高校教師の資格をとりおえた私は、上田先生(小学校の恩師)から教室で説明を聞いている。私は体育を担当することになっていて、書類を見ながら、体育が各学年で週に何コマ入っているかを確認している。

それから屋外に出た。上田先生は、芝生がまだらに生えた土手のような傾斜がある場所の低いところに立って何かを説明している。私たちは、土手の高いところに間隔を開けて1列に腰掛け、見下ろしながら説明を聞いている。先生の後ろにはフェンスがあり、その向こうには古い校舎がある。先生が私たちに尋ねる。

「休みの日には、どうするのがいいと思いますか?」

私たちは答えられない。すると先生が突然英語で叫び始めた。最初は聞き取れなかったが、何度も同じフレーズを繰り返しているのを聞いているうちに、こう叫んでいることがわかった。

「イーティング ビューティフルレイン!イーティング ビューティフルレイン!」

先生はステージ上から観客を鼓舞するロック歌手のように、何度も何度も叫び、それから最後に

「キングに敬意をこめて!みんな、ジャンピンッ!」

と私たちを煽ってきた。すると、どこからともなく忌野清志郎の「JUMP!」のイントロが流れてきて、私たちはジャンプして踊り、大声で歌い出す、という夢。

敷地も建物もものすごく広大にみえるのだけど、建物内の通路は異様に狭いスーパー銭湯みたいな娯楽施設にいる。そこに入っている飲食店のテーブル席と壁のあいだの通路を通ろうとするのだけど、とても狭く、椅子やらテーブルやらにぶつかりながらやっとやっと通りに抜けようとしたところで店員さんがいたので「すいません」と詫びを入れたら「大丈夫です」と言ってくれ、その店員は店のなかのほうへ向き直って「こんな狭いところだれもとおれねえよ!」と文句を言っていた、という夢。

北海道博物館で、松前藩が場所請負制度のさいに、和人の居住領域とアイヌの居住領域を一方的に定めてしまったことを知った。和人の居住領域には、多くのアイヌが住んでいるにも関わらず。これはずっとパレスチナで起きていることともつながる都思ったのだけど、なぜそんな一方的な通達がまかり通ってしまうのかという点がうまく想像できなかった。

建築討論のミヤシタパーク評でも書いたけど、私がこどもだったころに近所の公園に突如として「野球・サッカー禁止」と書かれた棒が出現したことがあった。でも、誰もその棒の言う事を聞かなかった。私たちはずっとその公園で遊んできて、いきなり訳もわからない棒の言う事を聞く義理はないと思ったからだった。大人たちも「いきなりこんなの立てて、バカじゃねえのか」と言ってくれた。

でもミヤシタパークではそういった注意書きの看板や掲示物がものすごく大きな力を持っているように見えた。みんながその言うことを聞いている。わたしも、ミヤシタパークでは看板の力には抗えないだろう。

アイヌは、「ここは私たちの土地だ」と考えてすらいなかった。でも、「ここは私たちの土地だ」と主張する和人が出し抜いてきて、いけしゃあしゃあと居住領域を設定し、アイヌに労働をさせた。

 

「ここは和人の居住領域です」という情報を知らされることと、「アイヌはここで居住しないでください」と命令されることは、同じ帰結をもたらすと思うけど、前者のほうが、反発心が生まれにくい。

「ここはサッカー禁止の場所です」という"情報"と、「ここでサッカーをするな」という"命令"の違いはなにか。ここでいう「情報」は「命令」と同じだ。ただし、それが命令であることは巧妙に隠されている。命令であることを相手に気が付かれないよう、「ここは〇〇です」と、さも最初からそこはそういう場所だったのだという既成事実をでっちあげるのが情報。

免許更新のために警察署に行き、手続きの最中に交通安全協会の勧誘チラシを渡されたのでじっくり見ていたら「〇〇円の入会金がかかりますね〜」と言われ、入会を希望されると仕事が増えるから正直断ってほしいという思いが伝わってきた。

新しい本が出ます!発売後すぐに売り切れてしまった『イメージと正体の調査報告』の増補版です。
「食べたい」とはなにか、という問いをきっかけに、「広告」や「消費」についての12,000字の論考を新たに書き下ろしました。
また、ライターの武田砂鉄さんから素敵な推薦コメントもいただきました。
予約は以下から
https://bonchiedit.theshop.jp/items/120512472
よろしくお願いします!

