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2月 21, 2018

バスに乗っていて「お降りの方が押す黄色いボタン」をみんな押しているけれど、それが何でできているかなんて全然考えてないんだろうなと思ったのだけどそういえばハイデガーも「道具」について「履いている靴のことを意識しないでいられればいられるほどそれは靴として優れている」と言っていて、同じことがこのボタンにも言えるんだなというところまで思い至り、ふと昔ファミリーマートの看板をすぐ目の前で見た時、その大きさと「物質感」に驚いたことを思い出した。あの時初めて気がついた、それまではただの情報としてしか見ていなかった「看板」は情報である前に、重さと奥行きと、なんなら内部に空間さえも持っているという大きな「物体」であるという発見は、それが看板という道具として優れていたからこそ、現実に物質でできているということが後ろに隠れてしまっていたことの発見だったのだ。そうやって素材が後ろに隠れてしまう道具と違って、芸術作品では「世界」と「大地」との闘争によって真理を顕現させるみたいな話がハイデガーの芸術論だった。ここでいう「世界」は「それはつくられたものである」という事と関係していて「大地」は「しかしそこにあるものはなんらかの現実の素材である」ということに関係がある。大地とか世界とか言い回しがハードでかっこよく感じるのだけど実は素朴な話だ。iPhoneとかみればわかるけど道具が優れて高度になっていくということは素材をどんどん後ろの方に隠れさせていくのだけどそれに対して、芸術作品でおこるという闘争は、現実にそれは素材でできている。現実のなんらかの素材であるという「あ、そういえば」というふうに、ふと我に帰らせる力と関係している。この力は、作品は「それを見守る人」をその真理の場所にひきこみ、それに触れる以前の状態ではいられないという(彼の言うところの)芸術作品の性質とも関係している。とても勇気をもらったのだけど、なんでいまのいままで岸井さんが教えてくれるまでハイデガーの芸術論面白いよと言ってくれるひとが誰もいなかったのか。大学の先生とか。先生はベンヤミンもニーチェも教えてくれなかった。「芸術作品の根源」はとにかく全体に道具と比較してるのがグッとくる。有用性に埋没してしまう道具の話は、大学に人文いらないっていう風潮とか「稼げる文化」とかそういう流れに対して、圧倒的に言い返してくれているようだった。利用したいというものは制圧欲求で、芸術作品はそれに端的に抵抗する話とか、科学は真理を生起しない話とか、作品は存在していること自体を非日常化する話とかも超サイコーだった。

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2月 14, 2018

「冬のあわい」は終わったけれどこの遠泳のような人生はあいかわらずなので引き続き、無音で降るのにまるで大音量で街を包み込んで、地表にある一切の境界線を消して白い大地を出現させたあの雪みたいな、苛烈な平穏を手に入れるために日々を過ごしていく。みなさまお気をつけて。

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2月 07, 2018

松本は良い街だけど、良い街でしかない。戦う場所がない。今は都会で戦っているaokidなんかを見てると、羨ましく感じる。(aokidは今も都会のストリートで戦っているんだろうなと思える。思い出されるだけで彼は活動しているみたいだ。ずるい)同じ時間に同じところでご飯を食べているのを繰り返していると、自分が、時間に消費されているような気がしてくる。そして、この状態に慣れてしまうんじゃないかと恐れている。日記はいつのまにか、見られるための文章に変わってしまった。もう一度、つまらなくていいから書くということを思い出そう。だいいち、松本は寒すぎる。夜に何時間も散歩するのが好きなはずの僕が、寒すぎて15分も外に出ていられない。昨日は散歩にいってみたが30分くらいしたところでもう体の冷えが限界にきてしまった。帰ってからひと仕事しようと思って暖房をつけて机の前に座ったところで突然の凄まじい眠気が襲ってきて何も手につかず、たぶん机の前で30分以上うとうとして、これはもうだめだと思って寝てしまった。結婚して共同で生活するということは、二人でバンドをやるようなものかもしれないと思った。音楽の進行を決めるリズム隊が自分の他にもいるおかげで、それは良い感じの音楽になることもある。でもここでは変調しない方がいいと思ったときに、他のリズム隊の方がアドリブで変調してしまったりする。仲良くなればなるほど、自分の音楽性を表に出すことを厭わなくなるので、最初は従順なベース的な立ち位置だった人も、いつのまにかギターに持ち替えて作詞作曲も始めちゃったりするようなパターンが沢山あるんだろうなと、たやすく予想がつく。世の夫婦はみんなバンドをやっている友達だ。そのバンドメンバーから「匂いがやだ」という要望があり、タバコを「アイコス」に変えた。タバコも稀に吸っているけれど、だいたいアイコスを吸っている。これはすごい代物だ。この嫌煙の流れに対抗するために、苦労して作り出したであろうこいつ。そんなこいつも副流煙から通常の紙巻きタバコの10パーセント程度の発がん性物質が検出されたので、他のタバコ同様に規制するし、課税もするというニュースを見た。こんな事態になってしまってかわいそうだ。なんのために開発したのか。知らないけど、どんなものでもよく調べれば10パーセントの発がん性物質くらいすぐでてきそうだ。タバコは体に悪いからやめなさいというのは正論なので、言われたらそうですねというしかないのだけど、それは正論でしかない。松本みたいだ。でも本当はタバコが体に悪いかどうかもよくわかっていない。「徹底的に調べたことはないけどなんか悪そう」なのは確かなので、タバコを吸っている人に会うと嬉しくなる。仲間だと思える。バンドメンバーに加えたくなる。でも現状の法律はバンドはツーピースバンドでなければいけないということになっている。ツーピースバンドなんてホワイトストライプスしか思い当たらない。それもとっくに解散してしまった。すきなバンドだった。残念だ。妹のドラムがすごかった。あまりにも退屈なので、そろそろ自分をホワイトアウトさせないと心がもたない。良い暮らしとかウケの良さとかどうでも良いのだった。ただ死んだ後の準備をするだけにしたい。右も上も下もわからない、あの光の混沌のなかに戻らなければ。ホワイトストライプスを再結成しなければ。

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1月 28, 2018

自分の近くに人がいると思ってしまっている。すぐにラインでテキストを送り、それがすぐに見てもらえて、返事がもらえると思ってしまっている。その気になれば電話して、いつでも話ができると思ってしまっている。ツイッターで呟けば、誰かがすぐ近くで見ていると思ってしまっている。もしかしたら思っているよりもずっとずっと遠くに人はいるのかもしれない。手紙を書いたり、三角屋台でいろんな人と話していて思ったが、人とのあいだには霞んで見えないくらいに距離があって、言葉や行間や息遣いをもっと丁寧につかって届けないと、本当には届かないものかもしれない。すぐに声を発して呼びかけそうになる気持ちをぐっとこらえて、息遣いを整えて、言葉を選んで誠実に投げかけるようにして、その距離の尊さを忘れないようにしなければ。

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1月 23, 2018

awaiartcenterの「冬のあわい」のために26人に出した「冬について尋ねる手紙」の返事が13通くらい返ってきている。それぞれの冬はそれぞれに全然違って観て楽しいのだけど、今や僕たちはインターネットで密接につながっていて、「その人が書いた最近の文」とか、「その人の近況」ってのが、あまりにも簡単に読めたり見えたりしてしまう。手紙もいいのだけど、なぜインターネットじゃダメなのかという”Why not?”も同時に考えないといけない。Aokidが「落ち着いた暮らしなんていらないと思ったんだった」「もっとすごい落ちついた暮らしのために今は」というようなことを書いていて、背筋が伸びた。冬だからといって落ちついてはいられない。休ませることによって再び全開で動くことができるエンジンのようなもの抱えていることを忘れないようにしなければ。

この冬は今の所ずっと松本にいて、それは冬くらいゆっくりしてみようと思っておでん屋さんを始めたからなのだけど、1月半ばにして既に動き回りたくてうずうずしてきていて、つくづく自分の性質には逆らえないものだと感じていて、最近はとにかく今後の準備だということで広告看板の家のプレゼンと展示のための作業を詰めている。松本は天気が良い日が多くて空気もカラッと乾燥していてとても気持ちが良くて、さらに浅間温泉のほうの県営住宅に寝泊まりし始めてからは、当初はあんなにきつかった寒さを厳しく感じることも少なくなった。昨日は珍しくどっさり雪が降って、松本の市街地でも30センチ近く積もったのだけど、雪が降ったら砂利とアスファルトと白線と敷地境界で覆われた地面が白く消されて、そこに大地が出現した。街を歩きながら、それまでは道路沿いに建っているように見えた家々が、今では「道路」が消失して、ただ白い”大地”の上に建っているように見えて、自動車も、道路上を白線に沿って走っていたそれまでとは見え方が全然違くて、その「白い大地」の上をふらふらと走りまわっている「機械」のように見えた。逆に言えば、それまでは「機械」というよりは、「交通機関」というか、人や物が”自動的に”かつ”レール上で”動かされるものというように見えていたということだ。それはとても気持ちが良い景色だった。ほとんど革命的な見え方の転換が起こっていたように思う。

