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近くの逆川という川で釣りをしているおじさんを、4人のおじさんが眺めながら話をしている。良い。

毎度思うけど家を置いてある場所で近所を散歩すると、その土地で暮らしている人たちの営みが、細かいものまで輝いて見えてくる。家の前を掃除しているおばちゃんとそこを自転車で通過するおばちゃんが、天候を話題にしながら挨拶を交わすところや、家の中から聞こえてくる子供の声や、野菜や豆腐なんかがたくさん入った袋をぶら下げてあるいている買い物帰りの人や、そういう全ての動作にそこで生活を営んできた時間が反射されているようで、まぶしい。

今日は昼頃に柳さんの家を出て、流山の方へ向かう。田谷さんが流山近辺で家の置き場を探してくれていて、いろいろと呼びかけてくれていた。すごい。感激。

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道中、カーブミラーにうつった姿を自撮りしてみる。面白い。

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いま僕の「顔」はこの「家の外観」にあたるので、 外の窓ガラスやカーブミラーを通さないと自撮りができない。街に反射させないと自分が撮れない。家で移動していると、大きな窓ガラスの前を通っても、自分の姿がうつらない。家がうつるだけ。自分の体が消えてしまう感じ。体を「家の外観」という公共の中に消失させる感じ。

三郷のあたりはヤンキーやらが多いから気をつけてと聞かされていたので、絡まれたときの対処法をいろいろ考えながら、あぶないやつとすれ違わないように、キョロキョロしながら移動していたのだけど、幸い全く絡まれなかった。というか途中の道がほとんど畑や田んぼで、車とはよくすれ違ったけれど人とはほとんど会わなかった。

4時頃に江戸川を渡って流山市に入る。今日も16キロ移動した。からだがけっこう疲れているのを感じて、もうこの辺で探そうと思って歩いていたら赤城山 光明院という大きなお寺を見つける。

そこでチャイムを押して

「通りすがりのものなのですが和尚さんいらっしゃいますか?」

と切り出して、交渉してみる。そしたらとても面白がってくれて、快諾してくれた。

 

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家を置かせてもらいご飯を食べに外出して帰ってきたら、ビールとミネラルウォーターの差し入れがあってびっくりした。和尚さんは僕のこのブログも見てくれたみたいで、そんな人と一回のチャイムで繋がれた。嬉しい。

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昼ごろに浦和の齋藤先生の家を出発。
昨日、高貫が連絡をとってくれて「うちとまっていいよ」と言ってくれた、越谷の柳さんの家に向かう。高貫と柳さんは、KAPLという越谷のスペースで知り合った仲らしい。電話で話していた時点で僕の話を聞きながらめちゃ笑ってくれていた。
浦和から16キロくらい北東に進むんで、越谷に着く。途中ガラの悪めな中学生くらいの男三人組とぶつかりそうになる(相手が三人横並びで、全くよけようとしない)が、かわす。

6時過ぎごろに柳さんの家に到着。近くのスーパー銭湯に連れて行ってくれた。
ゴールデンウィークの最終日ということもあって、小さい子供をつれた家族連れ(3世帯や2世帯のグループ)がたくさんいた。明日息子家族が帰ってしまうから、最後に大きな銭湯でも連れて行ってやろう、という人がたくさんいるんだろう。そしてお父さんの方は明日から仕事なのだ。誰もがイメージしやすいゴールデンウィークの過ごし方。小さいころ、神奈川に住む従兄弟の家に家族で遊びに行ったことを思い出した。
柳さんは昔から旅人でバックパッカーで、日本は全都道府県行ったし、アジアのいろんな国もまわっているらしい。イスタンブールに行った時に、アジアとヨーロッパの境界線がそこにあることを感じて感激したという。海峡の向こうとこちらで、生活水準が違ったという。

