今日になってキャンプ場に家族連れがどんどん増えて来る。なんで連休の二日目から混むんだろうと思ったけど、昨日は一日休んだり、テントを物置から出したりしてたんだろう。

どのテントでもおとうさんが大活躍している。子供はお父さんが一生懸命テントを貼ったりするのをみている。たまに手伝ったり、自分の仕事を探したりもしている。小さな女の子がお父さんに「はい、お父さんビール」と言って缶ビールを手渡す。お父さんはすごく嬉しそうにして「え、いただいちゃおうかなー」と言う。休日のキャンプ場。


昨日遊びにきた池田卓馬さんの家が種差海岸から7キロくらいのところにあったので、今日はそこに家を移動させた。

池田さんは学校で美術を教えながら制作活動していて、マンションに一人暮らししている。手慣れた感じでご飯をつくってくれたりする。

車や電車のようなドアtoドアの平行移動では、移動したという感覚が身体に沸き上がらない気がするという話をしたら、池田さんは「外食でご飯を食った気がしない」という話をしてくれた。あいだをすっとばさずに、ちゃんと調理しないとご飯を食べた気がしないらしい。これは僕の移動の話とつながる。

いつか、野花に詳しい人と一緒に高速で車に乗りながら花を愛でる会をやりたいとずっと思っている。100キロとかで走りながら、路上に咲いてる花をみて「今のはタンポポか?」みたいなことをやりたい。映像も撮りながら。

土地

床下

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起喜来から釜石に向かう。去年このルートはトラックで送ってもらったので歩いて通るのは初めて。
  
 トンネルが多くて、多分6本ぐらい通過した。いちばん長いやつで2キロくらいあったと思う。全国でも有数のトンネル多い地区だと思う。長いトンネルはこわいけど、出る時に生まれ変わったような気持ちにもなる。

釜石では去年も訪ねた知人の家のベランダの前に家を置かせてもらった。

  
土地

 

床下

  
間取り 

  
潮目の柱には

「起喜来 南区 復興拠点」

と描いてある。
起喜来の仮設住宅に住んでいるおばちゃんが「潮目を最初にみたときはこわくて違和感があって、嫌だなあと思ってたんだけど、あれは全部瓦礫でできていて、ひとつひとつの柱とかが前は誰かの家の一部で、そこには生活があったんだと思ったら、途端に違和感がなくなっちゃったの。」
と話してた。そのことは考えた事がなかった。潮目は、起喜来で失われたたくさんの家の集合体として建っていると思うと、また良いなあと思ったし、そういう目で見てくれる町の人がいるのも嬉しい。

  

昨日、起喜来のまちづくり委員会という有志の人たちがやってる会議を見学させてもらった。東京から建築家たちが通って起喜来の人たちが話し合えるよう指揮していて、もう20回以上開かれてるみたい。今回は主に復興工事後の町の植栽計画について話し合ってた。

「わたしたちのまちをどうしていくか」についてこうやって話し合うようになったのは震災後らしいけど、僕が生まれた東京の町ではこういう話し合いをやっているのは見た事ないので新鮮な経験だった。

 結構みんな積極的に発言していて、笑いも絶えない雰囲気。最後に「なにか意見がある人はいますか」というところで

「2ヶ月に一回でもいいから、みんなで草刈りをやる習慣をつけたほうがいいんじゃないか。今でもそれぞれでやってる人はいるけど、その日付を決めたらどうか。くさが茂っていたら、観光客向けのツアーを企画しても、来てもらう人にかっこがつかない。」

という発言があったりする。他にも

「駅前の看板が古いままで、いまでは無くなったものも書いてある。まずマップを描きなおさないといけないと思う」

という発言があり、それに対して

「できればスマホをかざしたら、『ここまで津波が来ました』っていう映像が流れたりするといい」

というアイデアを出す人もいたり。

  

 

土地
 
床下

 

間取り
  

しばらく東京に行ってた。今朝大船渡市三陸町起喜来に戻ってきた。大船渡町から20キロ弱北に進んだところ。大津波資料館「潮目」のある町。家は片山建設の事務所の軒下で預かってもらっていた。
潮目が増築されていることはフェイスブックで知っていたけれど、実物はやっぱりすごかった。去年よりもますます堂々としている。遠くからも異様さがよくわかる。

今日は僕を訪ねて東京から知人がきたので片山家のみんなに紹介したら、みんなでピクニックに行く事になった。最近わいちさんたちがよく行ってるらしい岬の先端。ベンチがひとつ置いてあって、ほとんど断崖絶壁で、下に台風で荒れてる海が見える。すぐちかくには、要塞もしくは「〜指令センター」みたいな形した、世界を救いそうな別荘が建ってる。

そんな非日常的な景色のなかで、わいちさんの妹の京子さんが陸前高田でみつけてきたという、鹿児島から自転車で来た獣医志望の若い旅人も一緒という不思議なメンバーでおいしいおにぎりを食べた。東京から来た知人は

「あとにも先にも、こんな景色の中でおにぎりをたべることはないと思います」

と笑っている。僕も東京から戻ってきたばっかりだったので強烈だった。さすが起喜来の人たち。パラレルワールドに連れて行ってくれる。どこにいても、それを思い出すだけで世界の中心がずれるような体験。潮目もそういう場所。

