奇麗に晴れている。明け方は冷え込んだけど日が出てからは気温も上がってきて過ごしやすい気候。

朝9時ごろ、木津川のおばちゃんの家を出発して奈良に向かう。ここにはまた来たいな。そのときも本を読みながら何か文章を書いて日々を過ごしているおばあちゃんでいてほしい。こうやって大きなお屋敷に一人で住んでいる老人っていま日本中にいるんだろうな。みんな都会に行きたがって少ない人数で住みたがるから。そんで一人で住んでるおじいちゃんやおばあちゃんは日中は屋敷を出て、デイサービスセンターとかに行くのだ。そこで若い人にお金を払って自分たちの相手をしてもらうのだ。なんかおかしな話だ。今までいくつもデイサービスセンターは見てきたけど、どこもなんか異様な雰囲気だった。時間を潰すために時間を潰してる感じ。奇習としか思えない。

 

木津川から奈良までは2時間くらいで着いた。奈良に着いたころ、僕と同い年でこの日記の読者だという木津川在住の男の人が訪ねてきた。2年勤めていた東京の会社を辞めて田舎に戻ってきたらしい。前にもこういう人に会ったような気がするけど思い出せない。

まず奈良のギャラリーOut Of Placeに行った。今夜はギャラリーのなかを敷地として借りることになった。それが決まったら家をそこに預けて、奈良県立美術館でやってた大古事記展を観にいった。島根県の「石見神楽 提灯蛇胴」の舞の映像とそれに使うオロチの被り物が凄まじかった。いつか生で観てみたい。

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しか

気温は低いけどカラッとした秋らしい気候。お昼までは曇っていたけど、午後からは快晴。空がとても高い。絵を描き終わってから散歩してみたら、住宅街を出ると京都っていう地名からイメージする ものとはかけ離れた田園と山々の景色が広がってる。あまりにも気持ちがよいので1時間くらい散歩してしまった。

絵を描くのに5時間くらいかかってしまったので、奈良に向かうのは明日にした。ここのおばちゃんは足が悪いので重い物が運べない。
「なにか手伝える事があったらいつでも言ってください」
と言ったら
「いま頼んどこうかしら。植木鉢を運んでもらえる?」
と言われたので、玄関に置いてあった植木鉢を家の外に出して10メートルほど運んだ。これは僕にとってはなんでもない労働だけど、おばちゃんにとっては「不可能なこと」なのだ。僕とは世界の見 え方が全然ちがうんだろうなと思う。おばちゃんは、僕に対してとっても明るく振る舞ってくれるし、話せばいつも大きな声で笑って楽しそうにしているけど、旦那さんを亡くして大きな家に一人で 暮らしていて、さみしくないわけがないと思う。おばちゃんはよく、机に向かって本を見ながら何か文章を書いている。離れもある大きな家で、毎日本を読みながら文章を書いたり、畑にいったりして 一人ですごしている。その日々に2日間だけ入り込めたことが嬉しい。

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晴れていて、まれに雲が日差しを遮る。さして寒くもない。とても過ごしやすい。普段は半袖にセーターくらいがいいけど、家を背負って歩きはじめると暑いので半袖1枚でちょうどいい。

朝、近くのガストに行って安いトーストとドリンクバーのセットで数時間粘って絵を描いていたら、 後ろの席で一人客の男性が電話をしはじめた。
「いま?いまガストにおる。おばちゃんがな。俺に幻聴をゆうてくるおばちゃんがな、名前ついてんやけど。その幻聴ゆうてくるおばちゃんがな『モーニングいけ』と…」
と、電話相手に向かって話している。なんだそれ。「名前がついてんやけど」と言ってたけど名前を聞く事はできなかった。

