美術作品のリースをしている京都のアルトテックと村上の共同で、パラソフィア(京都国際現代芸術祭)を広報する企画が始まってます。
アーティストが描いた家や建物の絵に派手な看板を合成でくっつけてポスターとかステッカーにするというものです。面白いです。

http://ouchinoirasutokakimasuyo.tumblr.com

昨夜、武蔵美生時代の師匠だった横山さんと京都で久々に話して、良いワークショップの話をきいた。
それは神戸の震災以降20年ずっと続いているワークショップで、美大生と震災経験者と神戸の子供 たちがみんな一緒になって、震災当時のことを話して体験を共有しながら布絵をつくっていくという もの。とてもいい作品の写真をたくさん見せてもらった。でも大事なのはそれらの作品が良いかどうかよりも、一緒に話をしながらつくったっていう体験が参加者の中に残ること。

京都はめちゃくちゃ寒い

仕事を頼まれて急遽京都にいくことになった。1週間くらい滞在する。家は大分に残していくので出張っていう形になるのかな。こういう滞在もいい。こういう移動もやれるときはやって
「これは旅なので村上のからだはいつも家と一緒にいる」
みたいな理解を宙づりにしたい。僕はただの「家が動かせるひと」だ。

iPhoneで新幹線の窓から外を撮ったとき、縦に撮ると普通に撮れるのに、横にして撮ると柱とかが 斜めに歪むという新たな発見

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何日か前に近所(ながいこと大分市中央町に居るので「近所」っていう言葉が自然にでてくる)で、カラフルな服を来た兄ちゃんと知り合った。彼は
「別府で店始めたんです」
と言ってヤバいチラシをくれた
これはいかねばならん、と思って今日行ってきた。

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サイコーな店だった!オーナーは僕と年が1つ違いだった。彼は基本的に旅人で
「ずっと"基地"が欲しいと思っていた」
と いう。別府にいい物件を見つけて、今年の元旦にオープンさせた。店内はクロマニヨンズとかオアシ スとか友部正人(?)とかがBGMでずっと流れてて、漫画喫茶でもあるし、カフェでもあるし、オ ーナーが描いた絵とか紙粘土の作品も展示してあるし、なんかいろいろな小物が並べられて展示されたりもしてる。
甘酒がサイコーに美味しかった。「朝見汁」っていう豚汁風の食べ物もいただいたん だけど、食べたら日頃の栄養不足が全部解消された。

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太陽の塔をあらゆる角度から撮った写真が大量にあったのも印象的

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暗くなるまで雑誌とか、ハンターハンター(ネテロがメルエムと戦う巻)を読んだりして過ごした。

また晴れている。昨日より少し寒いけど良い気候。
「いつまで家を動かさずにいるつもりだ」
っていう声がどっかから聞こえてきそう。20日間くらい家をこの近辺から動かしてない。いま「半定住状態」になってる。ここは居心地がいい。ネット環境も電源もあるうちにやりたい事もある。
でもそろそろうずうずしてくると思う。ずっと同じところにいるとうずうずしてくる。
文化人類学者の関野吉晴さんは「人類が誕生した地から移動していったのは、好奇心だと思う」って言ってた。
好奇心とは「うずうずする」ことなので、こういう時は十分にうずうずさせたほうがいい。うずうずが飽和して爆発したときに移動が起こる。

夜に、本にするために編集する作業を始めてみようと思って、1年くらい前の日記とか絵とかを見返していたら、読んでて苦しいけどとても純粋でシャープな文章にハッとさせられた。当時は絵も日記も書きなぐるように書いてた。絵は今のほうがずっと完成度が高いと思うけど、過去の絵からはすごく「描いてる人が追いつめられてる感じ」が伝わってくる。
文章はそっちゅう同じフレーズを使っていて読みにくい。当時は同じフレーズを書いてる意識なんて全然なかったのに、いま読み返すと同じ事ばっかり言ってる。おもしろかった。最初の気持ちを思い出した。

マンションのロビーでその作業をしていたんだけど、電気を消して作業していて気がついたら1時になってた。昨日変な物音でビビったばっかりなのに、夜中にその現場で一人で黙々と作業してた自分に笑った。

