ご飯を食べながら、お寺のおばちゃんと一緒にNHKの連続テレビ小説を見て朝を過ごす。実家にいるみたいだ。おばちゃんがあらすじを説明してくれた。
「大正時代にな、北欧にウイスキーの作り方を学びに行った若い兄ちゃんが外人の嫁さんを連れて帰 ってきた話や。この頃は国際結婚なんてしてる人おらんかったからな。近所の人がみんな見にきて な…」
僕はそれを聞きながら、その「外人の嫁さん」が熱を出して介抱されているシーンを見ていた。
「福島から大津に移住してきたっていう人に会ってみたいです」
って言ったら新田さんがすぐ電話をかけてくれた。おばちゃんとその人が連絡を取るのも久々だった らしく
「ご無沙汰してますーー!」
と電話で盛り上がってた。昨日のニュースの、川内原発の再稼働に知事が同意したっていう話をおば ちゃんがしている
「もう再稼働はないと思っとったけどなあ…。まあまだやけど」
なんて言っている。

11時頃、再び青谷さんが登場した。軽トラで僕と僕の家を山の下まで降ろしてくれるらしい。
「ここから山を下るのは道も狭いし危ない。下まで降ろしたるわ」
家を再び青谷さんの軽トラに積んで願力寺を出発。青谷さんは僕がツイッターで願力寺のことを投稿したのを見たらしい。意外だ。これは偏見だけど、見た感じは到底インターネットなんて使いそうに ないおっちゃんなのに。青谷さんは不思議な人だ。すごく声が大きくて元気なおっちゃんて感じなん だけど、なんかイベントも主催したりしているらしい。人のためにあれこれと手が出ちゃうんだと思う。この人も「公共の人」なんだと思う。
数キロ走った所にある道の駅で降ろしてもらった。青谷さんとは割とあっさりと別れた。そっからまた歩き出してしばらくしたら、琵琶湖が見えてくる。湖の周りをぐるっと歩道がまわっていて、とっ ても歩きやすくて気持ちの良い道。なんとなく歩行者が多い。琵琶湖の観光客だけじゃない。地元に 住んでるっぽい人でも歩いてる人が目につく。滋賀県民はよく歩く人種らしい。

歩いてる途中、いつもの通りアイフォンを見ながら歩いてたら、道にある段差につまづいて家ごと9 0度前方に回転して、めっちゃ派手に転んだ。結構あちこち壊れたけどなんとか直した。「ながら歩き」はやめようと思った。

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夕方「風車村」と呼ばれてる場所の近くまで来たとき、再び青谷さんから電話がかかってきた。
「どうもどうも!いまどの辺ですかー?」
「風車村っていうところの近くまで来ました」
「今日の寝床でな、いけそうなところがあるんです。」
「おお」
「今津っていうところの山の上で、自給自足生活しとる夫婦がおるんです。」
「おお。山の上で自給自足生活してる夫婦がいるんですか」
電話越しでも青谷さんのテンションの高さに圧倒される。『山の上で自給自足生活』っていう響きからくるイメージは結構すごいものがある。
「そこがいけそうなんで、また連絡します!」
「はい!どうも!」
そんで数分後にまた電話がきて
「オッケーです!また迎えにいきます!」
ということで、僕は近くのコンビニで青谷さんと再び合流して、その夫婦の家に行った。ほんと何があるかわからない。

その家はけっこうな山奥にあった。見るからに手作り感のある家が2軒建ってて、薪とか丸太とか工具とかがいっぱい転がってた。近くに畑と田んぼもあるらしい。「クマ出没注意」っていうでかい看板もある。このへんは別荘地らしい。
その夫婦はまだ帰ってきてなかった。青谷さんと別れて、その家の中で待ってた。一軒は母屋で、もう一軒はゲストハウスらしい。いろんなところから持ってきたであろう建具があちこちに使われて て、ロフトもある。ロケットストーブと薪ストーブもある。奥さんが三線の演奏家で書もやる人らし く、家のあちこちに言葉が書かれた板が飾られてる。この家は「志我の里」って名付けられてるみたい。
しばらくして夫婦が帰ってきた。夜遅かったけれどすこしお話できた。
「経済がとまったときに、自分たちで生きていけるように」
ってのがテーマだと言ってた。食事の7割くらいは自分でつくった食べ物で賄ってるけど、ストイックになりすぎても苦しいから外食も普通にするらしい。4年くらい前に大阪からこっちに来て、すこしずつ家を建ててきた。水道も電気も通ってる。トイレは「バイオトイレ」ってやつだった。大便の時だけおがくずをかけるボットン便所みたいなやつ。薪でお湯をわかすお風呂もある。こんな暮らしのやり方もあるんだな。話しながら、夫婦であれこれ楽しみながら生活してる感じが伝わってきた。
「雨水は降り始めの15分は空気中の汚れがついてるけど、それ以降は奇麗な水になってるから使える」
「薪ストーブは150-300度の間で燃やさないといけない」
なんてことを教わった。