今日は奈良方面に向かってあるいた。アーティストの東山佳永さんが木津川っていう町に住んでるおばちゃんを紹介してくれて、今夜はそこに泊まらせてもらう。
家を持って歩いてる途中で、原付に乗ったにいちゃんに話しかけられた。
「え?なんすかこれ。なにしてんすか?」
「家を持って旅みたいなことをしてます」
「え?家?いやいやいやいや。ちょっとちょっとちょっと、いつからやってるんですか?」
「4月からです」
「しがつ?よん??!よん?!いやいやいや。すげえな!こんなこといったら元も子もないですけど、家いらないでしょ!僕も北海道までヒッチハイクしたことありますけど、それはいらないっすね!邪魔でしょ!」
「そうですねえ邪魔ですね」
「まあまあまあまあ。すげえな。正直、しょうもないことだと思いますけど、突き詰めるとすごいこ とになりますね。今日の宿は決まってるんですか?」
「今日は決まってます」
「そうですか。まあ、がんばってください!」
という会話をした。面白いにいちゃんだった。

木津川についたのは5時半頃。立派な家がたくさん建っている住宅街。紹介されたおばあちゃんの家 は大きなお屋敷で、母屋の他に母屋と同じくらいの大きさの離れがある。四方を塀に囲まれていて、 大きな門もついてる。あとで聞いたけど、築140年らしい。改装を重ねながら奇麗に保たれてる。 そこにはおばちゃんが一人で暮らしてた。おばちゃんは、家を背負ってる僕をみた途端に
「それで歩いとるんか!?」
と叫んで、両手を叩いて笑い転げていた。東山さんが「徳の高い方」と言ってたのが分かった気がし た。 晩ご飯を食べさせてもらいながら話をした。おばちゃんは旦那さんを亡くしてから、この大きな家で 一人で暮らしている。大きな声ですっごく楽しそうに笑って話すけど、たまにハッとさせられるよう な鋭い目つきになる。おばあちゃんが生きてきた80年の歳月が表情に滲み出てる。

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今日も割と暖かい。日が出てるけど雲もあちこちに浮かんでる。時々、肌が感じない程度の雨が降る。京都はこういう雨が多いのかな。

田谷さんの実家をお昼過ぎに出発。奈良方面へ向かう。1時半ごろにでたので、3時間くらい歩いたらもう暗くなってきた。そのころには宇治駅の近くにいた。

「ほんわかテレビ」や京都新聞で取り上げられたこともあって、道ばたでよく話しかけられたし、敷 地の交渉のときもすごく親切丁寧に話を聞いてくれたり面白がったりしてくれるんだけど、敷地を貸 すかどうかは別、というか、すごくおもしろがるけど敷地は貸せない、という人が多い印象。
5、6 軒のお寺をまわって、1軒はもう廃墟になっていて、1軒は住職がいないので判断できない、1軒は
「在家のお寺なのでそういうことはできないんです。わかっていただけたら…」
と断られた。残りはチャイムを押しても反応がなかった。
もう6時半くらいになって、いよいよヤバいと思ってコンビニにもあたってみたけど、店長がいないから無理だった。そのあと、かなり勇気を振り絞って教会にアタックしてみた。フィリピン人の優し そうな牧師さんがでてきて、まだ慣れてなさそうな日本語で
「ちょっといま責任者に電話するからね」
と言って電話をかけてくれた。電話越しにもう一人の牧師の方と交渉して、名前と住所と電話番号を聞かれる等、やりとりした結果
「一晩くらいだったら大丈夫かと思います」
と言ってくれた。もう7時になってた。
あぶなかったけど、ここの立地はすごく良い。
ここらには数年前に旅行で来たことがあって、観光地としてのイメージしかないので、夜、手ぶらで歩くと不思議な感じがする。僕の家から宇治駅まで徒歩 5分で、宇治川もすぐ近くに流れてる。平等院も近い。あちこちに抹茶やお茶のお店があって、休日 の昼間なんかは人がたくさんくるんだろう。

