10月11日20時40分

こっちにきてから4日目が終わるが、今のところピザとパンしか食べていない。飽きた。

今日は朝ホテルでパンを食べて、昼にベニス本島の「PIZZERIA RISTORANTE AL PROFETA」というお店でオリーブピザを食べて、夜には昨日行った「BAR PICCOLO」で昨日と違うピザを食べようと思っていたのだけど、なぜかとても混んでいて、お腹もそこまですいていなかったし、ワインとおつまみも買ってきているし、ピザにも飽きていたので、結局入らずにホテルに帰ってきた。

というかイタリア人はピザを食べすぎで。ヴェネチア本島に「PIZZA」という看板を掲げて商売するのはわかる。観光客相手に、イタリア名物のピザを食べてもらおうという気持ちはわかるけど、僕が泊まっているメストレは割と住宅街で、現地の人が多いはずなのだけど、そんな町の店にも「PIZZA」という看板を掲げているのはどういうことなのか。日本でいうところの「米」という看板を掲げて商売しているようなものだと思う。本当にこっちの人はピザ(かパスタ)をそっちゅう食べる。少なくとも外食では食べているように見える。昼も夜もピザを食べる。しかも一人一枚食べる。それでも「PIZZA」という看板をみたら「あ、ピザいいね」という感じでお店に入っていくような感じだ。飽きろよ。ピザに飽きろ。

まあまだこっちにきて全然日が経ってないので、見えていない部分がたくさんたくさんあるのだろう。どんどんみたい。あと2ヶ月くらいはこっちに滞在していたい。1週間ではちょっと短すぎる。ようやくスーパーでワインとおつまみを買ってホテルに帰って、それを飲みながら日記をかくくらいのことができるようになってきたのに、もう明々後日には帰国だ。スーパーではお会計の時に「ディエチ」という単語は聞き取れた。ディエチとは10という意味だ。ディエチのあとに続く言葉は全く聞きとれなかったけど、ディエチは聞き取れたので、とりあえず11ユーロだしておけば間違いない。あとでレシートを確認したら、10.68€(10ユーロ68セント)だった。つまり「ディエチ セッサンタオット」と言ってたはずだ。あとから考えると、そんなふうに言っていたような気がする。

さて今日は、まずアルセナーレの会場にいってカタログを買ってきた。一緒に紙袋も買おうと思ってお願いしたら店員のかっこいいイタリア人のお兄さんが「いまこれしか無いよ」と言って「Electa」「www.electaweb.it」と書かれた紙袋を見せてきた。僕はオッケーといってそれを買ったけど、いま考えると「Electa」って何だ。協賛企業のところをみてもその名前は無い。よくわからない。

そのあと、「Imago Mundi」という、Gallery out of placeのみなさんに教えてもらった関連展示をみにいこうとしたのだけど、場所がわからなかった。。人に聞こうとしてもどう説明すればいいのかわからない(というか、建物名や住所を言ってもわかる人はほとんどいないような気がする)し、時間もあんまりなかったので諦めてしまった。

そのあと、噂の「When attitudes become form」をみにいった。10ユーロ。これは、、なんだか複雑な気持ちになった。。かつてベルンで行われた展示を、ベニスに持ち込んで再現した展示で、ベルンの時の展示空間(壁とか柱とか)と、ベニスの会場に挿入して展示していた。例えば、既存の壁にちょうどあてはまるところはその壁に展示して、壁が無いところには壁をつくってその壁に展示したりしていた。よくやったな、という感じ(何様)だったけど、なんだか「あちゃー」という感じもあった。でも、彼らが、デュシャンやウォーホルと同じように、美術を拡張して、この時代をつくったおかげで、僕たちの時代につながっているのだと思いながら眺めた(この展覧会は「作品をじっくり観る」ということができなかった。いたるところにスタッフがうろうろしていて、作品に近づいたり前でしゃがんだりするとすぐに注意がくる。作品そのものも、デティールをじっくり観る、というタイプのものは無かった)。ただ、このキュレーションの仕方だと、なんだか「ボイス一派」という風に観れてしまうという、あたり、さすがボイスだと思った。ボイス(ボイスの有名な「部屋の角を油(?)で埋める系」の作品をみれたのは良かった。でも、その部屋が「展示空間を再現するために仮説で作られた壁」だったのが残念、というかこれアリなの?)、リチャードセラ(セラの、鉄板が壁にたてかかってる作品はとても良かった。)、リチャードロング、ウォルターデマリア(荒野に線を引いてねっころがっている写真はかなりヤバかった)、ダニエルビュレン、ジョセフコスース、ブルースナウマン(ナウマンはどうしてもわからない)、デニスオッペンハイム、ロバートスミッソンなど知っていた名前と、その倍くらいの知らない作家たちが展示していた。

カタログを買おうか迷ったけど、ちょっと高すぎたのでやめました。

その後は「UNATTAINED LANDSCAPE 未完風景」という、日本財団がやってる展覧会を観に行った。これがとても良かった。

小泉明郎さんの映像が素晴らしくて、インタビュアーが質問して、それに対する答えを、東京で撮った映像の声を一単語レベルで分解して、小泉さんがつくりあげた答えになるように編集された映像と、それの裏側には口以外の部分を覆われた人が話す映像。牧野貴さんの映像と、もう一人葉山嶺さん(?)の映像も素晴らしかった。David Peaceの「Occupied City」という作品も良かった。

あと米田知子さんも、写真美術館でみたばっかりだったけど良かった。「窓から外を見ているかのような写真」はヴェニスでも健在だった。ティラヴァーニャの作品がよくわからない。展示案内図には書いてあったけど、そもそもあったのか自信がない。天井に二つスピーカーがついていたからあれの可能性が高いけど、特に音は聞こえなかったように思う。係員に聞く気にもならず。。あと、映画監督の松江さんが撮った前野健太さんのドキュメンタリーが「ジムオルークが選んだ6本の映像作品」の1つとして上映されていて、僕がそうとしらず、映像をろくみ見ないうちにヘッドホンをつけたら、「天気予報」が流れてきて、びっくりした。ずっと聞いていたら、あとでギャラリーのおばちゃんもヘッドホンをつけて鼻歌を歌いながら「これ私たちも好きよ」みたいなことを言ってくれた。

 

そのあと、金獅子賞を取ったアンゴラのパビリオンをみたけど、これは作家の力ではなくて、完全にキュレーターの力によって受賞していると思った。そもそも審査員がキュレーターが多いので、キュレーションの面白さというか、そういう価値判断の基準を取ってしまうのは仕方が無いと思うけど、僕はアンゴラ館はよくわからなかった。現地で撮った写真とカタログを観ながら、これからあらためてアンゴラ館で行われたことを検証してみたいと思う。

今回ビエンナーレを観て、美術の表現は、基本的に個人の作家が行うこと、という、僕がこれまで「主要な考え方」だと思っていたものは、もはやとっくに無くなっていたのだと思った。もちろん個人の力で成し遂げられた表現もたくさんあるのだけど、同時に(特に映像作品に多かったことだと思うけど)様々な分野の人が関わりながら、1つの作品を完成させる体制が当たり前になっている。映像を作ろうとしたとき、音楽をやっている人も参加するし、カメラマンも参加するし、俳優も編集者も参加する。最初のアイデアは一人の作家から生まれたもの(それもどうなのかちょっと怪しいけど)なのだろうけど、どんどんいろんな人が巻き込まれながら、まるで映画の制作過程を辿るかのように映像作品がつくられていく。でもそれは「美術」という路線で発表されるので「売買」や「展示」の対象になる。「映画館で順々に上映する」という風にならない。

映像なので始まりと終わりとがあるのだけど、美術として展示される以上、途中から入ってもいいし、途中で出てもいいように展示されることが多い。なぜならそれは「美術館に置かれている"作品"」だから。「彫刻」や「絵画」と同じように扱われるから。(こんなことを前に誰かも書いていたような..)

この世界では、制作だけでなくて、キュレーションも同じくらいのウェイトを占める大切なことなのだと感じた。むしろヴェニスビエンナーレではキュレーションの方が若干優勢気味?

作家が作ったものを、どういう言葉とともにどういう路線で打ち出していくか、あるいは作家の"組み合わせ"によって、何を伝えていくか。その競い合いがヴェニスビエンナーレの核になっていると思った。企画展の中の作家に「~ exhibition curated by ~(作家名)」というタイトルの作品もあった。

 

 

ヴェネチアは日本で言うと築地と京都を足したような町だ。人柄は築地で働いている人たちに近い物を感じる。路地の感じとか、観光客と現地の人がごちゃごちゃに歩いている風景は京都に近いものを感じる。

そしてパステルカラーの町だ。カラフルなのだけど、彩度は高くない建物がたくさん並んでいる。こんなに複雑な路地には何か訳があるのか。地の利を持つ人はこの町ではとても有利だと思う、戦いの時とか。地図で現在位置を確認して、歩く方向を決めてから歩き出しても、地図から目を離すとあっという間に迷ってしまう。迷ってしまっても楽しいまちなのけど。路地をうろうろしてたら、突然巨大な広場に出くわしたり、川や海に出くわしたりする。

また、建物の基礎はどうなっているのか、海水で基礎がだめになってしまわないのか。まちはいつつくられたのか。都市計画のようなものはあったのか。いろいろと帰国して調べたいことがでてきた。

