何を作っているのか。一体何を作っているのか。一瞬だけ使われるものを、作っていると言えるのか。あれを続けるのはきつい。ものづくり、とかではない。あの時間は一体・・

やはりバイトはきつい。時間を無駄にしているような気がする。とりあえず体を動かして死ぬのを待っているような気がする。しかしこの場所で30年以上も同じメンバーで、同じような仕事をやりつづけている人たちがいる。最中はただ面倒だけど労働の最中でない時にこの現場のことを考えると不思議と感動する。本当にすごい。

ここのところ、テレビ中継されるサッカーの試合で両サイドのゴールのそばの芝生の上に置かれて、テレビで見ると立ち上がってみえる絨毯ような広告をつくるバイトをやっているのだけど、毎日同じの会社の広告ばっかりつくっていて、これがサッカーの試合のさなかでテレビにうつると広告になるのにここで見るぶんには全然広告にならないどころか、毎日同じ生命保険会社の広告ばっかり作らされて、この会社の保険には絶対に入らんと思ってさえいる。広告には広告である時間とそうでない時間がある。広告はいつ広告なのかを考えるといいかもしれない。広告物という物体が、全く広告になっていない時間帯がある。広告が広告になる条件とは。お金を出して楽しませてもらっているという背景が透けて見えないと、広告は広告にならないのか?

「なおみちゃんのお姉さん、…..だっけ?」というふうに、社長が突然話し出すのを受けて、他の人が「…..ですよ」と受けていて、誰か知り合いの姉妹の話をしているのだろうなと思って聞いていたら、プロテニス選手の大阪なおみさんの話題だった。こうやってテレビでしか見たことをない人を、知り合いの親戚か近所の人のように突然話し始めるのをよく聞くのだけどそのたびにとても驚いてしまう。テレビを全然みないからなのか、違和感さえある。この感覚はわからない。

ハンストは本当にすごい。パフォーマンスだ。誰かを阻むとかするわけではなく、ただ自分が食べない、ということが、強いメッセージになる。

SPAの「ヤレる女子大生ランキング」なる記事が女性軽視だという署名活動があって、そんなに騒ぐことかというか、くだらないなと思って賛同できずにいて、それを人と話すうちに、署名には賛同できないが「ヤレる」という言葉遣いは違和感があるというか、女性をモノとして見る空気があるのは問題だろうと思っていたのだけど、昨日のデイキャッチで宮台真司がこのことについてツイッターのフェミニストの人の発言を援用しながらわかりやすく解説していて、「SPAの記事には基本的には問題はない、これを問題にするならヤリチン大学ランキングとか、ナンパされたくない学校ランキングとか、寝たい男ランキングとか、出世する大学ランキングとか、東大合格者ランキングとかカテゴリーでランク付けしている全てのランキングを問題にするべきで、そんな息苦しい社会あってたまるか」というものだった。さらに「ヤリマンは悪い」もっというと「ヤリマンは侮辱だ」というのがさもみんなの共通前提であるかのように話す署名を集めている側こそが、フェミニズムの歴史からいくと女性差別であると。「ただスパの記事には別の問題があって、それはヤリマンを尊敬する感じに書かれていないことだ。女性をモノ化することを助長する感じに書かれているのは問題であると。でもヤリマンであることは問題ではない。」議論がふたつに分けられた。この話題は色々な人と話してみたい。

白田一馬さんが生きていることが確認されたという話を阿部君から聞いて、昨日hpgrpギャラリーに白田さんの個展のオープニングを見に行った。3年ぶり?に展示をしたらしいが、前回吉原で見た時以上に呪縛から解き放たれていて、生涯ベスト級に最高だった。ストリートと絵画が同時に迫ってくる。バスキアよりも切実なバスキア感がある。絵の他に、ギャラリーの中央にモニターやパソコンが積まれていて、白田さんがベトナムとか中国とかの建設中の超高層ビルのてっぺんまで登って撮影した自撮り映像が流れているのだけどそれがすごすぎて笑うしかなかった。あんな映像は見たことない。。そしてその映像がその展示空間にあることに全く違和感がない。あの映像と絵は完璧にリンクしているのを感じる。それが不思議だ・・。hpgrpの坂井君も言ってたけど、彼の絵には事件性があるというか、なんというか事故現場っぽい。事件現場というか、事故現場というか、そういう場所で撮影された現場写真のようで、その事件現場の絵と、文字通り事件現場(彼はビルに登る過程でいろんな国でなんども捕まって留置所にも入れられている。その話も最高だった)だった超高層ビル自撮り映像が同じ空間にあるのは違和感がないはずだ。白田さんが別れ際にハグしてくれたのも嬉しかった。

