僕は家を持ち歩いて生活している「だけ」で、パフォーマンスとかしてるつもりはない。みんながこっちをジロジロ見てくるのが何故なのか忘れそうになる事がある。合成洗剤を使わない生活をしてる 人や、自給自足で生活してる人がいるのと同じように家を持ち歩いて生活する社会を生きている「だけ」だ。だから
「重くないんですか?」
っていう質問は答えに困る。こっちとしてはこれで生活してるだけだから。家賃の安い田舎で週 2日の労働で生活している人が、週5日の労働をしている都会の人に向かって
「忙しくないんですか?」
って質問するのと似てる。 僕は別の社会を見つけて、自分のからだをそこに逃がす練習をしている。考えたら僕はこれまでも、 普段所属しているコミュニティの外で人が人と出会うっていう事を扱った作品を作ってきたのだ。全て繋がっている。

新しい社会を見つけてそこに体を逃がすのは大事なことだと思う。昨日竹内さんとホルモン焼屋で話したこ とだけど、この生活は天候にすごく左右されるし、敷地がくらくなっても見つからないと不安で吐き 気すら感じるし、自分の家で寝る時は虫とか入ってくるからヒト以外の生き物と一緒に寝るような感 覚なので、対象としての「敵」をヒトに設定するのが不可能になる。ヘイトスピーチとか、何故やる気になるのか全く理解できない。

今日はお昼ぐらいに教会を出発した。竹内さんが
「見送りはせんけどな」
と言って見送ってくれた。
今日は、埼玉で出会った作家の田谷さんの実家(京都市山科区にある)で泊めてもらうことになってる。20キロくらい歩いて、暗くなった頃に着いた。大津から峠をひとつ超えたら京都に入る。この
「峠をこえたら都に入る」っていうのが、なんか時代劇っぽくて良い。

そこは浄土真宗大谷派の法衣店だった。真宗大谷派のお寺にはもう何度もお世話になってる。「ここでも出てきたか」と思った。これまで僕は宗教なんて葬式のときぐらいにしか意識したことなかった けど、そもそも真宗というか仏教を「宗教」で括るのがちょっと間違ってる気がしている。そうやって遠ざけてしまうのがもったいない。生きるのに当たり前のことを言っているのだ。 家ではおばちゃんが迎えてくれて、晩ご飯を出してくれた。田谷さんと似てて、とっても賑やかな人 で僕はもう笑顔が止まらなかった。「北陸から滋賀県にかけて、大谷派のお寺には大変お世話になり まして」っていう話をしたらとても喜んでくれた。
「真宗のお話を住職さんから聞かせてもらったことがあるんですけど、宗教っていうより生きていく にあたって当たり前のことを言ってるだけですよね」
「そうやそうや。お寺にいってお話を聞くこともあるんやけど、ひとつ良く覚えてるのが、精子と卵 子の組み合わせで人が生まれるやろ。それはものすごい確率やろ。二度と同じ人間っていうのは生ま れないって、そう言われたのは記憶にあるのよ。せやからいまの子供はすぐなんか死んだりとか、殺 したりとか。そんなんやからもうちょっと教育の上で宗教の話をしてくれたらなって思うんやけどそ ういうわけにもいかないし…」
なんて話をしてたらたまたま二人で見ていたNHKで、白川郷での報恩講の行事のことを特集していて グっときた。報恩講っていうのは、親鸞聖人の命日が近くなった時に、その恩に報いるために行う年 に一度の大切な行事。白川郷では「生活」と「教え」が密接に結びついていた。彼らに「宗教」って 言葉を使うのは失礼でさえある気がする。

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寒い日。12月並みの陽気らしい。今日は動かない事にした。

この教会は2階に和室がある。ここにいると教会の中に居る事を忘れてしまうくらい落ち着く。ふす まを開けると1階の祭壇、身廊部分が見えるんだけど、1階から見るとふすまが木製の引き戸になっ ているように見える。とてもよくできてる。その和室で昨日の日記を書いていたら、木村さんという 教会員の人が入ってきた。木村さんもボールペンで絵を描く人。すっごくやさしい目をしてる人だ。 絵について聞いてみたら
「僕は自分の限界を感じました。京都の近代美術館でホイッスラー展を見て、ぎょぎょぎょっとしま して、絵を否定されたような気がして…」
と言ってた。

夜は木村さんと竹内さんとホルモン焼きを食べに出かけた。竹内さんはヘイトスピーチ反対のデモ活 動もやっていて、大津の方でデモの帰りに在特会の人たちと出くわして、仲間と在特会とが喧嘩をし はじめて、その仲裁に入ったところ在特会が竹内さんを警察に突き出し、留置所に入れられたことが あるらしい。パワフルな人だ。

この世界には、お金を儲けたいモテたいとかいうのを超えたものがあるんだ。何度も書いてきたけど、好きでやってるわけじゃないんだ。言っちゃえばこんなのいつも辞めたいと思ってるし、それはもっというと生きるのをやめたいっていう事とあっというまに繋がってし まう。「奇抜なことやって目をひいてる」とか「半分は婚活のためにやってるんでしょ」とか「ひま なんだね」とか「お金があるんだね」とか言う人たちはいつもいるけど、こっちだってそう思われる ことなんてはじめからわかってるしそう言われるのが怖くない訳がないだろ。それでもやるんだよ。 「でも、やるんだよ」ってのはそうやって使うんだ。他に方法が見つからない以上はやるしかないん だよ。だってやらないってことは、殺されるのと一緒なんだよ。殺されちゃいけないんだ。生き延び るために、論理とか体裁とか空気とかを超えて、体が自動的に動き出すことってあるんだよ。 「こんなことをやって何になるんだ」とか「まわりから変に受け取られたら嫌だ」とかって言葉は いつも脳裏をかすめる。でもそんなしょうもない空気に負けて、自分がやるべきと思ったことを止め たらいけないんだ。やっていいんだよ。ていうかやらなくちゃいけないんだ。マヒトくんだって歌ってる。何も分からなくても、歌ってもいいんだよって。空気に負けちゃいけないんだ。そんなもんぶ ち破って粋がっていいんだ。「なんかやろう」でいいんだよ。