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割と暖かい日。曇り時々、気づかない人もいるくらいの雨。

田谷さんに紹介してもらった倉田さんという人に左京区の方を案内してもらった。倉田さんは「狂人企画」という音楽やパフォーマンスのイベントを企画したり(月に4,5回やってるらしい)なんか色々やってる人で、倉田さんとまわる左京区は、いままで知っていた京都とは別の世界を歩いてるみたいだった。

僕は家を持ち歩いて生活している「だけ」で、パフォーマンスとかしてるつもりはない。みんながこっちをジロジロ見てくるのが何故なのか忘れそうになる事がある。合成洗剤を使わない生活をしてる 人や、自給自足で生活してる人がいるのと同じように家を持ち歩いて生活する社会を生きている「だけ」だ。だから
「重くないんですか?」
っていう質問は答えに困る。こっちとしてはこれで生活してるだけだから。家賃の安い田舎で週 2日の労働で生活している人が、週5日の労働をしている都会の人に向かって
「忙しくないんですか?」
って質問するのと似てる。 僕は別の社会を見つけて、自分のからだをそこに逃がす練習をしている。考えたら僕はこれまでも、 普段所属しているコミュニティの外で人が人と出会うっていう事を扱った作品を作ってきたのだ。全て繋がっている。

新しい社会を見つけてそこに体を逃がすのは大事なことだと思う。昨日竹内さんとホルモン焼屋で話したこ とだけど、この生活は天候にすごく左右されるし、敷地がくらくなっても見つからないと不安で吐き 気すら感じるし、自分の家で寝る時は虫とか入ってくるからヒト以外の生き物と一緒に寝るような感 覚なので、対象としての「敵」をヒトに設定するのが不可能になる。ヘイトスピーチとか、何故やる気になるのか全く理解できない。

今日はお昼ぐらいに教会を出発した。竹内さんが
「見送りはせんけどな」
と言って見送ってくれた。
今日は、埼玉で出会った作家の田谷さんの実家(京都市山科区にある)で泊めてもらうことになってる。20キロくらい歩いて、暗くなった頃に着いた。大津から峠をひとつ超えたら京都に入る。この
「峠をこえたら都に入る」っていうのが、なんか時代劇っぽくて良い。

そこは浄土真宗大谷派の法衣店だった。真宗大谷派のお寺にはもう何度もお世話になってる。「ここでも出てきたか」と思った。これまで僕は宗教なんて葬式のときぐらいにしか意識したことなかった けど、そもそも真宗というか仏教を「宗教」で括るのがちょっと間違ってる気がしている。そうやって遠ざけてしまうのがもったいない。生きるのに当たり前のことを言っているのだ。 家ではおばちゃんが迎えてくれて、晩ご飯を出してくれた。田谷さんと似てて、とっても賑やかな人 で僕はもう笑顔が止まらなかった。「北陸から滋賀県にかけて、大谷派のお寺には大変お世話になり まして」っていう話をしたらとても喜んでくれた。
「真宗のお話を住職さんから聞かせてもらったことがあるんですけど、宗教っていうより生きていく にあたって当たり前のことを言ってるだけですよね」
「そうやそうや。お寺にいってお話を聞くこともあるんやけど、ひとつ良く覚えてるのが、精子と卵 子の組み合わせで人が生まれるやろ。それはものすごい確率やろ。二度と同じ人間っていうのは生ま れないって、そう言われたのは記憶にあるのよ。せやからいまの子供はすぐなんか死んだりとか、殺 したりとか。そんなんやからもうちょっと教育の上で宗教の話をしてくれたらなって思うんやけどそ ういうわけにもいかないし…」
なんて話をしてたらたまたま二人で見ていたNHKで、白川郷での報恩講の行事のことを特集していて グっときた。報恩講っていうのは、親鸞聖人の命日が近くなった時に、その恩に報いるために行う年 に一度の大切な行事。白川郷では「生活」と「教え」が密接に結びついていた。彼らに「宗教」って 言葉を使うのは失礼でさえある気がする。

