久々の珈琲貴族エジンバラにて、本を読みたいのだけど向かいの席でなにやら打ち合わせをしている男性二人組の会話が耳に入ってきてしまい、なかなか本に入り込めない。頻繁に「現代美術」というワードを発していて気になってしまう。さらに「コ本やでイベントやったときには…..」「高山明さんが……」「小森瀬尾の映画が……」など、作品をよく知っている作家や友人の名前まで飛び出してきて、いよいよこれは知り合いの知り合いくらいのアレっぽいぞ、という確信を得てからは、ぜんぜん集中できなくなってしまった。イヤホンをしてApple Musicで「ホワイトノイズ」と検索して大音量で流してみたが、声は突破してきた。たまらず荷物をすべて席においたまま一旦店を出て、向かいのマルイアネックスに入っているドラッグストアまで走って耳栓を買ってきた。
新宿から吉祥寺に電車で移動。混雑している電車、やはりなかなかきついものがある。大町に慣れた体には他人が近すぎる。なぜきついのかを考えてみた。「車内で何かよくないことが起こるかもしれないという予感のかけらのようなもの」が私を疲れさせるのではないか、という仮説が生まれた。
吉祥寺シアターにて、円盤に乗る派『いまのところまだ存在しているわたしのたましいが……』を見た。円盤に乗る派は『仮想的な失調』以来だなと思って行ったら、前作がそれだった。100分があっという間だった。まだうまく飲み込めないけれど、きっとこの先もずっと覚えているであろう、変な作品だった。いびつなオペラのような。説明的なせりふの連続。見れてよかった。と同時に、どこか苦しそうな印象も受けた。現実がいよいよ暗黒時代みたいになってきているなかで、この作品を見られてよかった。それと久々に演劇を見て、舞台に奥行きがあるという当たり前の事実に感動した。手前に人がいて、奥にも人がいた。目の前で生身の人間が動いて、喋ってくれていることに感謝の念が湧いた。ディスプレイやスクリーンと違って、自分の位置から見えない部分があったり、席によって見え方が違うことが新鮮に映った。小説のことも考えさせられた。小説はシーンの連続によって全体を浮かび上がらせるけれど、全体を貫く道が一望に見渡せる見晴らしの良い場所があるわけではない。ひとつひとつのシーンが全体であり部分でもあるような魔法がときどき起こる。劇場で三人の知り合いに会い、東京だなあと思った。アフロヘアの友人の後ろの席だったので、「この頭、もしかしてと思ってたけどやっぱりそうだったか」と言ったら「ああ、僕の頭で見えませんでしたか?」と笑っていたのがとてもよかった。ひとつの、演劇を見るよろこびだった。
帰り。電車に乗るのが面倒で、シェアサイクルでつつじヶ丘まで帰った。信号待ちをしているとき、道路工事の交通整理をしている腰の曲がったおじさんが近づいて来て、「そのライト明るくていいなあ」と話しかけられる。演劇が続いているようだった。「ああ、明るくていいっすよねえ」と返す。「おれのライト暗くてなあ」とおじさんが言うので「ライトは明るい方がいいっすよ」とアドバイスをしてみた。「明るいの、あんま売ってなくてなあ」とおじさん。「ああ、そんなもんですかねえ」と私。信号が青に変わり「じゃあ、失礼しまーす」と自転車を漕ぎ出すとおじさんは大きな声で「あい!どうもー!」と送り出してくれた。その言い方が妙に慣れていて、こういう挨拶を日々交わしているのだろうなと思った。
0312
03112201
あなたはキャベツを育てることはできない。種を植え、不要な芽を間引き、土が乾けば水をやり、日当たりに気を配る。キャベツはすこしずつ膨らみ、葉は重なり、やがてまるく閉じていく。そこへ一羽のモンシロチョウがやってきて、卵を産みつける。幼虫たちは一斉に孵化して、葉を食みはじめる。その緑をもくもくと体に取りこみ、小さな種のような糞をひり出しながら育っていく。あなたは自分が育てているものが、キャベツではないことに気がつく。なかば開き直るようにして、緑の細長い住人たちの巣立ちを見守ることにする。その数を数え、底に溜まった糞を取りのぞき、彼らが蛹になる日が楽しみだと思うようになる。だがある日突然、芋虫たちは消えてしまう。裏返した葉の隅々まで探しても、見当たらない。どこに行ってしまったのだろう。そのとき鳥の鳴き声がして、そこであなたは理解する。自分が本当は何を育てていたのかを。
03111134
「珈琲さかもと」がいつになく混んでいる。わたしが入った時は三組の客がテーブル席を埋めており、カウンターに初めて座ることになった。その後も2人組が来てカウンターに、さらにもう1人来てカウンターに座り、残る空席は一席のみという状態。マスターが忙しそうにしているのが嬉しい。わたしはこのマスターが、この店での仕事を終え、駅までの道を帰っていくところを見たことがある。背筋はピンと伸び、サラリーマンが使っていそうな典型的な薄い鞄を片手にさっそうと歩いていて、しびれるほどかっこよかった。
03110952
怖い夢だった。年に一度なのか10年に一度なのかわからないけれど、とにかく言い伝えによって、「何か」がやってくる、ことがわかっている町にいる。それは神様に近い上位の存在で、町の人たちはそれが来ることを怖がっている。神社に集まってやり過ごそうとしている。そこが安全だと思っている。みんなが隣の人たちと不安気に話し合っていた。すると2階から「うわあ!」「濡れてる!」と叫ぶ声がして、上がって行くと床がびしょびしょに濡れていた。それは、彼らが確実にやってくることをあらわす兆候だった。そしてその時が近づくと、みんなフードを被ったりニット帽で顔面をすっぽり覆ったりして肌が出ている部分を隠し、床に寝ころんだ。僕もそれに倣った。僕はそこで初めて、もしも人を攫うのが彼らの目的なら、こうやって大勢でいるのは好都合だろうな、と気がついてぞっとした。彼らが現れる前に目が覚めた。
02102243
小説教室からの帰りの電車、目の前の女性がスマホで「すぐムッとする 彼女」とグーグルの検索窓に入力しているのが見えてしまった
0209
イスラエルの兵士がパレスチナの若者の自転車を蹴り飛ばすといういじわるをしている動画を見た。パレスチナもアメリカも日本も、ひどいことになってる。地獄はからっぽで、悪魔はみんなここにいるとシェイクスピアは言ったらしい。いや、まいった
0204