旦那さんが
「ヴォーリズっていう建築家が設計した堅田教会っていう教会がある。ぜひ行ってみてほしい」
と言って、その教会に電話をかけてくれた。その教会の牧師とは反原発運動で一緒に行動していて、 顔なじみらしい。

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道沿いにあったやつ

4時頃その教会に着いて、牧師の竹内さんと会った。なんか経験値の高そうな顔つきのおじさんで、 今までいろいろな経験してるんだろうなってのが人目で分かった。教会は紅葉したツタに覆われてい て、くもんの教室も併設されてる。町に馴染んでいて良い感じ。

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教会に入ってすぐにヘイトスピーチに関す る講演会のチラシが目に入った。この人も戦ってる人なんだと思った。 僕は午前中から体調が悪くて、中で夜まで寝かせてもらった。2階に和室があって、押し入れには布 団が何組かある。こうやって泊まりにくる人がいるんだろう。竹内さんが
「これから勉強会があるから、もし話聞いてて面白そうだと思ったら参加したらええ」
と言う。どうも起き上がる気力は出なかったので、半分寝ながら聞いていた。
勉強会には、竹内さん を入れて4人が参加していて、キリスト教とその時代の社会の歴史を、一冊の本を読みながら議論し あうっていう感じみたい。後で聞いたけど、ようやく4世紀までいったらしい。フロイトやハイデガ ーっていう哲学者の名前もちらちらでてきて、教養の深さが参加者の会話から伝わってくる。
「買った本を全部読まないといけないと思ってしまうのはフロイトでいうと超自我なんですよ。超自 我の言う事は聞かなくていいんです(笑)」
っていう冗談も飛んでた。教会での勉強会とは思えない感じで教会批判もでてきた。
「一方で教会批判やっとかんと、安倍さんみたいな歴史観になっちゃうからな。歴史上最も人を頃してきたのはキリスト教やしな。21世紀でもっとも殺人を犯したのも。」

勉強会のあとは僕も起き上がってみんなでラーメンを食べにいった。一緒にいてすごくリラックスできる人たちで、楽しい食事会だった。メンバーの一人の男性は、ハイデガーに関する勉強会を月1回 教会で開いているらしく
「滋賀に留まって一緒に読みましょうよ」
って誘ってくれた。この辺に住むのも楽しそうだなあと思った。

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朝起きて琵琶湖の湖畔に行ってみた。家を出て10秒で着く。風がなくて、嘘みたいに静かだった。
巨大な水の塊が目の前にあるのに。夢の中にいるみたいだ。
お昼頃、絵を描き終わってコンビニにコピーをとりに行った時、なんか違う社会に迷いこんだ気がし た。店員さんがビニール袋を取る動作がものすごく乱暴に見える。大量消費の社会に戻ってきた感じ。自分の中に新しい社会がひとつできた気 がする。自分の中にいくつもの社会を持つことは救いになると思う。今まで同じ空間にいたのに、ただ「知らなかった」っていうだけでこんな社会があったのだ。あの家で一晩過ごして世界の見え方が 少し変わった気がする。いずれ元に戻っていくんだろうけど、今のこの「見え方が変わっている時 間」はとっても幸せな時間だ。

そこをお昼頃出発して、今度は願力寺で紹介してもらった、福島から大津へ移住してきた人の家に向か う。8キロくらい歩いた。その人の家も湖の近くにあった。玄関先で迎えてくれた奥さんは目に光が ある感じがして、会った瞬間から緊張が解けた。

奥さんは震災以降原発に反対する詩を書いたり、布を切り貼りした平面作品を作ったりしてる。放射 能によって家から避難させられた理不尽な気持ちを制作にぶつけることで気持ちが落ち着くらしい。 旦那さんは40年前から原発の反対運動をやっている。福島第一原発が動き出して、第2原発が建て られようとしていたころ。その中止を求める裁判をやったけど負けた。一審から最高裁まで18年か かったらしい。 彼らの家は福島県南相馬市の原発から23キロのところにあった。原発事故が起こり 「20キロ圏内は避難指示があったけど、3キロ離れてるから大丈夫ってわけでもないでしょうに」 と思い、事故から5日後には宮城へ避難した。その5日間は窓を閉め切って生活していた。

宮城で住んでた時、近所の人たちは原発事故のことをどこか遠い出来事と思っているところがあっ て、普通に洗濯物を外に干したり布団を外に干したりしていた。 「自分たちは窓も閉め切ってマスクもして生活してるのに、こんなに意識が違うのか」 と思った。そしたら偶然の出来事で、知人が滋賀県の空き家を紹介してくれた
「人に貸すためにあけてる家ではないけど、困ってるんだったらとりあえず来なさい」
っていうことで5月には宮城から滋賀県へ引っ越してきた。ラッキーだった。娘には反対されたけ ど、説得して出てきた。4人家族だったけど2ヶ所にばらばらになった。