なんで家に車輪をつけないのかとよく言われる。確かに下に車輪とかつけたら運ぶのはずっと楽になるのだろうけど、どうも気がすすまない。なんでか考えてみると、それは「家と呼ばれるものを動かして見せる」こと。正直いって邪魔だけど、引きずってでも動かしながら生活して見せること。この「見せる」ことのために、文字通り人力で持ち上げながら移動する必要があった。車輪等をつけてはいけなかったのだ。
今から思えば屋根が瓦なのも必然だった。瓦は重くて、家を地面におしつけてるオモリのようなものだから。それが乗った家を人力で持ち上げて移動する。そうする必要があった。
それと今日、車にぬかれるのが、なんだかいちいち腹立たしかった。あんなに重くてかたいものが、あんなスピードで動いているのだ。速すぎて危なすぎる。

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今日家を出る前、田谷さんが僕の今後数日間の家の置き場についていろいろ一緒に考えてくれて、計画を立ててくれた。嬉しくて面白い。

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とりあえず今日は、浦和にある喫茶店とギャラリーを兼ねたスペースに行ってみよう、そこなら多分大丈夫だろうということになり、高貫と一緒に歩いて向かった。田谷さんは後から自転車で合流。
12キロくらい移動した。

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さいたま市に入る

夕方、お店が閉まってから店に家を置かせてもらう交渉をしたところ、なんとNG。ここはもっと早く聞くべきだった。本当は昼間までにこういうところをあたつて、もしダメだったら神社や寺にあたるのが良いのだけどもう夜で、どこの神社も寺も閉まっている。たぶん置かせてもらえるだろうという考えが甘かった。
すこしあせったけれど、田谷さんが僕以上に焦って「落ち着こう落ち着こう」とか言っていて、なんか楽しくなってくる。田谷さんもなんか楽しそうに見えたけど気のせいか。

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いろいろと電話かけたりメールしたりしてくれた。
ツイッターで呼びかけてみたら、大学時代にすごくお世話になった建築家の先生自宅が浦和にあるという情報を知り、連絡をとってみたら快諾してくれた。
田谷さんが、僕以上に実感のこもった「よかった!」を言ってたのが面白い。

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ただしいろいろ事情があり僕はその浦和には泊まらずに、再び新座の田谷さんの家に帰ることになる。

朝7時半ごろに神社を出る。6キロくらい北上して、新座付近に着いたのが9時過ぎくらい。

このあたりは野火止用水というのが走っていて、用水沿いにきれいな緑道がある。ゴールデンウィークっていうのもあって、人はあんまり歩いていなかった。ときどき犬の散歩をしている人や、散歩している人やランニングしている人が通る。そんな用水沿いにいったん家を置いて、近くの家の絵を描いていたら、女性が突然、えらく目を輝かせて「あの家は何ですか?」と話しかけてきた。事情を説明したら「私も現代美術が好きで、自分でも絵を描いたりしてるんです」という。はなしているうちになんか盛り上がってきて、もしよかったら今晩家を置かせてもらえないか、と聞いてみたら、なんとオッケーしてくれた。旦那さんと二人で、このすぐ近くに住んでいるらしい。

夕方もう一度落ち合う約束をして一旦別れる。

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家を近くの公園に移動して、絵の続きを描く。家を置いといたら、大人も子供も近づいてきて、ドアを開けたりして遊ぶ。僕がそばにいてもあんまり関係なく遊ぶ。公園の遊具かなにかだと思うのか。

子供のグループが集まってきたので

「遊んでもいいけど壊さないでね」と声をかけると

「え!お兄さんがこれつくったんですか?」

「そう。これで移動生活をして絵を描いてまわってるんです」

「それは…。とてもユニークですね!」

と、一人やたら食いついてきた子がいた。中 1、小5、小2の3人グループで、兄弟でも、家が隣り同士とかでもないけど、よく一緒に遊ぶらしい。いいな。

中1の子は生意気にも彼女がいて、二人でディズニーランドにも遊びにいったらしい。その子がこの活動にやたら食いついてきて、他の子が「暇だよ。早く○○の家行こうよ!」とせかすのだけど、その中1は「お前にはアートというものがわからないのか」と言って聞かない。その後「俺もわかってないけど…」と付け足した。

