このお寺には小さい女の子が二人いて、僕が絵を描いてる最中ずっと境内で遊んでた。どんぐりを拾 ったりかけっこをしたり。妹の子が僕にどんぐりを3つと、傘付きどんぐりを1つと、どんぐりの傘 だけのやつを1つくれた。完全なる無邪気さで
「はい。」
って渡してくるので、僕も笑顔になって受け取っちゃう。とてもいい。純粋すぎて眩しい。木の幹に くっついた蛾のサナギの跡をみて
「これ誰の家や」
って言ったりするかと思えば、前の道路を通る車を指差して
「あれスペーシアカスタムや!」
と言ったりする。最近家の車を買い替えたらしく、そのとき色々な車の名前を覚えたらしい。あと挨 拶がやたら元気。
「こんにちは!こんにちはー!」
って道を通る人とか停まった車とかみんなに叫びまくる。された方も挨拶を返さざるをえない。素晴 らしい。

お昼頃三十八社町のお寺を出発して、鯖江のほうに向かう。6キロくらい歩いたところで商店街っぽ いところに入った。鯖江市というところは眼鏡が有名だって、牧井先生から聞いていたけど、その通 りで店とか道のあちこちに「眼鏡」の文字がある。商店街はなんとなく寂しくなりかけてる感じはあ るけど面白そうなバーとかがたくさん目について住んだら楽しそうな町だなと思った。 歩いてたら自動販売機で飲み物を買おうとしている母娘から
「これは、どういうことですか!?」
と話しかけられて、家を背負って生活してることを軽く説明したら
「気をつけてください!」
と言ってくれた。そんでまた歩きだしてしばらくしたら後ろから
「村上さーん!!」
っていう大きな声が聞こえてふり返ったらさっきの自動販売機の前にいたお母さんだった。ものすご い勢いで走ってきて、息を切らしながら
「いま、ご飯たべてるんですけど一緒にどうですか!」
と言うのでついていった。
さっきの自動販売機の向かいに4階建てくらいのビルがあって、その脇からビルの裏に入っていった ら、折りたたみ式のキャンプ用の屋根の下にテーブルとイスが並べられてて、4人くらい人が座って コーヒーを飲みながら話していた。ビルの他に木造の10畳ぐらいの小屋があって、やたら薪がたく さんあって、薪ストーブとかピザを焼く鉄製の窯とかもある。商店街のど真ん中にあるビルの裏にこ んなどっかの山小屋みたいな世界が広がっているなんて思いもしない。すっごく楽しそう。
このビルのオーナーが藤田さんっていう人で、本人いわく「仕事は印刷屋で本業は遊び人」らしい。 なんでも今日は「穴子のさばき方講座」を藤田さん主催で少人数でやったらしく、その後いろいろ魚 を焼いて食べたりしてたところ、たまたま通りかかった僕を見つけた。 そこでピザ窯で焼いためちゃ美味しいパン(薄く切ったジャガイモとトマトとチーズ等がのっている トースト)と、火で湧かしたお湯で淹れたコーヒーをいただいた。火で湧かしたっていうだけでより 美味しく感じる気がする。藤田さんも
「火で湧かすと違う。柔らかくなる」
って言ってた。火をたいて美味しいコーヒーをのんでるけど、ビルの向こうは車の通りの多い商店街 だ。ここはゆるやかに開かれたプライベートな公共空間なのだ。とても良い場所。なかなかできることじゃない。

そのままそこで泊まらせてもらうことになって晩ご飯まで一緒に食べた。福井では「アコウ」と呼ばれるキジハタの煮付けがとても美味しかった。それが盛られたお皿に魚の絵が描かれていて、良いお 皿だなと思っていたら、藤田さんが
「もともと僕は魚をそんなに食べる人ではなかったんだけど、骨董が好きで昔骨董市に行った時にこ のお皿に一目惚れして、値切って買ったんだ。そしたら、そのころ結婚した知り合いの旦那さんが釣 り好きで、彼から大きなスズキをもらったんだ。僕はさばき方がわからないからYouTubeで見なが ら勉強してさばいて、みんなを呼んでスズキを食べた。それから魚が好きになったんだ。このお皿を 買ってからそういうことが起こるから、大事にしなきゃなって」
と話してくれた。この皿には魚を盛りつけたい。そんな皿なのだ。

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いま10月25日の朝だ。僕はお寺にいる。境内が広いお寺。パソコンが電池切れで、iPhoneをソーラーパネルにつなげながらコンクリートブロックに座ってこれを書いている。景色に朝もやがかかっていて、空は雲が一つもない。鳥の声と、遠くの県道からの車の音がする。時々目の前の道路を、犬の散歩をするおばちゃんやおじちゃんが通る。自転車に乗った高校生も通る。大抵の高校生は携帯をいじりながら自転車を漕いでいる。危ないと思うけど、僕もよくやってた。

昨日はお昼前に牧井先生のところを出発して、「ふくい夢アート」なるものをちょっと見た。見てる時に、会場の前に置いてある僕の家を見て、小さな子供を連れたお母さんが
「これどこでみたんやったっけなあ。これどっかでみたなあ。」
って言いながら僕に話しかけてきた。最近福井県内で、僕の家がうつってる何かの番組が放送されたらしい。聞いてみたら、半年前に東京の花屋の前で取材されたやつが最近放送されたらしい。そんなに遅れるんだな。夢アートは、けっこういろいろな会場でやってた。紙からロボットを作りまくってる高校生の作品がよかった。

そんでまた歩き始めて、3時くらいには「もう歩きたくない」って思って敷地を探し始めた。
でもなかなか見つからなくて、5軒くらいあたったけど2軒には断られて3軒は留守だった。うまくいかないのが続くと敷地交渉への自信がなくなってくる。ツイッターで敷地を探していると呼びかけてみたら、何人かが協力してくれた。でも遠かったりして、やっぱりなるべくこの近所で探そうと思った。
福井市の三十八社町っていう面白い町にある6軒目のお寺でチャイムを鳴らしたら、優しそうなおばちゃんがでてきた。手には細かい野菜とか肉とかがついてる。多分ハンバーグをこねていたのだ。そこでオーケーをもらえた。もう暗くなり始めてた。