「道路」というものは、お金によってやりとりされ、境界線によって区切られることによってまわるこの都市を象徴するような存在だったということが、雪によって消失したことによって逆に露わになった。

雪が降って、白い大地の上でただ雪かきを頑張るしかない僕たちがとても動物的な振る舞いをしているように感じられた。小さいスコップをもって、ただただ雪かきをするしかない小さな存在だということを気付かされた。そして雪に覆われた、冬枯れの木々は美しかった。さらに自分の家の前を雪かきするのはとても気持ち良かった。

いまではまだ雪は降っているものの、すっかり除雪された道路が再び出現している。自動車は機械から交通機関に戻り、大地の上に建っていた家は、再び道路沿いに建っている。

小説のほうの「道路」は全然進んでいない。思いもよらない仕事が入り、それに思いもよらない多くの時間が取られてしまった。ひと段落したので、これからすこし文章にも力が注げるかもしれない。力を注ぐということは時間がかかることなので、力を注ぐタイミングと対象をちゃんと考えないと、力は注げなくなってしまう。なぜなら時間は有限なのだから、と続けて書きたくなる衝動を抑えて、ふと時間は有限なのかと考えてみると、どうもうさんくさいというか、時間を「有限」かどうかと考えることじたい、既に何かに毒されている。

普段生活していると、僕の目にはどの瞬間にも「現実」が映し出されているはずなのだけど、最近、その目の前の現実を見る時の”感じ”が、過去の出来事を思い出しているように感じるのと近い気がしている。それはちょっと意識を変えれば未来を見ているようにも感じられると思う。昨日、初めて日本語字幕付きで「メッセージ」(しかしこの映画、原題は「arrival」。こっちのほうがずっとふさわしい。原作となった小説のタイトルは「The sroty of your life」だった)を観た。時間には始まりと終わりなんてものはなくて、過去を見るように未来を見、未来を見るように過去を見て、たとえ運命が定められているものだとしても、それを積極的に受け入れること、という素晴らしく、でもちょっと危ない思想の作品だった(またその内容が、映像作品としての見せ方とも一致していてよくできていた)。時代によっては、検閲の対象にもなり得る、厳しい資本主義批判の作品でもあると思う。

主に「お金」とそれを取り巻くシステムによって僕たちは、時間とは過去から未来に流れるものだというふうに思い込まされている。貯金とか保険とかローンとか月々の支払いとか、お金にまつわる現代のほとんど全てのことは過去から未来に流れる時間という考え方を前提としている。「はじめのお金」はもうすこし違ったものだったはずだ。地球が丸くて回っていて、四季が巡っていることを思い出すだけでも違う。

ミヒャエルエンデは「”経験”はそれだけで素晴らしいものだ」と言っていた。「経験」は後のために役に立つから良いっていう考え方は、貧相で卑しくて下劣で下等で悪い考え方だ。すごく悪い考え方だ。最悪だ。その考え方に立ってしまったら、どうせ最後には死ぬんだからなにやっても無駄だということになる。そんなわけがない。そうであって良いわけがなくて、その瞬間に与えられるものが既に”答え”であって”成果”であるわけで、これがわからないままみんな生きていて社会を無意識に設計しているから訳のわからんことになっている。

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12月 18, 2017

昨日は芸大毛利研究室のラジオ企画のなかで田中志遠くんという人に呼ばれて「徒歩交通について」というテーマで話をしてきた。徒歩交通というのは彼の造語で、要するに”最後の交通手段”としての徒歩ということらしい。歩くことを、散歩のように、ただ歩くために歩くということではなく、人々が目的地に移動するための歩行の必要に迫られた時、その体験のなかで得たものを集めてアーカイブしていきたいということらしい。面白そう。

話の中で当然シチュアシオニストの話になって、僕はギードゥポールやべーなと思っていた大学生のときに「東京もぐら」という散歩サークルをやっていたことがあり、それは当時は「電車はなんかうさんくさいぞ」という動機から始めたものだったので、電車にのるお金がなくなったときに、”電車の駅”まで徒歩で何時間も歩いた経験からこの徒歩交通という言葉を考えた田中くんの考え方は、すこしハッとさせられた。
ライムスターの宇多丸さんがTBSラジオの番組の中で「決まった!俺の黄金コース!ターンつってターンつってドーン!」という特集をやっていたのだけど、それはとてもシチュアシオニストの心理地理学っぽいなということにも気がつかされた。しかもこれは、「俺の黄金コース」という個人的なものを、同じ都市や、建物や、飲食店という、共通のプラットフォームに乗せて話す企画なので、聞いている人がその場所を知っている場合、共有することができる。これはこの大きな都市を、等身大のスケールに引き戻してくれる。素敵な企画だった。
さらに、のちに友政さんと呑んだ際に教えたもらった話だけど、同じくTBSラジオの伊集院光さんの番組の中でも、ダイエットするためにいろいろなパワースポットを巡っていると、その巡っているという行為のおかげでダイエットしていくという話をしていて、さらに彼は家の中でウォーキングマシンを使って、何キロ歩いたからパワースポットについたという架空の設定をしてひたすら歩いて、スポットについた(ということになった)ら、ダジャレをひとつ披露するという(ような)ことをやっているらしく、これも同じく心理地理学みたいだなと思った。
もしかしたらギードゥポールたちの思想は、現代の芸能人や有名な文化人のなかで、ある種メジャーなものとして引き継がれているんじゃないかと思ったらとても勇気が出てきた。ということを毛利さんにメールしてみたら、やはりシチュアシオニストたちの思想は70年代にポップカルチャーに流入し、現代のラジオという文化にも入り込んでいるんじゃないかということが裏テーマだったらしい。

僕は、今回の「徒歩交通」について喋るために、松本からバスで来た。バスで来てしまった。なぜなら、この企画に出てくれと頼まれたのは10日前だった。松本に発泡スチロールの家があれば、徒歩移動もかんがえたかもしれないけど、家はいま大阪にある。仮に家が松本にあったとしても、松本から東京まで10日間でつくのはちょっと厳しいだろうし、15日と17日の朝に松本で予定があり、さらに色々仕事もたまっていたので、3時間で来られるバスで来た。徒歩交通の話をするのにバスで来てしまったというのは、実は結構根深い問題で、「現代のスピードの要請」が徒歩を許さないから起こることだ。でも、1時間半のラジオに出るために10日間歩いて移動すると、おそらく僕の中では移動の10日間のほうがメインになってくる。もしかしたらそれこそが、シチュアシオニストの真髄なんじゃないかということにも、今回の話のなかで気づかされた。ラジオを聞いているひとは3人しかいなかったらしいが、とてもいろいろな収穫があった。

関係ないけれど、友政さんが話してくれた、イスラム教では「宣言」がゆるされるという話も面白かった。僕は小さい時、ご飯を食べる前に「いただきます」を言い忘れたことに気がついたら、「いただいています、いただきました、いただきます」という三種類のお祈りをしていた。何に向かってかはわからないが、そういう宣言が、イスラム教でもとても大事なものらしい。
さらにここから、高松二郎の「この七つの文字」という作品の話になった。透明な介在者になることを考えなければいけない。「道路」を書く上でとても大事なことだ。
主語を滅ぼせ。受動的な「私」を滅ぼせ。

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12月 17, 2017

僕がここにバスで来たということを考えていたら、ボウイはバスで来てしまった。と打ってしまった。仮にデヴィットボウイをここに読んだとしたら、バスではこないだろう。もっともバスに乗らなそうな人の一人だ。たぶん空から落ちてくるだろう。
高校生の時、散歩の習慣があった。夕食後、イヤホンで音楽を聴きながら夜の近所を毎晩毎晩歩いた。音楽のリズムに合わせて歩くのがとても楽しくて好きだった。街が書き換えられていくようだった。家庭や学校に代表されるような、何か戒律的な世界からずれて、違うところにアクセスできるような気がした。同じ近所を何十回も歩いてるはずなのに、いつも違う景色が見えるようだった。
10分くらいのときもあっただろうし、2時間近く歩いた日もあったように思う。
大学二年生の時に、 シチュアシオニストの漂流という概念に影響を受けて散歩サークルをやってみた。というより、電車で学校に通うと、移動が脳内だけでおこってるような気がして、景色がチャンネル変わるみたいで嫌だったので、散歩サークルをやろうと思ったら、シチュアシオニストという人たちに行き着いた。当時はこんなに有名な運動だったとは知らなかった。
ただ、シチュアシオニストによると、漂流は、心理地理学を実践するという同じ認識に至った少人数のグループが複数存在するのがベストらしいが、僕たちは1グループしかおらず、しかもシチュアシオニストなんてだれも知らなかった。なので、方法を考えた。1日の歩数を決め、交差点で迷ったら、グループでどっちに行くかを決める。それぞれのカメラで写真を撮りながら、話し合いながら楽しく歩く。最後にグーグルアース上に結果的に歩いたルートを落とし込む。それが、モグラが地面を掘るみたいに見えた。
地図を持ってきたかったけれど実家に寄る暇がなかった。