でもその滋賀の家も3年以上住んでて、そろそろ出て行かなくちゃいけない感じになり、またすぐ近 くの現在の家に引っ越してきた。でもここも、大家の甥っ子さんが退職後にここに住む事になってる から長くて5年しか住めない。だから5年のうちに次の家を見つけないといけない。
「流浪の民ですよねえ。でも、福島にはもう帰れないかなと思っている。でも、そういう状態の人が 13万人居る」
いま、福島から避難している状態の人が13万人いる。事故直後に6万人が全都道府県に散ら ばった。滋賀県には300人くらいいるらしいけど、全然会わない。神奈川や京都では、福島からの 移住者が団結して完全賠償を求める裁判を起こそうと動いている。滋賀県はまだ団結できてない。
でもいま、福井県の原発の再稼働差し止めの裁判を市民の人たちと一緒に起こしているところ。滋賀県内の色々なところで原発の話をしていたら、すこしずつ原発に対する意識が高まってきた。一番説 得力があったのは「琵琶湖が汚染されたらどうする」っていうこと。琵琶湖の水は飲み水になるの で、ここら一帯は全部駄目になる。 滋賀県では各家庭に、下水の濾過層を取り付ける条例がある。もしそれが無理ならトイレは汲取式に するしかない。一時期、生活排水や工業廃水が原因で琵琶湖の汚染が深刻化してから決まりが厳しく なった。そんな地域なので、環境に対する意識はもともと高い。

最近ニュースになった、川内原発の再稼働を知事が承認したことに対して旦那さんが怒りをにじませていた。
「福島から何を学んだんだ」
と言ってた。僕は何も言えなかった。

滋賀県で福島の子供を短期保養させるサマーキャンプをやっている人たちがいる。京都にもいるらしい。京都は2011年の5月からやっていたという。すごいことだと思う。人の家の子供を、自分の 時間を削って場所を確保してお金を集めて招致するのだ。日本を背負っている感じがする。聞けば聞 くほどたいへんな事だ。子供達が泊まる場所探しから大変だ。民宿を借りて、民宿が客で一杯になっ たら移動して、廃校になった学校を使ったりして、とか。で、そのキャンプのお金を出してくれと滋 賀県の行政に掛け合ったら
「なんで福島の子供に滋賀県の税金を使わないといけないんだ。県民の総意でもあるまいし。」
と言ってのけたらしい。それで旦那さんは
「こっちで何かあったらどこにお世話になるかわからないだろう。…それが人の道ってもんだろう!」
と怒った。でも県の文化課は、福島からの避難民に対してオペラ公演に招待してくれたりする。
「その気持ちだけでとても嬉しくなる」
という。

晩ご飯のあとで奥さんに詩と、布で作った平面作品を見せてもらった。 詩はもろに怒りをぶつけてる感じで、きつい表現もたくさんでてくる。読んでいて息が詰まりそうに なった。当事者だからこそ、このきつい言葉遣いに説得力がある。書かれている事が事実か事実でな いかは問題じゃない。外の人間からは何も言い返せない。

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布の作品は、小さい頃に見た福島の景色を布の平面作品にしている。現在作品は50点くらいある。 これもすごい。昔の風景を布で表現したっていう、その言葉だけ聞くと牧歌的だけど、これが福島だ ってだけでものすごい政治的でラディカルな表現になっちゃってる。これも息が詰まりそうになっ た。家のリビングに15点くらいの作品を広げてくれたんだけど、それは素晴らしい展覧会だった。

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小昼飯(こぢゅうはん)。朝ご飯と昼ご飯の間、昼と夜の間に食べる間食の風景。ご飯は家に帰って食べてたけど、小昼飯は子供が田んぼまで届けるのが仕事だった。学校に通いながら大変な農作業を見ていた恵子さんは、「百姓には絶対ならない」と思っていた。

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旭公園のお祭り。盆踊りの輪の中にはいるのが子供の時は勇気が必要だった。

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紙芝居。5円10円をもって水飴を買って舐めながら紙芝居をみた。お金を持ってないときに紙芝居 をみることを「ぺろんこ」と言って、ちょっと遠くから離れてみたりした。

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浪江町(現在はゴーストタウンになってる)には「十日市」っていう市があった。だるまとか、お面とか、ザルとか、鍬とか、生活につかう様々な物が1年に1回売られていた。

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お昼頃お寺を出発して、志我の里の二人から紹介してもらった北小松の人の家に向かった。
「長野県で自給自足生活のことを教わってる時に出会った人なんだけど、そこはシェアハウスになってて…」
とだけ聞いてた。

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着いてみるとそこは湖のすぐそばにある三角形の家で、いまは女性二人が暮らしてる。
「琵琶湖みたから集いの家」 っていう名前がついていて、「みくさのみたから」という術を身につける人々のコミュニティの1拠点っていう役割があるみたい。だからそこに住んでる三品さんは家主っていうより管理人っていう感じらしい。
三品さんはもともと宮城県の人で、震災後にこちらに移住してきた。一度、愛知から東京 まで1ヶ月半ほどかけて歩いて旅した事があり、その時に原発も見て回っていた。
「こんなに地震が 多い国で、原発がこんなにあったら、いつか動かなくちゃいけない日がくるだろうな」
と思い、震災が起こる2年ほど前から、家の物を少なくしていったりして移動の覚悟を決めて日々の生活を送っていた。そのとき、旅をした経験から「必要あるものと必要ないもの」を考えることができた。そした ら福島で原発事故があったので、震災から4日後には関西に行ってた。
「いつか動く日がくるかもしれない」っていう意識のもとで生活をするのは、そういう意識なしで暮らすのとは日々が全然違ってみえるだろうな。緊張感があって楽しいと思う。三品さんは
「室町時代くらいまでは、半分くらいの人は移動しながら生活してたっていうし。これからもっとそ ういう人が増えて『通りすがりの者なんですけど』って言って訪ねて来る人を『来た来た』って受け 入れる土壌が出来ていけばいいなと思ってます。」
と言ってた。震災以降、自分の家を持とうって気持ちにはならなくなったらしい。

