「やってきたことをまとめてみる」が終わってませんが、新潟から帰って来て2週間くらいがたってしまいました。

イベントとてんらんかいのお知らせです

☆10月21日に、僕もメンバーに入ってるシェアアトリエ空鼠にて

「×日町に滞在した③ヶ月を⑥時間の映像で振り返りながらできるだけ多くのことを喋る⑦時間 

というイベントをやります。7時間もあります

http://soranezu.blogspot.jp/2012/10/blog-post.html

 

☆10月27、28日に吉祥寺駅ビル「アトレ吉祥寺」の「はなびの広場」にて「家主リレー」という作品をやります。中央線沿線で行われているアートプロジェクト「テラトテラ祭り」の一環として行います。

以下詳細

日時:10月27(土)、28日(日)12:00〜22:00

場所:アトレ吉祥寺一階「はなびの広場」

※予約などは不要です。ご都合のつく時間にいらしてください。

 

これは、来てくれたお客さんがそこに居ることによって、成立する作品です。皆様何卒ご来場の程よろしくお願い致します。友人知人にもひろめてもらえると嬉しいです。お願いします。

アトレのイベントページhttp://www.atre.co.jp/admin/oshirase/pdf/14_event201210.pdf

テラトテラのページhttp://teratotera.jp/event/fes2012kichijoji_art/

 

よろしくお願いします!

×日町って一体なんだったのか。

まず僕がチラシに書いた「×日町について」という文章をここに引用してみる。

『田舎を訪れたときに電車に乗って外を見ていると、とんでもない山奥に家が並んでいたりして、こんなところにも生活があるんだなと感心することがあります。

この国にはいろんな土地があって、いたるところに人が住んでいます。そして、各地にはそれぞれに受け継がれてきた土地の雰囲気とか、ルールがあるのだと思います。

去年の震災のあと、僕のまわりで人が引っ越したという話をよく聞きました。テレビのニュースでも、たくさんの人が移住しているというニュースをよく見ます。

それぞれの引越し先で、人と出会ったり、それまでの生活とのギャップを感じたりするのだと思います。そして引っ越した人達と、それを受け入れる人達とが影響を与え合いながら、お互いに歩み寄っていくのだと思います。(中略)

そんな折に、新潟県十日町で新しくオープンする特別養護老人ホームで、芸術祭に合わせてなにか企画をやってくれないか、というお話を頂きました。

老人ホームとは、僕たち若者(!)にとっては全く未知の世界です。

移住して、新しいルールの中に入っていき、影響を与え合うこと。この機会を活かして、それを形にしてみたいと思いました。

そこで僕たちは、3ヶ月ほど移住してみることにしました。

ただし部屋を借りて引っ越すのではなく、自分たちが住む家から作って、住むことにしました。人が越してきたということを分かりやすく見せるためです。

これは僕達自らが移住者となり、十日町の特別養護老人ホームのそばで生活し、地域と関わっていく過程を記述しながら、6人のメンバーがそれぞれの方法で制作発表を行っていくプロジェクトです。』

 

ちょっとテキトーに簡単にして説明してみるとこれは「人が移住し、そこに馴染む過程で相互に与えあう影響を記録しながら、作品を制作していくというプロジェクト」で、一番大切なのは「地域」と「特別養護老人ホーム」の間に「×日町」が出現するということ。

×日町は 期間限定で出現して、複数の人が「地域」と「老人ホーム」の間に住むところ。

期間限定なので、「それまではなかった」→「それが出現し、しばらく存在した」→「それがなくなった」という段階がある。そこで生まれるのは「対比」であって、「相対化」だ。「地域」と「老人ホーム」と「僕達」の、相対関係がそこで生まれる。そこで生まれる一番大事なものは「生活形態の相対化」。

とここまで書いたところで、ちょっと頭がからまってきたので、いったんやめます。また明日以降に書きます。。ちょっと上の話は飛躍しすぎたかも。

 

村上

僕が大学3年生くらいのとき、それまで受けて来た建築学科での授業や「建築」の考え方や、まわりの人達に対する違和感に我慢できなくなって、現代美術のジャンルを借りて作品をつくろうとしたり、いろいろと文章を書きはじめた時期があった。

作品をつくろうとしたときの、最初のモチベーションは「これまでに一度でも、ちゃんと"他人と話せた"ことがあったか」ということだった。

いままで「なんでこういう表現をしているの?」という質問受けるたびに「僕は"人と話すのが苦手"で、「どうやったら人とコミュニケーションが取れるかを考えてみた」みたいな(ちょっと適当な)答えをしてきたけど、それは正確にはすこし違う。僕は、たぶん小学生くらいのときから「いままで"ちゃんと人と話せた"事がない」という感覚があった。僕は人と話していて、自分が話すタイミングの時に、「もっと良い言葉があるんじゃないか」とか「明日になったら事情が変わってるんじゃないか」とかいろいろ考えてしまって、テンポよく話すことができなくて相手をイライラさせることが多々あって、いつも「今回もちゃんと話せなかった」とか「あのときこう言っておけば良かった」とか、細かい事で後悔する事が、ものすごくたくさんあった。一日に何回も。

それで「自分は人と話すのが苦手」って、自分自身で思い込んでしまった部分がある。

そこから「他人と"ちゃんと話す"にはどうしたらいいのか」って考えはじめた。僕は、他人と最初に話す時に相手が「自分より社会的身分が高い人か」「どんな友人と付き合っているのか」「~のリテラシーがありそうかどうか」みたいなことを意識せずにはいられないことに気がついた。そして、そのせいで言葉が詰まってうまく話ができないことに気がついた。

というか、僕達という主体は誰しもが、生まれて、成長して、今に至るまでに、交流する相手を(無意識も含めて)選択してきていると思うし、自分が所属していて心地よいクラスタを選んでいると思う。

そうやってそれぞれの主体(人)は自分が所属するクラスタの中で仕事や友人をみつけて、生きていくのだと思う。国が違ったり、文化が違ったり言語が違っても同じだと思う。そうやって人にはそれぞれの仕事に伴う社会的な責任が伴ってきて、その口から出る言葉は、その主体の完全オリジナルのものではなくて、いろんなしがらみや、責任や人生や文化の背景から出てくるものだと思う。

(ちょっと話が逸れるけど、僕達は人と相対して話すとき「相手を選ぶ」ということを絶対にする。相手を見て言葉や話題を選ぶ。でも例えば「ツイッター」は、相対した相手に発言するものではないから、話題や、選ぶ言葉に"その人らしさ"みたいなものがでやすい。ここにツイッターの面白さがあるような気がする)

