4月25日
今日も茂原のいえに家を置かせてもらう。バイト先の馬喰町arteatというカフェ兼ギャラリーに行ってご飯を食べて、仕事用の絵を一枚描く。
夜に人と飲みに行く。新宿で。久しぶりに来ると、本当に人がたくさんいるんだなあと、馬鹿みたいな事を思う。みんなが、みんなとぶつからないように歩いている。
みんな必死だ。人にはそれぞれにしか分からない切実さがあるから、誤解を恐れて話ができない事もあるのだ。話がしたくないわけじゃない。とってもしたい話があって、それは本当は、他のどの話よりも真っ先にしたいのだけど、あまりにその話をしたいがために、誤解のないように伝えたいので、結果話ができない。だから、触れないで置いた方が良いこともある、ということになってしまう。
アクトオブキリングで、あそこに映っていた彼らは、言葉を使いこなすことを初めから諦めていたようにも見えた。知らず知らずのうちに、本当に話したいことが自分でも思いだせなくなる。「思い出せない」ということにも気がつかない。
4月24日
朝、泊めてもらった人と一緒に出社した。
家を編集部に置かせてもらい、僕はギャラリー•間で友達も参加してる展示を観にでかけた。
この生活には二段階の移動がある。家ごと「移動」する時と、家を置いて「外出」するとき。特に「外出」が許されるとき(家を置いていいよ、という場所が与えれた時にだけできる)の解放感は毎度ものすごさがある。気持ちが良い。今日は天気も良い。
で、ギャラリー•間に行こうと思ったんだけど、切符を買おうとする段階で、なんとなく「地下鉄に乗りたくないな」と思い、しかも観たら頭を使いそうな展示だったので、急に行く気が失せてしまって。でもせっかく外出できるし、と思い、結局映画を観に行く。
渋谷まで行ってアクトオブキリングを観たのだけど、これがまたすこい映画で。
アクトオブキリング。安直に語ることが許されない。見なければよかったのかも、とさえ思ってしまう。
感想メモ。
登場人物がみんな人間的に歪みきっているように、僕には見えて。それは彼らがみんな、目の前の出来事をどこか「他人事」のように眺めていて、それでも涙や笑いや、嗚咽が「精神の防衛機能として変な風に」溢れ出してしまう。そんな風に見えて、この映画を観て、「この〜のシーンの入れ方は〜」というふうに、この映画を「映像作品」として語れる、ということは、彼らのような「歪み」を僕たちも知らず知らずのうちに抱えてしまっている事にもなるんじゃないかと思えて、話をするのも許されない。一人一人が観て、一人で考えるしかない。そんな映画。
外出していて、僕のあの家は「いちおう中で眠れはするけど、基本的に何の役割も果たさない」所が愛おしいなと思った。ただ重くて目立つだけの、家の形をしている荷物。
映画に行く途中、大塚駅ホームに鳩の死体。何の文脈も前兆もなく、突如挿入される死の風景。背筋が伸びる。
あと、映画の帰り。路上でネズミがぼーっとしてた。
福音館書店に戻って、家を取って出発する。記念撮影。
このあいだ御茶ノ水美術学院で話した高校生と路上で偶然再開した。
夜は、吉原での展示のスタッフをやってくれてた茂原さんたちの家に、家を置かせてもらう。中野。
先輩作家の田原唯之さんから突然下のリンクが貼られたメールが来る。
Julie-O/Kevin Olusola
4月23日
今日は、巣鴨にある絵本の出版社「福音館書店」に家を置かせてもらう。僕が以前ここを通った時に、ここの編集部の人たちが何人か家を目撃したらしく、それを見た、美術好きの編集者の高松さんが僕にツイッターで連絡をくれた。
なんでも瓦の造形をみて、「これはキチガイではない、美術方面の人だ」と、ビビっときたらしい。
話を伺ってみると、この福音館書店は「ぐりとぐら」や、大竹伸朗さんの「ジャリおじさん」も出版している、攻めた出版社で、高松さんも現代美術が好きらしく、面白い話がたくさん聞けた。
住所と一緒に暮らしていた頃に比べて、躁と鬱の落差が大きくて、それが楽しいといえば楽しい。朝に襲われる絶望がいちばんきつい。
「(日本をまわりはじめる)出発の日はいつですか?」という質問をよく受ける。
僕は「既に出発してる」のに。「どこか目的地に向かって動いてるわけではない」から「まだ出発していない」という結論に結びついてしまうのだと思う。
すでに出発していることに気がつかないまま、いつか出発する、という意識にとらわれてしまうのは危ない。いつも「既に出発している」のだ。気をつけないと。
夜は、セキュリティの問題で、僕が社内に残って眠るわけにはいかなかったので、福音館書店に勤めている夫婦のおうちに泊めてもらう。
4月22日
今日はむさびの先輩にあたる坂田さんがやってるリノベーション専門の設計事務所、夏水組の事務所の前に家を置かせてもらう。で、僕は坂田さん夫婦の引っ越し先のマンションに一泊。今日も家と別々のところで寝た。
「一晩置いていいよ」と言ってくれたところに家を置けた時の開放感は、毎度すごいものがある。重い重い荷物から解き放たれた感覚。
移動を始めて、まだ二週間とすこししか経ってないけど、バイト生活時代に日記をつけておいて本当によかったと思う。読み返すと、いろんなことを思い出して、自分がいまやりはじめた事が間違ってないのだという元気をもらえる。
農業をしている人は、自分が土地に根ざして、土地に縛られながら生きているということを実感しやすいけれど、農業をしてない人も、自分が仕事や、貯蓄(お金やモノや他者との信頼関係もろもろの貯蓄)によって、土地に縛られながら生活を営む。それを否定なんかできないし、それは人間が争わずに社会を発展させるために生み出したすごい方法で、その中でパートナーを見つけたり子供を育てたりして、幸せを感じながら生きていくのが人生なのだろう。