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わりと朝早くに高雲寺を出発した。出発した直後、前方に犬の散歩をしている女性が同じ方向に歩いてるのを発見。「こんな朝早くから家背負って歩いてる人見ちゃったらびっくりするだろうな」と思ったのでさっさと抜き去ろうとしたら意外にも
「なにやってるんですか?」
って話しかけられた。
軽く事情を説明したら
「私も東京からきて絵を描いてます」
と言われた。その女性が描いたというアイフォンのカバーをその場で見せてもらった。つい最近東京から来て、空き家だった古民家を改修した シェアハウスに体験入居中らしい。つい昨日「この町も空き家が目立つなあ」と思ったところだったので、他人事とは思えない。
招いてくれたので行ってみた。もと歯科診療所だったところを地元の土建屋が奇麗にリノベーションした物件らしい。キッチンがすっごくお洒落に改修され てて、バーみたいだった。共同生活してる人たちがそこでお酒を飲みながら談笑してるのが目に浮かぶような気がする。こんなお洒落なキッチ ンがこんなへんぴな町にあるなんて思いもしない。
そんで僕を招いてくれたその女性は松尾たいこさんというイラストレーターで、ジャーナリストの佐々木俊尚さんの奥さんでもある人だった。 超びっくりした。まさかこんな「敦賀市街まで1日じゃ行けないからこのへんで一泊しよう」みたいな気持ちで立ち寄った小さな町でこんな人に会えるとは。地元の自動車会社に10年間勤めたのを辞めて上京してイラストレーターになって、今ではかなり活躍してる人だった。1時間くらい話して記念写真も撮って別れた。

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福井県から滋賀県に入るルートは、琵琶湖の東側か西側かでルートが2つある。西側の方が距離は短い。東側は西側よりも20キロくらい長いけれど、彦根とか草津とかネームバリューのある町が多い。そのルートの分岐点にある疋田っていう町にお昼頃ついた。コンビニもあったの で、ここで敷地を探そうと思ってお寺を探した。1軒目のお寺の前に家を置いて、チャイムを押してみたけど留守だった。「いないなあ」と思って自分の家のところに戻ったら近くに軽トラが停まってた。中から元気なおじさんが出てきて、いきなり
「これで旅してはるんですか?」
と聞かれた。びっくりしてすぐに答えられなかった。置いてある状態の家を見て「旅をしてるんですか?」って聞かれたのは多分初めて。よくわかったなあすごいな。
彼はこの先琵琶湖の西側のルートを15キロくらい行ったところにあるマキノという町に住んでいる青谷さんていう人 だった。
「うち敷地あるからきたらええわ!」
と言ってくれて、電話番号を教えてくれた。また見知らぬ人とすごい出会い方をした。しかしもうお昼過ぎでここから山道を15キロ歩くと着 くのは完全に夜になる。それはちょっと危ない。なので青谷さんが仕事おわるのを待ってから軽トラで送ってもらうことに。
それから青谷さんがくるまでの6時間くらいは家をコンビニに仮置きさせてもらって、僕は絵を描いたり散歩をしたりした。夕方になるとけっ こう寒くなってきて居場所に困る。仮置きさせてもらってる家の中で寝袋にくるまるわけにもいかないしコンビニでいつまでも立ち読みしてる のも悪い。そんで何かないかと歩いてたら、バスの待ち合い室を見つけた。必死で探せばなにかしら居場所はあるものだな。暗くなってから は、その待ち合い室の中からじっと外を観察してた。コンビニの駐車場がすぐそばにあって、ここは国道沿いなのでたくさんの大型トラックが 入って来ては、しばらくして出て行った。それぞれタバコを買ったりカップ麺を買ったりコーヒーを買ったりしてるんだろうな。まさかすぐそ ばのバス待合室の中に人がいるなんて思いもしないだろうな。でも僕にとっては切実な居場所だった。待合室の他に居場所は無いのだ。