そんなことを考えてるうちに、「それぞれの社会的背景や責任は全部どっかにおいといて、フラットな関係でみんなと話す場」ができないかと考えはじめた。それで

・「知らない人飲み会」/2009年:知らない人だけで一晩飲み明かす会。これは"オフ会"とか"合コン"とは違って、夜に10人くらいで集まるんだけど、全員が、自分以外の9人が全員初対面という状況で朝まで飲む、という、かなり無茶な飲み会。

・「自分の事は棚に上げて、翌日には全部忘れる飲み会」:僕は「こいつにこう言いたい」と思った時に「自分はどうなんだ」と考えてしまい、それで発言がストップしてしまうので、この場限りでは、みんな自分の事は棚にあげて、何かを批判したり、悪口を言うことを積極的にやっていこうという飲み会。

等を企画したのだけど、どれもうまくいかなかった。なぜなら、どちらも「居酒屋」で行ったから。居酒屋にいったら、そのお店の雰囲気にみんな包まれてしまうし、「居酒屋で出やすい話題」という"話題のヒエラルキー"もあって、うまくいかなかった。(あと「知らない人飲み会」は、人がうまく集まらず「2人1組が4~5組」という状態になってしまった。だからこれはもう一回やってみたいと思ってる。「表現」として。)

既存の空間でやると、そこの雰囲気に少なからず影響してしまうので、「人が集まる場所」からつくらないといけないと思った。そこでやったのが2010年の松戸アートラインプロジェクトの中で行った「松戸家」という作品だった。

 

http://satoshimurakami.net/project/松戸家/

これは1ヶ月間、僕自身が滞在しながら"持ち寄り形式の鍋"を朝から晩まで行うというもの。ここでは僕はホストのような役割で、新しく来たお客さんに既に居たお客さんのことを紹介したり、みんなに鍋をよそったりする係だった。

初対面の人が集まって、鍋を食べながらお互いの自己紹介をする場面を何度も見ているうちに「これは良い場になった!」と思った。日が経つにつれて常連さんができて、普段の生活では話すことのない人同士が、松戸家で何度も再会して近況報告をしたりするのを見ているのも楽しかった。

 

これをやっているころに"フェスティバルトーキョー"の「パブリックドメイン」という演劇を観た。

それは広場に集められた観客にヘッドフォンが渡されて、そこから「あなたは東京生まれですか?そうなら、"右"に5歩進んでください」という個人向けの質問がいくつも出されて、観客がグループ分けされて、最終的に演出家のつくったシナリオの中に組み込まれていくという"演劇"で、体験して衝撃を受けた。

その演出家Roger Bernatがインタビューで「劇場とは、そのコミュニティがお互いの関係性について意識的になる場」と話していた。

僕は彼が、「松戸家」でやりたかったことと事と同じような事を言っていると思った。それは「自分は人からどう見られ、自分は人のことをどう見ている」のかを見つめなおすということで、"社会の中の自分の立ち位置を自覚するための場"ということだと思った。

「社会の中の自分の立ち位置を自覚する場」ということはつまり、「同じ質問をされた時の自分の答えと、みんなの答えの違い」とか「見ず知らずの人と同じ環境に置かれた時に、切り出す話題の違い」「振る舞いの違い」などを自覚する場を演出するということだと思った。

その演出をするために、松戸家で大切だったポイントは『"村上慧"という、外から来た人間によって(半ば無責任に)用意された場である』ということ。

つまりこれは、松戸のコミュニティに属していない村上慧という人間だから成立した作品だった。

 

ちょっと話が飛ぶけど、現代美術家のイリヤ・カバコフは蝿の研究をしていて、蝿の生態を作品にしたりしている。カバコフが蝿に興味を持つのは「汚いものにも綺麗なものにも平等に停まるから」。つまり、僕達人間にとって例えば「食べ物」と「糞」は「綺麗で大切なもの」と「汚くて不要なもの」だけど、蝿にとっては「食べ物」も「糞」も同じように視界に移るし、同じように停まる。そうやって人間の社会システムの様々な階層を突き破って縦横無尽に飛び回る蝿という生き物に対してとっても興味があるらしい。

 

僕は松戸家を経て「僕自身が、この"カバコフの蝿"のような存在であらなければ」と思った。「ある種、誰にとっても外部の存在」であって「誰にとってもパブリックな存在」であらなければと思った。

そんなことを考えて次のプロジェクト作品「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」をやった。(ここまでにいくつか作品はあるのだけど割愛する)

http://satoshimurakami.net/video/

この生活の記録は映像作品になっているのだけど、その編集で大切にしたことは「僕自身の物語にするのではなくて、僕を通して、僕が関わった人たちの物語を垣間見るような映像にすること」だった。それはつまり、僕が関わったそれぞれの人たち(主体たち)の個人的な物語を、他のみんなの物語とおなじ土台に並べて眺める映像にするということ。僕が家を移動させて生活したのは、僕自身が"カバコフの蝿"のような存在(あるいは各地を訪ね歩いていろいろな土地の物語を語り歩いた琵琶法師のような存在)になるためだった。

 

このころの作品にもうひとつ「部屋のめがね」というのがある。

http://satoshimurakami.net/artworks/部屋のめがねシリーズ/

(関係ないけど、このシリーズの新作を7月に一個、かなり良いやつを作ったのだけど、それは写真を撮影する前に売れてしまって、見せられないのが悔しい。いま見ると、ここに載ってる作品はどれもちょっと、「もうちょっとやれよ」って思ってしまいますw。そんな感じです)

 これはいろんな人の部屋を模型にして、それに眼鏡の眼鏡の柄を付けて「その部屋の窓から外の景色を見るようにする眼鏡」だ。これも上に書いた「自分は人からどう見られ、自分は人のことをどう見ているのか」をモノでやってみた作品だった。

 

 

 

そんなこんなを経て、またこのあとにいくつか作品をやったのだけど、それは割愛して、「×日町」について書いてみる。

 

と思ったのだけど遅くなってしまったので続きはまた明日書きます。

 

 

