うまくいかないことがあってもいいんじゃない?

と言われたこと

京都には、鴨川のおかげで影の部分というか、設計されてないところがあってそれが良い。橋柱の裏とか、河原から道路に上がる坂の、坂を上がらずに脇に入ると歩けるけど人が来るようには設計されてないところとか、それがよい。僕はそういうところに入って行きたくなっちゃうけど、例えば橋の下の水が来ていない砂地とかに一人で川面を見たりしていると。ひとからあやしまれたりするかも、と感じてしまう。そういう場所が必要だとか思ってるのって実はものすごく少数なんじゃないかと思うと、そういうことを人前で書いたり行ったりすること自体が馬鹿らしくなったりもする
GP80とか0.7とか、両側に矢印がある線とか、東九条の道歩いてたら書いてあって、なんだこれ

自分だけの感情。独り占めの感覚。棚に並べたもの。自分のルールで並べた、自分にしか価値のないもの、誰にも共有しない、自分だけの足跡。人には知らせる必要のないもの。書く必要のないもの。伝える必要のないもの。自分だけのおとぎ話。自分で生み出し、自分だけが語り継ぐもの。書く必要がないから書ける。書かれないもの。書かない。なにも書かない。表現しない。伝えない。シェアしない。作らない。つくる必要がないという救い。作らなくてもいいという救い。
長く忘れ去られていた話。湧いてくるが、書かない。読んだ本のことも、面白かった映画や演劇のことも、仕事の帰り道に虹を見たことも、日曜の夕方ふいに窓から富士山が見えたことも、家の前で五百円玉を拾ったことも書かない。
意味から逃れる。その入り口は棚にある。棚を見れば思い出せる。あの昼下がりの公園の光、夜の川面。わたしは書かない。誰にも伝えない。
いつのものかわからない水筒、ふるいどこかの塩ビの雨樋の一部。ホース、ブリキの小さなバケツ、なにかの木片、もう出ないスプレーとほとんど芯になったテープとなんの一部かわから金属の部品が詰まったコンテナ、なにかのときに使ったブルーシートの切れ端。茶色くシミのついた雑巾、いくつかの新品のコンクリートブロック、もう使えないであろう灯油缶、波板の余り、何が入っているか忘れた一斗缶。頭から意識を引き剥がし、自分の脈を確認しろ。手首に親指をあてて、自分の心拍を感じろ

阿佐ヶ谷スパイダース「老いと建築」
今和次郎とか清原さんの「わたしたちの家」とか映画「ファーザー」とか、荒川修作とか、谷崎潤一郎とか保坂和志とかイタロ・カルヴィーノとか、あと過去のレジデンスの家、金石とか珠洲の家のこととか思い出した傑作だった。これは傑作ではないか。

落ち葉がチャイナ・タウンみたいだった

紅櫻公園にて45リットル袋で18袋と70リットル袋で10袋集めた。佐野さんと

 

開いていた本にトンボがとまった

布団の上でエコノミー症候群になりそう

今回の「移住生活の交易場」は、「拾ったものを交換するショップ」と、「Tシャツとか本当かの一般的なグッズを売っている」店が隣り合っているのが大事なんだろう。なぜ落ち葉は1700円で売ってはダメで、トートバッグは1000円で売っても違和感がないのか。

音楽がなければ僕は何を作ればいいかも、何を書けばいいかもわからなかったと思う

レストランというか大きなバーみたいな店でバイト初日が一緒になった女の人が友達に似ていて、僕が「友達にすごく似てる」と言ったら彼女も「君も友達に似てる」と言った。木の下で。
掃除しろと言われたが何すればいいかわからなくなっていて、店長は電話をしていて、僕は女の人に外で「友達になろう」と、まるで愛の告白みたいに言ったのだが、こちらを見つめる彼女は思っていたよりも歳をとっていて、しかもそれまで気が付かなかったのだが、両目の間には3個目の小さな目があって、左右の目と一緒にまばたきをしている。
店長が電話をやめ、バイトの人たちが指示を仰いでくれと一斉に近づいていくのを見守りながら目が覚める

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喫茶店で窓ガラスにとまった羽虫を、隣のテーブルに座っていたおばちゃんが靴でバンと潰した。素早く、迷いなく。ぶよ、刺されたら危ないから。よくさされるのよ。と言う。しかしそれはブヨではない。それは無害な羽虫だ。