🙇‍♂️

国際芸術祭「あいち2025」でブラック・グレース(Black Grace)『Paradise Rumour(パラダイス・ルーモア)』を見た。時々流れてくるキャッチーな音楽がツボで何度か笑ってしまった。僕がこれまで触れてきたコンテンポラリーダンスとはすこしルールが違うというか、あまり見たことのないような体の使い方をしていた。腕や足の細かい動きを作り込むようなことはせず、体を大きく動かしてリズムを見せる感じ。動きのたびに汗が綺麗に光る。三人が同じ動きをしたり、ワンテンポずつずらしたり。ものすごく説明的な場面がいくつかあり、しかしむしろそれが新鮮だった。すごく素直な感じ。特にハンターハンターなどの少年アニメをミュージカルにした作品でやっていそうな走りのジェスチャーの素直さは突き抜けていて痛快ですらあった。

[少年おにいさんおじさん(しょうねんおにいさんおじさん)] 意味:少年の心を忘れずに持っていて、見た目的は「おにいさん」と呼びたいくらい若々しいおじさん

[少年病人おにいさん(しょうねんびょうにんおにいさん)] 意味:少年の心を忘れずに持っているが、病人みたいに顔色が悪いおにいさん

[こどもおじさんおじさん] 意味:こどもっぽくて、見た目も年齢もおじさんのひと

国際芸術祭「あいち2025」で、バゼル・アッバス & ルアン・アブ⹀ラーメ、バラリ、ハイカル、ジュルムッド(Basel Abbas and Ruanne Abou-Rahme with Baraari, Haykal and Julmud)のパフォーマンスを見た。パレスチナルーツのアーティストたちで、音楽と声と映像(最近のパレスチナで撮られたものらしい)のパフォーマンス、と言えばいいのか。会場が地下のクラブで、フロアは暗く、客は酒を片手に体を揺らしていて、バゼルたちも客席を煽るように腕を振っていたので、僕もいわゆる「クラブ」に来て楽しく踊るような需要の仕方をしていた。傍目にはクラブに遊びに来ているお客さんと舞台上のミュージシャンたちという構図。これが芸術祭のイベントだとは、事前情報がない人にはわからないかもしれない。でも、いわゆる「クラブイベント」ではなかった。

ステージ上には3人いた。1人は座って主にPCを操作しながらたまにマイクで声を乗せる。これがバゼル。もう1人は立って体を揺らしながらマイクで声を入れたりラップをしたり歌ったり、同時にときどき機材をいじって音も操っている。そして3人目は、2人のうしろで踊ったり、手を叩いたり、2人のパフォーマンスにマイクで応答したりと、賑やかしをしている。この3人目の存在がよかった。

むろんパレスチナはいま現在凄惨な状況で、そのバックグラウンドについて多少は頭に入れた上で僕はパフォーマンスを見ているので、いろいろなことを考えてしまうという影響もあるとは思うけど、ちょっと異様な体験だったので保存しておく。