×日町に関しては、アーティストの松下徹さんから×日町の感想を聞いたのが助けになって、考えを言語化することができました。トーリーさんに感謝致します。

×日町のポイントはやっぱり"カバコフの蝿"と、そして"ある生活形態を相対化させる"こと。

8月5日にキナーレに行って観てきた作品について書いてみたいと思います。

ボルタンスキーの作品「No man’s land」をじっくりと鑑賞して来ました。大量の服(多分全部古着)があって、大きな山になっていて、その上のクレーン(5本指)が服を掴んでは落とす動作を繰り返す作品で、周辺にはいろんな人の心臓音が結構おおきな音で鳴り響いています。
みた瞬間は、「服」とはわかりませんでした。何か布っぽいなあという程度でしたが、近づいて服ということが分かると、鳥肌が立ちました。そして直後にこの作品は「虐殺」がテーマだと思いました。
クレーンに持ち上げられた服が、風に揺れながら落とされるのを待っている様は、まるで人が死体置き場に放り投げられるようで、しかも心臓音が大きな音で鳴り響いているので、とても緊張した状態で鑑賞せざるを得ませんでした。
クレーンに持ち上げられた服は、その一枚一枚の形や色をはっきりと確認できますが、それが落とされた瞬間(この瞬間は毎回鳥肌がたってしまう程にショッキングな光景で、毎回「やめて!」と心の中で叫んでしまいます)に、それまで一枚一枚の服だったものは、「服の山」になってしまって、どこからがさっきの一枚なのかわからなくなってしまいます。これがとっても恐ろしい事で、なんていうか「"個"が"全体"に吸収される」とか、「"名前"を失って"数"になってしまう」というか、なんにしても大量に人が死んだ時のイメージを何度も何度も繰り返されて、目に焼き付いていきます。
それは、僕達が日々覚えては、すぐに霞んで忘れていく「記憶」をテーマにしているようでもあって、とにかくあのクレーンの手は、何か人を超えた存在であることはまちがいないです。
この作品は「居心地が良い」とは言えないです。でも、とっても多くの事を考えさせられます。「死」や「存在」「記憶」といった、ぼくたちにとって普遍的なテーマを、ボルタンスキーはずっと取り扱ってきてますが、通りかかる人が「無視できない」「考えざるを得ない」設置の仕方で、これだけのリアリティを持ってみせられるのは凄まじいことだと思います。
この作品は人によってはトラウマになってしまうかもしれません。でも、いま日本で観られるうちに絶対観にいった方が良いと思います。僕も何度でも行きたいです。
ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー
「ゴースト・サテライト」
これもよかったです。日用品や民芸品のゴミから「飛行機」とか「衛星」を思わせる立体を作り、空中に展開した作品。作家が見た越後妻有が、作品を通して重ねて見えてくるようでした。写真はキューピーの人形の首の部分にカブトムシの剥製(?)が刺さってある小品。
エルムグリーン&ドラッグセット「POWERLESS STRUCTURES,FIG.429」
これは笑ってしまいました。MUSEUMと書かれた箱(窓の部分は光がチカチカしている)が無造作に積み上げられた作品。いまという時代におけるホワイトキューブの展示スペースの役割に関して、かなりストレートに皮肉ってます。これを「大地の芸術祭」でやるんかいっていうツッコミを入れてしまいました。
他にもキナーレには素晴らしい作品がたくさんありました。特にクワクボリョウタさんの作品はとてもすばらしかったです。
それはまた次の機会にでも書きます。
村上

7月30日
今日は朝起きてすぐに、施設がわのカーテンを開けてみました。
施設のロビーから僕の家を見るとこのような感じで、僕の家の内部が全て見えてしまいます。いまもこの家の中でこの記事を書いていますが、窓越しにいつも見られているような感覚があり、生活に緊張感があります。下手にだらっと寝たりできません。。
基本的に午前中はカーテンをあけてパソコン仕事をしていたのですが、何度も訪問者が来てくれました。丸見えなのが面白いみたいです。
昼過ぎ、突然の雷雨がありました。バケツをひっくり返したような凄い雨で、僕の家は防水が完璧ではなかったようです。10か所くらい雨漏りしました。。水が落ちてくるところに鍋を置いたりコップを置いたりして対処しているのを、。ロビーのみんなが笑ってみていました。最終的に川田さんが一緒にやってくれて、なんとか凌ぎました。
この一件で、家と仲良くなれたような気がしました。

 

午後は、ボランティアルームの掃除やなんかをしていました。

 

そして夕方、大地の芸術祭の作品「スノーワーカーズ・バレエ/ミエレル・レーダーマン・ユケレス」を観に行きました。
↓↓↓↓↓↓

 

ミエレル・レーダーマン・ユケレスはニューヨークの女性作家で、フェミニストです。ニューヨークではゴミ収集車や、街の清掃員にフォーカスを当てた活動等をしているようです。
「スノーワーカーズ・バレエ」は、冬場にしか使わない除雪車13台が「ロミオとジュリエット」をモチーフにした劇を演じるというものです。
1時間ほどの公演でしたが、衝撃を受けました。とても良かった。十日町は国内でトップを争うくらい積雪量が多い所です。そんな土地で、冬の夜中人知れず除雪作業を行い、それを何年も繰り返し、まちを住み良くしてきた運転手達なので、運転の技術が半端じゃありませんでした。大きな除雪車が数センチ単位で近づいたり遠ざかったりして劇が進行していく様は、とてもダイナミックで、後半は鳥肌が立ちっぱなしでした。そして、これまで縁の下の力持ちだった運転手の皆さんを、この大きな舞台上に引き上げた作家の事を考えながら観ていたら、なんか泣けてしまいました。
公演が終わった後(たぶん)作家本人の誘導で、お客さんはみんな除雪車の運転手のところに行って話を聞いたり、車に乗せてもらったりしていました。運転手の皆さんが、なんだかヒーローのようでした。
途中、行進のルートを間違えたり、一台だけ除雪機の部分がまわってたり、一台だけ遅かったりと、何度かミスのようなものはありましたが、最初の「除雪車でバレエ」というアイデアがとても頼もしいので、ミスがあってもそれも含めて全部良く観えてしまいました。
彼女の作品は、ニューヨークでの「8500人の清掃員を相手に握手をしてお礼をする(うろおぼえ)」というものからも分かりますが、僕たちが暮らしている世界を未来へ続けていくために人知れず努力しているもの、に対してフォーカスを当てているのだと思います。フェミニストであるという自身の立場を動力源に作品を組み立てているのだと思います。
ぜひ観に行ってみてください。
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この日の夜、まほろばの駐車場で施設長の羽鳥さんたちと立ち話をしました。
特別養護老人ホームの「ユニットケア」という考え方について初めて知りました。
ユニットケアというのは、ユニット内(まほろばの里の場合は1ユニット10人くらい)で生活作業を分担しながら、入居者が自立していくことを目指す政策として、国がいろいろと法律を定めているようです。
なので、1ユニット内に入れる職員の数も法律で定められているらしく、まほろばの里の場合10人の入居者につき職員が大体1人ついているようです。しかし、ここには介護レベルが高い入居者がたくさんいるので、お皿洗いとか洗濯という作業を行える人が入居者の中にはいないそうです。なので結局、1人の職員が10人全員の面倒(おむつをかえるとか、お皿を洗うとか、洗濯をするとか)をみることになっています。とてもきつい仕事だと思いますが、国の「自立支援」という方針が定められてしまっているので、職員の数は増やせないのが現状です。
そうするとお皿洗いとか、洗濯とかっていう、いわば「生活のために最低限必要なこと」だけで手一杯になってしまって、外に散歩に行くとか、ドライブに連れて行くとかっていうことができなくなってしまい、結果的に入居者は「自分の寝室と食堂の往復」のような生活になってしまい、ユニットから外に出ることが少なくなってしまっているそうです。
しかし僕達が施設の前に越してきて家をつくり、生活を始めたことによって、何人かの入居者は気になって下まで降りて来たり、外をのぞいたりして「生活の新しいパターン」ができてきたと羽鳥さんは言っていました。家が日々でき上がっていく様を「見ていて楽しい」と言ってくれる人もいたそうです。
これは僕個人としては大変嬉しいことです。早く自分の家を施設館内のロビーに入れて、より入居者や職員の方と近い距離で生活していきたいなと思いました。
ここで作品を成り立たせるためのキーワードはこの「新しいパターン」とか「日々できあがっていくリズム」だと思いました。
7月31日
いよいよ明日から8月です。今日はもろもろの「お客さんを迎える体制づくり」をしました。
まず、インフォメーションボードをつくりました。
阿部君の家の壁にあります。ここに×日町の地図と、スタンプラリー台紙(スタンプラリーやります)、チラシ、イベント情報などをまとめていきます。
加えて、6人それぞれがつくった作品の即売なども行っていきます。
それと、×日町掲示板を施設の通路につくりました。
これは職員と入居者の方むけのインフォメーションボードです。