左足の大腿筋を痛めてしまって身動きが取れなくなったり、左肩がすこし違和感があるなと思って医者に行ったら軽い四十肩になっているという診断を受けたり、風邪を引いてその咳が10日間以上続いてしまったりしていた年末年始を乗り越えた。あと去年10月に久々に歯医者に行ったら虫歯が三つ見つかったりもした。2ヶ月半かけて全て治療した。体調の記録として。

こまばアゴラ劇場で「これは演劇ではない」というフェスティバルをやっていてそのなかの新聞家の「遺影」という作品を見てきた。新聞家は「塒出」以来2回目。役者二人が椅子に座ってそれぞれ一回ずつ、すこし長い文章を話す(彼の作品は役者が「文章を話している」という感じがする)だけのストイックなものだったのだけど、役者の二人の話し方に不思議な緩急があったり語と語のあいだがあいたりしていて(話をしようとしているのではなく、文章を話そうとしている)、その余白の感じから荒川修作のICCのインタビューを思い出した。二人の役者があの感じで「あー、、」と、次の語を探すようなフィラーが入ると、もう荒川さんの話し方になる。

http://hive.ntticc.or.jp/contents/interview/arakawa

荒川さんに限らずインタビューに答えてる人の挙動と、今回の遺影の二人の役者の振る舞いには共通点がある気がする。インタビューに答える人は、自分が発話したものが文字起こしされて文章になってしまうということを考えながら話したりするので、話しながら言葉を選んだりする時に生まれる一瞬の合間とかが、普通にその人が友人と話したりするときとは違う「その人の見え方」をつくる。その点今回の役者二人は、覚えた文章をたどたどしく(なにか演出家からの指示があるのか?)再生していたことが、言葉を選ぶ仕草に似た時間をつくっているというか、インタビューに答える人とは逆のことをやっているのに、似た仕草として現れているというか、それが面白かった。

その構造と、二人の台本を覚えている「プロンプター」が変装して客席にいたことによって、役者二人はそのプロンプターを探すような目の動きをしていたわけだけど、人を探すっていう、演技でもなんでもないごく自然な仕草を舞台上の人がしていて、二人の役者は舞台上にいるのにある種客側にもまわってしまっている構造が似ている。今回の上演でプロンプターとしての人を発見できたのは村社君にとって大きな収穫だったんじゃないか。

あと日常生活のなかで、誰もが持っているであろう「テッパン」の話を人にするときのことも考えた。以前誰かに話した同じ話を、別の人に話す時に人は言葉を話す主体というよりは、言葉によって動かされる客体側にまわる。

塒出のときもそうだけど、新聞家の作品からは台本のテキストを役者に読んでもらっているのに、テキストと役者を引き剥がそうとする力を感じる。

すごいものを見てしまった。駐輪場の監視のおじちゃんが駐輪場内でジョギングしていた。

aokidのクリスマスパーティーのダンスバトルに出た時に、「ナイスアイデア!」というコメントをもらった。彼はそれを自然に言っていたけど、僕としては新鮮だった。「体の動かし方」がアイデアであるという、言われてみれば当たり前の発見をした。そしてすぐにその言葉がでてくるところに、彼のキャリアを感じた。

家族旅行でグアムに行ってきたのだけど、グアムの市街地の海沿いは、ほとんどホテルによって占拠されていてホテルの中とかを通らないとビーチに行けないようになっていた。何か間違っている。