序盤は僕も最前列で楽しく踊っていた。まわりのひとたちもときどき歓声をあげつつ、楽しそうに体をゆらしている。しかしだんだん「踊る」という需要の仕方が果たして正しいのかわからなくなっていった。バゼルたちは客席を楽しませているように見える。しかし同時に、フロアの盛り上がりなど自分たちには関係ないかのような、そんな態度も感じとれた。バゼルはときどき自分のスマホでパフォーマンスの様子を撮影していたけど、その対象は客席ではなく舞台上の自分たちだった、ように見えた。客席と舞台との距離は1、2メートル程度しか離れてないのに、じっさいに行こうとすると何十年もかかってしまいそうな、踊れば踊るほど、自分とバゼルたちとでは置かれている状況が全く違うということを思い知らされるような。それでも、これだけの距離で隔たれていても、舞台上で音が鳴れば客たちは踊り、楽しむことができるという、音楽という形式の懐の大きさへの感動もある。芸術はこのためにあるよなとも思った。遠さと近さが同時にあった。異様な時間だった。踊りながら、本当に踊っているのかどうかがわからなくなっていった。「世界」は、ひとりひとりそれぞれの方法でしか広がらないのだと思った。僕はあの異様さに打ちのめされることで、世界の「外側」に触れた気がする。たぶん。自分という湖に新しい水路が通じてしまって、山から降りてくるその冷たい水が流入部をすこしだけ冷やしてしまうような感じ。仮に20代前半とかで作品がめちゃくちゃに売れて世界中を飛び回るようなアーティストがいたとしても、そのひとにはそのひとの世界があり、その広さはそのひと固有のもので、現実の物理的な世界の大きさとはあまり関係がない。それぞれのひとに世界の狭さがあり、広さがある。大事なのは湖の大きさではなく、新しい水によって流入部がすこし冷やされること。世界の広さはそうやってしか感じられない。じっさいに身体が移動しているかどうかにかかわらないところで、世界は広がったり縮まったりしてしまう。ひとはみんな忙しく、それぞれの世界に身を置いて精一杯生きているので、その広さは他人と比較できない。さみしくなってしまった。いったんそうなってしまったら、芸術祭に来ているお客さんたちがあちこちで再会したり、新たな人との出会いのなかで楽しそうに話している会場内の光景がすべてさみしく感じられてしまい、いたたまれなくなった。

なにか心のなかにエモいものが立ち現れてきて、そのエネルギーを抱えたまま文章をとりあえず書きはじめるのが重要で、それが現れたその瞬間に、メモでもいいから短くてもいいから書きとめる時間をとれるかとれないかで決まる気がする。メモをしておけば、その瞬間の当時のエモさを保存しておくことができ、時間ができたときにそれは取り出すことができる。書きはじめることで解凍できる。メモによってエモさを保存すること。同時に、とりあえずなんでもいいから書きはじめることでエモさが降りてくることもある。その尻尾を掴んで離さないこと。話がずれていくのをこわがらないこと。

涼ちゃんの発見。約束を守らなければならないと考えている人ほど、約束することができない。なぜなら破ったときに自分が許せないから。あるいは、破ったときに人から責められる(と思っている)から。つまり約束というのは、破られるかもしれないという無意識の前提のもとで初めて機能する。約束という概念のなかには、破られるかもしれない、という前提が最初から含まれている。約束を大事にすればするほど、約束することができなくなる。「守らなければならない」という呪いにがんじがらめになり、身動きがとれない。
過剰なやさしさや気遣いが相手を縛り付けてしまうのと似ている。

最初の衝撃から七ヶ月。天竜川ナコンの「現実相談」第二話が更新された。「不幸になりたがる自分」の本質に迫る見事な言語化。そしてその語り口。音楽作品みてえだ。同じ言葉でも、イントネーションや発話速度、語と語の間合い、語尾の選択によって、こちらに伝わってくる鋭さが変わる。
この、他人がわかるかわからないかに関わらず、自分でこうしたほうがいいと信じて行う微調整の集積の果てに「表現」があるんだよなぁ!

「自分は褒められて当然だと感じている時に 褒められなかったら 違和感がある それは 普通のことだよなぁ
でも実は その逆で 自分は怒られて当然だと感じている人が褒められると それはそれで 自分の自分に対する評価が合っていなくて 違和感があるんだよなぁ!」

https://www.youtube.com/watch?v=e3Pjylz0g14

ボランティアの語源はラテン語の「ボランタス(Voluntas)」で、本来の意味は「自由意志」。

そしてカントは「自由があるかどうかは理論的には決定できない」と言っている。その行動が周囲から評価を得るために行われているのか、真の義務感から行っているのか—つまり自由な意志によるものなのかは決定不可能。

ただし「われわれは実践において自由を信じざるを得ない」とも言っているとのこと。

つまり「ボランティアは理論的には定義できない。しかし実践においてはボランティアを信じざるを得ない」ということだ。

人間/社会は、問題と問題解決だけでできているわけではないということをよくよく思い出さなければいけない…

仕事でなにかミスをしたり、公共の場所でルール違反をした人が目の前にいたとして、正義を振りかざして怒りをぶつける前に「きっと疲れてるんだ」「なにか事情があるんだ」と想像することができればいい。ミスをしたという噂を本人がいない場所で聞いた時も、それを責めるような陰口を言う前に、「きっと疲れてたんだよ」と言うことができればいい。その場を白けさせるかもしれないし、そのやさしさは本人には伝わらないけど、そのほうがいい。