得体の知れない液体が入った酒瓶がたくさんあって
「これなんですか?」
って聞いてみたら。
「色々な野草を入れて乳酸菌で発酵させた飲み物」
らしい。
「飲んでみますか?」
と聞かれたので一口もらった。どんな味がするのかと思ったけど、意外と美味しかった。微炭酸が効いてて良い。体に蓄えられてしまった放射能を外に出すのに良いと聞いたので作っている。らしい。

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この家の台所には洗剤はないし、お風呂には石けんやシャンプーもない。日が落ちたら最低限の明かりだけつける。とっても落ち着く。
「蛇が路上で死んでるのを見たら報告している」
っていう話をしたら、「I アイ」っていう漫画を薦められた。それを読んでたら
「暗かったら明かりつけてもいいですよ」
と言って蛍光灯をつけてくれたんだけど、最低限の明かりの中で数時間過ごしていたので、蛍光灯の 明かりは眩しくて耐えられない。すごく不自然に感じた。

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「滋賀県は大阪からみたら環境大国っていうイメージがあるなあ。合成洗剤を琵琶湖に捨てないように生活を考えるとか。あと、ここらは 30キロ圏内に原発銀座もあるしな。」
って奥さんが話してくれた。琵琶湖は日本で一番大きな湖だけど、全部滋賀県におさまってる。滋賀に住んでる人の意識の中では、土地の 中心には琵琶湖があるんだろうな。いま自分がいるのは琵琶湖の右か左かっていう感覚なんだろう。西は田舎、東は都会っていう感じらし い。中心にこんなでかい湖があったら、環境問題に関して自覚的になるのもうなずける。

お昼頃、旦那さんにトラックで安曇川の道の駅まで送ってもらった。もう3時になってたので道の駅で敷地の交渉をしてみたら
「申し訳ありません。テント等も全部禁止させていただいてるんです」
と、丁寧に断られた。もうすこし歩いてみようと思い、湖沿いを南下する。空は曇っていて、だんだん日も落ちて暗くなってくる。湖を見 てると、水平線と空の境界線が曖昧で、白い奥行きを持ったぼやっとしたものが目の前に浮かんでるみたいに見える。十和田湖でも思った けど、曇り空の日暮れ前の湖はすごく奇麗だ。でも琵琶湖は十和田湖とは比較にならないくらい大きい。向こう岸がほとんど見えない。そ のぶん妖しさがある。道路にどれだけ電灯を灯しても照らしきれない奥行きがある。湖は海と違って、土地にあいた穴みたいなものだか ら、その独特の不気味さがある。ちょっとこの世から外れた景色が広がってる。こういう場所が家の近くにあるのは羨ましい。BGMはRadioheadのReckonerがいい。
https://m.youtube.com/watch?v=rOoCixFA8OI

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歩いてたらちょっと町があったので、お寺を探してみた。一軒目のお寺で奥さんが出てきた。事情を説明したら、半分笑いながら
「ちょっと待ってね。ちょっとちょっと、なんか変な学生みたいな人が来たからちょっと話聞いてよ」
と言って奥に引っ込んでいって、住職さんを連れて戻ってきた。関西っぽいリアクションだ。住職さんにも説明したら、了承してくれた。近 所の人(自治会長っぽい)も来て、4人で軒先ですこしのあいだ話し込んだ。
「どこの大学をでたのか」「どこの生まれなのか」「親は心 配してないのか」等等聞かれて、答えてるうちに打ち解けていった。すごく人懐っこい人たちだなと思った。奥さんが
「敷地貸したら、今度トイレ貸してとか言わないでしょうね!?」
って笑いながら言う感じ。住職さんは
「展覧会の案内を送ってほしい」
と言って名刺を持ってきてくれた。
「このあたりは風が強くて、雪も積もるんだ。今はそんなに積もらなくなったけどな。」
「昔は家の中で冠婚葬祭を全部やってたから、ふすまを外せば大きな広間になる家が普通だったけど、今はそれじゃ不便ってことになって しまったからなあ。家のつくりかたも、阪神の震災の時から法律も変わって。壁がないと駄目とか。地面と家を固定してしまうけど鉄と木 だから10年20年で錆びる。昔からある家は、家をのせて重い瓦で押さえつけてるだけだ。」
などなど話をしてくれた。
「わたしは本願寺につとめてるから、京都に来たら本願寺も来てみるといいですよ」

家を置いたあと、湖沿いを散歩してみた。もう日が沈んでいて、どんどん暗くなって足下が見えなくなってくる。釣り人がたくさんいる。 何故か地面に、ブラックバスらしき魚の子供が数匹捨てられてた。まだ生きてるやつもいる。苦しそうにしてる。たぶん誰かが釣ったやつ だ。なんでこんなところに捨てられてるんだろう。ブラックバスはもともと外来種で、なんでも食う上に繁殖力もあって、日本の生態系を 荒らすっていう良くないイメージがある。ただ食いつきが面白いから釣りの対象として人気がある。どうやら琵琶湖では、釣った外来魚を 湖に返してはいけないっていう決まりがあるらしく、ほかにもブルーギルとかが普通に路上に捨てられてた。生態系を荒らす存在とはいっ ても、彼らは人の手によって本来あるべきじゃない場所に持ってこられただけで、いまこの路上に捨てられている一匹をみていると、こい つを苦しめていい権利が人間にあるのかってすごく思った。この命の扱い方というか、在り方が許せない。釣ったバスはなんとしてでも食 うとか。なんかないのかな。なんでこいつらは、こんな死に方をする生き物がいていいわけがない。しかしこの怒りの対象がわからない。