波、煙、川面、炎、雲、梢など、動きのあるもの、揺らぎのあるものは、その場所を世界から切り閉じる効果がある。集中して眺めていると、周囲の輪郭はぼやけ、時間感覚は希薄になっていく。ある面ではショート動画でも近いことが起きているかもしれない。でも炎や煙にはアテンションがない。こちらの注意を引きたいという意思がない。目的もなにもない、ひとつの現象として現れ、現れた場で揺れ動くだけだ。誰に見られようとも、誰にも見られなくとも梢は風に揺れているし、雲はどこかからどこかへ移動している。森の奥ふかくにある、誰にも見られたことがない湖のような、その場所ではじまり、その場所でやすらい、その場所で完結するもの。子供の頃はそういうふうに世界を眺めていた。自然に世界を切り閉じる目をもっていたように思う。炎を眺めているときのような時間を、あらゆるものを対象に発揮することができた。瞬間ごとに照準を絞り、閉じられた時間の中で暮らしていた。大人になって、視野の全体を眺めて生きることに慣れてしまったけど、あの頃の目は忘れないようにしたい。
0125「あいち2025」ラーニングボランティア振り返り会でみんなから出た話メモ
・自分が知らなかったことを知るたびに、「ちゃんと生きよう」と思う
・家と職場のあいだに場所ができた。ラーニングボランティアはコミュニティだった
・「この人ってこういう人なんだ」というところから、自分を振りかえることができる
・「なにかを思う」ということは、自分の頭の中を過ぎ去るだけだと思っていたけれど、「思った」ことは誰かに投げかけうるし、誰かに投げかけるということは、なにかが動きだすということ。「ふかぼる」は「なにかを思う」という許可を自分に与えられる場所だった
・最初の面談で、村上さんの質問にうまく答えられなかったことをよく覚えている。そういうことを、いつまでも思い出してしまう。自分の言いたいことが相手に伝わらなかったり、違う意味に伝わったりしても、それ以上の説明を諦めてしまう。でも「ふかぼる」の活動で色んな人と話すなかで、そうしなくてもいいと思えるようになった。見てきた作品を私に説明してくれる人とか、色々な人に会うなかで自然とそうなっていった。「人と話をするときには目を見ないと」と思っているけど、これまではあまり勇気がなくて、相手のコンタクトレンズとかを見るようにしていたけど、これからは人の瞳孔を見ようと思った。そういうふうに「体の向き」が変わっていった
・ふかぼるメンバーはみんな自分の言葉で話していた。対話型鑑賞ファシリテーターの言葉遣いとぜんぜん違う。「ふかぼる」に参加するお客さんも、作品について全然ちがうことを言ってきたりとか、聞いてもいないのにいろんなことを話したがる人とか
・ふかぼるのメンバーみんなめっちゃいいひとじゃん、と思った。幸せだった。なんでこんないい人たちがやってくるんだろう。私も気張ってちゃダメだと思った。ラーニングとかエデュケーションということで、なにかをがっつり学びにいくぞと思ってきたけど、ここはみんなでぽわぽわと温泉に浸かってるような感じで、それでものんびり話しているなかに面白い発見があったりする。「ゆるさ」の中にもいろいろあるなと思いました。固定観念がはずされました
・「ふかぼる」は安心感のある場所だった。村上さんはゆっくり話すし、正直であろうとしてる感じが伝わってきて、それが雰囲気を作っていたと思う
0124
何十メートルもジャンプして、そこから遠くまで高速で滑空できる素晴らしい能力を手に入れたけど、ジャンプした拍子に民家の屋根を破ってしまった。損害賠償を払うことになりそうだ。瓦屋根だし、修理代高そうだなあと思い、持ち主にバレる前に早くその場を離れたいのだけど、友達がどうでもいい雑談をはじめてしまう、という夢
0116小鷹さんたちのトーク@ヴァンジ彫刻庭園
小鷹拓郎さんの予告編10個ラッシュ。ポテトと共に旅をする初期作品、妻のオノヨーコがパフォーマンスをする記録、カッパの狩猟技術。みてるうちに目頭が熱くなってしまった。差別、分断という問題にたいして、楽しくシニカルな切り口。解決手段の提示や啓発を超えたところで、別の次元に飛ばしてしまう力。上下にしか方向性がない世界に左右から揺さぶりをかけるような。問題と問題解決のことばかり考えていると、同じ目的を持っていたはずの人と敵対するような悲しいことが起きたり、同じように考えていない人に対して不満を覚えてしまうような精神状態に陥ってしまったりとか、硬直してしまいそうな思考に、異次元からショックを与える力。私たちにはまだまだできることがある、と言われているようでぐっときてしまった。
「祈りや呪いは誰のものなのか」
「見えない力は、誰に都合よく配置されているのか」
「私たちの日常は、どこまでそれに支えられているのか」
0113
小説講座に通い始めた。今期から入った新しいメンバー三人が立って、講師からの質問を受けつつ自己紹介のあと、講師からの芥川賞予想を聞く。「とりやまさんか、ダークホースでくずさんかなと思います」芥川賞にふさわしい作品の、完全で明確な基準が講師の中にあるようで、興味深かった。
前回出された原稿を、受講者が順番に話していく。ひとり3〜5分とか。自己紹介からあとは、いっさい説明がない。小説講座とは、いったいどんなことが語られるのか興味をもっていたが、参加してみてなるほどと思った。講師がなにかを語るというよりも、受講者が作品を書き、読む場所を提供している。
「今日は、3作品です。じゃあいきましょうか。〇〇さん」と名指すと、名指された人が感想を語り始めておどろいた。語り終えるときは「以上です」という。話がおわったとき、講師は名前を指すこともあるが、多くは「はい」としかいわない。それでも受講者たちは順番を心得ているらしく、自然に自分の番を察知し、話し始める。講師からの話は、他の受講者と同じか、少ないくらい。もっと講師がしゃべれよと思わなくもないがみんなで読んで感想を言うという営みというかそういう場所であることが大事なんだろう。それはよくわかる。結局自分に小説を書かせる環境に、自分の身を置くこと以上の小説の勉強なんかないのだ。感想の中身は、みんなかなり忌憚のない意見を言っていてよかった。批判と称賛がまったく同じトーンで語られ、本気度が伝わってくる。わたしはどれも最後まで読めておらず、何も言えず。
印象深かった言葉
「散文は難しい。散文は基本は難しい。本当はちゃんと散文が書けてから、「文学的な文章」をかかなければいけない。新聞記者の文体は散文ではない。記事の文体。散文で書くのは難しいのだという意識。散文でも書き手の個性は出てくる。「文学的な文章」に個性はでてこない」