だいぶ前に出会って、そのときは数日にわたって同じ建物の中でご飯を食べたり夜遅くまで話し込んだりして、とっても楽しい時間を過ごした人たちと、このあいだ路上でばったり出くわした。向こうから「村上さん!」と声をかけてくれて、振り返って顔をみた瞬間にその時の記憶が蘇ってテンションが一気に上がったのだが、しかしとっさに名前が思い出せなくて、相手の顔を指差して

「あー!なんだっけ!なんだっけ!」

と騒いでしまった。相手は笑って名乗ってくれて、お互いに再会を喜び、その場はいい感じで別れたが、名前が思い出せなかったことがずっと悔しい。今回はたぶん「なんだっけなんだっけ!」というハイテンションが功を奏して、「一緒に過ごした時間のことはしっかり覚えてるけど、名前だけがちょっと思い出せない!」という言外のメッセージが相手に伝わってくれたおかげで、おそらく嫌な印象はもたれなかった。しかし、ちょっとでも対応を間違えていたらと思うとぞっとする。

名前というものは、本来はその人を表している記号のひとつに過ぎないはずだ。名前がわからないからと言って、一緒に過ごしたかけがえのない時間まで忘れたわけではない。「名前を忘れている」という事態は、ただ単に名前だけを忘れているにすぎないのだが、無駄に関係を気まずくしたりする。不必要に後ろめたく思ってしまう。自分の心の動きが納得できない。「名前を覚えているかどうか」を、深刻に受け止めすぎている。最初から最後まで名乗らなかったけど、一生の思い出になっている出会いだって十分にありえる。名前がなにかを代表してしまっている。

しかし今回の一件から、わからないときは「なんだっけ!」と聞いてしまった方がよいと思った。今後はこれでやっていこうと思う。

8月13日から20日まで、愛知トリエンナーレの仕事で瀬戸に泊まり込んだ。尾張瀬戸駅前のホテルルートインに7泊。13日は版築の作品をつくるための下準備。14~16日、18~19日は版築作品の実制作。Hive Earthのクワメ、ラーニングの辻さん、松村さんと、陶磁美術館の岩渕さん、佐藤館長、澤井さんが主なメンバー。他に、毎日6人のバイトの大学生たちが来てくれた。クワメははるばるガーナから来ている版築のプロフェッショナル。土を見ただけで、触らずともそれが版築に向いているかどうかわかると言っていた。底抜けに明るくて体力も段違いで、きつい作業ではあったけど、彼の雰囲気に終始救われ、無事作品は完成した。版築はサスティナブルで、エコフレンドリーな技術であり、それをすこしでも多くの人に広めたいというまっすぐな信念がある。テレビの取材に対しても、「今後やってみたいことや夢はなんですか?」という質問に対して「人はみんな一つの種族だから仲良くやっていける世界になってほしい」と、一点の曇りもない瞳で答えていて、こんなにもまっすぐに、自分が正しいと思えることを目指しているのかと驚いたし、勇気をもらった。真夏に屋外で作業をするのはなかなかタフだったし、なれない英語をずっと聞いて、こちらからもたまに話して、という日々だったので疲れたが、なんか終わってみると清々しい気持ちになっている。

