2013年6月6日(木)25時10分
僕達は、すぐに「共通の敵」をつくりたがる。僕も、ちょっと油断するとある人を、他の人達と一緒に敵に仕立ててしまいそうになる。
あぶないあぶない。それだけはだめだ。もっと大きく相対化するのが僕の使命なのだ。社会の中に収まって自分を相対化するようなみみっちいことはしてはだめなのだ。
2013年6月6日(木)25時10分
僕達は、すぐに「共通の敵」をつくりたがる。僕も、ちょっと油断するとある人を、他の人達と一緒に敵に仕立ててしまいそうになる。
あぶないあぶない。それだけはだめだ。もっと大きく相対化するのが僕の使命なのだ。社会の中に収まって自分を相対化するようなみみっちいことはしてはだめなのだ。
2013年6月5日25時12分
さっきバイトからかえってきた。キッチンには、僕の分の晩ご飯が残してあった。本当にありがたい。ガーデンのバイトは、たくさん入ってるだけあって、他の人達よりもだんだんまわりが見えるようになってきたと思う。
同じバイト仲間や、上司も、みんな、それぞれに「信念」を持っている。それを自覚していない人がほとんどだし、あんまり褒められたものではないものも在るけれど、それぞれ「ここは譲れない」という思考の"こり"のようなものをもっている。それは、信念と呼んで差し支えないと思う。
それはそうと今日、北海道のれいこおばさんからの葉書によって、村上家のルーツが、瀬戸内海の淡路島にあることがわかった。僕の曾曾おじいちゃんは、淡路島の人で、船大工の名士だったらしい。
なんだか、僕が四国の高松とかに行くつもりになってるのも、四国に行くイメージが思い浮かべやすいのも、もともと瀬戸内海の血をひいてるからなんじゃないか、という気がしてきた。すごい。百数十年ぶりに、四国に帰るのだ。おじいちゃんから、曾曾おじいちゃんが住んでいた家の住所を聞いておかねばならない。
2013年6月5日(水)10:15
今日清掃のバイトからの帰り道で、ふと思いついた。このバイトを始めてからずっと、清掃というのは社会の底辺の職業なんじゃないかと思っていた。「極めて優秀な清掃スタッフ」なんて聞いた事がないもの。母親にその事を話すと、「そうだと思うよ。だって、自分の息子が清掃のバイトしてるって、人に言えない。いくらそういう時期だと本人が言っているといっても」と言っていた。
しかし清掃員は、まちの至る所にいる。ちょっと注意して観察してみると、マンション、駅、公衆トイレ、公園、テナントビルなど、しかも、だいたいみんな同じような制服を着ている。これはすごい発見である。六本木ヒルズの清掃員も、僕と同じような制服を着て作業しているに違いない。もしかしたら、ドバイの超高層ビルの清掃員も。
清掃員は、この社会の底辺に近い職業であると同時に、どこにでもいる人達でもある。(その社会が成熟しているかどうかは、もしかしたら、清掃員がまちに居るかみてみるとわかるかもしれない。)半ばアイコン化した、誰が見てもそれとわかる制服を着ている人達。清掃員は、カバコフが「ハエ」と呼んだものたちと同じかもしれない。あらゆる階層を縦横無尽に移動している人達。闇の組織。朝、誰よりもオフィスに入るのは、その会社のスタッフではなく、清掃員である。そんなことができるのは彼らだけだ。どんな人間でも、あの服を着ていれば、その人は社会活動に参加している、とまわりに思わせる力がある。
もしかしたら交通整理の人達もそうかもしれない。いつか、どこかで知り合ったおばちゃんが、自分の、交通整理員のパートタイマーだったころの過去を、さも恥ずかしいところを見せるかのように話していた。どこで話したんだっけ。全然思い出せないけど。
2013年6月4日(火曜日)17時22分
すっかり日記の更新をさぼってしまっていた。
これからは、パソコンを立ち上げたままおいておこうと思う。少しでもいいから、毎日書けるように。
今日はガーデンのバイトが休みで、16時頃まで昼寝していたのだけど、夢で内田樹さんが、何故か美術作家の設定で出てきて、「実態縮(じったいしゅく)」という概念を僕にレクチャーしてくれた。それは、ものの表面的なかたちではなくて、ものの「実態」を縮小するという制作方法で、なんか透明なグラスが三つ逆さまに重なって溶け合っているような作品と共に説明された。
なんだか最近、こういう不思議なアイデアや音楽のフレーズが夢に出てくる事がおおい。でもたいていのアイデア達は、現実ではあんまり使い物にならない気がしている。
これから僕は、遠足プロジェクト用の写真をメールで送り、プランと制作方法を決定しなくてはいけない。このぶんだと、だいぶ前から制作を始めないと七月後半に間に合わない。あと、×日町のプランもまとめて送らなくてはいけない。
なれない生活をはじめて、体が疲れている。通勤定期をはじめて買った。こんな風に平日はほぼ毎日仕事にいって、日曜日は休みという、社会では一般的な生活をしていると、まったく、この国のこの社会はうまくつくられている、と思う。仕事をしてお金を稼いで、家賃を払ったりご飯を食べたり、眼鏡や服を買ったりする。お金を稼がないと生活ができないとされている、資本主義のシステムが、人間をうまくコントロールするために、本当によく考えられている、というか、いまはよくまわっているというか、そんな感じがする。平日は働いて、週末に家族や恋人と会って、外食に行ったり、デートしたりする。そしてまた平日になり、がんばって働く。職場では、それぞれ家族や恋人を持った人達がいて、彼らとの話題はテレビで流行っている芸人のギャグであったり、映画や音楽やスポーツであったりする。まあ、恋人や家族との話題も、たいして変わらないのかもしれないけれど。そうやって、人間をコントロールして仕事をさせて、経済をまわしていくこの仕組み。巨大なシステム。この巨大なシステムと、歴史が、抵抗する隙を与えず、僕達をのみこんでいる。この巨大な波にのまれ、クラゲのように漂う人々や、サーファーのように楽しむ人々、流れに逆らってとんでもない所にいってしまう魚のような人々、いろんな人がいる。
僕のバイト先の上司達。彼らは、もはやその他の場所で生きていくことができない。その場所に長く居る事によって、力と責任が与えられ、それが幸せなことだと心から感じで居る。彼らを笑う事はできない。それは、彼らにとって、心からの幸せだから。それをだれが否定できるだろうか。
2013年5月16日11時46分
一週間もあいだがあいてしまった。
数日前から、もうひとつのバイト「テナントビルの清掃」がはじまった。これは週5日で、基本的に朝7時~9時半、火曜のみ10時までのバイト。現場は四谷三丁目。駅から徒歩2、3分のところ。