2009年2月14日の文章
地面の上にできている
何本もの道路が複雑に交わる交差点。横断歩道を渡るのは、様々な格好をした、様々な年齢層の人達。
ぎゅうぎゅうに押し込められた灰色のビル群の隙間から気の毒なお寺の屋根が頭をのぞかせる。見上げれば束になってうねる高速道路。その高架下にはデパートがあったり、駐車場があったり、川があったりする。
東京は混沌として実体がよく見えない。
さらに電車、バス、タクシーに代表される公共交通機関は、この街を日に日に狭くして、もはや移動はほとんど脳内で行われているのではないか。東京で長いあいだ電車を使って暮らしていると、ある駅から次の駅へ、また次の駅へと景色が変わって行く様が、まるでテレビのチャンネルを変えているかのように見えないか。
「たけコプターよりどこでもドアが欲しい時代になっている!だから息苦しい!」

このとき体を使って街に介入するという方法を得たように思う。その後大学を出て、清掃員村上を得た。街に介入すると同時に、社会システムにも介入する試み。

シチュアシオニストは漂流において「基地」の設定と「侵入経路」(侵入経路ってのが面白い)の計算が必要だと言った。そして「地図の研究」が不可欠だと。「新しい地区」への興味は全然関係ない。と
「基地」という考え方と、地図。ヴィルムフレッサーは家のことを、世界で経験したものを処理するためにある。と言った。慣れた場所、通例の場所がなければ、我々は何も経験できないと。「移住を生活する」を始めるにあたり、僕はたぶん「たくさんのケーブルに侵入された家」に対抗するすべを考えていた。

「徒歩交通」という言い方。交通という言葉には、狭い意味での目的地が含まれている。一定の道筋を通って行き来するという意味合いがある。交通手段としての徒歩を使うとしたら、なぜなのか。

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12月 16, 2017

今月号の「BRUTUS」の「危険な読書」という特集の冒頭にインタビューが乗っています。本を3冊紹介しています。

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告知




松本のawai art centerで「冬のあわい」というものをやります。妻の茂原がやっているawai art centerがこれまでお世話になった20数名の方々に「冬」について尋ねるお手紙を出しました。そのお返事を待つというものです。待っているあいだ、僕は飲み屋をやります。「三角屋台」というお店です。ぜひ遊びにきてください。

(一緒に考えてくれた阿児つばささんと友政麻理子さん、ありがとうございました)

『冬のあわい』

[会期]

2017 年 12 月 23 日(土・祝)~ 2018 年 2 月 13 日(月・祝), 15:00 ‒ 22:00,土・日・祝のみ開廊

[会場]

awai art center(長野県松本市深志 3-2-1)

[参加者]

・村上慧
・阿児つばさ
・お返事をくださった(くださるかもしれない)皆さま

[内容]

・「冬」についてのお返事を待つ

・北海道から届く(かもしれない)阿児つばさの”冬”を待つ

・村上慧による「三角屋台」 ※3 つの辺で囲む屋台。体が温まるメニュー(熱燗・甘酒・焼酎・おでん・豚汁・きのこ汁など)を週替わりで提供します。

・来場者による「句」の展示 ほか

 

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12月 14, 2017

ヴィレムフルッサーによれば、家は、世界で経験したものを処理するためにある。慣れた場所、通例の場所がなければ、我々は何も経験できない。
発泡スチロールの家に住むとき、僕にとっては、描くことと書くことが家に帰ることだ。

『我々は居住する動物である。巣に住むにしても、洞窟に住むにしても、テントに住むにしても。また、家屋に住むにしても、縦横に積み重ねられた箱型住宅に住むにしても、キャンピング・カーに住むにしても、橋の下に住むにしても。慣れた場所、通例の場所がなくては、我々は何も経験できないのである。慣れないもの、異例なものは雑音だらけで、慣れたもの、通例のものの中で処理されて初めて経験となる。~住所不定の彷徨者は何も経験せず、「あちこちと」回るにすぎない。~堅固で快適な家は、慣習の場所として雑音を受け止め、経験へと処理する能力を、もはや果たせなくなって居るように見える。~これは存在論的な問題である。今まで我々は、自分を個体であると思ってきた。つまり、人間はそれ以上細かく分けられない物で、空間と時間の中を動いて居るのだと思って来た。家は、そうした運動が集中される場所であった。家は~「現に立っているもの」であった。しかし「人間」という個体の運動は、ますます厳密になってゆく分析に服した。~人間は家を出て世界を経験し、経験したことを処理するために家に帰る。人間は世界を発見するために出かけ、自分を再発見するために帰ってくる。だが、人間は世界で自分を失い、家に帰って世界を失う。~我々が自分をインディヴィジュアル(分けられないもの)と考えることはもはやできない。それ以来、個人(インディヴィジュアル)の運動と、そのさい家が果たす役割について語ることは、もうできなくなったのである。だから、家を新しく投企しなければならない。新しい投企がなされるまでは、我々は家無しでしかない。』

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12月 02, 2017

その後結局日の出は雲が邪魔して見られなかったけれど、朝焼けが綺麗だった。フェリーで大阪南港につき、16キロほど歩いた。

途中、西成の三角公園のあたりを通った。とても緊張した。公園や路上の隅には色々な人の荷物が積まれている。ここの人たちはまさしく町を家として使っているんだろう。でも緊張はしたけれど、不思議なフィット感もあった。このままここに家をおいて、公園や路上にたむろしているおじちゃんおばちゃん達に話しかけていったらそれもまた面白そうだと思った。誰にも話しかけられなかったが、嬉しそうに笑いながらすれ違うおばちゃんがいた。

そして谷町にある上町荘に家を預けた。しばらくこの現場の家とはお別れになる。大坪さんと岩崎さんが迎えて家を上町荘の中に入れるのを手伝ってくれた。その後フジマキコクバンに遊びに行ってフジマキコクバンの1周年記念をゆるく祝った。僕の「たくさんのふしぎ」の読者の家族も遊びに来てくれた。3年ぶりに会う人が二人もいた。二人とも、三年前と同じ仕事を大阪で続けていた。また会いましょうと言った。

その日のうちに夜行バスに乗り、松本の方の家に帰ってきた。1ヶ月ぶりくらいか。そんでいまは移動生活のまとめのために松本のガストにいる。もうガストに入って4時間近く経つ。喫煙席にいるけれど、禁煙席の方が圧倒的に混んでいる。これから全国的に喫煙者は減っていくんだろう。喫煙者はますます肩身がせまくなっていく。サイゼリヤも全店舗で禁煙にするらしいし。

とにかくこれからしばらくは松本だ。年末年始とかそういう時節がもうわけわからんことになっているけどこれでいいんだろうか。「道路」も冬のうちに書き上げたい。出版とか発表のあてはないけどとにかく書き上げてみたい。京都で道路を描いたとき、今までないくらいに文章に没頭する時間があって、それはしんどくもあるけどものすごく濃密な時間で、同時に危険な時間でもあって、また制御もうまくできなくて、そうか小説家はこういう世界で戦っているのかと感じた。

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12月 01, 2017

志布志は灰色の街という感じだ。橋口さん達とドライブした時に思った。空き家らしき建物が多く寂れた雰囲気もありつつ、銀座街というスナック街とか居酒屋とか洒落たイタリア料理屋などお店もたくさんある。味わい深い看板を出している店もたくさんあった。「私はローラ・ハート♡」という名前のブティックも見つけた。かごしま屋という服屋で馬鹿みたいに安くてかわいい上着とスウェットを買った。

しかしいまこうして書いていて、車でドライブすると、スピードと視点の高さからか、街の全体感が掴みやすいことがわかった。家と歩いていると地面への視点ばかりになるので、街全体はつかみにくい。歩くスピードと車のスピードではつかめる空気が違う。車はでかい顔して走っているのは嫌いだが、乗ると面白い。建物から建物へと視点が動く。対して歩きだと(これは家を持たずに歩いていると、ということだけど)建物の細部から細部へ、そして次の建物の細部へ、という視点になりやすい。

昨日の正午ごろにキャンプ場を出発した。それまでは絵を描いたりしていたが、途中

「大崎町ナントカ地区のゴルフ場の建物にて火災が発生しました。地域の消防隊は出動してください。」

という町内放送があったが、その後1時間くらいして

「先ほどの放送は、火災ではありませんでした。」

と言っていた。

出がけに、キャンプ場のオーナーから

「志布志の人がみたら、松山城っていう白をベニヤ一枚で作ってるから、それに何か使えないかと思うんじゃないかなあ」

と言われた。詳しく聞かなかったけれど、松山城って愛媛県の松山城かな。志布志と何か関係があるのか。あとで調べたい。キャンプ場から2時間半くらい歩いて志布志フェリーターミナルについた。ここの住所は”志布志市志布志町志布志”らしい。読みにくすぎる。この港は30年くらい前に海が埋め立てられて整備され、近隣の大きな工場が1社以外はすべて移転して来たらしい。この「志布志-大阪」を行き来する航路はもっと古くからあるみたいだけど、親会社は3回くらい変わっているという。フェリーターミナル内で働いてるおじさんから聞いた。