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ご飯を食べながら、お寺のおばちゃんと一緒にNHKの連続テレビ小説を見て朝を過ごす。実家にいるみたいだ。おばちゃんがあらすじを説明してくれた。
「大正時代にな、北欧にウイスキーの作り方を学びに行った若い兄ちゃんが外人の嫁さんを連れて帰 ってきた話や。この頃は国際結婚なんてしてる人おらんかったからな。近所の人がみんな見にきて な…」
僕はそれを聞きながら、その「外人の嫁さん」が熱を出して介抱されているシーンを見ていた。
「福島から大津に移住してきたっていう人に会ってみたいです」
って言ったら新田さんがすぐ電話をかけてくれた。おばちゃんとその人が連絡を取るのも久々だった らしく
「ご無沙汰してますーー!」
と電話で盛り上がってた。昨日のニュースの、川内原発の再稼働に知事が同意したっていう話をおば ちゃんがしている
「もう再稼働はないと思っとったけどなあ…。まあまだやけど」
なんて言っている。

11時頃、再び青谷さんが登場した。軽トラで僕と僕の家を山の下まで降ろしてくれるらしい。
「ここから山を下るのは道も狭いし危ない。下まで降ろしたるわ」
家を再び青谷さんの軽トラに積んで願力寺を出発。青谷さんは僕がツイッターで願力寺のことを投稿したのを見たらしい。意外だ。これは偏見だけど、見た感じは到底インターネットなんて使いそうに ないおっちゃんなのに。青谷さんは不思議な人だ。すごく声が大きくて元気なおっちゃんて感じなん だけど、なんかイベントも主催したりしているらしい。人のためにあれこれと手が出ちゃうんだと思う。この人も「公共の人」なんだと思う。
数キロ走った所にある道の駅で降ろしてもらった。青谷さんとは割とあっさりと別れた。そっからまた歩き出してしばらくしたら、琵琶湖が見えてくる。湖の周りをぐるっと歩道がまわっていて、とっ ても歩きやすくて気持ちの良い道。なんとなく歩行者が多い。琵琶湖の観光客だけじゃない。地元に 住んでるっぽい人でも歩いてる人が目につく。滋賀県民はよく歩く人種らしい。

歩いてる途中、いつもの通りアイフォンを見ながら歩いてたら、道にある段差につまづいて家ごと9 0度前方に回転して、めっちゃ派手に転んだ。結構あちこち壊れたけどなんとか直した。「ながら歩き」はやめようと思った。

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夕方「風車村」と呼ばれてる場所の近くまで来たとき、再び青谷さんから電話がかかってきた。
「どうもどうも!いまどの辺ですかー?」
「風車村っていうところの近くまで来ました」
「今日の寝床でな、いけそうなところがあるんです。」
「おお」
「今津っていうところの山の上で、自給自足生活しとる夫婦がおるんです。」
「おお。山の上で自給自足生活してる夫婦がいるんですか」
電話越しでも青谷さんのテンションの高さに圧倒される。『山の上で自給自足生活』っていう響きからくるイメージは結構すごいものがある。
「そこがいけそうなんで、また連絡します!」
「はい!どうも!」
そんで数分後にまた電話がきて
「オッケーです!また迎えにいきます!」
ということで、僕は近くのコンビニで青谷さんと再び合流して、その夫婦の家に行った。ほんと何があるかわからない。

その家はけっこうな山奥にあった。見るからに手作り感のある家が2軒建ってて、薪とか丸太とか工具とかがいっぱい転がってた。近くに畑と田んぼもあるらしい。「クマ出没注意」っていうでかい看板もある。このへんは別荘地らしい。
その夫婦はまだ帰ってきてなかった。青谷さんと別れて、その家の中で待ってた。一軒は母屋で、もう一軒はゲストハウスらしい。いろんなところから持ってきたであろう建具があちこちに使われて て、ロフトもある。ロケットストーブと薪ストーブもある。奥さんが三線の演奏家で書もやる人らし く、家のあちこちに言葉が書かれた板が飾られてる。この家は「志我の里」って名付けられてるみたい。
しばらくして夫婦が帰ってきた。夜遅かったけれどすこしお話できた。
「経済がとまったときに、自分たちで生きていけるように」
ってのがテーマだと言ってた。食事の7割くらいは自分でつくった食べ物で賄ってるけど、ストイックになりすぎても苦しいから外食も普通にするらしい。4年くらい前に大阪からこっちに来て、すこしずつ家を建ててきた。水道も電気も通ってる。トイレは「バイオトイレ」ってやつだった。大便の時だけおがくずをかけるボットン便所みたいなやつ。薪でお湯をわかすお風呂もある。こんな暮らしのやり方もあるんだな。話しながら、夫婦であれこれ楽しみながら生活してる感じが伝わってきた。
「雨水は降り始めの15分は空気中の汚れがついてるけど、それ以降は奇麗な水になってるから使える」
「薪ストーブは150-300度の間で燃やさないといけない」
なんてことを教わった。