椹木野衣さんが美術手帳に百瀬文さんの修了作品についての評論を書いたらしい。百瀬さんは僕と歳1つしか違わない。学年は同じ。まったく、僕は新しいバイトとビアガーデンのバイトに使う定期券を買ったり、トイレ掃除が目標5分のところを7分くらいかかってしまって「もうすこし早くね」と言われたり、ビアガーデンではハーフ&ハーフを自力でつくろうとしたところ、どうやら間違っていたらしく「わからないことは聞いてって、なんども言ってるよね」って怒られたり、チーフに好かれてないんじゃないかと心配になっちゃったりしているだけの、ただのフリーターである。ジュリアンカサブランカスも歌っている「むこうがわでは、誰も僕を待っていない。」さっきシャワーをあびながら考えていたんだけど「誰かに良く思われてないんじゃないか」っていう、完全に僕の損でしかない不安な気持ち、すごく久しぶりだな、と思った。高校生以来か、大学に入りたての頃以来か。
僕は、あのテナントビルや、ビアガーデンでは、何者でもないのだ。
毎日同じ時間に現場に行ったり、電車に乗ったり、店を開く準備をしたり、上司に怒られたりしているうちに、なんとなく気付いたことがある。
まったくこの社会は、"よくできている"。人間ていうめんどくさくて危険きわまりない生き物を、うまく社会のなかで納めるために、うまくできている、"うまくできているようにみえる"といった方が正しいか。
人がいる。あとからふりかえってみると、本当に、みんなかわいいなと思う。あのチーフは、あの支配人は、あの、僕に掃除を教えてくれたおっさんは、それぞれの世界でしかもはや生きていけない。ブコウスキーの短編小説の中にもこんなせりふがあった「チンケな人間でも、同じ所に長くいれば、ささやかな信望と力を獲得できる」。あの小さな世界の住人たち。それぞれ悩みがあり、恋愛とか性の事情があり、親が居て、故郷がある。どう転んでか、いまあの場所にあのように収まっているのだ。そしてみんな老いて死んでいく。僕も死んでいく。嫌だ。嫌だなあ。まだ数日間しか続いていないけど、毎日お金を稼ぐ為にでかけている。昨日がはたして、本当に昨日なのか、それとも一昨日なのかがよくわからなくなる。朝電車に乗り込もうとした時、このまま自分が本当に死ぬまでこんな調子なんじゃないかという"予感"のようなものが降りて来た瞬間があった。本当におそろしいことだ。でも、みんなそのように生きている。この社会では。お金が力を持っているこの社会。
もっとたくさん書きたいことがあったような気がしたけど、なんだか出てこないのでやめる。明日も五時半前には起きて、6時前の電車に乗り込んであの四谷のビルに向かわなければいけない。そのあと一回実家に帰ってきて、また1時前にビアガーデンに出かける。今日と一緒だ。
でも今日と違うのは、明日のビルの現場は、はじめて一人での仕事にのぞむという事だ。山本さんによる指導は今日までだったのだ。
2013年5月15日24時52分
既に詰んでいる。
原発はあぶないから、原発をとめている。そのかわり火力発電をつかっている。co2を排出している。
忘れていた地球温暖化が、また首をもたげる。とてもあぶないらしい。ぼくが忘れていたからと言って、その問題が存在しなくなるわけではないのだ。経済成長なんていらない。本当のことをいってくれ。
生きていかなくちゃいけない。
まさに八方ふさがり。
優先席があるからマナーがわるくなる。
発泡酒とビールの区分けはいらない。
僕のこの生活。生きていると生活がある。
ホーンテッドマンションで、案内人が最初に言った「諸君はこのへやから出る事ができるかな?私ならこうするがね」といって、首をつっている人を見せていた。死ぬという脱出。
ぼくはそれはしない。したくない。しかし生きていかねばならない。お金を稼がねば生きていけない。
生活しなければ生きていけない。
2013年5月8日(水)24時0分
昨日日記を書くのをさぼってしまった。
今日もビアガーデンバイトであった。今日で営業開始から二日目。すこし、やりかたがわかってきた。
思い知らされた事は、自分から他者への態度は、ほぼそのまま他者から僕への態度になって跳ね返ってくるということ。
僕自身が僕自身に自信があれば、他の人達も自然と僕を頼ってきたり
する。逆に、自信がないと、まわりの人達も不安になる。
大切なのは、自分を曝け出すことだ。かっこつけたり、斜に構えたり、思慮深そうな人間ぶったりすることじゃない。自分を曝け出すのが大事なのだ。そして、それがいちばん難しい。
僕は「やりたいこと」という言い方が嫌いだったけれど、それは認めるべきなのかもしれない。もっと自分が、大きな歯車にのせられている感覚というか、さも自然の法則のように、この世界に生きている事に対する、ごく当然の帰結として活動しているという感覚だったけれど、これは僕の思い上がりなのかもしれないと思う。僕は「じぶんがやりたいことをやっている」という素直な意識でいればいいのだ。
はやく出発して到着しろ。到着したら出発しろ。
離陸したらちゃんと着陸しろ。着陸したらすぐ離陸しろ。
2013年5月6日(月)24時04分
今日はビアガーデンのバイト研修最終日。
バイトをして、まわりの同期の人達を観察していると、例えばある男はだんだんリーダー的な立場になっていったり、ある女性は「みんなもっと返事をしよう」と周りに言うような感じになったり、ある人は「元気はいいけど言葉遣いがなあ」という感じになったり、そういう人柄のようなものが浮き上がってくる。これらは、その人が絶対的にもっているものではなくて、このバイトのこの集団だからこそ浮き上がってくる相対的な人柄でしかないのだ。たとえばリーダー格の彼は、はじめはそんなに目立つ感じではなかったけど、すこしずつまわりが見えてくると、代表的に上司に質問してみたり、指示を出したり、積極的に意見を言ったりして、そして、その意見や判断に自信がある。それは正しいとか間違ってるとかとは別の次元の問題なのだけど。そういう様子を見ていると、まわりも「このひとがリーダーっぽくなってきたから、こういうことはまかせよう」というふうになっていって、そしてだんだん彼のリーダー像ができあがっていくのだ。彼と、まわりがそう望むから彼はリーダーになる。
ということを思った。
AZUMA HITOMIちゃんの「フォトン」を買った。その特典DVDを見ているとき「夢と編集」について考えた。
例えばビデオで自分を撮る、カメラ(つまり、その映像を見る人)に向かって手を振る。そしてビデオを止める。
そうすると、編集していない映像には、カメラをつけるところから、手をふるところ、そしてビデオを止める所までうつっているはずだ。
それを、手をふるところで映像を終わらせるように編集する。
そして映像を見ると、ビデオをつけて、手を振ったところで映像が終わる。あたりまえである。あたりまえなんだけど、ここにすごくおかしな事がおこっているような気がする。映像が撮られたのは過去のことで、つづきがあるはずのことなんだけど、目の前の映像にはそれがうつっていないのだ。記録にのこっているのは手をふるところまでで、その後の手を振ってからビデオをとめるまでの一部始終は、本人の記憶の中にしかのこっていないのだ。
また、手をふったところで勝手にビデオが止まるようになっているわけないだろうから、この映像を初めて見た僕以外の人でも、「編集したんだな」ということはちょっと考えればわかる。でも、そこで何が切り取られたのか、どれくらい切り取られたのかはわからない。それは、ビデオをとった僕しかわからないのだ。