そしたら、なんだか僕のことをここ数日追跡しているという金沢の人からメールがきて、夜一緒にラーメンを食べた。その追跡者曰く、放浪癖がひどくて、昔は世界中を旅していたらしい。
「親不知という土地を通った時が危なかった」
って話をしたら、親不知という土地の由来を教えてくれた。かつて道路が整備されてなくて海岸沿いを歩いて通るしかなかったころ。激しい波の合間を縫って渡っていた親子がはぐれてしまって、そのまま親が行方不明になってしまったっていうエピソードからきてるらしい。昔から危ない場所としてしられていて、道路が整備された現在もいまだに危ない場所なのだ。追跡者は
「明日また家を見に来ます」
と言って何処かに帰って行った。
お風呂は近くになくて電車に乗るのも面倒なので入らなかった。昨日はそんな一日。

自分になんども言い聞かせていることだけど、いま僕は制作をしているのであって、発表をしているのではない。僕にはある 展覧会のビジョンがあって、そのために作品を描きためているだけ。今は制作プロセスの最中で、絵かきがアトリエで絵を描いてるのと同じことをやってるつもりなのだ勘違いしてはいけない。
僕の頭は既に未来で待っていて、僕の体はいま過去にいる感じがする。あとはその未来に向かって体を持っていくだけ。絵を描きためていくだけだ。当面の目的は移動生活をベースにしてしまうこと。人々が家賃を払って家で生活しながら仕事をするように、僕は移動をベースにした生活をしながら仕事をするのだ。そして展覧会を何度もひらくこと。そうしないとみんなわからないみたいだ。みんな「いつまでやるの?」って聞いてくる。何度説明してもわからないのだみんな。だからやるしかない。そんでたまにだらだらもする。なにもしないでいられるのが一番幸せだ。本当は何もしないでいたいけど体が勝手に動き始めるからめんどくさい。マヒトくんは「沈黙の次に美しい日々」って歌ってた。フィッシュマンズも「目的は何もしないでいること」って歌ってる。何もしないでいられるのはどれだけ幸せなことか。

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「It’s time to get up!Mr.Murakami.You have only 30 minutes …!!」
っていう大きめの声が聞こえて、ふすまがあけられて一気に起こされた。旦那さんは昨日の夜から全 くテンションが変わってない。朝からすごい。イギリスに長く暮らしていたことがあるらしく、向こ うのB&Bの民宿は、こうやって乱暴に起こされて家を追い出されるらしい。朝ご飯を食べながら も、いろいろと説教を頂く。
「甘えてたら伸びん。歯食いしばっていかんと。」
「あんたがやってることは否定はせんが、ただの手段や。手段に溺れてたらいかん。自分の夢に溺れ んと。もっと夢をみなさい。ビジョンを語りなさい。」
などなど。そんで朝ご飯食べてすぐ加藤家を出発した。今日は、この加藤家を紹介してくれた牧井先 生の家の駐車場に行く。ここから15キロくらい南下したところにある。出発するとき奥さんから棟 方志功の弟子の版画がパッケージになったせんべいをもらった。

今日も職質された。「美術家」とか言っても全然通じない人だった。
「美術家です」
って言ったら
「なるほど、じゃあお仕事とかされてるわけじゃないんですか?どこかに勤めていらっしゃるとか」
「いや、美術家です。自営業。個人事業主です。」
「デザインとかをされてるってことですか?」
「いや、だから美術です。現代美術」
「げんだいびじゅつ…」
みたいになった。反論するのも説明するのもめんどくさい。たいていの警官は職質のとき、なんか親近感を得させるためかなんだか知らんけど、僕の活動の説明をさせたり、世間話をふっかけてきたり する。東京で職質されたとき
「ここは美術館じゃないんで。」
とか言ってきた警官がいたのを思い出した。笑えてくるな。なんなんだこの現象は。

たぶんイライラしながら歩いてるのがまわりに伝わったのか、今日は話しかけて来る人がいなかった。ただ夕方に一組だけ土方っぽい雰囲気の男性2人が
「ほんわかテレビみたで!」
って話しかけてきた。
「今日はどこ泊まるん?」
「この近くで駐車場を貸してくれるっていう人がいて」
「あ、今日はもう決まっとるんや。」
そうだ彼はテレビをみているので、僕が敷地を探していることを知っているのだ。それが面白い。こ ういうことをおこせるのはテレビの力だな。そういえば今度宇川直宏さんがDOMMUNEで「THE 100 JAPANESE TV CREATORS」っていう企画をやるらしい。これは企画名を見ただけで鳥肌立 つ。インターネットの番組が、テレビ番組のクリエーターを扱うってのはすごい。テレビっていうメ ディアが一気に相対化される。宇川さんは偉いな。

夕方、小便の我慢が限界に近い頃に牧井先生の家に着いた。しかし牧井先生はまだ仕事で家に帰っていない。とにかくトイレを探そうと思って家を駐車場に置いて歩き出したらすぐに大きな芝生の公園
を見つけた。大きな公園にはたいていトイレがあるのだ。助かった。嬉しすぎた。なかば駆け足でトイレらしき建物に向かっていったら小さな女の子がお母さんと一緒に「だるまさんがころんだ」をやってた。本当に素直に
「だーるーまーさーんーがーころんだ!」
と言ってやってた。これをやってる子供をとても久しぶりに見た気がして無性に嬉しくなった。

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朝、絵を描きおわったあとで絵のコピーをしようと思ってコンビニに行った。途中で財布を忘れた事に気がついて、とりに戻ったら牛乳を集める車が来ていた。これは毎日2回ずつ行われていることだって、常陸太田市の牧場で教えてもらった。牛は乳をどんどんつくっちゃうから、毎日絞らないといけ ないのだ。ここも同じだ。そんな牧場と、財布を忘れた僕の日常がそのとき交わったような気がした。

