5月の浅草は、週末どこかしらでお祭をやっています。

それで僕も先々週末は三社祭、先週末は石浜神社例大祭に参加しました。

僕が住んでいる町会は三社祭の対象範囲(というものがあるらしい)ではなかったので、別の町会に混ざって参加したので、朝から晩まで神輿だけ担いで帰ったような感じでした。

 

対して先週の石浜神社の方は、住んでいる町会が直接関わってるお祭りなので、どっぷりと参加できました。

町会内で青年部とか婦人部とか役員とか、いろいろとグループ分けがされていて、青年部は神輿を担いだり人を集めたり、準備・進行・撤収全般の担当で、婦人部は期間中のお料理やお酒やおつまみの用意に奔走していました。「役員」と呼ばれている人達の役割がいまいち掴めませんでしたが。。

そして、それらのグループに参加する条件はただひとつで「みんなと顔なじみになる」という事です。

お祭りに参加するということは、地域社会の一員になりきるということです。祭の三日間は、日頃営んでいるそれぞれの日常を抜け出して、「守られてきた地域のルール」に縛られながらそれぞれが役割をこなす、というスイッチにみんなが切り替わります。そこで、自分は1人の人間であって、それ以上でもそれ以下でもないということを痛感しました。

最初はそれが辛かったのですが、終わってみると「どうしようもなく1人の人間であるということ」を強烈に実感できた三日間だったなと思います。それは、参加した一人一人みんなが輝く日々でした。

飲み会の席で、若造の僕たちに「きみたちはただ座ってるだけじゃだめだぞ(他のテーブルに挨拶まわれ)!」というおじさんもいれば、他のテーブルに挨拶してまわっている僕たちに対して「いいよ!自分のとこ戻れよ!気にすんなよ!」と、別のテーブルから叫んでくるおじさんもいました。みんながみんな、愛をもって接してくれているのを感じました。

 

「守られてきた地域のルール」に縛られながらそれぞれが役割をこなすというのは、個人主義とはかけ離れた雰囲気です。「全体の雰囲気を読みながら、全体が進行していく」という雰囲気です。

そのせいか、時間の区切り方が「ぬるっ」としてました。期間は三日間だと書きましたが、このあいだに僕たちがやった事は、極端に言うと「神輿を担ぐこと」と「神輿を担いだ後に休憩したり、挨拶したりする」の二つしかありません。神輿は一日3〜4回担ぎますが、一回40分〜1時間くらいです。なので、待ち時間がとても長くなります。僕はその時間を気持ち悪く感じてしまったのですが、この祭はもう千何百年もこの雰囲気でやっているのだと思うと、気持ち悪く感じる自分、大丈夫かな、と思ってしまいます。

何時何分から〜をやるらしいから、何分に集合ねー。

みたいな約束は有効じゃないことが多いです。時間ではなくて、「誰々が来た」とか「人が集まって来た」とかっていう雰囲気で、プログラムが進行します。「全体の雰囲気を読みながら、全体が進行していく」と書きましたが、「"個"がどうでもよくなってしまって、全体にぬるっと吸収される感じ」です。

また、お神輿は「神様と人間関係と重力の美学」です。お神輿の渡行(とぎょう:担いで歩く事)に参加するということも、「"個"がどうでもよくなってしまって、全体にぬるっと吸収される感じ」です。足並がそろわないと前後の人を妨害してしまうし、身長が高い人は屈まないといけないし、低い人は、肩に何かはさんで担いでいました。みんなに合わせて声も出さないといけません。これは強烈な体験です。

 

こんな雰囲気が嫌だったり、細かいルールに従うのを嫌って、お祭りに参加しない人もいるのだと思います。

また、参加したくても参加の仕方が分からない人もいました。

最近できたばかりのマンションの5階に住んでいるという夫婦は

「祭やってるなんて知りませんでした。私達も毎月家賃と一緒に"町会費"というのを払っているのに。。この祭にはどうやったら参加できるんですか?」

と話していました。これは町会の広報や人の集め方の問題だと思います。また、"マンション"という住まいの問題なのだと思います。

顔なじみが世代交代しながら祭を運営していく以上、どうしても、地域の人の輪は閉じてしまいがちなのだと思います。地上から離されたマンション住まいの人はなおさら、地域に入っていくのは難しいです。仲立ちする人が必要です。

 

むらかみ

◯玉音放送の「堪え難きを耐え、忍びがたきを忍び」って言葉、それまでの戦争での国民の苦労をねぎらって「よく耐えてくれた」っていう文脈かと誤解してたけど、そうじゃないんだね。

ポツダム宣言を受け入れてしまう以上、これから私達が受ける苦難は計り知れないし、悔しい思いもたくさんするだろうけど、いずれ来るはずの平和な未来のためにいまは「堪え難きを耐え、忍びがたきを忍び」生きる決意をしようっていう意味だね。すごい!

