家をフンドーキンマンションの中に入れたまま、家の中で寝た。

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東京から大分に戻ってきた。大分の大通り沿いにNHKが入ってる「オアシスタワー」っていう大きな建物があって、その一階の広場にいる。ここは暖房が効いていて誰でも入れて、イスもテーブルもコンビニもあるし静かにクラシックも流れてる素晴らしいスペース。こういう広場は貴重だと思う。人が集うし交流が生まれる。いままでたくさん町を歩いてきたけど「この町はすわるところがないなあ」って何度思ったかわからない。どの町を歩いていても座るところがないから、こういうところがあるっていうだけで、この町にまた来たいなと思える。

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年末年始で東京の友人たちとたくさん話した。人は変わるんだなと思った。僕が2年間住んでたアトリエ空鼠の現メンバーもみんなそれぞれ経験値を積んで、毎日少しずつ生まれ変わってる。空鼠は来年度以降契約更新するか未定らしい。空鼠はなくなるかもしれないけど、すぐ近くに新しい運動もおこっていたし、阿部はこれから本気でアートディレクターとして活動していく気らしい。10年以上つとめた職場を辞めて新しい人生に踏み出そうとしている人もいたし、高校の同級生で結婚してた人もいたし、この世界が32次元か33次元かで主張が別れるような世界に生きてる高校の同級生もいた。
僕は他人に対して「それじゃだめだ」って言えない。言いたいけど。自分の事を棚にあげて語る事が極端に怖い。でもそれに対して
「言えばいいじゃん。それを受け止めるかはその人が決めればいいんだから」
って言ってくれる人がいた。それでふっと楽になった気がした。そうだその人が決めればいいんだから、僕は僕の言いたいように話をすればいいのだ。これからはそうします。

そんで昨日、三ノ輪にできたウンドウというスペースで人と話をしている時に、大学時代に自分が置かれている環境に対しての怒りと焦りがあって、その同じ環境で過ごしている同期の人たちがあまりに能天気なことに対してすごく怒っていたことを思い出した。大学に限らない。自分の生活の仕方に対して無自覚だったり、人の幸せを勝手に決めて勝手に手を出そうとしたり、自分と他人の区別がつかなかったり、自分の不愉快を社会の不愉快だとか思っていたり、偏った妄想で物事を理解したつもりになって人に対して語り、自分が妄想でしゃべっていることに対して無自覚だったり。もう全然訳がわからないし、こっちがおかしいのかと思うことがあまりにもたくさんあって、そういう気持ちが口からでそうになってセーブするのに精一杯だった。とにかく、他者への想像力に欠けたふるまいが、この世界にはたくさんあって、「ちゃんとやろうや」っていう、そんな叫びたい気持ちを思い出した。

もう年末年始じゃない。時間が過ぎるのが早い。ふと気がついたらみんな過去の出来事になってる。とにかく今を追いかけるのみ。

1229 朝から昼間にかけて雨。午後は止んでた。寒い
1230 雲ひとつない位の快晴。ぐっと暖かくなった
1231 今日も快晴だし、全然寒くない。春みたい
0102 快晴。昨日ほど寒くないかんじ
上野でやばいヤツを見つけた。ピンクな映画館の正面に飾ってあったんだけど、顔のぺらぺら感と不自然につくられた胸とのアンバランス感が尋常じゃない。

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0103 快晴。過ごしやすい
0104 くもりときどきはれ。昨日と同じくらいの気温。すごしやすい 
上野公園の不忍池が凍っていて、鳥が立ってた。

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0105 超快晴。あったかい!
0106 東京から大分に帰ってきた。東京と同じく曇り。昨日より暖かい。地面が濡れてる。

すこし前に聞いた話だけど。友達の母親が死にそうらしい。頭がくらくらする。
その人の母親は父親の再婚相手。家には母と父と祖父が住んでいるけど、父親は仕事?で家にあまり家には帰ってこないらしい。母親は長年、家でひたすら留守番をする日々を送っていた。母親には友達付き合いがあまりなく、趣味もないし料理もあまりつくらない。ずっとテレビを見るか犬の散歩にいくかという生活をしていた。そんな生活のせいで、その母親は気がつくと重度の鬱病になっていた。病院に行って「かなり重度の鬱病です」と診断されてから、症状がますます悪化した。しかしその父親は奥さんを心配するどころか
「なんで俺はがんばってるのにお前はそんなふうになるんだ」
という態度をとっており、以前と変わらず家には帰ってこない。このままでは危ないということで、母親は入院させられたらしい。犬は母親が入院する前に死んだ。