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寒い日。12月並みの陽気らしい。今日は動かない事にした。

この教会は2階に和室がある。ここにいると教会の中に居る事を忘れてしまうくらい落ち着く。ふす まを開けると1階の祭壇、身廊部分が見えるんだけど、1階から見るとふすまが木製の引き戸になっ ているように見える。とてもよくできてる。その和室で昨日の日記を書いていたら、木村さんという 教会員の人が入ってきた。木村さんもボールペンで絵を描く人。すっごくやさしい目をしてる人だ。 絵について聞いてみたら
「僕は自分の限界を感じました。京都の近代美術館でホイッスラー展を見て、ぎょぎょぎょっとしま して、絵を否定されたような気がして…」
と言ってた。

夜は木村さんと竹内さんとホルモン焼きを食べに出かけた。竹内さんはヘイトスピーチ反対のデモ活 動もやっていて、大津の方でデモの帰りに在特会の人たちと出くわして、仲間と在特会とが喧嘩をし はじめて、その仲裁に入ったところ在特会が竹内さんを警察に突き出し、留置所に入れられたことが あるらしい。パワフルな人だ。

この世界には、お金を儲けたいモテたいとかいうのを超えたものがあるんだ。何度も書いてきたけど、好きでやってるわけじゃないんだ。言っちゃえばこんなのいつも辞めたいと思ってるし、それはもっというと生きるのをやめたいっていう事とあっというまに繋がってし まう。「奇抜なことやって目をひいてる」とか「半分は婚活のためにやってるんでしょ」とか「ひま なんだね」とか「お金があるんだね」とか言う人たちはいつもいるけど、こっちだってそう思われる ことなんてはじめからわかってるしそう言われるのが怖くない訳がないだろ。それでもやるんだよ。 「でも、やるんだよ」ってのはそうやって使うんだ。他に方法が見つからない以上はやるしかないん だよ。だってやらないってことは、殺されるのと一緒なんだよ。殺されちゃいけないんだ。生き延び るために、論理とか体裁とか空気とかを超えて、体が自動的に動き出すことってあるんだよ。 「こんなことをやって何になるんだ」とか「まわりから変に受け取られたら嫌だ」とかって言葉は いつも脳裏をかすめる。でもそんなしょうもない空気に負けて、自分がやるべきと思ったことを止め たらいけないんだ。やっていいんだよ。ていうかやらなくちゃいけないんだ。マヒトくんだって歌ってる。何も分からなくても、歌ってもいいんだよって。空気に負けちゃいけないんだ。そんなもんぶ ち破って粋がっていいんだ。「なんかやろう」でいいんだよ。

旦那さんが
「ヴォーリズっていう建築家が設計した堅田教会っていう教会がある。ぜひ行ってみてほしい」
と言って、その教会に電話をかけてくれた。その教会の牧師とは反原発運動で一緒に行動していて、 顔なじみらしい。

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道沿いにあったやつ

4時頃その教会に着いて、牧師の竹内さんと会った。なんか経験値の高そうな顔つきのおじさんで、 今までいろいろな経験してるんだろうなってのが人目で分かった。教会は紅葉したツタに覆われてい て、くもんの教室も併設されてる。町に馴染んでいて良い感じ。