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わりと朝早くに高雲寺を出発した。出発した直後、前方に犬の散歩をしている女性が同じ方向に歩いてるのを発見。「こんな朝早くから家背負って歩いてる人見ちゃったらびっくりするだろうな」と思ったのでさっさと抜き去ろうとしたら意外にも
「なにやってるんですか?」
って話しかけられた。
軽く事情を説明したら
「私も東京からきて絵を描いてます」
と言われた。その女性が描いたというアイフォンのカバーをその場で見せてもらった。つい最近東京から来て、空き家だった古民家を改修した シェアハウスに体験入居中らしい。つい昨日「この町も空き家が目立つなあ」と思ったところだったので、他人事とは思えない。
招いてくれたので行ってみた。もと歯科診療所だったところを地元の土建屋が奇麗にリノベーションした物件らしい。キッチンがすっごくお洒落に改修され てて、バーみたいだった。共同生活してる人たちがそこでお酒を飲みながら談笑してるのが目に浮かぶような気がする。こんなお洒落なキッチ ンがこんなへんぴな町にあるなんて思いもしない。
そんで僕を招いてくれたその女性は松尾たいこさんというイラストレーターで、ジャーナリストの佐々木俊尚さんの奥さんでもある人だった。 超びっくりした。まさかこんな「敦賀市街まで1日じゃ行けないからこのへんで一泊しよう」みたいな気持ちで立ち寄った小さな町でこんな人に会えるとは。地元の自動車会社に10年間勤めたのを辞めて上京してイラストレーターになって、今ではかなり活躍してる人だった。1時間くらい話して記念写真も撮って別れた。

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福井県から滋賀県に入るルートは、琵琶湖の東側か西側かでルートが2つある。西側の方が距離は短い。東側は西側よりも20キロくらい長いけれど、彦根とか草津とかネームバリューのある町が多い。そのルートの分岐点にある疋田っていう町にお昼頃ついた。コンビニもあったの で、ここで敷地を探そうと思ってお寺を探した。1軒目のお寺の前に家を置いて、チャイムを押してみたけど留守だった。「いないなあ」と思って自分の家のところに戻ったら近くに軽トラが停まってた。中から元気なおじさんが出てきて、いきなり
「これで旅してはるんですか?」
と聞かれた。びっくりしてすぐに答えられなかった。置いてある状態の家を見て「旅をしてるんですか?」って聞かれたのは多分初めて。よくわかったなあすごいな。
彼はこの先琵琶湖の西側のルートを15キロくらい行ったところにあるマキノという町に住んでいる青谷さんていう人 だった。
「うち敷地あるからきたらええわ!」
と言ってくれて、電話番号を教えてくれた。また見知らぬ人とすごい出会い方をした。しかしもうお昼過ぎでここから山道を15キロ歩くと着 くのは完全に夜になる。それはちょっと危ない。なので青谷さんが仕事おわるのを待ってから軽トラで送ってもらうことに。
それから青谷さんがくるまでの6時間くらいは家をコンビニに仮置きさせてもらって、僕は絵を描いたり散歩をしたりした。夕方になるとけっ こう寒くなってきて居場所に困る。仮置きさせてもらってる家の中で寝袋にくるまるわけにもいかないしコンビニでいつまでも立ち読みしてる のも悪い。そんで何かないかと歩いてたら、バスの待ち合い室を見つけた。必死で探せばなにかしら居場所はあるものだな。暗くなってから は、その待ち合い室の中からじっと外を観察してた。コンビニの駐車場がすぐそばにあって、ここは国道沿いなのでたくさんの大型トラックが 入って来ては、しばらくして出て行った。それぞれタバコを買ったりカップ麺を買ったりコーヒーを買ったりしてるんだろうな。まさかすぐそ ばのバス待合室の中に人がいるなんて思いもしないだろうな。でも僕にとっては切実な居場所だった。待合室の他に居場所は無いのだ。

青谷さんが8時半頃現れて、家(青谷さんさんはヤカタと呼んでくれる)を積んで出発した。青谷さんは
「うちでもええんやけど敷地が狭いから、この先の峠の上に願力寺っていう、とっても親切な人がやってるお寺がある。そこはいろんなボラン ティア活動やってたり旅人を受け入れたりしてるから、そこがええかもわからん。1回行ってみよう」
と行ってそのお寺に連絡をとってくれた。行ってみると、そこはちょうど福井県と滋賀県の県境にある小さな町だった。山の中にある町って感 じだ。標高300メートルくらいらしい。お寺を訪ねたら、こんな夜にも関わらず元気なおばちゃんがでてきて迎えてくれた。僕のことをテレ ビでみたことあるらしく
「クマもでるし、中入って寝なさい。お寺ってそういう場所やからな」
って言ってくれた。「お寺ってそういう場所やからな」っていうセリフに感激した。

願力寺は青谷さんの言う通り、本当にいろんなことをやってるお寺だった。震災後に福島から大津に移住してきた人がつくった作品の展覧会 をやったり、保育園に入るまでの子供とその親を対象にした月一回の「子供サロン」(現代の寺子屋っていうキャッチコピーで新聞に紹介され てた)をやったり、ヒッチハイクの旅人やホームレスの若者を泊めたりいろいろやっている。みんなにとっての居場所になろうとしている感じがした。
おばちゃんが話してくれた。
「今はどこも立派な建物がたってるけど、昔は建物と言ったらお寺しかなくてな。集まる場所になってたんやな。映画の上映会やったり、たま に会議やったり、子供が来て勉強したり、電話もお寺にしかなかったしな。お寺だけじゃなくて八百屋でも散髪屋でも、段ボールに人が座って話し込めるようになってる場所があったけどな。今はないな。」
おばちゃんは、現代社会に対する反抗という意味でも、携帯電話もインターネットも使わないようにしているらしい。
「いまは人の居場所がないんやな。昔は居場所なんて至る所にあったのにな。住みづらい生きづらい世の中になってしもうたな。こんな田舎で も、心を悪くしてしまう人も増えてきててなあ。」
ずっと歩いてて思うけれど、そもそも町に座るところがない。道にベンチとか全然無い。今日僕は、小さなバス待合室の中が居場所だったけ ど。あの場所があって本当によかった。コンビニの駐車場に家は置かせてもらえていたけど僕の居場所はあのバス待合所だけだった。