昨日の日記を書いてたら、牧場のお母さんが蜜柑と柿を持ってきてくれた。かつて加賀市には30軒くらい牧場があったけれど、いまはここ1軒しかな いらしい。
「酪農って他のお仕事よりもちょっとキツい仕事だからねえ」
「ああ、汚いイメージがあるかもしれないですね」
「そうでしょ。女の子が興味を示すの。男の子は続かないの。2年くらいで辞めちゃったり。男の子もっとがんばれって思うんだけど(笑)」
「なんでですかねえ」
「なんででしょうね。震災後に福島から移住してきた家族の娘さんが働きたいって言ってくれたり、ここで体験学習をやった子で学校出たら働きたいっ て言ってくれる女の子がいたり。みんな女の子なのよ」
「僕が通りかかった茨城県の常陸太田市でも酪農家が減ってるって聞きました。酪農だけじゃなくてどの地域も高齢化してて、空き家ばっかりですね」
「切ない場所もたくさん見てきたのね。でも金沢なんかに行くと、人がたくさんいて全然違うでしょ」
「そうですねえ」
このあたりでは都会といえばやっぱり金沢なんだなあと思った。
「そうなのよ。東京に向かって商売してる人たちはどんどん大きくなっていくんだけど。地域で真面目にやってる人たちはねえ…」
なんて話をした。 そのあと、お昼ご飯に招いてくれた。家に入ったら猫と犬がいた。ヤギとロバとポニーとウサギと犬と猫と鶏がいるっぽい。動物が好きでいろんな動物 を飼っていて、それと同じように仕事として牛も飼っている感じがとても良い。

お昼ご飯のスパゲッティを頂いてから出発した。今日は目的地が決まってる。金津創作の森っていうところに向かう。金沢21美の黒澤さんから福井県 の牧井先生という方を紹介してもらって、その牧井先生から金津創作の森というところを紹介してもらった。このところずっと町中を歩く事が多かった ので、久々に山の間に作られた太い道路の歩道を、誰ともすれ違わないで歩くと「日本に戻ってきた」ような気がした。僕の頭のなかの日本の風景がい つのまにかアップデートされている。これまで「故郷」とかって言葉を聞くと、山と川と森と民家や田んぼや畑のイメージが頭に勝手に浮かんでいたけ ど、最近の僕にとって日本の風景といえば、片側2車線の太い道路と誰もいない歩道だ。道路は山と山に挟まれていて、脇には雑草が茂っている。そん な日本の風景が浮かぶ。歩いてきた印象として、圧倒的にそういう景色が多い。
今日は風が強い。ドアの蝶番がはずれてドアごと壊れかけた。急遽持っていたテーピングテープ(前に津南の高橋さんからもらったやつ)でドアを家に 固定して乗り切った。ちょっと近いうちに修理が必要だな。歩く速度も遅くなるし風にイライラしてたけど、風なんか関係なく走る車たちを見ていた ら、風に左右されながら生活が変わっていくのはとっても良い事なんじゃないかと思えてきた。風によって生活が変わっていくって素敵なんじゃない か。歩ける距離が変わるから、当然その日寝る土地も変わるのだ。これは贅沢なことなのでは。

もうすっかり暗くなったころに金津創作の森に着いた。けっこうな森の中にあって、あたりは真っ暗で、物音に過剰にビビりながら着いた。ちょっと情報の行き違いはあったけれど、そこに住んでるろうけつ染め作家の加藤さんというお ばちゃんと旦那さんが暖かく迎えてくれた。加藤さんは僕が大学で教わってた土屋公雄さんのことを知っていて会った事もあるみたいだ。嬉しい。創作 の森の中に土屋さんの作品があるらしいので明日見に行ってみる。旦那さんがなんだかすごい人で、いろいろお話というか説教を聞いた。君は面白いけ ど、まだまだやれる、変われる。まだまだ甘えていると。
「自分の未来が描けない奴に、絵が描けるか。自分の未来を、鋭い眼光でビシーっとやったときに、絵が、はじけるんやっ!」
「change is growth。変化は成長です」
「さとしくんはまだまだ変化できる。まだまだいける。まだ甘えてるとさえ思う。君のような人はごまんといる。やってることじゃない。生き方の話 や。そういう生き方をしている人はたくさんいる。まだまだいける。タケノコや」
「岩登りしてるとして、岩の端をつかんでるんかっちゅう話や。岩をつかんで、ぐーっと自分にひきよせるんや。待ってたら来ると思うのは、やめたほ うがいいですよ。」
名言がたくさんだ。でもすごい勢いで言われると、こっちも怯む。確かに僕にはある種の「がめつさ」みたいなものが無い。仕事をとってきたりする野 性みたいなものがないのが弱点だと思っている。そういうのはちょっと考え直した方がいい。意識してみよう。僕はまだまだ変われるのだ。と思った。
「こうやって説教して、悔しいーって思わせるのが私なんです。今日は晩飯がうまい。さとしくんのおかげやな!」
とも言ってくれた。

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一昨日と昨日は金沢で休んで今朝、下柏野町にもどってきた。

お寺のおばちゃんに改めて聞いてみたら、5人じゃなくて7人家族だった。住職さんは顔を見るだけでほっとしちゃうような、すごく人の良さそうなおじちゃん。僕は、独り言を言いまくってる職人さんが御堂の中で作業する近くで絵を描いてた。職人のおじさんは常時「うわ、ここは…やなあ」「よし。これでまた…」なんて言ってて面白い。西に行くほど、関西弁ぽい話し方をする人が増えていく。とても分かりやすい。絵を描いてたらおばちゃんがお茶とお菓子を準備してくれた。

「昨日も葬式で人が出たり入ったりして慌ただしくてなあ。ここのことを村上さんに道ばたで教えたって人と、その話したで」

と言ってた。そういえば18日にも「これからお葬式がある」って言ってた。お葬式ばっかりだな。

 