「小説になってないからだめとか、なってるからよいとかではない。読者が設定されていない。読者を低くみている。なぜだめかわかるか。高みから書いてる感じがする」
「自己批評をしないと」
どれも制作においては当たり前すぎるほどの話だと思うけれど、それがむしろ新鮮だった。
01072120
東京滞在中によくいくおいしい中華料理屋で両面焼きそばを食べ終わったら、皿の底で、なんらかの黒い小さな甲虫の死骸が「あん」につつまれていてすこしだけ悲しい気持ちに
12月15日からの不調の記録
15日の夜、喉に違和感を感じて、これはやばいやつだと直感した。ちょうど仕事がひとつ終わったところだったので、すぐに横になった。だが不調は止まらず翌日から倦怠感が全身にゆっくりと広がっていき、夜ついに発熱。熱自体は37.4度程度の微熱。とにかく全身がだるく、間接にも痛みに近い異物感がある。17日は水戸に出張の予定だったが私だけお休みにさせてもらい、ずっと寝てた。ごはんはすべて涼ちゃんが用意してくれた。涼ちゃんはバイトに出かけたり帰ってきたり、制作の締め切りに追われたり、抱えているデザインの仕事の提出に追われたりしながら、私のために滋養たっぷりで消化にやさしいご飯をたくさんつくって看病してくれ、洗濯などあらゆる家事をこなしてくれた。いま私が生きているのは彼女のおかげだ(涼ちゃんにはあとから「死神みたいだったね」と言われた)。18日も19日もずっと寝てた。寝ることしかできなかったし、じっさい最初はずっと眠かった。体のなかが大変な騒ぎになっていて、横になっているだけでもうぐったりと疲れてしまっていた。暗闇で横になって目を瞑っていると、頭のなかも騒がしくて、超人気レストランの厨房みたいにいろんな音が鳴っていてうるさかった。風邪で寝込む時間も割と楽しめるほうだと思っていたけど、今回ばかりは辛かった。横になりすぎて脇腹に蕁麻疹ができた。横になりすぎて体がこわばっていて、なにかを取ろうとしてベッド上で変な体勢をとってしまって左肩の後ろに「ピキ」と地獄のような痛みが走り、「うおおおおお」とひとり悶絶した。以降肩が、猛烈に寝違えてしまったときと同じように、腕や足や頭をちょっと動かしただけで左肩の後ろにまた「ピキ」と同じ痛みが走るようになってしまった。遠くの部位でも関係なく痛むので、私はベッドの上でほぼ身動きがとれなくなった。涼ちゃんはバイト中だった。日が落ちて部屋が何も見えないくらいに真っ暗になり、灯りをつけたくても、一人では体を起こすことすらままならない。手探りで掴んだたんすの取っ手を支えにして、とても奇妙な姿勢のまま、なんとか上半身を持ち上げようとした。「ううう・・うおおおおおお」とか「いて・・いてて・・・・じゃねえよお」とか「そうじゃねえだろうがああ」などといったせりふを、小学校の教室に自分がいたとしたらクラスの半分くらいは振り向く程度には大きな声量で発しながら、なんとか体を起こそうと試行錯誤を重ねたが、すべて失敗した。やがて私は「ベッドの上で体を起こそうとするからいけないのだ」ということに気がついた。「閃いた!」と思った。つまり、ベッドと床の高低差を利用して体を縦にすればいいのである。すぐに試した。そして何度かの挑戦の末、私はついに立ち上がった。嬉しかった。立ち上がれるだけでこんなに嬉しいのかと思った。このとき私は自分が風邪をひいているということを忘れていた。極端に関節がすくない人型ロボットのような動きの少なさで廊下を移動し、飲み物を補給したりトイレに行ったりして、ベッドに戻ってきた。「また横になるのか」と思った。あんなに苦労して縦になったのに。でも相変わらず全身はだるく、関節は痛い。肩と腰と背骨がきしんで、体中の筋肉と骨が横になることにうんざりしていて、一度寝たらまた起き上がるのに大変なエネルギーを使うことが分かりきっていても、それでも寝ることしかできない状態。「『1週間ずっと横にさせられ続ける』は拷問として成立するだろうな」と思った。熱は20日にようやく下がってくれて、私は横にならなくてもいい時間をついに手に入れた。そして21日から徐々に、すこしずつ生活を取り戻しつつある。
12030108
「リベラルファンタジー」という言葉をイスラーム映画祭の藤本さんのレクチャーで知った。『ムスリム女性に救援は必要か』という本で登場するらしい。「普遍的人権擁護」の美名のもとに、「ヒジャブは女性差別の産物だから脱いだ方がいい」などとムスリム女性に啓蒙することは「リベラルファンタジーの強制」なので、もっと「現実に即した公正さを提唱」する内容の本みたい。読みたい。
家父長制的で化石みたいな価値観の家庭環境で暮らしていて、ある視点から見ればとうてい許せないような扱いを受けている女性がいるとして、当人が「お母さん」「奥さん」としての振る舞いに幸せを感じているのであれば、「あなたの幸福は間違っている」とその人に言う権利は、誰にもない。とはいえ、これで何かを解決した気になることは、問題から目をそらしているとも言える…。
12月3日今年気がついたことのメモ
⚫︎複数人でひとつのプロジェクトに取り組むさいに、それを進めるなかで起こるひとつひとつの物事/出来事に対して、「できる・できない」だけでなく「やりたい・やりたくない」といった暗黙の判断基準を仲間内で共有できていること(もっと単純に言えば「バイブスがあうこと」)が、チームとして楽しく活動するためには重要だった。「いますぐやったほうがいい/やったほうがいいけど、後回しにしてよい/今必要ではないけどやりたい/必要だけどやりたくない」などの細かい選択肢をひとりひとりがリラックスした状態で選択できたほうが、創造的にプロジェクトを進められる。
→「これができてないです」と人に指摘したり、「これができてなくてごめんなさい」と謝ったりするのは、プロジェクトを円滑に進めるためには仕方のないことかもしれないが、すべてをその基準にあてはめてしまうと、最終的には人間の価値は「できる」と「できない」だけで測れることになってしまう。すると「できない人」が発生してしまう。「できる人」「できない人」という二項対立ではない状態に持っていくこと。つまり「ありがとう」「ごめんなさい」だけではない関係を作れるかどうかが肝。