最終日の19日、用意していた土がふた山ほど余った。このまま作品の近くに置いておくわけにもいかないので、みんなで10メートルほど離れた場所に動かすことになった。それが、この合宿のなかでもっとも純粋な労働の時間になった。スコップでひたすらネコに土を入れ、10メートル運んだところにおろし、また戻って土を入れる。これの繰り返し。大人6人ほどで1時間くらいやっていたのではないか。ただでさえ汗だくだったのに、開始2分でさらに全身汗みどろ泥まみれになり、みんな眉間に皺を寄せてものすごい顔になりながら(クワメだけはわりと涼しい顔で黙々とこなしていた)、スコップでひたすら土を動かしていく。A地点からB地点へ、ひたすら移動させる。辻さんは何度もスコップにもたれかかってうめき声を挙げていたし、岩渕さんも今までに見たことないほど顔が歪んでいた。途中で辻さんが「フランシスアリスの作品で、こんな感じのやつあるよね」と言い出し、それは《信念が山を動かすとき》というタイトルだと私が言い、二人で「信念!」と口にだして大笑いした。「信念」ということばがなぜか無性に面白く感じられた。そこから私は頭の中でずっと「信念」「信念が動かす」「信念が山を動かす」と呪文のように唱えながら、スコップを動かし続けることになる。最初は、目の前の山の大きさに対して自分がスコップで救える土の量があまりにもすくなく、この山を移動させることなど可能なのか?と疑ってしまうくらいだったけど、やっているうちに確かに土は減っていった。「減ってるよ!」「さっきより減ってる!」とみんなで励まし合いながら、山にスコップをさしつづける時間。だんだんハイテンションになり、「やれば終わるから」「やってれば終わるんだから」と言って笑う。とてもきついけど楽しさもあった。そして山は動いた。さっきまでここにあった山が、あっちに移動している。信念が山を動かしたのである。それが美しく感じられるのは、決断によるものだと思う。私たちは「山を動かす」という決断を下した。いったいどのくらい時間がかかるのか、そもそも今日中に終わるのかもわからなかったが、それでも私たちは山を移動させることを決断した。そして、それは「山は動かすことができる」と信じる力(信念)によって成し遂げられた。

この合宿期間中、あらゆる場面で頻繁に記録写真や映像を撮っていたが、このときだけは、誰もその余裕がなくて、記録がいっさい残っていない。山を動かすあいだの、あのタフで豊かな時間を知っているのは、作業に参加した私たちだけである。何も知らない人がやってきて、土の山の存在に気がついたとしても、この山が別の場所から人間の手によって移動されたものであることは知りようがない。記録が残っていないということが、あの作業を美しいものにしている。

20日にはみんなで少年院に行き、4人の少年たちを相手に版築のワークショップを行い、30cm角くらいの版築ブロックを6つつくった。なかに「一生の思い出だから、これ(自分でつくったブロック)を持って帰りたい」と言った少年がいた。たった1時間あまりのワークだったが、これは一生の思い出であると。そのこともしみじみと心に残っている。少年のこれまでの人生や、今後の人生のこと、ひいては私自身の人生についても考えさせてくれるひとことだった。

帰りの車で、世界は広いなと思った。世界は広い。私が知っているよりも、私が、自分は知らないなと想像する範囲すらよりも、もっともっと広い。

どこかの学校。高校生くらいのようだが大学時代の友人の顔もある。三時間目の授業で抽象的なテストを受けている。隣の人は紙に言葉をびっしり書き込んで問に答えているが、私は主にカラフルな絵を使って答えている。それも、当初は答えのつもりで描いてなかった落書きのようなものだったのだけど、テスト終盤になって、その絵が割と良い感じになってきたので、これはこのまま回答として提出できるんじゃないか、と思いつき、そうしたことを覚えてる。ただし、私はそのテストの時間、何度も何度も派手にお腹を鳴らしてしまい、恥ずかしい思いをした。お腹がすいていた。授業が終わって短い休憩の時に何か食べ物はないかとあちこち探したが、ない。そうこうしてるうちにチャイムがなり、四時間目が始まる。私はあわてる。そして、コンビニで売ってる黒いバターロールみたいなやつを見つけた。急いで口に放り込み、四時間目が行われる教室を目指す。家庭科の授業だった。教室かわからず、がらんとした校内をうろうろしてる最中、乱暴熱血体育教師みたいな先生に「黒田か!?」と間違えられる。黒田ではありません、と答える。私は授業への参加をあきらめ、うろうろしている。すると、授業の一環で校内をリサーチしてるクラスメイトのグループに出くわす。家庭科の授業だが、校内で起こる心霊現象のリサーチをしているらしい。出くわすと言っても、話をしたわけではない。私ははじめ彼らについて行ってみたが、彼らはネットにも書いてある心霊スポットとされるところで、ネットに書かれた方法で霊とのコンタクトを試み始めた(ドアを◯回ノックするとか)ので、なんかやな雰囲気を感じ、その場にいるのをやめて校庭にでた。校内では、授業の一環でダンスの練習をしてる集団があったり、なんか色々な生徒がそこらじゅうにいる。ああ、さすが美大だなあ、というようなことを思った(しかし教室の雰囲気や「クラス」という概念があるところからすると、そこは高校のはずだ)。