いつも通り窓口に行き、家を見せて、これと一緒に乗りたいんだけど料金はどうなるか、という話をした。「ちょっとお待ちくださいね」と言われ待合所で本を読んで待っていたら女性が小走りで近づいて来て「料金はいりません。乗ったら、船に入ってすぐの階段の下のところにおかせてもらってブルーシートか何かをかけさせてもらいたいのですがそれでいいですか?」と言われた。

乗りこんだら窓口の女性スタッフ4人が駆け寄って来て、みんなで写真を撮った。「さんふらわあ美女軍団でぜひアップしてください」と言われた。

あと「フェリーさんふらわあステッカー」も2枚もらった。これは嬉しい。1枚はパソコンに貼った。1枚は家のどこかに貼ろうと思う。

一度乗ってその階段の下まで行ったのだけど、船員から「大阪の降り口の通路は、ここよりも狭いから家が通らないかもしれない」と言われ、一度降りて車両甲板のほうに案内してくれた。わざわざ床に毛布のようなものまで敷いてくれて。船員の男性(たぶんマネージャーみたいな立場の人だろう)が、車両甲板のスタッフらしい作業服の男性に向かって「大阪着いたら、”乗用車”、”バイク”、”家”の順番でご案内するように伝えて」と言っていた。半分笑いながら。

僕が乗っているのはさんふらわあきりしまという船で、93年に就航したらしいが来年で役目を終えて海外で第二の人生がはじまるらしい。来年からは新造船が就航するという。24年間鹿児島と大阪を往復し続けたこの船に乗れて嬉しい。

まもなく船は大阪に着き、僕は大阪の上町荘に家を預けて、松本の家に帰る。こっちは社会的な家だ。現場の家とはしばらくお別れになる。現場の家と社会的な家(もちろんこっちもある種の現場なんだけど)との往復生活がはじまって。もうすぐ丸二年になる。この二重生活というか、それを送っているということがいったいどうことなのか、ちょっとじっくり考えないといけない。冬の間は、awaiで「冬のあわい」というゆるめのスペースをやる。週末だけ飲み屋をやったり、手紙を書いたり自由律俳句をやったり。あとは文を書いたり、本を読んだり、京都のアートフェアに参加したり、世田谷のプロジェクト(第二の”現場の家”になるだろう)の実現の目処をたてたい。

もうすぐ日の出の時刻になる、これから甲板に出ようと思う。

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11月 30, 2017

垂水から鹿屋に入る境界のあたりにいくつか温泉がありそうだという情報をグーグルであらかじめ調べていて、そこを目指して来たんだけど、道路沿いには「天然自噴温泉」と書かれた、完全に廃墟と化した建物と、その隣にも廃墟が一軒あるだけだった。向かいには営業しているらしい「ラーメンイーグル」というラーメン屋があったけど、それ以外には建物はなく、道路が続いているだけだった。右側の眼下に綺麗な砂浜が見えたので、昔は海水浴場として栄えたんだろうけど今は全部潰れちゃったかなあと思ったけどせっかく来たので、廃墟の前に家をおいて景色を見てたら、車が2台ほど立て続けにその敷地に入って来て、廃墟と海のあいだにある坂を下った海岸の方におりていった。車から出て来たひとは手に桶を持っていて、さらに奥の方に消えていった。どうも何かありそうだと思ってそっちの方に行ってみたら「温泉公園 天然自噴・黄金の湯」と書かれた木の看板があり、柵で囲まれた公園のようなエリアがあった。門のところに小屋が建っていて、その窓口に男性が座っていた。

「ここは温泉ですか?」

と聞いたら温泉ですと答えた。温泉があった。道路から見ただけでは到底見つけられない。超穴場だ。見つけた。テイエム温泉(「TM温泉」とも書いてあった)という温泉で、平成8年からやっているらしい。

近所にはラーメンイーグルの他には海と道路しかなかったので(ローソンが20分くらい戻ったところにあるにはあったが)、ここを敷地にするとトイレや食事など色々と厳しいかなと思ったけれど、雨が降っていて靴がぐしょぐしょに濡れていてこれ以上歩く気にもなれないということもあり、もうここを敷地にしようと決めた。窓口のおじちゃんに説明したら

「ここは7時までだから、それ以降は入り口にロープ張っちゃうんだよな。でも小さい家で一晩過ごすくらいだったら、そこの駐車場のところとか、大丈夫だと思うよ」

ということで敷地が決まった。その駐車場は道路上でみたあの廃墟の真下に当たる部分で、コンクリートの柱が何本も立っていて海の方に開けている。こういうと悪いが半廃墟みたいな駐車場。夜になると真っ暗になるだろう。ちょっと怖いけど雨風は入ってこなさそうなので寝るには都合が良さそうだった。

その内部の「脱衣所」と書かれた木で仕切られたスペースのそばに家を置いて、まずは風呂に入った。体、特に足が冷えていた。早く靴を脱ぎたかった。

お風呂は、トタンの屋根の小屋の中に浴槽とシャワーが備え付けられている簡素なつくりだったけど、温泉の成分の影響でいたるところが茶色く変色した粘土がくっつけられたような状態になっていて、さながら鍾乳洞のようだった。他に男性客が4,5人いたけど、みんな地元の常連客だろう。方言が強くて全然聞き取れない。話しかけようかとも思ったけど疲れていたのでやめてしまった。

お風呂からあがってラーメンイーグルに行こうと雨の中出かけてみたけど、お昼営業のみだった。なので晩御飯は万一のために事前にローソンで買って持っていた(古里温泉でのことがあったので食料はなるべく一食分多く持ち歩くことにしていた)パンとおにぎりを食べた。

テイエム温泉は夜7時に閉まり、閉まると同時に駐車場の電気も消え、誰もいなくなった。誰もいなくなったのを感じたとき、僕は自分の家の中にいたのだけど、外の駐車場の暗さを想像して怖くなり、ドアをあけて外を見てみようという気も起こらず、結局そのまま寝てしまった。翌朝何度寝かして、最終的に8時前に起きて(つまり12時間くらい寝ていた。最近このパターンが多い。)窓を開けてみたら駐車場の前に広がっている海の綺麗さに圧倒された。雨はすっかり上がって、朝日が鋭い角度で地上を照らしていて、陸地の木々や建物の影が砂浜のあたりまで伸びている。対岸の薩摩半島の山並みが霞んでいる。夏は海水浴場になる(窓口のおじさんが言っていた)だけあって、海岸線はとても綺麗な砂浜になっていて、内海らしい穏やかな波の音が聞こえる。誰もいない夜の駐車場はとても怖かったが朝になると逆にこのグレーの色調と海と空の青さが対照的で、景色がものすごく美しく見える。

ローソンまで歩いていって朝ごはんを買って戻って来ている最中に橋口さんから「もうすぐ着くよ」という電話がかかってきた。

27日の朝に橋口さんが僕のいる地点まで来て、家ごと車で拾ってもらい、肝付町という集落に言って彼の作品の撤去(大隅アートライブという展覧会)を手伝う予定になっていた。

彼が「え、温泉てこの廃墟のこと?」と驚いていたのでこの下にちゃんと温泉があるんですよと言って案内したら「こんなとこにこんな温泉あったんやな~」と喜んでいた。「村上の生活の醍醐味だな」と言っていた。

家から屋根を分解し、車でテイエム温泉から肝付町まで移動するあいだ、道路上にたぬきの死骸が転がっているのを何度も見たのが気になった。

橋口さんの作品の解体に丸二日を要した。作品は休校になった中学校の校庭に展示されていて、僕はその校庭に家を置いて二晩寝ることになった。橋口さんたちは「主事室」と書かれた部屋で寝袋で寝ていた。肝付町川上地区は、山と川と田んぼに囲まれた美しい集落で、滞在しているあいだ、木の皮に産卵中のキリギリスを見たり、橋口さんからフクロウの目撃談を聞いたり、猪肉の刺身を山平さん(橋口さん曰く「山の達人」)というおじちゃんに食べさせてもらったり、流れ星をみたりと楽しいことがあった。猪肉の刺身は美味かった。馬刺しよりも柔らかかったと思う。山平さんは「なんの臭みもないだろ。殺し方から肉の処理の仕方から色々あるからな。他の人がとった猪肉は、俺は食おうとは思えん。」と言っていた。

それはそうと後日山平さんたちが獲ってきたばかりの40キロくらいのイノシシも見させてもらった。ワイヤーで足を捕まえる罠をはり、罠にかかったイノシシと棒で格闘して仕留める。なるべくスマート。血抜きは心臓を一突き、なるべく小さな穴を開けてそこから血を抜く。なるべく肉や内臓に血がつかないようにすることが大事だという。それで臭みがない肉が食べられる。ちょうどイノシシを山平さんの家でご馳走になっているとき、テレビで「イノシシの農業被害をなんとかしないといけないが、猟師の後継者不足に悩まされている」というニュースが放送されていた。30歳の若い猟師が「経験のある人からちゃんと教わりたいけど、なかなか出会う機会もなかった」と悩みを語っていて、それを見た大平さんが「うちのところにきたら教えてやるのに。根性があればな。根性がないとだめじゃ」と言っていた。