→心がリラックスした状態のほうが、創造的な気持ちでいられる。この意味で、「反省」は時に毒になる。スターバックスで支払った100円がイスラエルでミサイルに代わっているかもしれない、ということを椿昇から10年ほど前に教わったとき、私は自分の無知に愕然としつつも、「そういったことを知るのはおもしろい」と感じられた。おもしろいと思えたから、この問題を自分ごととして考えられた。「反省しろ」と糾弾されていたら、私の心は萎縮してしまって、自分の問題として考えるのは難しかったと思う。飼い主の顔色を伺う犬みたいに、自分の言動に「間違い」がないかということばかりを気にしてしまい、ついにはぷっつんと切れてしまって、「うるせえ好きにやらせろ!」と怒り出していたかもしれない。反省ではなく、「発見」とみなしたほうが、主体的な(つまり創造的な)心持ちでいられる。なによりも、心が萎縮しないことが重要だった。そのほうがいろいろなことに気がつける。
⚫︎美術館や芸術祭における「ラーニング」の役割がひとつはっきりした。まず「集まることが重要だ」という暗黙の前提がある。そして人が集まる口実に芸術(作品)を「使う」のがラーニングである。あるいは、「作る」という営みを「作家」だけのものにしないための実践である、とも言える。
→出自や年代、価値観の違う人どうしが集まるには、まず“共通の話題”が必要である。芸術作品はその役割を自然に担ってくれる。なぜなら芸術家は、私たちがふだん見過ごしている社会や人間の問題を、作品というかたちで「問い」として提示する専門家だから。そして、その問いには正解がない。なので、誰も間違えることがない。だからこそ、「ここが面白い」と話し合えたり、同じ手法で何かを作ってみたりするにはもってこいだった。
→その対話や体験は、社会の問題を自分の言葉で考え、自分ごととして捉えるための練習になる。小さな“自分の問題として考える”ことの積み重ねが、やがて自分が住む街の出来事を、他人事ではなく自分の延長として考える力につながっていく。芸術の力を民主的なものに解きほぐしていくイメージ。
⚫︎29日の「あいち」のイベントでの発見。グループディスカッションのような場でのファシリテーターの責任の大きさ。
共通のテーマがないまま、初対面同士でグループディスカッションを始めてしまうと、「自己開示」になりやすく、本人も実は望んでいないほどの自己開示を自分でやってしまうことにつながったりする。前段のレクチャーを受けての感想シェアという立て付けはよいが、最初に「なにについて話すか」をグループ内で決めておくべきだった。
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オンライン会議、誰かが話している最中にカットインする気持ちで臨まないと、一度も発言できないまま終わる。気がつけば終わっている。他の参加者の発言に刺激されて、そのつどいろいろな考えが僕の脳内を駆けめぐり、「これは発言に足る内容だ」と思えるものもときどき頭をかすめるのだが、誰かが発言を終えるとすぐに(あるいは終わらないうちに)他の人が発言して会議はどんどん進んでいくので、「これはこの人の話が終わったら発言してみようかな」と思っていたトピックも、気がつくと過去のものになっており、僕自身も新たな話題に関する新たな発言にまた感化されて別のことを考え始めてしまい…という繰り返しがおこる。特に人数の多いミーティングでおこりやすい。まず人の息遣いや視線がわからないので発話のタイミングが掴みにくい。大縄跳びに飛び込む機会を伺っていたら他の人たちにあれよあれよと追い越されていき、気がつけば入れてないのは自分だけ、みたいな感じだ。こうなってしまう原因には、オンライン会議という場の性質のほかにもうひとつ考えられる。この2年間、ひとつの団体に属して、「半分組織人」のような形で長期間仕事をしてきたけど、自分は「他の人」や「組織」に対して、このイベントの進行はこうしたほうがよいとか、この文章はこういう方向性に修正したほうがよいとか、そういった意見を、つまり他の人間の行動や思考に影響を与える内容を、直接的に言葉にして出すことを極端にこわがっている。苦手だ。たぶん、すごく。僕が自分ひとりの責任で行なっていることを、他の人が見たり読んだりして影響を受けてくれるのはとても嬉しいし、自然に受け入れられるのだけど、「自分の実践」を経由せずに、他の人に対して言葉を使って直接意見を表明することにつよい抵抗感がある。小学校のときからそうだったかもしれない。一人でもくもくと工作をして、その出来栄えや作業の仕方を見せることを経由して、友人たちや先生に、自分が大事にしていることや思いを伝える、ということばかりやってきた。ようするに陰キャだったのである。人が作業しているところをみて、そのやり方が間違っているように感じられても、「こうしたほうがいい」と言うことはできなかった。この性癖は変えてみてもいいかもしれない。いわばこの「傾き」が私をここまで育ててくれたことは事実だし、よい面もあると思うけど、気がつけばもう37歳になっている今の僕には、果たすべき責任が、つまり多少他の人の言葉を遮ってでも、発言すべきことがあるのかもしれない。一にも二にも言葉によって他人に影響を与えることをこわがってしまうのは、その結果問題が起きたときの責任を回避したいという弱さもあるんだろう。よくないかも。このモヤモヤをずっと気にしているから、ここ数年のいちばんやりたいことが「フィクションを書くこと」になっているのかも。
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あさ目が覚めてふと、横になっている自分は3次元の生物なので、右か左の2方向に寝返りをうつことができるけれど、4次元の生物が横になったとき、そこには「左右」という軸に直行する軸がもうひとつ存在しているから、寝返りは全部で4つの方向に打てるのだろうなと思った。コロコロと体が自然に回転する先が4つもあるというのはどんな気分だろう。そのベッドはどんな形をしているのだろう。反対に、2次元の生物は寝返りが打てない。体の中心を軸にして時計回りと反時計回りに点回転することはできるだろうけど、それは寝返りではないよなあ、と考えを進めているうちに気が付くと二度寝していた。
11122348