絵を描き終わったところで独り言の職人さんが

「絵だけ、ちょっと見せてくれるか」

と言ってきた。

「ああ、細かいんやなあ。ありがとう。お名前なんちゅうんやったっけ」

「村上です」

「村上さんな。さとし、やったっけ?」

「え。そうです!さとしです」

「なんか、テレビにもでてたらしいな。ありがとう」

そういえば昨日テレビで紹介されたらしい。僕は見てないけれど。テレビ金沢のウェブサイトを見たら「家男」って紹介されてた。これはまた新しい呼びかたをしてくるなあ。べつにいいんだけど。僕を「家男」と呼ぶことによって、彼らはなにかを隠蔽してるような気がする。「変人」とか「ホームレス」とかって呼んで人を括ることによって、そうやってある種の差別をすることによって何かこころのスイッチを切っている。どこまでいっても他人事なんだろうな。池田卓馬さんが「アーティストが作品つくるのだって余計なお世話ですよ」って言ってたのを思い出した。

 

9時半ごろ出発して引き続き8号線を西に進む。朝から歩くのは久々。朝はあんまり声はかけられない。だいたいお昼以降になって「写真とってもいいですか」とか聞かれる。今日は明らかに年下の男に

「何してんの?写真とらして。ちょっと停まって停まって」

みたいに言われた。なんだこの野郎とおもって中指たてて写ってやろうかと思ったけど家壊されたらやだなと思ってやめた。写真を撮られると撮りかえしたくなる。写真を撮ってるところをこっちから撮りたくなるこの気持ちはなんだろう。撮られると、僕は結構オンラインに「居る」んだぞって言いたくなる。この生活はインターネットがないとできない。発表の場がネット上で作れるからっていう事以上に、精神的な重心をネット上に置けるから、目の前で起こってることに揺るがないようなバランスが保てる。これは大学3年の時に排他的内向馬鹿について書いたレポートと同じ事が起こってるな。この生活の前まではツイッターとかフェイスブックとかに自分の居場所を持っちゃう感じが嫌だったけど、いまはそういう気持ちはほとんどない。身体感覚がアップデートされてる感じ。

 

24キロくらい歩いたところで「平松牧場」っていう看板が国道沿いに出ていた。「milk&dessert」っていう文字につられて入っていった。このへんをグーグルマップで見てみたら面白い住所表記になってた。「分校町」っていう町なんだけど「分校町る」とか「分校町ぬ」とか「分校町タ」とかって書いてある。いろは歌からとってるのかな。牧場に併設されたカフェでソフトクリームを食べて、そのまま敷地交渉してみたら快諾してくれた。

「明日はお休みだから、雨降ったらカフェの軒下使ってください」

って言ってくれた。家を置いて牧場内を散歩したらご近所の家族も遊びに来た。そこの奥さんも

「寒かったら泊まりにきてくださいね!」

って言ってくれた。なんかいい人ばっかりだな。牧場には牛のほかにヤギとかロバとかウサギとか犬とか色々いて楽しい。ヤギがかわいくてたまらん。

 

夜は30分くらい歩いたところにある温泉にいって、国道を歯を磨きながら歩いて帰ってきた。歯を磨きながら国道をあるくのはなんだか刺激的だった。

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朝ご飯を家族の皆さんと一緒に頂いたんだけど、そこに茶色くて平べったい見たことない料理が並べ られてた。「薄焼き」って呼んでるオリジナル料理らしく、余ったご飯と卵と牛乳と小麦粉を混ぜて 練って焼いたもの。蜂蜜をつけて食べる。これがうまかった。そしてすごく贅沢な気持ちになった。 家庭で作ってるオリジナル料理はその家庭でしか食べられない。

ご飯のあと中3の長男が近くの銭湯までの地図を描いてくれた。地図を描くのは難しい。描き方とか お店の位置に関しておばあちゃんと言い合いになってた。お母さんは
「出かけるとき、いつもこうやって喧嘩になるの」
と笑っていた。なんか僕も笑ってしまった。
地図って家が動かないから描けるものだ。ヒトが住居を固定しはじめたころ地図も描 かれはじめたんだろうなってイメージできる。大竹伸朗さんがドクメンタで作った移動できる小屋の 作品は、津波で家がまるごと流されてるニュースを見て衝撃を受けたことによって生まれたらしいで すよって21世紀美術館の人が話してくれた。ますます大竹さんに会いにいかなきゃって思った。

何人かの人たちが金沢のことを「二つの川に挟まれた町」って言ってた。富山の人たちが「立山に囲 まれた土地」っていうのと同じように。頭のすみに「自分はいまこういう地形のところに住んでい る」っていう感覚を持ってるのだ。これは僕にとって新鮮だった。

金沢から16キロくらい歩いて、夕方ごろ白山市の下柏野町っていう国道沿いの小さな町に着いた。 お寺を探して国道から町の中に入っていったら道ばたで話し込んでるおばちゃん二人に出会った。
「あら、新聞で見たわよ。家背負って歩いてる人でしょ」
と言われた。もう新聞にでているのか。これは嬉しい。話が伝わりやすい。
「いま敷地を探してるんですけどこのへんにお寺ないですか」
「あるある。二つ。こっちのお寺よりこっちのお寺の方がええわ。おばちゃん親切やわ」
と教えてくれた。僕は「親切なおばちゃん」がいるお寺に向かった。ドラクエみたいだ。チャイムを 押したら本当に親切そうなおばちゃんがでてきた。そのおばちゃんも新聞を見て僕のことを知ってい て、すんなりオッケーしてくれた。裏口にあるトイレも使っていいと言ってくれた。 おばちゃんの他に若い夫婦2人と小さな子供が2人住んでいるお寺で、みんな親切だ。夜は僕の家までお弁当を持ってきてくれた。刺身なども入っている。

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今日も金沢にいる。金沢21世紀美術館の人が僕の家を招いてくれたので敷地の心配をしなくていい。お勧めされた金沢市民芸術村とか長町の武家屋敷跡とか散歩してまわった。結構寒い。今日も北國新聞社とテレビ金沢から取材が来た。