帰りにスーパーによってみたけど、生ハムと、チーズと、パスタとオリーブオイルとワインの品揃えが豊富だった。パスタとワインがやすい。

2013年10月10日20時58分

今日も日本語を話すグループと2,3回すれ違った。親子っぽい女性2人組とか、5人くらいの家族連れとか。

さて今日はヴェニスビエンナーレのジャルディーニという会場をまわってきた。各国のパヴィリオンがたくさんあるのはこっちの会場だけど、こっちにも企画展があった。そこから観て回った。この「Encyclopedic Palace」という企画展は、昨日「いろんな表現を集めた」と書いたけど、正確には大竹伸朗の「Scrapbook」とか(実際に展示してあった)を想像すればわかるのだけど、博物学的な「各作家がある一定のフォーマットを設定して、そのフォーマット内でいろんな表現を量産していく」ような、収集癖的な作品をたくさんあつめたような展覧会、という感じがする。大竹さんのように町に落ちているものを集めただけではなくて、同じ大きさの紙にいくつものドローイングを描きつづけたものを展示したやつとか、おなじ大きさのスクリーンにたくさんの映像(自分のスタジオで撮った映像とか、つくった映像とかいろいろ)が流れているのを並べた展示とか、粘土とか紙とか箱とか本とか、いろいろあったけど、作家が一点物で勝負しているのはすくなくて、ほとんどがシリーズ化された作品だった。

この展示はとても面白かった。ひとつひとつ読み解いていくと一週間じゃとても見切れない。帰国したら、この作家たちがどうしてこうなったのか、読み解いていかなくちゃ。明日ショートカタログを買おうと思う。今日買っちゃえばよかった。。

各国のパヴィリオンの方は、イスラエル館が優勝だった。どこか遠くの草原を遠くから撮った映像(たぶん、穴を掘り始めた最初の地点を表している。ベネチアではないと思う。)と、穴を掘って進む映像と、進んだ末にイスラエル館内部にたどり着く映像と、穴から出て、なぜかそれぞれの顔の粘土の彫刻をみんなでつくって、そこにマイクをぶっ刺して、マイクに自分の「あ~」という声を吹き込む映像と、それをDJっぽい人がミックスしてる映像が展示してあって、粘土の彫刻も展示してあって、そしてすべての映像が8分くらいにまとまっていて、同時に終わって、同時に始まる。すごい展示だった。声を吹き込む人たちの表情が、なぜかみんな悲壮を感じさせた。その表情がすごくリアルだった。そして、穴をほって地下からヴェニスに乗り込み、そこで自分の顔の彫刻をつくって声を吹き込み、その声を館内に響かせる、という一連の流れが、とても明快に伝わってきた。

ほかには、フランスのアンリサラとか、イギリスのジェレミーデラーとかも良かった。ジェレミーデラーの「Ooh-oo-hoo ah-ha ha yeah」という作品(作品なのか?)なんか、とてもイギリスらしいなと思った。イギリス独特の、一周回りすぎちゃってる感じだ。

ルーマニアの、4人くらいの人がずっとパフォーマンスしている展示も面白かった。英語か聞き取れないので断定できないけど、パフォーマーが、現代美術(あるいはヴェニスビエンナーレ?)の歴史を順を追って説明しながら身体表現を行うような展示。パフォーマー以外には展示室には何もない。

とにかくみんな国の威信をかけてお金と労力をつぎ込んでいるような展示だった。でもオーストラリアの展示だけは、展示物がはがれてたり、室内に吹き込んだ落ち葉とかがそのままになってたりして、なんか汚かった。。

日本館の田中さんの展示もよかった。建築展のときの室内をある程度残したまま、自分の展示を挿入していて、それがまずリアルだった。田中さんは「5人の詩人で1つの詩をつくる」とか「5人のピアニストで同時に1つのピアノを弾く」とか「9人の理容師で同時に1人を散髪する」など「ひとつの出来事を共有する」みたいなことをテーマに、いくつかアイデアを出していて、その映像や、写真を展示していた。それらの映像から伝わるものは、僕にはとてもリアリティがあったし、田中さんも、美術のお面を被りながらも、日本を背負って表現していたような気がした。これが特別賞をとったというから、なんか安心というか、これもちゃんと評価されるのか、と思った。

昨日と今日で主要の2会場を回って、僕はまだ力不足だけど、決して届かない場所ではなかった気がする。おめでたい頭である。ブックショップに、僕の名前が冠された本が並んでいるのはなぜか想像できなかったけど。

とにかく展示をたくさん見ると自分も作りたくなる。がんばろう。

 

それと、今日ようやくホテルのそばのBarでマルゲリータとビールをのむことができた。だから今日はお腹いっぱいの状態で眠ることができる。幸せ。一昨日はそばの売店でビールを買うので精一杯で、昨日はその売店でビールに加えてポテチみたいなお菓子を買うので精一杯だったのだ。今日ようやくご飯を食べることができた。こっちの人は、ピザを一人で食べるのだ。「みんなで分け合うに限るもの」という考え方がない。味もだけど、考え方もとにかく大味の人たちだ。

あと各駅停車の電車の席も、日本みたいに横に並ぶ感じじゃなくて、4人1組のボックス席だ。さすが広場がある国だ。

 

しかし言葉が通じなさすぎて、悲しいというか、悔しいというかもう笑えてくるのだなあ。英語はやっぱり、普通に使いこなせるようにならないとだめだ。これだけで全然違う気がする。

到着三日目にして、ようやく「間違えてもいいし答えが聞き取れなくてもいいから話しかけてみる」ということができるようになってきた。サンマルコ広場で缶ビールも買った。これは高かった。4ユーロもした。でも僕は高いと感じなかった、というか、4ユーロくらいの価値は優にあった。オーソレミーオが近くのレストランの野外ステージで演奏されていて、日の傾いた空と、広場を歩く人々を眺めながらのむ缶ビール(どこ産かはよくわからないけど)は最高でした。

2013年10月10日8時04分

昨日酔っぱらって日記を書くのを怠ってしまったので、いそいで今書く。

ヴェニスビエンナーレに行ってきた。まず、僕の泊まっているホテルの最寄り駅「Mestre」からヴェニス本島の「Santa Lucia」まで電車で行かなくてはいけないので(バスもあるけど高い)そこのチケット売り場で買おうとして英語で話しかけたら、イタリア語で返事をされた。僕もなんとなくのイタリア語で返して無事買ったのだけど、そのとき、とても気分が楽になったような気がした。イタリア語で話しかけても聞き取れないと思って、あんまり使えなかったけど、そんなの気にしないでいいのだ、と思った。英語で話しかけてイタリア語で返すということが自然にできるという環境なのだ。

サンタルチアについて、町を歩きながらまわりをみているとイタリア語が普通だけど、英語も中国語も聞こえてくる。日本語も二、三回耳にした。そういう町なのだ。ここは。

サンタルチアから外に出ると、目の前を大きく横切っている運河「カナルグランデ」と、向かいに丸い屋根の小さな教会のようなものと、きれいな橋と、たくさんのゴンドラや船と、なによりこの地方独特の低い高度から差し込む太陽の光がまちの湿った空気を光らせていて、しばらくみとれてしまった。とても美しい町だと思った。

少し歩いてみると、すぐに路地に入る。たくさんの狭い路地が島内をめちゃくちゃに駆け巡っている。そこをたくさんの観光客、現地の人々が入り乱れて歩いている。建物一つ一つから長い長い歴史を感じる。観光地と住宅街が完全にまじりあっていて、目を上げると洗濯物がたくさん干されている。この洗濯物がまた面白くて、自分の家の窓から向いの建物の壁にロープが張っていて、そこに洗濯物がびっしり並んでいる。ロープは固定されているのではなくて、滑車につけられているので、自分の家の窓からでも遠くの洗濯物をたぐり寄せることができる。この洗濯の仕方も、狭い路地が入組んでいるこの町だからこそ成立している方法だろうと思う。

サンタルチア駅から、ヴェニスビエンナーレの主要2つの会場のうち1つ「アルセナーレ」まで歩いていこうと思ったけど、とにかく路地がめちゃくちゃに走っているので、地図をもっていてもわからない。iPhoneのGPS機能がなかったら絶対に迷っていたと思う。iPhoneをみながら1時間くらい歩き回って、ようやくついた。でもまだ開場前のじかんだったので、しばらくふらふらした。散歩するのにこんなに気持ちのよい町はあんまりないと思う。

アルセナーレの会場は、Massimiliano Gioniというキュレーターが企画した「Il Palazzo Enciclopedico(The Encyclopedic Palace)」という企画展と、いくつかの国のパビリオンがある会場だった。

まずはいってびっくりしたのが、みんな写真を撮りまくっている(観光地で写真を証拠に撮っていくみたいに撮りまくっている人がたくさんいた)し、小学生っぽい年齢のこどもたちのツアーがいくつもあって、「なんのオブジェかわからないごちゃっとした現代美術っぽい彫刻」の前で先生が子供たちにレクチャーしていて、みんな割とおとなしく聞いている。わからないものを「面白い」と思える土壌が出来上がっているのだと思う。うらやましかった。それと、みんな映像や作品をみながらぶつぶつひとりごとを言っていたり、映像の部屋の中で騒いでいた若者のグループもあったりして、なんて話しているのかわからないのがとても歯がゆかった。でも、とても自然に、それこそ路地のひとつに入っていくぐらいの気持ちで、気軽にみんな美術を楽しんでいた。

キュレーションは、タイトル通り、現代美術の軸足は外さないようにしながら、なるべくいろんな表現をいろんな国から集めてきたような展覧会だったと思う。みんなそれぞれに自分の国を背負っているような気がしたし、リアリティを感じるかどうかは別として、みんな完成度が高かった。僕はまだまだだと思った。この「みてほしい。みてもらうためにはどんな手段もいとわない」みたいな姿勢をもっと持たないとだめだ。