今は×日町についてと、メンバーの紹介、「余っていたら譲ってください」リスト等がはってあります。フライパンと食器を募集中なのでどなたか譲ってください。。かわりに、僕達から素敵なグッズをプレゼント致します。

今日の夕方、かわきたの手打ちそば師匠の中沢さんが観にきて、お米をたくさん寄付してくれました。とてもたくさんです。しかもかなりの高級米です。これは何かで恩返ししないといけないと思いました。
村上

×日町日誌より抜粋

 

いよいよ竣工式までの日が迫って来ました。とても楽しいプログラムになっていると思います。ぜひお誘い合わせの上、ご参加ください。簡単な飲み物、食べ物、お酒も用意しております。差し入れ歓迎です。

 

『竣工式のお知らせ』

プログラム:

7月28日(土)

・朝の部

10:30〜11:00 竣工式式典(挨拶・ライブペインティングパフォーマンス等)

11:00〜12:00くらい 直会(懇親会)

・昼の部

12:00〜18:00 展示(×日町の6つの家で展示を行います)

・夜の部

18:00〜19:30 ×日町祭(サマーパーティ・盆踊り等)

 

場所:×日町(まほろばの里川治 駐車場)

 

お問い合わせ:村上慧(08030221778)

 

 

今日は自分の家のドアをつけて、天助の雨漏りの穴を塞いで、屋根に絵を描いておりました。屋根の絵は完成したらのせます。

 

 

こちらに越して来て一ヶ月近く、いよいよ、いよいよです。

 

 

みんな結構疲れがたまっていまして、その"元気のない感じ"が、まほろばの里の職員さんにも伝わっていることを痛感する出来事がありました。

移住して来て、毎日思うことや起こった事を記録して、編集してインターネット上に乗っけているだけでいろんな反響があります。

「毎日日記を書く」という仕事を自分に与えると、日々を「ネタにできるものや、考えるトリガーを探す」目で過ごすことになります。そして、語られていないだけの物語達が、いつもそこら中に転がっていることに気がついてきます。

 

 

先日の打ち合わせで書記を橋本君が担当していたのですが、to doリストをつくってみんなの見える所に貼ろうという話のときに彼が

「『"to doリスト"をつくる』って書いた方がいいかな?」と言っていました。

その後

「そのまえに『"to doリストをつくる"って書く』って書かないとダメだなあ」と言っていました。

もちろん冗談ですが、仮に本当にその理屈でいくと、ずーっと「to doリスト」はつくれず終いだし、ましてto doリストに書かれた項目をする日など永遠に来ません。

to doリストを本当につくるには、必ずどこかで頭に入れて覚えないといけません。

 

ことをおこすには、記憶→記憶のプロセスじゃなくて記録→記憶のプロセスの方が大事です。

そして「なにかをやる」とか「なにかをやった」という"記録"だけ残ってもしょうがなくて、どこかで記憶に刻まれることによって、はじめてその"何か"に命が宿るのだと思います。"記録"は色あせるし、それだけ残っても仕方の無いものだけど、"記憶"は、人が語るかぎり、永遠に受け継がれていくものだと思います。

 

このプロジェクトで皆がやっている「日記を書く」「ブログを書く」という行為は、日々の編集と、それを表現することです。そうやって日々たまっていく表現は、ただ「どこかに保存しておきたい」思い出がたくさんつまった箱をつくりたいのではなくて、この記録→記憶のプロセスを促しつづけることを狙っています。

 

 

要するに何が言いたいかというと、みんなの記憶に強く刻まれるような竣工式を行いたいと思っているので、よろしくお願いします。

その他にも、いろいろとありますが、とにかく、竣工式ではぶっとばしていこうと思っていますのでよろしくお願いします。

 

毎日、1人で音楽を聞いて散歩する時間をとっています。ほんの数十分間ですが、この時間が、自分が今置かれている環境を、俯瞰して眺めるチャンスをくれます。

音楽の構造に憧れています。銀河くんは夜、ひっそりとギターを弾いています。かっこいいです。

 

村上

僕は一日銀河君の手伝いをしていました。

 

ちょっと×日町制作にあたる僕たちメンバーの雰囲気について書いてみたいと思います。

僕はこの×日町づくりに、浅草で体験したお祭りと似た雰囲気を感じてます。

http://satoshimurakami.net/未分類/869/

 

上の記事にも書いてましたが、お祭りは"全体が全体としてぬるっと進んでいく感じ"。

今回の僕達には、実質リーダーがいません。作業工程を誰かが仕切っていくわけでもなく、全体の意思決定をするための"会議"というものがそっちゅうあるわけでもないです。どこに誰の家を作るというのも、最初に全部決まっていたわけでもありません。小山と村上が最初に場所を決めて、そのあとに島田と阿部が決めて、最後に橋本と銀河が決めました。

そしてそれぞれが、自分の家は今の場所がベストだと考えていると思います。

 

僕や、多分他のみんなも、×日町づくりにあたって意識していることは

 

・自分1人でできることを、あえて人に振ってみる

・掃除とか生活とかをあえて(なのか?)完璧にこなさないようにして他者の入る余地をつくっていく

・あまり先のことまで考えすぎないようにして予想外の出来事を積極的に引き起こしていこうとする

・基本的にぜんぶ受け入れる

 

みたいなことです。ここに書いていいのかわかりませんが書いてみました。

これは、浅草で参加したお祭で見た"みんなから慕われている人"の態度を見ていて思ったものと似ています。

 

大げさで、ちょっと恥ずかしい言い方ですが、いま×日町をつくっていて、6人と、それに積極的に関わってくれている人達ひとりひとりは、なんというか"輝いている"と思います。

それぞれが、何かにしばられつつ、自由になりつつ、1人の人であろうとしている。

 

 

 

さて、銀河くんの家はお昼の時点でここまでできました。

 

 

屋根の上に登れます。気持ちよい!