でも寝る時は家をマンションの外に出した。

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昨晩は昨日と同じようにフンドーキンマンションの中で寝たんだけど、明け方に目が覚めたときに、明らかにマンション内のどこかでドアが「ギー」って開く音とか、その近くで「パタンパタン」とか「カラカラ」とか金属製の物がぶつかる音がしばらくして、10分くらいで止んだ。いまこのマンションには誰も住んでないし、こんな夜中にくる関係者もいないはず。こわいのが、足音らしきものが一切聞こえなかったこと。なるべく物音を立てないようにして二度寝した。

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今日も晴れ。昼は昨日よりは寒いけど過ごしやすい。夜は風もあって寒かった。

道ばたでたまたますれ違った佐藤さん(フリーランスの情報系エージェント)に連れられて「コーヒーミーティング」っていうやつに参加してきた。そういう名前のウェブのサービスがある。毎週水曜日の7時から9時まで、毎回同じ喫茶店に佐藤さんがいて、そこに集まってた人で話をしてる。いつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。来なくてもいいし来てもいい。議題も決めない。ただ時間と場所だけを決めて人が集う機会をつくってる。

今日は僕を含めて7人の参加者がいて、全て男性。割とバラバラな年齢層だったけど、みんな僕より年上だと思う。職業は、一人デザイナーをやっているということは分かったけど、あとの4人は分からなかったし、みんな僕に職業を聞こうともしなかった。

最初はイングレスというグーグルが提供しているゲームの話。イングレスは地図ゲームで、現実の地図とネット上の地図がリンクしていて、現実を移動することによってネット上で陣取りをするらしい。グーグルはそうやってゲームにして街の生の情報を集めている。あと「ラインはなんで一気に普及したのか」とか「フェイスブックが最近テレビcmを打ち始めてきた」とかそんな話題があがった。

僕のとなりに座ってたおじさんの話が面白い。
彼は佐藤さんの「フェイスブック講座」をきっかけにしてフェイスブックを始めた人で、以前釜山に旅行した際、たまたま知り合った現地の女性とフェイスブックでつながった。その1年後彼が再び釜山を旅行した際にその女性が観光スケジュールを組んでくれて、現地を案内してくれた。お互い相手の言語が話せないので、スマホの翻訳機能で同時通訳をしながらコミュニケーションをした。すげえ話だ。
おじさんはとても嬉しそうに話をしてて「フェイスブックいい仕事してんじゃん」と思った。

後半は「2chで何かを叩く人たちはなぜ叩くのか」っていう話になって、いま社会では自分の理解できないものごとに対して不寛容な人がたくさんいて、ちょっとまずいんじゃないかっていう話題に。その話をしているとき「みんな傷つくのを恐れている」っていうセリフを繰り返しているメンバーがいて印象的だった。
その話がぐっと盛り上がってきたところで9時になって、コーヒーミーティングはぱたりと終了した。

家をフンドーキンマンションの中に入れたまま、家の中で寝た。

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東京から大分に戻ってきた。大分の大通り沿いにNHKが入ってる「オアシスタワー」っていう大きな建物があって、その一階の広場にいる。ここは暖房が効いていて誰でも入れて、イスもテーブルもコンビニもあるし静かにクラシックも流れてる素晴らしいスペース。こういう広場は貴重だと思う。人が集うし交流が生まれる。いままでたくさん町を歩いてきたけど「この町はすわるところがないなあ」って何度思ったかわからない。どの町を歩いていても座るところがないから、こういうところがあるっていうだけで、この町にまた来たいなと思える。

