「そうではない状態」をつくりだすことによって、この世界を「そうである状態」につくりかえることができる。

[告知]

Art project Oita「循環」

期間:2013年11月9日~2014年1月5日
会場:大分市中央町3丁目3-3-19「the bridge」向かいのフンドーキンマンション4、5階

入場料:500円(期間中何度でも入場可)

参加作家:遠藤一郎、林千歩、平川渚、飯島浩二、SAVAKO、安東幸夫、水川千春、はまぐちさくらこ、秋山裕徳太子、村上慧、旅する服屋さんメイドイン、たろ、愛☆まどんな、雪野恭弘、小鷹拓郎、小野愛、篠原有司男

 

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大分での滞在制作から帰ってきて、すぐに風邪をひいて一日寝込んでました。37.5度の熱が出た。

帰りの未来へ号にのっている時点で、のどがいたくて、これは危ないと思っていたけど、未来へ号おりたあたりからだるくなってきて、家に着く頃にはもう完全に風邪ひいてた。

 

10月31日から昨日まで、大分市で開催されている「Art project Oita」に出品するため、大分市中央町にある「フンドーキンマンション」という建物で滞在制作をしていました。

Island Japanの伊藤さんと一郎さんからのお誘いを受けて参加したのですが、これがとっても楽しかったです。ただみんなでわいわいやって楽しかったというだけじゃなくて、参加作家として、ちゃんと制作ができたということをふくめて、充実した10日間でした。途中、2回くらい絶望に近い状態に陥り、夜中に走ってみたり、海まで散歩したり、ずっとやめていたタバコをすってみたりして、なんとか乗り越えて、作品に形を与えることができました。僕の制作部屋は5階だったのですが、フンドーキンマンションは、1階の次が4階になっているから、上の階の部屋に居ると地上との隔たり感が強くて、部屋にずっといるとどんどん孤立した気持ちになっていく建物でした。

最近は、映像編集の面白さにちょっとはまっています。映像の中では、例えば、町で掃除をしている清掃員を撮影して、その人が手を動かさないでぼーっとたっている瞬間だけを編集で取り出すといったことができる、みたいな、そんな映像制作の頭になっています。

 

今回の大分の滞在制作、10日間の短いあいだだったけど、古いビルにみんなで滞在して、それぞれの関係がとても密な状態で生活していたので、最後のお別れのときは、とても寂しい気持ちになりました。僕は最近までずっとバイトばっかりで、制作活動をあまりやっていなかったので、久しぶりに作家の人たちと交流して、緊張とか、不安とかで、まわりの作家さん達とうまくコミュニケーションがとれないという状態になってしまっていたけど、最終的に良い展示が作れたと思います。

また、一緒に仕事した作家さんたちの作品以上に、その振る舞いをみて、感動することが多くありました。

旅する服屋ともくんをみていて、僕自身が少し前までは、なにかと地域のコミュニティに入り込んでいくことを武器にしていたことを思い出した。地元の人が集まる居酒屋に通って仲良くなって、漁師の船に乗せてもらったり、祭りに参加したり現地の人と海に入って貝をとったり、持ち寄りの鍋をやったりして、とにかく地元の人と親密な関係をつくることを作品の一部にしていて、いまあのときみたいな動き方ができるかと自分に問うと、できないかもしれない、と思う。もう一度行かなくちゃいけない、というのが面倒に感じてしまったことが何度もあって、一度関係をつくってしまうと、それを維持しなくちゃいけない、という気持ちが勝手に働いてしまって、疎遠になった気持ちに”僕自身が勝手に”なってしまう。でも、ともくんや、一郎さんをみて、変に気を使うことは、相手にとっても自分にとってもよくないことになるのだと、改めて思った。

小鷹拓郎さんは、「自分のフィルターを通した他人の話」をするときに話し方のスイッチが切り替わる感じがあって、それがもろに今回の「401号室の元住民の展覧会を開催する」という作品に現れていて面白かった。飯島さんの作品もかっこよかった。一郎さんのもよかった。

女性作家の人たちのかっこよさにも痺れた。さくらこさんが来た初日に、部屋をのぞいてみたら床に寝ていて、その姿に作家としての覚悟みたいなものが見て取れて(というか勝手に僕が見て取ったんだけど)痺れた。さくらこさんもだけど、愛まどんなさんとか水川さんもずっと一貫したスタイルでぶれずに制作していて、その振る舞いもとてもかっこよかったし千歩ちゃんかわいかったし。

裏さんたちをはじめ、別府に滞在中の小野さんとかコーヒー屋のさくらとか、チェリーさんとか、大分を拠点として活動している人たちと仲良くなれたのも嬉しかった。しかも、なんと僕の学生時代に仲良くしてもらっていた先輩が、フンドーキンマンションの近くの飲食店立ち上げに深く関わっていたらしいということが、大分から帰ってきてからわかって、展覧会のクロージングで会う約束をした。これから何度も足を運ぶ場所になっていきそうな気がする。

 

僕はこれから、風邪をなおしつつ、自分のプロジェクトのための「練習」をはじめようと思う。この世界を、僕の活動に反射させて、大きくうつし出すために。

今回の滞在で戦っている人たちと再会できて本当によかった。「たたかっている人たち」と久しく会っていなかった気がする。またみんなと再会できるようにがんばる。

清掃員村上2

 

Art project Oitaでの展示の際につくった映像です。

 

 

ターナー展メモ

印象派などのモダニズム絵画が生まれる直前の時代を体現した画家という感じ。

光がまぶしくて、目が疲れた。

10代の頃描かれた絵画もいくつか展示してあったけど、若い頃から超絶的に絵が上手くて、理髪店の息子だとは思えないストイックさだった。初期はロイヤルアカデミー向けの写実的な作品が多かったけど、地位を確立していくにつれて、どんどん抽象的な画面になっていく。

晩年になるほど形の輪郭が崩れていって、どんどん狂っていった。特に最後に展示してあった絵が、、

歴史画よりも劣るとされていた当時の風景画の地位を上げるために、歴史的な主題を扱ったかのようなタイトルをつけて、画面の端っこにおいて、後ろに壮大な風景を描くという手法もとっていた。

 

美と崇高を志すピクチャレスクな画面を追求し続けた。

画面と向き合うと、風がふいて来る感覚。

 

 

台風が原因で福島原発で事故が起きて、関東に放射性物質を含む緑色の灰が大量に降ります。とアナウンスされている恐ろしい夢を見た。被っても直ちに健康に害はありません、と付け足すあたりが嫌にリアルだった。

 

 

2013年10月18日26時56分

 

イタリアから帰国して少し日があいてしまった。

いまこの時間でも頭が冴えている。今日の昼に6時間近く寝たから当たり前だ。これは時差ぼけなのか。夜にうまく眠れない。がんばって寝てもまた昼に眠くなる。

今回のビエンナーレの企画展は、イタリアのMarino Auritiという作家が構想した「The Encyclopedic palace of the World」(「全世界の博物学的宮殿」みたいな意味)というものから着想を得ていたらしい。アルセナーレ会場の一番最初の方にあった大きなタワーの模型のような作品は、そのモデルだそうだ。帰国してから知った。。

 

14日の15時50分の便でイタリアを出発して、15日の17時過ぎに成田空港に着陸した。帰りの飛行機の中で「MAMA」というホラー映画と「俺はまだ本気出してないだけ」という映画をみた。着陸の瞬間はBruce Springsteenの「Born to run」を聞いていた。

MAMAという映画がとても良かった。ギレルモデルトロが制作に関わっているらしいのだけど、ホラー映画の王道のようなストーリー展開をしながら、ラストで裏切られる。映画の中に不自然なところがない。なにか、あるシーンを生むために、登場人物にすこし無理をさせたりするようなことがほとんど無かったように思う。医者の先生が、一人で夜に山小屋に向かうところはちょっと?だったけれど。

最後の、MAMAが、自分の子供の遺骨を放り投げるシーンは衝撃的だった。人に勧めたい映画。

 

イタリアはとても楽しかった。後半は、ちょっと疲れたけど、帰りたくなかった。

町を歩いていて、看板も読めないし、歩いている人の会話の内容もわからないような環境にいると、自分が、本当は何が言いたいのか、何がしたいのかを、すこし深く考えるようになる。これがトレーニングになる。やっぱり、日本だけに居たらだめだ。

 

帰国してから、それまで以上にツイッターやFacebookを見るようになった気がする。なにか書き込みたいのだけど、何かが邪魔をする。これは本当に書き込むに値するものなのか、とか、そういうことをすごく考え込んでしまうし、ツイッターとかFacebookをやっていない人のことがもはやうらやましいと感じてしまうのだけど、なんでこんなことになってしまったのか。行き止まり。行き止まりだ。最近寒くなってきた。もうすぐ秋になり、葉っぱが落ちて、すぐに冬になっていく。僕の生活は死ぬまで続くだろう。この閉じた輪の中から逃げようとする試みも、すぐに僕の「生活」となってとりこまれてしまう。