大平さんは僕のことも気に入ってくれたらしく、電話番号を教えてくれて、電話くれたら猪肉を送ってやると言ってくれた。

別れ際に「アートの才能はないけどな、猪をがんばるよ。それしか能がないんだ」と言っていた。ずっとその言葉が僕の中に残っている。

ほかにも解体中に、近所のおじちゃんやおばちゃんから手作りのヨモギ団子やそば粉の団子をもらったりポンカンや柚子をもらったりして橋口さんは「わらしべ長者みたいだな」と言っていた。廃材の竹を一部もらってくれたおばちゃんがいて、その家の裏庭では”氏神様”も見せてもらった。おばちゃんはもらった竹を氏神様の足元の土どめに使いたいらしく「氏神さまも喜ぶ」と言っていた。

橋口さんから大隅アートライブの問題点についても色々聞くことができた。話を聞く限りではこれまで見聞きしたなかでも最もひどいレベルのポンコツ展覧会だった。詳しくは書かないけれど、県主催のイベントでディレクターもおらず誰がやりたいのかよくわからないまま始まってしまったことが色々と問題を生んでいる。後援のMBCという放送局とのやりとりや、役場の人間とのやりとりや、唯一のアートライブのスタッフらしいYさんという人とのやりとりなど色々聞いているともう笑い話レベルのポンコツ具合で「私は上から仕事としておりて来たことをこなしています」という人間しかいないような状態でこういうことをやるとこんなことになるという、最も分かりやすい事例をみた感じだ。運営側が”無自覚”に作家をナメていて、誰に責任の所在を求めればいいのかもわからない。たぶん関係者に文句を言っても一人一人はみんなポカンとするだけだろう。それは「うちの管轄ではない」とかなんとか言って。日本人の悪い体質が全部出ている。橋口さんと、大隅アートライブの話をしていたら日本が太平洋戦争を始める時の”空気”の話に変わっていったのも自然な流れだった。

そして橋口さんにこのキャンプ場まで車で送ってもらった。志布志よりちょっと南の大崎町というところにあるくにの松原キャンプ場。一泊五百三十円。野外にwifiも電源もある。名前の通り人工の松林が海の方まで広がっている。昨夜は雨だったけどいまは落ち着いている。僕は家の窓を一つだけ開いて、その窓枠にパソコンを置いてこの文を書いているのだけど、いま窓の外を4羽のキジバトが地面をついばみながら歩いて行った。

昨日の夜は「本日の子牛の競りの状況をおしらせします。めすの最高価格、1,363,000円。平均価格743,000」という町内放送と「こちらは大崎選挙管理委員会です。12月3日日曜日に予定していました大崎町長選挙は無投票となりましたのでおしらせします。」という町内放送が大音量で流れていた。昨日も昨日とて9時には寝てしまった。

これから絵を描いて、夕方までに志布志のフェリーターミナルまで歩く。

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20171129鹿児島県曽於郡大崎町益丸

11月 29, 2017

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20171128鹿児島県肝属郡肝付町後田

11月 28, 2017

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20171126鹿児島県垂水市新城

11月 26, 2017

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11261002

6時過ぎごろに自動車の走る音で一度起こされ、耳栓をしてもう一度寝たけど8時ごろにカラスが群がって鳴く声でまた起こされた。もういいかと思ってそのまま起き上がった。今は、垂水市の中心からちょっと南のところにある”財宝”というミネラルウォーターを販売している会社がやっている「薩摩明治村」という温泉宿泊施設のすぐそばにある小さな小屋(「山小屋」と呼ばれていた)のそばに置いた家の中でこれを書いている。明治村で敷地を借りようと思ってフロントでスタッフの女性に話をしたら、電話をかけてくれてここを貸してくれた。親戚が持っている土地で、いつもは車を停めさせてもらっているらしい。電話口で「小さい家で絵を描いてるっていう人がね、一晩絵を描くために置かせてくれないかっていうから、あのいつも私が車止めてる山小屋のところ、どうぞって言っていい?」という感じで電話で一生懸命説明してくれた。しかしその女性はめちゃくちゃ忙しそうにしていて(多分土曜日で客がたくさんいたというのもあるんだろう)、その電話を切ったあと、僕に案内をする間も無く、まずスタッフが一人きて宴会の人数が変わっという話をしたりそれが終わるころに電話がかかってきて予約の説明をしたり、それがおわったらまた電話が来たり、とにかくものすごく忙しそうにしている。

僕はそのあいだ、フロントの向かいにある商品棚をみていた。「財宝」ブランドの化粧品や何種類もの焼酎やらが並んでいる。水の販売というとっかかりからこんなにいろいろ商品展開ができるもんなのか。ここには温泉もレストランもある。

電話がひと段落して、この敷地を案内してもらった。忙しいのにすみません、というと「いえいえ~」と。そのあと家を置いて、近所を散歩した。その敷地はすこし山を登ったところにあり、坂の上から海沿いの住宅街が見える。坂を下って行くと、海岸線と平行に走っている道路の海側に「財宝ショップ」という、財宝の商品を扱っているらしき店があり、焼酎の種類が豊富な酒屋があり、ファミリーマートがある。それらの店の向こう側はもうすぐ海になっている。ファミリーマートで缶ビールを買って飲みながら砂浜をぷらぷら散歩しはじめたけど割とすぐに寒さがきつくなって缶ビールを飲みきれずに捨てて坂を登って明治村の温泉に向かった。温泉は古里温泉郷と違って透明で塩っぽくもなかった。看板に「3万年前の温泉」と書いてあった。温泉は深く掘ると透明になるのかもしれない。

風呂から上がったあと「財宝レストラン」にいってカンパチ漬け丼定食と「芋焼酎 財宝スペシャル」のお湯割を飲んで950円。安い。しかし財宝という名前はストレートすぎて書いていても馴染んでこない・・。はじめ、フロントの商品棚に”財宝”と書かれた商品が並んでいるのを見たときは「ここは不用意に入って大丈夫なのか?」と無駄に警戒してしまった。結果的に従業員はみんなとても愛想がよくて良い店だった。そのあとファミリーマートに行って歯を磨いてぷらぷら歩きながら奈保子と長電話をして寝た。お金はどんどん使わせた方がいいという話をした。作品鑑賞にお金を払うことに抵抗を感じる空気が腹立たしい。消費も低迷するわけだ。お金は使った方がいい。

それと桜島の画家N氏の話も。彼の「絵で食っていかなきゃいけない」という責任の取り方、僕の解釈だとこういうことだ。

「私のこんな方法論でも、この社会にとって価値があることを証明しないといけない。価値があることを証明するためには、私は絵画で食っていかなければいけない。」

これには痺れた。

「絵では食えない」とか「才能がない」とか、人をナヨナヨさせる思考をするのが得意な人間は大勢いるが、それとは真逆の考え方。

例えば「ギャラリーの運営だけでお金をやりくりするのは難しいから、他に定職を持って、それが休みのときにギャラリーをひらく」という方法もあるけど、それは彼の考え方でいくと「趣味でやっている」みたいなことになると思う。その方法論には価値があると思うなら国にお金を請求してもいいと思う、と彼は言っていた。

財宝といいN氏といい、鹿児島はすごいところだ。

雨がぱらぱら降っている。この天気だと絵が描けない。どうしたもんか。

昨日は、午前中のうちに古里温泉郷を出発した。朝起きてすぐに、唯一の食料であるおにぎりを食べてしまったからだ。急がないと空腹で動けなくなると思った。しかししばらく、お金がおろせて食べ物が帰るお店(つまりコンビニか)はなかった。けっこう歩いて、そろそろエネルギーがほしいと思ったころ、遠くの方にローソンの看板が見えた時は嬉しかった。ローソンで「鶏飯」とパンとスムージーを買って駐車場で食べた。

古里温泉郷から、東に歩いて、桜島口という地点から大隅半島に入り、合計14キロくらい歩いて垂水のこのあたりに到着した。かなり休み休み歩いた(ローソンの次によったセブンイレブンでは電源とWifiと椅子があるのをいいことに1時間くらい滞在した)ので14キロも歩いた感じがしない。ずっと海沿いを来たけど幸い風もなかった。今日はここから南に下っていく。

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20171125鹿児島県垂水市浜平

11月 25, 2017

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11251032

文は、読むときによって自分と近づいて同期したり、ものすごく離れたりする。自分で書いたものに関しては、書いた後しばらくの自分はその文章に近いところにいることが多い。いま保坂和志のカンバセイションピースを持ち歩いてときどき読んでいるけど、いまその文体と自分がとても近いところにいるらしく、するすると読める。

道の駅の人に「古里温泉郷」について聞いてみたら、「昔は賑やかだったけど今はもうさびれちゃって・・。」と言う。日帰りで入れる温泉もありますかねと聞いたら、あると言われた。多分夕方4時くらいから入れるんじゃないかと。古里温泉郷は、画家のNさんから「昔現代アートの連中か何人か雇われて来て地域活性をしようとしてたけど、よそもんがちょっときてどうにかなる話でもないからな。なんともならなかった」というような話を聞いていたものあって気になっていたので、次はその辺で敷地を探してみようと思った。ふるさと温泉郷は道の駅から10キロくらい東にすすんだところにある。