そんな堪え難きを耐え、忍びがたきを忍んだ決意をした人達が描いた未来の世界に生きてる僕は、彼らに対しての責任を取れた生き方ができてるか。

 

 

◯ 気仙で「くっつきハウス」をやるということと、東京で「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」とか今構想中の「家主リレー(仮)」「シフト性のお茶会(仮)」をやるということは、言ってしまえば同じことのはずなんだけど、なんでこんなに出来上がってくる形が違ってくるんだろう。いずれも、「自らの社会的な立ち位置を知るための場の演出」っていう言葉にまとめられるはずなんだけど、大船渡で家主リレーとかやっても、あんまり効果的ではないような。「家主リレー」は、人がランダムに触れ合う色が強い。

いまある多くの仮設住宅は役所による抽選で近所に住む人が決まってしまうので、すでに人がランダムに振り分けられている状況にある。そこでもう一度ランダムを持ち込んでは効果がない。

あと、「社会的立ち位置」のなかの「社会」ていう言葉の指す範囲が違う。気仙での仮設住宅村でいう「社会」は、おなじ仮設住宅村に住んでるみんなを、改めて「地域社会」と呼ぶことにしよう、という意図がある。

比べて東京では、町を歩いている人に試しに適当に話しかけてみてると、たぶん一人一人ごとに、様々な社会(クラスタ)で生きてる人と当たる。東京では「住んでる場所」で、その人が生きる社会が全て決まるわけじゃないから、むしろ「場所と時間で縛る」ていうルールを加えるだけで、「自らの社会的な立ち位置を知るための場の演出」が成り立つ。

 

東京では、人生観が変わるような奇跡的な出会いの可能性が、自分から半径50メートル以内とかにいつも転がってるのに「いつもどおりの自分」が立てる予定の中だけで生きていては、気がつかない。奇跡と出会うためには自らの予定を、予定を超えた所で立てなきゃいけない。

 

東北の仮設住宅では、抽選によってランダムにご近所が決まってしまって、それが原因で問題になってもいるけど、東京では、人はもっとランダムに振り分けられた方が、奇跡と出会えると思う。

 

東北の仮設住宅では、抽選によってランダムにご近所が決まってしまって、それが原因で孤独死が起きているけど、東京では、人がもっとランダムに振り分けられないばっかりに、自殺や過労死が起きているのかもしれない。

けせんふぇすの期間中、大船渡の海の近くの公園(近くの建物は津波で流されちゃって何もないようなところ)、にくっつきハウスをつくったから、そこで一泊してみたんだけど、そしたら怖い夢をみたんだった。
もうだいぶ記憶も薄れてるんだけど、知らない人がすごくたくさん、満員電車くらいの密度で出てきて、なんかギクシャクした奇妙な歩き方で、僕の前を通り過ぎたり、前から迫ってきたりするの。その人たちは、僕に対してあんまり友好的な態度じゃなくて、ちょっと攻撃的な態度のようにもみえた。
それで夜中に起きちゃって、こんなところで軽い気持ちで寝たのは失礼だったなと思った。翌日、すこしお祈りをして、もうこんなことはやめようと思いました

自分を「アーティスト」とか「営業課長」とかって名乗りはじめた瞬間から、自分という人間を、社会的に「納得がいきやすいグループ分け」のなかに括り付けてしまって、そのときから、その人の「この現代社会の構成員としてのワタシ、スタート」みたいな。あとはその役を残りの人生でどれだけ演じ切るか
おおくの職業は、この社会の継続のためにつくられた「役柄」であって、その「キャスト募集オーディション」に、就活生たちは応募して、そこで落とされたりすると、落ち込んで自殺したりしてしまう。逆に考えてみると、
人は一般的に、いまこの社会に存在している仕事しか認知することができない
そんな演技を、どうにかして暴いて、演技ではない人と人の社会、を探していくのか。全てはイリュージョンであると居直ってしまうのか。
後のロックンスターが、最初は下手なギターを練習して、上手くなっていく過程も、演技の上達なのか。

でも、ライト兄弟が空を飛んだのは、演技でもなんでもない。人が何かを現実に変えていく力。
ロックンロールスターだって、何かを現実に変えていったから、ロックンロールスターになるんだと思う。「演技」と「創造力」がキーワードかも

人が生活するためには、どうしても雨風を凌いで寝泊まりするための家がいるんだけど、その家ひとつひとつの安全性を担保したり、「住所を持つ」というルールを決めたりしないと、この社会を継続するにあたって不安材料になってしまうから、家を作る資格がある人を社会的に決めなければいけなかった。
だから、いまの持ち家や、土地の所有という考え方は、人が生きて幸せになるためというよりも、この社会を継続するために考え出された仕組みであって、この膨らみすぎた経済をまわすために、僕たちは家賃を払っているのか。自分で転がし始めた玉の上に乗りつづけるのに必死になることを強制する。

僕がいわゆる設計の道をそれていったのは、人が住む家、場合によって人生の多くの時間を過ごす家を、他人の自分が設計して、責任が取れるだろうかって考えしまったから。そして、責任を取れる自信がなかった。
たくさんの時間をかけて、考えて、手を動かして完成させた設計だとしても、それがどんなに、施主の生活に寄り添うようなものであると自負できたとしても、自分じゃない他人に対して、ここに住んでくれ、と、押し付けるようなことはできない。
地震が起きて、家具が倒れたりして、中の人が死んじゃったりしたら、それは自分の責任じゃないと、きりすてることはできない。それが工芸品にしてもそう。僕は人に使ってもらうものを作ろうと考えはじめると、どこかで、自分とは切り離して「他人のため」という変なフィルターをかけて考えてしまいロクなものにならなかった。作る相手を自然に自分に設定できれば、良いものになったかな。

今年の夏に新潟県十日町で、ちょっと規模の大きなプロジェクトをやります。
“作家滞在型仮設住宅式サーカス村的アートプロジェクト"題して「×日町」です。
下記にウェブサイトURLを載せます。
乞うご期待!!!!!