 

テレビ金沢のリポーターとのやりとりで

「これまで生活してきて何か気がついたことはありますか?」

「僕の家は家というより、ただの寝室なので、他のトイレとかお風呂とか洗面とか一切の機能は町に依存します。でも考えたら普段の生活でも依存しあって生きているのって当たり前で、それが1つの家に集まってるからわかりにくくなってるところがあると思います。自分の家の蛇口をひねると出てくる水は、自分で集めた水じゃないし、ガスも電気も誰かが作ってくれたのを使ってるだけで、そういう依存しあって生きてるってことが、この生活をしてるとよくわかります。」

って答えたら。

「ありがたみが分かるっていうことですか?」

と言われた。「そんな感じですねえ」って答えてほしいんだろうなと思いつつ

「っていうより、依存しあってるのがよく分かるっていうことです」

と言い直した。最近気がついたんだけど、いかに理解から逃れ続けるかが考えさせるのをやめさせない鍵なのだ。

 

夕方、美術館から21美の人の家に移動するとき、子供に囲まれて

「ヤドコウモリだ!」

と連呼された。

「ヤドコウモリって何?」

って一人の子に聞いてみたらなかなか答えてくれない。子供は集団では騒げるし、気持ちが大きくなって絡んでくるけど一人になると萎縮しちゃう。しばらくしてもう一回聞いてみたら

「妖怪ヤドコウモリ」

って答えてくれた。もうこんだけの数の子が騒ぐ妖怪といったら1つしか無いと思って、妖怪ウォッチについて調べてみたら「ヤドコウモリ」っていうレアな奴がいた。家からハネと足が生えてて「キャラ被せてくるんじゃねえよ」って思った。

 

夕方、家のおばあちゃんが夕食に招いてくれた。息子二人と4人で食卓を囲んだ。息子二人は母親の現代美術の仕事を「なにやってるんだかよくわからない」みたいに見ていてちょっと意外。おばあちゃんは

「最近はへんな理由での殺人事件が本当に増えてるから気をつけなさい」

って言ってくれた。そういう話はよく聞くな。他に色々話したけど、こどもを育てる時の話で

「家や財産なんかいらない。体に技術を覚えさせれば後から役に立つから」

と言ってたのが印象的。

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お寺の奥さんに色々な差し入れをビニール袋にもらって石動地区を出発した。一寸法師みたいな気持ち。奥さんは「面白い体験ができました」ってめちゃ笑って見送ってくれた。差し入れはおにぎりとお茶と鶏の唐揚げとお菓子があって、そのなかにロッテのカフカっていうキャンディがある。これがうまい。「かめばかむほどうまミルク」がキャッチコピーなんだけどその通り。

 

北日本放送の取材は今日も続いて

「今日富山県を出て石川県に入ると思うんですが、富山で印象的だったことはなんですか?」

って聞かれた。新鮮な体験が多すぎるのでこれはとっても難しい質問なんだけど

「立山っていう山が、富山を台風から守ってくれるんだって誇らしげに話してる人がいたのが印象的でした」

っていう話をしたらリポーターが

「そういわれると、我々もそれを大事にしていかなくちゃと思いますね」

と言ってた。そうかそういうものかと思った。

 

路上にトカゲをみつけた。というか草と草との間をトカゲが走り去っていく残影のようなものを見た。トカゲを捕まえるのはちょっと難しい。敵の接近に気がつくのが早い上に、スタートから一気にトップスピードまで加速して草むらに逃げる。バッタもよく見る。バッタは敵の接近に気がつくのは遅いけど

、ジャンプ力があるので目の前から一瞬で消える。しかもその方向が正面だけでなく多少左右にも飛べるので見失いやすい。カマキリは全く動かない。徹底的に葉っぱのフリをする。それぞれ戦略が違う。あとトンボは人に慣れてる個体と慣れてない個体によって逃げ方が違う。人に捕まえられそうになった奴は逃げるのが早いし、その経験がない奴は遅い。トンボが捕まえやすいかどうかでその土地に虫を捕る人がいるかどうかが推測できる。

 

倶利伽羅峠のあたりで大阪ナンバーのトラックの運転手が

「テレビ見たよ!頑張ってな」

って言ってきたり、津幡っていう町で

「変わった事が好きなんだな。話のタネに写真撮ってやるよ」

って言ってカメラを向けてくるおじさんがいて「この人偉そうだな」って思ったり、金沢市に入った頃に僕の前にトラックが停まって

「学園祭の出し物か。載せてってやるどこまで運ぶんだ」

と言ってくれてちょっとトラックに載せてもらったり。彼は金沢の植木屋さんだった。昔自分がヒッチハイクしてた経験から、ヒッチハイカーをよく乗せたりしてるらしい。金沢の歴史について色々話してくれる人で、金沢にお寺がたくさんある理由(加賀藩だかの方針で、宗派問わず寺院が集められたらしい。でもほとんど浄土真宗らしい)とか、駅が市街地から離れている理由(かつて線路を敷く頃、列車が町中で走られたら危なくて仕方ないという認識があった)とか色々聞いた。

 

そんで金沢21世紀美術館まで行った。知り合いのつてでこの美術館のキュレーターを紹介してもらって、自分の活動の話をしたらめちゃ面白がってくれて意気投合できた。僕が移住をするモチベーションになっている怒りと同じ種類の怒りを感じてると言ってくれた。

 

朝まで取材されてた北日本放送の夕方のニュースに僕の活動が紹介されて、インターネットでもそのニュース映像が見られる。予想はしていたけど、案の定ディレクターのシナリオにあわせて紹介されている感じ。報道してくれるのは嬉しいんだけど「敷地を借りた家の絵を描いてプレゼントする」みたいに言われると「敷地を借りた家じゃない絵を描けば良かった」と思ってしまう。「絵のコピーなんですけど」っていう部分も何故かカットされている。大きな違いだと思うんだけど。一概には言えないけど、テレビの制作側の人たちは視聴者のことを甘く見すぎてるんじゃないかな。「このくらいなら視聴者も理解できるだろ」っていうふうにある意味で見下して編集してる気がする。意識的なのかどうかは知らない。「わかりやすく伝える」という意図がいつの間にか「視聴者のレベルを勝手に想定する」ということにすり替わってしまう。この境目はとっても難しいことだと思うけど。