青谷さんが8時半頃現れて、家(青谷さんさんはヤカタと呼んでくれる)を積んで出発した。青谷さんは
「うちでもええんやけど敷地が狭いから、この先の峠の上に願力寺っていう、とっても親切な人がやってるお寺がある。そこはいろんなボラン ティア活動やってたり旅人を受け入れたりしてるから、そこがええかもわからん。1回行ってみよう」
と行ってそのお寺に連絡をとってくれた。行ってみると、そこはちょうど福井県と滋賀県の県境にある小さな町だった。山の中にある町って感 じだ。標高300メートルくらいらしい。お寺を訪ねたら、こんな夜にも関わらず元気なおばちゃんがでてきて迎えてくれた。僕のことをテレ ビでみたことあるらしく
「クマもでるし、中入って寝なさい。お寺ってそういう場所やからな」
って言ってくれた。「お寺ってそういう場所やからな」っていうセリフに感激した。

願力寺は青谷さんの言う通り、本当にいろんなことをやってるお寺だった。震災後に福島から大津に移住してきた人がつくった作品の展覧会 をやったり、保育園に入るまでの子供とその親を対象にした月一回の「子供サロン」(現代の寺子屋っていうキャッチコピーで新聞に紹介され てた)をやったり、ヒッチハイクの旅人やホームレスの若者を泊めたりいろいろやっている。みんなにとっての居場所になろうとしている感じがした。
おばちゃんが話してくれた。
「今はどこも立派な建物がたってるけど、昔は建物と言ったらお寺しかなくてな。集まる場所になってたんやな。映画の上映会やったり、たま に会議やったり、子供が来て勉強したり、電話もお寺にしかなかったしな。お寺だけじゃなくて八百屋でも散髪屋でも、段ボールに人が座って話し込めるようになってる場所があったけどな。今はないな。」
おばちゃんは、現代社会に対する反抗という意味でも、携帯電話もインターネットも使わないようにしているらしい。
「いまは人の居場所がないんやな。昔は居場所なんて至る所にあったのにな。住みづらい生きづらい世の中になってしもうたな。こんな田舎で も、心を悪くしてしまう人も増えてきててなあ。」
ずっと歩いてて思うけれど、そもそも町に座るところがない。道にベンチとか全然無い。今日僕は、小さなバス待合室の中が居場所だったけ ど。あの場所があって本当によかった。コンビニの駐車場に家は置かせてもらえていたけど僕の居場所はあのバス待合所だけだった。

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震災後福島から大津に移住してきたという人が作った作品の写真を見せてもらった。自分が生まれ育った故郷福島のかつての風景を布で表現してる。とてもグッときた。一度会ってみたいな

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今朝、起きたら雨が降ってた。昨日ファニチャーホリックの山口さんと
「一週間は天気もちそうやな」
なんて話をしたばっかりなのに。やっぱり天気予報はアテにならない。
外は雨だけど、工場の中はとっても綺麗な朝の光に包まれて神々しい。今日ここを出ると思うとすこしさみしくなった。

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一週間ぶりに家を動かした。ここからまずは海沿いの道路まで出て「しおかぜライン」ていう道路沿いを南下して歩いていく。歩いてる途中で毛虫を2回見た。まだ毛虫がいるのがちょっと意外だ。
このへんは新潟の親不知とか岩手県の海岸線沿いと近い地形をしてる。海があって、すぐそばに山がある。海と山の間になんとか道路を通してる感じ。歩道が無いに等しいトンネルも多くて、ヒヤっと する場面が2回あった。ていうか、すぐそばを通るのにトラックはスピードが速すぎる。いま思い出しても腹が立つ。アイフォンで音楽を流しながらトンネルを歩いてるとき、とんでもないスピードの トラックにすぐそばを追い抜かれて、風で家が持っていかれそうになるのを必死で押さえ込んでたら アイフォンが地面に落ちた。「あのくそやろう」と思ったけど、地面に落ちたアイフォンを拾ったら 音楽が止まっていなかったからホッとした。
あと道ばたに、雨でふやけすぎてゼリー状になったジャンプらしき週刊誌が落ちてた。誰にも見られないうちに漫画がゼリーみたいになっちゃったのだ。そのままギャラリーに持っていって作品にでき そう。

