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告知

3月 10, 2019

 



「家をせおって歩く かんぜん版」が出版されました。3月11日から新築したばかりの家を使って都内で久しぶりに移動生活を行うのですが、本屋さんもまわってイベントも行なっていきます。

3月11日12時ごろから 千駄木往来堂書店 に数時間滞在します。

3月12〜22日まで 渋谷SPBSにて家が展示されます(僕は21日のみいます)。21日10時~12時はトークと、来場者に家を背負ってもらうという「家をせおって歩いてみなよ」をやります。

3月22日16時ごろからNADiff に数時間滞在します。

3月24日 代官山蔦屋書店にて19時から「家をせおって歩け」と題して、福音館書店編集者の北森さんとお話しします。ここでは、なぜこのプロジェクトをやろうと思ったのか、続けているのかなどの話をしようと思っています。この日は代官山蔦屋で寝ます。

3月30日 MARUZEN丸の内本店にて子供向けのワークショップとサイン会をやります。家のペーパークラフトをつくるワークショップをやる予定です。

4月7日: 紀伊国屋書店新宿本店にて14時から内沼晋太郎さんをお招きしてトークをやります。本が作られる過程を取材した話を中心にそこから最近考えていることを。「やっぱり本はすごい」




4月24日:ジュンク堂池袋本店で、この本の題字と見出しを描いていただいた大原大次郎さんとお話します。デザインや住むことの「そもそも」の話ができればと思います。大原さんと本を持ち寄ってお互いの読書体験の話から始めます。

 

超かっこいい大原さんのウェブサイトです

2019.04.19

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昨年制作した「清掃員村上3」の動画を公開しました

3月 01, 2018



清掃員村上3/Cleaner Murakami 3 (3rd version) from satoshi on Vimeo.

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硬軟企画「超絶縁体」

4月 04, 2019

https://mobile.twitter.com/Kounann_H_S/status/1111452305788829696

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4月 03, 2019

昨日は江戸川アートプロジェクトのメンバーと花見をしてきた。余村さん、望月くん、そして鈴木諒一さん。大変にもりあがった。飲み会であんなに話せたのは久しぶりだ。だいたいいつも話せないで聞く側に回ってしまう。

プロジェクトは面白くなりそうな着地点を見つけられた。公共機関が、「作家がやりたいから」という免罪符なしに、自主的にやるプロジェクトとしてこれが実現できたら結構画期的かもしれない。

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330日朝に恵比寿のナディフアパートを出発し、丸の内丸善本店まで家をしょって歩いていったのだけど、丸善に着く直前に路上でお兄さんから「アメリカの不動産投資にありませんか?」と声をかけられた。つい反射的に「あ、興味あります」と言ってしまった。「よく僕に話しかけましたね」と言ったら「なんか面白いなと思って。自分、大阪から来たんですよ。だからなんかこういう感じ、懐かしいなとおもって声をかけちゃいました」と言っていた。やはり大阪の人は違う。ボケに対してボケをかぶせてきた感じだ。そんな冗談ぽい感じで話しかけられたのだけど、話は結構真面目で、メールアドレスだけでも教えてもらえないかなどいろいろと言われた。オープンハウスという会社の人で、アメリカでの不動産への税金のかかりかたは日本のものと違うらしく、申し訳ないことに、せっかく一生懸命説明してくれていたのに、細かいことはあまり聞いていなかったのだけど、どうも新築から時間が経って価値が下がったりいろいろしたときに、かかってくる税金が日本とアメリカで全然違うらしい。まさに先日の佐藤先生のシンポジウムで出てきた「消費財」という話だ。家は消費財なのだ。

メールアドレスを渋っていたら、リーフレットだけでももらってくれないかと言われたので、最終的に「アメリカに、家を持とう」と書かれたリーフレットと名刺をもらった。

丸善でワークショップ(1時間でできることは、とても限られている。だからいま僕は自分のワークショップを考えている)をやって、そのあと僕の家は丸善には置きっぱなしにはできなかったので車で福音館書店の地下の倉庫まで運ぼうとしたら車に屋根が入らず、家の本体は車で向かって、屋根は別でタクシーを止めて無理やり詰め込んで運んだ。そして福音館書店の駐車場で合体させていまはそこにおかせてもらっている。いよいよわけがわからない。こんな運びかたをしたのは初めてだ。僕はつつじヶ丘にいる。移動生活に入りたい気持ちもあるのだけどなんだかんだやることが多くていまはそっちがおもしろい。