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今日も9時くらいまでたっぷり寝た。いきなり寒くなった気がする。たぶん台風が冬を連れてきたのだ。そろそろ上着を手に入れるか寝袋を買い変えるかしたほうがいいかもしれない。
高岡市から西に向かって歩いてたらまた職質をくらった。すかさず身分証を渡したらお巡りさんが
「もしかして最近声かけられましたか?」
「昨日すぐ近くで声かけられました」
と答えたら身分証を返してくれて
「なんか、旅行かなんかされてるんですか?これで寝泊まりするってことですか。あーやっぱりそういうことなんや。お気をつけて」
と言ってすぐに解放してくれた。初めてのパターンだ。彼らはこっちがいくら
「すぐ近所でも職質されたんですけどまたですか」
って言っても職質をやめない。全然信じてくれない。まあ嘘をつく人間がいるからってことなんだろうけど。

名前はわからないけど茎のてっぺんだけに黄色い花をいっぱい咲かせてるヤツ(やたらたくさんいる)と、ススキが目立つようになってきた。あとねこじゃらし。道ばたに生えて る草の色味が、緑から赤茶色に変わってきてる。日本が冬に入る準備をしてる。冬は好きだけど「冬が好き」とかってセリフも身の安全が完全に保証されているから言える事なん だなと思った。今の生活では、とにかく少しでも寒くなくて雪が降らない土地へ行かないと死活問題になる。

歩いてる僕の前に車が停まって、中からスーツを来た男性が降りてきた。なんかの取材かなと思ったら、案の定北日本放送というローカルテレビ局の人だった。夕方のニュースで 取り上げたいから取材したいとのこと。大きめのカメラをもって、ヘッドホンをつけてインタビューしてきた。このあいだの読売テレビの取材ではクルーが6人いた。だから今回 1人でカメラマンと音声マンとリポーターを全部やってる感じが新鮮だった。一生懸命話した。そしたら
「そんだけ考えがあってやっていることを、ただ『家が歩いてる』っていうニュースにするだけではつまらないので、しばらく取材させてください」
ということになって、夕方僕が敷地を探す頃にまた来ることになった。

途中あった道の駅で休憩してたら、そこにパネル展示スペースがあった。地図とか、近隣のイベントのポスターとかが貼られている。退職したばかりくらいの年齢層の夫婦がい た。旦那さんは地図を見ている。奥さんが話しかける
「おとうさん。…おとうさん。」
「え」
「トイレ行ってきます」
「…」
そして奥さんの方がトイレに立ち去っていった。そのやり取りに何故かグッときた。一緒に暮らしてきたであろう長い時間がその短い会話に現れていた。駐車場にキャンピングカ ーがいくつか停まっていたから、それで暮らしてる夫婦かも。そう思い込むとなおさグッとくる。

小矢部市の石動っていうところにお寺がやたらたくさんある地域があったので、そこで北日本放送の人も合流して敷地を交渉することにした。一軒目にいったお寺で一発オッケー をもらった。和尚さんが
「今日は寒いから御堂の中で寝るといい」
と言って中に入れてくれた。夜夕食にも招いてくれて、和尚さんが一番好きだという菊水の一番搾りを飲みながらいろいろとお話しした。和尚さんは転勤族で、もともとテレビ関 係の仕事をしていたけど奥さんの実家のお寺に人がいなくなったので、急遽仏教の勉強をして住職になったという身らしい。いろんな生き方があるな。
しかもアートディレクター の北川フラムさんが住職の後輩だった。フラムさんは学生の頃から活動的な人間だったらしい。話していて、僕のような活動に対して免疫があるような気がしたのだ。どうりで。
富山県は、かつての加賀百万石前田家の分家の地域だった。そんで加賀藩は力のある藩だったので、幕府から目を付けられていた。なので「自分は茶や陶芸を愛好する害のない人 間だ」と思わせるために、江戸から茶人を招いたりして文化政策に力を入れた。その結果文化が発達することになった。金沢はもちろん、富山県高岡市なんかも全国の大きな寺の 鐘の何割かはそこで作られている、銅器で有名な場所らしい。 またこの石動と呼ばれる地域は浄土真宗のお寺がいっぱいある。江戸時代以前はこの辺りで浄土真宗による共同体ができていた。100年ぐらい宗教で統治されていた時代があっ た。その名残がいまも残っていて、お寺で講話を聞く習慣があったり、信心深い人々がたくさんいる。という話を聞かせてくれた。

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寝すぎた。起きたら九時過ぎてた。雨はやんだみたい。しかし昨日は凄い台風だった。早く過ぎ去ってくれて助かったけど、そのうちまた新しい台風がくるんだろうな。ゴジラとかエヴァンゲリオンの使徒が「海から現れて日本を襲う」っていうシナリオは台風の発生過程からきてるんじゃないかな。台風もだいたい同じように南の海上で発生して、だいたい同じような進路をとって日本を襲う。津波もそうかもな。天災が海の向こうからやってくるイメージは昔からあるんだろうな。

 

絵を描いたり風が止むのを待ったりして、2時過ぎに道の駅を出発した。道の駅はほんと便利だ。最悪、敷地が借りられなくても道の駅に逃げ込むことができるしトイレも洗面台も自動販売機もある。道の駅で敷地交渉するとうまくいく時とうまくいかない時があるのが不思議。どの駅も敷地は国土交通省のものみたいだけど、駅長によって「国のものだから寝泊まりダメだ」っていうのと「国のものだから国民は自由に使える」っていうふうに方針が分かれる。「国のものだからダメだ」って理屈はよくわからない。国って誰なんだ。国って僕たちの事じゃないのかな。先日の下飯野の水野さんが