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震災後福島から大津に移住してきたという人が作った作品の写真を見せてもらった。自分が生まれ育った故郷福島のかつての風景を布で表現してる。とてもグッときた。一度会ってみたいな

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今朝、起きたら雨が降ってた。昨日ファニチャーホリックの山口さんと
「一週間は天気もちそうやな」
なんて話をしたばっかりなのに。やっぱり天気予報はアテにならない。
外は雨だけど、工場の中はとっても綺麗な朝の光に包まれて神々しい。今日ここを出ると思うとすこしさみしくなった。

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一週間ぶりに家を動かした。ここからまずは海沿いの道路まで出て「しおかぜライン」ていう道路沿いを南下して歩いていく。歩いてる途中で毛虫を2回見た。まだ毛虫がいるのがちょっと意外だ。
このへんは新潟の親不知とか岩手県の海岸線沿いと近い地形をしてる。海があって、すぐそばに山がある。海と山の間になんとか道路を通してる感じ。歩道が無いに等しいトンネルも多くて、ヒヤっと する場面が2回あった。ていうか、すぐそばを通るのにトラックはスピードが速すぎる。いま思い出しても腹が立つ。アイフォンで音楽を流しながらトンネルを歩いてるとき、とんでもないスピードの トラックにすぐそばを追い抜かれて、風で家が持っていかれそうになるのを必死で押さえ込んでたら アイフォンが地面に落ちた。「あのくそやろう」と思ったけど、地面に落ちたアイフォンを拾ったら 音楽が止まっていなかったからホッとした。
あと道ばたに、雨でふやけすぎてゼリー状になったジャンプらしき週刊誌が落ちてた。誰にも見られないうちに漫画がゼリーみたいになっちゃったのだ。そのままギャラリーに持っていって作品にでき そう。

3時半ごろに「横浜」っていう海沿いの小さな町に入った。山と海に挟まれた、坂の多い小さな町。空き家も目立つ。コンビニが一軒だけある。みたところスーパーはない。ここを過ぎると敦賀の市街地まで15キロくらい何もないのでここらで敷地を探すことにした。一軒目の高雲寺っていうお寺で早速オッケーをもらえたんだけど、ここの住職さんがとても粋な人で、僕の話を聞いた直後に
「すごいな!」
って言ってくれて、雨が降ってるからっていうことで僕を離れ家に案内してくれた上にお風呂も貸してくれた。このお寺は住職さんが一人で住んでるみたいだ。
「作りすぎたから食べてくれ」
と言って出されたクリームシチューを頂きながらお話しした。
住職さんは元々飛騨高山の出身で、こ の寺に入寺したのは10年前。少年院で先生をやってたのを退職してから来たらしい。それまで7年間この寺には住職がいなかったらしい。
「最後まで『悟りを開いた』ということを言わず、煩悩に苛まれて死んでいった親鸞上人に惚れ込ん で真宗の住職になった」
と言っていた。高雲寺は真宗大谷派のお寺なんだけど、真宗大谷派ってのは東本願寺が本山。かつて 「本願寺」だったところから大谷派が別れた結果、西本願寺と東本願寺に別れたらしい。
「そういえば富山,金沢,福井と、真宗のお寺が多い気がします。」
っていう話をしたら
「そう。新潟もな。北陸は真宗王国っていうくらい真宗が盛んな土地なんです。」
「そういうの全然知らないです…。」
「今は宗教離れ寺離れがありますからね」
と言ってた。
高雲寺は檀家の数は少ないらしい。にも関わらず建てることができたのは、「北前船」で財を成したスポンサーがいたからっていう理由があるらしい。このあたりはそういうお寺が多いと言っていた。そういえばここに来る途中「北前船の里河野」っていう看板があった。
「江戸時代以前、この国の主な運送ルートは日本海だった。いまでこそ東京が首都になって、波も穏やかな太平洋が主流になったけど、京都に首都があって大阪が日本一の港だったころは、船はみんな 大阪から出て、下関を通って北陸を通って北海道を繋いでいた。北海道で仕入れたニシンや昆布を、 北陸を経由して大阪に届けていたのが「北前船」。北海道でとれた昆布を敦賀で加工して塩昆布にし て大阪に送っていたことから、敦賀の名物は塩昆布らしい。昆布なんかここらでは全然とれないのに。そんでこのあたりはリアス式海岸なので海と山が近い。山があるっていうことは、水が湧くということ。船の補給にとって一番大切なのは飲用水の補給だから、ここは重要な港として機能していた。山がすぐ近くにある港は、かつての船にとってはとても重要だった。そんな地形もあって、敦賀 港はすごく栄えたところだった。いま福井県に原発が多いのはそういう背景がある。昔は栄えた町っ ている自覚があるから、経済発展は自分たちの幸せになると信じている。」
そんなような話を住職さんがしてくれた。話を聞きながら何故か泣きそうになった。住職さんは続けた
「安倍首相が経済政策を第一にしてやっているのは、あれはどうなんだろう。終わりがない。親鸞がでてきたような 日本だから「経済を発展させることだけが幸せではない」っていうふうに考えることは日本人ならできるはずだ。DNAに備わっているはず。それが敗戦を経験してから「経済発達こそが幸せの全てだ!」っ ていうふうになってしまった。バブルで1回こけてもまだ懲りない」
僕は震災のことを思い出した。そうだ僕たちはバブルで1回こけて、震災でもう1回こけたのだ。い ま安倍政権が強いのは「敗戦コンプレックス」の延長線上にある「震災からの復興コンプレックス」 みたいなものに取り付かれている勢力が強いっていうことを意味してるのかもしれないと思う。
「このへんは高速道路も通ってるし、北陸新幹線も通るけど、みんな山の中をくり抜いて通ってるから景色を楽しむ事ができない。『速くて便利』なのが良いってことをみんな信じ込まされちゃってる から。そうやって麻痺させられちゃっているから。考えるのをめんどくさがる。」
この話を受けて僕は、十和田湖周辺の温泉街も新幹線の影響でさびれているっていう話をした。住職さんは
「長野でも、新幹線が通ってから佐久市とか長野市はいいんだけど、北陸本線の沿線は酷いもんです。新幹線の通過点になっちゃってから一気に寂れてしまった。」
という話をしてくれた。話を聞けば聞くほど、住職さんと僕の問題意識がとても近いにある。僕は美術という方法によってその問題を捉えることができるけど、住職さんは仏教という方法によってその 問題を捉えている。問題を捉える方法が違うだけで、同じような方向を向いている。真宗の勉強をち ゃんとしてみようかと思った。住職さんは続けた
「みんな自分の中にある闇を見ようとしなくなっている。自分の中にある闇から目をそらす人が増えてる。『人に迷惑をかけながら、煩悩にまみれながらも生きていかなくちゃいけない』っていうこと と向き合おうとしない。だからボランティアが流行ってる。すべてのボランティアがそうだとは言わないけども。自分は「人に迷惑をかけない人間」でいたい、「人のために尽くす自分」でいたいって いう考えは傲慢だ。自分は人に迷惑をかけないで生きられるっていう傲慢。知り合いに民生委員がいるんだけど、水道もとめられて明らかに生活保護が必要な人から「構わないでくれ」と言われるらし い。「迷惑をかけたくない」って思うあまり交流を断ってしまう。だから孤独死、孤立死も増えて る。都会に「家族葬」が多いのはそういう傾向が関係があると思う。かつて火事と葬式は村全体の行 事だった。地域の皆を葬儀に呼んで、呼ばれた人たちは香典を払う。そのお金を葬式の費用に充てる。つまり葬儀は村全体の儀式だった。「お互いさま」っていう意識をみんな持っていた。だけど今都会で家族葬が多い。なるべく人に迷惑をかけたくないっていう傾向が強くなっている。」
いま僕は高雲寺の離れの一室で、住職さんとの会話を思い出しながらこの日記を書いている。思い出 せる限りで書き出したけど、もっとたくさん話したことがあった。ボイスレコーダーに録音しておけばよかった。