丸善で絵本のパネルを作ってくれていて嬉しかった


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3月 30, 2019

広尾を過ぎたあたり

警察官から

こんにちは。これ何してるんですか

と聞かれたので

これを家にして歩いてるんです

と言ったらすぐに

あ、これを家にして歩いてるんですか。了解です

と返ってきた。のみこみがはやい。

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佐藤浩司さんの「建築人類学」シンポジウム

3月 29, 2019

佐藤浩司「建築のフィールドワーク」石橋信夫記念ホールシンポジウム

1964年。ニューヨーク近代美術館。「建築家なしの建築」展。「建築のフィールドワーク」ということの始まり。

1966年。「デザインサーヴェイ」という言葉が流行った。デザインのリサーチ。寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」と同時期。

・「ヴァナキュラー」という言葉は使わない。

・「建築人類学とは」建築の背後にあってそれを支えてきた文化という名の巨大な構築物の存在を知り、そこに織り込まれてきた人間と住まいの関係をもう一度確認する。

・日本でいくら建築をみても、その背後に「大地」が見えて来ない。

・建築を引っ張り出したら、その背景の文化などが全部ついてきちゃうような建築が「建築の理想」だと思っている。

・『厚い記述』

・京都のCDIが今和次郎と同じく「モノ」の調査をした。

・「地球家族」1994TOTO出版

・ブッシュマンの持ち物79点(生産財:周囲の世界と対話しながら、何かをつくりだしたり何事かを成し遂げるためにある)

生業活動の道具53

住居1

衣類と装飾品15

楽器とおもちゃ10

・我々の持ち物は「消費財」(新品の時が一番価値が高くて、使えば使いほど減っていき、最後にはゼロになってしまう。使わなければ新品なのに「使うことでモノを台無しにしていくという人生」というメッセージになってしまう)。住居もそう。

・「The Living HouseAn Anthropology of Architecture in South East Asia

*僕が「移住を生活する」時において服を着るときの心持ちと「借家で寝泊まりしている」時において服を着るときの心持ちがすこし違うと感じている。「服を着る」と「服を使う」の違いというか。「消費財」か「生産財」かの二つには割り切れないとは思うけど、その考え方にはなにかヒントがあるかもしれない。

*スウェーデンで週末に家の外壁を塗ったりして手を入れる人を見て感じたことがつながる。日本でそういう光景は見ない。消費財と生産財を考えるためには「分業」の問題を考えないといけない。分業が進み、住居が「消費財」となり、自分の手から離れていく。それは文明の「進化」なのか。そうではない気がする。つまり消費という方法では世界とつながれないのか?

「与えられたものの中で住む」というメンタリティがあるから、家までいじる必要がないとも言える。駐輪場でランニングしていたおじさんの話。つまり住居の設計は暮らしのありかたと不可分で、どこからが住居でどこからが住居でないのかという境界をつくることは不可能なのだけどそこに区分があることにしないと建築家は成り立たないし、そういう区分があることにしないと社会がまわらないということになってしまっている。

そこが不可分なのに、大学の設計課題で「別荘をたてなさい」とか「集合住宅を建てなさい」と言われた時に、多分無意識ながら無理だと思った。つまり、何を設計していいのかわからない状態に一度なり、でも課題は提出しないといけないので、そこに作家性やオリジナリティのようなものを作らなければと思ってしまう。という大学の課題の与えられ方の問題があるかもしれない。

*モノという言葉使われ方が気になる。モノの背後にある人の手触りを想像できないこと。やっぱり分業の問題がある。

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昨日今日と風が強い。風は暖かいので日中の気温はもうTシャツ1枚でいいくらいに春になっているのだけど、夜は冷え込む。昨夜は用意した春夏用の寝袋ではあまり眠れなかった。冬用の方を準備するべきだった。

ここ数日いろいろなことがあり、いろいろなところに行き、色々な人と話していて、日記に残したいと思いつつ時間が取れずにいたのだけど、いますこし時間ができたので書きはじめてみると、僕の家は松陰神社前駅の目の前にある「松陰PLAT」に置いてあって、昨日はそこで眠った。その前には代官山蔦屋書店で眠った。

久々に都内で家を動かして生活している。今月のはじめに3軒目の家を完成させ、それと一緒に3331アートフェアに行って展示して、ドローイングが3枚売れた。アートフェアでは「住所に生えている木」という新しい作品を試した。つつじヶ丘のアトリエに生えていた背の低いケヤキの木に住所を彫りつけ、庭師の矢島さんと一緒にそのケヤキを掘り出して植木鉢に移して3331のギャラリーに持っていって展示した。そのケヤキは四谷未確認スタジオの黒坂くんにプレゼントした。