 http://www.batsukamachi.net/

 三宅島にはかつて、天草が豊富にとれる海があったらしい。
しかし2000年の大噴火で、海底にマグマが流れ込み、地形が変わったので、ほとんどとれなくなってしまった。魚の漁獲量も減った。
でもそのマグマのおかげで、海底には面白い地形が新しく出来上がった。それによって、観光スポットとしてのダイビングスポットがいくつも形成された。
かつて天草で生計をたてていた多くの人は、今では観光客向けの仕事をして生計を立てている。民宿やイルカのインストラクターなどがある。
島の環境が変わって、島民はいままでと同じ方法では生きていけなくなった。変わらなくてはいけなかった。そしてものの見方を反転して、悲劇を好機に変えて、生きる術を獲得した。そのきっかけとなったのが、ある一人の外国人の生物学者と、観光客だった。という事実が、僕にとってはとても大事なストーリーだった。

この一年はいろんな事があったな。僕は去年大学を卒業して、とりあえず作家活動をする事にして、浅草で友達四人とアトリエを探して、3月11日に契約した。そのすぐ後にあの地震が起こった。地震は怖くて、日本で大変な事が起こっていることはニュースでなんとなく分かっていた。知っていた。事実として知ってはいたけど、僕たちは4月までは自分たちのアトリエ兼住居を改修するので頭がいっぱいだった。余震が続くなか、僕たちは引っ越し作業を続けた。友達を呼んで、ペンキ塗りを手伝ってもらったりもした。そして4月10日、アトリエをオープンさせた。オープンさせたあと、僕たちはニュースをあらためて眺めた。眺めて、某然としてしまったんだと思う。なんだか「乗り遅れてしまった」というか。一ヶ月改修でバタバタして、冷静にまわりを見られてなかったところから、ふと我に帰ったような感じ。
そして「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」をやった。
この一年僕はいろんな人と出会った。東京で、奈良で、三宅島で、香川で、東北で、新潟で、茨城で、、。この一年で出会った人たちは、たぶんこれからも、僕の人生にとってかけがえのない存在になっていくだろう。僕はこの一年を、「かなしい」とか、「たのしい」とかいうふうに簡単にくくることはできない。

3月11日」と言っても何もピンと来ないような世界を想像してみる。

コニカミノルタの「エコ&アートアワード」という公募展に出品して、まわりの作品見て思ったんだけど、みんな、今のこの毎日が、この先もずっと続いて、来年も、再来年も、コンセントにプラグをさせば電気が来るし、蛇口を捻れば水道が出ると思ってる。そういう前提でものを作って、デザインとかアートと呼ばれているものは、そんな生活のアクセントで、なにかの「考えるきっかけ」になればいいと思ってる。「きっかけになるように促しました」というポーズをとって、満足してる。で、それを見る方は見る方で、表現の、うわべだけなぞって「ほほう」と思ったら、「良い」と評価する。それで「良いものみたね」と思って、家に帰って、「良いものみました」という感想を、ツイッターとか、ブログに書いたりしてる。やばいよ。。気持ち悪いよ。
僕がいま暮らしているアトリエの土地の地盤はゆるくて、近くの道路をトラックが通ると震度1~2くらいの揺れがおこるから、まるで船の上で生活してるような気持ちになる。そういう環境で生活してて、地面て簡単に揺れるものなんだな、と日頃から思ってるってこともあるかもしれないけど、この、確固たるものだと思っていた地面が、こんなにも簡単に揺れたり、それが原因で津波が起こって、原発が爆発したりする。そんな体験をしながらもまだ、この先も、今まで通りのやり方で生きていけると思っている。
大きな変化が、近い未来必ず来る。それこそ、誰もが「ここだ」と思えるような、大きな変化の時が必ず来る。だから、今の基盤が崩れても生きていけるように備えるための実験を、いまからやっておかないと、そういうことを考えているクリエイター達は、現代の基盤が崩れた時のことを考えて表現する責任があるように思う。

このライブ音源すごく好きで何度も観るんだけど、映像の中で、ボーカルのポールウェラーのまわりだけ風が吹いてるような感じとか、彼のギターや声が、まだまだ彼の体の内部からの衝動に追いついてないような感じ!!!!!!かっこいい!!!!!何度見ても鳥肌がたつの。この時ポールウェラーは24歳!!!!!
セックスピストルズがイギリスでパンクムーブメントを牽引していたときに、ポールウェラー率いるバンドthe jamは77年に「in the city」ていうアルバムでデビューした。ほぼ全ての曲が2~3分で、ライブ音源をそのまま録音したような音は今聞いても全く古くなってない!!!!!!凄い!!!!
しかも、当時ポールウェラーはまだ19歳!!!!!!!19歳だよ。
19歳のとき、僕や、僕の周りに居た人間は、親の援助を受けて、大学1年生でぼーっとして、彼女ほしいーなんて言ってたり、大学に入学したくて予備校に通ってたり。ある人は、地元のエレベーター修理会社に勤めてたりしてた。社会に対しての不満なんてほとんど感じてなくて、思考停止状態で、ものごとに対する感度のことなんて考えたことも無かった。これが、最近、ようやくヤバいと思いはじめた。このままだと、ただの、名前の無い1個人で終わってしまうぞと思いはじめた。
まあそれは置いといて、The Jamが80年にだしたシングルが「Going Underground」ていう曲なんだけど、この曲の冒頭部分の歌詞が
Some people might say my life is in a rut,
But I’m quite happy with what I got
People might say that I should strive for more,
But I’m so happy I can’t see the point.
ある奴らは、お前の生き方は決まりきっていてつまらないと言ってくる
でも、僕は今のままでとても幸せなんだ
人は僕にもっともっと努力しろと言ってくる
でも僕は今幸せで、奴らの言ってることが分からない
And the public gets what the public wants
But I want nothing this society’s got
I’m going underground
大衆は、大衆が求める通りのものに変化していく
でも僕が欲しい物はこの社会には無いんだ
僕はアンダーグラウンドを行くよ
このリリース時は、既にセックスピストルズが解散していて当時のイギリスのパンクムーブメントはかつての勢いを失っていたようなんだけど、そんななか、世間の時間軸とはちょっとズレたタイミングで、The Jamは最高の名曲をリリースした!!!!!!!かっこいい!!!!!!!!
このときポールウェラーは22歳。僕はいま23歳ですが、僕もはやく「And the public gets what the public wants」みたいな言い回しができるような人になりたい。なんか、そういう感じになりたい。当時のポールウェラーに憧れ。