3時半ごろに「横浜」っていう海沿いの小さな町に入った。山と海に挟まれた、坂の多い小さな町。空き家も目立つ。コンビニが一軒だけある。みたところスーパーはない。ここを過ぎると敦賀の市街地まで15キロくらい何もないのでここらで敷地を探すことにした。一軒目の高雲寺っていうお寺で早速オッケーをもらえたんだけど、ここの住職さんがとても粋な人で、僕の話を聞いた直後に
「すごいな!」
って言ってくれて、雨が降ってるからっていうことで僕を離れ家に案内してくれた上にお風呂も貸してくれた。このお寺は住職さんが一人で住んでるみたいだ。
「作りすぎたから食べてくれ」
と言って出されたクリームシチューを頂きながらお話しした。
住職さんは元々飛騨高山の出身で、こ の寺に入寺したのは10年前。少年院で先生をやってたのを退職してから来たらしい。それまで7年間この寺には住職がいなかったらしい。
「最後まで『悟りを開いた』ということを言わず、煩悩に苛まれて死んでいった親鸞上人に惚れ込ん で真宗の住職になった」
と言っていた。高雲寺は真宗大谷派のお寺なんだけど、真宗大谷派ってのは東本願寺が本山。かつて 「本願寺」だったところから大谷派が別れた結果、西本願寺と東本願寺に別れたらしい。
「そういえば富山,金沢,福井と、真宗のお寺が多い気がします。」
っていう話をしたら
「そう。新潟もな。北陸は真宗王国っていうくらい真宗が盛んな土地なんです。」
「そういうの全然知らないです…。」
「今は宗教離れ寺離れがありますからね」
と言ってた。
高雲寺は檀家の数は少ないらしい。にも関わらず建てることができたのは、「北前船」で財を成したスポンサーがいたからっていう理由があるらしい。このあたりはそういうお寺が多いと言っていた。そういえばここに来る途中「北前船の里河野」っていう看板があった。
「江戸時代以前、この国の主な運送ルートは日本海だった。いまでこそ東京が首都になって、波も穏やかな太平洋が主流になったけど、京都に首都があって大阪が日本一の港だったころは、船はみんな 大阪から出て、下関を通って北陸を通って北海道を繋いでいた。北海道で仕入れたニシンや昆布を、 北陸を経由して大阪に届けていたのが「北前船」。北海道でとれた昆布を敦賀で加工して塩昆布にし て大阪に送っていたことから、敦賀の名物は塩昆布らしい。昆布なんかここらでは全然とれないのに。そんでこのあたりはリアス式海岸なので海と山が近い。山があるっていうことは、水が湧くということ。船の補給にとって一番大切なのは飲用水の補給だから、ここは重要な港として機能していた。山がすぐ近くにある港は、かつての船にとってはとても重要だった。そんな地形もあって、敦賀 港はすごく栄えたところだった。いま福井県に原発が多いのはそういう背景がある。昔は栄えた町っ ている自覚があるから、経済発展は自分たちの幸せになると信じている。」
そんなような話を住職さんがしてくれた。話を聞きながら何故か泣きそうになった。住職さんは続けた
「安倍首相が経済政策を第一にしてやっているのは、あれはどうなんだろう。終わりがない。親鸞がでてきたような 日本だから「経済を発展させることだけが幸せではない」っていうふうに考えることは日本人ならできるはずだ。DNAに備わっているはず。それが敗戦を経験してから「経済発達こそが幸せの全てだ!」っ ていうふうになってしまった。バブルで1回こけてもまだ懲りない」
僕は震災のことを思い出した。そうだ僕たちはバブルで1回こけて、震災でもう1回こけたのだ。い ま安倍政権が強いのは「敗戦コンプレックス」の延長線上にある「震災からの復興コンプレックス」 みたいなものに取り付かれている勢力が強いっていうことを意味してるのかもしれないと思う。
「このへんは高速道路も通ってるし、北陸新幹線も通るけど、みんな山の中をくり抜いて通ってるから景色を楽しむ事ができない。『速くて便利』なのが良いってことをみんな信じ込まされちゃってる から。そうやって麻痺させられちゃっているから。考えるのをめんどくさがる。」
この話を受けて僕は、十和田湖周辺の温泉街も新幹線の影響でさびれているっていう話をした。住職さんは
「長野でも、新幹線が通ってから佐久市とか長野市はいいんだけど、北陸本線の沿線は酷いもんです。新幹線の通過点になっちゃってから一気に寂れてしまった。」
という話をしてくれた。話を聞けば聞くほど、住職さんと僕の問題意識がとても近いにある。僕は美術という方法によってその問題を捉えることができるけど、住職さんは仏教という方法によってその 問題を捉えている。問題を捉える方法が違うだけで、同じような方向を向いている。真宗の勉強をち ゃんとしてみようかと思った。住職さんは続けた
「みんな自分の中にある闇を見ようとしなくなっている。自分の中にある闇から目をそらす人が増えてる。『人に迷惑をかけながら、煩悩にまみれながらも生きていかなくちゃいけない』っていうこと と向き合おうとしない。だからボランティアが流行ってる。すべてのボランティアがそうだとは言わないけども。自分は「人に迷惑をかけない人間」でいたい、「人のために尽くす自分」でいたいって いう考えは傲慢だ。自分は人に迷惑をかけないで生きられるっていう傲慢。知り合いに民生委員がいるんだけど、水道もとめられて明らかに生活保護が必要な人から「構わないでくれ」と言われるらし い。「迷惑をかけたくない」って思うあまり交流を断ってしまう。だから孤独死、孤立死も増えて る。都会に「家族葬」が多いのはそういう傾向が関係があると思う。かつて火事と葬式は村全体の行 事だった。地域の皆を葬儀に呼んで、呼ばれた人たちは香典を払う。そのお金を葬式の費用に充てる。つまり葬儀は村全体の儀式だった。「お互いさま」っていう意識をみんな持っていた。だけど今都会で家族葬が多い。なるべく人に迷惑をかけたくないっていう傾向が強くなっている。」
いま僕は高雲寺の離れの一室で、住職さんとの会話を思い出しながらこの日記を書いている。思い出 せる限りで書き出したけど、もっとたくさん話したことがあった。ボイスレコーダーに録音しておけばよかった。