革命をするのではなくて、僕の心と態度の問題だ。

言語を•貨幣を•服装を•文字を•身振り手振りを

1何か別のものに置き換える

2消し去る

3もう1つ追加する

 

もともと、僕たちは移動しつづけながら、狩りをして暮らす民族だったと仮定する。

ナウマンゾウなどの大型動物が、環境の変化に対応できず、絶滅してしまったあとの話。小振りな動物が増え、それを狩るために石器が発達した。また、狩った動物や、水を保存するための土器が作られるようになった。持っている物が少なかったから、動物達を追いながら移動が容易にできたころと比べて、土器がたくさんつくられるようになったりして、物が増えていくと、移動が困難になってきた。せっかくつくった土器を、捨てて去る訳にもいかないので、僕たちは定住をすることにした。共同体で集まって家を建て、食料を保存して冬を乗り切ったりした。そして多分、このときに「留守番」という役割が生まれて、「退屈」という概念も生まれたように思う。定住するということは、周辺の環境との関係をとても大切にしないといけない。昨日と同じサイクルを、今日も繰り返すことに神経を集中しないといけない。「生活」の閉じた輪がここから始まったように思う。

物が多くては、移動ができないというのは今も同じで、今では、物の生産が至上の価値であり、物の所有が社会的なステータスとなっていた時代の名残で、とてもたくさんの物に囲まれてしまっていて身動きがとれず、移動ができない。移動ができないというのは、たぶん想像力を殺す一番の方法なので、僕の知り合いの母親は鬱病になったりしている。

「留守番」と「鬱」には強い結びつきがある。つまり、定住と鬱には強い結びつきがある。

 

その後、農作が始まり、自分達の農地を持つようになった。すると、ほかの共同体との境界が生まれる。

そこから縄張りという感覚が生まれ、本格的な定住生活がスタートした。

聖徳太子以前の世界、豪族やら小国がたくさんひしめいていた時代。

大化の改新後、天皇を中心とした中央集権的な統治が始まり、土地は民に「貸し与えられたもの」という考え方が浸透した。貸し与えられた土地を、民は開墾する義務があり、その収穫から税収も行われた。

しかし生活が苦しく、土地を投げ出す者が多くなった。そうすると税収は減り、土地もだめになっていく。そこで、墾田永年私財法により土地の私有を認めることとなった。このとき最初の「土地の所有」という概念が生まれた。

2013年10月14日9時10分

 

また日記を書くのを忘れて眠ってしまった。エンデの「はてしない物語」を読んでいたらいつのまにか寝ていた。

今日いよいよ帰国だ。これからお昼の飛行機に乗って、日本に着く頃には15日の夕方になっているらしい。

昨日の夜、メストレの北側からホテルに帰る途中、お兄さんに「Can you speak English?」と聞かれて、「a little」と答えたら、道を聞かれた。「メストレセントレ」みたいな名前の場所へはどう行くんだ?と。僕が何日か前にたまたま通りかかった場所だ。僕は「I know.But I dont know way to go..sorry」みたいに答えた。

彼は「thank you」と言って、それで会話は終わったのだけど。終わってから驚いたのは、一度日本語で文章を組み立てること無く、いきなり英語が口をついてでてきたことに気がついた。帰りながら、もっと(たとえばI had been there.place like a market.But I don’t know the way to go.sorry.I only say.that place is there.not hereみたいに)ちゃんとした文で伝えられたらな、と思ったけど、でも突然英語が出てきたのにうれしくなっていた。そうだ。たぶん住めば話せるようになるのだ。

 

昨日は、ユーロスターイタリアにのって、ヴェローナに行った。片道一時間くらい。チケットは23ユーロ。

ヴェローナで、スカルパが50年くらい前にリノベーションした「カステルヴェッキオ美術館」を観てきた。

古いお城(700年くらい前に建設されたものらしい)を、美術館に改修したもので。これが素晴らしかった。

すこし建物に気をつけながら歩いていると(どこまでが既存の部分で、どこからがスカルパが手を加えたところなのか)じわじわとこみ上げるような感動がわいてくる。古い石の壁や床や天井に、鉄の躯体や扉や梁が、やさしく寄り添うようにくみ合わさっていて、スカルパがながい期間をかけて誠実に設計に取り組んだ様子が目に浮かんできた。とくに、屋根が途中で終わっていて、まだ工事中なのかと思わせるような部分があったんだけど、そこの止め方のセンスが鳥肌もので、まるで、まだこの建物が完成していなくて、さらにまた次世代の人たちがこの建物を引き受けて改修を進めるのを待っているかのようなたたずまいをしていた。

展示物の量も多くて、14世紀~18世紀くらいのイタリアの彫刻や絵画を展示していたのだけど(フランドル派とか)、こんなにたくさんのものが、お城と一緒にちゃんと残っていることが新鮮で、後にみたAnfiteatro Arenaのレンガの壁が薄っぺらくて今にも崩れそうな感じで何百年も残っている様子も印象的で「地面が揺れないから、千年前に積んだ石が今も崩れずに残っている土地」なのだと思う。

そのあと町をふらふらして、中華料理屋でたくさんのビールと一緒にご飯を食べたのだけど、このビールが余計だったのだ。。店を出てすぐに、トイレにいきたくてたまらなくなり、駅まで急いでいったのだけど。。

帰りは、各駅停車(レジョナーレ)でメストレまで帰ってきた。こっちのH&Mで下着を買って、帰りがけにまたバーピッコロで、パスタとカプレーゼを食べた。ビールも飲んだ。この感じのいいおじさんのお店で食べられるのもたぶんこれで最後だ。とてもいいお店だった。チャンスがあればまた訪ねてみたい。

 

殺すな。と強く思った。

みんな生への意志として運動しているだけなのだ。

だから殺すな。誰も殺すな。

2013年10月12日19時30分

 

生活がある。それだけでなんだか笑えてくるし、感動する。彼らが何を話しているかは全くわからないけど、彼らの生活を思うと、すべてがわかるような気もする。

夫婦でお店をやっている(そのお店も、レストランだったり、雑貨屋だったり、お菓子屋だったり、本屋だったり)中をのぞいたりしてみると、彼らがお店の中でレジのお金を数えていたり、なにかを見ながら話し合っていたり、また、何もしゃべらずとも、二人の動作が、長い年月をかけて出来上がった信頼関係を物語っていたりして、彼らはここで生まれて、二人が出会って、お店をやって今にいたる。親戚も友人もいて、たまに会ってはさわがしく会話を(みんな本当に感情豊かに話をする。声も大きい人が多い。)するのだろうと思うと、それだけで笑いと感動がこみ上げてくるような気がする。

むしろ、言葉が通じないからこそ、そういう仕草から読み取れるものが多いし、僕も、言葉が通じないからこそ、自分が何を言いたいのかがより明確になるというか、そんな気がする。

町をあるいていても、書かれている文字はほとんど読めないし、すれ違う人の会話もまったく聞き取れないけど、彼らの表情から、言葉が理解できるときよりも、より多くを読み取れるような気がする。

ここにきてよかった。いろいろとコンプレックスを感じることは多いけど、来て本当によかった。こうやって、いろんな地域を2ヶ月くらいずつ転々としてみたい。

 

こっちのお店は、それぞれ看板が個性的だとか、自分のお店の名前を全面に押し出したりだとか、そういうことをしないようだ。本当にすぐ会話がはじまるので、それで十分なのだと思う。どのお店も似たような顔をして通りに面しているのだけど、そんなことは問題じゃないんだと思う。人が看板になっているという感じがする。

 

今日はミヤケマイさんに教えてもらったMURANOという島のガラスの美術館に行ってきた。「White light,Whight heat」という展覧会をやっていて、これは僕の好きなヴェルヴェットアンダーグラウンドの曲名と同じだと思ったら、案の定それへのオマージュとして付けられたタイトルらしい。良い展覧会だった。ガラスを素材として使っている現代美術を集めて展示していて、どれもよかった。美術館(多分もともとガラス製品をつくる工場だったのだろうと思う)の空間と、展示作品の相性がとてもよかったような気がする。こんなキュレーションもあるのだ。本当に面白い。

 

そのあと、すぐそばのレストラン「B」(この店もミヤケさんに教えてもらった)でパスタと赤ワインで昼食をすませて(ついに、ピザとパン以外のものを食べた!おいしかった!ちょっと高かったけど!)また船に乗って、今度はプンタデラドガーナに行った。Tadao Andoが古いお城(か教会?)を美術館に改装したところ。

ここでは「Prima Materia」という展覧会がやってた。名前がごついので、大きな美術館かと思ったら、意外と小さかった。「もの派」を思い浮かべればわかるのだけど、素材の素材性をあつかった作品を「もの派」の時代(リーウーファンとか、ジュゼッペペノーネもいた)から、ごく最近の作家の作品まで集めたような展覧会。荒川周作の平面作品もいくつかあった。面白かったけど、ちょっと点数が少なかったかなあ。知らない作家ばかりだったので、これもあとでリサーチがいる。ブルースナウマンの「No,No,New Museum」という映像作品が印象的。