今日は潮目の増築された3階部分で寝る。

   
土地
 
床下
  
間取り
気温が17度前後しかない。寒いくらい。

今日の敷地は、大船渡市大船渡町野々田にある災害公営住宅の通路。以前から知り合いだった平山さんの部屋の目の前。すぐ近くに川が流れている。川に降りるための鉄製の手すりがひん曲がったまま残っていて、2011年の津波がここまで到達していることがわかる。
平山さんは最近まで仮設住宅に住んでいたけど、先月この公営住宅に引っ越してきた。

仮設住宅は、震災以前のご近所関係とは無関係に割り当てられていた。この公営住宅では震災以前から近所だった人たちが同じマンションに入っているので

「もとの近所関係に戻った感じがする」

と言ってた。
去年大船渡で仮設住宅のゲストルームみたいなところに泊まらせてもらったことがあるけど、外を歩く人と目線の高さが同じだったり、壁が薄かったりしたのであまり長期間は住みたくないなと感じたのを覚えてる。ここは壁も厚いし、ベランダもある。

平山さんは
「震災の前は独立した家に住んでたので想像もしてなかったけど、年とってからは、こういう集合住宅も便利だと思うようになった。昔は葬式なんかも家の中でやってたから、そういうときのための食器やなんかも全部家にあったけどいまはそういう時代じゃないから、使うこともない。家は広かったけど、普段暮らすのに使う範囲は、狭い仮設住宅で住んでた頃とあまり変わらなかった。」

と言ってた。

陸前高田の嵩上げ工事はいまはすごく暴力的に見えるけど、これが完成してしばらくして、その上に建物が立ち並んでいったら、この暴力性は地面の下の見えないものになっていく。小豆島でみた石の採掘場は、壮大に山をえぐってダイナミックな風景が出来上がっていた。だけど今では国産の天然の石は人工の材料におされて需要がないので、採掘場はほとんど稼働していない。ただえぐられた山だけが残っていて、哀愁が漂ってた。

また僕たちがいま見られる山は、ほとんど人工林でできている。これもかつて、将来木材を活用するために植えられた木が、輸入材におされて使われなくなって、大量に植えられた木だけが残っている。僕たちはこの景色に慣れてしまっているから、暴力的だとかは思わなくなってしまっているけど。

陸前高田の盛り土のような工事を、僕たちはこれまでずっとおこなってきた。ただ陸前高田の風景もいずれは採掘場や人工林のように哀愁が漂うものになってしまいそうで

  
土地

  床下
松崎萱のバイク屋さんからトラックで家ごと運んでもらって、陸前高田まできた。まずは佐藤種屋へ。種屋さんとは去年一度会っただけだけど、どれだけ元気をもらったかわからない。

高田も盛り土の山が増えていた。なんとなく、去年よりも街全体に余裕がなくなっている感じがした。そこにかつてあった町を想像するのも難しい。重機が動いていて、景色は茶色で、海も山も盛り土に阻まれて見えない。大きな生コン工場にいるみたい。佐藤種屋ももうなくなってるかなと思った。向かいにあったファミリーマートも土の山に変わっていたけど、種屋はまだあった。

お客さんが結構頻繁に出入りしているけど、佐藤さんともすこし話せた。僕のことは覚えていなかったけど、会ってすぐに「トマトは体に良いって知ってるだろ」と言って、店で育ててるトマトをくれた。そして「あの兄ちゃんにもあげよう」と言って、店の前を通りすがったお兄さんにもトマトをあげてた。
「まだ佐藤種屋あってよかったです」

と言ったら佐藤さんは

「でももう無くなる。ここも土に埋まるんだ。来年には無いぞ。ああ、死にたくなった。」

と言って笑った。

「東京の連中はもう復興が終わったと思ってるんじゃないか?なーにがオリンピックだー」

とも言ってた。
種屋を出てすこし歩いて、去年花壇があった場所まで行った。近所の住民の人たちが手作りで広げていった花壇。そこで知り合った人(こっちも佐藤さんという)が話すには「あそこにいけば誰かいるだろう」「行かなくても、あそこには誰か居るだろうと思えるだけで良い」と思える場所だった。その花壇も撤去されて土に埋められてた。

佐藤さんの家で、2014年の1年間撮影し続けてきた花壇の写真のスライドショーを見せてもらった。なんの予備知識もなく見ると、綺麗な花の写真と、それを手入れする人たちのほのぼのしたスライドショーに見えるんだろうけど、去年一度花壇を見ていて、今年それが土に埋まっているのを知っているというだけで、凄まじい映像にみえる。

嵩上げの工事も、花を植えるのも、土をいじるという点で同じことをやってるんだけど、花はショベルカーでは植えられないし、スコップで嵩上げ工事はできない。土を体積としてしかみなさず、何十トンていう単位で運んでいる復興工事と、土を花を育てるためのものとしてみなすのとでは、接し方が全然違くて、それがすごく大切な違いに見えて胸が締め付けられる。ショベルカーですくってダンプカーで運ぶ土と、手ですくう土は同じ土ではない。このスライドショーを人に見てもらいたい。

今日の敷地はその佐藤さんのアパートの脇。