10分くらい僕が絵を描くのを眺めて、ようやく「それじゃ。このご縁は忘れませんよ」と言い残して去っていった。

 

そのあと、武蔵美を出て高校の美術教師をやってる高貫から突然電話がかかってくる。いま新座にいると言ったら、遊びにきてくれた。いろいろと近況を聞く。1年以上会ってない。彼女は学校を卒業してから教員になるまでが決して一本道じゃなかった。仕事が楽しいと言っていた。良かった。

 

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その夜、田谷さん夫婦と新座駅前の居酒屋で合流。高貫も入れた4人で飲む。

田谷さんの奥さんの方は絵を描いていたり銅版画をやっていたりする作家さん。

http://hakobunedoh.com

旦那さんは編集者でロック好き。

若い頃「あの年のあの場所のライブ音源がヤバいらしい。聞きたい」とビートルズやストーンズの海賊版を買ってきては「ハズレだ」といってがっかりしたりする。音楽を探すにあたって、そんなルーレット的な感覚は僕は味わったことが無い。youtubeと、早い回線があれば音楽をデータにして持ち歩く必要すら無いと思っていたけれど、そもそもyoutubeにたくさんの音源がちゃんとあがっているのは、そうやって買い漁ったりして音源を手に入れた人たちのおかげなんだろう。

いろいろと話を聞きながら、ご夫婦2人がバトンタッチしながら話す感じが面白くて、一緒に過ごした時間の長さを感じた。奥さんはシュタイナー好きらしく、高貫も好きなので、話が盛り上がったりする。
僕が「家で歩いてる時はすごく暇。そして不思議なことに、自分が動いている感じがしない。世界が後ろに流れて行くような感じがする。」
という話をしたときに田谷さんが、それはタオイズム的だという話をしてくれた。地球の運動に合わせて、早すぎず遅すぎず動いている感じ。世界がこっちに向かってきて、こちらも世界に向かって動いている感覚。その解釈はシュタイナー好きな田谷さんだからできるような気がして面白い。僕はシュタイナーをちゃんと通ってないのでもっと本とか読んでみようと思った。

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家をマンションの通路の隅っこに置く。ぴったりとはまってくれた。

 

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写真を撮る二人

 

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ふとん。ロスコやコーネルの画集やシュタイナーの本や「半農半X」や大竹伸郎さんのエッセイ集やら、いろんな本があって、なんかどんどん持ってきてくれるので、それらを眺めながら寝る。

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北上開始初日。

11時ごろに起きて、甲谷くんのところを出発。ここから北上を始める。当面は、茨城県常陸太田市で友達がやっているレジデンスを目指してみることにする。iPhoneで常陸太田までのルートを調べると160キロくらい。一日15キロくらい進むとして、10日間くらいで着くはず。これからの移動は、東京と違って家を置かせてもらうアテが無いまま進むので、早めに出発してなるべく早い時間に家の置き場を探し始めないといけないのに、絵を書き終わったのが14時くらいで、出発が遅れてしまった。

17時くらいに清瀬市内で神社を見つけた。まだ10キロくらいしか移動してないけれど、もう日も暮れそうなので、そこの駐車場に一晩置かせてもらえないかお願いしてみた。宮司さんに事情を説明する。こういうとき「画家」というとすこし話が通じやすい。宮司さんは、すこし厳しさも見せつつどこか慣れたような口調で

「わかりました。いいでしょう。ただ何もありませんよ。水もトイレも使えません」と言ってくれた。良かった(前にも書いたけれど、この時が一番嬉しい)。

そのあと

「朝は何時ごろ出発するんですか?」

「特に決めてないですが8時〜9時くらいですかね。そちらの都合に合わせます。」

「そうですか。こちらとしては、なるべく早く出ていただける助かりますね。」

「そしたら、早めに出て行きます。」

「一応、何かあったときのために連絡先を教えていただけますか。」

(名前と電話番号を書いた紙を渡す)