三鷹駅でやった「看板図書館」で僕と話し、紙コップの裏に書いた電話番号までもらったという人に珠洲で会った。その人は、僕が参加した年の瀬戸内国際芸術祭にも行ったらしい。僕が鍋をやっている会期ではなかったけど、三鷹で、僕から小豆島の話を聞いたと言ってた。僕は何も覚えていない。僕という球体は、自分で思っているよりもずっとずっと大きいものかもしれない。

8人で池に立つ波紋をただ眺めて過ごした時間を思い出す

みんなで会社を辞める必要はない。ただ転出届を出せばいい。そして転入届を出さなければいい。そうすれば何かが変わるんじゃないか。

驚くべきことに、車の中でも間取りが生まれる。運転席が書斎、仕事部屋。後ろが寝室、居間、食卓。

四人ほどの若者たちが僕の展示を見て、ショップ前で立ち止まり、そのなかの女性一人が僕の「移住を生活する」を手に取ってパラパラとめくりながら「すごお、村上さんの日記。うわあ・・・何者なんだろう。京大生をこじらせたらこうなりそうな気もしますけどね」と言い残して去っていった。

拾った物を交換するショップ、高いという人がほとんどだが(たっか!これが1750円!)(ていうか、これみて!これ1317円!)(これのどこに2000円の価値があるん?)、ひとりだけ、これはやすいですよー!と言って買っていった。その人は、普段からコマーシャルギャラリーに通い、作品を買ったこともある人だった。

面白いという人も多い。芸術祭に来るだけある。

2ミリほどの赤と黒の虫。髪の毛よりも細い一本一本の足は体の倍くらいの長さ。綿のシャツの繊維に左のいちばんうしろの足を取られて身動きができないらしい。そこから動けない。本の2ページほどを重ねて、虫の体の服の間に入れて、取られた足以外の五本を紙の上に乗せ、踏ん張る足場を用意する。虫との共同作業だ。いま、共同作業をしているということが、よくわかった。彼も紙の上で踏ん張り、僕はその紙が動かないように注意して掴んでいる。そして、足は服の繊維からではなく、虫の胴体から取れた。虫には、ぷち、と言う音が聞こえてそうだが、僕には聞こえなかった。足が5本になった虫は、本のページの上を、ごく普通に。最初から足は5本ですよと言わんばかりに歩いている。僕は紙を少し折り、紙を、僕が座っている木のベンチの脚に当て、本からそちらへ移動するように誘導する。虫はそのとおりに動いてくれた。僕の服の胸のところには、それがそこにあると思ってみなければ見落としてしまうような、細くて小さな黒い彼の左足が残っている。

自分が作ったものや参加したイベントをSNSなどで素直に宣伝することがどうしてもできない

白菜を育てていたつもりが、いつのまにかモンシロチョウの幼虫の家族を養っている。

おしっこじゃなくて、麦茶の方捨てちゃった

道の駅の駐車場、運転席に座ってカロリーメイトを食べていた。ほんの少し小雨を感じる程度で、風もなかった。助手席の窓も運転席の窓も開けていた。突然、右側がシパッと猛烈に光り、視界の隅で白い光の柱が一瞬立つのを捉えた。次の刹那にはズドォンという地響き。そのあとで雷が落ちたと理解した。右耳にしばらく耳鳴り。ここから2,300メートルほどの、病院の屋上か、電信柱に落ちたらしい。全く静かな朝だったので、ほとんど夢みたいな雷だった。まさに晴天の霹靂だった。晴天ではないけど。思わず、こわっと呟いて車と窓を閉めた。落ちた方を注意して眺めても、特に何も変化がない。外灯もついてる。道の駅のトイレから出てきたひとは、ごく普通に歩いている。雷を感じたのは自分だけなのかと疑いたくなるほど、何事もなかったかのような朝が続いているだけだった。

イタリアンカフェこだま。今日もサラダサービスしてくれた。前回もサービスしてくれた。そんなつもりじゃなかったんですが、と言ったら、いやあ珠洲がうるおっとんのはおかげさまなんでねえと、あのオーナーが言った。となりの従業員のおばちゃんが拍手した。寒くなってきましたねえ。体気をつけて、と

意味ありげなことを書くのが恥ずかしくて、なんだか色々なことがどうでもよくなってきてしまった
意味が問われすぎている。たぶん最近踊ってないせいだ。コロナ禍のせいか?考えすぎているのか。
授業中教科書に描く落書きとか、階段で手摺に尻を載せて滑ることとか、道で石ころを蹴って歩くこととか、踊ることとかに意味なんかない。
道の石ころを蹴るようなものを書きたい。ただ踊っているような。