友達の話。むかし働いていた病院で健康診断を受けた時、大好きだったおばあちゃん先生に採血をしてもらった。先生はわざわざ「痛くするよ!」と宣言したうえで針を刺してきて、それはじっさいめちゃくちゃ痛かった(「人生で一番痛かった」)にもかかわらず、「あれはとてもよいコミュニケーション」で、「絆の証だった」という。衝撃だった。愛情があるなら「できるだけ痛くしない」のが普通なのではないか。はたから見たらパワハラ、というか「傷害」として認定されてしまいそうな話だけど、そのおばあちゃん先生と友達の関係においてはその基準が反転していたらしい。そういった、痛みを介したコミュニケーションが、独特なかたちで病院内のスタッフ同士の信頼関係をつくっているのかもしれない。
1109「あいち2025」ハイブ・アースの話
ハイブ・アースのクワメがラーニングチームとの初期のミーティングで放った伝説のひとこと「君たちがやりたいことをなんでも実現するよ!」という言葉は、一見奇妙に聞こえるけど、キュレーターがいてテーマがある芸術祭に呼ばれた作家の言葉としては、むしろ自然だったのではないか。
もともとハイブ・アースとラーニングチームとの協働は芸術監督のフールさんからの要望で始まった。私たちラーニングチームとしては協働するアーティストがどんなものをつくりたいのか、どんな制作スタイルなのかを話し合う必要があり、オンラインでキックオフミーティングをして、そのときにクワメがいった言葉がこれだった。
ハイブ・アースはあくまでも版築のエンジニアであり、自分たちではデザインはしない集団である、という未確定の情報があるにはあって、じっさいどうなのかを確認するという目的もあったのだけど、それがはっきりしたのがこのミーティングだった。正直私は「どうすんねん」と思った。パートナーになるアーティストから「つくりたいものを教えて欲しい」と言われても、こちらにもつくりたいものなど特にないのである。
結果的に建築家である辻さんと、版築の経験がある私でこの件を受け持つことになり、デザインやコンセプト、設置する場所を辻さんと二人で決めていき、途中から松村さんもマネジメントに加わり、さまざまな実験を繰り返し、その進捗をクワメに報告する、というかたちでプロジェクトは進んでいった。そして、「凸」と「凹」というふたつの物体が生まれた。クワメが来日したのは2024年に現地の下見と、2025年8月の実制作の時期の二回で、そのほかはすべてオンラインでのやりとりだった。
この作品に作者というものがいるのなら、それはいったい誰なのだろうとずっと考えていたのだけど、今日涼ちゃんと話していて、クワメの言葉はむしろ作家の態度としては自然だったのではないか、という仮説が生まれた。
誰かがテーマを決めて展覧会を企画し、作家に声をかけるというのが企画展の一般的な流れになってるけど、このとき作家は、展覧会のテーマに目配せをしつつ自分がやりたいことをやるというねじれた構造の中に取り込まれる。クワメの言葉は、「ハイブ・アースという看板を使って、展覧会を通して何かを見せたいのは君たちだろう? だったら、なにがやりたいのか君たちの方から教えてくれ」という意味にもとれる。ものすごくまっとうな問いかけである。テーマのある展覧会に呼んだのは芸術祭側なのに、作家に「やりたいことをやってくれ」とオーダーするのは、とても奇妙なことなのかもしれない。やりたいのことがあるのは、むしろ展覧会の側なのだから。主にレディ・メイド以降、ある種の物語を語る存在のことを作者と呼ぶようになっていることを考えると、「凸凹」の作者は芸術祭自体ということになる。
1108
あいちの仕事のあと、韓国料理を食べながら黑田さんが教えてくれたー「移住を生活する」をやっていたとき、私は「弱者」だったのかもしれない。このプロジェクトの中で私は、誰かの土地に家を置かせてもらわないと安心して寝る場所もない状態で、敷地を貸してくれた人たちのコミュニティに入っていくことになる。とうぜん、あまり気乗りのしない空間に長時間いなくてはならなかったりもする。その経験がある種のタフネスを鍛えてくれたので感謝しているし、そもそもわけのわからない人間に寝る場所を提供してくれる奇特な人なのだから、こちらとしては失礼のないようにするべきだと思い、多少嫌な席でも飄々と過ごしていた。
黑田さんはこの状態のことを「睡眠を人質に取られていた」と表現した。この視点は考えたこともなかった。目の覚めたような気分だった。シングルマザーや、家庭内でさまざまな形の暴力を受けている人や、戦争のせいで故郷に住んでるだけで命の危険があるような人たちにも通じるような、弱者としての経験を積んできたのではないかと黑田さんは言ってくれた。
11月5〜7日 Let’s レッツ井戸掘り計画日報

11月5日
浜松の「クリエイティブサポートレッツ」で井戸を掘ったりするプロジェクトがスタート。「ちまたパーク」と名付けられた、元コインパーキングの敷地で。
私有地を公園として開放する、自治されているけどちょっとアナーキーなプライベートパークのような、とても素敵な雰囲気。単管で組まれた櫓があったり、ビニール袋でできた皮膜にいろんなものが貼り付けられていて中にもいろんなもの(ドアとか謎の立体物とか)が中に入っているテントのような作品(柴田さんの作品)があったり、大きな壁には大勢で描いたであろう混沌とした絵があったり、ベンチには誰かのグラフィティがあったり。
昨日から車中泊。夜は静かで眠りやすい場所。井戸を掘るのは時間がかかるので、そのあいだ村上が泊まるための寝床作りからスタート。コインパーキング時代の看板の裏に、看板の骨組みを柱にして寝床を作ることにした。持ってきたものは麻紐とカッターのみ。ちまたパークに転がっている木材や透明なシート、たけし文化センターのパラソルや銀マットやスタイロフォームなどを、スタッフやアルス・ノヴァ(レッツが運営している、障害のある人のデイケアサービスの名前)の利用者の手を借りて運んできた資材だけで作ってみる。資材と資材は主に紐で結びつける。アキちゃん、ミヤマさん、ミズコシさんが担当としてあれこれサポートしてくれる。
朝ごはんは昨日人からもらったサンドイッチだった。まずは地面に転がっていたパラボラアンテナにアルス・ノヴァで拾ったパラソルを差して、いい感じの物体を作った。
昼ごはんに、Googleマップで見つけた定食屋を目指して歩いていたところ、商店街の路上で「ランチやってます」というチラシを持っているキャッチに声をかけられた。焼肉屋。980円で牛すじ煮込み定食が食べられるということで即決して入店。白米の量が多く、眠くなる。
昼ごはんのあと、猛烈な睡魔に昼寝をしようかと車に入ったところでぞろぞろとレッツの人たちがやってくる。ここから近所の「ちまた公民館」によく来るという親子も来た。私の絵本を読んでくれているらしく、サインをした。この親子と、カワセさんというアルス・ノヴァのメンバーが、木材を結ぶのを手伝ってくれた。