そして、夢のことを考えてみる。人間は睡眠時、浅い眠りと深い眠りを繰り返しているという。浅い眠りのときには、必ず夢をみているらしい。でも、そのあとに来る深い眠りでその夢を忘れてしまうらしい。だから、起きた時に夢をみたとわかるのは、深い眠りがくるまえに起きたから、それを覚えているというだけなのだ。これはとても不思議な事だと思う。
「夢をみている」まさにそのときの体験は、現在進行系で感じることができるものだ。でもそれは、変な言い方になっちゃうけど、"数分後に目を覚ましたときにその夢を覚えている"からこそ「夢をみている」という"現在進行形の体験"をすることができる。現在が未来によって担保されている、というか、現在が未来をつくるんじゃなくて、未来が現在をまさにつくっている、ということが起こっている。実際に起こっているのだ。
前々からこの夢と記憶がつくる時間のゆがみみたいなものは不思議におもっていたのだけど、今日、映像の編集でも、すこし近い感覚のことが起こっているんじゃないか、と思ったのでした。
2013年5月5日(日)こどもの日 09:06
椹木さんのツイッターをみていて、ふと思いしたこと。
むかし、幼かったころは、友達や親戚の家に泊まるのはちょっとした冒険だった。
まーちゃんの神奈川の家に泊まっていた記憶が強い。天井にワンピースのポスターがはってあるまーちゃんの部屋で、3人で布団を並べて寝たものだった。お母さんとお父さんは、その隣りの部屋で寝た。もうすこし大きくなると、村上家の4人は、玄関入ってすぐ右の部屋に寝たものだった。思い出した。そう、あのお泊まりは、僕にとっては冒険だった。
逆に、まーちゃんたち井上家の4人が、村上家に泊まりに来る事もよくあったな。泊まっていった井上家を見送るのは、井上家から帰るのよりも、寂しかった。あの強烈な絶望にも似た感覚はいまもよく覚えている。遠くなっていく井上家の車の赤いランプと夜のお花茶屋の景色、まだよく覚えている。
いつしか井上家も僕らもお互いに遊びにいく回数が減り、泊まらなくなっていった。
あのように家族で泊まり合うというのは、他の家庭でもやっていることなのか。それとも珍しいパターンだったのか。今考えると、ちょっと変わった事をしていたなあと思う。家族みんなで、犬もつれて泊まりにいくなんて。
泊まった夜のことはよく覚えているけど、昼間なにやって遊んでいたのかが、いまいち思い出されない。渓流釣りなんかはよくいったけどなあ。
2013年5月5日(日)23時45分
今日はバイトは無し。昼前に家を出る。まず、六本木ヒルズの映画館に行って村上隆の「めめめのくらげ」をみようとして、途中上野を歩いているとき、路上でお経を唱える修行をしているお坊さん(托鉢というらしい)を、はじめてじっくり見た。その向かいには「テレビでも紹介された話題の新商品」のパンを路上販売していた。
めめめのくらげは、なかなか良かった。子供向けのストーリー立てだけど、大人も見る事を見越して作っているような印象を受けた。良い意味で村上隆は「天才じゃないんだな」と思った。村上さんは、ただ必死に、日本を、美術を考えて制作しているのだ。
くらげの後は、SICFを観に青山のスパイラルまで歩いた。こばちゃんに会って、すこし話し込む6
そして、新宿駅まで歩いて、高田馬場に行って岡山から来ている赤田竜一さんと会って話す。その後早稲田松竹で黒澤明「羅生門」を見た。
こんな感じの一日であった。
明日からバイトが6連勤だと思うと、自然と、今日という休日を「なるべく無駄なく使おう」という気になってしまった。なるほど、「休日」とはこういう感覚なのか、と思った。仕事と休日の繰り返しで、世間の人々は知らず知らず年をとっていくのだ。
それにしても、最近映画やら演劇やらをけっこうみている。本も読んでいる。
ここ一ヶ月くらいで
本は
「友愛のポリティクス1/ジャックデリダ」冒頭だけ
「存在論的郵便的/東浩紀」1/3くらい
「逃走論/浅田彰」半分くらい
「面白ければOKか/三浦基」半分くらい
「色彩をもたない多崎つくると~/村上春樹」読了
「雁/森鴎外」もうすぐ読了
あと漫画の「寄生獣」を読了した。
劇場映画は
「演劇1」
「演劇2」
「フラッシュバック・メモリーズ」
「ドラゴンボールZ 神と神」
「ライジング・ドラゴン」
「めめめのくらげ」
「羅生門」
演劇はひとつ
「この生は受け入れがたし/青年団」
美術館博物館系展示は
「グレートジャーニー人類の旅/国立科学博物館」
「ラファエロ/国立西洋美術館」
「フランシスベーコン/国立近代美術館」
「フランシスアリス/東京都現代美術館」
他に
ムサビ優秀展や、熊倉の銀座の展示や、SICFなんかに行った。
2013年5月4日(土)24:30
今日もビアガーデンの研修だった。4日目。「ロールプレイング」と呼ばれる、ガーデン営業中を模したデモンストレーションのような研修をひたすらやった。スタッフでお客様役と従業員役で別れて、来店→案内→注文→会計→帰る→来店…のくりかえしである。ビアガーデンなので、当然お店は外にある。そして今はまだ5月なので、夕方近くになって陽があたらなくなるととても寒くなる。周辺には高層ビル(文部科学省とか)がいくつもそびえているうえ、すぐ近くに皇居があるので、強風が吹く条件が整っている。とても寒いのだ。毎年夏は超満員らしいけれど、いまは人影もまばらで、大勢で賑わっている様子がいまいち想像できない。
このバイト仲間に前田君という人がいる。彼は26歳で、カメラマンのフリーアシスタントらしい。彼はどうやら飲食店のバイト経験者らしく、お客様へのサービスを模した研修も慣れた様子でこなしている。男連中からは「神」と呼ばれている。
僕の彼女も、ちょっと前にターザンでカメラマンのアシスタントをやっていたから、話をよく聞いたけど、カメラマンの出す指示を先読みしながら、指示が出される前に行動しないといけないらしい。だから、彼女に僕の制作を手伝ってもらった時、その気のまわしように驚いた事が何度もある。だから、カメアシの経験者は、飲食の接客業とか、オールラウンド的な能力が要求される仕事に向いているのかもしれない。
僕は全然だめである。自分で「これほど変われない人間だったか」と、情けなくなるくらいに。思うに僕は、どこかで変な「プライド」を持っているのだろうと思う。
こういうバイトなんかでまだ出会って日が浅い人達と会話をするとき、僕は言葉を発する前に、それを心の中で呟いて、相手がどんな反応をするか、この場の空気にふさわしいか、それは僕が言うべきことか(他の誰かでもいいんじゃないか)、僕が言いたい事はほんとうにこれなのか、等などといろんなことを考えてしまうので、会話がテンポよくいかない。これは昔からその癖があったから知っていたつもりだった。でも、それが僕の持ち味であり、キャラであって、この特製が僕を育ててくれたと思ってた。でもこんな風にバイトをしていると、これは一歩間違えたら「プライド」になりかねない、と思う。プライドは、ただ邪魔なものだ。成長を阻害するもの。変化を止めてしまうものだと思う。