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いまファニチャーホリックの事務所にいる。今朝、高速バスで東京から福井に帰ってきた。バスが着いた福井駅から、ファニチャーホリックの最寄りの武生駅まで電車に乗ったのだけど、その電車の中ですっごいよく喋る女性2人組がいて、聞いてて面白かった。話題が切り替わるスピードが凄い。「痴呆はなおるのか」っていうような話をしていたかと思うと、窓の外に柿の木が見えたのをきっかけに一気に柿の話題に切り替わる。

「だからな、痴呆ってのはな…。あ、柿の木か。柿好きなんや」

「ああ、美味しいわあ。」

「奇麗なオレンジ色やもんね。今。」

「美味しいわ。」

「あんまり熟してないのがいい。固めのやつ。それが一番美味しいわ。…べちゃべちゃにしてスプーンで食べんのも、甘みは増すやろうけど。」

「べちゃべちゃのやつな」

 

東京で4日半を過ごしてから福井県に戻ってくると、「近くにあるものよりも遠くにあるものの方が多い」っていう事を発見した。東京ではあらゆるものが自分の近くにあったけど、このへんを歩いてると遠くにあるものの方が多い。家とか山とか人とか。東京はやっぱり異常な密度で人や情報や物が集まっていて、すこし過ごしてみてやっぱりこの落差はおかしいと思った。僕がやってることは間違ってないって確認できた。ただしもっといける。このままじゃ、この密度に埋もれてしまう。もっともっと狂わないとだめだ。自分の中でうごめいているモノともっと深くコミュニケーションしていいのだ。それをこわがってしまう。それも立派なコミュニケーションなのだ。一人で考えながら過ごすってことは、自分以外の全ての他者と一緒に過ごすっていうことなのだ。もっと没頭していい。こわがらなくていい。

今日は歩かなかった。散歩したり絵を描いたりして過ごした。東京で過ごしたことを思い出しながら落書きをしてたら「アイフォンモンスター」っていうキャラクターが生まれた。