 

ほらー気持ちよさそうでしょ

 

銀河君は、トラックの運転が板についてきました!かっこいいです。

僕は軽トラックに乗っていると、奈良県で出会った庭師のおっちゃんを思い出して、たばこのECHOを吸いたくなります。

 

 

夜。まどをつけるところまで行きました!

 

 

作業終了後。共用スペースをみんなで掃除しました。

一人残らず掃除に参加していました。

 

むらかみ

昨日、テレビの収録に行ってきました。とっても面白かったです。

8月4日深夜2時50分〜3時50分のフジテレビで放送される「アーホ」という番組に出ます。若手の作家を千原ジュニアさん、しょこたん、未術手帳編集長の岩渕さんのMC+ゲスト数名で紹介する番組です。僕は「部屋の眼鏡」の新作と「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」についての話をしました。

僕は普段「バラエティ番組ってしょうもない内容ばっかりだよなあ」と思っているクチなのですが、この日、13時間近くの収録を当事者として体験して、ジュニアさんやその他タレントのみなさんの頭の回転の早さ、MCとしてのスキル、制作スタッフのみなさんの気配り、「良いもの」をつくりたいという思い。など、いろいろと見させてもらい、大変刺激的でした。

最後、全ての収録が終わってからの「お疲れさまでした!」という挨拶がとっても気持ちよかったです。参加してよかったなあと思いました。

よかったら見てください。

村上です。今日は日曜日です。
午前中は、制作お休みの時間にしようということで、×日町のメンバー6人で大林宣彦監督が新潟県の長岡を舞台にして撮った映画「この空の花」を、長岡の映画館まで行って観てきました。


長岡の花火大会が観光誘致のためではなくて、長岡空襲の慰霊のためのイベントだということ("全ての爆弾を花火に換える"というコンセプトがある)と、(毎年曜日の関係なく8月2、3日に行われる。)東日本大震災が起こったことを受けて、事実にもとづきながら、長岡を訪れた女性記者の目線で脚本が作られていました。

3時間近くある映画で、全体の感想としては、すさまじい台詞の洪水と大量のテロップ。映像が過去を飛びまくって、違う時代の人物や物語が、何の前置きも無しにどんどん挿入されてくる映像。監督の、映像に対する情熱。ものすごかったです。

「まだ戦争には間に合いますか」という台詞が印象的でした。
まだ戦争には間に合いますか という言葉には、”まだ戦争は続いていることに気がつきました。今からでも参加できますか?”という読み方と"いまからでも戦争を起こすことはできますか?"という読み方ができると思います。

日本は敗戦国であって、敗戦後、戦勝国の真似事を理由も無く続けてきた。と、映像の中で言われていました。
原子力発電所や、資本主義や、もっというと個人主義という考え方や、美術と呼ばれているものも、戦勝国からの借り物でしかない、という"気持ち悪い感じ"は僕の中にもずっとありました。

戦争に勝った国が"正義"であって、戦争に勝った国が"平和"になれるのだと思うと、戦争に負けてしまったから原発事故が起こったのかもしれない、と考えてしまいました。

しかし、僕は日本人として生まれて来てしまいました。
怒りとも、悲しみともつかない、強くやるせないような、複雑な気持ちになりました。
僕はビルヴィオラや、デミアンハーストが作る作品をかっこいいと思ってしまいます。でも、自分は敗戦国の日本人であり、"美術"は戦勝国からのコピーでしかないのかもしれない、とも思います。これを考えはじめると、とても苦しいです。なぜ日本人なんかに生まれてきてしまったんだ、とも思います。
今の僕の薄皮一枚の下に、僕が本当はそうあるべきだった、別の姿が隠れているのかもしれません。
この映画をみて、
『戦争には負けてしまったけど、まだ戦争は続いていて、まだ、僕の薄皮一枚の下へと向かう戦争には、まだ間に合うのだ』と、そう考えることにしました。


映画を観た後、マクドナルドでお昼ご飯を食べました。フライドポテトも食べました。長岡のマクドナルドのフライドポテトです。
かつてジャガイモは、長岡の供出品だったそうです。供出とは、戦争のために、国民が貴金属などの大切なものを差し出すことです。水害で畑の野菜がほとんどダメになってしまったときでも、ジャガイモは取れて、それを「お国のために」と喜んで供出したそうです。そんな長岡のマックのフライドポテトを食べました。
長岡のマックは、日曜日のお昼ということもあって、とてもたくさんの人が居ました。注文するのに5分くらい並びました。たぶん、多くの人はフライドポテトを食べたと思います。長岡のマックのフライドポテトは、東京のそれと味は変わりませんでした。だからなんだという感じですが。。

×日町のブログが毎日更新されています!

http://batsukamachi.blogspot.jp/

×日町ウェブサイト

http://batsukamachi.net/

日時:2012年6月23日(土)〜6月24日(日)

場所:永沢応急仮設住宅(大船渡中学校) 大船渡町字永沢94-1

懐かしくて恥ずかしい

嬉しいけど不安

昼に絶望する
悲しいけど満たされている

生まれた感情と、それを言葉にしたときに生まれてしまう感情。感情の持続時間

 

それはそうかもしれないし、それはそうじゃないかもしれない

断定はできるけど確信は持てない

居ても困るし居なくても困る

違和感

6月4日〜今朝まで、岩手県に行っていました。

そして、くっつきサーカス(仮)の第一回が決まりました。

 

 

 

 

岩手県気仙地域でのくっつきハウスプロジェクトの経過報告と、支援者募集を兼ねたものとして、お手紙を発行することに致しました。

『けせんからの手紙』

購読料:5,000円(全6通+お中元/一年間)

発行:くっつきハウス

内容:封筒に以下のものが入ったセットになります

◯けせんからの「手紙」(現地での生活やくっつきハウスで書きためた日記)

◯けせんからの「声」(現地の住民に、あるテーマに沿った話を1人で吹き込んでもらったカセットテープ)

◯ 現地で撮りためたスナップ写真

◯けせん地域で集めたグッズ

上記に加えて、年一回、大船渡からの「お中元」を送ります。

購読を希望する方は

・氏名

・送り先の住所

・メールアドレス

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5月の浅草は、週末どこかしらでお祭をやっています。

それで僕も先々週末は三社祭、先週末は石浜神社例大祭に参加しました。

僕が住んでいる町会は三社祭の対象範囲(というものがあるらしい)ではなかったので、別の町会に混ざって参加したので、朝から晩まで神輿だけ担いで帰ったような感じでした。

 