ふたつの展覧会に参加します!ふたつとも「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」のプロジェクト展示をします。でもそれぞれ演出を変えるよ!
☆しゃべりば展
2月23日12:00~2月26日 20:00
@island MEDIUM, 〒101-0021東京都千代田区外神田6-11-14 3331 Arts Chiyoda 205
http://islandjapan.com/2012/02/09/shaberib/
参加作家:赤羽史亮, 安東和之, 太田祐司, 尾竹隆一郎, 勝正光, 木村泰平, 高田冬彦, 林千歩, 村上 慧, 吉原航平
音楽担当:磯邉一郎

パーソナリティ:冠那菜奈(メディエーター)、清水梓(island shop店長)

2/23(木)展示のみ
2/24(金)展示のみ
2/25(土)展示+12:00~19:00トークイベント、19:00~パーティー
2/26(日)展示+12:00~18:00トークイベント、18:00~パーティー

–time table–

25日
12:00 – 12:10 オープニングトーク
12:10 – 12:50 colliuとしゃべりばトーク
13:00 – 13:50 村上 慧としゃべりばトーク
14:00 – 14:50 太田祐司としゃべりばトーク
15:00 – 15:50 赤羽史亮&尾竹隆一郎としゃべりばトーク
16:00 – 18:00 プレゼンタイム(安東, 太田, 勝, colliu, 村上)
18:10 – 美学校コーナー、パーティー

26日
12:00 – 12:10 オープニングトーク
12:10 – 12:35 松下徹としゃべりばトーク
12:35 – 13:00 吉原航平としゃべりばトーク
13:00 – 13:50 安東和之としゃべりばトーク
14:00 – 14:50 プレゼンタイム(木村, 高田, 林)
15:00 – 15:50 赤羽史亮&尾竹隆一郎としゃべりばトーク
16:00 – 16:50 高田冬彦&林千歩としゃべりばトーク
17:00 – 17:50 勝正光としゃべりばトーク
18:00 – 美学校コーナー、パーティー

☆☆
僕は、25日丸一日在廊してます!
☆アートシンクロ展
3月2日(金)~3月11日(日)会期中無休(Creative Hub131のみ)
Creative Hub 131全館(1階~屋上)OnEdrop Café、天麩羅「秋山」、ル・プティヴィラージュ、イロハほか
http://aanet.exblog.jp/15465877/
展示作家:池田晶紀、Eat&Art TARO、上原耕生、新野圭二郎、東泉一郎、福原志保・Georg Tremmel[BCL]、福岡寛之、松下徹、武藤勇、村上慧、山内崇嗣、山上渡、山下拓也ほか

開場時間:13:00-19:00(月~金)11:00~19:00(土・日、最終日18:00まで)@Creative Hub131(会場で異なるので要注意)

■AANインフォメーションセンター
●日程:2012年3月2日(金)~3月11日(日)会期中無休(CH131のみ)
●開場時間:13:00-19:00(月~金)11:00~19:00(土・日、最終日18:00まで)@Creative Hub131
●入場無料
●会場:Creative Hub131 1階
〒103-0011東京都中央区日本橋大伝馬町13-1-2階 Creative Hub131
《AANインフォメーションセンター》では、「アートシンクロ展」の最新情報やMAPを配布します。またコンセルジュデスクが、多重多発プログラムの詳細をガイドをします。同時に、Ustreamスタジオとして「アートでいいさ~in Nihonbashi」という情報発信プログラムを放映しています。

☆☆
こちらは、4日のイベント来てみたら面白いと思います!
よろしくお願いします!

9月8日(吉原神社弁財天・絵を描きはじめる前)

10月11日
10月12日
この壁は
林友深(東京藝術大学修士1年生)
小山一平
村上慧
の3人で描きました。
10月13日
この壁は
東京藝術大学三年生の服部紫野ちゃんが描いてます!!!!!
10月13日
10月20日
10月20日
12月22日
12月23日
そして12月30日、ついに壁画2面が完成しましたー!!!!!
これは阿部君の絵。正面にあります。
橋本君は弁財天の中に飾る絵を描いてます。このときはまだ完成してませんでした。
東京藝術大学彫刻学科の森沢さん
欄間を彫ってくれてます。これは1月中には完成する予定だそうです。
「年内に完成させる」
という予定をずっと前から立てていましたが
こんなにギリギリになってしまうとは….焦ったー。
そしてそして
今回僕たちが絵を描かせていただいた吉原神社弁財天では
2012年2月26日(日)
に除幕式を行う予定です。
ファッションショーやら歌謡ショーやらを予定しています。
また決まり次第このブログで告知します。
よろしくお願いします。
村上