道の駅の駐車場を出発しようと、家の窓を開けたら、窓の桟に黒い火山灰が積もっていた。わずか一晩で。やっぱり灰は降ってないようでいて降っているらしい。お昼過ぎに道の駅を出発した。道中、右手に海で左手に桜島の山が見える景色が続いた。海沿いに集落がいくつかあったけど、空き家らしき建物も目立った。桜島は過去の何回かの噴火で、村や神社が飲み込まれたりしている。そして噴火のたびに新しい地面ができ、その上に新しく村や神社ができる。いまこの文を書いているふるさと公園のあたりも、安永溶岩という地盤の上にできている。そうやって火山と一緒に生活してきた。そういえば三宅島もそうだった。

ふるさと温泉郷について、まず目についたのは2軒の潰れたホテルだった。幹線道路から一本入ったところに旅館が並んでいる奥入瀬渓流温泉郷と違い、ここは国道沿いの、海側のみに観光ホテルが並んでいる。2軒のうち1軒の駐車場には「古に思いを込めて~溶岩で灯篭をつくりました」と書かれた看板と、溶岩でできた黒い大きな灯篭が立っていたが、逆にそれが寂れた雰囲気を演出してしまっていた。この場合、古よりも先に現在のことを考えるべきだったんじゃないか。

潰れたホテルを通り過ぎたら大きな空き地があった。たぶんここにもかつてホテルがあったんだろうと思う。その向こうに「源泉掛け流し」というノボリが2本立っていて、ようやくほっとした。道の駅で聞いた通り、どうやらまだ営業しているホテルがあるらしい。ノボリはその向こうのもう一軒のホテルの前にも立っていた。どうやらこの2軒が生き残っている。その向こうから先に建物はなかった。正確には一軒の小さい木造小屋の廃墟(ほとんど全壊状態)と、建設会社の仮設事務所以外は、原っぱがひろがっていた。ここらにも昔はホテルがあったんだろうか。

家をとりあえず路上において、今夜はどこを敷地にしようかうろうろしていたら民家から(ホテルが並んでいる海側と違い、山側の方は民家がいくつか並んでいる)出てきたおじさんから突然「お茶やるよ」と言って500mmペットボトルのお茶を差し出された。お茶は蓋が開いていて、中身もすこし減っていた。「これはちょっと飲めないな、、」と思ったけどおじさんはあげる気満々なのが伝わって来てしまい、受け取ってしまった。

「あんた、あの白い家しょって歩いてた人だろ。生まれは?」と聞かれたので「東京です」と答えた。

「今夜ここらへんで寝ようかと思ってるんですけど、そこのホテルって日帰りで温泉入れるんですかね」

「日帰りで入れるよ。寝るならこの上で寝な。公園。あれがあるから、屋根が。そんでそこからすぐ道路に降りられるから。」

というアドバイスを受けて、その”ふるさと公園”という公園の東屋の下を敷地にした。

家をおいて、暗くなるまで絵を描いていた。「ふるさと公園」は林芙美子という作家の銅像と文学碑が建てられている。なんだかんだ観光客らしきカップルもちらほら来ていた。彼らが話す言葉は日本語だったり韓国語だったりした。心配事がひとつあった。僕はいま現金1000円くらいしかもっておらず、しかも付近にホテル以外の施設が何もなさそうだった。ホテルも外から覗いて見える範囲には食べ物が買えそうな売店はなかった。食料が調達できないかもしれない。いま手元には、道の駅を出発する前に桜島港の売店で念のために買っておいたおにぎりがひとつあるだけだった。

暗くなって気温が下がり、絵を描くのをやめてしばらく国道沿いを、さらに東のほうまで歩いてみた。売店かコンビニか何かないかと思ったけどその気配は全く感じられなかった。ただ、観音橋という大きな橋があり、その下に昔溶岩が海まで流れてそのまま固まったような綺麗な河口が見えた。

そのあと桜島シーサイドホテルというホテルで日帰り風呂。500円だった。売店はなかった。風呂場には他に2人の男性客と、奥の露天風呂から子供の声がして、一瞬男の子の姿が見えた。なんだかんだ宿泊客もいるらしい。しかしこの子供が不思議だった。僕は風呂場にはいってすぐにシャワーで体を流して、一回室内の風呂に浸かって、そのあと露天風呂のほうに移動したらその男の子がいなかった。出て行くところは見てないので、露天風呂にいると思ったらいなかった。もしかしたら、塀を越えて女湯の方からきていた子なのかもしれないけど。でも塀もそんな簡単に越えられそうな高さでもない。不思議だ。

泉質は道の駅で寝た時に使った桜島港の国民宿舎の温泉と同じく、茶色でちょっとどろっとしていてしょっぱい。風呂を出て、何人かの宿泊客とすれ違ってホテルを出た。出がけに、ホテルの従業員のおばちゃんと話した。

おばちゃんの話だと、隣のホテル(たぶん、あの空き地のことを指している)は10年くらい前に潰れた。その向こうのホテルがとっても大きいホテルだったんだけど(たぶん空き地の手前にあった「ふるさと観光ホテル」を指している。溶岩の灯篭があったホテルだ)、それが5,6年前に潰れた。

「今は二軒だけです。二軒だけで頑張ってるんですけど。」とおばちゃんは笑っていた。

「ふるさと観光ホテル」は多分この地域では重要なホテルなんだろう。ふるさと公園に「火の神神社」という小さな神社があるのだけど、その案内板のテキストはふるさと観光ホテルの会長が書いていた。案内板には、御岳の沈静化と、家内安全・無病息災・旅人の安全を願い、神事を観光ホテルの敷地内で毎月行なっていると書かれている。

シーサイドホテルをでて、その隣の「さくらじまホテル」に入って見た。売店があった。ロビーで「ちょっと売店をみせてもらっていいですか」と言うと、従業員のおじちゃんが「たいしたもんないですけど!食料なら道の駅がいいですよ」と、ここから8キロくらい東にある道の駅のことを言う。

「ちょっと向かいの公園で一泊するもんなんですけどね。ちょっとみてもいいですか」

「ああ。お車じゃないんですか。車だったらねえ、コンビニまでいけるんですけどねえ。歩きだとねえ。もう最近はさびれちゃって。小学校も無くなっちゃったんだから。ここには黒砂糖とかそんなもんしかないですよ。」

売店には溶岩で作られた焼き物(とっくりとかおちょことか)が売っていて、すこしだけおつまみのようなもの(ピーナッツとかスニッカーズとかチョコとか黒砂糖とか)もあった。そこで残りの500円を使い、スニッカーズ1つと貝ひものおつまみ1つを買った。おじちゃんは「さくらじまホテル」と印刷されたビニール袋に入れてくれた。この袋は大切にしようと思った。ぼくはホテル内にあるだろう自販機でビールが買えるはずだとふんで貝ひものおつまみを買ったのだが、ビールは300円だったので買うことができなかった。なので昨日の夕食はスニッカーズと貝ひものおつまみで、おにぎりは次の朝ご飯にした。

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20171125

看板は人に泊まってもらい、そのあいだその人にお金を払う期間をつくったらいい。夏の間とか。エアコンは必要だな。一体型のやつ。

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20171124鹿児島県鹿児島市古里町

11月 24, 2017

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11232051

11月 23, 2017

My love she speaks like silenceという素敵な歌い出しから始まるBob Dylanの曲を聴きながら歯磨きが終わった後そのまま、家が置いてある道の駅から離れて桜島港まで降りていって、数キロしか離れてない対岸の鹿児島市の夜景と、その光に向かって出航するフェリーを眺めて、あの対岸には橋口さんや、山下くんや、未来美展で過ごした時間や出会った人たちがいるのだと感じて、女木島から見た高松の夜景に似ているなと思い、高松に住んでいたころの自分や、当時一緒に暮らしていた人や高松で出会った人たちがあの夜景の中にいると感じたりして、またこれまで出会って別れていった人たちや、これから新しく出会ったり、また再会したりする、そういうあらゆる人たちの存在を光の中に感じていたのかもしれないとにかくそれらのせいで、ぼくはものすごく幸せだった。Bob Dylanのその曲は、彼の友人の結婚式のために作られた曲(本当に最高だ)だということも相まって、なんともこらえきれず鼻歌を歌ったりスキップをしたりしてしまった。ここでさっき買った黒伊佐錦(鹿児島の定番芋焼酎)のワンカップがあれば最高だなと思ったがあいにくそれは家に置いてきてしまって手元になかったけれど。この時間とイメージは誰にも邪魔されない。こうしている間にも火山灰は気づかないくらいゆっくりとこの体に積もっているんだろうと思ったが、火山灰がこの体の形に積もってくれていることが、何かを証明してくれているようでそれも幸せだった。ようは気持ち次第なのだ。

しかしあとになって冷静に考えてみると、鹿児島港から15分の距離にもかかわらず、鹿児島の市街からは全然違う、うら寂しい風景(あえて言う)がひろがり、過疎化している桜島は、女木島と重なる部分がある。海を隔てている。ということは、それがどんなに短い距離でも、そこに遠さをつくってしまうらしい。かといって、桜島と鹿児島港の間に橋を渡すべきだとは思えない。