対して先週の石浜神社の方は、住んでいる町会が直接関わってるお祭りなので、どっぷりと参加できました。

町会内で青年部とか婦人部とか役員とか、いろいろとグループ分けがされていて、青年部は神輿を担いだり人を集めたり、準備・進行・撤収全般の担当で、婦人部は期間中のお料理やお酒やおつまみの用意に奔走していました。「役員」と呼ばれている人達の役割がいまいち掴めませんでしたが。。

そして、それらのグループに参加する条件はただひとつで「みんなと顔なじみになる」という事です。

お祭りに参加するということは、地域社会の一員になりきるということです。祭の三日間は、日頃営んでいるそれぞれの日常を抜け出して、「守られてきた地域のルール」に縛られながらそれぞれが役割をこなす、というスイッチにみんなが切り替わります。そこで、自分は1人の人間であって、それ以上でもそれ以下でもないということを痛感しました。

最初はそれが辛かったのですが、終わってみると「どうしようもなく1人の人間であるということ」を強烈に実感できた三日間だったなと思います。それは、参加した一人一人みんなが輝く日々でした。

飲み会の席で、若造の僕たちに「きみたちはただ座ってるだけじゃだめだぞ(他のテーブルに挨拶まわれ)!」というおじさんもいれば、他のテーブルに挨拶してまわっている僕たちに対して「いいよ!自分のとこ戻れよ!気にすんなよ!」と、別のテーブルから叫んでくるおじさんもいました。みんながみんな、愛をもって接してくれているのを感じました。

 

「守られてきた地域のルール」に縛られながらそれぞれが役割をこなすというのは、個人主義とはかけ離れた雰囲気です。「全体の雰囲気を読みながら、全体が進行していく」という雰囲気です。

そのせいか、時間の区切り方が「ぬるっ」としてました。期間は三日間だと書きましたが、このあいだに僕たちがやった事は、極端に言うと「神輿を担ぐこと」と「神輿を担いだ後に休憩したり、挨拶したりする」の二つしかありません。神輿は一日3〜4回担ぎますが、一回40分〜1時間くらいです。なので、待ち時間がとても長くなります。僕はその時間を気持ち悪く感じてしまったのですが、この祭はもう千何百年もこの雰囲気でやっているのだと思うと、気持ち悪く感じる自分、大丈夫かな、と思ってしまいます。

何時何分から〜をやるらしいから、何分に集合ねー。

みたいな約束は有効じゃないことが多いです。時間ではなくて、「誰々が来た」とか「人が集まって来た」とかっていう雰囲気で、プログラムが進行します。「全体の雰囲気を読みながら、全体が進行していく」と書きましたが、「"個"がどうでもよくなってしまって、全体にぬるっと吸収される感じ」です。

また、お神輿は「神様と人間関係と重力の美学」です。お神輿の渡行(とぎょう:担いで歩く事)に参加するということも、「"個"がどうでもよくなってしまって、全体にぬるっと吸収される感じ」です。足並がそろわないと前後の人を妨害してしまうし、身長が高い人は屈まないといけないし、低い人は、肩に何かはさんで担いでいました。みんなに合わせて声も出さないといけません。これは強烈な体験です。

 

こんな雰囲気が嫌だったり、細かいルールに従うのを嫌って、お祭りに参加しない人もいるのだと思います。

また、参加したくても参加の仕方が分からない人もいました。

最近できたばかりのマンションの5階に住んでいるという夫婦は

「祭やってるなんて知りませんでした。私達も毎月家賃と一緒に"町会費"というのを払っているのに。。この祭にはどうやったら参加できるんですか?」

と話していました。これは町会の広報や人の集め方の問題だと思います。また、"マンション"という住まいの問題なのだと思います。

顔なじみが世代交代しながら祭を運営していく以上、どうしても、地域の人の輪は閉じてしまいがちなのだと思います。地上から離されたマンション住まいの人はなおさら、地域に入っていくのは難しいです。仲立ちする人が必要です。

 

むらかみ

◯玉音放送の「堪え難きを耐え、忍びがたきを忍び」って言葉、それまでの戦争での国民の苦労をねぎらって「よく耐えてくれた」っていう文脈かと誤解してたけど、そうじゃないんだね。

ポツダム宣言を受け入れてしまう以上、これから私達が受ける苦難は計り知れないし、悔しい思いもたくさんするだろうけど、いずれ来るはずの平和な未来のためにいまは「堪え難きを耐え、忍びがたきを忍び」生きる決意をしようっていう意味だね。すごい!

そんな堪え難きを耐え、忍びがたきを忍んだ決意をした人達が描いた未来の世界に生きてる僕は、彼らに対しての責任を取れた生き方ができてるか。

 

 

◯ 気仙で「くっつきハウス」をやるということと、東京で「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」とか今構想中の「家主リレー(仮)」「シフト性のお茶会(仮)」をやるということは、言ってしまえば同じことのはずなんだけど、なんでこんなに出来上がってくる形が違ってくるんだろう。いずれも、「自らの社会的な立ち位置を知るための場の演出」っていう言葉にまとめられるはずなんだけど、大船渡で家主リレーとかやっても、あんまり効果的ではないような。「家主リレー」は、人がランダムに触れ合う色が強い。

いまある多くの仮設住宅は役所による抽選で近所に住む人が決まってしまうので、すでに人がランダムに振り分けられている状況にある。そこでもう一度ランダムを持ち込んでは効果がない。

あと、「社会的立ち位置」のなかの「社会」ていう言葉の指す範囲が違う。気仙での仮設住宅村でいう「社会」は、おなじ仮設住宅村に住んでるみんなを、改めて「地域社会」と呼ぶことにしよう、という意図がある。

比べて東京では、町を歩いている人に試しに適当に話しかけてみてると、たぶん一人一人ごとに、様々な社会(クラスタ)で生きてる人と当たる。東京では「住んでる場所」で、その人が生きる社会が全て決まるわけじゃないから、むしろ「場所と時間で縛る」ていうルールを加えるだけで、「自らの社会的な立ち位置を知るための場の演出」が成り立つ。

 

東京では、人生観が変わるような奇跡的な出会いの可能性が、自分から半径50メートル以内とかにいつも転がってるのに「いつもどおりの自分」が立てる予定の中だけで生きていては、気がつかない。奇跡と出会うためには自らの予定を、予定を超えた所で立てなきゃいけない。

 

東北の仮設住宅では、抽選によってランダムにご近所が決まってしまって、それが原因で問題になってもいるけど、東京では、人はもっとランダムに振り分けられた方が、奇跡と出会えると思う。

 

東北の仮設住宅では、抽選によってランダムにご近所が決まってしまって、それが原因で孤独死が起きているけど、東京では、人がもっとランダムに振り分けられないばっかりに、自殺や過労死が起きているのかもしれない。