恋人岬はその名前と、恋愛成就の願い事をする観光地になっているという事実に反して、ダークツーリズムの場所だった。

アーティストのaokid主催のクリスマスパーティーでダンボールなどを手早く縫えたりなどする道具を作って空間を立ち上げたり何かを色々縫い付けて商品を作って売ったりしようと思っています。台湾でのワークショップを踏まえて考えているアイデアです。よろしくおねがいします。@The CAVE(関内)18:30~

 

SNSが人に与えた影響として文体の変更(特に主語の置き方)があると思うのだけど、それを考える時に思い出すのは昔mixiで高校の先輩が毎日長文の日記をアップしていて、それは独白のようなものだったり日々の自分や周りの人間の振る舞いへの言及だったりして、読み物としてとても面白くて僕はよく読んでいたし「この人はすごい人だな」と思って尊敬していたんだけど、コメントなどは一切ついていなかった。なぜコメントがつかないのか、これが人気の投稿にならないのかよくわからなかった。それはmixiには適していない文体だったからだと思う。僕の日記をそのままfacebookに転載しても、読まれるものにならないだろう。それと同じように。僕は多分今やってみても、フェイスブックやツイッターやインスタグラムへの投稿のさい、文体をどうしていいのか困るだろうと思う。今ではそこからさらにfacebookやツイッターやインスタグラムへの投稿に慣れた上で、そこに「ブログを更新しました」というリンクを貼ってブログに飛ぶようになってきている。そういう人たちの一部が書く文章には味わい深いものがある。

Today, I was able to concentrate on my work for the first time in 3 weeks. I had wrote text of 3000 words for a media. But it is not only for it, also for practice for my own novel. Until now I wrote text that the subject word is “I” as my diary, but I recently wanna try to write a text without using “I” as the subject word of text itself. I think the subject word should be things like ghosts unless the sentences are made by some independent text like a exchange of letters between some people. I think it is better way more than just a diary in order to express my experience and the story that I heard from people I met in my “Living Migration” project. By the way I chose the Piers Cafe opposite the station as my work office and had stayed over 5 hours with only 1 small cup of coffee and 1 cinnamon toast. I might have been the longest stay person in the cafe today. But any waiter seemed not to care about me.

デュシャンのアーカイブフェチっぷりに触発されて3年ぶりにaboutページを更新した。書き漏らしているのもあるかもしれないけど、ここに書かれていないからといってそれがなかったことにはならない。ではなぜ書くのか?なぜ書くのかもわからないのに自分のウェブサイトの更新とか改良とかってやり始めるとどこまで意味があるのかわからないのに何時間でも没頭してしまうし過去の出来事も何をどこまで書けば適当なのかもわからない。その日眠った場所や出会った人まで書いたほうがいいかもしれない。これからは時間を見つけて2014年以降の展示やプロジェクトもまとめていきたいと思っているのだけどそこにまとめられているのは出来事のほんの一部にすぎない、というかもしかしたらその出来事自体とまとめには全然関係がないかもしれない。ではなぜまとめるのだろう・・

「アジアに目覚めたら西洋美術を参照しつつ、なんというか地面の上に立っている表現をたくさん見た。岡崎さんと松浦さんの理念と経験の話を思い出す。美術の歴史という理念と、現実の世界という経験のバランス。経験を、理念からの要請に応じて適度に切断しつつ、積み重ねていく。2018年の僕はこれを引き継ぎ、その上でやっていかなくちゃいけない。とにかく僕はもっとこちらに近づきたいと思った。韓国のイ ガンソという作家が、1973年にギャラリー内で酒場をやるという実践をやっていた。ティラバーニャのニューヨークより20年くらい前に。体型だてたものでないと理解ができないという、こちらの頭の構造をなんとかしなければいけないかもしれない。やっぱり韓国に行くべきかもしれない。

ソウルで結成されたという現実と発言というグループのマニフェスト

「現実とは何か」「それを見てどのように感じるのか」「発言とは何を意味するのか」「発言の方式はいかなるものか」

時代背景を考えると、胸に迫るものがある。

そして近美は立地が良い。展示を見たあと外に出て目に飛び込んでくる丸の内の高層ビルの光がすこし遠くのもののように感じる。いまのこの僕がいる現代が、近代の延長にあるという実感がうまれる。