いまここに書いているこの文章。これは僕はネット上にはのせないつもりだから、好きに書きまくっているけど、これを、このままネット上にあげられるか、考えたら、いま僕はそれができそうにない。僕のウェブサイトは母親や実家関係の知り合いもたくさん見ているようだから、なかなか恥ずかしくてアップなんてできない。でも、それはただのプライドなんじゃないか、僕には、かっこつけたり変にキャラを作ったりしていない、ただこうやって好きなように書いた文章を垂れ流しつづけるような、そんな「曝け出し」が足りないんじゃないか、と思う。これが僕の決定的な弱点なんじゃないか。僕のウェブサイトは、ここ一ヶ月近くほぼ更新していない。カウンターは増え続けているから、更新を待っている人はいるはずだ、と思う。でも、僕はいま作家としての僕を「沈黙」させている。だから、なんだか簡単に更新しちゃいけないような気がしてしまう。でも、「こういう理由で、"沈黙"します」と言う勇気もない。これが多分僕の弱点なのだ。僕は、もっと体ごと、社会にダイブさせなければいけない。
2013年5月3日23時58分
今日はバイトだった。研修三日目。あらためて、僕はこういう接客業、特に、あるマニュアルに従って自分を変えながら(というかダマしながら)動かすタイプの仕事は向いてないのだなあと思う。僕はまだ24歳だから、「声が小さい」とか「もっと自信をもって接客して」みたいなアドバイスも、まあかわいい感じに見られるけれど、これが30とかになったら、もう惨め以外の何者でもない。
研修三日目にして、「おれはこんなところで何をやっているのだ。あっというまに死んでしまうぞ」という、かなりヤバい感じになってきてしまっている。まあ狙っていた通りなのだけれど。いざそれが目の前に襲いかかると、そんな「狙い通り」とかそんなこと考えていられない。ただ重い闇が体にのしかかってくるだけだ。
しかし、そう、働くというのは、お金を稼ぐというのは、こういう作業を経なければ成し遂げられないものなのかもしれない。バイトをしている時の僕は、何者でもないただの「村上慧」という記号の着いた男性である、それだけであって、これまでの僕のアーティストとしての活動歴だとかはもう全く、悲しいくらいに関係ないのだ。自分の何者でもなさ(+人よりも飲み込みの遅い、自信のない、陰気な人間ときてる)を、改めて再確認させられる。多くの人々は、こういう作業を通して、すこしずつ「この社会で生きていくとはどういうことか」を理解して、歳をとっていくのかもしれない。
最近、僕の両親が家の外壁にネットを張って、そこに黄色い薔薇を這わせて育てている。いまちょうど時期なので、薔薇は見事に咲き誇っていて、公園からみると結構すごい事になっている。今日は、僕が岩手から持って帰ってきた単管を使って、一日かけてネットをかけるための土台をつくっていた。高さ6m、幅4mくらいのおおきなものだ。お父さんは「お母さんがここに薔薇が欲しいっていうから」といってるけど、それは多分照れ隠しで、本当は作業が楽しくて(+他にやることもないので、という感覚で)やっているのだと思う。お父さんは、手先は器用だし大工も得意だけど、単管を扱った事はないので、帰ってきた僕に「ここはこういうところで苦労した」とか「ここはこれで大丈夫だと思うか」という話をしてくれる。そうやって父親と話が出来るのは嬉しい。こういうわかりやすい共通の話題がないと、なかなか話せるものではない。むかいのひろくんの家(湯本家)の駐車場にも、なんだかパイプで天井がつくられて、そこになんかの植物が這わせてある。休日、やることが、こういう事しかないのだろうなあと思う。それも、土地と家を持ってしまったが故の「暇つぶし」「退屈しのぎ」なのだろうなあ思う。僕は、こういう生き方はしたくないなあと思う、今の所は。
でもそうやって生きている人達のことを、誰が悪く言う資格があるだろう。だれが「つまらない日常、たいくつな人生」みたいにののしる事ができるだろうか。
弁証法的な思考は、個別の事情を取りこぼしてしまいがちだ。
悪く言うことができるだろうか。
六本木アートナイト Roppongi Art Night » 村上慧《他人のトンネル》 http://www.roppongiartnight.com/%e4%bb%96%e4%ba%ba%e3%81%ae%e3%83%88%e3%83%b3%e3%83%8d%e3%83%ab/ …
アートナイト超楽しかった。村上慧さんの「他人のトンネル」が印象的。あと「期待して当たり前なんだし。」のワクワク感が半端ない。ESでお気に入りの1枚について紹介してって、言われたらあの写真つかうな。来年は1日中いたい!
@meg1515
他人のトンネル面白かったね(*´▽`)ノ ショップも草間とかニナミカさんの作品少し見れたし楽しかった╰(*´︶`*)╯♡
ZARAの前にインスタレーション「他人のトンネル」があり、ちょうど人が途切れたので試してみた!やる気満々だったのだけど「他人」のお兄さんがとてもシャイなかんじで…エヘヘー☆と笑うにとどめました…
@326588 ごめん、あたし全然そういう観点で見てなかったよ…笑 ご飯食べるついでにふらーっとアートナイト回って、なんか行列あったから並んでみたら、他人のトンネルだったんだよね。他人と急に短時間話す感じがただ単に緊張した。。そんでもって、それ以外あんまり見なかったんだよなー。
友人に誘われて六本木アートナイトへ。他人のトンネル、超どきどきした。名乗って握手までしちゃったぜ。桜がきれいでした。お花見のタイミングがーーーー。。。いや、ぶっちゃけ花はどうでm…ryお弁当。。 pic.twitter.com/7O3bNs2fpn
僕は結構「モダンアート(笑)」って感じの人間なんだけど、それはいわゆる似非コンセプト病、作品に背負わせた大袈裟なコンセプトと出来上がった作品につり合いが取れてないものが多すぎるからです。あと判断観客にゆだねすぎ。プライドないんかと。でも「他人のトンネル」はよかった
六本木アートナイト楽しかった。一番印象に残ったのが村上慧さんの「他人のトンネル」。人間は個人の集団で、それってすれ違うだけでドラマだ。これは常設展示するべきだよ。
村上慧「他人のトンネル」 トンネルの中を知らない人どうしですれ違う作品。中で何するかは自由。 Boy meets Girl http://instagram.com/p/XNZA4HLXZA/
【アートナイト振り返り】長くてまっ白いトンネルの中に、両側から知らない人同士が入っていく「他人のトンネル」。入口が開いた瞬間のドキドキと、向こうからくる人の顔が見えたときの照れ臭さ、それからすれ違う瞬間のちょっとした寂しさ。ほんの15秒ぐらいの体験なのに、すごく鮮明に覚えてる。
村上君の作品「他人のトンネル」を発見・・http://satoshimurakami.net/ オレも そこに入って他人とすれ違って来た・・ pic.twitter.com/3FsB7nku9P