 
今日は新宿MARZでやっていたSSWS(shinjuku spoken words slam)というイベントに行ってきました。先日の「忘れ鼠(仮)」に出演してくれたsiaoxxくんのパフォーマンスを観に行きました。
このイベントは「spoken word」と呼ばれる言葉のパフォーマンスで制限時間5分で2組ずつ戦って、トーナメント方式で勝ち上がっていくというものです。
この日の出演者は
悪霊/MOROHA(from第1次トーナメント)
灯汰/ebi(from第2次トーナメント)
三原千尋/ふんわり名人(from第3次トーナメント)
火男/siaoxx(from第4次トーナメント)
でした。ラップや詩の朗読など発表者がそれぞれのスタイルでぶちかましていました。
初めて行ったんですが(そもそもspoken wordというジャンルを知らなかった)、みんなとっても誠実に「言葉」と向き合っていて、その純粋さがパフォーマンスや仕草から垣間見えて、とっても良かったです。
前にパフォーマンスした人を言葉でおちょくったり、わざと真似したりして、闘志をむき出しにしてるのが、観ていて気持ちよかったです。
パティスミスがフジロックで言っていた「暴力ではなく文化で戦え」という言葉は、スポークンワードとかフリースタイルラップをよく表しているなあと思いました。
MOROHAさんの「..世界は広いが心は深い!」という言葉が印象的でした。(この前に、このフレーズをかっこよくする下りがあったんですが、ちょっと忘れちゃいました)
あと「俺たちは反感を買い占めにきた」というフレーズ。
こういうパフォーマンスを観るのは初めてだったけど、ロックバンドのライブも演劇もクラシックのコンサートも美術もパフォーマンスもダンスにしても、観た時に「来る」ところは表現手段に関係なく、心の同じところなんだなと思いました。本当にいって良かった。
ただ審査委員が7人いたのですが、何故か3人がAV女優で、これがもうどうしようもないコメントを連発する3人だったので、なんでこの人達を審査に呼んだんだろうと思いました。

日比谷野音から始まった「がんばろう!1000万人署名集会」のデモ隊と一緒に歩いてみたら、歩道を歩く多くの人たち(一部では応援したり、デモに混じったりする人もいたけど)が、僕たちのことを、何か凄い汚いものを見下すような、殺気とも感じられるような目でみられた。そんな‥ここまできついのかと思ってしまった。これでは投票しても変わらないと思ってしまった。
で、そのあとデモ隊を離れてさっきまで自分がいた隊列を歩道から眺めてみたら、「原発反対」とか「NO NUKES」のプラカードの他に「30人学級の実現を」とか「団塊世代の全国ネットワーク」などいろんなノボリがあって何のデモだかよくわからない場所があったり、コールアンドレスポンスに「切実さ」が足りなくて、聞くに絶えない感じになってたりで、さっき歩道から見てた人たちの気持ちが分からなくもないなあと思ってしまった。

ぼくは、原発に対して「賛成か反対か」のどっちかではないという話も分かるし、ぼくもそう思うけど、「賛成か反対か」迫られたときに、各々が、自分はなんと答えるべきか考え、「何かその人なりの決断」をみんながするために、国民投票は必要だと思った。
ぼくは、「上のそしき」に向かって「変えろー」とか「やめろー」とか言っても、たぶん「上のそしき」は変わらないから「その人が個人として、事態に対してアクションをおこす」ことが大事だと思った。「原因療法」じゃなくて「対症療法」で。
で、ぼくはその人たちが「動きを取るべきときに取れるように、その人たちに「風」をおくろう」と思った。

 10月31日夜から11月3日夜まで、遠藤一郎さんの未来へ号バスに同行して、石巻、女川、気仙沼、大船渡、陸前高田、福島などをまわって来ました。凧揚げやピクニックや屋根のペンキ塗り等を通して、住民のひとたちとお話をしてきました。
たくさんの人からプラスのエネルギーを強く感じました。"ふつうの事"がとても輝いて見えました。また行きたいです。