僕にとって本当の意味での「遊び」は一人で行っているときに生まれた。今では「あの本当に遊んでる感じ」になることはすくなくなったけど。誰かを相手にしないと遊べないと思っている人が多いけど、それは気のせいだ。

だから世の中こんなことなっているんじゃないか。と言いたくなるけど、そういうのはもうできるだけ控えたい。せっかく考えを進めているのにいちいち立ち止まって、我に返って、周りを見て、なのに世の中は、とか言うな。そういうのはもうやめよう。どんどん進めよう。

久々に街に出かけて、絵本のためのドローイングを宅急便に預けた足でongoingに行って展覧会に行って来た。ストレートな政府批判の作品という情報を事前に入れていたけどそうは見えなかった。手や耳や口を塞いだ小さな人のような石膏像がたくさん置かれていて、”現実を見ていない人々”を皮肉りたかったのだろうと思うけど、それが作品として売買されていて、それが一番皮肉だった。この石膏像が誰を指すのかよくわからず、帰りに井之頭公園にいって犬の散歩をしてる人たちや鬼ごっこをしている子供達を眺めながら、この人たちのことを言っているのかと思うと、あんな単純な構図ではないと思った。昨日はPOISON-言いたいことも言えない世の中じゃ-という曲の歌詞について考えていて、この曲もこの作品と同じように、とかく自分の外側(にあると、作者が思い込んでいる)のもの(”世の中”とか”世間”とか)に対しての表現は、紋切り型というか、だいたいどれも同じようなメッセージになる。中心が空の、ドーナツのような物体を見ている気持ちになる。”中動態の世界”からいくと「誰かに騙されること」と「自分を騙すことなく生きていくこと」の境界は実はものすごく曖昧で、物事を見る側の網膜がレディメイドになってしまっている状態を解体しようとしたデュシャンから50年経っても、こんな感じなのかと思った。「中動態の世界」の対極にあるものとして、POISONや、今回の作品を考えてみると良い。テレビドラマのバックアップのもと、国民という”空想の総体”に向けて作られたもの。デュシャンはそれを暴こうとしていた。しかしpoisonに関しては、反町は俳優で芸能人であることを考えると、もっと複雑な話になってくる。。反町がこの歌詞を本心から思っているかどうかは関係なく、俳優としてのアイデンティティと個人としてのアイデンティティを分けて考えていて、つまり「死ぬまでピエロ」を決め込んで生きている可能性もあり、それはそれで「かっこいい」と思ってしまうところだが、それは本当にかっこいいことなのか?「死ぬまで語らず」的な「最後まで役者だった」的なそれ。そういうものを美徳としてしまう考え方も、単なるイデオロギーなんじゃないか?それはなんとなく「ブラック企業」を思い起こさせる。

https://www.facebook.com/pg/ActionforEducation/photos/?tab=album&album_id=2152763928375282

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台湾の宜蘭でのワークショップが終わった。中学生20人くらいと一緒に1日半の長丁場だった。2つの学校で1回ずつ。計4日間。AGUA Designという事務所が中心になってやっているCITY YEASTという団体から招待いただいて17日から台湾に来ていた。子供達を都市を良くするための酵母菌と考え、action for educationというテーマで世界各地から招いた人と台湾内の学校(どうやら学校側からの立候補で決まるらしい)をマッチングさせてワークショップを行っている。とても良い企画だと思う。何が良いかと言うと、学校教育がこのままではいかんということは全員わかっているけど先生は忙しすぎて余裕がなく、学校内からこういうアクションをやろうと動き出すことは大変ハードなことが予想できるので、外部機関がこういうかたちで教育に介入して、文字通り学校の先生と協力して、その「1日半」ぶんの通常授業の枠をこじ開けて実行している。しかも、今回対象になった学校以外の学校にもこの成果を共有するため、他の学校の先生たちをワークショップ見学に招いたり、終わった後にディスカッション(2回)やフォーラム(1回)を何度もやったり、映像記録、写真記録、文書記録の人がそれぞれいて常にワークショップ中の様子を記録している。事前にインターネット上で顔が入った写真を公開されることの承諾を子供の親から取り、撮影した記録はほとんどリアルタイムで次々フェイスブック上にアップされている。最初にこのプロジェクトへのお誘いメールが突然台湾からきたときはびっくりしたが子供達のワークショップに関しては考えたいところがあったので、この機会にワークショップというものに真剣に向き合ってみようと決めてプランを考えた。最初は身近な材料から椅子を作り、それを被って街に出て、つまり自分が町のインフラになってオフィス街を歩く人たちの前に出てきて座ってもらうために頑張る、というようなアイデアを考えたがそれは「台湾では全員普通に座ってしまうからつまらない」というような理由で却下され、「町の中に自分の町を作る」というものになった。