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11231829

昨日は家を画家のNさんの家の向かいにある空き家に置かせてもらい、僕はユースホステルに泊まった。Nさんの提案でそういうことになった。結局宿代も夕食も払ってもらってしまい、いろいろお世話になってしまった。この恩を僕は後輩に返せばいいんだろう。たぶん。そう言ったらNさんは「こんなの大したことない。まあお互い様だしね」と言った。素敵だ。彼と僕とは50歳くらい違うが、僕も時が来たら同じセリフを後輩に言いたい。
今日朝10時過ぎにユースホステルを出て、自分の家のところに戻り、そこで絵を描いた。描いている2時間余りのあいだ、門の向こうの道路は、自動車が1台だけ通っただけで他には人っ子一人通らなかった。
絵を描いていたら紙がざらついてきた。見えないけれど、火山灰がすこしずつ紙に積もっている。Nさんの絵にも火山灰が自然と練りこまれているんだろう。途中、Nさんがお茶に読んでくれた。

火山灰がな、降ってないようで降ってたり、あと木の上に積もったのが風で舞い上がったりするからな。夏も窓開けたいんだけど火山灰が降る日なんかは開けられん。でも地元の人も口じゃ「火山灰が・・」とかいうけど心では感謝しているしな。
私は桜島が好きで、(25年以上住んでいても)その気持ちはずっと変わらない。その証拠に、ここはいいところですよとか、良い木がありますよとか、いろいろお誘いが来るんだけど、ここから出ようという気にならない。”満ち足りている”。私はよそもんなんだけど、桜島が好きでたまらない人だということで、地元の人も受け入れてくれている。普通田舎は、受け入れてくれなかったりするんだけどな。
でももうちょっとお金があればなあと思う。大きな絵が売れたらそれを(妻と)分け合って、その残りで何年も暮らさないといけないしな。

そして別れた。別れ際に握手を求めたら彼の手が強く握り返してくれた。「お体にきをつけて」と言ったら「お互いにな。目的の遂行のためにはそれが第一だから」と言われた。素敵な作家だ。

Nさんの家から1キロくらい歩いたところにある道の駅に家を動かした。距離にしてたった1キロだけど、別れたので、彼の存在は距離以上に遠くに感じる。道の駅では、敷地の交渉は拍子抜けするぐらいすんなりうまくいった。桜島は観光客が多い。道の駅や、この温泉施設にいるとよくわかる。
僕は家を着いてすぐに絵を描き始めた。絵を描いてるあいだ、ふと右の方をみるといつもそこに桜島の御岳が見える。何度見てもはっとするくらいかっこいい山だ。あのかっこよさ、火山灰くらい常に振らせてくれてないと困る。

以前一郎さんや未来美展の人たちと話した時、なんでいつも噴火してるような山の下で人が生活してるのか、という話をして「気がついたら住んでたからじゃないか」とか言ってたけど、今は、それはよそもんの僕にはわからないだろうと感じる。わからないけど、そこにこういう形で人が住んでいて、これからも住んでいくんだろうなというようにして住んでいる人が現実にいる以上、それは尊重しないといけないだろう。ある土地について、よそもんが、そこに住むべきかどうかなんて議論するのはもしかしたらかなりナンセンスというかやってはいけない議論なような気がするけど、しかし放射能や原発という話になるとそういうあってはならん議論がふきだしてしまうんだろう。そういう議論が生まれてしまうというだけでもそれがあってはならないものだろうということがわかる。例えばここで、火山と海に囲まれてたくましく住んでいる人たちに「そこに住むべきではない」なんていうことをいう権利は神にもどんな人間にもない。

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11231759

桜島に住むということは、ひとつには火山灰と共に生きるということらしい。コインランドリーが多いのも少なからずその影響もあると思う。雨が降ると道路に積もっている黒っぽい灰がよく見えるようになる。克灰袋という黄色い袋があって、それが道路にゴミ捨て場のゴミ袋みたいに積まれていたりもした。多分そこは”克灰袋”の収集所で、各々の家がこの黄色い袋に灰を集めて捨てるシステムになってるんだろう。しかし”克灰袋”とは不思議な名前だ。
画家のNさんの家の室内も全体にくすんでいるように見え、床も少しざらついていた。洗濯物とか大変じゃないですかと聞いたらそんな毎日降るわけじゃないし、だいたい火山灰は体に悪いもんでもないと言っていた。
いま桜島港のそばにある、”マグマ温泉”という温泉施設の座敷スペースにいるのだけど、この温泉の脱衣所にも「営業時間中に掃除機をかけることがあります。鹿児島の降灰など、特有の事情をご理解のうえご了承ください。」みたいなことが書かれていた。

それにしてもさっきから、30畳くらいあるこの座敷の隅っこの、腰の高さくらいの仕切りで適当に区切られた1坪ほどのせまいスペースの中で女性がうどんか何かをすすっている。こんな客席があるわけないのでたぶん彼女は従業員で、まかないか何かを食べてるんだろうけどいつもここで食べてるのか?なんだかいたたまれない・・。他に部屋がないのか。でもこれで十分なような気もする。座敷にはテレビも置いてあり、そこではいま大相撲が放送されていて、そのテレビから流れてくる歓声にまじってうどんがすすられる音が聞こえてきて不思議な空間だ。そのしきりのすぐ隣では高校生か大学生くらい(就職の話とか飲み行くとかっていう話をしてるから多分大学生だろう)の男の子二人組が寝っ転がって、明日のご飯が豚しゃぶだったら今日豚しゃぶ食べるの嫌だな、という話をしている。他の客もすこし訝しんでその仕切りを見ている。これでいいんだろうな。

ここでは温泉に入りながら、窓の外に錦江湾が一望できる。右下のほうには桜島港が見え、そこから出航する桜島フェリーが見える。さっきなんとなく、窓から鹿児島港のほうをみてぼーっとしていたら、視界の右下の隅でフェリーが、なんていうか、見えない大きな手で船体ごと雑に動かされたみたいに急加速したように見えた。ちょっとびっくりして目を右下に向けたら、もうフェリーはいかにも船らしくゆっくりを海の上を進んでいた。誰にも見られてないと思って油断していたフェリーが、僕に見られていることに気づきあわててフェリーらしさを取り戻していた。

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11230816

鹿児島にはコインランドリーが多い。やっぱり桜島がある影響なのか。天文館公園の周辺だけでコインランドリーが4店舗もあった。これはとても多い。橋口さんに言ったら「気がつかなかったなあ。でもたぶん昔はそんなになかっと思うよ。最近よ。」と言った。
一昨日の昼に家を預けてある橋口さんの家に戻って、「明日、ミニ門松をつくるワークショップをやる」というので、その材料になる竹を切るのを手伝った。太い孟宗竹を短く斜めに切り、その中に細いホウライチクをすこし長く斜めに切ったものを門松の置き方で3本入れて、そのまわりを植物や折り紙で装飾する。ワークショップには僕も手伝いつつ参加させてもらった。かわいい門松ができたので松本に送った。

そして昨日、お昼下がりに橋口家を出発した。フェリーで桜島へ渡り、そこから志布志方面に歩くことにした。
鹿児島の水族館のそばの港から桜島への船は24時間行き来していて、日中は15分に一本出ている。家と一緒にフェリーに乗る手続きをするのはいつも面倒に感じてしまうけど、この家がどんな扱いになるのか楽しみなところもある。
これまでのフェリーでの家の扱いを整理すると、神戸→大分の”さんふらわあ”は「船長と相談します」と言われ、すこし待ってから放送で呼び出され『手荷物扱い』で、追加料金はいらないですと言われた。家は船員しか通れない通路に置かせてもらった。宮崎→神戸の”宮崎カーフェリー”も『手荷物』にしてくれて、家は船体の中の自動車が積まれるところの柱にくくりつけられた。小豆島→新岡山のフェリーは『貨物』扱いになり、追加料金が取られた。「貨物は二輪車に積む」という決まりがあるらしく、僕の家は二輪車よりも大きいにもかかわらず二輪車に積まれた。「積まれた」というより二輪車の荷台には大きすぎて載らず、フレームの上に無理やり載せられた。「二輪車からおろして普通に地面に置いたほうがいいんじゃないか」と言ったが「貨物はこれに乗せるという決まりなんだ」と言われた。別府→大阪の「さんふらわあ」も『手荷物』にしてくれた。ただしこれは僕があらかじめ受付で「過去に二回さんふらわあにのせてもらったけど、どっちも手荷物という扱いにしてくれた」と言った。