せんだいメディアテーク。最上階は地震で天井が落ちたため、復旧工事中でした。

10月24、25日と仙台に宮城県にいってきました。津田翔平さんhttp://shoheitsuda.net/ とふたりで行って来ました。

人と会うためというのと、津波の被害を受けた場所を見るために行きました。
恥ずかしながら、震災後東北にいったのはこれが初めてです。
なぜすぐにいかなかったのか考えました。ひとつは空鼠の契約日が3月11日で、僕たちは自分たちの寝床を確保するためにビルの改修で忙しく、空鼠オープニングの4月10日までは正直震災どころではなかったです。その間まわりでいろいろな人が東北で活動したり、西へ逃げていったりしました。僕はオープニングの後、なんだかタイミングを失ったような気持ちになりました。どこかで、一目見なきゃとは思っていました。そのまま半年以上経ち、先日仙台の方と連絡を取り、行くタイミングを得ました。そして津田さんと日程を合わせ、一泊二日で行って来ました。
せんだいメディアテークでたまたま「武蔵野美術大学交友会宮城支部」の展覧会が開催されていました。受付をやっていた方に話しかけたら、とても喜んでお茶とお菓子をごちそうしてくれました。メディアテークでは河北新報の震災写真展やタノンティア資料室、「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の映像上映など、震災がらみの展覧会がたくさん開催されていました。
河北新報の写真展は、多くの人で賑わっていました。
あるおばちゃんたちのグループは震災後の航空写真を見て「ここは○○病院があったところよねー。」という会話をしながら写真を見ていました。「この写真、泣けるねえ」という言葉も耳に入りました。このときは、こんなにたくさんの市民が、いったいどういう心境で、この写真展を見にきているのか、想像できませんでした。
25日。
メディアテークの近くの自転車屋さんで自転車を借りて(2日で500円!)海の方へ。上の写真はまだ市街地です。
海まで約1キロのあたり。津波が来たところは「ここは来たな」というのがなんとなく分かります。このあたりは街灯やらフェンスやらが軒並み倒れていました。
若林区長浜あたり。瓦礫の移動作業中でした。仮置き場といったところでしょうか。
そのまま一気に松島へ。仙台から25キロくらいです。
芭蕉の句でも有名な観光地ですが、この島々のおかげで、海沿いの町は津波の被害はあまりないようです。観光客もみかけました。とっても良い景色!
これは松島から東松島へ行く途中の駐車場でみかけた、車輪のついた家!
これすごいです。先端にはトラックで引っ張るためのフックのようなものもありました。電気もひいていて、どうやら人が住んでいるようです。お話を聞きたかったのですが、ちょっとためらってしまい、やめました。これで家族ごと、建物ごと避難してきたんでしょうか。
これは東松島市。仙台から40キロくらい。ここはまだまだ家の解体や瓦礫や泥がのこっていて、人もまばらでした。とっても静かでした。
津波と一緒に押し寄せた泥が町の地面を覆っていて、流された建物の基礎も見えず、草や苔がたくさん生えていて、さながら湿地帯のようでした。ときどき目に入る、長靴、子供用のヘルメット、サンダル、原形をとどめていない自転車、Tシャツ、こどもちゃれんじのCDなどが、ここで人の生活があったということを主張していました。
とにかく静かでした。
石巻市。仙台から50キロくらい。
こんなに遠くまで見渡せるなんて。
石巻は瓦礫撤去の工事があちこちで行われていて、人もよくみかけました。
変な言い方ですが、東松島に比べて"活気"がありました。
海の方を見ると、15メートルくらいの瓦礫の山が見えました。
そしてよくまわりを見ると、その山が、町の周囲をぐるっと囲んでいました。
地面には容赦なくどんどんと草が生えてました。
そして仙台に帰りました。
仙台は、市街地と海岸沿いの地区で被害状況がまるっきり違い、市街地ではもう震災の爪痕はほとんど見当たらず、被害も少なかったようです。もともと地盤が強く、家も耐震対策をしっかりとしたものが多かったのが幸いしました。
しかし海の方へ行くと、波に流されて原型をとどめていない車の山や、瓦礫の山がたくさん見当たりました。仙台の市街地に住む人たちは、すぐ近くの沿岸部にも行った事がある人がほとんどなので、「知り合いが亡くなった」「知り合いの家が流された」という経験をみなさんがしています。
「あの日海の近くでイベントがあり、もし自分の旦那がもう少し長居していたら…」という話も聞きました。
僕は東京でも同じような話をいくつか耳にしていました。ただここは、被害が酷い地域とあまりに距離が近く「こんなに近いのに、なぜ自分はこんなに無事なのか」という心境の人がたくさんいるのかもしれません。
メディアテークで震災がらみの展覧会がたくさんやっていたのも、「3がつ11にちをわすれないためにセンター」が立ち上がったのも、この心境から来ているんじゃないかと思いました。
また行きたいです。