今回アートナイトで一番いいなって思ったのは、『他人のトンネル』だった。布で区切られた細い通路の両端からそれぞれ一人づつ入って真ん中くらいですれ違う。ただそれだけのものだったけど、一人づつしか入らないから、絶対に互いが認識する。だから、すれ違う時どうするかとか考えるのは面白かった
他人のトンネル、待ち
2013年5月2日(木)22:10
今日からフリーターである。
一昨日の夜から、国分寺の詩織の家に泊まっていて、さっき実家に帰ってきた。詩織は、大学の卒業単位が足りなかったので、あとすこし学校に通わなくては行けなくなって、いまも大学近くのアパートに住んでいる。僕は、今年の春には、詩織と一緒に西の方に移住をしようとぼんやり考えていたのだけど、詩織が大学に残るので、僕も東京の実家に半年くらい住んで、バイトをしてお金を貯めようとしている。バイトはもう始まっている。虎ノ門の駅前にある恵比寿バーのビアガーデン。
どんなバイトをしようかネットを見ていた時に、「ビアガーデン」の文字を見てピンときた。なんだか、わくわくさせるものがあった。
夏の間だけ、十五人くらい一斉にバイトを起用して、そのチームでビアガーデンをやりぬく。なんだかアートプロジェクトみたいだと思う。仮設のコミュニティ。いつか解散する事が分っていて、それでも集まっている人たち。
僕は、3月をもって、制作活動を止めた。つくりたい欲求はあるし、日々思う事はたくさんあるけど、いまは、かつてのようにそれを安易にアイデアに落とし込んだりしないで、ただもやっとした状態のまま心に漂わせているような感じでやっている。ぼくは大学を卒業してから2年間、浅草にシェアアトリエを借りて、ノリと勢いで「現代美術家」として活動してきた。後半は、それだけで生活できそうになっていたけど、このまま制作活動を続けると、自分が小さくなってしまうような、そこそこの作家で終わってしまうような、そんな恐怖があったから、東京を出ようと思ったのだった。そして、いまは制作の手を止めている。ちいさな仕事はすこしあるけど。
ぼくは、これまで、人生をなめていた。と思うようになる。詩織と、いよいよ2人で暮らしていくとなったとき、社会的な責任は大きくなり、なんとか稼ぎながら、家賃を払ったり、光熱費を払ったり、買い物をしたりして、やりくりしなくてはいけない数十年間が目の前に表れた、そのとき、僕は甘かった、と思った。
それまでも、うすうす感づいてはいたし、噂では聞いていたけど、
生まれてきた以上、死ぬまで生き続けなくてはいけない。寿命か、病気か、事故か分らないけど、何らかの力で自分の心臓が止まるまで、生き続けなくては行けない。この事実から逃げ出す事はできない。(自殺しないかぎりは)。そして、生き続けるためには、この高度に発達した、資本主義社会ではお金を稼がなくてはいけない。稼ぎ続けなくてはいけない。これは「自分がそこそこの作家で終わってしまうような気がする」という話とはまた違う次元の話だ。たとえ僕にそこそこの作家で終わってしまうような才能しか備わってないとしても、それでお金を稼ぎ続けなくてはいけない。現状に不満なら、死ぬか、自らを飛躍させるかしかない。飛躍できなければ、死ぬしかない。これは比喩ではなく事実であって、もう認めるしかないのだ。
昔の事をよく思い出すようになる。みんな過ぎ去っていった。とよく思うようになる。とくに、未だに詩織の家に行くため、ムサビ近くを通る時に。かつての気楽な学生生活(といっても当時は全く気楽ではなかったし、毎日必死に生きていた、だけどそれでも)は過去の出来事になったし、僕が卒業してからも残っていた後輩達も、いまではほとんどどこかの会社に勤めている。あれほど、馬鹿でだらしない人達だったのに。そんなことを言っている僕は、いまはもはやフリーターである。恥ずかしくなる。
ときどき「いつまでアーティストやっているの?」と、友達に聞かれる事がある。
僕は「そうか、そういう感覚なのか」と、かなり残念な気持ちになる。僕は、自分で思っている以上に、「社会」では「不適合者」なのかもしれない。
美術なんて何の役にも立たないのかもしれない。経済をまわしている彼らに比べたら、僕は何をやっているのだろう、とまで思うこともある。(それは間違っているのだけど)。でもあいにく、僕はこの道に深く入り込んでしまった。僕はこの道を「選んだ」わけではない。気がついたら深く入り込んで夢中になっていた。僕は「好きなことをやっている」意識はない。ただ死ぬまでに、なんとかしなくてはいけないって、それだけ思っている。
あの気楽で楽しい日々は思い出のものになってしまった。銭湯にいったり、夕日を見たりするとすぐにそんなメランコリックな気持ちになる。そしてときどき、かなりふかい闇がふってくる感覚がある。絶望に似た感覚。こんな風にして、あっという間に死んでしまうだろうという予感。
このあいだ、形成上野駅の地下通路で、清掃員のような服を着た人が、「作業中」みたいな言葉が書かれた黄色い看板を右手で持って、うつむいたままその腕を延ばして、振り子のように看板をブラブラさせていた。はじめその光景を見た時はすごくゾッとした。まるで、人が、可動部分が1か所しかない安いロボットになってしまったような、そんな恐ろしい光景だった。それはよく見ると、床に大きな案内のシールを貼ったばかりで、看板で風を送って乾かしているところだった。でもそれが分った後も、その光景は恐ろしかった。でも考えてみると、駅を行き来している人達は、みんなそんな風に、可動部分が少ない安いロボットのように、毎日を消化しながらも、そのなかで幸せを見つけているのかもしれない、と思う。この社会で生きるというのはもしかしたらそういうこと、それを受け入れるところから始めなくてはいけないのかもしれない、と思う。
とはいっても、僕は、いま戦略的にこれを書いている。ぼくは、可動部分が少ない安いロボットのようにはなりたくない。しかし、それを受け入れるところから、いったんは始めなければいけない。自分の限界をおしあげるには、いまのところこれしか思いつかない。社会的責任が強くのしかかる程、その表現に説得力が生まれてくるのだろうと思う。僕はまず、安いロボットになることを経験しなくてはいけない。この資本主義経済を微力ながら動かすロボットに。そこで孤独になって、深く絶望しなくてはいけない、と思う。
※作品の模型写真
概要:
吉原芸術大サービスとは、2013年3月3日~10日の会期中に台東区千束の「吉原地区」各所で行われる、現代美術の展示・パフォーミングアーツ・伝統芸能のフェスティバルです。
主催:
空鼠(空鼠とは、村上慧・橋本匠・小山一平・阿部圭佑の4人によるシェアスタジオです)
期間:
2013年3月3日(日)〜3月10日(日)11:00〜19:00
※村上慧のみ、2月24日(日)〜3月10日(日)11:00〜18:00の期間で実施
場所:
吉原神社(東京都台東区千束3丁目20−2)及びその周辺
※期間中、詳細な展示位置などを記したマップを配布します。まずはインフォメーションセンターの吉原会館(千束4−24−12)までお越し下さい。
入場料:無料(ただし一部のプログラムを覗く)