「Camille Henrot」「Yuri Ancarani」という作家が印象に残った。ふたつとも映像。ひとつは、「宇宙の起源」をテーマにしたような、ちゃんとリリックがあるラップ調の曲にあわせて、Macのデスクトップ上に映像が次々現れるような作品。なんて歌っているかは分からないけど、動物と人間の関係とか、科学と自然の関係とか。Yuriの方は「Da vinci」という映像で、外科手術に使われる、精密な機械(人の体内にアームを入れて、外で操縦する人間の手と同じ動きを患者の体内で行うようなやつ)のPVみたいなつくりをしていた。体内の映像が青かったのは、たぶん赤だとみるに耐えない人がたくさんいるからだと思う。

あとSteve McQueenの映像とWalter De Mariaのインスタレーションがよかった。

特にウォルターデマリアの作品は、鳥肌が立った。何時間でもいられるような空間だった。金色の太くて長い棒が部屋に対して斜めに何本も等間隔に置かれているだけの作品なのだけど、建物と作品とのあいだにある緊張感というか、張りつめた空気が半端じゃなかった。

アルセナーレだけでもみるのに7時間くらいかかって、会場を出たときには夕方5時半くらいだった。

帰りにサンマルコ広場にたまたま出たのだけど、そこがとても楽しげな雰囲気で、気持ちがよかった。夕方の広場は、たくさんの人(観光客もいるし、犬の散歩をしている人もいる)がそれぞれ好きずきに時間を過ごしていて、居心地がよかった。昔から、こういう広場で人が集まって、いろんな話をして、歴史や文化をつくっていったんだと思う。その環境がうらやましかった。

帰りの電車で、自動券売機で切符をかったら、おつりがでてこなかった80セントくらい。僕は、こういうシステムなのか、、と思って納得してしまった。路線図のようなものもなくて、自分がのった電車がメストレにとまるのか、メストレに着くまでわからなかったけど無事到着した。

帰りに、ホテルのそばのBarでピザを食べようとしたけど、今日もイタリア語で話しかける勇気がでなかった。そのうち話せる日がくるだろう。

2013年10月8日18時31分

今日の昼にイタリアのメストレに着いた。今日から14日までイタリアに滞在して、ベニスビエンナーレと、プンタデラドガーナやカステルヴェッキオなどいくつかの美術館を見て回る予定。

海外に一人できたのは初めてである。しかも、英語圏ではないところにきてしまった。いまはホテルの部屋でこの日記を書いている。オランダの缶ビールを飲みながら。ベニス本島の中に宿を借りると高くなってしまうので、このメストレという対岸の町に宿を借りた。Hotel Viennaというところで、一泊45€朝食つき。ちょっと高いような気はするけど本島よりましだ。フリーのWifiが無いのがちょっと痛い。

ここにチェックインしてから(このフロントは英語でチェックインできた)3時間くらい町を歩いてみた。メストレの町は、落書きがとても多くて、夜通ったらちょっとこわいだろうなというところもある。個人のお店(パン屋とか、バーとか、お菓子屋さんとか)がとてもおおくて、どこの店にもお客さんが誰かしら入っていて、親しげに話している。「Snack Bar」というお店の形態があるらしい。Barが多い。どのお店もおいしそうなお酒を出している。イタリア語が話せたらどんなに楽しいだろう。しばらくあるいたけど、日本でいうコンビニとかスーパーと呼べるようなお店にはとうとう出会わなかった。

僕はお昼ご飯を機内で食べて以来何も食べていないので、町に慣れるためにもどこかのカフェかバーかレストランに入ってご飯を食べようかと思ったけど、とうとう勇気がでなくてどこにも入れなかった。なんて情けないことだ。たぶんイギリスとかアメリカとか、英語圏だと呼べるようなところだったら、(最初はちょっと勇気が必要かもしれないけど)どこかのお店に入っていただろう。でもここはイタリア語が母国語なので、どのくらい英語が通じるのかわからない(英語もあんまり得意とは言えない)上に、しかも「イタリアの人たちは、イタリア語が話せない観光客にうんざりしている」という記事をネットで読んでしまっていたので、英語で何か注文することに無駄な抵抗を覚えてしまった。イタリア語もすこし勉強したから、「~をください」「いくらですか」という質問くらいはできるだろうけど、考えたらそれに対してのイタリア語の答えを聞き取ることができないので、結局英語でやりとりする感じになるだろうとか、いろいろと無駄なことを考えてしまった。「ケバブ屋さん」みたいなファストフードっぽいお店でも注文することができなかった。情けなさすぎる。雰囲気のよさそうなお店はとてもたくさんある。コミュニケーションさえとれたら、日本よりもずっと楽しそうなお店。情けなさにうんざりしながらあるいていたら雨が降ってきたので、ちょっと急いでホテルまで戻ってきた。かろうじて、ホテルのそばの小さなお店で缶ビールを買った。2ユーロだった。

すこしお酒の力を借りて、今度はそのお店の隣にあるBarでピザでも食べにいきたい。お腹が減ってたまらなくなったら、きっと僕はなにか行動に移すだろう。

メストレのまちは、駅よりも南側は住宅街という感じで、北側はにぎやかな感じ。「Mestre Centrino(うろ覚え)」みたいな名前の広場があって、そこはすごく雰囲気がよかった。彼女とぶらぶらしたい感じだった。イタリア語さえ話せたら。。

いま18時53分だ。そとが薄暗くなってきた。

東京にいるうちにつくっておきたかった映像ができました。公開します。

「清掃員村上」

2013年9月26日(木)バイト先のビアガーデンにて

 

僕がこのバイト先で感じていたことは、とても深い問題につながっていた。常々「お金」と「商品」は等価であり、「交換」するものであるはずなのに、「お金」を払う方が立場が上であるかのような風潮があるなと思っていた。たぶん大きな企業になればなるほど、お店よりはお客さんに対して弱くなる。クレームを極端に恐れる。

なぜこんなことになってしまったのか。エンデの遺言を読んでいて、それは「プラスの利子」という考え方が一般化しているからかもしれないと思った。

お金は本来、その共同体の人々の共有の道具であって、市場に流通している状態が自然なのだ。

お金は、物々交換ではいろいろと面倒だから発明された道具だ。一人で家を造り、パンを焼き、畑を耕すのではなく、大工が家を造ることに集中し、パンを焼くのはパン屋で、畑を耕すのは農家の人々、という風に分けた方が、「より生きやすい」から、分業がはじまり、分業にはお金という道具が欠かせなかった。お金はそうやって発明されたもので、生活をおくる、ということが優先事項であり、自然資源や、誰かが(自分の代わりに)担ってくれたサービスと交換する、というのが目的だった。

しかし現代、お金は「貯める」ことができる。使わなければ永遠に持ち続けることが可能になっている。そして、多くお金を貯めた者は、人に貸し付けることができる。しかも、人に貸したお金は、貸した額よりも大きくなってかえってくる。これはプラスの利子という制度のせいだ。この制度によってお金はそれ自体商品になり、自己増殖を続けることができる。本来の目的であった「商品(つまり自然資源)との交換」を置き去りにしている。自然資源は有限だけど、お金はそれだけで無限に自己増殖していく。

「お金を貸し付けることができる。しかもプラスの利子をつけて」という事実は、お金を多く持っている者の方が、少なく持っている者よりも立場を上にする。これは、お金を多く持つことが、生きる目的であるかのように錯覚しやすい世界になっている。これが、「お金を払う者の方が、商品を提供する者よりも偉い」みたいな風潮を生み出す原因になっていると思う。

もう一度みんなと出会うために僕は僕のベストをつくそう。

 

2013年9月25日

 

「エンデの遺言」という本を読み始めた。エンデが作品の中に「経済」に対する深遠な問いかけをしていたことがわかる。

いま世界を巡っているお金の90パーセント以上は、現に存在する商品やサービスとは関係ない、数字だけのお金らしい。日本の国民総所得は300兆円あるが、現実に発行されている紙幣は50兆円程度しかないそうだ。もともとは、物々交換でかかる膨大なエネルギーや時間を省くために開発されたお金。かつては紙幣は金と交換できることによってその価値を担保されていたけれど、71年にアメリカ合衆国大統領のニクソンが実施した金とドルの交換停止宣言(それまでは、「ブレトン・ウッズ協定という協定で貨幣は流通していた。ドルを世界の基軸通貨として金1オンスを35USドルと固定した。しかし、世界の財政規模が大きくなってくると、金の産出量と保有量が、経済の規模に対応できなくなった。」)をによって、お金は、担保のない、ただ人々の信用によってのみ価値を保証されるものになった。そして、お金それ自体が商品となり、貸したお金にはプラスの利子がつけられ、自己増殖を繰り返し、お金はもはや自然資源と対応するものではなくなっていった。

もともとは、僕たちが生活を営むために開発したお金という制度は、いまではそれ自体を増やして成長することを目的とする制度になっていった。エンデが10人の弁護士に「お金とは、法的制度なのか、それとも経済運動の中にあるべき商品なのか」という問いかけの手紙を送ったところ、10人からそれぞればらばらの答えが返ってきたらしい。だれも、「お金」を定義づけることができない。なにかわからないものを僕たちは使い、それを稼ぐことに躍起になっている。