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教会に入ってすぐにヘイトスピーチに関す る講演会のチラシが目に入った。この人も戦ってる人なんだと思った。 僕は午前中から体調が悪くて、中で夜まで寝かせてもらった。2階に和室があって、押し入れには布 団が何組かある。こうやって泊まりにくる人がいるんだろう。竹内さんが
「これから勉強会があるから、もし話聞いてて面白そうだと思ったら参加したらええ」
と言う。どうも起き上がる気力は出なかったので、半分寝ながら聞いていた。
勉強会には、竹内さん を入れて4人が参加していて、キリスト教とその時代の社会の歴史を、一冊の本を読みながら議論し あうっていう感じみたい。後で聞いたけど、ようやく4世紀までいったらしい。フロイトやハイデガ ーっていう哲学者の名前もちらちらでてきて、教養の深さが参加者の会話から伝わってくる。
「買った本を全部読まないといけないと思ってしまうのはフロイトでいうと超自我なんですよ。超自 我の言う事は聞かなくていいんです(笑)」
っていう冗談も飛んでた。教会での勉強会とは思えない感じで教会批判もでてきた。
「一方で教会批判やっとかんと、安倍さんみたいな歴史観になっちゃうからな。歴史上最も人を頃してきたのはキリスト教やしな。21世紀でもっとも殺人を犯したのも。」

勉強会のあとは僕も起き上がってみんなでラーメンを食べにいった。一緒にいてすごくリラックスできる人たちで、楽しい食事会だった。メンバーの一人の男性は、ハイデガーに関する勉強会を月1回 教会で開いているらしく
「滋賀に留まって一緒に読みましょうよ」
って誘ってくれた。この辺に住むのも楽しそうだなあと思った。

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朝起きて琵琶湖の湖畔に行ってみた。家を出て10秒で着く。風がなくて、嘘みたいに静かだった。
巨大な水の塊が目の前にあるのに。夢の中にいるみたいだ。
お昼頃、絵を描き終わってコンビニにコピーをとりに行った時、なんか違う社会に迷いこんだ気がし た。店員さんがビニール袋を取る動作がものすごく乱暴に見える。大量消費の社会に戻ってきた感じ。自分の中に新しい社会がひとつできた気 がする。自分の中にいくつもの社会を持つことは救いになると思う。今まで同じ空間にいたのに、ただ「知らなかった」っていうだけでこんな社会があったのだ。あの家で一晩過ごして世界の見え方が 少し変わった気がする。いずれ元に戻っていくんだろうけど、今のこの「見え方が変わっている時 間」はとっても幸せな時間だ。

そこをお昼頃出発して、今度は願力寺で紹介してもらった、福島から大津へ移住してきた人の家に向か う。8キロくらい歩いた。その人の家も湖の近くにあった。玄関先で迎えてくれた奥さんは目に光が ある感じがして、会った瞬間から緊張が解けた。

奥さんは震災以降原発に反対する詩を書いたり、布を切り貼りした平面作品を作ったりしてる。放射 能によって家から避難させられた理不尽な気持ちを制作にぶつけることで気持ちが落ち着くらしい。 旦那さんは40年前から原発の反対運動をやっている。福島第一原発が動き出して、第2原発が建て られようとしていたころ。その中止を求める裁判をやったけど負けた。一審から最高裁まで18年か かったらしい。 彼らの家は福島県南相馬市の原発から23キロのところにあった。原発事故が起こり 「20キロ圏内は避難指示があったけど、3キロ離れてるから大丈夫ってわけでもないでしょうに」 と思い、事故から5日後には宮城へ避難した。その5日間は窓を閉め切って生活していた。

宮城で住んでた時、近所の人たちは原発事故のことをどこか遠い出来事と思っているところがあっ て、普通に洗濯物を外に干したり布団を外に干したりしていた。 「自分たちは窓も閉め切ってマスクもして生活してるのに、こんなに意識が違うのか」 と思った。そしたら偶然の出来事で、知人が滋賀県の空き家を紹介してくれた
「人に貸すためにあけてる家ではないけど、困ってるんだったらとりあえず来なさい」
っていうことで5月には宮城から滋賀県へ引っ越してきた。ラッキーだった。娘には反対されたけ ど、説得して出てきた。4人家族だったけど2ヶ所にばらばらになった。