「なるほど。こういうとき、何かあったら全て責任は僕が負いますっていうようなことを書いた誓約書とか、用意しておいたほうがいいよ。信用されないよ」

「ああ、なるほど。すいません。」

というような会話をする。

近くのコンビニでおにぎりを買ってきて食べ、その後銭湯にいく。家を置いて、外出するのがとても気持ちよい。このあたりは、いままで一度も来たことが無い。緑がとてもおおいところで、風が強い日だった。昨日までの日記を書いて寝る。風が強くて何度か起こされる。

田原さんが授業のために武蔵美に行くので、僕も家を持って武蔵美まで遊びに行く。

大学時代の恩師の土屋公雄先生と会う。成り行きで、土屋先生が担当している学部2年生向けの「基礎造形」という授業で軽く話をする。

2,30人という少し多い人数を相手に話をするのは、何年か前に武蔵美で授業をした時以来。あの時はえらい緊張して、うまく話せなかった記憶があるけど、今回はすらすらと言葉がでてきた。僕は途中まで、学生たちの反応を見ながら話をしていたけど、みんながあまりにポカンとした顔をしているので、最後はもう勝手に喋っていた。
終わりぎわに土屋先生との対談のような形になる。先生は僕が「旅」という単語を使ったことをとりあげて(そもそも旅っていう単語をどこで使ったかを覚えてなかったのだけど)、こういう問いを立ててくれた。
「旅は、帰るところがあるから旅という。ジプシーは旅という言葉をつかわない。君の活動を旅というなら、帰るところはどんなところなのか」
そのときなんと答えたかはよく覚えてないけど、僕はこの制作活動に対して、飛行機のフライトのようなイメージを持っていて今は離陸したばかりのような状態にある。離陸した飛行機は着陸しなくちゃいけないから、いつかこの活動にも終わりを設ける。フライト中は上空にいるからこそ見える景色というのはあるはずで、それがいま僕が描いている家の絵にあたる。フライト中になるべく多くの絵を描きためて、着陸後に展覧会を開いて、フライト中に描いた絵をそこで観せる。あの生活圏から飛翔して、あの生活圏に舞い戻ってくる、それを旅というならそうなのかもしれない。

また土屋さんは僕の「この発泡スチロールの家は、邪魔でしょうがない」という発言を「とてもリアリティがある」と言い、えらく気に入っていた。それから自分の家族構成(娘が2人いる)の話をしてくれた。
子供が小さい頃のための間取りの家は、子供が大きくなったら不要な部屋ができたりする。生きているうちに家に対する見え方が変わっていった。でも家は車なんかと違って、簡単に取り替えたりできないものだ。それは家が不動産だから。
また、家は建てたばかりの時はいいけれど、いつか古くなり、そのうち壊すのにお金がかかる、邪魔なものになっていく。いま日本には670万戸もの空き家があり、それが問題になっている。建築学生の君たちに対してこんな話をするのは嫌だが、これから新しいものを建てる必要なんてあるのか?
というような話をしてくれた。僕の「家が邪魔な感覚」というのを空き家問題にダイレクトでリンクさせる飛躍はすごいな。

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その後田原さんの家に戻る予定だったけれど、土屋さんの提案で土屋ゼミの大学院生の甲谷くんの家に、家を置かせてもらうことに。
そしたらその彼が翌日誕生日で、友達がサプライズの誕生日パーティーを開くのを目撃した。

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学生が男子のみで誰かの家に何人か集まった時の、うだうだとした感じを久々に目の当たりにして、なんか新鮮だった。大学一年生のとき「ぬるま湯」と称して、男何人かで一人暮らししてる奴の家に、用もなく入り浸って酒を飲んでいたときの、非生産的な日々の単なる消費みたいな、そんな時間を過ごしていたことを思い出した。あの時に戻りたいとは思わないけど、あの何も考えてない時間への憧れはいつもあるな。

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家は今日も田原さんの家に置かせてもらう。ただし僕は外泊。前にも一度あったけれど、外泊も全然ありだ。家がおかれている場所を起点として生活が展開されるから、僕は何かルール(例えば「夜は自分の家で寝なくちゃいけない」等)を自分に課す必要は無い。