15時からレッツで打ち合わせ。12月11~13日と1月17~18日に井戸掘りをすることが決まる。井戸の位置と、井戸掘りイベントの日程(1月17日)も決まる。1時間くらい打ち合わせしてちまたパークに戻って洗濯物をふたつの袋にすべて詰め込んで徒歩6分のコインランドリーへ行く。もう暗い。18時半ごろ、乾燥が終わった洗濯物を乾燥機の中に残したままアキちゃんの家に行く。晩御飯に呼んでもらった。ミヤマさんとりっちゃんも合流。キムチ鍋。昨日の残りの出汁に、具材をたくさん足したもの。私はネギと木綿豆腐を切るのを手伝っただけだ。21時半くらいまでたのしくご飯を食べ、しゃべり、解散。ミヤマさんは耳が聞こえないが、それを感じさせない発言頻度。スマホでみんなの会話の書き起こしを音声認識アプリで常に表示させて何の話をしているのかを読み、なにかあれば話す。この文字起こしアプリの話を聞いたりした。ミヤマさんがいるとなんか安心する。なんとなく、動物に好かれそうな人だ。そのほか、私がりっちゃんとアキちゃんと出会ったMMMという、かつてあったアートイベントの思い出話をする。帰り道は途中までりっちゃんと一緒だった。無言館と鹿教湯温泉に行ってきたという話を聞く。コインランドリーによって、服を畳んでバッグに入れ、ちまたパークに戻ってお風呂セットを準備し、昨晩も行った徒歩5分のスパに行く。ザザという施設の中に入っている「かじまちの湯」という。徒歩5分のところに漫画が読める風呂場がある、とても便利な敷地だ。1時間600円。風呂上がりにチェンソーマン6巻を読む。ちまたパークに帰ってきたら0時。
11月6日
二日目。今日もファントム(車の名前)で目覚める。顔を洗うためにコンビニへ向かうが、いちばん近いふたつのコンビニはどちらもトイレの貸出をしておらず、3番目に近いセブンイレブンへ。しかし途中で気が変わりザザに入りそこの公衆トイレで顔を洗った。コンビニでサンドイッチを買ってちまたパークに戻り11時くらいから家づくりを再開。
木の板で大枠の壁をつくり、その隙間をプチプチで覆っていく建築法を思いつき、そうする。
CDショップの看板だったという、大きくて赤い「D」の文字が転がっていたのでそれも壁にする。「D」には電球がはまっていたとおぼしき穴が何個も空いていたので、その隙間を埋めるのにアルス・ノヴァでもらってきたCD-ROMを使う。13時くらいに「みかわや」のタケヤマさんとあさみさんと辻さんが訪ねてくる。久々に会えて嬉しい。13時20分ごろ、辻さんの車に乗ってみんなで「みかわや」へ。私と辻さんはみかわやのテーブルを使わせてもらって「あいち」のオンラインミーティング。ミーティング終了後、みかわやでハイネケンを買って飲みながら16時過ぎにちまたパークに戻る。眠くなってファントムで寝てしまった。
18時ごろから外が騒がしくなってくる。人が大勢集まっていて、ミュージシャンのマッスルNTTを中心に、なにかのパレードの練習をしているらしい。レッツのふきちゃんが「スナックありじごく」もやっていた。カンパ制で、数人でおでんをつつく。私はビールと酔鯨を飲む。秋田の「オルタナス」で出会った、タカナシさんというアーティストと再会する。アーツカウンシルしずおかのマイクロアートワーケーションで御前崎に滞在中らしい。おなじくワーケーションで滞在中の鈴木絢子さんというピアニストの方とも会う。鴨江アートセンターの稲垣さんという人にも会う。あさおさん(マッスルNTT)と、松本で会って以来数年ぶりの再会を喜ぶ。
イベント終了後、ふきちゃんと近所の店にちょっとだけ飲みに行く、というよりご飯を食べに行く。おでんをつまんだだけだったので空腹だった。ちまたパークに帰ってきたらファントムの隣で柴田さんがなにか制作をしている。木の構造物に餃子をたくさんぶら下げて、そこに透明な塗料のようなものを塗っている。本物の餃子なのか、餃子そっくりの彫刻なのかはわからなかったが、暗い中ぶらさがっている大量の餃子に筆でなにかを施している姿は非常に怪しい。ふきちゃんと解散し、昨日と同じく「かじまちの湯」へ。チェンソーマン5巻も読む。帰ってきても柴田さんは作業をしていた。ファントムに入って寝床を整え、後部座席の窓から柴田さんに「僕は寝ます。おやすみなさい」と挨拶して寝た。久々に日本酒を飲んでちょっと酔っていることが、横になってみてわかった。
11月7日
ファントムで目覚め、タバコが吸える喫茶店が近所にないか、Googleマップで探す。名古屋文化の影響なのか、浜松には全席喫煙可の喫茶店がまだまだ残っている印象。居酒屋もタバコが吸える店が東京に比べて多い気がする。歩いて5~6分のところにある「ルーム112」という喫茶店に行き、モーニングセットを食す。400円でおいしいコーヒー(おいしい)と厚切りバタートーストとゆで卵が付いてくる。バタートーストを食べてコーヒーを飲み、ゆで卵はあとに回してPCを開いて昨日の日記をつける。かたかたやってひと段落し、ゆで卵に着手したところで隣の席のおじさんが笑顔で「そんなに長い文章打って、最初に書いたことわすれちゃわない?」と話しかけてきた。この人は長い文章を書いていると、最初の方が頭から「飛んでしまう」らしい。「打つのも速いしさあ、すごいなあと思って」と、向かいに座ってる知人らしき人に説明していた。「うちの若い衆でさ、パソコン打つのが速いのがいるんだけど、口は一つしかないけど指は十本ある、って言ってたよ」と面白いことを言う。僕はおじさんの知人とふたりで「なるほど〜」と感心した。
ちまたパークに戻って寝床作り再開。まだ蚊が飛んでいるので、隙間という隙間を塞がなくてはならない。今日は主にプチプチシートとガムテープを活用して、昨日までに作り上げた木の板の壁の隙間を埋めていった。ちまたパークに転がっていた壊れたレコードプレイヤーを、「D」の字の真ん中の穴の部分に置いたらうまくはまった。その上には小さいドラえもんも乗せた。
水越さんやミヤマさんや利用者のメンバーなど、何人かがときどきやってきては去っていく。ちまたパークはアルス・ノヴァメンバーの散歩コースになっているらしい。