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GEZANのライブを観て、この人たちのスピードについていかないとって思えた。誠実な表現は、内容が明るいか暗いかとか無関係に人を元気にするものなんだな。マヒトくんとはいつかちゃんと話してみたい。 今夜福井に戻る。何をやってるのかはさっぱりわからないけど、お前のことは信用しているから見方でいよう。って思えるのは、それはそいつがどんな職業に就い てるのかとか、収入はいくらなのかとか、どんな奴と友達なのかとか、警察に捕まった事がないかとかそんなつまらないオプションで判断するんじゃなくて、そいつの誠実さや人間性の問題なんだな。何をやってるのかさっぱりわからないんだけど、こいつが一生懸命やってるんだからなんかやんなくちゃって思うようにして いかないと、そうやって個性って社会の中でみんなで育てていくもんだから、自分の世界を超えた所で判断していかないとすぐにつまらない世界になっちゃう。本が焼かれる世界になっちゃう。

高速バスで東京に来る予定が、いろいろあって新幹線になった。新幹線は速かった。米原駅を通過する新幹線をホームから見たけど、その場にいたみんながちょっとぎょっとするくらいの速さだった。ホームのみんなが「そんなに速いの?!」って顔してた。

そんな新幹線を使った福井から東京までの3時間半は、歩く移動生活での1日よりも長く感じた。なんでだろう。こんなに長い3時間半は初めて味わったかもしれない。時間が歪んで感じられた。その歪みが、新幹線の窓から外を撮ったときの電柱の傾きに現れてる。アイフォンで窓の外を撮ると、何故か手前にあるものが斜めに歪んで写る。

今日は色んな展示を見てまわったけど、いま思い返すとギャラリーで見た展示の記憶以上に、電車移動してたときに感じた時間の長さが印象に残ってる。なんだろうこれは。あの、電車に乗せられて運ばせられている時のイライラする感じはなんなんだろう。
あと、東京の密度にも改めて驚いた。僕は1日で25キロ歩くこともあるけど、それは東京都文京区湯島から小金井市の東小金井駅まで行ける距離だった。地図上の山手線の輪なんかも狭すぎて、目を疑った。東京駅から新宿駅までは一時間半で歩ける。山手線にのると30分かかる。歩きの一時間半と電車の30分は感じ方が全然違う。

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今日から4日まで東京にいく。帰省する。家はファニチャーホリックさんに預かってもらう。

鯖江市はメガネの全国シェアが90%以上あるらしい。まさかそこまでとは。

長野県でまつしろ現代美術フェスティバルが終わったのがまだ1ヶ月前だなんて。インプットされた量が多すぎてずっと脳がオーバードライブしている感じだ。そしていまという一瞬にピントを合わせる力が少しずつついているような気がする。1日のなかで、ぼーっとしている時間がどんどん削られていく感覚。頭がアップデートされて、時間がどんどん伸びていく。不思議だ。僕は歩きなので、毎日の移動距離は普通の人よりもずっとずっと短いはずなのに、自分の生きるスピードが増している気がする。やっぱり車で動くよりも歩くほうがずっと早く遠くに行けるのだ。歩くってのは土地とのダンスだから。でももっといける。もっと今にフォーカスを絞らないといけない。時間は伸び縮みするから、今っていう瞬間への集中力をもっと高めていけば時間は伸びる。そのぶん考える事ができる。

いまこの生活をして7ヶ月目で、だんだん自分が違う社会に生きているような感覚になってきた。同じ空間にいるんだけど、違う社会を生きている。もっと自覚的にやっていけば、これまで僕がいた場所、いまは奴等のいる場所がどんな場所かよりよく見えてくるような気がする。そしてそれをちゃんと絵にしていきたい。

まるで別の社会のフィールドワークをするかのように、各地の家のスケッチを描きためていきたい。別の社会のフィールドワークをするように描く。これは多分大事なキーワードになる。たぶん今和次郎や南方熊楠のことをもっと知らないといけない。僕がやっていることにはまだまだ不純物が多い。まだまだ甘い。もっと濾過できる。無色透明で無味無臭の猛毒のような。