明け方近くまで、別の人の家で、ある話を聞いていた。深刻な話を聞きながら、頭にはいくつも言葉が浮かんできたけど、そのほとんどの言葉は口から先には出せなかった。良い言葉が浮かんだとして僕がそれをいったところで何になるのだろう。
人が自ら死を選ぶとき。「生」から「死」への決断を下す瞬間。大事な天秤が耐えきれずに傾いてしまう瞬間。その心境を想像しようとすると、こわくて最後までできない。

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今日も田原家に家を置かせてもらう。夜に西荻で人と会う。勤めていたデザイン会社を昨年辞めてフリーランスでやり始めた人と、勤めているデザイン会社を今年中に辞めようとしている人。辞める人ばっかりで面白い。

時間が経つのが早すぎて、過ぎ去った後にしか、それと認識できないみたいだ。考えれば考えるほど、あらゆる物事が不安の種になって、すこし気を緩めるとおそってくる。
全ての条件をあらかじめクリアした奇跡のような一手は思いつかない。無理ははじめから承知だった。生まれたときから理不尽の中にいると、とっくに発見したはず。他に方法がない。いつかパラパラと駒が翻る。形勢が逆転する。

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今日は久我山から国分寺まで移動。先日メールをくれた先輩作家の田原さんの家に家を置かせてもらう。
夜飲みながら話をする。僕も田原さんも建築学科を出て美術に転向した共通項がある。昔の共通の知人の話など。
3日までは家を置いておけるよ、と言ってくれる。嬉しすぎる。

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今日は西荻窪の家から20分くらい歩いて、久我山の友人の家(というか、友人のマンションの部屋のドアの前)に家を置かせてもらう。
夜、20分くらい歩いたところにあるスーパー銭湯に行く。その友達は引越しを考えていて、「ここは静かでいい」とか「ここは車の音があるから嫌だ」とか「駅から近すぎるのもちょっと、、」という話をしながら銭湯に向かった。引越しの理由は、基本的には飽きたからということらしい。
共通の友達が、働いていた会社を辞めたという話も聞く。これは意外だった。そういえば前に別の人と「自分が働いている職場の人を見て、なんでみんな仕事に飽きないのかと思う」という話をしたのだった。
でも何をどうしたって、何かを続ければ飽きるようにできている。でも継続は力なり、という事実が他方にあって、その間で揺れ動く。揺れ動くようにできている。
ローリングストーンズのキースリチャーズがすごいのは、自分のギターが上手くなりすぎないように注意しているとしか思えないというところにある。と誰かが言っていたのを思い出した。ライブでのギターソロの映像なんか観ると、確かに素人っぽい初々しさがある。
http://m.youtube.com/watch?v=LI8WGX3afDs

明後日まで家を置かせてもらうことに。

いつだったか。仕事終わりにお酒をのむために仕事をする、そして年が過ぎていく。そんな人生だったら悪くないな、と彼女がいっていた。彼女がそう言ってるのを聞いたら、ぼくもそう思えた。閉じた生活とはどこかで気がつきつつも、それを受け入れて、日々を過ごして、その中で楽しいことをみつけていけるのだったら。僕たちはみんな一人で死んでいかなくてはいけないから、人と人の間には深い断絶がある。だから誰かといっしょに時間をすごす以外に、有意義な時間はありえないのだから。それ以外に、誰かと過ごすこと以外にやることなんて1つもないのかもしれないのだから。
あの生活を否定するつもりなんて全くない。ただ、これはたぶん業のようなもので、僕はこうせざるをえない自分を恨みさえする。

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(翌朝撮影)
今日は西荻窪に住んでる友達のマンションの駐輪場に家を置かせてもらう。