お金は、無から価値をつくりだす錬金術のように自己増殖をつづける。この本は15年ほど前のものだからデータが古いけど、現在日本がかかえる借金は1000兆円を超えた。お金印刷できるものだから、いくらでもつくれる。時間が経てばお金が増える「プラスの利子」という制度をとる以上、どんどんお金が増えて、そもそもの目的であった自然資源との対応はますます困難になって、大きくなりすぎた財政をコントロールできなくなるのはあたりまえのように思える。そのうち、本当に破綻が訪れるだろう。この資本経済主義、民主主義を根源から問い直さざるを得ないような破綻が。

 

さてお金は分業体制を促進する制度だ。僕は美術家として、自分の表現を行い、それに対してお金を払ってくれるひととの経済圏をつくりたい。助成金などはやっぱり極力関わりたくない。方向付けられた表現は、表現ではない。というか、「助成金」という制度と、個人の表現、というものの関係を考えだすと、表現がとてもややこしくてめんどくさいものになってしまいそうだ。僕は、自分の絵や、言葉や、映像やパフォーマンスなどに対してお金を払ってくれる観客と一対一の関係をつくりたい。と思った。

9月23日(月)

 

今日は、友川カズキさんのライブに行ってきた。凄まじかった。

歌っている最中、体がうごかなくなる。

特にアンコール最後の曲「一切合切世も末だ」の最後で「一切合切世も末だ!」と叫ぶところ、友川さんから衝撃波が飛んできたように感じる。

9月21日(土)、22日(日)

 

バイト先のエビスバーの先輩、渡辺さんに誘われて、キャラメルボックスという劇団の公演を見に行った。池袋のサンシャイン劇場。

観に行ったのは「ケンジ先生」という演目で、15年前が初演。渡辺さんはもう18年もこの劇団を追いかけていて、この初演も観に行ったらしい。

観にいって「ラッセンの絵画を観ているような気持ち」になった。また「ラッセン尾絵画を観て泣いている人たちを観ているような気持ち」にもなった。

まず、出てくる俳優が全員、どの場面でもお腹から大きく声をだしていて、力んでいて、僕はずっと「声がでかい」と思っていた。あまりにもずっと大きな声だったから、イライラした。ひそひそ話のようなときも、観客に大きく語りかけるようなときも、お腹から力んで声をだしているような感じ。「そんなでかい声で話す場面じゃないだろう。」という突っ込みを心の中で何回したかわからない。また、設定もちょっと苦しかった。「ケンジ先生」というのは先生のアンドロイドなのだが、これが、あたらしい持ち主の家に来てわずか二日目とかなのに、ケンジ先生を信用しきっている人がいたり、極端に嫌っている人がいたり、ちょっと感情移入しづらいなあという場面が何度もあった。殴りあいのシーンがやりたいだけだろう、という台詞回しとか、ちょくちょく時事ネタ「おもてなし」とか「じぇじぇじぇ」とかを入れてくるあたりとか、明らかに笑いを取りにきている感じとか(しかもその笑いの質があんまり高くない)がいちいち癇に障る。なにか大事なものを素通りしたままストーリーが進められていってしまう感じ、といったら近いかも。「演劇ってこういうものだよね」とか、「ここで笑うよね?」みたいな、共通認識、観客との暗黙の了解のもとに話が進められる。というか。

いままで「演劇とは何か、言葉とは何か、身体とは何か、表現とは何か」みたいなところに取り組んできた劇団ばっかりみてきたから、今回のやつはリアリティが全くなかった。これも演劇と呼ぶのか。と思ってしまったぐらい。

驚いたのは、観客の多さ(どこからくるんだ?)と、ケンジ先生が別のアンドロイドにボコボコにされて(この下りもかなり無茶があったけど)、僕は「あーこういう感動シーンよくあるよねー」みたいに思って、完全にさめてイライラしてはやく終わってくれと思っていたその時に、まわりから鼻をすする音がたくさん聞こえてきて、観てみると、結構な数の人が涙を流していたこと。僕は「え?」と思って固まってしまった。

みんな偉い(?)なあと思ってしまった。ここで泣いてください、ここで笑ってください、というシーンで、ちゃんとみんな泣いて、笑っているのだ。僕は(明らかにむりやり)「笑わせよう」としてつくられた場面なんかで、笑いを返すことができなかった。

これは「古さ」なのか?これは「レベル」の違いなのか「好み」の違いなのか。僕は歩み寄ることはできないのか。

劇の終わり際、僕は渡辺さんにどんな感想をいえばいいのか、ずっとそれを考えてしまっていた。渡辺さんはこの劇をたぶん楽しんでいる。そして、よかれと思って僕を誘ってくれた。僕は「渡辺さんが楽しんでいるなら、それでよいじゃないか。僕が下駄なことを言って、わざわざ楽しみを奪うようなことはしないでいい」と思った。考えた末に僕はひとことだけ「エネルギーがすごかったです」といった。嘘ではない。役者の声が本当にでかかったから。

渡辺さんとはまだ「この劇はだめだった」「この作品はすごい」みたいに腹を割ってはなせるような関係ではない。僕にもう少し勇気があれば、あるいはもっと仲が良ければ、この「わかりあえない感じ」の話題について話ができたかもしれないのに。それが悔しい。

演劇とかダンスとか音楽とかには、「観客にみせるタイプの表現」と「観客を連れて行くタイプの表現」の2種類あるとおもっていて、これはもう圧倒的に前者だった。解釈の余地がなさすぎてつまらないほどに、物語は完成されており、あとはそれをいかに完璧に役者が演じきるかにかかっている。作品の完成度はそれだけにかかっているような、演劇だった。

みせるタイプの表現は、観客は消費者としての側面が強い。

つれていくタイプの表現を楽しむには、観客に「ついていこう」という能動的な気持ちが必要になる。

いつだったか、渡辺さんに「演劇好きです」といったから、声をかけてくれたんだと思う。渡辺さんも「演劇好き」には違いなかったから。

でも、「演劇」とかっていう"総称"は何も指さないなと思った。「演劇好き」と「キャラメルボックス好き」は違う。ていうか俺は「演劇」が好きな訳じゃない。そもそもそんな区分けはどうでも良い。俺が良いと思えるものは「素通りできない何か」と捉えようとしているかどうかにかかっている。観客に、ただの傍観者、消費者であることを許さない態度をとっているかどうかである。

22日にみた遊園地再生事業団の「夏の終わりの妹」は、考えるのをやめたら、観るのをやめたらあっという間においていかれてしまうような「つれていくタイプ」の表現だった。

こっちは感想を文章にしづらいけど、とても良かったと思う。

ステージが縦に5つに割れていて、そこにひとりずつ役者がたっている。役者は5つのステージを舞台上で横断することはない。ずっとそれぞれの場所で台詞をしゃべり、身体を動かす。

たぶん「断絶」が重要なテーマになっている。コミュニケーションの不可能性と、「演劇」「口語劇」に対する問いかけ。聞くことと、答えること。役者と言葉の断絶。「いわれた言葉」と「いった人間」の断絶。

それぞれの立場で、それぞれがたっているステージで、できる限り動くこと、踊ること。5つのステージの境界を超えると、言葉が文節ごとに分解されて再構築されて発語される。それぞれの体はそれぞれのステージから出られないけど、言葉はどんどん横断する。横断した言葉がときどき分解再構築される。

最後はみんな合唱していた。

隔たれていても、諦めずに発語し続けること。

 

劇の後半、照明がかわったとき、舞台上に「何か」が降臨してきた時間があった。舞台上の人がとても大きく見えて、自分と舞台との距離がわからなくなる時間があった。この時は凄まじかった。

2013年9月16日

 

米田知子展@東京都写真美術館

物語が立ち上がろうとする瞬間を捉えたような写真。少し前にみたグルスキーとは対照的で、グルスキーはかなり平面的な写真だったように思うけど、米田さんの写真は平面であることを忘れているような、そんな印象。奥行きがものすごくあって、窓から外をみているかのような気持ちになった。不思議に思って写真を角度をつけて横から見てみたら、それは紙にインクがのっているだけの平面だったんだけど、写真の正面にたった途端、そこに途方もない奥行きが生まれるような感じ。

「際立ったモチーフを撮らない」「少しアンダー気味のプリント」などが、その写真を撮った空間にある、なんかもやっとした雰囲気、voidのようなものを写すことに成功している。そしてその「なんかもやっとした雰囲気が、キャプションによって説明され、その場所の歴史と接続されて深みを増す。

しかしなによりも、とにかく画面の奥行きがものすごい。四角い画面に切り取られているのが意識されなくなってくる。白い額縁が窓のように感じる。画面をじっと見ていると、風景がどんどん迫ってくる感覚が何度もあった。

美術館の白い壁にたくさんの窓が並んでいる。その窓はそこにうつる風景への窓というよりは、自分の遠い記憶や無意識と、米田の撮った風景との間に生まれるイメージを臨む窓。

2013年8月24日

「生の嘆き ショーペンハウアー倫理学入門」

ミヒャエル・ハウスケラー 著

峠 尚武 訳

 

 

「哲学的熟考世界の形而上学的解釈とに向うきわめて強力なきっかけを与えるのは、疑い無く死についての知と、これとならんで生の苦悩と困窮の観察とである。しかし、もしわれわれの生が終わりのないものであり、苦痛の無いものであったなら、なぜ世界がこのように存在し、よりによってこのような性質を帯びているのかを問おうなどとは、誰も思いつきもしないであろう。むしろ、一切は自明の事であるだろう。」

ところが、一切は自明でなく、人間に説明を迫るものである。~

 