今日は家を動かす。先日ツイッターで

「越前市を通る事があれば敷地お貸しします!」

っていう連絡をくれたオーダーメイド家具屋さんの「ファニチャーホリック」に行く。

お昼ごろ山口君の家を出発して歩いてたらスーツ姿の男性から

「こんにちは」

と声をかけられた。僕は結構急いでいたので

「こんにちは」

ってだけ返して通り過ぎようとしたら

「この辺りに保育園てあります?」

と言われた。家を背負って歩いてる時に道を聞かれたのは初だ。僕は

「この辺の人じゃないのでわかりません」

と答えた。でも答えた後で「この辺の人じゃないってのは嘘だな。今朝まで2日間このへんに住んでたし」と思った。男性は笑って

「そうですかありがとうございます」

と言って去っていった。

 

夕方頃、越前市のファニチャーホリックに着いた。ここの人も山口さんという人で、河和田の山口君とも知り合いみたい。僕は小学校の同級生だった山口君のことを思い出した。山口さんはもともと香川で会社に勤めていたけど7年ほどで辞めて、家具職人になるため学校に入り直し、今は独立して3年らしい。店舗は持っていなくて、個人やショップからのオーダーで家具を作ってる。昔から越前箪笥という箪笥がこのあたりにあるらしく、そういった古い箪笥の金具だけ再利用したりして、現代向けに作りなおした箪笥等をつくっているらしい。
「昔からあるような桐の箪笥は今はあんまり売れないからねえ」
って言ってた。受注から家具製作まで全部一人でやってる。すごい。

 

「床は冷たいだろうから」と言って、山口さんが工場にあった合板とイスとシンナーの一斗缶と梱包用の毛布を使って簡易ベッドをこしらえてくれた。家具職人だ。

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勿来町のおばちゃんから久々に電話がきた。ポカリを薦めてくれるあのおばちゃん。昨日のテレビのニュースで僕を見たらしい。

「元気そうで安心したよ」

と言われた。

 

お昼頃、外を歩いてたら道ばたで話しこんでるおばあちゃん2人組がいたので

「こんにちはー」

って挨拶したら

「はい。どこの、ぼっちゃん?」

と言われた。やっぱり見ない顔の人がいたらわかるのだな。ここはそのくらいの規模の町だ。そのあと山口君の家の絵を描いていたら、向かいの家から、やっぱりおばちゃんが出てきて話しかけてきた。この町はおばあちゃんがたくさんいる。

「ここに引っ越してきた人?ええ人がきたわあ」

「いや、僕は友達です。向かいに住んでる方ですか?漆器店っていう看板がありますね」

「ああ、友達の方ね。いやあどんな人が引っ越してきたのかよく知らんかったからなあ。漆器はいまはやっとらん。今はもう買う人がおらんでな。ここは空き家だったんでなあ。ああ。ようこそようこそ。隣が空き家だとな、さみしくてなあ」

「そうですよね。いつから空き家だったんですか?」

「ん?ああ、最近やなあ。おばあさんとおじいさんと息子さんと3人で住んどってな。じいさんばあさんが亡くなってな、息子さんひとりでどうしようものうなってな。広い家やし、働きにいくのにも不便やしな。ほんで隣が空き家だとな、さみしくてなあ。ようこそようこそ。楽にな。ここらは田舎やからな。みんないい人や。隣にも若い人住んどるしな。向かいの若い兄ちゃんが物知りでな。わからないことあったらなんでも正確に教えてくれるでな。嫁さんも物知りでな。」

「そうですかー」

「そうやな。向かいの若い夫婦は何でも知っとる。ほんで隣にも若い人おるしな。」

この『向かいの家の若い夫婦はなんでも知っているからなんでも聞くといい』っていうセリフは会話の中に6回くらいでてきた。よっぽど色々教えてもらったんだろうな。そして多分このおばちゃんは、僕がこの家の人の友達ってことを忘れている。多分、僕が引っ越してきた当人だと思って話している。

「そうですか。ありがとうございます」

「うん。ようこそようこそ。楽にな。あの柿の木はおたくの木や。冬柿っていってな。甘いんや。食べてみるとええ。」

そしておばちゃんは帰っていった。

後で山口君に聞いたところ、何度も挨拶してるけどおばあちゃんは忘れてしまうらしい。そして「物知りの若い夫婦」は、全然若くないらしい。おばあちゃんとたくさん話した日だった。

雨が降ってたのでずっと屋内にいた。絵を描いたりしてた。夕方、藤田さん家族と別れて西山公園というところに行って、そこで河和田という地域に住んでる山口君という人と合流する。昨日のものづくり博覧会で出会った人。軽トラに家ごとのせてもらって、河和田に向かった。