だけれど、毎日同じところに仕事をしに行って、仕事を続けてると、まわりの人達からの信頼度があがっていって、給料も上がっていって、家に帰ったら仕事先であった嫌なことを忘れるためにビールを飲んで、でもその家の家賃はバイトの給料で払っている。あの生活が、あの閉じた生活が。ひとつのバージョンでしかない可能性を提出するための展覧会のために。他の生のありかたを考えるために。
4月19日
引き続き家は杉並におかせてもらう。なんかいろいろあって、御茶ノ水美術学院の芸大先端コースで一時間くらい授業をするなど。こういう形で話をするのは、自分の整理にもなって良い。みんなまだ高校生なのに、ポートフォリオのためもあり、もう作品を作っていた。一人の子が自分の作品について話すとき、「これが自分の作品だって、自信を持って言えない」というような事を言っていた。その気持ちは身に覚えがある。自分の感性が、借り物でしかないんじゃないかっていう感覚。だからそのころはプレゼンがきらいだった。そういう人は美大の中でもたくさんいた。なんでこんなことになるんだろう。
今日は、はじめて自分の家を離れたところに泊まることになった。そこで話していて思ったことがある。2011年の震災のとき、逃げなくちゃという気持ちも感じつつ、なぜか動けなかった。新しい家を契約したばかりということが大きいのだけど、なんとなく東京という土地に縛られている自分を感じた。
あえて書いてみるとそのときはすこし、契約した家や、ここで築いた人間関係が、生き延びるためには邪魔なものに思えたりもした。じつは、いま連れて歩いている発泡スチロールの家も、すごく邪魔に感じることがある。何処かに許可を得てから置かないと、安心して家から離れられないので、いつも家のそばにいなくちゃいけない。どこかにおいても、何かされるんじゃないかと心配になって遠出ができない。
僕はあれを「家」と呼んでいるけど、その正体は、あの震災のとき、僕を動けなくさせたものを具現化したもの。家というよりも、僕が生きていく限り、連れて歩かざるをえない荷物のように思える。不気味なものが。
4月17日
僕は最後に一つの展覧会をやるために今の活動をしている。これは「プロジェクト」って言葉を聞いた時に連想する、なんかもやっとしたものではなくて、純粋な、展覧会というゴールのための、制作活動のつもりでやっている。それは昔ながらの、それこそモダニズム以前の画家の気持ちで。
誰とは言わないが、終わりのないプロセスや、より多くの人と繋がる事が史上の価値であるかのようなプロジェクトを展開している人達。彼らはプロセスに終わりを設けない事によって、批評から逃れ続ける。価値判断をさせない。ずるい。
僕はもっと具体的な、ひとつのイメージの力。形を持ったストーリーの力。一枚の絵の力を信じていたい。
今日も芸大に滞在。別件の仕事の絵を一枚描くなど。
4月15日
朝、新藤さんと亀有で待ち合わせして、ギャラリーを見に行く。
昼に野村さんの家の絵を描いて、コピーにサインをいれたものをプレゼントする。
そのあと、新藤さんに勧められて日暮里のhigureというアトリエでやってる「ゲームボーイ」という展覧会を見に行く。展示を見ること自体が久しぶり。美学校の天才ハイスクールの二人と、多摩美卒1人を、ナオナカムラさんがディレクションした展示。ナオナカムラさんの展示は、前に堅田さんの展示をみた以来。今回展示してる作家はみんな初めて知ったけれど見応えがあった。多摩美の佐藤くんは自分の体のこともあり、命がけで制作しているようだった。その話ぶりは、彼が作家として生まれてしまった業を感じるようで、僕も背筋が伸びた。石井くんも、自分の家庭のことをとりあげていて、制作と家族との生活が地続きになっているようで、不思議に思った。僕はたぶん、家庭内でおこった出来事を制作に転回することができない。
石井くんとひろせくんは、ごく自然に、自分の表現を美術と呼ばれているものに寄せようという、緊張感(?)なく作品を作っていて、それは羨ましかった。
とくにひろせくんとは深夜まで話し込んで、彼と僕はキャラクターは全然違うし、(彼も言っていたけど)学校とかで出会っていたら絶対友達にはならなかったタイプの人なのだけど、こうして表現の場でであってみると、持って生まれた業のようなものに共通点があるように感じて、話が自然にできた。彼はネットカフェで暮らす人にインタビューしていて、それをネットカフェ難民と呼んだメディアに対しての抗議のアクションをしたりしていて、ごく自然に代弁者として行動できていて、かっこいい。
夜はみなさんと飲みに行って、higureで寝る。
4月14日
昼過ぎまで日本橋周辺をうろうろする。
古い町の一角がそのまま残されたような場所を見つける。ここで絵を一枚描く。
そのあと水上さんの実家の、葛飾区立石にあるレノロココというカフェに遊びに行く。
そこで、同じく立石に住んでる新藤さんとも合流。水上さんも三田の家から来てくれた。三人で、新藤さんが紹介してくれた、僕の今夜の滞在先の野村さんの家に行く。野村さんの家は、前にも新藤さんが紹介した作家の人が半年くらい滞在していたらしい。
みんなカレーを食べさせてもらう。水上さんと新藤さんが帰った後、夫妻が出会った経緯について話を聞いているときに、何故か泣きそうになる。住んでいる場所をでて、新しい場所で出会い、そこで家庭を築くのは、すごく大変で、すごく素晴らしくて、その凄まじさが、平坦な語りを通して透けて見えてしまったからだとおもう。