けせんふぇすの期間中、大船渡の海の近くの公園(近くの建物は津波で流されちゃって何もないようなところ)、にくっつきハウスをつくったから、そこで一泊してみたんだけど、そしたら怖い夢をみたんだった。
もうだいぶ記憶も薄れてるんだけど、知らない人がすごくたくさん、満員電車くらいの密度で出てきて、なんかギクシャクした奇妙な歩き方で、僕の前を通り過ぎたり、前から迫ってきたりするの。その人たちは、僕に対してあんまり友好的な態度じゃなくて、ちょっと攻撃的な態度のようにもみえた。
それで夜中に起きちゃって、こんなところで軽い気持ちで寝たのは失礼だったなと思った。翌日、すこしお祈りをして、もうこんなことはやめようと思いました

自分を「アーティスト」とか「営業課長」とかって名乗りはじめた瞬間から、自分という人間を、社会的に「納得がいきやすいグループ分け」のなかに括り付けてしまって、そのときから、その人の「この現代社会の構成員としてのワタシ、スタート」みたいな。あとはその役を残りの人生でどれだけ演じ切るか
おおくの職業は、この社会の継続のためにつくられた「役柄」であって、その「キャスト募集オーディション」に、就活生たちは応募して、そこで落とされたりすると、落ち込んで自殺したりしてしまう。逆に考えてみると、
人は一般的に、いまこの社会に存在している仕事しか認知することができない
そんな演技を、どうにかして暴いて、演技ではない人と人の社会、を探していくのか。全てはイリュージョンであると居直ってしまうのか。
後のロックンスターが、最初は下手なギターを練習して、上手くなっていく過程も、演技の上達なのか。

でも、ライト兄弟が空を飛んだのは、演技でもなんでもない。人が何かを現実に変えていく力。
ロックンロールスターだって、何かを現実に変えていったから、ロックンロールスターになるんだと思う。「演技」と「創造力」がキーワードかも

人が生活するためには、どうしても雨風を凌いで寝泊まりするための家がいるんだけど、その家ひとつひとつの安全性を担保したり、「住所を持つ」というルールを決めたりしないと、この社会を継続するにあたって不安材料になってしまうから、家を作る資格がある人を社会的に決めなければいけなかった。
だから、いまの持ち家や、土地の所有という考え方は、人が生きて幸せになるためというよりも、この社会を継続するために考え出された仕組みであって、この膨らみすぎた経済をまわすために、僕たちは家賃を払っているのか。自分で転がし始めた玉の上に乗りつづけるのに必死になることを強制する。

僕がいわゆる設計の道をそれていったのは、人が住む家、場合によって人生の多くの時間を過ごす家を、他人の自分が設計して、責任が取れるだろうかって考えしまったから。そして、責任を取れる自信がなかった。
たくさんの時間をかけて、考えて、手を動かして完成させた設計だとしても、それがどんなに、施主の生活に寄り添うようなものであると自負できたとしても、自分じゃない他人に対して、ここに住んでくれ、と、押し付けるようなことはできない。
地震が起きて、家具が倒れたりして、中の人が死んじゃったりしたら、それは自分の責任じゃないと、きりすてることはできない。それが工芸品にしてもそう。僕は人に使ってもらうものを作ろうと考えはじめると、どこかで、自分とは切り離して「他人のため」という変なフィルターをかけて考えてしまいロクなものにならなかった。作る相手を自然に自分に設定できれば、良いものになったかな。

今年の夏に新潟県十日町で、ちょっと規模の大きなプロジェクトをやります。
“作家滞在型仮設住宅式サーカス村的アートプロジェクト"題して「×日町」です。
下記にウェブサイトURLを載せます。
乞うご期待!!!!!

 http://www.batsukamachi.net/

 三宅島にはかつて、天草が豊富にとれる海があったらしい。
しかし2000年の大噴火で、海底にマグマが流れ込み、地形が変わったので、ほとんどとれなくなってしまった。魚の漁獲量も減った。
でもそのマグマのおかげで、海底には面白い地形が新しく出来上がった。それによって、観光スポットとしてのダイビングスポットがいくつも形成された。
かつて天草で生計をたてていた多くの人は、今では観光客向けの仕事をして生計を立てている。民宿やイルカのインストラクターなどがある。
島の環境が変わって、島民はいままでと同じ方法では生きていけなくなった。変わらなくてはいけなかった。そしてものの見方を反転して、悲劇を好機に変えて、生きる術を獲得した。そのきっかけとなったのが、ある一人の外国人の生物学者と、観光客だった。という事実が、僕にとってはとても大事なストーリーだった。

この一年はいろんな事があったな。僕は去年大学を卒業して、とりあえず作家活動をする事にして、浅草で友達四人とアトリエを探して、3月11日に契約した。そのすぐ後にあの地震が起こった。地震は怖くて、日本で大変な事が起こっていることはニュースでなんとなく分かっていた。知っていた。事実として知ってはいたけど、僕たちは4月までは自分たちのアトリエ兼住居を改修するので頭がいっぱいだった。余震が続くなか、僕たちは引っ越し作業を続けた。友達を呼んで、ペンキ塗りを手伝ってもらったりもした。そして4月10日、アトリエをオープンさせた。オープンさせたあと、僕たちはニュースをあらためて眺めた。眺めて、某然としてしまったんだと思う。なんだか「乗り遅れてしまった」というか。一ヶ月改修でバタバタして、冷静にまわりを見られてなかったところから、ふと我に帰ったような感じ。
そして「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」をやった。
この一年僕はいろんな人と出会った。東京で、奈良で、三宅島で、香川で、東北で、新潟で、茨城で、、。この一年で出会った人たちは、たぶんこれからも、僕の人生にとってかけがえのない存在になっていくだろう。僕はこの一年を、「かなしい」とか、「たのしい」とかいうふうに簡単にくくることはできない。

3月11日」と言っても何もピンと来ないような世界を想像してみる。

コニカミノルタの「エコ&アートアワード」という公募展に出品して、まわりの作品見て思ったんだけど、みんな、今のこの毎日が、この先もずっと続いて、来年も、再来年も、コンセントにプラグをさせば電気が来るし、蛇口を捻れば水道が出ると思ってる。そういう前提でものを作って、デザインとかアートと呼ばれているものは、そんな生活のアクセントで、なにかの「考えるきっかけ」になればいいと思ってる。「きっかけになるように促しました」というポーズをとって、満足してる。で、それを見る方は見る方で、表現の、うわべだけなぞって「ほほう」と思ったら、「良い」と評価する。それで「良いものみたね」と思って、家に帰って、「良いものみました」という感想を、ツイッターとか、ブログに書いたりしてる。やばいよ。。気持ち悪いよ。
僕がいま暮らしているアトリエの土地の地盤はゆるくて、近くの道路をトラックが通ると震度1~2くらいの揺れがおこるから、まるで船の上で生活してるような気持ちになる。そういう環境で生活してて、地面て簡単に揺れるものなんだな、と日頃から思ってるってこともあるかもしれないけど、この、確固たるものだと思っていた地面が、こんなにも簡単に揺れたり、それが原因で津波が起こって、原発が爆発したりする。そんな体験をしながらもまだ、この先も、今まで通りのやり方で生きていけると思っている。
大きな変化が、近い未来必ず来る。それこそ、誰もが「ここだ」と思えるような、大きな変化の時が必ず来る。だから、今の基盤が崩れても生きていけるように備えるための実験を、いまからやっておかないと、そういうことを考えているクリエイター達は、現代の基盤が崩れた時のことを考えて表現する責任があるように思う。