でもその滋賀の家も3年以上住んでて、そろそろ出て行かなくちゃいけない感じになり、またすぐ近 くの現在の家に引っ越してきた。でもここも、大家の甥っ子さんが退職後にここに住む事になってる から長くて5年しか住めない。だから5年のうちに次の家を見つけないといけない。
「流浪の民ですよねえ。でも、福島にはもう帰れないかなと思っている。でも、そういう状態の人が 13万人居る」
いま、福島から避難している状態の人が13万人いる。事故直後に6万人が全都道府県に散ら ばった。滋賀県には300人くらいいるらしいけど、全然会わない。神奈川や京都では、福島からの 移住者が団結して完全賠償を求める裁判を起こそうと動いている。滋賀県はまだ団結できてない。
でもいま、福井県の原発の再稼働差し止めの裁判を市民の人たちと一緒に起こしているところ。滋賀県内の色々なところで原発の話をしていたら、すこしずつ原発に対する意識が高まってきた。一番説 得力があったのは「琵琶湖が汚染されたらどうする」っていうこと。琵琶湖の水は飲み水になるの で、ここら一帯は全部駄目になる。 滋賀県では各家庭に、下水の濾過層を取り付ける条例がある。もしそれが無理ならトイレは汲取式に するしかない。一時期、生活排水や工業廃水が原因で琵琶湖の汚染が深刻化してから決まりが厳しく なった。そんな地域なので、環境に対する意識はもともと高い。

最近ニュースになった、川内原発の再稼働を知事が承認したことに対して旦那さんが怒りをにじませていた。
「福島から何を学んだんだ」
と言ってた。僕は何も言えなかった。

滋賀県で福島の子供を短期保養させるサマーキャンプをやっている人たちがいる。京都にもいるらしい。京都は2011年の5月からやっていたという。すごいことだと思う。人の家の子供を、自分の 時間を削って場所を確保してお金を集めて招致するのだ。日本を背負っている感じがする。聞けば聞 くほどたいへんな事だ。子供達が泊まる場所探しから大変だ。民宿を借りて、民宿が客で一杯になっ たら移動して、廃校になった学校を使ったりして、とか。で、そのキャンプのお金を出してくれと滋 賀県の行政に掛け合ったら
「なんで福島の子供に滋賀県の税金を使わないといけないんだ。県民の総意でもあるまいし。」
と言ってのけたらしい。それで旦那さんは
「こっちで何かあったらどこにお世話になるかわからないだろう。…それが人の道ってもんだろう!」
と怒った。でも県の文化課は、福島からの避難民に対してオペラ公演に招待してくれたりする。
「その気持ちだけでとても嬉しくなる」
という。

晩ご飯のあとで奥さんに詩と、布で作った平面作品を見せてもらった。 詩はもろに怒りをぶつけてる感じで、きつい表現もたくさんでてくる。読んでいて息が詰まりそうに なった。当事者だからこそ、このきつい言葉遣いに説得力がある。書かれている事が事実か事実でな いかは問題じゃない。外の人間からは何も言い返せない。

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布の作品は、小さい頃に見た福島の景色を布の平面作品にしている。現在作品は50点くらいある。 これもすごい。昔の風景を布で表現したっていう、その言葉だけ聞くと牧歌的だけど、これが福島だ ってだけでものすごい政治的でラディカルな表現になっちゃってる。これも息が詰まりそうになっ た。家のリビングに15点くらいの作品を広げてくれたんだけど、それは素晴らしい展覧会だった。

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小昼飯(こぢゅうはん)。朝ご飯と昼ご飯の間、昼と夜の間に食べる間食の風景。ご飯は家に帰って食べてたけど、小昼飯は子供が田んぼまで届けるのが仕事だった。学校に通いながら大変な農作業を見ていた恵子さんは、「百姓には絶対ならない」と思っていた。

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旭公園のお祭り。盆踊りの輪の中にはいるのが子供の時は勇気が必要だった。