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年末年始で東京の友人たちとたくさん話した。人は変わるんだなと思った。僕が2年間住んでたアトリエ空鼠の現メンバーもみんなそれぞれ経験値を積んで、毎日少しずつ生まれ変わってる。空鼠は来年度以降契約更新するか未定らしい。空鼠はなくなるかもしれないけど、すぐ近くに新しい運動もおこっていたし、阿部はこれから本気でアートディレクターとして活動していく気らしい。10年以上つとめた職場を辞めて新しい人生に踏み出そうとしている人もいたし、高校の同級生で結婚してた人もいたし、この世界が32次元か33次元かで主張が別れるような世界に生きてる高校の同級生もいた。
僕は他人に対して「それじゃだめだ」って言えない。言いたいけど。自分の事を棚にあげて語る事が極端に怖い。でもそれに対して
「言えばいいじゃん。それを受け止めるかはその人が決めればいいんだから」
って言ってくれる人がいた。それでふっと楽になった気がした。そうだその人が決めればいいんだから、僕は僕の言いたいように話をすればいいのだ。これからはそうします。

そんで昨日、三ノ輪にできたウンドウというスペースで人と話をしている時に、大学時代に自分が置かれている環境に対しての怒りと焦りがあって、その同じ環境で過ごしている同期の人たちがあまりに能天気なことに対してすごく怒っていたことを思い出した。大学に限らない。自分の生活の仕方に対して無自覚だったり、人の幸せを勝手に決めて勝手に手を出そうとしたり、自分と他人の区別がつかなかったり、自分の不愉快を社会の不愉快だとか思っていたり、偏った妄想で物事を理解したつもりになって人に対して語り、自分が妄想でしゃべっていることに対して無自覚だったり。もう全然訳がわからないし、こっちがおかしいのかと思うことがあまりにもたくさんあって、そういう気持ちが口からでそうになってセーブするのに精一杯だった。とにかく、他者への想像力に欠けたふるまいが、この世界にはたくさんあって、「ちゃんとやろうや」っていう、そんな叫びたい気持ちを思い出した。

もう年末年始じゃない。時間が過ぎるのが早い。ふと気がついたらみんな過去の出来事になってる。とにかく今を追いかけるのみ。

1229 朝から昼間にかけて雨。午後は止んでた。寒い
1230 雲ひとつない位の快晴。ぐっと暖かくなった
1231 今日も快晴だし、全然寒くない。春みたい
0102 快晴。昨日ほど寒くないかんじ
上野でやばいヤツを見つけた。ピンクな映画館の正面に飾ってあったんだけど、顔のぺらぺら感と不自然につくられた胸とのアンバランス感が尋常じゃない。

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0103 快晴。過ごしやすい
0104 くもりときどきはれ。昨日と同じくらいの気温。すごしやすい 
上野公園の不忍池が凍っていて、鳥が立ってた。

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0105 超快晴。あったかい!
0106 東京から大分に帰ってきた。東京と同じく曇り。昨日より暖かい。地面が濡れてる。

すこし前に聞いた話だけど。友達の母親が死にそうらしい。頭がくらくらする。
その人の母親は父親の再婚相手。家には母と父と祖父が住んでいるけど、父親は仕事?で家にあまり家には帰ってこないらしい。母親は長年、家でひたすら留守番をする日々を送っていた。母親には友達付き合いがあまりなく、趣味もないし料理もあまりつくらない。ずっとテレビを見るか犬の散歩にいくかという生活をしていた。そんな生活のせいで、その母親は気がつくと重度の鬱病になっていた。病院に行って「かなり重度の鬱病です」と診断されてから、症状がますます悪化した。しかしその父親は奥さんを心配するどころか
「なんで俺はがんばってるのにお前はそんなふうになるんだ」
という態度をとっており、以前と変わらず家には帰ってこない。このままでは危ないということで、母親は入院させられたらしい。犬は母親が入院する前に死んだ。