会場へのアクセス:
・地下鉄日比谷線 三ノ輪駅より徒歩10分
・JR鴬谷駅、地下鉄日比谷線入谷駅より北めぐりん(100円巡回バス)15分~20分 台東病院前下車すぐ
・東武浅草駅、都営銀座線浅草駅より都営バス 東武浅草駅のりばより草64系統、池袋東口行きに乗って吉原大門下車徒歩5分
・コインパーキングが数台ありますが、混雑軽減のため公共交通機関をご利用の上おこし下さい。
出演作家:
↓↓↓↓↓↓↓↓パフォーマンス参加↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
◯山川冬樹(やまかわふゆき)
◯遠藤一郎(えんどういちろう)
◯狐神楽(きつねかぐら)
◯太田家元九郎(おおたやがんくろう)
◯岡本紋弥+杉浦千弥(おかもともんや・すぎうらせんや)
◯fifi(ふぃふぃ)
◯橋本匠(はしもとたくみ)
◯アンサンブルMOMO(あんさんぶるもも)
◯東山佳永(とうやまかえ)
◯山山山(さんざん)
↓↓↓↓↓↓↓↓展示参加↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
◯加茂昂(かもあきら)
◯村上慧(むらかみさとし)
◯井口雄介(いぐちゆうすけ)
◯津田翔平(つだしょうへい)
◯高田冬彦(たかたふゆひこ)
◯阿部圭佑(あべけいすけ)
◯吉野もも(よしのもも)
◯林友深(はやしともみ)
◯小山一平(こやまいっぺい)
◯服部紫野(はっとりしの)
詳しくは下記リンクより
http://soranezu.blogspot.jp/2013/02/blog-post.html
大きな家の目の前には、小さな家がないと、大きな家は大きくあれないし、速く動くもののそばには、停まっているものがないと、その速さはわからないように、本当はないはずの客観性とか、本当はないはずの安心とか、本当はないはずの悪の定義とか、当たり前すぎて分りにくくなってしまった過剰な需要と供給とか、そういうものが、そういうひとつのものに過ぎないということを見せるには、それらをなんとか相対化して、複数のうちの1つにしてしまう方法を探すしかないのだ。制度を脱臼する方法をいくら探しても、それは終わりのないゲームみたいなもので、実は表面的な取り組みに過ぎないのだ。坂口恭平さんや、宇川直宏さんがやっていることは、ジャンルを抹消して、個人のレベルまで落とし込んでしまうことだと思う。宇川さんの取り組みをみると、それは鏡のように、宇川さんでない人たちの取り組みを教えてくれると思うのだ。それは、「宇川 vs 宇川以外の人類全部」みたいに、この世界をとても大きく相対化していると思うし、これほど攻撃的なことはないなあと思う。
隅田川まで歩いていくと、僕の家がある台東区側にはビニールシートでできた家が並んでいて、そこにすむおじさん達は、アルミ缶を集めたりして生活している。川の反対墨田区側には、首都高速が通っていて、そこを走っている車が、台東区側からはよく見える。大体いつ見ても(中でも夜は特に)ほとんどがトラックで、いろんなものを、いろんな運搬業者が運んでいる様子がよくわかる。高速の向こう側にはアサヒビールのビルがある。墨田区側の川のほとりからみたら、台東区側のビニールハウスの家が並んでいるようすがよく分かるだろうと思う。ここの景色は、川を挟んでお互いを相対化している。でも、高速道路を走っている車からは、まずこちらがわのビニールハウスは認識できないだろうと思う。彼らはものを運ぶのに夢中で、景色を見るにはあまりにも速く走りすぎているから。とまっている側からは、動いている人達がとてもよく見える。100kmで走っている4トントラックの対岸に、まちで拾ったアルミ缶を集めたビニール袋を管理しているおじさん達がいるのだ。でもどちらも、それぞれの事情を抱えて、たぶん精一杯生きているのだ。
昨年のおわりごろ、桜橋中学校という近所の学校の美術部の子たちと一緒に、ブロック塀に壁画を描くという機会があった。そこでは、スプレーによる「落書き」が中学校の印象を悪くしているとして、創立十周年記念の一行事として、ちょっとした縁で、僕(とあと女の子二人)と美術部の子たちが壁画を描くということになったのだ。僕達は中学校の塀に、北斎の浮世絵をペンキで大きく模写したりした。「落書き」が「壁画」になったというわけらしい。その塀は隅田川沿いのランニングコースに面していて、コースの反対側の壁にはスプレーで描かれた誰かのサインがたくさんある。そのスプレーの壁と、北斎の壁がランニングコースを挟んで向かい合っているという構図である。ここでも相対化がなされている。言ってしまえば、これはどちらも「落書き」だし、「壁画」だと思うのだ。スプレーでグラフィティを描いている人達は、彼らなりの切実さからそうしているし、中学校のほうも、地域のイメージアップという切実な目標があってそうしている。どちらかを「だめ」とか簡単に言えない。
僕は何かを「だめ」と決めつけるのがひどく苦手だ。自分のことを棚に上げて言ってみると、美大生はもっと自分の作品を、多くの色んな種類の人の目に耐えうるかどうか、歳月に耐え得るかどうかをもっと切実に考えて作品を作った方が良いんじゃないかと、卒業制作展後のゴミの山をみて思ったのだけれど、彼らはそもそもそれを望んでいないのだったら、「わたしがんばった!おいしいもの食べたいー」とか言うんだったら、それはそれで良いと思うし、僕もみんなと一緒においしいものを食べにいきたいと思うのだけど。それを批判できたら、それとおなじように世の中のいろんなアレをアレできたら、もっと楽なのかもしれないなあ。どこにも行き場がない怒りとかもやもやを、「おまえこのやろう!」という感じでぶっ放したいのだけど「でも、事情があるんだよなあ」とか思ったり「がんばったんだよ!」と言われると、「ああ、よかったなあ。おいしいもの食べにいこう」という感じになってしまうのだなあ。
チャールズ・ブコウスキーは、2時間を活かすために、10時間は潰さなくちゃいけない。用心しなければいけないのは、全ての時間を潰してはならないということだ。と書いていた。ちょうど21年と5ヶ月前の、このくらいの時間に。
彼は50歳を過ぎてから作家業に専念し始めた。それまで、日本でいうところドヤ街の日雇い労働者のような生活をしたり、郵便局で働いたりしていた。その歳月は、彼にとってとても苦しい時間だったけれど、彼は、自分が苦しい状況に居るということに対してとっても自覚的だった。そしてその歳月が、彼が作家になると覚悟を決めたときに「たわごとでお茶を濁してはならない」ということを教えてくれたと書いている。
僕は、誰かに何かを伝えるためとかではなく、自分を救済するために作品をつくりはじめたのだった。ちょっと忘れていたなあ。さいきん、再びそのことに気付くことができた。自分を救済できないことは、たぶん死ぬことよりも辛い。美術は表面的な実践だと思う。それを使って、地域に産業を根付かせようとしたりするのは、無理があるし、無責任だと思う。そのことを再び確認する事が出来た。