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紙芝居。5円10円をもって水飴を買って舐めながら紙芝居をみた。お金を持ってないときに紙芝居 をみることを「ぺろんこ」と言って、ちょっと遠くから離れてみたりした。

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浪江町(現在はゴーストタウンになってる)には「十日市」っていう市があった。だるまとか、お面とか、ザルとか、鍬とか、生活につかう様々な物が1年に1回売られていた。

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お昼頃お寺を出発して、志我の里の二人から紹介してもらった北小松の人の家に向かった。
「長野県で自給自足生活のことを教わってる時に出会った人なんだけど、そこはシェアハウスになってて…」
とだけ聞いてた。

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着いてみるとそこは湖のすぐそばにある三角形の家で、いまは女性二人が暮らしてる。
「琵琶湖みたから集いの家」 っていう名前がついていて、「みくさのみたから」という術を身につける人々のコミュニティの1拠点っていう役割があるみたい。だからそこに住んでる三品さんは家主っていうより管理人っていう感じらしい。
三品さんはもともと宮城県の人で、震災後にこちらに移住してきた。一度、愛知から東京 まで1ヶ月半ほどかけて歩いて旅した事があり、その時に原発も見て回っていた。
「こんなに地震が 多い国で、原発がこんなにあったら、いつか動かなくちゃいけない日がくるだろうな」
と思い、震災が起こる2年ほど前から、家の物を少なくしていったりして移動の覚悟を決めて日々の生活を送っていた。そのとき、旅をした経験から「必要あるものと必要ないもの」を考えることができた。そした ら福島で原発事故があったので、震災から4日後には関西に行ってた。
「いつか動く日がくるかもしれない」っていう意識のもとで生活をするのは、そういう意識なしで暮らすのとは日々が全然違ってみえるだろうな。緊張感があって楽しいと思う。三品さんは
「室町時代くらいまでは、半分くらいの人は移動しながら生活してたっていうし。これからもっとそ ういう人が増えて『通りすがりの者なんですけど』って言って訪ねて来る人を『来た来た』って受け 入れる土壌が出来ていけばいいなと思ってます。」
と言ってた。震災以降、自分の家を持とうって気持ちにはならなくなったらしい。

得体の知れない液体が入った酒瓶がたくさんあって
「これなんですか?」
って聞いてみたら。
「色々な野草を入れて乳酸菌で発酵させた飲み物」
らしい。
「飲んでみますか?」
と聞かれたので一口もらった。どんな味がするのかと思ったけど、意外と美味しかった。微炭酸が効いてて良い。体に蓄えられてしまった放射能を外に出すのに良いと聞いたので作っている。らしい。

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この家の台所には洗剤はないし、お風呂には石けんやシャンプーもない。日が落ちたら最低限の明かりだけつける。とっても落ち着く。
「蛇が路上で死んでるのを見たら報告している」
っていう話をしたら、「I アイ」っていう漫画を薦められた。それを読んでたら
「暗かったら明かりつけてもいいですよ」
と言って蛍光灯をつけてくれたんだけど、最低限の明かりの中で数時間過ごしていたので、蛍光灯の 明かりは眩しくて耐えられない。すごく不自然に感じた。

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「滋賀県は大阪からみたら環境大国っていうイメージがあるなあ。合成洗剤を琵琶湖に捨てないように生活を考えるとか。あと、ここらは 30キロ圏内に原発銀座もあるしな。」
って奥さんが話してくれた。琵琶湖は日本で一番大きな湖だけど、全部滋賀県におさまってる。滋賀に住んでる人の意識の中では、土地の 中心には琵琶湖があるんだろうな。いま自分がいるのは琵琶湖の右か左かっていう感覚なんだろう。西は田舎、東は都会っていう感じらし い。中心にこんなでかい湖があったら、環境問題に関して自覚的になるのもうなずける。