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いまファニチャーホリックの事務所にいる。今朝、高速バスで東京から福井に帰ってきた。バスが着いた福井駅から、ファニチャーホリックの最寄りの武生駅まで電車に乗ったのだけど、その電車の中ですっごいよく喋る女性2人組がいて、聞いてて面白かった。話題が切り替わるスピードが凄い。「痴呆はなおるのか」っていうような話をしていたかと思うと、窓の外に柿の木が見えたのをきっかけに一気に柿の話題に切り替わる。

「だからな、痴呆ってのはな…。あ、柿の木か。柿好きなんや」

「ああ、美味しいわあ。」

「奇麗なオレンジ色やもんね。今。」

「美味しいわ。」

「あんまり熟してないのがいい。固めのやつ。それが一番美味しいわ。…べちゃべちゃにしてスプーンで食べんのも、甘みは増すやろうけど。」

「べちゃべちゃのやつな」

 

東京で4日半を過ごしてから福井県に戻ってくると、「近くにあるものよりも遠くにあるものの方が多い」っていう事を発見した。東京ではあらゆるものが自分の近くにあったけど、このへんを歩いてると遠くにあるものの方が多い。家とか山とか人とか。東京はやっぱり異常な密度で人や情報や物が集まっていて、すこし過ごしてみてやっぱりこの落差はおかしいと思った。僕がやってることは間違ってないって確認できた。ただしもっといける。このままじゃ、この密度に埋もれてしまう。もっともっと狂わないとだめだ。自分の中でうごめいているモノともっと深くコミュニケーションしていいのだ。それをこわがってしまう。それも立派なコミュニケーションなのだ。一人で考えながら過ごすってことは、自分以外の全ての他者と一緒に過ごすっていうことなのだ。もっと没頭していい。こわがらなくていい。

今日は歩かなかった。散歩したり絵を描いたりして過ごした。東京で過ごしたことを思い出しながら落書きをしてたら「アイフォンモンスター」っていうキャラクターが生まれた。

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GEZANのライブを観て、この人たちのスピードについていかないとって思えた。誠実な表現は、内容が明るいか暗いかとか無関係に人を元気にするものなんだな。マヒトくんとはいつかちゃんと話してみたい。 今夜福井に戻る。何をやってるのかはさっぱりわからないけど、お前のことは信用しているから見方でいよう。って思えるのは、それはそいつがどんな職業に就い てるのかとか、収入はいくらなのかとか、どんな奴と友達なのかとか、警察に捕まった事がないかとかそんなつまらないオプションで判断するんじゃなくて、そいつの誠実さや人間性の問題なんだな。何をやってるのかさっぱりわからないんだけど、こいつが一生懸命やってるんだからなんかやんなくちゃって思うようにして いかないと、そうやって個性って社会の中でみんなで育てていくもんだから、自分の世界を超えた所で判断していかないとすぐにつまらない世界になっちゃう。本が焼かれる世界になっちゃう。