 

4時前には美術館を出てしまったので、そのあとはずっとまちをふらふら。。。

10月11日20時40分

こっちにきてから4日目が終わるが、今のところピザとパンしか食べていない。飽きた。

今日は朝ホテルでパンを食べて、昼にベニス本島の「PIZZERIA RISTORANTE AL PROFETA」というお店でオリーブピザを食べて、夜には昨日行った「BAR PICCOLO」で昨日と違うピザを食べようと思っていたのだけど、なぜかとても混んでいて、お腹もそこまですいていなかったし、ワインとおつまみも買ってきているし、ピザにも飽きていたので、結局入らずにホテルに帰ってきた。

というかイタリア人はピザを食べすぎで。ヴェネチア本島に「PIZZA」という看板を掲げて商売するのはわかる。観光客相手に、イタリア名物のピザを食べてもらおうという気持ちはわかるけど、僕が泊まっているメストレは割と住宅街で、現地の人が多いはずなのだけど、そんな町の店にも「PIZZA」という看板を掲げているのはどういうことなのか。日本でいうところの「米」という看板を掲げて商売しているようなものだと思う。本当にこっちの人はピザ(かパスタ)をそっちゅう食べる。少なくとも外食では食べているように見える。昼も夜もピザを食べる。しかも一人一枚食べる。それでも「PIZZA」という看板をみたら「あ、ピザいいね」という感じでお店に入っていくような感じだ。飽きろよ。ピザに飽きろ。

まあまだこっちにきて全然日が経ってないので、見えていない部分がたくさんたくさんあるのだろう。どんどんみたい。あと2ヶ月くらいはこっちに滞在していたい。1週間ではちょっと短すぎる。ようやくスーパーでワインとおつまみを買ってホテルに帰って、それを飲みながら日記をかくくらいのことができるようになってきたのに、もう明々後日には帰国だ。スーパーではお会計の時に「ディエチ」という単語は聞き取れた。ディエチとは10という意味だ。ディエチのあとに続く言葉は全く聞きとれなかったけど、ディエチは聞き取れたので、とりあえず11ユーロだしておけば間違いない。あとでレシートを確認したら、10.68€(10ユーロ68セント)だった。つまり「ディエチ セッサンタオット」と言ってたはずだ。あとから考えると、そんなふうに言っていたような気がする。

さて今日は、まずアルセナーレの会場にいってカタログを買ってきた。一緒に紙袋も買おうと思ってお願いしたら店員のかっこいいイタリア人のお兄さんが「いまこれしか無いよ」と言って「Electa」「www.electaweb.it」と書かれた紙袋を見せてきた。僕はオッケーといってそれを買ったけど、いま考えると「Electa」って何だ。協賛企業のところをみてもその名前は無い。よくわからない。

そのあと、「Imago Mundi」という、Gallery out of placeのみなさんに教えてもらった関連展示をみにいこうとしたのだけど、場所がわからなかった。。人に聞こうとしてもどう説明すればいいのかわからない(というか、建物名や住所を言ってもわかる人はほとんどいないような気がする)し、時間もあんまりなかったので諦めてしまった。

そのあと、噂の「When attitudes become form」をみにいった。10ユーロ。これは、、なんだか複雑な気持ちになった。。かつてベルンで行われた展示を、ベニスに持ち込んで再現した展示で、ベルンの時の展示空間(壁とか柱とか)と、ベニスの会場に挿入して展示していた。例えば、既存の壁にちょうどあてはまるところはその壁に展示して、壁が無いところには壁をつくってその壁に展示したりしていた。よくやったな、という感じ(何様)だったけど、なんだか「あちゃー」という感じもあった。でも、彼らが、デュシャンやウォーホルと同じように、美術を拡張して、この時代をつくったおかげで、僕たちの時代につながっているのだと思いながら眺めた(この展覧会は「作品をじっくり観る」ということができなかった。いたるところにスタッフがうろうろしていて、作品に近づいたり前でしゃがんだりするとすぐに注意がくる。作品そのものも、デティールをじっくり観る、というタイプのものは無かった)。ただ、このキュレーションの仕方だと、なんだか「ボイス一派」という風に観れてしまうという、あたり、さすがボイスだと思った。ボイス(ボイスの有名な「部屋の角を油(?)で埋める系」の作品をみれたのは良かった。でも、その部屋が「展示空間を再現するために仮説で作られた壁」だったのが残念、というかこれアリなの?)、リチャードセラ(セラの、鉄板が壁にたてかかってる作品はとても良かった。)、リチャードロング、ウォルターデマリア(荒野に線を引いてねっころがっている写真はかなりヤバかった)、ダニエルビュレン、ジョセフコスース、ブルースナウマン(ナウマンはどうしてもわからない)、デニスオッペンハイム、ロバートスミッソンなど知っていた名前と、その倍くらいの知らない作家たちが展示していた。

カタログを買おうか迷ったけど、ちょっと高すぎたのでやめました。

その後は「UNATTAINED LANDSCAPE 未完風景」という、日本財団がやってる展覧会を観に行った。これがとても良かった。

小泉明郎さんの映像が素晴らしくて、インタビュアーが質問して、それに対する答えを、東京で撮った映像の声を一単語レベルで分解して、小泉さんがつくりあげた答えになるように編集された映像と、それの裏側には口以外の部分を覆われた人が話す映像。牧野貴さんの映像と、もう一人葉山嶺さん(?)の映像も素晴らしかった。David Peaceの「Occupied City」という作品も良かった。

あと米田知子さんも、写真美術館でみたばっかりだったけど良かった。「窓から外を見ているかのような写真」はヴェニスでも健在だった。ティラヴァーニャの作品がよくわからない。展示案内図には書いてあったけど、そもそもあったのか自信がない。天井に二つスピーカーがついていたからあれの可能性が高いけど、特に音は聞こえなかったように思う。係員に聞く気にもならず。。あと、映画監督の松江さんが撮った前野健太さんのドキュメンタリーが「ジムオルークが選んだ6本の映像作品」の1つとして上映されていて、僕がそうとしらず、映像をろくみ見ないうちにヘッドホンをつけたら、「天気予報」が流れてきて、びっくりした。ずっと聞いていたら、あとでギャラリーのおばちゃんもヘッドホンをつけて鼻歌を歌いながら「これ私たちも好きよ」みたいなことを言ってくれた。

 

そのあと、金獅子賞を取ったアンゴラのパビリオンをみたけど、これは作家の力ではなくて、完全にキュレーターの力によって受賞していると思った。そもそも審査員がキュレーターが多いので、キュレーションの面白さというか、そういう価値判断の基準を取ってしまうのは仕方が無いと思うけど、僕はアンゴラ館はよくわからなかった。現地で撮った写真とカタログを観ながら、これからあらためてアンゴラ館で行われたことを検証してみたいと思う。

今回ビエンナーレを観て、美術の表現は、基本的に個人の作家が行うこと、という、僕がこれまで「主要な考え方」だと思っていたものは、もはやとっくに無くなっていたのだと思った。もちろん個人の力で成し遂げられた表現もたくさんあるのだけど、同時に(特に映像作品に多かったことだと思うけど)様々な分野の人が関わりながら、1つの作品を完成させる体制が当たり前になっている。映像を作ろうとしたとき、音楽をやっている人も参加するし、カメラマンも参加するし、俳優も編集者も参加する。最初のアイデアは一人の作家から生まれたもの(それもどうなのかちょっと怪しいけど)なのだろうけど、どんどんいろんな人が巻き込まれながら、まるで映画の制作過程を辿るかのように映像作品がつくられていく。でもそれは「美術」という路線で発表されるので「売買」や「展示」の対象になる。「映画館で順々に上映する」という風にならない。

映像なので始まりと終わりとがあるのだけど、美術として展示される以上、途中から入ってもいいし、途中で出てもいいように展示されることが多い。なぜならそれは「美術館に置かれている"作品"」だから。「彫刻」や「絵画」と同じように扱われるから。(こんなことを前に誰かも書いていたような..)

この世界では、制作だけでなくて、キュレーションも同じくらいのウェイトを占める大切なことなのだと感じた。むしろヴェニスビエンナーレではキュレーションの方が若干優勢気味?