友達は母親にあまり会ってないようだけど死にそうになってることは知っているらしい。その人は
「お正月も実家には帰らない」
と言っていた。その人は家族に対してある程度見切りを付けている。でもその見切りの付け方は、決して未練のないさっぱりしたものではない。その人は犬のことが大好きだったし、母親の事も祖父のことも嫌いだったわけじゃないはず。僕は、その人がその母親や父親や祖父と話してるところに何度も立ち会った事がある。会いたい気持ちがないわけがないと思う。たまたまそういう状況になってしまったっていうだけの話。
病院で死にそうになっているその人の母親のことを考えると、たくさんの感情が吹き出てくる。「かわいそう」とか、そんな簡単な話ではない。本当にいろいろある。本当に本当にいろいろあるんだな。
その母親がそういう状態になってしまったのが、その母親ひとりせいなのか。あるいは父親のせいなのか。症状に気がつかなかった友達のせいなのか。あるいは祖父、近所の人、母親の友達のせいなのか。それは絶対に「こいつのせいだ」って言えるような話じゃない。「そういう状況になってしまった」としか言えないと思う。仮にその母親が自殺してしまったとして、それは母親一人が「弱かった」せいなのか。そうじゃないと思う。絶対にそんなわけがない。じゃあ父親一人のせいなのか。それも違う。
友達のいたたまれない思いや、その母親の苦しみを考えたときに沸き上がる怒りを忘れちゃいけない。この状況を絶対に許してはいけない。誰が悪いとかじゃない。その「なってしまった状況」に対して怒りを燃やさないといけない。それは「死に抗うこと」にも似てる。
僕たちはいつも説明のつかないたくさんの出来事と、すごく複雑な人間関係にもみくちゃにされながら生きている。その結果人が自殺してしまったりすることを「その人が弱いから」と言って切り捨てていいわけがない。
「なんかよくわかんないけど猛烈に許せない」っていう気持ちを忘れちゃいけない。
自分が知らずに踏んで殺してしまったカタツムリを見て涙を流した幼い頃の気持ちに似てる。踏んでしまった自分への怒りだけじゃない。カタツムリが「死んでしまったこと」が許せないっていう気持ち。

今日は一気に曇って、めちゃ寒い。都内で雪が降ってるところもあるらしい。

いまは正月なので実家に帰ってる。「正月には実家に帰るべきか」っていうのは何故か疑う余地がない。そういうものだっていうふうに刷り込まれているし、それで良いと自分からも思っている。ツイッターとかみると「ちょっと居心地が悪かったり、つまらなそうにしつつも実家にいる」っていう人が何人かいて面白い。
ズボンのベルトがなくて、でもちょっと外出しなくちゃいけなくて、新聞を縛るようなビニールひもをベルト代わりにしようとしてたら母親に
「ちょっとなにやってんのよ。ベルトあるから。そんなの使わないでよ。何考えてんの」
と言われた。僕はほとんど無意識にそれをやろうとしてた。何かが足りないとき、かわりに手近にあるものを応用するっていうことを自然にやっているように思う。だから「何かが足りなくて結局やりたいことが出来なかった」っていう思いをした記憶はない。
ベルトがなかったらビニールひもを使ったり、爪切りの代わりにカッターを使ったり、筆記用具がなければ、地面に木の棒で描いてiPhoneで写真を撮ったり。
この感覚は小さいころ、寝る前に電気を消して、暗い中ふとんを自分のまわりに囲むように置いて、それを飛行機のコックピットとして「自分の部屋から空に飛び立って、敵を倒して自分の部屋に戻って来る」っていうのをやってた感覚と同じ。
そういうことをほとんど無意識にやってた。というか、なにかの目的のためにつくられたものをその通りに使うのはつまらないので、違う使い方をしたりするほうが楽しいと思っているし、そういうところでしか想像力を使う余地がなかった。
かゆいところに手が届きすぎるのは良くない。想像力が殺されるし、サバイバル意識も育たないので、絶対に良くない。

そういうことを考え続けるためにも正月だろうがなんだろうが家の絵は描きつづけないといけない。

1229 朝から昼間にかけて雨。午後は止んでた。寒い

1230 雲ひとつない位の快晴。ぐっと暖かくなった

1231 今日も快晴だし、全然寒くない。春みたい

高校の同級生で量子力学とか研究してる友達がいて、彼が
「この世界は32次元であるという説と33次元説があって、僕は32次元派」
というような話をしていて、全然意味がわからなかったという話を、彼と会った友達から聞いて大笑いした。
そのとき撮った彼の写真も見せてもらった んだけど、彼は山から下りてきた仙人みたいだった。