「神輿を担いでくれた人を外に寝かすのは町としてどうなんや。公民館に寝かせてあげようや」

と言って町の人たちに議論をふっかけたのはとっても大事なことで、「公共」が「自分たちのもの」っていう意識が僕たちはとても低いのだと思う。議論をするまでもなく「とりあえずダメ」みたいにしてしまう。

 

 

最近ツイッターで、借りた敷地の写真をアップするようにしている。そこがどんな敷地なのか(お寺だったり公民館だったりお店だったり)っていう説明を添えて。毎日アップしてると、家は変わらないで敷地だけ日々変わっていくように見えてくる。同じ敷地の上に家が建ったり店が建ったり駐車場になったりっていう風に、敷地の上にあるものが変わっていく風景はよくみるけど、敷地の方が変わっていくってのは見たことない。考えてみると敷地っていう制度が社会のシステムの側にあるのに対して、僕の家(寝室)は人間の生活の側にある。泥臭くて熱をもった生活の側にあるものだ。敷地を変えつづけることによって、僕の生活をシステムから取り戻すことができるかもしれない。日々の生活の重心はシステムのほうにあっちゃいけない。このからだの方に重心を置かないといけない。じゃないと福知山線の脱線事故みたいなことがおこってしまう。小さい頃の、生きている感覚がからだと共にあった感じ。あれを思い出すのだ。

 

夕方まで歩いて、そろそろ敷地を探そうと思ってたら職質された。もう40回くらいされているので、向こうが近づいてきて何か言う前に身分証を差し出すようにしてる。

「交番とか、警察署の敷地を一晩借りる事はできますか?」

って、かねてから聞いてみたかったことを聞いたら

「無理です」

って言われた。警察署や交番には秘密の情報がたくさんあるので、なにかのスキに持っていかれたら困るっていうリスクを想定してのことらしい。行き倒れ状態の人が来たら「保護する」ということで場所を与えるっていうことはあると言われた。

 

5時頃、高岡市の内島っていう地域についた。道の駅があったけど、人が多そうだったので近くにお寺を探してそこで敷地交渉した。そしたら住職さんは僕の話が全部終わる前に

「いいよそこ置いて」

って言ってくれた。それですぐ家の中に引っ込んでいった。道の駅の近くで敷地を借りると住み心地が良い。

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「『気の向くままだね』とか『自由だねえ』とか言われるの嫌なんですよ」
って言ったら水野さんは
「嫌だよな。それくらいわかる」
って言ってくれた。気ままだねえとか言われると、見てる景色が違うんだなあと悲しくなる。ていうか気の向くままの「気」ってなんだ。そんなもの存在 しないんじゃないか。「自分の好きな道を選んだんだね」とか言われるのも苦手。収入が安定しないことを心配する人とか「将来どうやって生きていくん だ」とか言う人も全部同じ。なんとでも言ってくださいっていうかそんなねちっこいこと言うくらいならもっとバカにしてくれ。生きる事とか死ぬ事とか 日本に生まれてきたことの意味とか、福知山線の事故や原発事故を起こしてしまった自分の責任とか考えた事あるのかな。自分自身の話なのだ。全部。お よそこの世界で起こる事で自分の責任じゃないことなんて1つもないのだ。考えたことがあるのかな。収入の不安定を心配する人とか、健康を心配する人 とかは、じゃあその「安定した収入で何をするんだ」とか「健康な体になって何するんだ」みたいに「何するんだ」ってところまで考えたことあるのか な。美術が好きだと言える人間で良かった。もう何度も同じようなことは書いてきたけど自戒も込めて書く。何回でも書く。

7時頃に目が覚めた。一緒に泊まってくれた二人はもう起きていて、台風に関するニュースを見てた。ていうか、どの局を見ても台風に関する ニュースばっかりやってる。今回の台風はかなり危ないヤツらしい。どの局も沖縄とか九州とか四国のリポーターがマイクを持って嵐の中
「すごい風です!立ってるのがやっとです!」
って大声でリポートしてるのを流してる。そんな危ないことしなくていいのにって思ったけど、よく考えたら彼らはテレビの前の視聴者のかわ りに嵐を体験しているのだ。それは必要なことかもしれない。とか思いながら
「大丈夫ですかねえ」
って心配してたら町の人が
「でも富山は立山っていう山が守ってくれてっから。昔から台風の被害は酷くねえんだ」
と誇らしげに話してくれたのがとても良かった。こっちまで嬉しくなった。外は風がなくて空気が冷たくて不気味だ。嵐の前の静けさっていう 雰囲気。でも天気予報をみたら、お昼過ぎまでは風も雨も大丈夫そうだったので早いうちに出発することにした。宴会の残りものとかお菓子と かコンビニおにぎりとかをたくさんもらった。結構重いけど、人からの差し入れの重さは耐えられる。自分で買った物が重いのと、人からもら った物の重さは全然違う。その重さもエネルギーになるというか。

途中雨が降ったりやんだりしたけど風がないおかげでどんどん歩けた。なんとなく気持ちが焦って、休憩を取る時間がもったいなくて4時間半 くらいノンストップで歩いてしまった。途中、からだが2~3個にちぎられたタヌキの死体がバイパスの歩道に転がってるのを見つける。かなりきつい。ハ エもたかってる。自分と同じほ乳類が路上で死んでるのをみるのは虫とか鳥が死んでるのをみるよりきつい。
「そろそろ歩くの限界だなー」と思いはじめたころに、風が出てきた。そんなに強くないけど、風向きが不安定で不気味な風。明らかに台風の風。やばいやばいって思ってたらちょうど近くに道の駅があったのでそこに避難した。もうこれ以上歩けないので、事務所に行って
「家置かせてください」
って敷地の交渉をしてみたら、事務所のおじさんはニヤッと笑って面白がってくれた。そんで
「ここは24時間あいてっから。あんたの家、外は危ねえから中に入れな」
と言ってくれた。
「あんたの他にも2、3人おるわ。もう3日くらいここで寝泊まりしてる人もおる。」
らしい。たしかに他にも「日本一周」って大きく書かれたバックパックのそばで寝袋で寝てる人がいた。結構年上の男性。