作家が作ったものを、どういう言葉とともにどういう路線で打ち出していくか、あるいは作家の"組み合わせ"によって、何を伝えていくか。その競い合いがヴェニスビエンナーレの核になっていると思った。企画展の中の作家に「~ exhibition curated by ~(作家名)」というタイトルの作品もあった。

 

 

ヴェネチアは日本で言うと築地と京都を足したような町だ。人柄は築地で働いている人たちに近い物を感じる。路地の感じとか、観光客と現地の人がごちゃごちゃに歩いている風景は京都に近いものを感じる。

そしてパステルカラーの町だ。カラフルなのだけど、彩度は高くない建物がたくさん並んでいる。こんなに複雑な路地には何か訳があるのか。地の利を持つ人はこの町ではとても有利だと思う、戦いの時とか。地図で現在位置を確認して、歩く方向を決めてから歩き出しても、地図から目を離すとあっという間に迷ってしまう。迷ってしまっても楽しいまちなのけど。路地をうろうろしてたら、突然巨大な広場に出くわしたり、川や海に出くわしたりする。

また、建物の基礎はどうなっているのか、海水で基礎がだめになってしまわないのか。まちはいつつくられたのか。都市計画のようなものはあったのか。いろいろと帰国して調べたいことがでてきた。

帰りにスーパーによってみたけど、生ハムと、チーズと、パスタとオリーブオイルとワインの品揃えが豊富だった。パスタとワインがやすい。

2013年10月10日20時58分

今日も日本語を話すグループと2,3回すれ違った。親子っぽい女性2人組とか、5人くらいの家族連れとか。

さて今日はヴェニスビエンナーレのジャルディーニという会場をまわってきた。各国のパヴィリオンがたくさんあるのはこっちの会場だけど、こっちにも企画展があった。そこから観て回った。この「Encyclopedic Palace」という企画展は、昨日「いろんな表現を集めた」と書いたけど、正確には大竹伸朗の「Scrapbook」とか(実際に展示してあった)を想像すればわかるのだけど、博物学的な「各作家がある一定のフォーマットを設定して、そのフォーマット内でいろんな表現を量産していく」ような、収集癖的な作品をたくさんあつめたような展覧会、という感じがする。大竹さんのように町に落ちているものを集めただけではなくて、同じ大きさの紙にいくつものドローイングを描きつづけたものを展示したやつとか、おなじ大きさのスクリーンにたくさんの映像(自分のスタジオで撮った映像とか、つくった映像とかいろいろ)が流れているのを並べた展示とか、粘土とか紙とか箱とか本とか、いろいろあったけど、作家が一点物で勝負しているのはすくなくて、ほとんどがシリーズ化された作品だった。

この展示はとても面白かった。ひとつひとつ読み解いていくと一週間じゃとても見切れない。帰国したら、この作家たちがどうしてこうなったのか、読み解いていかなくちゃ。明日ショートカタログを買おうと思う。今日買っちゃえばよかった。。

各国のパヴィリオンの方は、イスラエル館が優勝だった。どこか遠くの草原を遠くから撮った映像(たぶん、穴を掘り始めた最初の地点を表している。ベネチアではないと思う。)と、穴を掘って進む映像と、進んだ末にイスラエル館内部にたどり着く映像と、穴から出て、なぜかそれぞれの顔の粘土の彫刻をみんなでつくって、そこにマイクをぶっ刺して、マイクに自分の「あ~」という声を吹き込む映像と、それをDJっぽい人がミックスしてる映像が展示してあって、粘土の彫刻も展示してあって、そしてすべての映像が8分くらいにまとまっていて、同時に終わって、同時に始まる。すごい展示だった。声を吹き込む人たちの表情が、なぜかみんな悲壮を感じさせた。その表情がすごくリアルだった。そして、穴をほって地下からヴェニスに乗り込み、そこで自分の顔の彫刻をつくって声を吹き込み、その声を館内に響かせる、という一連の流れが、とても明快に伝わってきた。

ほかには、フランスのアンリサラとか、イギリスのジェレミーデラーとかも良かった。ジェレミーデラーの「Ooh-oo-hoo ah-ha ha yeah」という作品(作品なのか?)なんか、とてもイギリスらしいなと思った。イギリス独特の、一周回りすぎちゃってる感じだ。

ルーマニアの、4人くらいの人がずっとパフォーマンスしている展示も面白かった。英語か聞き取れないので断定できないけど、パフォーマーが、現代美術(あるいはヴェニスビエンナーレ?)の歴史を順を追って説明しながら身体表現を行うような展示。パフォーマー以外には展示室には何もない。

とにかくみんな国の威信をかけてお金と労力をつぎ込んでいるような展示だった。でもオーストラリアの展示だけは、展示物がはがれてたり、室内に吹き込んだ落ち葉とかがそのままになってたりして、なんか汚かった。。

日本館の田中さんの展示もよかった。建築展のときの室内をある程度残したまま、自分の展示を挿入していて、それがまずリアルだった。田中さんは「5人の詩人で1つの詩をつくる」とか「5人のピアニストで同時に1つのピアノを弾く」とか「9人の理容師で同時に1人を散髪する」など「ひとつの出来事を共有する」みたいなことをテーマに、いくつかアイデアを出していて、その映像や、写真を展示していた。それらの映像から伝わるものは、僕にはとてもリアリティがあったし、田中さんも、美術のお面を被りながらも、日本を背負って表現していたような気がした。これが特別賞をとったというから、なんか安心というか、これもちゃんと評価されるのか、と思った。

昨日と今日で主要の2会場を回って、僕はまだ力不足だけど、決して届かない場所ではなかった気がする。おめでたい頭である。ブックショップに、僕の名前が冠された本が並んでいるのはなぜか想像できなかったけど。

とにかく展示をたくさん見ると自分も作りたくなる。がんばろう。

 

それと、今日ようやくホテルのそばのBarでマルゲリータとビールをのむことができた。だから今日はお腹いっぱいの状態で眠ることができる。幸せ。一昨日はそばの売店でビールを買うので精一杯で、昨日はその売店でビールに加えてポテチみたいなお菓子を買うので精一杯だったのだ。今日ようやくご飯を食べることができた。こっちの人は、ピザを一人で食べるのだ。「みんなで分け合うに限るもの」という考え方がない。味もだけど、考え方もとにかく大味の人たちだ。

あと各駅停車の電車の席も、日本みたいに横に並ぶ感じじゃなくて、4人1組のボックス席だ。さすが広場がある国だ。

 

しかし言葉が通じなさすぎて、悲しいというか、悔しいというかもう笑えてくるのだなあ。英語はやっぱり、普通に使いこなせるようにならないとだめだ。これだけで全然違う気がする。

到着三日目にして、ようやく「間違えてもいいし答えが聞き取れなくてもいいから話しかけてみる」ということができるようになってきた。サンマルコ広場で缶ビールも買った。これは高かった。4ユーロもした。でも僕は高いと感じなかった、というか、4ユーロくらいの価値は優にあった。オーソレミーオが近くのレストランの野外ステージで演奏されていて、日の傾いた空と、広場を歩く人々を眺めながらのむ缶ビール(どこ産かはよくわからないけど)は最高でした。

2013年10月10日8時04分

昨日酔っぱらって日記を書くのを怠ってしまったので、いそいで今書く。

ヴェニスビエンナーレに行ってきた。まず、僕の泊まっているホテルの最寄り駅「Mestre」からヴェニス本島の「Santa Lucia」まで電車で行かなくてはいけないので(バスもあるけど高い)そこのチケット売り場で買おうとして英語で話しかけたら、イタリア語で返事をされた。僕もなんとなくのイタリア語で返して無事買ったのだけど、そのとき、とても気分が楽になったような気がした。イタリア語で話しかけても聞き取れないと思って、あんまり使えなかったけど、そんなの気にしないでいいのだ、と思った。英語で話しかけてイタリア語で返すということが自然にできるという環境なのだ。

サンタルチアについて、町を歩きながらまわりをみているとイタリア語が普通だけど、英語も中国語も聞こえてくる。日本語も二、三回耳にした。そういう町なのだ。ここは。

サンタルチアから外に出ると、目の前を大きく横切っている運河「カナルグランデ」と、向かいに丸い屋根の小さな教会のようなものと、きれいな橋と、たくさんのゴンドラや船と、なによりこの地方独特の低い高度から差し込む太陽の光がまちの湿った空気を光らせていて、しばらくみとれてしまった。とても美しい町だと思った。

少し歩いてみると、すぐに路地に入る。たくさんの狭い路地が島内をめちゃくちゃに駆け巡っている。そこをたくさんの観光客、現地の人々が入り乱れて歩いている。建物一つ一つから長い長い歴史を感じる。観光地と住宅街が完全にまじりあっていて、目を上げると洗濯物がたくさん干されている。この洗濯物がまた面白くて、自分の家の窓から向いの建物の壁にロープが張っていて、そこに洗濯物がびっしり並んでいる。ロープは固定されているのではなくて、滑車につけられているので、自分の家の窓からでも遠くの洗濯物をたぐり寄せることができる。この洗濯の仕方も、狭い路地が入組んでいるこの町だからこそ成立している方法だろうと思う。

サンタルチア駅から、ヴェニスビエンナーレの主要2つの会場のうち1つ「アルセナーレ」まで歩いていこうと思ったけど、とにかく路地がめちゃくちゃに走っているので、地図をもっていてもわからない。iPhoneのGPS機能がなかったら絶対に迷っていたと思う。iPhoneをみながら1時間くらい歩き回って、ようやくついた。でもまだ開場前のじかんだったので、しばらくふらふらした。散歩するのにこんなに気持ちのよい町はあんまりないと思う。