いま、ある地域に、ある種のお祭りを定着させようと頑張っている一人のアーティストを知っている。ある地域での日常を研究して、それを俯瞰するような、別の営みをその地域に定着させる作風を売りにしているアーティストも知っている。それはそれで勝手にやってくれればいいと思うけれど、それは表面的実践に過ぎないということを、当人は自覚しているのかな。それを忘れてしまったら、その地域に住んでいる人間が、素材として使われているだけのようで、なんだかなあ、と思う。もちろん、アーティストはある意味で詐欺師でなければいけないとも思うから、自分の価値を自分でつくっていかなくちゃいけない人種だと思うから、別に構わないのだけど。。
このあいだ武蔵野美術大学の卒業修了制作展に行った。そこで百瀬文さんという人の作品が結構話題になっていた。僕も観た。それは、とても「よく出来ていた」。時間を区切って、ちゃんと最初から最後まで見せる展示方法も考えられていたし、作品のアイデアもシンプルで分りやすかった。(アイデアが先にあったんだろうな、という感じもしたけれど)。そして、観た後にそれまでと世界が違って観えるような気さえした。でも、それでも、なんだか「嫌みな感じ」が拭え切れなかった。(僕と歳も近いせいもあって)作家への嫉妬心とかもあったのかもしれない。でも、それを考えても、なんだか素直に絶賛できないところがあった。たぶんそれは、ある意味で「よく出来すぎていた」からで、さっきの話を持ってくると、作家が「自分を救済するためにつくられたもの」というよりは「作品を置く」ということに執着した結果生まれたものだからかもしれない、と思った。
まあいいや。今日は高松から来たなタ書(古本屋)のキキさんと、香川出身のふじさわさんと、中塚と飲んできた。ふじさわさんの家で。
あいかわらず、どこまでが本当の話でどこからが作られた話なのかほとんど分らない、ちょっと天才的なキキさんの話法は健在だったけれど、僕が前に会ったときと比べると、今日はキキさんの話を「よく聞いて観察することができた」気がする。観察しようと思えば、どんな人が相手でもできる。そのとき、自分のアタマがちゃんと冷えていたらのはなしだけれど。
路地裏とかで、なんかわけのわからないイカれたおっさんにナイフで脅されたりしたら、観察とかできる自信はない。
あと、今日うちのアトリエにみかんがたくさん届いた。吉原神社の吉原さんが届けてくれたものらしい。僕もいまそれを食べながらパソコンに向かっている。
同居人の阿部君が
「このみかん、くそうまい」と言っていた。漢字で書くと「糞美味い」だ。糞うまい。
そして阿部君は、小山君に向かって
「みかんの面白いむきかたやってる人知ってるー?」
と言う。その「みかんの面白いむき方やってる人」を、インターネットで調べて小山君に見せている。それを見て2人は笑っている。
僕はそれを聞いて「なんてこった!」と思う。
あと今日、建築現場の資材運びのバイトを募集していた会社から電話がかかってくる。
電話口の彼女は「まだ仕事さがしてる?」と聞いてくる。タメ口であった。
僕は「はい。一ヶ月くらいの短期ですけど」と言う。
「一ヶ月でどれくらい入れる?」と彼女
「7〜10日くらいなら」と答える。
「いま、現場がきびしいところだから、経験者じゃないと使い物にならないんだよね〜。現場はいったことある?」
「あります」
「石膏ボード何枚持てる?」と彼女。
(おお!「石膏ボードを何枚もてるか」が、その世界ではその人の力量を表すのか!と、ちょっと新鮮な発見をした気持ちに。)
「石膏ボード3、4枚くらい持てないと、ダメかもねえ」と彼女。
「3、4枚くらいなら持てると思いますけど。。うーん。ちょっと考えさせてください〜」という感じで電話を切る。
こういう感じの一日。僕はいま、「さかい珈琲」のショップカード作成依頼のサブワーク「吉原神社にたてる看板作成」という仕事に取りかかりはじめている。明日から五日間くらいは、それに集中しようと思っている。ただし、26日になんだか面白そうな対談企画の打ち合わせひとつ、27日には英検の試験監督のバイトがあるのだ。これは、今月末にいく、ここ数年の僕に取っての唯一と言ってもいい娯楽「大学の友達との乗鞍山小屋一泊ツアー」のお金を稼ぐために。僕はなんだかんだ今月は10万円くらい収入があったのだけれど、3万2千円は二ヶ月分の奨学金返済に、2万3千円は先月のクレジットカード利用の引き落としに、2万5千円は今月の家賃に消えてしまうのだ。なんでこんなにお金がかかるんだ。そのうえ情けないことに、現在はまだ健康保険と携帯電話の利用代金は、親のお世話になったままだし、国民年金とかは一切払ってない。。空鼠を出るタイミングで、こんな情けない生活ともオサラバしなければいけない。もっと一人で生きていかなくてはいけない。僕はもっと、自分を追い込まなきゃいけないのだ。くそうまい蜜柑を食べて寝る。
(日付と時間をタイトルにした文章は、自分を鎮めるために書いています)
あまりにもお金がない。お金がない状態が続きすぎている。
今日の晩ご飯は「米のみ レシピ」で調べてみた。すると、仲間達がたくさんいることがわかった。みんな米と調味料しかない状態で、素敵なご飯を作っていた。感動した。
「ちょっと相談してみるか」と思って、今日の昼、山谷の労働センターに行ってみた。労働センターは山谷のドヤ街の真ん中にあって、そこには朝早く行くと、たくさんの日雇い労働者達が列をなして仕事をもらいにきているところである。僕は昼間に行ったのだけれど、それでも労働センターに近づいていくうちに、路上で立ち話しているおじさんや、道ばたに座り込んでいるおじさん、道路にチューハイ缶と共に倒れているおじさんなんかがたくさんいて、覚悟はしていたけど、かなり特殊な雰囲気のところだった。
僕は事前に「労働センターの3階にいって名前等を登録すれば、"利用者カード"なるものを手に入れ、日雇い労働者の仲間入りができる」というところまで調べていたのだが、情けない事に、労働センターの中まで入る勇気がなかった。外から眺めるだけで精一杯であった。あまりにもアウェイだった。
情けないという気持ちだったが、同時に「僕にはまだここで働く資格がないような気がする」とも思った。かれらおじさんたちは、もう人生をかけて日雇い労働をしている。彼らからしたら「他に方法がない」のだ。僕は、そうでもない。山谷に来たのは、半分は好奇心だ。そんな人間が、ここで働いて言い訳がない。もちろんこれは言い訳だ。どうしようもない人間だ。
本当にどうしようもない。今朝一日が始まるのが憂鬱だった。ここ最近毎日そうだ。僕はなにがやりたいのだ。
今日は、あるプロジェクトのプランをもう一度練り直し、模型を作り、写真を撮って、ディレクターにメールを送ったらこんな時間になってしまった。といっても、起きるのが遅すぎるのだ。僕は10時か11時くらいに起きた。