お昼頃、旦那さんにトラックで安曇川の道の駅まで送ってもらった。もう3時になってたので道の駅で敷地の交渉をしてみたら
「申し訳ありません。テント等も全部禁止させていただいてるんです」
と、丁寧に断られた。もうすこし歩いてみようと思い、湖沿いを南下する。空は曇っていて、だんだん日も落ちて暗くなってくる。湖を見 てると、水平線と空の境界線が曖昧で、白い奥行きを持ったぼやっとしたものが目の前に浮かんでるみたいに見える。十和田湖でも思った けど、曇り空の日暮れ前の湖はすごく奇麗だ。でも琵琶湖は十和田湖とは比較にならないくらい大きい。向こう岸がほとんど見えない。そ のぶん妖しさがある。道路にどれだけ電灯を灯しても照らしきれない奥行きがある。湖は海と違って、土地にあいた穴みたいなものだか ら、その独特の不気味さがある。ちょっとこの世から外れた景色が広がってる。こういう場所が家の近くにあるのは羨ましい。BGMはRadioheadのReckonerがいい。
https://m.youtube.com/watch?v=rOoCixFA8OI

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歩いてたらちょっと町があったので、お寺を探してみた。一軒目のお寺で奥さんが出てきた。事情を説明したら、半分笑いながら
「ちょっと待ってね。ちょっとちょっと、なんか変な学生みたいな人が来たからちょっと話聞いてよ」
と言って奥に引っ込んでいって、住職さんを連れて戻ってきた。関西っぽいリアクションだ。住職さんにも説明したら、了承してくれた。近 所の人(自治会長っぽい)も来て、4人で軒先ですこしのあいだ話し込んだ。
「どこの大学をでたのか」「どこの生まれなのか」「親は心 配してないのか」等等聞かれて、答えてるうちに打ち解けていった。すごく人懐っこい人たちだなと思った。奥さんが
「敷地貸したら、今度トイレ貸してとか言わないでしょうね!?」
って笑いながら言う感じ。住職さんは
「展覧会の案内を送ってほしい」
と言って名刺を持ってきてくれた。
「このあたりは風が強くて、雪も積もるんだ。今はそんなに積もらなくなったけどな。」
「昔は家の中で冠婚葬祭を全部やってたから、ふすまを外せば大きな広間になる家が普通だったけど、今はそれじゃ不便ってことになって しまったからなあ。家のつくりかたも、阪神の震災の時から法律も変わって。壁がないと駄目とか。地面と家を固定してしまうけど鉄と木 だから10年20年で錆びる。昔からある家は、家をのせて重い瓦で押さえつけてるだけだ。」
などなど話をしてくれた。
「わたしは本願寺につとめてるから、京都に来たら本願寺も来てみるといいですよ」

家を置いたあと、湖沿いを散歩してみた。もう日が沈んでいて、どんどん暗くなって足下が見えなくなってくる。釣り人がたくさんいる。 何故か地面に、ブラックバスらしき魚の子供が数匹捨てられてた。まだ生きてるやつもいる。苦しそうにしてる。たぶん誰かが釣ったやつ だ。なんでこんなところに捨てられてるんだろう。ブラックバスはもともと外来種で、なんでも食う上に繁殖力もあって、日本の生態系を 荒らすっていう良くないイメージがある。ただ食いつきが面白いから釣りの対象として人気がある。どうやら琵琶湖では、釣った外来魚を 湖に返してはいけないっていう決まりがあるらしく、ほかにもブルーギルとかが普通に路上に捨てられてた。生態系を荒らす存在とはいっ ても、彼らは人の手によって本来あるべきじゃない場所に持ってこられただけで、いまこの路上に捨てられている一匹をみていると、こい つを苦しめていい権利が人間にあるのかってすごく思った。この命の扱い方というか、在り方が許せない。釣ったバスはなんとしてでも食 うとか。なんかないのかな。なんでこいつらは、こんな死に方をする生き物がいていいわけがない。しかしこの怒りの対象がわからない。

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