい南東にある津久見市まで行く事にした。道が2種類あって、くねくねとした旧道(山道)をいくか、2キロのトンネルがあるバイパスを行くか。旧道の方はバイパスの2倍くらいの距離がある。
長距離歩くのは嫌だけど、トンネルもすごく嫌なので、もう和尚さんに決めてもらおうとおもって聞いてみたら
「新しい道の方がええな。旧道の方は倍時間がかかる。トンネルがながくてしんどいけどな。」
と言われたのでバイパスを通る事にした。この和尚さんは長距離を歩いて旅(もしくは托鉢)した経験があるんだろうな、と思った。距離が倍あるっていう推 測の正確さとか、トンネルを通るのが辛いっていうのは経験した人じゃないと分からない。

そのトンネルには歩道が申し訳程度にあって、しかも幹線道路なので、でかいトラックとかタンクローリーとかが僕のすぐそばをすごい音を立てながら通り過 ぎていって、もう緊張しっぱなしで、本当にもう勘弁してくれという感じだったけど、歩道に残ってる足跡や自転車の跡とかを見て「先人たちは生きてここを 通過したのだ」と思って自分を励ましながら歩いた。 長いトンネルを抜けると生まれ変わったような気持ちになる。生まれる時に産道を通るイメージと似てる。

トンネルを抜けたところですぐにパトカーに声をかけられた。通例通り職質が終わったら、警官が
「これじゃ轢かれるよ~」
と言って、細長い反射板を2枚くれた。

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途中、いきなりラブホテルの廃墟が現れた。

津久見市に入ってすぐに見つけた「解脱寺」というかっこいい名前のお寺で、敷地の交渉をしたらまたもやあっさりOKをもらった。ここでも住職さんに
「何日おるの?」
と聞かれて
「1日です」
「あ、今晩だけか。ええよ」
という会話をした。

「解脱寺」という名前から、ここも禅宗のお寺かなと思ったけどやっぱりそうだった。丘の上に建っていて、津久見の町が見下ろせる。

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