まず身近なリサイクルの材料(ダンボールやペットボトルや紐など)で家を作る。ただし一人ではなく、3~4人のグループで。それができたら、次に町のなかにあるものを選んで作ってみてくれ、と言う。それは電柱、車、看板、市役所かもしれない、畑、ファミリーマートかもしれない、海や山かもしれない、ベンチかも。そしてなにを作ろうとも、それは自分の家と関連しているので、その家とつなげてみてくれ、と言う。家は最後に外に持っていってそこで町にします。そこで日本から持ってきたおやつがあるので、おやつタイムにしましょう。給食もそこで食べましょう、材料も時間も限られているので、工夫する必要がある。そのときは一緒に考えましょう。

というのが最初のアイデアだったが、実際始めてみると事前に考えた流れとはすこし違うものになっていった。僕も大変勉強させられた。

数人のグループで家をつくり、それを集めて町をつくり、その町の外には公共空間という、本物の町がある。自分たちで作ったその町は、公共空間の中での自分の居場所になっている、という構図を作りたかったのだけど、今回は学校内で作ったものを持学校の敷地外に持ち出すのは立地的に難しく(外には広い場所がなかった)、車やバイクも多いので断念した。なので学校の敷地内の外部空間に町を持ち出したのだけど、そういった、自分の空間と公共空間の関係というコンセプトにも支えられつつ、素材と向き合う作業が予想以上に面白くて、手を動かしながら身近な素材と向き合って、空間を立ち上げるためにどうしたらいいのか考える、するとその素材の性格が見えてくる。ダンボールは面で、紐は線だから、ダンボールは紐で縫うことができる。テープで止めるべきなのは細部の隙間などで、構造的にしっかりとダンボール同士を結合するには紐で縫った方が良い。とか、そのダンボールは、丸めたら棒にすることができ、重いけど非常に強い柱として使える、とか、ペットボトルも繋げれば柱にもなるし、また口が開いているので、そこから屋根を支える棒を入れることができるなどなど。「空間を作る」という単純なワークショップだが、全く侮れない、とても奥が深い。材料がもっと極端に限られていたら、ダンボールじゃなくて新聞紙だったら、など他のバリエーションを考えるとワクワクしてくる。

物は自分の力で読み換えることができ、別の利用方法を考えることができる、なんならそれで自分の居場所までつくることができるということを子供達と一緒に体験できた。僕の「まどり図」という考え方も同じだ。つまり僕の既存の銭湯やコンビニを「お風呂場」や「トイレおよびWiFiスポット」というふうに使って町を自分の家にすることと、紙とかダンボールとか、既存の身近なものを使って空間をつくることは、ほとんど同じことだ。

最初はなかなか手が動かない子もいたが、最後には自信満々に手を動かしていた。子供達からの感想は「自信ができた」というものが多かった。「家を作るのはそんなに難しいことじゃないことがわかった」というのも何人かいた。これには感激した。

2校目のときは外に持ち出すタイミングで少し雨が降っていたので、学校の先生たちは、外に面した廊下(屋根があるところ)に家を出そうと言った。風邪が心配だ、と聞いたのでとても迷ったけど、子供達が1日半かけて防水まで考えてつくった家を屋根があるところに出すのは、歌が上手い歌手をテレビ出演のために口パクさせるようなことになってしまうんじゃないかと思ったし、自分たちでつくったもので雨を防いで、中で給食を食べることができたという経験はさせるべきなじゃないかと思ってやはり外に出したいと言ったら了承してくれて、雨合羽を子供達に配っていた・・僕はこんな学校に行きたかった。