~したがって、害悪(確実に死に至るという見通しを含めて)と悪業(人間によって惹き起こされる害悪としての)の経験は、他の諸々のうちの何かある1つの任意の経験ではなくて、そもそも哲学的原体験なのである。なぜ世界には苦痛や悲しみがあるのかという事を我々は理解できないし、また、なぜ我々は死ななければならないのかという事も理解できない。実際そうなのだということしか理解できない。しかし、我々の中にある一切はこの理解に不服である。なぜなら、われわれは、その最内奥の本性からすれば、意志、生きんとする意志、存在せんとする意志に他ならないからである。~

 

他人がその意志の(それ自体は正当な)肯定を私の意志の否定であがなうことによって私に加える不正は、世界と、そもそも最初にこのような不正を許す世界の性質・状態とに責任がある事になる。~

~この苦しみを不正と感ずるのであるから、彼は、ヨブが神に釈明を求めたように、世界に釈明を求める。「如何なれば、(神)なやみにをる者に光を賜い、心苦しむ者に生命を賜いしや」この問いは、神を世界に代えればショーペンハウアーの哲学の根本的な問いである。~

~世界には善が多いか悪が多いかなどと議論するのは全く無用の事である。なぜなら、単に悪が現にあるということだけで、事は決するからである。悪の存在は、悪とならんで善があることによっても、あるいは後に善が存在するようになる事によっても、決して抹消されず、従って相殺されもしないからである。なぜなら、数千人が幸福に楽しく生きたとしても、そのことがたった一人の不安や死の責苦さえも解消するものでは決してないからであり、同様に、私の現在の息災がかつての病苦を無かったものにするわけではないからである~

 

生、この「継続される欺瞞」における最善の事は、やはり生が短い事であると思われる。なぜなら、苦悩は生にとって本質的なことであるから、生の延長は苦悩の延長でしかありえないからである。しかもなお人間があまり早死にを求めるわけではないのは、死を(生よりも)さらに大きい悪だと思い込んで死を恐れているからに他ならない。一切の生は苦悩である、というのが酷烈な真理であり、この事はいかんともしがたい。というのも、もしわれわれが、欲求のすべてをいつでも苦労なく満足させる事ができるという幸運に恵まれていたとしても、また、もしあらゆる危険を免れていると知っていて、将来について不安を覚える事無く、過去の思い出に後悔を覚える事が無いとしても、それどころか、それほど恐れている死から逃れる事が出来るとしても、それでもなお、とどのつまり、生そのものは残っていて、われわれは絶え間なく生に苦しむ事になるからである。なぜなら、われわれは本質的に意志なのであり、この意志は決して静止することがなく、むしろやむことなく繰り返し新たな目標を掲げてそこに満足を求めるからであり、しかも、いつかはその満足を見出すという事もー短い、錯覚に陥った一瞬間以外にはーないからである。なぜなら、意志は静止することができず、努力し(求め)続けなければならないからである。~~世界がその被造物に加える不正を否認する事は、それ自体が不正である。かくして、哲学的真理愛のみならず道徳も、苦悩と、次の事実とを妥協することなく承認する事を欲求する。すなわち、この世界は良い世界ではなく、むしろあらゆる可能な世界のうちの最悪の世界である(なぜなら、この世界は、もしもう少し劣悪であったなら全く存在しえなかったであろうから)という事実の承認を、である。~

 

~すなわち「なやみにをる者に光を賜ひ、心苦しむ者に生命をたまひし」ということは、いかなる条件の下で意味あるものとなるのか、と言い換える事ができる。そして答えは、彼らに光と生命を与えたのは(慈悲深い、理性的な)神だったのではなく、盲目的な意志だったのだという条件の下でのみ、意味あるものとなるというものである。~

 

~世界は、それが表れて来るとおりに、不条理、不合理で非理性的であるが、論理的な意味においてそうなのではない。なぜなら、世界は現実にあるのであり、そして現実にあるものは論理的矛盾を宿しえないからである。それではいったい、いかなる意味で世界は不条理なのか。答えはひとえに次のようなものになるしかない。すなわち、世界は道徳的な意味において不条理なのである~~生命を維持しようと試み、しかし次には必然的にそれを失うために、生命を維持しようと試みて全生涯を送るというのは、道徳的に不条理である。~

 

~「あらゆる真の、現実的認識の最内奥の核心は直観である。」なるほど、ある概念はしばしば別の概念に依拠し、この別の概念もまたさらに別の概念に依存しているが、しかしいつかはついに、立ち戻って直観を指し示すような概念が出てこなければならない。なぜなら、さもなければその連鎖の全体が宙に浮かぶものになり、足場を欠くことになるからである。~

 

誰かが同情を覚えるのは、あるいは同情的に行動するのは、「彼が、普通なされているほどには、自分と他者との区別をしていない」ときである、とショーペンハウアーは言っているが。「…自分と他者との区別は、悪人にとってはきわめて大きな裂け目であるが、これは移ろいやすい欺瞞的な現象にすぎないことを、彼(同情者。ショーペンハウアーにおいては、Edle,高潔の人)は悟っている。すなわち、彼は、直接的に、推論することなしに、自分自身の現象の即自態はまた他者の現象の即自態でもあることを悟っている。つまり、この即自態はあらゆる事物の本質をなし、あらゆるものの中に生きている、あの、生への意志であることを、彼は悟っている。それどころか、この即自態は動物にも、自然全体にも広がっていることを、彼は悟っている。それゆえ、彼は動物を苦しめることはしないであろう」。同情とはこのように悟ることそのものであり、推論によらずしてなされ、行動において顕現する直接的な直覚的認識、現象界の個体化(性)を感覚と行動において否定することによって(現象界を突き抜けて)事物の本質に迫る直覚的認識である。~この感情が認識そのものだというのである。~

 

~同情は道徳的には無意味な、たんなる感情ではないのかという嫌疑を晴らし、同情に対して事物の最内奥の本質において拠り所を与え、かくして道徳全体に一切の現象的なものを超出する形而上学的な尊厳を与える。~私が同情的に行動するのは、私が他者と私との本質同一性を認識しているからではなく、ただただ、ひとえに他者が苦しんでいるからである。他者の苦悩ー他の何者でもないーが私の行動の動機である。~

 

~「苦しんでいるのはその人であって我々ではないということを、われわれはいかなる瞬間にも明瞭に自覚している。われわれは我が身においてでなく、まさにその人の身において苦悩を感じ、それを我々の悲しみとしているのである。われわれはその人と共に苦しみ、かくしてその人において苦しむのである。われわれはその人の苦痛をその人の苦痛として感ずるのであって、我々の苦痛であると錯覚しているのではない」~

 

~他者が苦しむ時はいつも、私も彼とともに苦しむ。ところが、苦悩は偶然にときおり表れるだけでなく、むしろ生存の根本体質に属するものであり、かくして生きている全てのものは絶えず苦悩に囚われている。この際限ない苦悩の一切が、他人の苦悩と自分の苦悩をもはや区別しない同情者自身に全面的に襲いかかるので、彼は、単独の人間には堪え難いほどの規模で苦悩を被ることになる。~このような無限に続く苦悩の重荷を背負うと、彼は突然、自分の苦悩に、つまり本質同一性の認識に限界を設けて、自分を守ろうとするようになる。~こうして同情は、恣意的に制限されることなく徹底的に実践される正義と人間愛を展開してゆくそれ自身の力学によって、「生への意志の否定の促進剤」になる。~この転換を全く残念なことだと思い、人間の弱さを嘆くものがいるかもしれない。~しかし、ショーペンハウアーの捉え方は全然こうではない。道徳的なことは彼にとっては自己目的でしかなく、それはまた世界の苦悩を緩和する事によって価値を得るのでもない。この点で人間が行う一切のことは、およそ、熱い石に注がれる一滴の露のような全くの表面的なつくろいにすぎず、可憐と見なされ、注目に値するものではあるが、しかしなにも、いやはや何も、あらゆる生物に取り返し難く定められている永遠の苦悩に変更を加えるものではない。~かくして、同情の価値は苦悩の緩和にあるのでなく、むしろ苦悩を堪え難いものにまで増大させることにあるのである。~

 

~われわれは二種の意味に関わってきた。それらの根底には2つの相異なる、およそ互いに相容れ難い直覚があった。一方に、世界の苦悩の現実性を否認するのは、あるいは、なんらかの方法でそれを緩和、軽減するのさえも、「不埒な」ことであるという直覚があり、もう一方に、この現実は「明らかに不条理なこと」であり、したがって「事物の真の秩序」ではありえないという直覚があった。~苦悩の現実性は形而上学的な救済の秩序のうちの高い地位にあると認められる事によって(矛盾が)止揚されるのである。「死によって完結される労働と欠乏、困窮と苦悩」は今や、もはや、ショーペンハウアーがしばしば印象深く描写したような人類の懲罰としてでなく、むしろ(個人の)生の本来の目的として現れる。「ただ1つ、生得の誤謬がある。われわれは幸福であるために生存している、というのがそれである」。むしろ、我々は不幸であるために生存しているというのが真理である。「人間の生存の全体に、苦悩が生存の真の定めであることが明瞭に現れている。…ここに意図のようなものがあることは見誤るべくもない」。~

2013年8月15日 11時24分

終戦記念日(「玉音放送があった日」)

 

今日、朝の清掃のバイトに寝坊した。目覚ましをかけ忘れて、7時に現場についてなきゃいけないところを、8時に起きた。致命的な寝坊は初めてであった。でもなんとかなったけど。

 