友達は母親にあまり会ってないようだけど死にそうになってることは知っているらしい。その人は
「お正月も実家には帰らない」
と言っていた。その人は家族に対してある程度見切りを付けている。でもその見切りの付け方は、決して未練のないさっぱりしたものではない。その人は犬のことが大好きだったし、母親の事も祖父のことも嫌いだったわけじゃないはず。僕は、その人がその母親や父親や祖父と話してるところに何度も立ち会った事がある。会いたい気持ちがないわけがないと思う。たまたまそういう状況になってしまったっていうだけの話。
病院で死にそうになっているその人の母親のことを考えると、たくさんの感情が吹き出てくる。「かわいそう」とか、そんな簡単な話ではない。本当にいろいろある。本当に本当にいろいろあるんだな。
その母親がそういう状態になってしまったのが、その母親ひとりせいなのか。あるいは父親のせいなのか。症状に気がつかなかった友達のせいなのか。あるいは祖父、近所の人、母親の友達のせいなのか。それは絶対に「こいつのせいだ」って言えるような話じゃない。「そういう状況になってしまった」としか言えないと思う。仮にその母親が自殺してしまったとして、それは母親一人が「弱かった」せいなのか。そうじゃないと思う。絶対にそんなわけがない。じゃあ父親一人のせいなのか。それも違う。
友達のいたたまれない思いや、その母親の苦しみを考えたときに沸き上がる怒りを忘れちゃいけない。この状況を絶対に許してはいけない。誰が悪いとかじゃない。その「なってしまった状況」に対して怒りを燃やさないといけない。それは「死に抗うこと」にも似てる。
僕たちはいつも説明のつかないたくさんの出来事と、すごく複雑な人間関係にもみくちゃにされながら生きている。その結果人が自殺してしまったりすることを「その人が弱いから」と言って切り捨てていいわけがない。
「なんかよくわかんないけど猛烈に許せない」っていう気持ちを忘れちゃいけない。
自分が知らずに踏んで殺してしまったカタツムリを見て涙を流した幼い頃の気持ちに似てる。踏んでしまった自分への怒りだけじゃない。カタツムリが「死んでしまったこと」が許せないっていう気持ち。

今日は一気に曇って、めちゃ寒い。都内で雪が降ってるところもあるらしい。

いまは正月なので実家に帰ってる。「正月には実家に帰るべきか」っていうのは何故か疑う余地がない。そういうものだっていうふうに刷り込まれているし、それで良いと自分からも思っている。ツイッターとかみると「ちょっと居心地が悪かったり、つまらなそうにしつつも実家にいる」っていう人が何人かいて面白い。
ズボンのベルトがなくて、でもちょっと外出しなくちゃいけなくて、新聞を縛るようなビニールひもをベルト代わりにしようとしてたら母親に
「ちょっとなにやってんのよ。ベルトあるから。そんなの使わないでよ。何考えてんの」
と言われた。僕はほとんど無意識にそれをやろうとしてた。何かが足りないとき、かわりに手近にあるものを応用するっていうことを自然にやっているように思う。だから「何かが足りなくて結局やりたいことが出来なかった」っていう思いをした記憶はない。
ベルトがなかったらビニールひもを使ったり、爪切りの代わりにカッターを使ったり、筆記用具がなければ、地面に木の棒で描いてiPhoneで写真を撮ったり。
この感覚は小さいころ、寝る前に電気を消して、暗い中ふとんを自分のまわりに囲むように置いて、それを飛行機のコックピットとして「自分の部屋から空に飛び立って、敵を倒して自分の部屋に戻って来る」っていうのをやってた感覚と同じ。
そういうことをほとんど無意識にやってた。というか、なにかの目的のためにつくられたものをその通りに使うのはつまらないので、違う使い方をしたりするほうが楽しいと思っているし、そういうところでしか想像力を使う余地がなかった。
かゆいところに手が届きすぎるのは良くない。想像力が殺されるし、サバイバル意識も育たないので、絶対に良くない。