校庭で、古びた短刀?を持ったおじいさんが学校の塀を乗り越えて入ってくるところに出くわす。おじいさんは私を見るなり短刀を抜こうとする。が、わたしのすぐ隣には知らない女子生徒がいて、おじいさんはその生徒と親しげに話している。私は、この老人とは以前会ったことがある、と思った。外でシートを広げての大人数での宴会で、同席した覚えがある。私は老人に、その旨を伝えた。短刀だと思っていたものは、抜いてみると紙かなにかでできたハリボテだった。が、呪物のようなオーラを放っている。

私は老人のもとを去り、どこかでテレビを見はじめる。というか、テレビの画面が私の視界に同期している。私が見ているのは私の景色でもあるようでいて、それがテレビ番組である、ということもわかっている、という状態。野球中継のような番組だった。ライトかセンターあたりのポジションで、野茂英雄(84歳)がフライボールをキャッチしているところがアップで映されている。解説者は「野茂はもう84歳ですが、この先もプレーを続けるんでしょうかね」と言ってた。という夢

キックボードで移動していて、路上で男二人に荷物をひったくられる。ちかくに信号待ちのパトカーがいたので、そこまで歩き、いまひったくりにあったと訴えたらパトカーは二人のところへ行ってくれた。捕まえてくれるかと思いきや証拠不十分てきな理由で二人は無罪となり、パトカーはさっさとどこかへ行ってしまった。二人が僕に対して、ぶっころしてやるみたいなことを言ってきたので、僕も怒ってキックボードで二人をぶっ叩いて逃げる、という夢。あと味が非常に悪い

ファミレス。左隣に座っている一人客のおじさんの、唐揚げの口への運び方、味噌汁の飲み方、その他挙動の全てが気にさわる。人間の動き方ではない。ただ速いだけでなく、スピード感にまるで節操がない。こんなに、人の食べ方が「無理だ」と思ったのは初めてだ。ものすごく急いでるんだろうか。箸で食べ物をつまむ瞬間まではよいとして、それを口に運ぶときに、なぜか「ビュン」と加速する。箸を口に突き刺すつもりなのか? というくらいの勢いで、文字通り「ビュン」と加速し、次々と食物をぶち込んでいる。なんなんだ、その加速は。なぜ、そこで加速する必要があるのだ。軍隊かなにかに入っていたのかもしれない。少しでも早く食事を終えるために、年月を費やして進化した食事法。

食べ物を口に入れてから、次の食べ物を入れるまでの時間も、ものすごく短い(ほとんど噛んでないんじゃないか)こともまあ気になるっちゃ気になるけど、なによりもスピードが謎だ。食器を掴み、またテーブルに戻す挙動にも、いちいち癪に触るほど速い。手の動きを加速させないと気が済まない人生を何年も送ってきたような動き。

この人と一緒に住むのは無理だと思った。顔がものすごく好みで性格も優しくて気遣いができて、真面目に働いてコツコツ貯金もできて、なのにときどき冒険的で新鮮な一面も見せてくれる素晴らしいパートナーだとしても、食べ方ひとつで離婚の理由になりうると思った。そのくらいの、本能的なレベルでの嫌悪感を覚えた。

ラーニング・ラーニングvol.6 道具を作る『道具』 七沢智樹

・文明が崩壊して百年後の瀬戸にワープしてどうやって生活していくかというワークをあとでやる

技術哲学とは

・技術は目的のための手段ではない。「テクノロジーは、単なる道具(目的のための手段ではない)。社会や人間のありようをも形成する。」

・テクノロジーが生活を変えるという「とんでもなさ」を考えるための哲学

・技術と人間は不可分で、一体であるという前提。なので技術だけを切り捨てることはできない

・テクノロジーは、社会を価値とか基準を一元化していく。より速く、効率よく。

・近代の呪い(都市・時間・システム)の起源はメソポタミアに遡る。メソポタミアは、城壁を作り、川を灌漑し、自然を支配していた

(・ハプログループ「C」(アボリジニなど)の神話の特徴。「世界は初めからある。時間という概念がない」)