起きるのが遅いと言えば、今日同居人の小山はさっき起きて来た。0時すぎくらいに起きてきたのだ。今日の朝に眠ったとかそういう理由じゃない。彼はたぶん16時間以上寝ていた。それはそれですごい。逆に「なんでいま起きてくるんだ」と思ってしまったほどだ。昼夜逆転とかそういうレベルじゃない。眠っている状態と起きている状態が逆転する感覚。いま僕は小山の夢の中にいるのかもしれない。
しかし、同居人だちの、日々の暮らし方、のんびりさには、ほとほと飽きれるというか、やれやれ、というか。僕が一緒に住んでいなければ、彼らがどんな毎日を送ろうが知ったこっちゃない。何時間寝ようが一日中パソコンで映画を観ていようが知った事か。僕は僕で生きていくのだから。
でも一緒にいると、何故か、ここに居ると腐る、と強く思う。もう毎日、というか毎分思っているかもしれない。ここにいると腐る。と。でもこんな生活ともあと2ヶ月ちょっとでおさらばだ。僕はここ空鼠を出て行くのだ。でも彼らが悪いとか、どうしようもない人間だとか言いたいわけではない。どうしようもないのは僕だけだ。みんながみんなそれぞれの人生を歩んでいるのだ。どうしようもない、と言う資格があるのは、人生の当人だけだ。
辛抱だ。いま手がけているプロジェクトが一段落したら、僕は遠くに行くのだ。西へ行くのだ。
思えばこれまでもずっと、「もうここにはされたくない」という原動力で動いてきたような気がする。僕はどこにいても、すこし期間がたつと、その場所がつまらなくなってしまう。病気だ。これまで何千回「ここにはいたくない」と思っただろう。病気だ。本当に面倒くさくてどうしようもない。
「僕は乗り遅れてしまった」とときどき思う。
今日インターネットでパティスミスのトークショウをちょっとみたのだけれど、彼女は「フルパッケージで人生を楽しんで」と言っていた。この上ない救済。フルパッケージ。生まれてから死ぬまでの自分の時間をひとつのパッケージとして考える。そうしたら、ひとつの方向に進むと思われていた時間が、量としての時間に変わっていくような気がする。基本的にアーティストとか作家とかいう人種は、朝起きてから寝るまでの時間(あるいはもっとながい人生の時間)の使い方を、自分で考えて、制作に向かわせる体質づくりをしないといけない。自分のリズムを自分で作って、自分の背中を自分でおしていく。こんなきつい事はないと思うけれど、上から振ってくる予定に振り回されている人達からしたら、気楽で楽しそうに見えるらしい。
たぶん、みんな暇を毛嫌いしすぎるのだ。予定がない事の不安に耐えられない。その不安を安直に埋めようと、どっかの会社の面接に行ったりして、その先何年間もの予定を埋めてしまうのだ。結婚を焦ったりするのもそうだ。予定が決まってないことへの不安。僕は最近、ひたすら作品のプランを練ったり、絵を描いたりする時間がほとんどだ。たまに、ちょっとした制作の依頼を受けたり、人に会いにいったりもするけど。それは僕の最近の日々では「ハレ」の時間になる。
最近の僕はもう笑っちゃう程お金がないし、外に出るとお金がかかる事を知っているから(人に会うのも美術館にいくのも映画を観るのも、まして演劇なんか。。)机に向かってひたすら作品のプランを練ったり、絵を描いたり、本を読んだりするしかないのだけど、この時間はこの上ない贅沢な時間だと思っている。はたからみたら、お気楽で楽しそうな生活に見えるらしい。でもこれは、絶望とか死とか鬱とかと隣り合わせ(だけど、贅沢な)の時間なのだ。眠っているあいだだけは気楽だと認めるけど。明日は、ちょっと、山谷の労働センターに行って僕でも仕事を紹介してもらえるか聞いてみようと思う。半分は好奇心、半分は切実さで。
今日まで、お台場のフジテレビで「お台場合衆国」というイベントが行われていました。そのなかで、僕が以前出演させていただいた「アーホ!」という番組が「アーホ展」としてブースを出展していました。僕もそこに参加させてもらっていました。すいません、ここに告知するのを忘れていました。。
http://www.fujitv.co.jp/uso2012winter/area2.html
僕はこの企画として、フジテレビで「似顔絵屋さん」をやらせてもらいました。「屋さん」といっても、書いた似顔絵は無料でプレゼントです。
ただし「最初に断っておきますが、僕は似顔絵屋じゃないので、あんまり似てなくても文句言わないでください」という挨拶から始まる似顔絵屋さんです。そうすることで、「似顔絵屋」という表向きはつくりつつ、「 客」と「自分」ではなく「主体」どうしの関係をつくれるかと思ったからです。書いた似顔絵をプレゼントする時の映像を撮らせてもらい、それを似顔絵のレプリカと一緒に展示しました。
さてぼくは、最初はフジテレビに居るだけで「なんかどろどろした消費欲が充満している空気」みたいなものにアてられそうになりました。EXILEの曲が一曲ループで流れつづける館内に「こんなに来るのか!」と思うほどたくさんのお客さんがいました。似顔絵屋さんで話したお客さんのうち9割は、東京都以外から休日を利用して遊びにきている人でした。
なにより驚いたのは、朝、入場チケットを買うために並んでいる人の数です。ディズニーランドにも劣らないような数の人が並んでいました。
それを見て僕は、「大衆」の存在みたいなものを痛感させられました。フジテレビという巨大な鉄の電波棟と、そこにならぶ大勢の人達、という構図が、現代を象徴しているようでした。
ちょっと話は飛ぶけれど僕はさきの衆議院議員選挙で、自民党が圧勝したことにショックを覚えました。うちにはテレビがないので、いまはツイッターとネットのニュースを主な情報源にしているのですが、そこで僕が選挙前に目にした情報の多くは、自民党や民主党には任せない未来を期待させるものでした。
2011年の震災以来、原発事故以来、国政に関わる大きな最初の選挙で、この国は変わるかもしれないという期待感がありました。それは必ず選挙に表れる筈だと思い込んでいました。しかし結果は自民党の圧勝で、僕は事態を理解するのに数分かかりました。
そんなことがあったから、今回のフジテレビで感じた「大衆の存在感」は、とてもタイムリーでした。視覚的に「社会の多数派」を見せつけられた気持ちでした。「ああ、自民党に入れたのはこの人たちかあ」と。
先日行われた「家主リレー」part24の最終版動画を公開します。吉祥寺アトレ。テラトテラ祭り2012
これを見れば「家主リレー」とはなんだったのか、一目瞭然です
朝、那須を出発しました。すこしずつ体が原付の運転を覚えてきました。
通りかかった那須高原の公園に、空間線量を表示している看板が。
ぼくは「へえーここはこんなもんなんだ」と、思ってしまいました。そういう世界になってしまったのだなあ。
「私の美術館」という個人美術館。此木三紅大さんという作家さんのコレクションとか、ステンドグラスとかが展示してある。このフクロウの門はすごかったです。
美術館がこんなところにあって、たまたま通りがかりでもしないかぎり、絶対に観ないタイプの作品をたくさん観ました。
で、夜には仙台に着きました。那須(ちょっとさむい)→福島(とても寒い)→仙台(わりと暖かい)という気温の変化が、原付で走っているとよく分かりました。
駅前のイルミネーション