アルセナーレの会場は、Massimiliano Gioniというキュレーターが企画した「Il Palazzo Enciclopedico(The Encyclopedic Palace)」という企画展と、いくつかの国のパビリオンがある会場だった。

まずはいってびっくりしたのが、みんな写真を撮りまくっている(観光地で写真を証拠に撮っていくみたいに撮りまくっている人がたくさんいた)し、小学生っぽい年齢のこどもたちのツアーがいくつもあって、「なんのオブジェかわからないごちゃっとした現代美術っぽい彫刻」の前で先生が子供たちにレクチャーしていて、みんな割とおとなしく聞いている。わからないものを「面白い」と思える土壌が出来上がっているのだと思う。うらやましかった。それと、みんな映像や作品をみながらぶつぶつひとりごとを言っていたり、映像の部屋の中で騒いでいた若者のグループもあったりして、なんて話しているのかわからないのがとても歯がゆかった。でも、とても自然に、それこそ路地のひとつに入っていくぐらいの気持ちで、気軽にみんな美術を楽しんでいた。

キュレーションは、タイトル通り、現代美術の軸足は外さないようにしながら、なるべくいろんな表現をいろんな国から集めてきたような展覧会だったと思う。みんなそれぞれに自分の国を背負っているような気がしたし、リアリティを感じるかどうかは別として、みんな完成度が高かった。僕はまだまだだと思った。この「みてほしい。みてもらうためにはどんな手段もいとわない」みたいな姿勢をもっと持たないとだめだ。

「Camille Henrot」「Yuri Ancarani」という作家が印象に残った。ふたつとも映像。ひとつは、「宇宙の起源」をテーマにしたような、ちゃんとリリックがあるラップ調の曲にあわせて、Macのデスクトップ上に映像が次々現れるような作品。なんて歌っているかは分からないけど、動物と人間の関係とか、科学と自然の関係とか。Yuriの方は「Da vinci」という映像で、外科手術に使われる、精密な機械(人の体内にアームを入れて、外で操縦する人間の手と同じ動きを患者の体内で行うようなやつ)のPVみたいなつくりをしていた。体内の映像が青かったのは、たぶん赤だとみるに耐えない人がたくさんいるからだと思う。

あとSteve McQueenの映像とWalter De Mariaのインスタレーションがよかった。

特にウォルターデマリアの作品は、鳥肌が立った。何時間でもいられるような空間だった。金色の太くて長い棒が部屋に対して斜めに何本も等間隔に置かれているだけの作品なのだけど、建物と作品とのあいだにある緊張感というか、張りつめた空気が半端じゃなかった。

アルセナーレだけでもみるのに7時間くらいかかって、会場を出たときには夕方5時半くらいだった。

帰りにサンマルコ広場にたまたま出たのだけど、そこがとても楽しげな雰囲気で、気持ちがよかった。夕方の広場は、たくさんの人(観光客もいるし、犬の散歩をしている人もいる)がそれぞれ好きずきに時間を過ごしていて、居心地がよかった。昔から、こういう広場で人が集まって、いろんな話をして、歴史や文化をつくっていったんだと思う。その環境がうらやましかった。

帰りの電車で、自動券売機で切符をかったら、おつりがでてこなかった80セントくらい。僕は、こういうシステムなのか、、と思って納得してしまった。路線図のようなものもなくて、自分がのった電車がメストレにとまるのか、メストレに着くまでわからなかったけど無事到着した。

帰りに、ホテルのそばのBarでピザを食べようとしたけど、今日もイタリア語で話しかける勇気がでなかった。そのうち話せる日がくるだろう。

2013年10月8日18時31分

今日の昼にイタリアのメストレに着いた。今日から14日までイタリアに滞在して、ベニスビエンナーレと、プンタデラドガーナやカステルヴェッキオなどいくつかの美術館を見て回る予定。

海外に一人できたのは初めてである。しかも、英語圏ではないところにきてしまった。いまはホテルの部屋でこの日記を書いている。オランダの缶ビールを飲みながら。ベニス本島の中に宿を借りると高くなってしまうので、このメストレという対岸の町に宿を借りた。Hotel Viennaというところで、一泊45€朝食つき。ちょっと高いような気はするけど本島よりましだ。フリーのWifiが無いのがちょっと痛い。

ここにチェックインしてから(このフロントは英語でチェックインできた)3時間くらい町を歩いてみた。メストレの町は、落書きがとても多くて、夜通ったらちょっとこわいだろうなというところもある。個人のお店(パン屋とか、バーとか、お菓子屋さんとか)がとてもおおくて、どこの店にもお客さんが誰かしら入っていて、親しげに話している。「Snack Bar」というお店の形態があるらしい。Barが多い。どのお店もおいしそうなお酒を出している。イタリア語が話せたらどんなに楽しいだろう。しばらくあるいたけど、日本でいうコンビニとかスーパーと呼べるようなお店にはとうとう出会わなかった。

僕はお昼ご飯を機内で食べて以来何も食べていないので、町に慣れるためにもどこかのカフェかバーかレストランに入ってご飯を食べようかと思ったけど、とうとう勇気がでなくてどこにも入れなかった。なんて情けないことだ。たぶんイギリスとかアメリカとか、英語圏だと呼べるようなところだったら、(最初はちょっと勇気が必要かもしれないけど)どこかのお店に入っていただろう。でもここはイタリア語が母国語なので、どのくらい英語が通じるのかわからない(英語もあんまり得意とは言えない)上に、しかも「イタリアの人たちは、イタリア語が話せない観光客にうんざりしている」という記事をネットで読んでしまっていたので、英語で何か注文することに無駄な抵抗を覚えてしまった。イタリア語もすこし勉強したから、「~をください」「いくらですか」という質問くらいはできるだろうけど、考えたらそれに対してのイタリア語の答えを聞き取ることができないので、結局英語でやりとりする感じになるだろうとか、いろいろと無駄なことを考えてしまった。「ケバブ屋さん」みたいなファストフードっぽいお店でも注文することができなかった。情けなさすぎる。雰囲気のよさそうなお店はとてもたくさんある。コミュニケーションさえとれたら、日本よりもずっと楽しそうなお店。情けなさにうんざりしながらあるいていたら雨が降ってきたので、ちょっと急いでホテルまで戻ってきた。かろうじて、ホテルのそばの小さなお店で缶ビールを買った。2ユーロだった。

すこしお酒の力を借りて、今度はそのお店の隣にあるBarでピザでも食べにいきたい。お腹が減ってたまらなくなったら、きっと僕はなにか行動に移すだろう。

メストレのまちは、駅よりも南側は住宅街という感じで、北側はにぎやかな感じ。「Mestre Centrino(うろ覚え)」みたいな名前の広場があって、そこはすごく雰囲気がよかった。彼女とぶらぶらしたい感じだった。イタリア語さえ話せたら。。

いま18時53分だ。そとが薄暗くなってきた。

東京にいるうちにつくっておきたかった映像ができました。公開します。

「清掃員村上」

2013年9月26日(木)バイト先のビアガーデンにて

 

僕がこのバイト先で感じていたことは、とても深い問題につながっていた。常々「お金」と「商品」は等価であり、「交換」するものであるはずなのに、「お金」を払う方が立場が上であるかのような風潮があるなと思っていた。たぶん大きな企業になればなるほど、お店よりはお客さんに対して弱くなる。クレームを極端に恐れる。

なぜこんなことになってしまったのか。エンデの遺言を読んでいて、それは「プラスの利子」という考え方が一般化しているからかもしれないと思った。

お金は本来、その共同体の人々の共有の道具であって、市場に流通している状態が自然なのだ。

お金は、物々交換ではいろいろと面倒だから発明された道具だ。一人で家を造り、パンを焼き、畑を耕すのではなく、大工が家を造ることに集中し、パンを焼くのはパン屋で、畑を耕すのは農家の人々、という風に分けた方が、「より生きやすい」から、分業がはじまり、分業にはお金という道具が欠かせなかった。お金はそうやって発明されたもので、生活をおくる、ということが優先事項であり、自然資源や、誰かが(自分の代わりに)担ってくれたサービスと交換する、というのが目的だった。

しかし現代、お金は「貯める」ことができる。使わなければ永遠に持ち続けることが可能になっている。そして、多くお金を貯めた者は、人に貸し付けることができる。しかも、人に貸したお金は、貸した額よりも大きくなってかえってくる。これはプラスの利子という制度のせいだ。この制度によってお金はそれ自体商品になり、自己増殖を続けることができる。本来の目的であった「商品(つまり自然資源)との交換」を置き去りにしている。自然資源は有限だけど、お金はそれだけで無限に自己増殖していく。

「お金を貸し付けることができる。しかもプラスの利子をつけて」という事実は、お金を多く持っている者の方が、少なく持っている者よりも立場を上にする。これは、お金を多く持つことが、生きる目的であるかのように錯覚しやすい世界になっている。これが、「お金を払う者の方が、商品を提供する者よりも偉い」みたいな風潮を生み出す原因になっていると思う。