いま内田樹さんの「日本辺境論」を読んでいる。そのなかで、日本人がものごとを決定する時に、圧倒的な権力を発揮する「空気」について書いてあった。

そして、僕はyoutubeで初音ミクを聞いていた。すると、第二次世界大戦で日本が戦争を開始したことと、初音ミクの出現がつながってきた。

初音ミクは、物理的には存在しない歌手で、彼女は主にインターネットの中にいる。ひろく人々の意識のなかに存在している人物。それは「空気」にちかいものだと思う。この国でこれだけ初音ミクがメジャーになったのは、この僕達に強く内在化している「空気への服従」とか「和をもって尊しとなす」的な性格が理由になると思う。

戦後、旧日本軍の偉い人達が「僕は個人的には反戦だったが、あのときは開戦せざるをえなかった」と口を揃えたように話していて、誰も「私は開戦するべきだと主張していた」という人が表れないというところに、日本人の「辺境人魂」が表れていると内田さんは書いていたけれど、これは要するに戦争を始めたのは張本人は「空気」であるということだと思う。そしていま、インターネットという道具を介して、「初音ミク」という「空気の張本人」のひとつのパターンが偶像化していると思った。

ヴェニスビエンナーレに、初音ミクを出展するべきだ。何人かのアーティストをコミッショナーに選んで、それぞれが初音ミクをビエンナーレ会場に出現させたりしたらとても面白いと思う。

 

最近急速にバイトに飽きてきた。やっていて何も感じなくなってきた。やっぱり、ずっとおなじい場所にいると、身体も精神も適応してしまう。「なんで自分はここにいるのか、なんでこんな事をやっているのか」という問いを常に立てられなくなってしまう。その場所に投入されてからあんまり期間をあけずに移動することが、常に問いを立てつづけるのに(つまり思考停止に陥らないために)適した生き方だと思った。

2013年8月9日25時39分

 

先日シリアで大規模な爆発がおこったというニュースがツイッターで話題になった。まちの空におおきく立ち上ったキノコ雲はまるで核爆発のようで、みんながどきっとしたと思う。

およそこの世界に起こる出来事で、自分のせいにできないことは何も無いように思える。

年収200万円以下が人口の20%近くいるということが「マズイ」という刷り込み。それに寄ってか寄らずか自殺者は年間3万人近くにのぼり、もはや内戦状態。しりあの爆発でも数十人が亡くなったそうだけど、この国では一日で82人くらい自殺している計算になる。安倍さんや閣僚の人達は原発を再稼働させ、輸出させる事に全力をつくし、先日ジュネーブで開かれた核拡散防止条約の会議で出された核兵器不使用の共同声明に「アメリカの核の傘で守られている現実がある」という理由で、日本政府は署名せず、福島第一原発では事故が起こってから数億ベクレルの放射性物質が海に流れ、今でも一日300トンもの汚染された水が海に流出しているという。

「効率」と「成長」を正義としてきた資本主義が暴走し、そこに人がついていけなくなっている。

「あまりに巨大化した道具はもはや人びとに仕えるのではなく、逆に人々を道具に奉仕させる奴隷化作用を生む」(イヴァン・イリイチ)

という状態で、分りやすい敵は何処にもいない。八方塞がり。もうみんなで踊るしかないと思うけど、ダンスも法律で規制するという話もある。なんでこんなことになってしまったのか。国債と借入金をあわせたこの国の借金は、先月1000兆円を突破したらしい。今の衆議院は「違憲状態」であるという判決が裁判所で下されたにも関わらず、テレビでは初登院の議員達にインタビューしたりしてしまっている。

これをかいている僕は、いまバイトに向かう電車の中だ。毎日仕事から帰ってくるとへとへとで、この社会に対する大きな見通しなんて持てない。休みの日は家でぼーっとしていたい、という気持ちも、今とてもよくわかる。とりあえず生活を、日々の営みを続けるだけで精一杯だし、この「なんでこんなことになっちゃったの状態」がそもそも、この僕達の日々の営みによってますます悪くなっていく、しかし、その責任は誰にあるかといわれると、誰にもない。

いま「働きたくない」という言葉のリアリティがすごい。自覚しろ生活者達。

2013年7月23日11時58分

 

僕がバイトに行くときに払う運賃は、電力会社や鉄道関連の財界にもいくだろう。電力会社はそのお金で高速増殖炉を動かしたり原発を動かしたりするお金になっていくだろう。僕が通る道路は税金によって整備されているものだし僕が買う服、使うシャンプー、お菓子などなどには化学でつくられたものが当然入っていてそれらを生み出す為に空気が汚されているのだろう。僕はバイトにいくためにバイトをしている。ほとんどの人は仕事にいくために仕事をしているのだ。ひとりひとりが全部考える必要の無い、民主主義、資本主義、分業の進んだこのシステムに置いてけぼりにされてしまった思考能力達がたくさんいるのだ。毎晩仕事から帰ってくる父に、あるいは毎日暑い中段ボールをたたんだり廊下にモップをかけたり階段を掃いたりしているあの清掃員に、この社会の何が問題なのか、どうすれば持続可能な営みをつくれるのか、あなたは誰に投票したのか、なにを根拠にその人に投票したのか、なんてことを問いただすのは酷なことだ。原発だって、危ないものだってことはみんなわかっているはずなのに、大きなお金が動くから、そのお金によって生活を支えられている人たちがたくさんいるから、都市部が、田舎に発電所を押しやってしまったから、原発だけじゃなくて米軍基地とかもそうだろう。だから、あとにひけなくなってしまったのだ。分りやすい黒幕なんてどこにもいない。全て不可抗力で進んでしまった物事たち。誰も悪くないとも言えるし、全員が悪者だとも言える。この大きな輪廻をもっと鮮明に認識し、逃れるために。なんでこんなことになったのかもっと勉強が必要だ。経済の世界には「脱成長」という言葉があるらしい。これは要するに経済成長なしで持続可能な社会を志向することのようだ。ここで面白いのは「脱成長」という言葉が鏡のように、「成長経済」を無意識のうちに志向してきた自分たちをうつしてくれること。

2013年7月22日25時38分

 

安倍さんに「電力が足りているとは言えない」と言わせているのは、他の誰でもない、僕だった。

 

たぶんあなたは僕だ。彼女は僕だ。彼は僕だ。あそこで雑草むしりをしている鉄道作業員は、僕だ。テレビの中で原発を動かさないといけないと言っているのは僕だ。ドームを満員にしてコンサートをしているアイドルも、それをみて騒いでいるのも僕だ。僕の前で音楽を聞きながらiPadをいじっている青年は僕だ。

「わたしたちー!」と呼びかけたいぐらいに、彼らは僕なのだ。電車で十数キロ離れたバイト先に数百円で通う為に、バイトをしているのだ。すべてこの生活の為に、この生活はあるのだ。このあらがえない輪廻から解脱するには。

 

 

参議院議員選挙で、三宅洋平というミュージシャンが立候補した。「選挙フェス」というスローガンをかかげ、うたを歌うように街頭演説し、道行く人の足を止めていた。凄いのは「選挙は賢くなるチャンスだと思うんだよね。みんなで賢くなって、みんなで国会へ行こう。俺の事は応援するな。頑張れっていうな。おれもみんなを応援しているから。」という主張。「脱戦争経済と、環境問題の解決」をやりたいこととして、意見が違う相手とも、「チャランケ(アイヌの言葉で開戦前夜の話し合いの意らしい)して、言葉の粋を尽くして、ユーモア交えてとんちきかせて、思いを相手に伝える。で、相手の主張も、相手が何に乗っ取って、自分と違う主張をしているのかもちゃんと聞く。で、和をとって、お互いに納得できるようにすすめていく。誰も傷つかないようにする。」という主張もしていた。民主主義は、有権者がちゃんと勉強しないとうまく機能しないと思っていた。社会学者の宮台さんも「任せて文句言う社会から、引き受けて考える社会へ」ということをずっと言っていたけど、社会学者という立場を守りながら言っているだけだった。今回三宅さんは、立候補という手段を使って、ミュージシャンという職業はいったん置いといて「みんなで賢くなろう」と、本気で言っていた。わざわざ全国比例区から立候補して、全国をまわっていた。

結果的に落選したけど、17万票もの支持をあつめた。僕も彼に一票いれた。そして、もっと勉強しないと、と恥ずかしくなった。

彼の演説がたくさんyoutubeにのっているのだけど、そこに誹謗に近いような意見がたくさんあった。

彼は、意見が違う人達とこそ徹底的に話し合うべきだと言っているのに、そのステージに登ろうともしない人でたくさんいる。黒人を気取っているだけだ、とか、具体的に何がしたいのかわからないヤク中だとか、好き放題言っている人達がたくさんいる。(インターネットは、世界のみんなを繋いだんじゃなくて、インターネットという別の小さな世界をつくっただけなのかもしれないなと思う)。三宅さんがいう、人との対話「チャランケ」は、どうしようもないバカの壁、認識の壁、態度の壁によって、隔たれてしまっている。なぜそんなことが起こるのか。みんな自己批判の訓練を怠ってきたから。ひとが頑張っているのが気に入らない人たちがたくさんいるから。いろいろ理由はあると思う。

みんなが熱く議論できるほど、社会は単純にできていない、心のねじ曲がった奴もたくさんいる。

三宅さんは「理想主義者」なのかもしれない。と、思ったとき、三宅さんを「理想主義者」と言いたい僕の心の動きが、彼ら「対話をしようともしない人達」を生み出しているのかもしれないと思った。理想主義者は、自分のことを理想主義者とは言わない。

まあでもとにかく、あたらしい動きがでてくるのは面白いし、僕も勉強しなくちゃいけないなと思う。いまの30代でがんばっている人達についていき、追い抜けるように。

2013年7月21日04時44分

 