また各々、家に色々なデコレーションをしておりそれも興味深かったけど、何より僕は彼らが家に貼ったテープや、ダンボールに通した紐や折り目などが綺麗だと思った。それはやる必要があると思ってやった跡だからだ。というような話や、日本の津波の話と陸前高田の佐藤たね屋の話などをしてワークショップをしめた。

台湾は初めてきて、食べ物が美味しくて安いので安い安いと言っていたら通訳のハナさんに「最低賃金が125元だから安くないんですよ」と言われた。またちょうどワークショップ期間中は台湾全土にとって大事な選挙ウィークで街中が非常に盛り上がっていた。祭りみたいだった。候補人が車の上で演説しながらゆっくりと走る後ろから子供達が行列して旗を持ってついていくパレードも見た。台湾は最近投票率も上がっているらしい。

台北ビエンナーレも見て来て、julian charriereという作家の映像作品が面白かった。

 

美術館に作品が収蔵されるときに行われる展示のルールなどを決める話し合いのときに、その作家の生前を知らない未来の人間がそれを展示するときに起こりうる問題を考えて、変なふうに解釈されたり展示されたりしないようにするための文言を考える作業は、法律をつくる過程と似ている。

ワークショップのあいだに沖縄のおばあちゃんが亡くなった。お葬式にはいけなかったけど、先月入院中のおばあには親と一緒に会いに行けた。行って本当によかった。口からものが食べられなくなって体重が落ちても、おばあはたくましかった。

住所に生えている木、について考えてみる。家は建てる物で生えるものではない。木は生える物で建てるわけではないが、住所が割り当てられてしまっている。

おばあのお見舞いのために両親と沖縄に来ている。僕はいま母の実家に一人でいる。父と母は予約してあったホテルへ行った。僕は急遽沖縄行きを決めたので同じホテルが取れず、せっかくだからここに泊まりたいと言った。ここはおばあが眠っていた部屋らしい。蛍光灯のじーっという小さな音だけが聞こえていて他には何も聞こえない。庭と畑もある大きな家で、ほかに誰もいないので少しこわいなと最初は思ったけど、母が小さい頃から大勢の兄弟と両親と一緒に暮らしていた家だと思うと怖くなくなってきた。このおばあの部屋の入り口は襖なのだけど、さっき閉めようとしたらとても閉めにくかったので諦めた。おじいとおばあの二人暮らしになってからは、ほとんど閉めずに使っていた襖なのかもしれない。1階の他の部屋も襖は取り払われている。おばあは体重が半分まで落ちてしまっていて、今は点滴だけで命を繋いでいる状態らしい。明日みんなでお見舞いにいく。さっきまで一緒にいた母の姉の節子おばちゃんの話によると、普通に話はするのだけどときどきあっちの世界と交信するような状態らしい。向こうの世界に向かって何かを報告するように話すので節子おばさんが「神様と話してるの?」と聞くと、うんと答えてしばらくしてから、いや神様ではないと言ったり、そこに神様がくるからそこには座らないで、と言ったりするらしい。トイレとか、階段とか、表の作業台とか塀の飾りとか細々したものが、おそらくおじいの手作りで、色合いもカラフルで楽しくて、とても良い家だ。人が自分の手を動かしながら住んでいるという感じがする・・。沖縄の住宅街を歩くと、こういう手作りの良い家がたくさん見られる。家と住人のやりとりというか、何らかの"掛け合い"をみているような気持ちになる。小屋も作ったりする。明日おじいとも会うのだけどおじいもおばあも会うのは8年ぶりくらいになる。小さい時は遊んでもらったけど、そのときはまだ物心もろくについておらず、8年くらい前にあったときは85歳のお祝いの時で他に親戚も大勢いたので、おじいとおばあとはあまり話せなかった。でも三線を弾き語るおじいの姿ははっきり覚えていて、それを思い出すだけで十分に何かをもらったような気がする。沖縄の記憶の中の僕は、いつも大人数と一緒にいて宴会をしていたりバーベキューをやっていたりしている。いま僕がいるこの家が、その記憶の中で思い出される家よりも小さく感じる。小さい時に来た記憶しかないから、そのときのぼくの目線はいまよりもずっと低くて体も小さかったので大きく見えたのかもしれないけど、記憶の中では6畳以上はあった、宴会に使っていたテレビのある部屋は実際には4畳しかなかった。そしていまは誰も住んでいない。おばあは入院して、おじいはいまは老人ホームに入居している。こうやって日記を書いていると、この家の存在が僕の方に近づいてくれているような気がする。広い家に一人でいることがどんどん怖くなくなってくる。ただ、(僕はいまおばあが寝ていたというベッドにあぐらをかいているのだけど)正面にすこし大きな鏡があって、そこに自分の姿がうつっているのがすこしだけ気になる。