もう一度みんなと出会うために僕は僕のベストをつくそう。

 

2013年9月25日

 

「エンデの遺言」という本を読み始めた。エンデが作品の中に「経済」に対する深遠な問いかけをしていたことがわかる。

いま世界を巡っているお金の90パーセント以上は、現に存在する商品やサービスとは関係ない、数字だけのお金らしい。日本の国民総所得は300兆円あるが、現実に発行されている紙幣は50兆円程度しかないそうだ。もともとは、物々交換でかかる膨大なエネルギーや時間を省くために開発されたお金。かつては紙幣は金と交換できることによってその価値を担保されていたけれど、71年にアメリカ合衆国大統領のニクソンが実施した金とドルの交換停止宣言(それまでは、「ブレトン・ウッズ協定という協定で貨幣は流通していた。ドルを世界の基軸通貨として金1オンスを35USドルと固定した。しかし、世界の財政規模が大きくなってくると、金の産出量と保有量が、経済の規模に対応できなくなった。」)をによって、お金は、担保のない、ただ人々の信用によってのみ価値を保証されるものになった。そして、お金それ自体が商品となり、貸したお金にはプラスの利子がつけられ、自己増殖を繰り返し、お金はもはや自然資源と対応するものではなくなっていった。

もともとは、僕たちが生活を営むために開発したお金という制度は、いまではそれ自体を増やして成長することを目的とする制度になっていった。エンデが10人の弁護士に「お金とは、法的制度なのか、それとも経済運動の中にあるべき商品なのか」という問いかけの手紙を送ったところ、10人からそれぞればらばらの答えが返ってきたらしい。だれも、「お金」を定義づけることができない。なにかわからないものを僕たちは使い、それを稼ぐことに躍起になっている。

お金は、無から価値をつくりだす錬金術のように自己増殖をつづける。この本は15年ほど前のものだからデータが古いけど、現在日本がかかえる借金は1000兆円を超えた。お金印刷できるものだから、いくらでもつくれる。時間が経てばお金が増える「プラスの利子」という制度をとる以上、どんどんお金が増えて、そもそもの目的であった自然資源との対応はますます困難になって、大きくなりすぎた財政をコントロールできなくなるのはあたりまえのように思える。そのうち、本当に破綻が訪れるだろう。この資本経済主義、民主主義を根源から問い直さざるを得ないような破綻が。

 

さてお金は分業体制を促進する制度だ。僕は美術家として、自分の表現を行い、それに対してお金を払ってくれるひととの経済圏をつくりたい。助成金などはやっぱり極力関わりたくない。方向付けられた表現は、表現ではない。というか、「助成金」という制度と、個人の表現、というものの関係を考えだすと、表現がとてもややこしくてめんどくさいものになってしまいそうだ。僕は、自分の絵や、言葉や、映像やパフォーマンスなどに対してお金を払ってくれる観客と一対一の関係をつくりたい。と思った。

9月23日(月)

 

今日は、友川カズキさんのライブに行ってきた。凄まじかった。

歌っている最中、体がうごかなくなる。

特にアンコール最後の曲「一切合切世も末だ」の最後で「一切合切世も末だ!」と叫ぶところ、友川さんから衝撃波が飛んできたように感じる。

9月21日(土)、22日(日)

 

バイト先のエビスバーの先輩、渡辺さんに誘われて、キャラメルボックスという劇団の公演を見に行った。池袋のサンシャイン劇場。

観に行ったのは「ケンジ先生」という演目で、15年前が初演。渡辺さんはもう18年もこの劇団を追いかけていて、この初演も観に行ったらしい。

観にいって「ラッセンの絵画を観ているような気持ち」になった。また「ラッセン尾絵画を観て泣いている人たちを観ているような気持ち」にもなった。

まず、出てくる俳優が全員、どの場面でもお腹から大きく声をだしていて、力んでいて、僕はずっと「声がでかい」と思っていた。あまりにもずっと大きな声だったから、イライラした。ひそひそ話のようなときも、観客に大きく語りかけるようなときも、お腹から力んで声をだしているような感じ。「そんなでかい声で話す場面じゃないだろう。」という突っ込みを心の中で何回したかわからない。また、設定もちょっと苦しかった。「ケンジ先生」というのは先生のアンドロイドなのだが、これが、あたらしい持ち主の家に来てわずか二日目とかなのに、ケンジ先生を信用しきっている人がいたり、極端に嫌っている人がいたり、ちょっと感情移入しづらいなあという場面が何度もあった。殴りあいのシーンがやりたいだけだろう、という台詞回しとか、ちょくちょく時事ネタ「おもてなし」とか「じぇじぇじぇ」とかを入れてくるあたりとか、明らかに笑いを取りにきている感じとか(しかもその笑いの質があんまり高くない)がいちいち癇に障る。なにか大事なものを素通りしたままストーリーが進められていってしまう感じ、といったら近いかも。「演劇ってこういうものだよね」とか、「ここで笑うよね?」みたいな、共通認識、観客との暗黙の了解のもとに話が進められる。というか。

いままで「演劇とは何か、言葉とは何か、身体とは何か、表現とは何か」みたいなところに取り組んできた劇団ばっかりみてきたから、今回のやつはリアリティが全くなかった。これも演劇と呼ぶのか。と思ってしまったぐらい。

驚いたのは、観客の多さ(どこからくるんだ?)と、ケンジ先生が別のアンドロイドにボコボコにされて(この下りもかなり無茶があったけど)、僕は「あーこういう感動シーンよくあるよねー」みたいに思って、完全にさめてイライラしてはやく終わってくれと思っていたその時に、まわりから鼻をすする音がたくさん聞こえてきて、観てみると、結構な数の人が涙を流していたこと。僕は「え?」と思って固まってしまった。

みんな偉い(?)なあと思ってしまった。ここで泣いてください、ここで笑ってください、というシーンで、ちゃんとみんな泣いて、笑っているのだ。僕は(明らかにむりやり)「笑わせよう」としてつくられた場面なんかで、笑いを返すことができなかった。

これは「古さ」なのか?これは「レベル」の違いなのか「好み」の違いなのか。僕は歩み寄ることはできないのか。

劇の終わり際、僕は渡辺さんにどんな感想をいえばいいのか、ずっとそれを考えてしまっていた。渡辺さんはこの劇をたぶん楽しんでいる。そして、よかれと思って僕を誘ってくれた。僕は「渡辺さんが楽しんでいるなら、それでよいじゃないか。僕が下駄なことを言って、わざわざ楽しみを奪うようなことはしないでいい」と思った。考えた末に僕はひとことだけ「エネルギーがすごかったです」といった。嘘ではない。役者の声が本当にでかかったから。

渡辺さんとはまだ「この劇はだめだった」「この作品はすごい」みたいに腹を割ってはなせるような関係ではない。僕にもう少し勇気があれば、あるいはもっと仲が良ければ、この「わかりあえない感じ」の話題について話ができたかもしれないのに。それが悔しい。

演劇とかダンスとか音楽とかには、「観客にみせるタイプの表現」と「観客を連れて行くタイプの表現」の2種類あるとおもっていて、これはもう圧倒的に前者だった。解釈の余地がなさすぎてつまらないほどに、物語は完成されており、あとはそれをいかに完璧に役者が演じきるかにかかっている。作品の完成度はそれだけにかかっているような、演劇だった。

みせるタイプの表現は、観客は消費者としての側面が強い。

つれていくタイプの表現を楽しむには、観客に「ついていこう」という能動的な気持ちが必要になる。

いつだったか、渡辺さんに「演劇好きです」といったから、声をかけてくれたんだと思う。渡辺さんも「演劇好き」には違いなかったから。

でも、「演劇」とかっていう"総称"は何も指さないなと思った。「演劇好き」と「キャラメルボックス好き」は違う。ていうか俺は「演劇」が好きな訳じゃない。そもそもそんな区分けはどうでも良い。俺が良いと思えるものは「素通りできない何か」と捉えようとしているかどうかにかかっている。観客に、ただの傍観者、消費者であることを許さない態度をとっているかどうかである。

22日にみた遊園地再生事業団の「夏の終わりの妹」は、考えるのをやめたら、観るのをやめたらあっという間においていかれてしまうような「つれていくタイプ」の表現だった。

こっちは感想を文章にしづらいけど、とても良かったと思う。

ステージが縦に5つに割れていて、そこにひとりずつ役者がたっている。役者は5つのステージを舞台上で横断することはない。ずっとそれぞれの場所で台詞をしゃべり、身体を動かす。

たぶん「断絶」が重要なテーマになっている。コミュニケーションの不可能性と、「演劇」「口語劇」に対する問いかけ。聞くことと、答えること。役者と言葉の断絶。「いわれた言葉」と「いった人間」の断絶。

それぞれの立場で、それぞれがたっているステージで、できる限り動くこと、踊ること。5つのステージの境界を超えると、言葉が文節ごとに分解されて再構築されて発語される。それぞれの体はそれぞれのステージから出られないけど、言葉はどんどん横断する。横断した言葉がときどき分解再構築される。