ミヤマさんが「役に立たない人たちを連れてきました」と言ってたのが面白くて大笑いしてしまった。たしかにみんな芝生に寝転がっていたり、まったく聞き取れないことを延々と呟いていたり、飛び跳ねていたりしているだけで「寝床づくり」の役にはたたなそうだなと思う。「役に立たない人」というのは通常悪口のはずだが、ここでは最大級の褒め言葉に聞こえる。アルス・ノヴァで働いているスタッフの口から、障害のあるメンバーを指して発せられたこの言葉は、すべての人間存在を全肯定するものとして響く。レッツにいると、こういった価値観の揺さぶりが本当におもしろい。
13時過ぎくらいにあきちゃんと久保田翠さんと水越さんが来て一緒にお昼を食べに行く。
ここでの久保田さん話も面白かった。久保田さんは、浜松の「マダム」を集めてみんなで料理をするというイベントを定期的にやっているらしいのだが、みんな料理が上手な人たちなので、手際がよくてパパッと作れちゃうんだけど、「楽しんでやる」ってのが意外と難しいのよ、と言っていた。みんな、出されたお題をさっさと作業分担して作ろうとしてしまうのだが、そうするとその場の人間は「できる人」と「できない人」にわかれてしまう。できないことが悪になってしまう。障害のある者たちと福祉施設を運営している久保田さんとしては、そういった人間の線引きは最も避けたいところなのだろうし、私が「ぜったいに学びのないゼミ」をやったときに考えていたことにもつながる。料理というゴールがあるイベントではそういう雰囲気になりがちだが、そこで、他人とはまったく違う軸で行動している人(アーティストも含む)がいてくれると、雰囲気をパーっと散らしてくれるので、助かるらしい。
一人一人の人間が、やりたいことやできることをすこしずつ、みんなで進めていく、という料理イベントにするためには、参加するひとりひとりが「料理」に対する向き合い方を変えなくてはいけないのだと思う。家で家族のためにパパッとおいしく作るのが料理である、という料理観を崩して、「場」を作る意識を持たなくてはうまくいかない。
久保田さんはまた、スムーズになんの障害もなく仕事ができるという状態はもっともよくない。できるだけ邪魔が入ってほしい、とも言っていた。ほんとうにすごいセリフだとおもう。「あいち」のラーニングチームとして仕事をしていても思う。「これができてないです」と人に指摘したり、「これができてなくてごめんなさい」と謝ったりするのは多少は仕方のないことかもしれないが、すべての人間関係をそういう基準で考えてしまうと、人間の価値は「できる」と「できない」だけで測れることになってしまう。なによりも「できる人」と「できない人」という二項対立ではない状態に持っていくこと。
ランチから戻ってきてから17時くらいまで(パークに遊びにきた親子連れやらちまた公民館の利用者やらに見守られたり、ちょっと手伝ってもらったり、逆に彼らの作業(櫓から伸びるヒモに手作りのタペストリーのようなものをくくりつけていた)を遠巻きに眺めたりしながら)黙々と作業を続け、暗くなってきた頃にいちおう「寝床」は完成した。今夜はここで寝れる。表札もつけた。
たけぶんに工具を返したり、マットや寝袋をファントムから「寝床」に移動させたりしてから、18時前にちまた公民館にいった。今日18時からご飯を食べに行こうとふきちゃんたちと約束していた。公民館にはスタッフのカヌイさんがいた。夕ご飯会は、いまふきちゃんが参加者を募ってるところらしい。カヌイさんは「猛者たちを召集しています」という言い方をしてた。
骨折で入院したメンバーのお見舞いに行きたいというカヌイさんを送り出し、ひとり公民館に残ってNintendo Switchをテレビに繋いでぷよぷよとスマブラをやっていたらふきちゃんがやってきて、二人で韓国料理屋へ向かう。途中、あさおさん(マッスルNTT)と道端で会って合流。三人で「ソウル屋」という、ふきちゃんの行きつけのお店で飲み始める。ふきちゃんはいろんなところで常連になっているようだ。カヌイさん、りっちゃん、ワクイさんも合流し、飲み会は非常に盛り上がった。あさおさんとふきちゃんがよくしゃべる。明日が朝5時起きだというあさおさんのために20時には解散しようと話していたのだが、結局21時すぎに店を出た。帰り道、ふきちゃんが送ってくれた。ふきちゃんの携帯に着信があり、アルス・ノヴァULTRA(重度の障害のある人たちが暮らしているヘルパー事業所。名前がかっこいい)のメンバーのマイさんからだった。どうも、水越さんに渡したいものがあるのだけど水越さんはどこにいるのか、的な問い合わせの電話だったのだけど、もう夜なので水越さんはいない。ふきちゃんはマイさんに根気強く「水越さんは電話でないよ」「明日の朝に会ってから聞いて」と何度も諭していた。しかしマイさんはなかなか折れない。そのやりとりを繰り返しながらふきちゃんが「なんか元気でてきたわ。マイちゃんはまっすぐに気持ちをつたえてくるから」と言っていた。私もそう思った。こんなにまっすぐに人から気持ちを伝えられることは、あまりない。
ちまたパークに戻り、お風呂に行ってチェンソーマンを読んで帰ってきて寝床に入る。寝床は、中で立てるほど天井が高いし、ひろい。畳二畳分ていどだけど、そのほぼすべてが寝床なのでベッドとしては大きい。そして地面が近い。
横になってすぐに寝てしまったが、夜中の2時くらいに人が歌う声で目が覚めた。若い男女のグループで、一人が大声で鼻歌を歌っていて、他の人たちは笑っている。とても平和で幸せな光景が浮かぶが、私の眠りは妨げられた。他にも何度かにぎやかな人の行き来があり、その度に目が覚めた。次は耳栓を用意しようと誓った。さいわい、ちまたパークの敷地に入って私の寝床を外から叩いたりドアを開けようとしてくる人はいなかった。「ラーニングセンターへたち」に夏帆が来て、「夏帆がきてる!」と野田さんに報告しに行くという夢を見た。翌朝7時ごろにむくりと起き上がり、寝床の荷物をファントムに引っ越して、浜松を発った。

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大学の先輩の當眞さんからの知らせで長尾重武先生が亡くなったことを知り、お昼前に大町から車で東京へ向かい、途中涼ちゃんに運転を代わってもらって助手席でパソコンを開いてミーティングをしながらつつじが丘アトリエに夕方着。パスタを食べて大町から車に引っ掛けてきたスーツに着替えて高円寺の斎場へ。なんとなく、シラフでいるのが辛く、自意識が肥大しすぎてシラフのままで一人で斎場に入っていく勇気も出ず(勇気などいらないのに)、高円寺に着いてからコンビニで缶ビールを買ってしまった。酒を飲んでから通夜に行くのは明らかによくない気がするが、長尾先生なら許してくれるだろうか。たぶん笑って許してくれるだろう、などと勝手なことをぐるぐると考えながら街をうろうろ歩き半分ほど飲み干し、斎場の建物の裏の出っ張っているところにコンと飲みかけの缶ビールを置いて斎場へ入った。