 

河和田にはいわゆるIターンで住み着いた若い人たちが10数人いて山口くんもその一員らしい。メンバーの半分くらいは京都精華大学の美術系専攻の卒業生で、それぞれ空き家を借りて仕事をしながらくらしている。結構な山奥の町で、やっぱりたくさん空き家がある。みんな安い家賃でひろい家に住んでる。住み始めたきっかけはそれぞれあるみたいだけど、多くは数年前に豪雨の災害があって、そのボランティアで京都から来た人たちが気に入って住み着いたという感じらしい。たぶん鯖江市がそうやって若い人を招いて、定住を促進するような受け入れ体制をある程度整えようとしているんだと思う。

今夜はたまたまそんなメンバーの会議があるらしいので山口君についていってみた。彼らのモチベーションはどっからくるのか気になる。今回は7人くらい人が集まってた。環境系のNPO法人で働いてる人とか市役所で働いてる人とか、木工の工芸品をつくる会社で働いてる人とか眼鏡職人とか職種は様々だけどみんな20代後半だった。結婚して夫婦でくらしてる人もいれば、この町に昔から住んでるおばあちゃん(ぜんぜん親戚とかではない)となぜか二人で一軒家に暮らしてる人もいた。議題はいくつかあって聞いていてわかったのは、彼らは今は使われなくなった眼鏡工房を改装して、木工や漆器や眼鏡制作の作業が出来る共同のスタジオを「PARK」という名前でオープンすべく準備してることと、そのオープンを皮切りにこの河和田を盛り上げていくためにメディアや行政や大学と手を組んで動こうとしていること。

「永住する覚悟をきめているんですか?」

ってみんなに聞いてみたら

「自分たちで永住したい場所にしていく」

って答えが帰ってきた。そうだよな。なんか瑞々しいエネルギーに溢れてて良い。生まれた場所ではないけど、面白くなりそうなこの町をどうしていきたいかっていう公共のことと、それぞれ個人的にやりたいことを自然に結びつけながら生活してる。すごい。こういう生き方ってもう普通になってるのだな。話を聞いていて、なんとなく仲間のような気持ちになった。僕は僕の仕事がある。それをやればいいのだ。各々が各々やっていれば、各々の仲間に出会うのだ。

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昨日まであんなにいい天気だったのに、今日は朝から雨が降ってる。さっき家のドアの蝶番を交換し た。これで、足を出す窓以外の蝶番は全部1回ずつ交換したことになる。とりあえず東京に着くまで の半年はこの蝶番でいけるはず。6ヶ月半あの家と一緒にくらしていて、色々と改良案が浮かんで る。早く2軒目の家をつくってみたい。より快適に持ち運び、より快適に眠れるようなつくりにした い。 昨日は疲れもあったし「ものづくり博覧会」というイベントにも行ってみたかったので、藤田さんに 家をもう1日置かせて下さいとお願いして鯖江の町内を散策した。ものづくり博覧会は鯖江市内のい ろんなメーカーが集まってブースごとに展示をしていて、ちょっと疲れた。眼鏡のメーカーや、眼鏡 洗浄機のメーカーがいくつかあった。やっぱり眼鏡の町なのだ。坂井市の牧井先生も来ていて、ちょっとだけ一緒に見て回った。制作に数千万円かかったらしい漆塗りの山車が展示してあって、これ使うの勿体ないくらいだなあと思ってたら、やっぱり普段は使わないで保管してあるらしい。それも勿体ないな。
博覧会で知り合った河和田町という町の若い人と意気投合して、明日そこに行く事になった。軽トラ で迎えにきてくれるらしい。ここ数日でどんどん知り合いが増えていく。
お昼に「サバエドッグ」なるものを食べたのだけど、これがおいしかった。ご飯と肉に衣をつけて揚げたものに割り箸がささっていて、ソースで食べる。キャッチコピーが「あるくソースカツ丼」だっ た。「鯖江名物」を名乗っていた。

夜は、福井駅の近くの現代美術のギャラリーで角文平さんという人の展示をやっているということを 知ったので行ってみた。福井駅近くの狭い範囲はお店がたくさんあって、女子大生たちがたくさんい て賑わってるけど、駅からちょっと離れるとすぐにお店がなくなってただの大通りになる。散策ができない。

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