そして今回は鹿児島→桜島。まず港の桜島フェリーの建物前に家を置き、2階の乗船窓口に行って「大きな手荷物がある」と言って写真を見せた。一人目の女性はキョトンとしていたけど二人目の女性が来てその人は笑っていた。ちょっと待ってくださいと言ってどこかに電話してしばらく話していた。
電話を待っているあいだ、一人目の人に「これまではさんふらわあに2回くらい乗ったことがあって手荷物にしてもらったんですけど、でも小豆島で乗った時は貨物料金が取られた覚えがあります」とぺらぺら説明していたらそこで始めてその人も笑った。
そして電話を終えた二人目の人が「一般旅客運賃だけでいいです。160円です。桜島についてから支払ってください。」と言った。僕はお礼を言った。そしたら彼女達が「ただ・・」と言って、”どの船に乗せるのがいいか”という相談をしはじめた。どうやら鹿児島桜島のフェリーには5種類の船が運行しているらしく、それぞれ通路や客室の広さがちがうから、どの便でいくのが一番いいか考えてくれていた。そしたら「5分後の船がいいかも」と言われた。
「間に合いますか?」
「やってみます」
僕は下に置いてある家を急いで取りに行ったが、家を建物内に入れるのにガラス戸のロックを外さないといけなくて、それが原因で5分後の出航に間に合わなかった。
「間に合いませんでした」
と行って再び窓口に行った。そこで15分後のフェリーをすすめられ、「ガンバって」と見送られて、今度はフェリーに乗れた。ただし乗船ブリッジを通り船に乗ってすぐのところのちょっとしたスペースにしか家を置けず、そこから先は通路が狭くてすすめなかった。船員に聞いたら「そこで大丈夫だと思います。お客様が出入りするくらいで、出航してしまえば邪魔にもなりません。あとは車椅子の方がきたりしなければ大丈夫です。」と言われて、このままいけるかと思ったけど、ふと気がついて「桜島に着いたらここと同じところから船を降りるんですか?」と聞いたら、それは船の反対側からだと言われた。それはまずい。乗ったはいいけどこのままだと桜島についても家を船から降ろせない。ということになり、一旦その船は降りて、次の便で自動車と同じところから乗ることにした。
再び窓口に行った。一人目の女性が、あれ、乗れなかったんですか。というので説明すると彼女は再び電話をとってまたいろいろ話し始めた。電話を切って「なんども行き来させてすみません」と言う。「こちらこそお手数かけてすいません」と言った。次の便で自動車と一緒に入ってください。船員にはこちらから言っておきます。と言われ、僕はお礼を言って建物を出て、船に乗るのを待っている自動車の列の横を通って、とうとう乗った。

船は15分で桜島に着く。時間は短いけれど、それでも「船旅」という感じがする。船の移動の時間は、それがどんなに短くても特別な時間になっていると思う。桜島についたら愛想の良い男性が僕が出るのを待っててくれて、誘導してくれた。「すいませんね、一便乗れなくて」と言われた。僕はその親切さにびっくりした。運賃は160円です。というのでその安さにまたびっくりした。路上でお金を払ってその男性とも別れた。

桜島に着いたら、ある画家の人を訪ねることに決めていた。橋口さんに教えてもらった人で「あんな気骨のある画家は見たことがない」と言っていた。アルタミラの洞窟壁画を見て衝撃を受け、それ以来ずっと牛を描いていて、さらに桜島に出会い、移住してきて、それからは桜島の景色に牛がいる絵をずっと描いている。という。いちおう武蔵美の先輩にあたる人らしい。

画家の家に着いた。木造平家の古い家だった。入り口の木の引き戸がすこしだけ開いていた。その隙間から「こんにちはー」というと「はいー」と声が返って来て、白髪の男性が出て来た。「橋口さんから聞いて、訪ねて来ました。村上と申します。」と言ったら彼はすこし笑って「まあ、あがんなさい」と言って家に入れてくれた。最近大きな個展があり、それが終わったのですこし休んでいるところらしい。突然の訪問にもかかわらず、「いつものことだが、なんにもない」といいつつお茶などやチョコレートなどを出してくれた。

 彼は吉祥寺にあったころの武蔵美を卒業し、それから東京に住んで絵を描いていた。33年間住んだが、いろいろと思うところがあって、東京では絵が描けなくなった。そこでどうしたもんかと思っていた。ある日、友達にもらったテレビの白い紐をひっぱって電源を入れたら、そこに桜島が映っていた。それをみて「ああ、ここに行ってみよう」と思った。ここはいい。フェリーも15分に一回出るし、夜中もずっと運行してる。交通の便がいい。こんなに近くて行きやすいはずなのに、鹿児市のほうの港の雰囲気と、桜島に降りた時の港の雰囲気は全然違う。それはある意味では我々に責任があって、船の時間ていうのは贅沢な時間で、たった15分なんだけど、こっちから向こうに行く時は「出かける」という感じがするし、帰って来ると「帰ってくる」という感じがする。それがいいと思っている。ここは意外と人がおおらかというか、なにをしてもとがめないでいてくれるところがある。でも公務員が主な産業みたいなことになってしまっている。以前鹿児島でおおきな水害があった。桜島の噴火を除けば、それが最大の天災だったと思う。その影響で、市民に親しまれていた橋を、行政が撤去すると言い出し、それに対する反対運動をやった。でもどうしても撤去になってしまったから、その橋の拓本をとるプロジェクトをやった。そのとき協力してくれた建築家は、それ以来行政から仕事をもらえなくなった。
 外の人はいろいろ思うかもしれないが、火山灰は悪いもんじゃない。地球のずっと深いところから、何千度っていう熱で完璧に消毒されたものが吹き上がって来るもんだ。ただ、今日みたいに雨の日は大丈夫だけど、晴れてる日だと火山灰が道路に積もって、そこを車が通るうちに細かかった灰がゴロゴロしたものになって、さらにそれを車がばーっと巻き上げて体からすっぽりかぶっちゃうなんてことがあると、腹が立つけど、それは車のせいであって火山灰のせいではない。
ここはテレビは置いてない。ラジオはいつもつけてる。ラジオはつけてないと、災害なんかの情報がわからない。この間も震度4の地震があった。ここらの人間は、そういう時まず桜島を疑う。
 思い返してみたら、画家ということでいっても、自分の他に、こっちに引っ越して来て住みついた人は一人もいなかった。一人画家がいたけど、宮崎の方に行っちまった。東京に女房がいる。弟の看病をしながら暮らしている。彼女とは東京で長いこと一緒に暮らしていたが、僕に絵を描かせるために鹿児島に送り出してくれた。東京にすんでいたときはいろいろ煩わしいこともあって絵をかけなかったけど、こっちで一人でいると描ける。この絵は20年くらい前に描き始めて、今年の個展に間に合うようにして展示した。僕の世代はこうなんだ。一度出品した絵をもう一回引っ張り出して描き加えたりする。既存の画壇には入ったことがない。自分でグループを作ったりしたことはあったけど、やっぱり何人かでやっているとだんだんやり方に違いがでてくる。それはそういうもんだ。画壇とか、ジャンルとかはあまり考えすぎないようにしたほうがいい。現代アートと油絵も、何の隔たりもないと思っている。画壇にはやたら隔たりを作ろうとしている人もいるが。あんまりジャンル分けしないほうがいいんだけど、いま人が作っている作品は全て現代美術だと思う。
 女房とは離れて暮らしているけど、電話は1日になんどもする。最近は、安く電話ができるようになった。携帯電話が安いので、そのためだけにもっている。他のことにはつかわない。四六時中連絡が来ることになってしまう。このあいだ、自分の個展の手伝いのために4年ぶりに来てくれた。4年ぶりに会った。それで数十日間一緒に生活した。いくら夫婦でも四年ぶりにあったらいろいろとお互いに生活をやり方が変わっているから、最初はそれを合わせるだけで努力が必要だったが、いろいろ喧嘩もしながらやってるうちにペースがあって来た。いまは東京と鹿児島で離れているけど、一緒にいるつもりだ。彼女もいろいろしんどかったと思う。でも、俺に絵を描かせるために送り出してくれた。久しぶりに会って、「苦労かけてしまったな」と思った。俺も彼女ももう歳なので、そろそろ一緒に住まないといけないなと思う。
 ここで絵を描いていると、自然と人とは違う方法論になって来る。変わったことをやろうとしてやるんじゃなくて、自然と変わって来る。
このあたりは歴史のある通りで、島津家の頃もこのへんには役職のある人が住んでいた。もっというと縄文時代の頃から人が住んでいた。でも、この家は夫婦二人ともなくなって空き家になってるし、もう80になる私がここらでは一番若い。
 制作するということは、自己批判の繰り返しだ。それだけでも価値があることだと思う。それぞれが、それぞれのやり方で方法論を探りながら制作している。それが個人的なものでも、この方法論には価値があるんだということを、当人が言っていかなきゃいけない。価値のあることをやっているんだと主張して、場合によっては行政からお金をもらう権利も主張していいはずだ。それは価値のあることなんだから。作家として生きることの責任を考えてやっていかないといけない。僕も、たくさんの人の協力でこれまで生きて来た。よくあんな適当なことばっかり言って、これまで生きて来られたと思う。


素晴らしい作家だ。話していて、なんだか緊張してしまった。あまり人と話して緊張することはないのだけど、緊張してしまった。絵も何枚か見せてもらった。橋口さんのいう通り、どの絵も桜島(山や木などのモチーフ)と、牛が描かれている。26年桜島にすみ、桜島を描いている。そして「絵で食っていかなきゃいけない」という責任のとりかた。彼は彼の方法で何十年も筋を通してやっている。その凄みがあった。

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