そういうことを考え続けるためにも正月だろうがなんだろうが家の絵は描きつづけないといけない。

1229 朝から昼間にかけて雨。午後は止んでた。寒い

1230 雲ひとつない位の快晴。ぐっと暖かくなった

1231 今日も快晴だし、全然寒くない。春みたい

高校の同級生で量子力学とか研究してる友達がいて、彼が
「この世界は32次元であるという説と33次元説があって、僕は32次元派」
というような話をしていて、全然意味がわからなかったという話を、彼と会った友達から聞いて大笑いした。
そのとき撮った彼の写真も見せてもらった んだけど、彼は山から下りてきた仙人みたいだった。

12月26日
東京は快晴。日差しのでているところなら耐えられるけど、日陰は寒い。
昨晩、東京駅の高層ビル群を眺めていたらなんだか怒りが底なしに湧いてきた。見れば見るほど腹が 立った。それは武者震いのようなものにも似ていた。

12月27日
今日も快晴。昨日より気温は低いかも。 近代美術館の高松次郎展を観にいって、最初にあった、鉄板の裏にランプが置いてある作品をみて、 突然ぐっと涙がでてきそうになった。他にも「この七つの文字」とか、本の見開きの全ての行に取り 消し線をいれるドローイングとか最高。高松次郎の仕事を年代順に3つに分けて、壁とベンチでやさ しくしきりながら展示していて、最後に全体を俯瞰するステージが設けられてて「これは作家として は嬉しい展覧会だろうなあ」と思った。

12月28日 快晴。風が冷たい。日差しにいるとすこし暖かくて気持ち良い。

今日も快晴で過ごしやすい気候。

遠藤一郎さんが突然現れた。「いまこのへんにいるから来た」みたいな感じで現れた。いっしょにカフェでモーニングしながら話した。彼もずっと移動生活をしているので、いろいろと話が合って面白い。おすすめの寝袋とかインナーとか教えてもらった。
「こっちの日々に流れがあるように、向こうの日々にも流れがあって、そのたったひとつの交差点で交わっているだけだから、その一点だけをみて相手の事を決めつけたりしないほうがいい。ただぼーっとみてるくらいの方が楽だし。」
っていうようなことを言われて、なんだかとても楽になった。僕と一郎さんが、こうやってたまたま時間と場所が一致してはち会って、ご飯を一緒に食べる、みたいなのは、その一点の交差点がとてもわかりやすいけど、考えてみれば生きてる人と生きてる人が出会うって言うのは全部そういうことなので、そのたった1点での交流がどうとかっていうのは気にしすぎないほうがいいんだな。それこそ南方曼荼羅みたいなもんだと思えばいい。生きるのがずっと楽になる。
こうやって日記を書くということも、日々の出来事を気にしすぎないようにするための防衛手段みたいなもんだな。日々出会う事を頭に全てとどめておいたら、正気でいられる自信がない。日記に書く事によって、いまこの瞬間が「1点の交差点」であることを確認できる。遭遇した出来事を消化して受け流す事ができる。生存戦略みたいなもの。

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今日飛行機で東京に帰省するので家をフンドーキンマンションの中にいれた。

薄い雲がかかっていて、昨日より少し寒い。昨日the bridgeから向かいのフンドーキンマンションに家を動かした。20メートルくらい。ブリッジは夜0時閉店で、遅くまでわいわいやってるし人通りもあるから
「自分の家に出入りするのがやりづらいなあ」
って思ってたんだけど
「そうだ動かせばいいんじゃないか。僕の家は動かせるんだし」
っていう事に昨日気がついて動かした。