映画「underground」観てきました。
これは旧ユーゴスラビアにまつわるお話で、第2次世界大戦中にユーゴがナチスから攻撃受けてる場面からはじまって、冷戦を経て、92年のユーゴスラビア内戦の場面で終わります。
共産党員や、「パルチザン」と呼ばれるユーゴ占領軍に対する抵抗勢力の視点で描かれています。
ナチスによる爆撃のさなか、パルチザンの「マルコ」さんが、電気工の「クロ」さんを共産党に入党させ、ナチスに対抗するために広大な地下室に避難させます。そこがアンダーグラウンドの世界で、そこでは武器の密造が行われています。
第2次対戦がおわり、マルコはユーゴスラビア祖国解放の英雄になりました。しかし、クロを含む地下世界の人達には「対戦はまだ続いているから武器を作りつづけろ」と嘘をついて、利益を自分のものにしていました。それが20年くらい続きました。
地下世界では、入浴やトイレや無駄毛剃りや散髪や子供たちによるサッカーまで、地上と同じくあらゆる事が行われていて、世界はそこで完結し、地下で生まれた人は外にでる必要性を感じなくなっていました。クロには息子のヨヴァンがいましたが、彼は外に出た事がありませんでした。
地下のみんながマルコを信じ、もう存在しないナチスに対して「クソナチスめ!」という感じで毎日せっせと武器を作っていました。
だれも「外に出てみよう」とは思いませんでした。
ある日、地下で作った戦車がチンパンジーの手によって暴発し、地上に通じる穴があきました。
そこから、クロとヨヴァンは「この手でナチスと戦う」ために武器を持って外に出て行きました。他の人はだれも出て行きませんでした。
マルコはこのあと葛藤の末、地下世界を爆破し姿をくらましました。
1992年、クロはまだいきていました。「クソナチスめ!」と言いながら、連合軍と一緒にユーゴスラビア内戦(クロアチア対セルビア)に参加していました。
もうナチスは存在しないのに。
彼は、自分が戦っている相手が、同じ旧ユーゴスラビアの人間だと気付いていないようです。連合軍の兵士が彼に問いました
「あなたはクロアチア勢力なのか、セルビア勢力なのか?上官はいるのか?」
彼は答えました。
「俺はクロだ。(上官は)祖国だ」
最初から最後まで登場するマルコの弟イヴァンがいるのですが、彼は1992年の描写で、もう存在しないユーゴスラビアが存在しているという幻想の世界で生きているため、ベルリンの精神病院に入れられていました。それをみて、園子温さんの映画「愛のむきだし」でゼロ教会から救出された人が精神病院にいる場面を思い出しました。
イヴァンはその後真実を知らされ耐えきれなくなり、崩壊したかつての地下世界に帰って行きます。その後彼はマルコとたまたま再会し、怒り、マルコを殺して自殺します。
なぜ地下の子供たちは外に出たがらなかったのか考えました。
僕は「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)in東京」で出会った泰信さんのお話を思い出しました。彼は代々木公園で理不尽な暴力を受けて動けなかったあいだ、まわりのホームレスの人達から「お前が悪い」とか「殴られて当然だ」という話をされ続け、「自分が悪いのかな」と本気で思ったそうです。しかし、体が回復してから代々木公園から逃げ、家に帰ってまわりの友人に事の次第をはなしたら、みんな「それは酷いことだ」「お前は悪くない」と言ってくれたので、ほっとしたそうです。
たぶん、生まれた時から地下世界で育った子供たちは、外の世界の存在すら想像できないのだと思います。人間の、「善or悪」や「面白いor面白くない」を判断する能力は、その人が接しているまわりの状況によってつくられるから、「もっと広い世界を知っている人の目から見たら理解できないことを当たり前と思って生きている」ということが簡単に起こるんだと思います。
真実を知らないまま爆破されて死んでいったアンダーグラウンドの住人たちと、真実を知って自殺したイヴァンと、どちらが幸せだったんでしょうか。いつも気をつけてないと僕たち自身も、多分あっというまに「ある幻想」の中で生きてしまう危険があると思います。というか多分、誰もがいくつかの「幻想の中の世界」で生きている部分があると思います。
ちょっと前に仲間内で話題になった「ある学生団体」の合宿の映像が気持ち悪い、という話も思い出しました。「合宿」っていう言葉の響きはちょっとこわいです。
でも僕たちがいま送っている日常生活も何かの「合宿」かもしれない。と思うともっと怖いです。

吉原神社奥の宮の壁画進行状況
僕がいま仲間と4人で暮らしている空鼠は3階建ての屋上付きのビルで、隣りには大きくて高い工務店がありました。それが、屋上から見た空を狭くしていました。
しかし、いまその建物がこわされています。壊されたあとは10階建てのマンションになってしまうので、もっと狭くなっちゃうのですが、いまはとっても空が広い!スカイツリーもよく見えます。だから今日はちょっと屋上で寝てみる

日本人は日本を離れても日本人でいられるかな。
たぶん僕たちは生まれ育った地域を離れ、土地を転々としたとしてもアイデンティティを保てるように自らを変えていかなきゃいけないと思う。「地域再生」ていう言葉の意味ももう一回考えなくちゃいけないと思う。震災を経験してからも「サイトスペシフィック」とかていう言葉を無自覚に使うのは罪深いことだと思う。

今日アトリエ空鼠として、吉原神社弁財天の壁画を描きはじめました。

 

藝大先端のともみちゃんと、小山と、村上の3人で半日やりました。

筆で絵を描くのが久しぶりだったので、今日半日やって、ようやく慣れてきた感じです。やっぱり大きく絵を描くのは楽しい!

 

 

年の暮れにはお披露目イベントを構想中です。そのときは告知するので是非遊びに来てください!

 

村上

 

三宅島めも
 9月23日三宅島大学講義「坪田の言葉を聴こう」をうけて

山本先生と加藤先生2人の講師が、昔使われていた言葉やうたをうたって、それについて解説するところからはじまって、それがだんだん、かつての「島の生活」についての話に変わっていきました。
学校が終わったら、牛の世話や、天草とりや炭焼きなど、家の仕事をするのが当たり前だった。話を聞いてるうちに「ぼくたちは生活するために生きている」という基本的な事を教えられたように思います。うまくいえないけど「生活するために仕事をする」ではなくて「生活するために生活する」という生のありかたを感じました。
面白い授業でした

奈良で「引っ越しと定住を繰り返す生活(仮)」のドキュメント映像を上映します。
【NARA 映像コテンパンダン展2011 in ならまち】
会期:9月17日(土)18日(日)19日(月 祝)
会場:奈良市内の公共施設、民間ギャラリー、カフェ、店舗など約20カ所
1300年以上の歴史が続く古都奈良のまちで、映像アートに特化したアートプロジェクト『NARA 映像コテンパンダン展2011』を本年9月に開催します。昨年10月に開催した奈良アートプロム2010のコテンパンダン展形式をふまえ、現在現代美術の分野で活躍する映像作家の作品をならまちの中で同時多発的に展示、上映します。
実はこの時期(同じ会期)、奈良国際映画祭のプレイベントが同じエリアで開催されることになっています。
奈良は古くて静か、そしてどこか暗がりの多い街、そんなイメージの中で、先端的な現代美術の映像と映画がならまちの全く違った側面を照らし出します。
まちの中を歩きながら映像作品に出会うこのアートプロジェクト、個性豊かな映像と映画の作品が相乗効果を伴って、来場者の心に強く印象付けられることになるでしょう。
出展予定作家 : 稲垣 智子、 大橋 勝、 金子 遊、 木村 真由美、 キリコ、品川 亮、竹内 邦晶、多田 ユウコ、土屋貴史/TAKCOM、のぎすみこ、白玖欣宏+平岡佐知子、林 勇気、平川 祐樹、前田 剛志、 Marco Mazzi、森村 誠、 村上 慧、 吉岡 俊直  他、