バイト生活、特に清掃のバイト。毎日同じ時間に同じ場所に通わなくちゃいけないことの精神的負担。

体の一部がおおきな歯車にもっていかれている感覚。人間の身体にあっていない歯車に。

そしてこの自体を招いているのは僕自身であることに気付く。この生活を維持するために経済がつくられ、そして経済を効率的に動かすためにこの生活もまたつくられていることに気付く。この生活をささえるため、毎日毎日同じ場所に通って仕事をしなくちゃいけない。コンビニを24時間うごかすために。ハンバーガーをひとつ100円で買うために働かなくちゃいけない。この生活を維持する為に原発も動かさなくちゃいけなくなっているし、原発をうごかすためにこの生活を続けなくちゃいけなくなっているということに気がつく。

2013年7月20日21時23分

 

あのバイト生活。逃げたいとしか思わなかった。わいて来る感情は吐き気のみの生活。楽しい仕事なんて無えよ、とチーフが言っていた。なにかに見切りを付けて生きている人達がたくさんいた。

福島の事故で放射能が拡散してから、移住についてずっと考えている。「移住」というのもなんか違う。もっと「生活のありかた」そのものについて。

どこどこに行く、というと仕事はどうするの?そこで何するの?と聞かれる。生活の重心が「移動」ではなく「定住」にあり、そのせいでどこかに逃げようというきも起こらないし、土地のしがらみに振り回されたり、そのはてに思考がとまってしまう。日々の時間を費やすこと、テレビを見るとか(テレビみないで、普段なにしてんの?と言っているバイト仲間の人もいた)車を洗うとか、「旅行」にいくとか、誰が嫌だとか、誰が好きだとか、そういうことに意識が向けられてしまうんじゃないかと思った。この社会では「同じ場所に長くいる」というだけでステータスになってしまう。同じ場所に長くいるだけで、どんな人間でもそこそこの信用と力を手に入れられる。仕事を覚えて給料も上がるし、クビにされにくくなる。人が動かなくなるし、新しく入ってきた人もとてもやりづらくなる。その模様を、バイト生活で見た。

この1パターンだけが生活のありかたで、不満があれば見切りを付けてやっていくしかない、というのは我慢ならない。

もはや「ふつうの状態」という状態は存在しない世界になりつつあると思う。あらゆる状態は「状態a」「状態b」という風に並べられ、選択されるのを待っているように思う。そんな世界がみえる

 

リーダーには、リーダーの言うべき正しさがある。リーダーを糾弾するものは、リーダーを糾弾する者がいうべき正しさがある。リーダーの正しさと、それを糾弾する者の正しさは違う。

しかしいまは、そんな普通の状態ではない。歴史と未来の危機。「成長しなければ」という考えすら見直さなくちゃ行けないところにきていると思う。それに気がついている人もいるだろうに。でも、リーダーはそれを言ってはいけない。今の状態で、リーダーが「成長しなくてもいい」とは言えないのだろう。裸の王様になっている。

 

本当に面白い表現は「何かを志向している状態」のなかに宿るのだと思う。「何かをやりとげた状態」ではなくて、「何かをやろうとするその過渡的な状態が、表現に反映された」そのときに、表現は強く力をもつのだと思う。

2013年7月18日23時53分

 

ガーデンの方のバイトはこちらのシフトを申告することができるから、まだマシなのだけど、清掃のバイトの方は、僕の体調、予定、精神状態、天候に関わらず、必ず平日の毎朝に行かなくてはいけない。このストレス、精神的負担は尋常じゃない。この社会を動かしている歯車。人間の為につくられたものなのに、人間の身体を無視して設計された大きなシステムに、体の一部を奪われてしまった感覚。

どこかの企業に就職したら、こんな感じの生活になってしまうんだろう。そんなのどうかしてる。なんでみんな平気なんだ。どうでもいい。真剣に議論するに値する事なんて、滅多にない。どうでもいいことばかり。それをみんなで必死に話し合っている。トイレ清掃の時間短縮とか、日々の売り上げ獲得についてとか、バケツの排水のし忘れは連帯責任だ!とかなんとかかんとか。ほんとどうかしている。

 

目は、澄んできている。感覚は鋭くなっていると思う。中途半端につくられたもの、ごまかしがあるものがわかるようになってきた気がする。このバイト生活は、それ以前のぼくの作家生活を相対化してくれている。いまのバイト生活のほうが、彼女との関係がよくなったり、「応援しているよ」と言ってくれる人が増えたような気がしないでもない。増えた、というかその声がよく聞こえるようになってきた。みんな、自分より弱い者が立ち上がるのを待っているのだ。みんな驚きたいのだ。特に、自分より弱い者が立ち上がる事に驚きたいのだ。この時期に、何者でもない僕の事を応援してくれる人達のことを、一生大切にしていきたいと思う。

 

僕は理想主義者なのかもしれない。建築は人が使うものをつくる仕事だ。そこに自分の思想をのせて何かを表現しようとする人達。自分の傲慢を他人におしつける建築家たちと、それをもてはやしてスターに祭り上げる建築界の雰囲気が許せなかった。そこに入っていく事ができなかった。

現代美術家として活動してみて、ただ生きることを繰り返す日々から逃れるためにやりはじめたのに、それがまたするにルーティンワークになっていくことに気がついた。自分をコンテンツ化する作業。生産と消費の追いかけっこをする覚悟が足りなくて、自分の制作へのモチベーション維持に危機感を覚えた。自分で自分の作品を濁しているような感じがあった。作品の中に詰め込む「覚悟」が薄くなっていった。自分をおいつめるために、バイト生活をしてみようと思った。社会にまみれてみなければと思い、バイト生活を始めた。展示をいくつか断った。コンペや助成金などに応募するのをやめた。共同アトリエを出た。

ブコウスキーの詩にこんな感じの言葉があった

「俺は生きているけど働いていない

彼は働いているけど生きていない」

「働いているけど生きていない」という感覚。いまは、日々内圧が高まっているのを感じている。表現への欲求とか、有名になりたい気持ちとか、僕のことを笑っている、あきれてみている人達を見返してやりたいという欲求。

お金を稼がないと生きていけないということは知っていた。噂では聞いていた。

「目」は澄んでいった。何がヤバくて、何がヤバくないかを見極める目を磨く努力を怠ってはいけない。

 

最近読んだ本

遠藤周作「沈黙」「深い河」

ジャックケルアック「路上」

ジョンクラカワー「荒野へ」「空へ」

チャールズブコウスキー「ポストオフィス」「酔いどれ紀行」「尾が北向けば」「モノマネ鳥よ、俺の幸運を願え」

2013年7月9日24時25分

 

あっというまに夜になってしまう。

明日からはまたガーデンのバイトだ。

今日、家でずっと作業していることに耐えられなくて、渋谷までいって想田和弘さんの「選挙2」をみてきた。三時間ちかくある大作だったけれど、あっというまだった。「民主主義」にせまる。という側面よりは、「ジャーナリズムやドキュメンタリズム、当事者性と他者性、主観と客観などなどの、そういったかんじのもの」と「議会制民主主義・あるいは選挙というシステム」との関係にせまった映画という感じがした。映画を観ているぼくは当然、主人公の山さんに感情移入して、応援したくなるのだけれど、結局最後は(山さんの戦略不足もあって)9人中5人

が当選する選挙で落ちてしまう。という無情な結果に終わる。それが選挙なのだ、と思う。以前、衆議院議員選挙で自民が圧倒的勝利をおさめた時にも感じた絶望に似ている。自分達が、実は少数派なのかもしれないという不安。多数がどこにいるのか分らない感じ。投票率の低さ。

みているぼくは、山さんが当選するか落選するか「本当に分らないなあ」と思いながらみていたけれど、ふたをあけてみると、得票数は最後から2番目か3番目の、完全敗北だった。これをスクリーンの前のぼくは「これは結果がわからないなあ」と本気で思っていたのだ。

 

そして帰ってきて、9党の党首討論をやっている。安倍さんが一番まともに現実的なことをいっているように思えてくる。実際に政治を動かしているという自覚が、言葉から感じられる。それにしても、本当にこの社会はうまくできているなと思う。敵をつくることによってしか満たされない欲望は人間みんなが抱えていると思う。それを、実際に暴力にさせないで、敵を作りながら、国を発達させていくしくみというか、それがとてもよくできている。

外山恒一さんが言っていた「議会制民主主義は、革命や維新を防止する為のシステムである」。この民主主義の範囲内でいくらがんばって立ち回ったって、本当に革命がおこるわけではないのかもしれない。選挙では何も変わらないという感覚はここからきているのかもしれない。政治に飽きているというか、茶番に見えてきてしまっている、という感覚が(それは恐ろしい感覚だ。できれば持っている事を認めたくない)少なからずある。東浩紀さんがいつだったかツイッターで言ってたことが思い出される。

 

この国は、成長せずにはいられないようにできているらしい。本当の事をいう政治家が一人くらいでてきてもいいと思う。もうこれ以上の経済成長を望むのは、酷なことだと思うのに。

2013年7月9日(火)10時17分

 

表現者なら全員尊敬できる。

「命を救われた」というのは大げさかもしれないけれど、発狂せずに生きていられるのは、彼らのおかげだと思っている。

転覆を志向するアクティヴィストやピエロのような存在にはなりたくない。アクティヴィズムは、転覆への志向性そのもののなかに宿り、転覆が成功してしまったらそこで終わりだ。彼らのことはとても尊敬しているけれど。

ただ移動をしつづけ、土地や共同体への参加と脱退を繰り返し、たくさんの生活圏、コミュニティ、個人の感覚を、複数化していくこと。着陸したら出発し、出発したらすぐに着陸する。着陸したと思ったら、それは出発であったり、出発したものだと思っていたら、それは着陸であったりする。