最後はみんな合唱していた。

隔たれていても、諦めずに発語し続けること。

 

劇の後半、照明がかわったとき、舞台上に「何か」が降臨してきた時間があった。舞台上の人がとても大きく見えて、自分と舞台との距離がわからなくなる時間があった。この時は凄まじかった。

2013年9月16日

 

米田知子展@東京都写真美術館

物語が立ち上がろうとする瞬間を捉えたような写真。少し前にみたグルスキーとは対照的で、グルスキーはかなり平面的な写真だったように思うけど、米田さんの写真は平面であることを忘れているような、そんな印象。奥行きがものすごくあって、窓から外をみているかのような気持ちになった。不思議に思って写真を角度をつけて横から見てみたら、それは紙にインクがのっているだけの平面だったんだけど、写真の正面にたった途端、そこに途方もない奥行きが生まれるような感じ。

「際立ったモチーフを撮らない」「少しアンダー気味のプリント」などが、その写真を撮った空間にある、なんかもやっとした雰囲気、voidのようなものを写すことに成功している。そしてその「なんかもやっとした雰囲気が、キャプションによって説明され、その場所の歴史と接続されて深みを増す。

しかしなによりも、とにかく画面の奥行きがものすごい。四角い画面に切り取られているのが意識されなくなってくる。白い額縁が窓のように感じる。画面をじっと見ていると、風景がどんどん迫ってくる感覚が何度もあった。

美術館の白い壁にたくさんの窓が並んでいる。その窓はそこにうつる風景への窓というよりは、自分の遠い記憶や無意識と、米田の撮った風景との間に生まれるイメージを臨む窓。

2013年8月24日

「生の嘆き ショーペンハウアー倫理学入門」

ミヒャエル・ハウスケラー 著

峠 尚武 訳

 

 

「哲学的熟考世界の形而上学的解釈とに向うきわめて強力なきっかけを与えるのは、疑い無く死についての知と、これとならんで生の苦悩と困窮の観察とである。しかし、もしわれわれの生が終わりのないものであり、苦痛の無いものであったなら、なぜ世界がこのように存在し、よりによってこのような性質を帯びているのかを問おうなどとは、誰も思いつきもしないであろう。むしろ、一切は自明の事であるだろう。」

ところが、一切は自明でなく、人間に説明を迫るものである。~

 

~したがって、害悪(確実に死に至るという見通しを含めて)と悪業(人間によって惹き起こされる害悪としての)の経験は、他の諸々のうちの何かある1つの任意の経験ではなくて、そもそも哲学的原体験なのである。なぜ世界には苦痛や悲しみがあるのかという事を我々は理解できないし、また、なぜ我々は死ななければならないのかという事も理解できない。実際そうなのだということしか理解できない。しかし、我々の中にある一切はこの理解に不服である。なぜなら、われわれは、その最内奥の本性からすれば、意志、生きんとする意志、存在せんとする意志に他ならないからである。~

 

他人がその意志の(それ自体は正当な)肯定を私の意志の否定であがなうことによって私に加える不正は、世界と、そもそも最初にこのような不正を許す世界の性質・状態とに責任がある事になる。~

~この苦しみを不正と感ずるのであるから、彼は、ヨブが神に釈明を求めたように、世界に釈明を求める。「如何なれば、(神)なやみにをる者に光を賜い、心苦しむ者に生命を賜いしや」この問いは、神を世界に代えればショーペンハウアーの哲学の根本的な問いである。~

~世界には善が多いか悪が多いかなどと議論するのは全く無用の事である。なぜなら、単に悪が現にあるということだけで、事は決するからである。悪の存在は、悪とならんで善があることによっても、あるいは後に善が存在するようになる事によっても、決して抹消されず、従って相殺されもしないからである。なぜなら、数千人が幸福に楽しく生きたとしても、そのことがたった一人の不安や死の責苦さえも解消するものでは決してないからであり、同様に、私の現在の息災がかつての病苦を無かったものにするわけではないからである~

 

生、この「継続される欺瞞」における最善の事は、やはり生が短い事であると思われる。なぜなら、苦悩は生にとって本質的なことであるから、生の延長は苦悩の延長でしかありえないからである。しかもなお人間があまり早死にを求めるわけではないのは、死を(生よりも)さらに大きい悪だと思い込んで死を恐れているからに他ならない。一切の生は苦悩である、というのが酷烈な真理であり、この事はいかんともしがたい。というのも、もしわれわれが、欲求のすべてをいつでも苦労なく満足させる事ができるという幸運に恵まれていたとしても、また、もしあらゆる危険を免れていると知っていて、将来について不安を覚える事無く、過去の思い出に後悔を覚える事が無いとしても、それどころか、それほど恐れている死から逃れる事が出来るとしても、それでもなお、とどのつまり、生そのものは残っていて、われわれは絶え間なく生に苦しむ事になるからである。なぜなら、われわれは本質的に意志なのであり、この意志は決して静止することがなく、むしろやむことなく繰り返し新たな目標を掲げてそこに満足を求めるからであり、しかも、いつかはその満足を見出すという事もー短い、錯覚に陥った一瞬間以外にはーないからである。なぜなら、意志は静止することができず、努力し(求め)続けなければならないからである。~~世界がその被造物に加える不正を否認する事は、それ自体が不正である。かくして、哲学的真理愛のみならず道徳も、苦悩と、次の事実とを妥協することなく承認する事を欲求する。すなわち、この世界は良い世界ではなく、むしろあらゆる可能な世界のうちの最悪の世界である(なぜなら、この世界は、もしもう少し劣悪であったなら全く存在しえなかったであろうから)という事実の承認を、である。~

 

~すなわち「なやみにをる者に光を賜ひ、心苦しむ者に生命をたまひし」ということは、いかなる条件の下で意味あるものとなるのか、と言い換える事ができる。そして答えは、彼らに光と生命を与えたのは(慈悲深い、理性的な)神だったのではなく、盲目的な意志だったのだという条件の下でのみ、意味あるものとなるというものである。~

 

~世界は、それが表れて来るとおりに、不条理、不合理で非理性的であるが、論理的な意味においてそうなのではない。なぜなら、世界は現実にあるのであり、そして現実にあるものは論理的矛盾を宿しえないからである。それではいったい、いかなる意味で世界は不条理なのか。答えはひとえに次のようなものになるしかない。すなわち、世界は道徳的な意味において不条理なのである~~生命を維持しようと試み、しかし次には必然的にそれを失うために、生命を維持しようと試みて全生涯を送るというのは、道徳的に不条理である。~

 

~「あらゆる真の、現実的認識の最内奥の核心は直観である。」なるほど、ある概念はしばしば別の概念に依拠し、この別の概念もまたさらに別の概念に依存しているが、しかしいつかはついに、立ち戻って直観を指し示すような概念が出てこなければならない。なぜなら、さもなければその連鎖の全体が宙に浮かぶものになり、足場を欠くことになるからである。~

 

誰かが同情を覚えるのは、あるいは同情的に行動するのは、「彼が、普通なされているほどには、自分と他者との区別をしていない」ときである、とショーペンハウアーは言っているが。「…自分と他者との区別は、悪人にとってはきわめて大きな裂け目であるが、これは移ろいやすい欺瞞的な現象にすぎないことを、彼(同情者。ショーペンハウアーにおいては、Edle,高潔の人)は悟っている。すなわち、彼は、直接的に、推論することなしに、自分自身の現象の即自態はまた他者の現象の即自態でもあることを悟っている。つまり、この即自態はあらゆる事物の本質をなし、あらゆるものの中に生きている、あの、生への意志であることを、彼は悟っている。それどころか、この即自態は動物にも、自然全体にも広がっていることを、彼は悟っている。それゆえ、彼は動物を苦しめることはしないであろう」。同情とはこのように悟ることそのものであり、推論によらずしてなされ、行動において顕現する直接的な直覚的認識、現象界の個体化(性)を感覚と行動において否定することによって(現象界を突き抜けて)事物の本質に迫る直覚的認識である。~この感情が認識そのものだというのである。~

 

~同情は道徳的には無意味な、たんなる感情ではないのかという嫌疑を晴らし、同情に対して事物の最内奥の本質において拠り所を与え、かくして道徳全体に一切の現象的なものを超出する形而上学的な尊厳を与える。~私が同情的に行動するのは、私が他者と私との本質同一性を認識しているからではなく、ただただ、ひとえに他者が苦しんでいるからである。他者の苦悩ー他の何者でもないーが私の行動の動機である。~

 

~「苦しんでいるのはその人であって我々ではないということを、われわれはいかなる瞬間にも明瞭に自覚している。われわれは我が身においてでなく、まさにその人の身において苦悩を感じ、それを我々の悲しみとしているのである。われわれはその人と共に苦しみ、かくしてその人において苦しむのである。われわれはその人の苦痛をその人の苦痛として感ずるのであって、我々の苦痛であると錯覚しているのではない」~