公募部門入選作家( 伊藤 友里、大歳 芽里、トーマス、三田村 龍伸 )や、一般参加作家( 鍵 豪、擬態美術協会、津川 真里奈、中島 麦、やまもとひさよ、5*season )が加わります。(敬称略、50音順) 

主催:奈良アートプロム実行委員会
18日の16時からトークイベントにも出演します!

詳しくは
http://nara-art-prom.tumblr.com/

また、9月下旬は「引っ越しと定住を繰り返す生活 in三宅島」を敢行する予定です。このパフォ-マンスはフィールドワークとしても使える。
9月下旬の三宅島は、近藤良平さん、EAT AND ART TAROさん、日比野克彦さん、山城大督さん、遠藤一郎さん、加藤文敏先生、金沢宏紀さん、安野太郎さん、橋本匠などが滞在するっぽいです。賑やかになりそうです。よかったら遊びに来てね。19日が開校式です
http://vanotica.net/38k_u/pdf/miyake_u_0815.pdf

 報告が遅くなりましたが、17日と18日に上映会やりました。
17日には8人、18日には13人の方が来てくれました。どうもありがとう
写真を撮るのを完全に忘れていましたので、うまくお伝えできませんがとても楽しかったです。
映像を観ながらお話しして、終わったあとは僕の家に同行した人の口からエピソードがでてきて、新鮮な経験でした。映像と数人の語り部による、イベントのような、インスタレーションのような、パフォーマンスのような空間になってました。
さてこの「引越と定住を繰り返す生活(仮)」ですが、今年の秋に奈良でやる事になりそうです。
まだ詳細が出てないのでなんともいえませんが9月の17~19日の「映像コテンパンダン展」という映像に特化したアートプロジェクトに、今回の上映会で流した映像を出品することになりそうです。(多少変更するかもしれませんが)
18日にはトークイベントもあります。
そして、11月に行われる「飛鳥アートプロジェクト」にて、「引越と定住を繰り返す生活(仮)in奈良」を敢行することになりそうです。また決まり次第このブログでお伝えします。
今年の秋は、皆さん奈良に来てください。
そして僕は「三宅島大学プロジェクト」
http://www.bh-project.jp/artpoint/program/area2011/miyakejima2011-01.html
のレジデンス作家兼リサーチャーとして7月25日~8月11日まで三宅島に行って来ます。そのブログを近日立ち上げる予定なので、よかったらそっちも見てください。
よろしくです

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どこか別の星に引越しするとしたら

久しぶりの更新です。僕はいま、新しい作品のための準備をしてます。
いまここでざっくりとした新作のプランを発表します。
「引越しと定住を繰り返す生活」(仮)
実施期間:5月15日(日)~6月3日(金)(予定)
この作品は、カタツムリの殻のような背負える家を作り
僕はその家とともに、いま暮らしている浅草のアトリエ「空鼠」から恵比寿のギャラリー「工房 親」に向って
引っ越しと定住(生活)を繰り返しながら移動していき、道中、移動をやめるごとに、近所の家や道行く人に、引っ越しの挨拶回りなどしながら。映像や写真で記録も撮りながら、
あわよくば僕の小さな家にお客さんなどを招き、絵や思い出を残してもらいながら、
5月19日(予定)に「工房 親」に到着したら、5月29日までそれらをまるごと展示しながら僕も生活して、再び空鼠に帰ってくる。
という感じの作品です。
浅草から恵比寿までの道中全てが展示のような状態になりますが、主な発表先は「工房 親」で行われるグループ展です。以下詳細です
☆☆☆☆☆☆☆☆
「KNOCK!KNOCK!-7人の来訪者来る-」
小山一平 渋谷治越 城野茜 関真奈美 村上慧 吉野もも yona
日時:2011年5月19日(木)~5月29日(日)
   12:00ー19:00(日曜18:00終了)月・火定休
   ☆5月29日(日)16:00~18:00 トークイベント
場所:工房 親 Gallery Kobo Chika
   〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿2-21-3 Tel/Fax 03-3449-9271
   http://www.kobochika.com
   info@kobochika.com
   ・地下鉄日比谷線「広尾駅」2番出口徒歩6分(近道=広尾商店街を通る)
   ・渋谷より都バス06 新橋行・赤羽橋行
    「広尾5丁目」下車 明治通り渡り一本道を路地を右へ
☆☆☆☆☆☆☆☆
僕のイベントとしては、(順当にたどり着けば)5月19日の夜に、工房 親で引越祝いパーティーをやる予定です。そのときに、浅草からの道中で知り合った人にも来てもらえればなあと思ってます。
いまはまだこんなざっくりしてますが、これから何かが決まり次第随時更新していきますね。
ちなみに、最近の「背負える家」の制作状況は
こんな感じです。これは一週間以上前の写真ですので、今どういう状態かは、また更新していきます。
みなさまよろしくです