このライブ音源すごく好きで何度も観るんだけど、映像の中で、ボーカルのポールウェラーのまわりだけ風が吹いてるような感じとか、彼のギターや声が、まだまだ彼の体の内部からの衝動に追いついてないような感じ!!!!!!かっこいい!!!!!何度見ても鳥肌がたつの。この時ポールウェラーは24歳!!!!!
セックスピストルズがイギリスでパンクムーブメントを牽引していたときに、ポールウェラー率いるバンドthe jamは77年に「in the city」ていうアルバムでデビューした。ほぼ全ての曲が2~3分で、ライブ音源をそのまま録音したような音は今聞いても全く古くなってない!!!!!!凄い!!!!
しかも、当時ポールウェラーはまだ19歳!!!!!!!19歳だよ。
19歳のとき、僕や、僕の周りに居た人間は、親の援助を受けて、大学1年生でぼーっとして、彼女ほしいーなんて言ってたり、大学に入学したくて予備校に通ってたり。ある人は、地元のエレベーター修理会社に勤めてたりしてた。社会に対しての不満なんてほとんど感じてなくて、思考停止状態で、ものごとに対する感度のことなんて考えたことも無かった。これが、最近、ようやくヤバいと思いはじめた。このままだと、ただの、名前の無い1個人で終わってしまうぞと思いはじめた。
まあそれは置いといて、The Jamが80年にだしたシングルが「Going Underground」ていう曲なんだけど、この曲の冒頭部分の歌詞が
Some people might say my life is in a rut,
But I’m quite happy with what I got
People might say that I should strive for more,
But I’m so happy I can’t see the point.
ある奴らは、お前の生き方は決まりきっていてつまらないと言ってくる
でも、僕は今のままでとても幸せなんだ
人は僕にもっともっと努力しろと言ってくる
でも僕は今幸せで、奴らの言ってることが分からない
And the public gets what the public wants
But I want nothing this society’s got
I’m going underground
大衆は、大衆が求める通りのものに変化していく
でも僕が欲しい物はこの社会には無いんだ
僕はアンダーグラウンドを行くよ
このリリース時は、既にセックスピストルズが解散していて当時のイギリスのパンクムーブメントはかつての勢いを失っていたようなんだけど、そんななか、世間の時間軸とはちょっとズレたタイミングで、The Jamは最高の名曲をリリースした!!!!!!!かっこいい!!!!!!!!
このときポールウェラーは22歳。僕はいま23歳ですが、僕もはやく「And the public gets what the public wants」みたいな言い回しができるような人になりたい。なんか、そういう感じになりたい。当時のポールウェラーに憧れ。

ふたつの展覧会に参加します!ふたつとも「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」のプロジェクト展示をします。でもそれぞれ演出を変えるよ!
☆しゃべりば展
2月23日12:00~2月26日 20:00
@island MEDIUM, 〒101-0021東京都千代田区外神田6-11-14 3331 Arts Chiyoda 205
http://islandjapan.com/2012/02/09/shaberib/
参加作家:赤羽史亮, 安東和之, 太田祐司, 尾竹隆一郎, 勝正光, 木村泰平, 高田冬彦, 林千歩, 村上 慧, 吉原航平
音楽担当:磯邉一郎

パーソナリティ:冠那菜奈(メディエーター)、清水梓(island shop店長)

2/23(木)展示のみ
2/24(金)展示のみ
2/25(土)展示+12:00~19:00トークイベント、19:00~パーティー
2/26(日)展示+12:00~18:00トークイベント、18:00~パーティー

–time table–

25日
12:00 – 12:10 オープニングトーク
12:10 – 12:50 colliuとしゃべりばトーク
13:00 – 13:50 村上 慧としゃべりばトーク
14:00 – 14:50 太田祐司としゃべりばトーク
15:00 – 15:50 赤羽史亮&尾竹隆一郎としゃべりばトーク
16:00 – 18:00 プレゼンタイム(安東, 太田, 勝, colliu, 村上)
18:10 – 美学校コーナー、パーティー

26日
12:00 – 12:10 オープニングトーク
12:10 – 12:35 松下徹としゃべりばトーク
12:35 – 13:00 吉原航平としゃべりばトーク
13:00 – 13:50 安東和之としゃべりばトーク
14:00 – 14:50 プレゼンタイム(木村, 高田, 林)
15:00 – 15:50 赤羽史亮&尾竹隆一郎としゃべりばトーク
16:00 – 16:50 高田冬彦&林千歩としゃべりばトーク
17:00 – 17:50 勝正光としゃべりばトーク
18:00 – 美学校コーナー、パーティー

☆☆
僕は、25日丸一日在廊してます!
☆アートシンクロ展
3月2日(金)~3月11日(日)会期中無休(Creative Hub131のみ)
Creative Hub 131全館(1階~屋上)OnEdrop Café、天麩羅「秋山」、ル・プティヴィラージュ、イロハほか
http://aanet.exblog.jp/15465877/
展示作家:池田晶紀、Eat&Art TARO、上原耕生、新野圭二郎、東泉一郎、福原志保・Georg Tremmel[BCL]、福岡寛之、松下徹、武藤勇、村上慧、山内崇嗣、山上渡、山下拓也ほか

開場時間:13:00-19:00(月~金)11:00~19:00(土・日、最終日18:00まで)@Creative Hub131(会場で異なるので要注意)

■AANインフォメーションセンター
●日程:2012年3月2日(金)~3月11日(日)会期中無休(CH131のみ)
●開場時間:13:00-19:00(月~金)11:00~19:00(土・日、最終日18:00まで)@Creative Hub131
●入場無料
●会場:Creative Hub131 1階
〒103-0011東京都中央区日本橋大伝馬町13-1-2階 Creative Hub131
《AANインフォメーションセンター》では、「アートシンクロ展」の最新情報やMAPを配布します。またコンセルジュデスクが、多重多発プログラムの詳細をガイドをします。同時に、Ustreamスタジオとして「アートでいいさ~in Nihonbashi」という情報発信プログラムを放映しています。

☆☆
こちらは、4日のイベント来てみたら面白いと思います!
よろしくお願いします!