最近になってますます、なにがなんだか全然わからない。この世界の何が問題なのか勉強すればするほど、なにがなんだか、なにが本当なのかなにが良いのかさっぱりわからなくて発狂しそうになって勉強をやめて、制作とお酒と睡眠と音楽で中和する。"音楽"しか信用できないっていう状態になるのも時間の問題な気がする。自分の目でみたことしか信用できないし、もう本当にわけがわからないので、やっぱり歩くしかない。地球が丸いってのも疑わしい。
そもそもいま自分が正気なのかも怪しい。考えぬいて「わかった」と腑に落ちたその瞬間、たぶん僕は発狂している。なにがなんだかさっぱりわからんていう状態がぎりぎりセーフな気がする。発狂直前の正気が、最も冴えている状態な気がするって前も書いた気がする。ニーチェは発狂して精神病院で死んだらしい。
1つだけ言えるのは、何か自分と異なった見解の相手に出会ったとき、それを「キチガイ」とか言って「キチガイの言う事だから聞くだけむだ」とか言って耳を塞ぐというのだけはやってはいけない気がする。右も左も関係なく、有名無名も関係なく、あらゆる人を自分の心の中に飼って、分裂症のような状態になって、それで「こうとしか思えない」っていう道が、ゆっくりとかろうじて開かれていく気がする。

今日も快晴。暖かいくらいの気候。

昨日寿司屋で話したことをずっと考えている。 僕は自分の活動について「ああ、なるほどそういうことね」っていうふうに"理解"されてしまうのが 嫌なので、家を持って道路を歩いてる時に「~してるんですか?」って話しかけられたら「いや、そ うじゃないんです」「そういう事でもないんです」「そんな簡単なことじゃないんです。それじゃあ そろそろ失礼します」っていうふうにやりとりを終わらせたいと常々思っている。
相手が「なんかモヤモヤするなあ」っていう気持ちのまま別れられたら良いと思っているんだけど、なかなか難しい。
適当な答えをして、相手に「なるほど」っていうふうに思わせてその場をやり過ごすみたいな戦略を簡単にとってしまう。相手の空気を乱さないようにしてしまう。
でも「腑に落ちる」っていうことはとても危ない事で、それは自分の想像力によって限定されている 世界に、相手を押し込めてしまうっていうことになる。そんなの絶対にどこかに誤解がないとできな い。絶対にどこかで相手を誤解をしないと「あ、なるほど」っていうふうにはならないはずで、だか ら「なるほど」って思ってしまうのは、相手に対して不誠実なことなんじゃないかと思う。 「わからないなあ」っていう気持ちのまま考えつづけるのが一番いいんだけど、それには体力がいる ので、僕たちはすぐに「なるほど」って腑に落とそうとする。テレビや新聞で自分のことが記事にさ れた時に生じる違和感はそれなんだな。あれはマスにむかって発信するものだから「わかりやすさが正義」みたいな体質があって、「視聴者が「なるほど」って思えないとマズい」みたいな自己規制が かかって編集がなされる。だから今のテレビとか新聞って「取材対象をどこかで誤解する」ことによって「発信が可能になる」っていう体質なんだと思う。

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散歩してる時にみつけた大分川の釣り人

快晴。昨日より少し暖かい。

昨年のフンドーキンマンションでの展示で知り合ったディレクターのれあさんに、寿司屋に連れてってもらって、4時間くらい震災のこととかこの移動生活のこととかテレビの未来のこととか話し た。
テレビは戦後の復興期に、大きなテーマというか「共通の幸せな未来像」みたいなのを掲げて視聴者を導いて、経済成長を後押しするために生まれてきて、そんな幻想がとっくに崩壊した今でも、未だ にその体質が抜けてないのでなんかおかしなことになってるんじゃないかって思っている。テレビの人に会ったら
「複数人の人をまとめて語ると必ず誤解とか差別とか無用な争いが生まれる。二人以上の人を一緒に語った時点でアウト」
っていうのをとにかく伝えたいと思っていて、話してみたらやっぱりそのへんの問題意識は持ってい て、それを聞けて嬉しかった。
最近特に、この国はいったいどうなってしまっていて、今後どうなっていくのか、もうさっぱりわからない気持ちがしていて、その気持ちもすこし共有できて嬉しい。もう何がなんだかさっぱりわからないから、とにかく歩くしかないと改めて確信できたし、と にかくすこしでも良くなるように頑張りながら生きていくしかないし、それはどんな仕事をしてても 同じだ。

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大分駅の裏側