・気候風土によって、一神教だったり一神教じゃなくなったりする。西側/乾燥したところでは一神教になり、東側(アジア)ではそうはならなかった

・自然世界と人工世界の境界。防護壁型と縁側(庭)型に分けて考えられる。日本は縁側型。西欧は防護壁型。→上で書いたように気候が乾燥しているか、自然が厳しいか、によってなんとなく決定されている

・テクノロジーの相対化からの「再未来化」。足元にテクノロジー以外の技術があることを発見する

現在(隠された現在)→予測される未来(新たに予測された未来)

○例えば「火」が発見されなかったら、落ち葉の発酵熱の暖房がもっと広まって、いまよりも堆肥化した世界が広がっていたのではないか

秋岡芳夫。デザイナー/技術哲学

久々に勉強堂作業。朝から。まずは草刈り。予想してはいたがものすごく繁茂している。成長スピードが半端ない。しかし屋根の上の草は思ったほど生えてない。でも、ちょっとずつひょこひょこ草が顔を出してはいる。草刈りだけで1時間くらいかかってしまった。

ランドロームに行って、フライドチキンとカットフルーツ盛り合わせみたいなパックと飲むヨーグルトと佐野ラーメンのカップ麺を買ってイートインコーナー。ジャージみたいな室内着着用のおじさんやおばさんが数人、暇そうにテーブルに座っている。みっつのカゴいっぱいいっぱいの、大量の食材を買い込んでいるひょろっとしたおばさんが、買った食材を、「新聞紙回収用」と書かれた大きめのビニール袋にひたすら移し替えている姿が、なかなかに衝撃的な光景だった。ビニール袋は何度も使いまわしているらしく、ビニール袋なのにシワが目立つ。でも丈夫そうだ。

チキンとカットフルーツを食べて飲むヨーグルト飲んだら、佐野ラーメンを入れる余裕が胃袋からなくなってしまった。代わりに、車に積んであった「ポケモンヌードル」を持ってきて、お湯を入れて食べた。おまけのシールは「メガリザードンX」だった。このポケモンヌードルを一緒に買った友達と、シールの中身がわかったら教える約束をしていたので、写真をラインで送った。「わたしもメガでした!メガリザードンXです!」

食後コメリに寄って、ドアに使えそうな滑車とレールを物色したが、夜にお風呂行くついでにカインズに寄ったほうがいいのがありそうだと判断して、結局何も買わずに勉強堂に戻り、本堂の中でキャンプチェアに座ってるうちにうとうとしてしまった。外はそれなりに暑いが、本堂の中は体を動かさない限り昼寝できるくらいには涼しい。これはすごいことではないか?

昼寝後、一気にドアを作った。ニトの展示で使ったベニヤ板2枚と、垂木で。さっき物色した滑車とアルミアングルでなんとかなりそうだったのでまたコメリに行った。耐候性の油性ニスも買う。

そこから17時半ごろまでに、一気にドアを作り、ほぼ完成させた。引き戸。いい感じ。次来た時に、隙間をどうにかして埋めたらドア完成。

 

あいちでの版築作業のため、道具を一式車に積んで帰る。日帰りだ。

 

次来るまでに、壁の内側に水を撒くシステムを考えて部品を購入しておきたい。前回晴れている時に、外壁にジョウロで水を撒いて放置して、壁の冷えが内側まで伝わるかを何日か観察してみたけど、ほとんど伝わってこなかった。室内を冷やすには結局内壁に水を撒く必要がありそうだった。それをやってみたい。かつ、風が当たったほうが水は蒸発するので、扇風機をあててみたい。

それと、東京のアトリエの倉庫に保管してある、スポンサーロゴの入ったタイルも持ってきて床に敷きたい。あとコットを持ってきて本堂の中で寝れるようにしたい。

企画したトークイベントの書き起こしをやってみてみる。以前どこかの日記に、夢日記を書く時に感じる言葉の固定作用について買いたことがあるけれど、会話の書き起こしでも、それに近いものを感じる。たとえば「私もやってみよ」と「私もやってみよう」のどちらを採用するかについて考える。書かれた文字から受ける印象は、両者ではだいぶ違うけど、会話している時はどちらのニュアンスも含まれているような感じがあったりする。「あ」とか「なんか」とか「ん」とか、会話のなかでは人はいろいろ口に出しているが、それを忠実に書きすぎると意味がわからない文章になってしまうし、書かなすぎると雰囲気が損なわれる。書き言葉は、意味やニュアンスを固定してしまう。会話を聞いている時は固定されていなかったものが、書かれた途端に凍りついたように動かなくなってしまう。