 

 

この社会はお金を払う方が、サービスを提供する方よりも偉いという考え方があまりにも一般化している。

一週間という考え方を「人間」にあてはめたときの取りこぼしが多すぎる。

例えば「ある名付けられる以前の状態の存在。それは四つ足で、尻尾があり、足が早く、人や物を運ぶ事が出来る」を「馬」と名付けたときに取りこぼしてしまうものたちのために美術はある。

 

 

そのうち「全席優先席車両」なんかが登場して、働く者たちは狭い車両に押し込まれ、年老いて働かなったものたちが、ゆったりと席に座るのが当然のようになっていくかもしれない。

2013年7月8日(月)23時28分

 

毎日、同じ時間に同じ場所に通うことが、人の心に及ぼすもの。

「誰にも気付かれなければ、本人にさえ気付かれなければ、殺しは許される」

休む事は許されない。体の不調や、精神の不調で休むことは許されない。「あなたの都合で」休むことは許されないという無言の、強力な圧力。遊びの誘いを断る時でさえも「今日はなんか気分が乗らないからパス」という風に答えづらい。それはこの風潮、この圧力が人の心に及ぼした影響だと思う。

2013年7月5日(金)09時36分

朝の、清掃のバイトが辛くなってきた。毎日同じ時間に同じ場所に通うということが、こんなにも人を疲れさせるのか、と思う。

寝不足というのもあるけど、それ以上に、同じ場所に今日も明日も明後日も行かなくちゃいけないということがとても重荷に感じる。しかも、そこで僕は一人でただ作業をこなすのみだ。まずビルの裏口から暗証番号を入力して、中に入り、正面入り口を開け、エレベーターで地下一階に下り、鍵をとり、管理室の扉をあけ、そこで着替えて、ゴミ袋と掃除機とモップと、タオルやスポンジや洗剤が入ったバケツと、「清掃中」と書かれた黄色い看板をもって、二階に上がり、2階に入っているテナントの扉をあけて、なかのゴミ箱を全部ゴミ袋にうつし、掃除機をかけ、流し台をあらい、机をふき(ビルに入ってからここまで45分くらい)、おわったらテナントの扉を閉める。2階共用部のトイレを掃除(トイレは男女各五分以内がベスト)したら、1階に降りて、ロビーに掃除機をかけて、ガラス戸をふいて、1階のトイレを掃除し、地下に降りる。地下のロビーも掃除機をかけ、トイレも掃除し(地下にはテナントが入ってないから、トイレの掃除を毎日する必要はないはずだ)、そこまでおわったら、今度は1階と地下1階を結ぶ外階段に置いてある灰皿を掃除する。帚とちり取りをもってビルの周りを「拾い掃き」する。以上でおわり。これに加えて、火曜日は、ビルのオーナーの住居部分の掃除がある。

これを一人でこなすのみ。それを週に五日間毎日やる。一ヶ月で20回として、一年で240回やる。2階のゴミ箱は、8個くらいあるから、1年間で2400回ゴミ箱を空にしている計算になる。

僕は一年間もこの仕事を続ける気はないけど、当然これを続けている人達がたくさんいるのだ。世の中には、一年間で240回も灰皿を交換して2400回もゴミ箱を空にしている人達が、たくさんいることがわかる。

このバイトから帰ってくるのが、一日の中でいちばん辛い時間になっている。朝の9時の時点で、僕はへとへとになって、体をひきずっている。

僕は、こんな仕事には就きたくないと思うし、頼まれても就職なんてしたくない。でも、この会社にもたくさん社員はいるし、それを生涯続けたひともいるだろう。

それは才能なのかもしれない、と今日作業中にふと思った。僕には清掃員の才能は無い。という言い方ができる。清掃員の才能がある人がいる、という言い方ができる。仕事の多様性は、そのまま人間の多様性と重なる。でも、人間の多様性はもっともっと無限のものだし、仕事の多様性と重ねてしまうのがもったいないという考え方も出来る。とにかく、この社会は本当によくできているなと思う。

 

僕たちが移動と生活を分けて考えてしまうのは、家を持ってしまっているからだと思う。最近、ビアガーデンのバイト現場に、新しい人が2人はいってきた。新しい人が入ると、それまでいた人達は、「あたらしい人」という共通の対象が生まれる。そうすると、それまでぎくしゃくしていた関係がうまくまわりはじめたりする。人の移動と、それによる心境の変化を見逃さないこと。日々、参加と脱退をくりかえすこと。

2013年6月22日24時54分

 

今日、ガーデンのバイトにいく前に新橋の鉄道歴史記念館(だったかな)に行ってきた。

ジオラマの企画展示を見に行ったのだけど、とても見応えがあった。時間がなくてぜんぜんゆっくりみられなかったから、今度また時間をとっていこうと思う。

ここで思ったのは、ジオラマにいまいちリアリティが持てない(限られた世界の中の技術の比べ合いになってしまっているように見える)のは、僕達がふだん目にしている実寸のスケールから、一気に、ジオラマ内の世界の縮小されたスケールに飛躍してしまうからだと思った。あいだに、緩衝材がないから、そこが別の世界のように見えてしまう。目の直前では実寸大だけど、目から離れるにつれて縮小率を大きくして、ほんの数センチ先のものを、数百メートル先にあるようにみせる。そうしていったら、どんなふうに見えるのだろうと思った。まあだれかがやっていそうなことだけど。

その後バイト。終業後の終礼で、「女子達がぜんぜんうごかなくて嫌になる」的な話を、チーフと、男子スタッフ一人とはなしていた。僕は、全部どうでもいいと思っているし、全員が出来すぎるのもつまらないからこんな感じでいいんじゃないかと思っている。ああ、いま気がついた。彼らは「効率を上げる」ということを無意識のうちに目指そうとしているのだ。演じているのだ。この社会で生き残る為に、無意識のうちに演じている。例えばチーフは、なにか注意することをみつけなければ、と思っている。例えばそこに同席した男子スタッフの人は「自分はできている」という前提で話している。あまりにもその前提で話すものだから、こっちとしても「この人はできていて、他が出来ていないせいなのだな」という考えにすこしずつ変わっていってしまう。面白い。

チーフの方は、これは僕が塾講師のバイトの研修をしたときに、体験授業後の親子面談で、「娘さんはとても飲み込みが早いし、賢いです」的なことを母親にいって、その親子は帰っていったんだけど、その後その塾の先生(社員)から「何か弱点を指摘してあげないと」と言われたのと同じだ。「これが仕事になるのだから」「これがおれの立場なのだから」という、社会的な刷り込みをさせられている。

 

出来ない人間をできるようにするには、「やれ」「もっと動け」と注意すればいいというものではない。それは、「効率的じゃない」。すべて自分の問題なのだ。他人に期待したらダメだ。人がやらないのは、自分のせいなのだ。

6月21日(土)25時25分

 

ここ数日間ずっと雨が降っているか曇っている。じめじめしている。

夜、布団について、あとは寝るだけっていう時に、窓から雨の降る公園を眺めるのはとても気持ち良い。

雨が降ると、ビアガーデンはたいてい中止になる。

今日も一日雨が降っていた。世間的には、今日は金曜日で、予約もたくさん入っていたのだけれど、この雨には、金曜も土曜も平日もクソもないから、関係ないのだ。僕はバイト先で、雨の降る外を眺めながら、もし、僕達人間の世界の金曜日が、一日ずれていたら。つまり、この歴史の最初に曜日を定めるのが、あと一日遅かったら、今日はまだ木曜日で、この予約もそんなにたくさん入っていなかったかもしれない、なんてことを思っていた。

とにかく今日はつかれた。昼寝をしていない。今日は、清掃のバイトから帰ってきてすぐに小津安二郎の「秋刀魚の味」を見たのだ。素晴らしかった。カメラワークと、構図と、脚本、台詞の言わせ方、こまかい動作や小物の配置など、すべて計算されていて、観た後に、強く「体験した」という感じがあった。

映画もだけど、最近、本を見まくっている。実家に帰るまえよりもはるかに速いペースで読んでいる。ひと月に4冊か5冊くらい。次読む本が無くなってしまうのがこわいくらいだ。たぶん僕は、かつて体験した事のない、いまのバイト生活で、精神的なバランスをとるために読んでいるのだと思う。本の中にのめりこむことによって、いまの、フリーターと化して働きまくっている自分を、対岸に置いて、相対化しようとしている。そうせずにはいられないのだと思う。いまのところ僕が読みたいのは、物語に限っているし。

2013年6月18日(火)25時24分

 

今日も一日バイトであった。ビアガーデンのバイトでちょっと久しぶりにチーフに会う。この人がいろいろ細かいことをぶつぶついってくる人なのだけど、今日も相変わらずであった。僕は、この方法は、スタッフを育てるのに有効な方法ではないと思う。僕は支配人のやり方の方が好きだ。まずは、自分で考えさせて、うまくいけば褒めて、失敗したらその責任を自ら取る、っていう方が断然効果的だし、部下からも好かれると思う。支持をだせばそのとおり動くというわけではないのだ。人間は。それぞれに誇りを持っているし、それぞれ得意な「やりかた」があるし、自信もあるはずなのだ。いろいろ細かくいわれるせいで終始緊張してしまい、うまく体が動かなくなるせいで自分の力が十分に発揮できず、それでまた怒られてしまうという循環に陥っていると思う。

 

猿がだんだん立ち上がって、人に進化していくあの図で、人の後にお墓があるという絵が思い浮かぶ。