外はあっという間に嵐になっている。ものすごい風が吹き荒れてる。危なかった。そんな風の中、僕はもう服が無いので近くのコインランドリーを探して行っ て、洗濯したあと道の駅のそばに温泉があったので入ってきた。休憩スペースに漫画がおいてあって、風呂上がりにアオハライドっていう漫画 を読むなどした。悠里ちゃんって女の子がめちゃかわいい。
そんで道の駅に帰ってきたら、さっきの日本一周の男が、地元のおじちゃんと話してたので輪に入ってみた。日本一周の男はヒッチハイクでま わってるらしく、彼と話してた地元のおじちゃんは昨日彼を車であちこち連れていった人、という関係らしい。日本一周男の方は、道の駅の物 産館で売り子をやってる女の人から電話番号を聞き出そうとしてた。割と気軽にそういうことできるのは旅人の特権かもしれない。おじちゃん の方は道の駅の近所に住んでて、ここでは色んな人と出会えるのでよく来るらしい。道の駅の近所に住むの楽しそう。

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朝起きて外に出てみたら風がなくなってた。昨日まであんなに強かったのに。台風が近づいてるからからかな。不気味だ。
家を置かせてもらったドラッグストアの近くで絵を描いてからお昼前に出発した。歩いて1時間くらいしたあたりで小学生くらいの女の子数 人から
「なにしてるんですかー?ご飯いりませんか?」
と声をかけられた。ここらは下飯野という地区でちょうどお祭りをやっていて、町の皆で公民館の前に集まって宴会をしてるみたい。この 「祭の宴会に呼ばれる」パターンが定期的にあるな。行ってみたら、やっぱりすごい質問攻めにあった。みんな気持ちが高揚しているから 色々聞きたがるし、家にも入りたがる。神輿につけられてたプラスチックの飾りを窓の上に差されりした。あれよあれよという間にうどんと かオードブルとかビールが出てきて
「食べろ食べろ」
と言われた。僕の正面に座っていて水野さんという人が、心から興味を持って親身に話を聞いてくれた。
「神輿の担ぎ手が足りないんだ」
って話をされて
「泊まる敷地があれば、神輿でもなんでも手伝いますよ」
って言ったら
「それはなんとかなる」
みたいになって、僕は神輿を担ぐ事になった。

十数人の男と二人の中学生男子が主な担ぎ手で、その周りを二人の中学生女子とか子供とか町のお偉いさん方がくっついて神輿を担いでまわ る。100軒くらいの家をまわって玄関の前まで神輿を持っていって、家とか車に神輿をぶつけようとしたり、それを家の人が阻止しようと したりする。過去に松の木を折ったりとか家に傷をつけたりとかって例もたくさんあったみたい。僕の話をよく聞いてくれた水野さんが中心 になって盛りあげる役を担ってる感じだ。二人の中学生男子に前を担がせたりとかいろいろ気を回してた。かと思ったら突然いなくなったり 戻ってきたりする。誰かが担がなくなってもと咎める人はいない。でも担ぎ手は思った以上に少なくて大変だった。一番少ない時で8人しか いなかった。前後左右に2本ずつ担ぎ棒がでてるから、8人は最低人数だ。そんな状態だから、ずっと担いでいられない。だから、家の前に 行く時以外は神輿を台車に乗せて運んでた。僕の地元葛飾も浅草も神輿の担ぎ手がいなくて苦労してた。どこも一緒らしい。水野さんは
「『面白くない』って思われちゃうから駄目なんやろうなあ。若い奴らが次も来たくなるような工夫をしていかんと。」
と言ってた。担ぎ手は少ないけど、中学生男子二人が彼女らしき女の子も連れてきたりして良い感じに祭に関わってるのがとても良い。彼ら がいるのといないのとでは祭の雰囲気も全然違うと思う。女の子が男を見て、男がそれに答えるように神輿を担ぐのだ。

夕方全ての家を周り終わってから神輿をしまう前に、公民館に置いてある僕の家の目の前でもワッショイワッショイとやってくれた。そんで また宴会になった。手伝ったことをみんなで感謝してくれた。
「一人の時に家が歩いてんの見ても声かけんわあ。みんなで宴会してる時だったからよかった」
って言ってくれた人がいた。それから案の定、僕をどこに泊まらせるかっていう話になった。
「敷地さえ借りられれば自分の家で寝るから外でも大丈夫です」
って言うと水野さんが
「いや、それはちょっと失礼や。この公民館はだめなんかなあ」
って言う。町会長は
「町の人間が誰か一緒に寝泊まりするなら、公民館に泊まってもらってええよ」
と言う。水野さんは明日朝早くから山登りに行くらしく、公民館に泊まることはできないみたい。自分は居られないけど、村上さんをどうか 頼むって他の人に必死にお願いしてくれた。
「俺はいなくなってしまうから本当に申し訳ないんやけど、神輿を担いでもらって盛り上げてもらった人に『外で寝てください』なんて、町 としてどうなんや。台風も来てるし。そんなことできるか」
みたいなことを、何度も言ってた。他の人から
「水野さんおってくれたらなあ」
って言われると
「それは本当に申し訳ない」
と言ってた。どうしても山に行きたいみたいだ。そこがかっこよかった。
僕はそのやりとりをそばで聞いてた。神輿を手伝ってもらったっていうのは、街全体の問題なんだけど、その人をどこに泊めるかっていう段階になると町の一人一人個人の問題になる。だからややこしいんだと思う。水野さんの 言い分はみんなが同意していて
「じゃあどうするか」
ってのを話し合ってくれた。結果的に、町の人二人が僕と一緒に公民館に泊まってくれ ることになった。嬉しい。

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