展示のために金沢に滞在して居るときに、まあいつものことだけど狭い路地を自動車が結構なスピードで通り抜けて行くことに強い違和感を感じて、そのときメモとして「車は速いけど、なにかを逃している。歩くことのなかには明らかに時速60キロメートルとは違うはやさがある」と書いたのだけど、いま宇沢弘文先生の自動車の社会的費用という本を読んでいて、あの違和感の正体がひとつ腹に落ちた。宇沢先生は霞を食べて生きていそうな仙人のような風貌をしていて、まずそれが凄まじいエネルギーを発しているのだけど、この本を読んでそのエネルギーの出所を見たような気持ちだ。とても古い本なのだけど40刷以上されている。自動車が爆発的に普及した背景を

「自動車の利用者が自らの利益をひたすら追求して、そのために犠牲となる人々の被害について考慮しないという人間意識にかかわる面と、またそのような行動が社会的に容認されてきたという面とが存在する」

「自動車の保有台数が増えてきたのはなぜであろうか。さきにふれたように、そのもっとも大きな要因は、自動車交通によって第三者に大きな被害を与え、希少な社会的資源を使いながら、それらに対してほとんど代価を支払わなくともよかった、ということをあげることができる。すなわち、本来、自動車の所有者あるいは運転者が負担しなければならないはずであったこれらの社会的費用を、歩行者や住民に転化して自らはわずかな代価を支払うだけで自動車を利用することができたために、人々は自動車を利用すればするほど利益を得ることになって、自動車に対する需要が増大してきた」

「自動車の普及によって、他人の自由を侵害しない限りにおいて各人の行動の自由が存在するという近代市民社会のもっとも基本的な原則が崩壊しつつある」

と言い、ここから

「どのような社会的費用を発生させているか、ということに十分な配慮がないまま、各人がそれぞれ自らの利益をのみ追求しようとする一般的傾向を生み出してきた」

と批判している。そしてこの本の目的として、自動車の社会的費用を具体的に算出し、さらにそのことを通じてより人間的な意義のある経済学を探ろうとしている。

70年代に書かれた本であるおかげで、問いかけがとても根本的で、読んでいて色々と思い出したことがある。「道路とはそもそも歩行者のための場所だったこと」「日本の都市部は欧米諸国と比べて公園が極端に少ないけど、それを道路で補っていたということ」「なので、『自動公園をつくる』ということも自動車の社会的費用とするべきだということ」

また『鉄道は鉄道会社が持っている土地とそこにおかれるレールを、利用者の運賃によってまかなうという自然な方法をとっているのに、自動車が走る道路は、自動車に乗らない人も払っている税金によってつくられているという理不尽がまかり通っているのはなぜか』という至極当たり前の疑問もわいてくる。そのようにして作られた車道なのに、歩行者は自動車から隠れて歩かないといけないという始末。なんでこんなことになってしまったのか。最初のルール作りを間違えてしまったために、色々と変なことが当たり前になってしまっていて、さらに宇沢先生も言うように、そういう習慣が知らず知らずのうちに僕たちの心に作用して、己の利益のみ追求するという雰囲気を育んでしまっているという可能性はないか。