西荻に行く前に、家は中野に置いたまま、展示を二つ観にいくために外出(家を置いたもま外にでる事)する。
一つ目はギャラリー間でやってた乾さんの研究室の展示「小さな風景からの学び」
これは疲れた。。展示を観にいくつもりで行ったのかちょっと間違いだったかもしれない。展覧会としては全然良くなかった。写真が小さすぎ&写真同士の間隔が狭すぎで、一枚一枚の写真が頭に入ってこない。ただ、膨大な写真を分類しました。というだけの作業量をみせられた感じ。すごい作業量だと思うし、この分類をやった学生たちは、引きだしが増えて今後設計する糧になると思うけれど。。それで?っていう感じ。最終的なアウトプットは、映像とかのほうがよかったんじゃ。それか、この作業をやっと人と一緒に観るべきなのかもしれない。そしたらいろいろ話ができただろう。
見ているうちに、動機が激しくなって、体がだるくなってしまって。一枚一枚をみたいのに、他の写真が視界に 入ってきすぎて全く集中できない。分類したという作業そのもののを量として置いただけの展示。これをやった当事者たちは、この会場で何時間も話ができるだろう。その議論こそを見てみたかった。

その後国立新美術館で中村一美展。存在の鳥と題されたシリーズがずらっと並んだ部屋があるのだけど、そこがやばかった。民芸品を並べたような雰囲気。鳥の図像の絵画。
カタログをめくっていると「飛翔しないものは存在ではない」という言葉があった。ポロックなんかのモダニズム絵画は、単なる画面の構成としての 絵画の枠を出ない。そこには飛翔がないとした宣言から、画家としての制作を始めている。なんとなく古臭い感じは否めないけれど、作品点数の多さと絵の大きさに圧倒される。

その後中野駅で人と会い、5月4日放送予定のテレ東の番組の進行表を見せてもらう。僕は7日にたまたまカメラに出くわして、VTRで出ることになったのだけど、その進行表に書かれていた僕の紹介に「奇人」と書かれていて、吹き出しそうになった。
奇人か。そうなっちゃうのか。だれか個人が悪いわけではないのだろう。テレビというメディアの体質の問題なのだと思う。面白い人を見つけて、それを多くの人に紹介したいという気持ちが最初にあるはずなのだけど、それをテレビでやる以上、いろいろと、視聴者にわかりやすいように(時に過剰に)噛み砕くように編集をしないといけないんだろう。

同じような理由で僕は「娯楽(エンターテイメント)」という言葉が嫌いだ。それをやっている彼等は、彼等の人生をかけて、命をかけてそれをやっているはずだ。それを平気で「娯楽」呼ばわりするのは失礼だと思う。彼らが命をかけてやっている以上、こちらも誠実に受け止めなくちゃいけないと思う。
本当にそれを楽しんでいたら、「娯楽(エンターテイメント)」なんていう言葉は出てこないはず。
僕は僕が好きな音楽や映画を「娯楽」とか「趣味」とか呼びたくない。僕はもっともっと切実な理由で音楽を聞いて、映画を観ているつもりだし、それは死なないためにでさえあると思ってる。

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道中、電線がごちゃごちゃした一角を見つける。

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今日も茂原のいえに家を置かせてもらう。バイト先の馬喰町arteatというカフェ兼ギャラリーに行ってご飯を食べて、仕事用の絵を一枚描く。

夜に人と飲みに行く。新宿で。久しぶりに来ると、本当に人がたくさんいるんだなあと、馬鹿みたいな事を思う。みんなが、みんなとぶつからないように歩いている。
みんな必死だ。人にはそれぞれにしか分からない切実さがあるから、誤解を恐れて話ができない事もあるのだ。話がしたくないわけじゃない。とってもしたい話があって、それは本当は、他のどの話よりも真っ先にしたいのだけど、あまりにその話をしたいがために、誤解のないように伝えたいので、結果話ができない。だから、触れないで置いた方が良いこともある、ということになってしまう。
アクトオブキリングで、あそこに映っていた彼らは、言葉を使いこなすことを初めから諦めていたようにも見えた。知らず知らずのうちに、本当に話したいことが自分でも思いだせなくなる。「思い出せない」ということにも気がつかない。

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僕の家の中に街灯の光が差し込んでた。