長尾先生は、在学中よりもむしろ卒業後によく話した。神楽坂のプロジェクトに呼んでもらったり、八郷のプロジェクトでもお会いした記憶がある。特に移住を生活するを気に入っていたようで、長尾さんの著書『小さな家の思想』という本のなかで紹介してくれたり、本を送りたいから住所を教えてほしいといった理由で何度か電話をくれたりもした。ふだんあまり鳴らない電話が鳴るのでポケットから取り出したら着信通知画面に「長尾先生」と表示されている場面が網膜に焼き付いている。なんのお祝いだったかは忘れてしまったけど、普通郵便で(確か本に挟む形で)一万円札を贈ってくれたこともあり、慌てて電話でお礼をしたのだけど、そのあとに「普通郵便で現金を送るのって法律的にアウトじゃないのか」と気がついて笑ってしまった。長尾さんは笑顔の印象が強い。斎場に飾られていた白黒写真の中の少年期の長尾先生も、今と同じように笑っていた。「笑い方が一緒だね」と、私の後ろにいた人たちも話していた。お通夜では顔は見れなかったが、ひとまず行けてよかった。81歳。まだ若いように思う。
聖也と土屋先生にばったり会った。聖也とはコインパーキングですこしだけ立ち話をして別れ、さきほど置いた路上の缶ビールを取って続きを飲みながら駅へ向かっていると土屋先生が向こうからやってきた。土屋先生、と声をかけたら土屋さんは「どうも」と、完全な外向きの微笑をみせてくれたのだけど、続けて「村上です」と名前を明かしたら表情が崩れ、「なんか雰囲気変わったなあ」と驚いていた。そのまま中央線で新宿駅まで話しながら帰った。学生時代を含め、これほど長い時間2人で話したのは初めてなんじゃないか。土屋さんはしきりに私が「美術で食えているか」を気にかけていた。最後に「まあ、この世界に入った以上、選ばれた人間だから、頑張ってください」と言われ、「ある程度はそう思ってます」と返した。今度柏のアトリエに行ってもいいですか、と聞いたら思いがけず「いいよ」と言ってくれた。「基礎造形から僕の美術は始まりました」とお礼を伝えられてよかった。このことをちゃんと伝えられてないようが気がしていて、すこしもやもやしていた。長尾先生には、生前はきちんとお礼を伝えられた気がしないけど、今回霊前でしっかり頭を下げられてよかった。
10290546
高校教師の資格をとりおえた私は、上田先生(小学校の恩師)から教室で説明を聞いている。私は体育を担当することになっていて、書類を見ながら、体育が各学年で週に何コマ入っているかを確認している。
それから屋外に出た。上田先生は、芝生がまだらに生えた土手のような傾斜がある場所の低いところに立って何かを説明している。私たちは、土手の高いところに間隔を開けて1列に腰掛け、見下ろしながら説明を聞いている。先生の後ろにはフェンスがあり、その向こうには古い校舎がある。先生が私たちに尋ねる。
「休みの日には、どうするのがいいと思いますか?」
私たちは答えられない。すると先生が突然英語で叫び始めた。最初は聞き取れなかったが、何度も同じフレーズを繰り返しているのを聞いているうちに、こう叫んでいることがわかった。
「イーティング ビューティフルレイン!イーティング ビューティフルレイン!」
先生はステージ上から観客を鼓舞するロック歌手のように、何度も何度も叫び、それから最後に
「キングに敬意をこめて!みんな、ジャンピンッ!」
と私たちを煽ってきた。すると、どこからともなく忌野清志郎の「JUMP!」のイントロが流れてきて、私たちはジャンプして踊り、大声で歌い出す、という夢。
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敷地も建物もものすごく広大にみえるのだけど、建物内の通路は異様に狭いスーパー銭湯みたいな娯楽施設にいる。そこに入っている飲食店のテーブル席と壁のあいだの通路を通ろうとするのだけど、とても狭く、椅子やらテーブルやらにぶつかりながらやっとやっと通りに抜けようとしたところで店員さんがいたので「すいません」と詫びを入れたら「大丈夫です」と言ってくれ、その店員は店のなかのほうへ向き直って「こんな狭いところだれもとおれねえよ!」と文句を言っていた、という夢。
10221735 情報が命令になるとき
北海道博物館で、松前藩が場所請負制度のさいに、和人の居住領域とアイヌの居住領域を一方的に定めてしまったことを知った。和人の居住領域には、多くのアイヌが住んでいるにも関わらず。これはずっとパレスチナで起きていることともつながる都思ったのだけど、なぜそんな一方的な通達がまかり通ってしまうのかという点がうまく想像できなかった。
建築討論のミヤシタパーク評でも書いたけど、私がこどもだったころに近所の公園に突如として「野球・サッカー禁止」と書かれた棒が出現したことがあった。でも、誰もその棒の言う事を聞かなかった。私たちはずっとその公園で遊んできて、いきなり訳もわからない棒の言う事を聞く義理はないと思ったからだった。大人たちも「いきなりこんなの立てて、バカじゃねえのか」と言ってくれた。
でもミヤシタパークではそういった注意書きの看板や掲示物がものすごく大きな力を持っているように見えた。みんながその言うことを聞いている。わたしも、ミヤシタパークでは看板の力には抗えないだろう。
アイヌは、「ここは私たちの土地だ」と考えてすらいなかった。でも、「ここは私たちの土地だ」と主張する和人が出し抜いてきて、いけしゃあしゃあと居住領域を設定し、アイヌに労働をさせた。
「ここは和人の居住領域です」という情報を知らされることと、「アイヌはここで居住しないでください」と命令されることは、同じ帰結をもたらすと思うけど、前者のほうが、反発心が生まれにくい。
「ここはサッカー禁止の場所です」という"情報"と、「ここでサッカーをするな」という"命令"の違いはなにか。ここでいう「情報」は「命令」と同じだ。ただし、それが命令であることは巧妙に隠されている。命令であることを相手に気が付かれないよう、「ここは〇〇です」と、さも最初からそこはそういう場所だったのだという既成事実をでっちあげるのが情報。