 

~他者が苦しむ時はいつも、私も彼とともに苦しむ。ところが、苦悩は偶然にときおり表れるだけでなく、むしろ生存の根本体質に属するものであり、かくして生きている全てのものは絶えず苦悩に囚われている。この際限ない苦悩の一切が、他人の苦悩と自分の苦悩をもはや区別しない同情者自身に全面的に襲いかかるので、彼は、単独の人間には堪え難いほどの規模で苦悩を被ることになる。~このような無限に続く苦悩の重荷を背負うと、彼は突然、自分の苦悩に、つまり本質同一性の認識に限界を設けて、自分を守ろうとするようになる。~こうして同情は、恣意的に制限されることなく徹底的に実践される正義と人間愛を展開してゆくそれ自身の力学によって、「生への意志の否定の促進剤」になる。~この転換を全く残念なことだと思い、人間の弱さを嘆くものがいるかもしれない。~しかし、ショーペンハウアーの捉え方は全然こうではない。道徳的なことは彼にとっては自己目的でしかなく、それはまた世界の苦悩を緩和する事によって価値を得るのでもない。この点で人間が行う一切のことは、およそ、熱い石に注がれる一滴の露のような全くの表面的なつくろいにすぎず、可憐と見なされ、注目に値するものではあるが、しかしなにも、いやはや何も、あらゆる生物に取り返し難く定められている永遠の苦悩に変更を加えるものではない。~かくして、同情の価値は苦悩の緩和にあるのでなく、むしろ苦悩を堪え難いものにまで増大させることにあるのである。~

 

~われわれは二種の意味に関わってきた。それらの根底には2つの相異なる、およそ互いに相容れ難い直覚があった。一方に、世界の苦悩の現実性を否認するのは、あるいは、なんらかの方法でそれを緩和、軽減するのさえも、「不埒な」ことであるという直覚があり、もう一方に、この現実は「明らかに不条理なこと」であり、したがって「事物の真の秩序」ではありえないという直覚があった。~苦悩の現実性は形而上学的な救済の秩序のうちの高い地位にあると認められる事によって(矛盾が)止揚されるのである。「死によって完結される労働と欠乏、困窮と苦悩」は今や、もはや、ショーペンハウアーがしばしば印象深く描写したような人類の懲罰としてでなく、むしろ(個人の)生の本来の目的として現れる。「ただ1つ、生得の誤謬がある。われわれは幸福であるために生存している、というのがそれである」。むしろ、我々は不幸であるために生存しているというのが真理である。「人間の生存の全体に、苦悩が生存の真の定めであることが明瞭に現れている。…ここに意図のようなものがあることは見誤るべくもない」。~

2013年8月15日 11時24分

終戦記念日(「玉音放送があった日」)

 

今日、朝の清掃のバイトに寝坊した。目覚ましをかけ忘れて、7時に現場についてなきゃいけないところを、8時に起きた。致命的な寝坊は初めてであった。でもなんとかなったけど。

 

いま内田樹さんの「日本辺境論」を読んでいる。そのなかで、日本人がものごとを決定する時に、圧倒的な権力を発揮する「空気」について書いてあった。

そして、僕はyoutubeで初音ミクを聞いていた。すると、第二次世界大戦で日本が戦争を開始したことと、初音ミクの出現がつながってきた。

初音ミクは、物理的には存在しない歌手で、彼女は主にインターネットの中にいる。ひろく人々の意識のなかに存在している人物。それは「空気」にちかいものだと思う。この国でこれだけ初音ミクがメジャーになったのは、この僕達に強く内在化している「空気への服従」とか「和をもって尊しとなす」的な性格が理由になると思う。

戦後、旧日本軍の偉い人達が「僕は個人的には反戦だったが、あのときは開戦せざるをえなかった」と口を揃えたように話していて、誰も「私は開戦するべきだと主張していた」という人が表れないというところに、日本人の「辺境人魂」が表れていると内田さんは書いていたけれど、これは要するに戦争を始めたのは張本人は「空気」であるということだと思う。そしていま、インターネットという道具を介して、「初音ミク」という「空気の張本人」のひとつのパターンが偶像化していると思った。

ヴェニスビエンナーレに、初音ミクを出展するべきだ。何人かのアーティストをコミッショナーに選んで、それぞれが初音ミクをビエンナーレ会場に出現させたりしたらとても面白いと思う。

 

最近急速にバイトに飽きてきた。やっていて何も感じなくなってきた。やっぱり、ずっとおなじい場所にいると、身体も精神も適応してしまう。「なんで自分はここにいるのか、なんでこんな事をやっているのか」という問いを常に立てられなくなってしまう。その場所に投入されてからあんまり期間をあけずに移動することが、常に問いを立てつづけるのに(つまり思考停止に陥らないために)適した生き方だと思った。

2013年8月9日25時39分

 

先日シリアで大規模な爆発がおこったというニュースがツイッターで話題になった。まちの空におおきく立ち上ったキノコ雲はまるで核爆発のようで、みんながどきっとしたと思う。

およそこの世界に起こる出来事で、自分のせいにできないことは何も無いように思える。

年収200万円以下が人口の20%近くいるということが「マズイ」という刷り込み。それに寄ってか寄らずか自殺者は年間3万人近くにのぼり、もはや内戦状態。しりあの爆発でも数十人が亡くなったそうだけど、この国では一日で82人くらい自殺している計算になる。安倍さんや閣僚の人達は原発を再稼働させ、輸出させる事に全力をつくし、先日ジュネーブで開かれた核拡散防止条約の会議で出された核兵器不使用の共同声明に「アメリカの核の傘で守られている現実がある」という理由で、日本政府は署名せず、福島第一原発では事故が起こってから数億ベクレルの放射性物質が海に流れ、今でも一日300トンもの汚染された水が海に流出しているという。

「効率」と「成長」を正義としてきた資本主義が暴走し、そこに人がついていけなくなっている。

「あまりに巨大化した道具はもはや人びとに仕えるのではなく、逆に人々を道具に奉仕させる奴隷化作用を生む」(イヴァン・イリイチ)

という状態で、分りやすい敵は何処にもいない。八方塞がり。もうみんなで踊るしかないと思うけど、ダンスも法律で規制するという話もある。なんでこんなことになってしまったのか。国債と借入金をあわせたこの国の借金は、先月1000兆円を突破したらしい。今の衆議院は「違憲状態」であるという判決が裁判所で下されたにも関わらず、テレビでは初登院の議員達にインタビューしたりしてしまっている。

これをかいている僕は、いまバイトに向かう電車の中だ。毎日仕事から帰ってくるとへとへとで、この社会に対する大きな見通しなんて持てない。休みの日は家でぼーっとしていたい、という気持ちも、今とてもよくわかる。とりあえず生活を、日々の営みを続けるだけで精一杯だし、この「なんでこんなことになっちゃったの状態」がそもそも、この僕達の日々の営みによってますます悪くなっていく、しかし、その責任は誰にあるかといわれると、誰にもない。

いま「働きたくない」という言葉のリアリティがすごい。自覚しろ生活者達。

2013年7月23日11時58分

 

僕がバイトに行くときに払う運賃は、電力会社や鉄道関連の財界にもいくだろう。電力会社はそのお金で高速増殖炉を動かしたり原発を動かしたりするお金になっていくだろう。僕が通る道路は税金によって整備されているものだし僕が買う服、使うシャンプー、お菓子などなどには化学でつくられたものが当然入っていてそれらを生み出す為に空気が汚されているのだろう。僕はバイトにいくためにバイトをしている。ほとんどの人は仕事にいくために仕事をしているのだ。ひとりひとりが全部考える必要の無い、民主主義、資本主義、分業の進んだこのシステムに置いてけぼりにされてしまった思考能力達がたくさんいるのだ。毎晩仕事から帰ってくる父に、あるいは毎日暑い中段ボールをたたんだり廊下にモップをかけたり階段を掃いたりしているあの清掃員に、この社会の何が問題なのか、どうすれば持続可能な営みをつくれるのか、あなたは誰に投票したのか、なにを根拠にその人に投票したのか、なんてことを問いただすのは酷なことだ。原発だって、危ないものだってことはみんなわかっているはずなのに、大きなお金が動くから、そのお金によって生活を支えられている人たちがたくさんいるから、都市部が、田舎に発電所を押しやってしまったから、原発だけじゃなくて米軍基地とかもそうだろう。だから、あとにひけなくなってしまったのだ。分りやすい黒幕なんてどこにもいない。全て不可抗力で進んでしまった物事たち。誰も悪くないとも言えるし、全員が悪者だとも言える。この大きな輪廻をもっと鮮明に認識し、逃れるために。なんでこんなことになったのかもっと勉強が必要だ。経済の世界には「脱成長」という言葉があるらしい。これは要するに経済成長なしで持続可能な社会を志向することのようだ。ここで面白いのは「脱成長」という言葉が鏡のように、「成長経済」を無意識のうちに志向してきた自分たちをうつしてくれること。