常念岳に友人6人で登った。標高2750メートル。その登山終盤に、涼ちゃんが不思議な体験をした。登り始めて早々からかなり疲れていたようだったが、中盤から後半にかかってその疲れはピークに達し、口数も少なくなり、みんなが大丈夫かなと心配していた。重たい足を一歩一歩どうにか持ち上げ、文字通り引きずるように、後ろからついてきていた。

終盤、難関と言われている「胸突八丁」という急な勾配の登山道にさしかかったあたりで、涼ちゃんは急に目からポロポロと涙を流し始めた。「木の気がすごい」と言った。しばらく涙を流しながら歩いていて、時々「人みたいな木がいる」とか「木に手を触れた時に手を握り返される感じがある」とか、「とにかく優しい感じがする」と言っていた。無事山小屋に到着して、落ち着いたころに話を聞いてみると、疲れに負けないように気をしっかり持たなきゃと思って、一生懸命登っていた涼ちゃんだったけど、すでに体は限界に足していて、もう登りたくない、もう帰りたいと思っていた。それでも気を強く保たなければ森に負けてしまうと思い、気張っていた。そしたらある瞬間、ふと木と何かが通じあった感じがしたという。木の根っこが地面から複雑に突き出ていて、登山客を段差の上へ登らせる階段のようになっているところがあって、そこに足をかけた時、この木はたくさんの登山客を見てきたんだと思ったら、急に森が包み込んでくれたような感じがしたという。君のような客はたくさん見てきた、と優しく言われているような気がしたという。それが励みになり、体の疲れが取れたわけではなかったけど、もう登りたくないという気持ちはなくなったという。完全に消えてなくなったらしい。それから、生まれ変わったらこの木になりたいとか色々と考え始め、怖くなっていったという。

薬師の湯の露天風呂。20羽ちかくもの燕の若鳥が、頭のすぐ上からはるか上空までの範囲をびゅんびゅんと飛んでいる。飛行の練習をしているように見える。360度三次元の舞台で上演されている、ダンス公演を鑑賞しているような気分。視界の上から高速で黒い影が飛び込んできて、急旋回して視界の右に消えていく。そんな動きを何羽もの燕たちが同時にやっている。もちろん、鳴き声もセットで。ぜんぜん見飽きない。いつまでも見ていられる。燕たちは建物の軒下にいくつもの巣を作っていて、そこから飛び立っては巣に戻り、またすぐに飛び立つ。空には筆でひいたような雲と青空と、もくもくの入道雲。ところによっては夕焼けで真っ赤になっている。すべてが美しかった。頭を洗ってもう一度露天風呂に戻ると、燕はいなくなっていた。さっきまで空を覆い尽くさんばかりの黒い影たちは、すべてどこかへ行ってしまっていた。巣も不在だった。みんなして、どこにでかけたんだろう。燕はこんなにも統率のとれた集団行動をするのかと驚いた。

雰囲気から察するに、大昔の中国の地方都市のような、赤色が目立つ競技場風の建物の中にいる。長さ5メートルくらいのよくしなる棒をそれぞれが1本ずつ持ち、その上部のでっぱりに足を乗せ、棒のしなりを利用しながらバランスをとって自立し、飛ぶように移動して相手を攻撃するという競技の参加者として、そこにいる。なんとなく竹馬に似ている。私はその棒の扱いがとてもうまくて、腕に自信をもっている。攻撃は、棒の下のほうに毒蛇をとりつけ、それを相手にむけてしならせて飛ばすという方法で行われる。私は棒の扱いには慣れているが、毒蛇に慣れておらず、危なっかしい手つきで、そいつ(頭はとても小さいが、猛毒を持っている)の首元を掴んで棒にとりつけようとしているのだけど、手が滑って毒蛇の頭を解放してしまい、右手に噛みつかれる、という夢