3331から家と共に千駄木にある往来堂という素晴らしい本屋さんにいって、今月出た「家をせおって歩く かんぜん版」の営業のために数時間滞在した。今月はこうやって本屋さんをまわりつつ、あいだで「移住を生活する」をやりたいと思っている。「移住を生活するをやりたい」というのはつまり敷地の交渉をしてそこで寝泊まりをしたいということだと思う。往来堂の店主から色々な話をききつつ(それはおいおい福音館書店のウェブサイトで連載している「ふくふく本棚」にのせるとして)、その場で本を8冊ほど売ってサインをしたりした。

そのあと巣鴨の福音館書店に家を移動させ(途中一度「職務質問」にあったが、絵本を見せたら「あ、そういうかんじですか」と一発で納得して解放してくれた。やっぱり本はすごい)、そこで一晩預かってもらって、僕はつつじヶ丘の家に帰り、翌日また福音館書店にいって家を渋谷のSPBSという店まで運んだ。歩いて2時間半くらい。ここでも店主の粕川さんから「いか文庫」など色々とおもしろい話をきいて(それはおいおい〜以下同)、そのまま1週間ほど家を置かせてもらったというか、展示させてもらった。SPBSでも寝泊まりしたかったのだけど(なんせ渋谷の、NHKの目の前という敷地だ)、大家さんからの許可が下りず実現には至らなかった。その後ぼくは家をSPBSに残し、映像人類学をやっていてアーティストのJohn Tamura Wellsと一緒に6日間ほどモンゴルに行ってきた。Johnが17年前にモンゴルに滞在してフィールドワークをしたり展示をしたりしていたという話を「変容する家」展の打ち上げの席できいて、「モンゴルでも『移住を生活する』をやってみたい」というのがきっかけとなった。後日ジョンにもう一度その話をしたら、とんとん拍子に今回の訪問の日程が決まった。資金的にもアポイントメント的にも完全に自主的な訪問なので、一人だとなかなか踏み出せずにいたかもしれないけど、ジョンは非常にフットワークが軽く、彼もモンゴルでもう一度制作をしたいと思っていたのもある。初めて行ったモンゴルはとても刺激的で、リサーチとしても実りの多いものだったのだけど、その話はまた別に書くとして、モンゴルから帰ってきて3日後の3月21日はSPBSに戻ってトークと共に、来場者に「家をせおって歩いてもらう」というイベントをやった。僕としてはいつもやっていることなので、家を背負ってなにが楽しいのだろうという気持ちがあったのだけど、みんなかなり楽しんでくれていた。「これは背負いに来なければ!」と思って京都から来たという人もいた。

イベントの翌日に家ともにSPBSを出発し、そこから歩いて10ふんくらいのところにあるBunkamuraのnadiffに行って1時間半ほど滞在。そこでも店長の飯塚さんから、本屋をやっていて面白いことや修士論文はマーク・ロスコの色の研究をしたという話などいろいろ聞いたり、サイン本をつくったり。そこでサモアから帰ってきた慶野と数年ぶりに再会したりもした。

そんでBunkamuraから30分ほど歩いて代官山の蔦屋書店に着く。蔦屋についてからイベント担当のスタッフを読んでくる間の数分間を待つため、家を蔦屋前の歩道に置いたら速攻(0.5秒くらい)で警備の人が近づいてきて

「ここは歩道なので、このような大きなものは置けないのですが・・」

と話しかけてきたので、「さすが代官山はこういう対応が早いな」と思いつつ、この家は蔦屋でのイベントのために持ってきたもので、今担当者を待っているところですという説明をしたところ

「あ、イベントの展示物ですか・・なるほど・・」

と行って一瞬困ってしまっていたが、また一瞬後には

「そういうことでしたら!」

と言って去っていった。あとでスタッフに聞いたら「蔦屋の警備員優秀なんです」と。その日の夜は慶野にGFA(ギョウザファインアート)というアツい飲み会に連れて行ってもらった。

-ここまでの記述は3月27日。以下から29日。

そして、と、二日前に書いた日記の続きをいま再開することについて、ちょっと考えたりもしたいけどとりあえず難しいことは考えないようにして、24日には担当編集者の北森さんとのトークイベント。もう少し話を先に進めたいなと思ったけど時間が足りないと感じた。あとリラックス。少し緊張してしまっていて、話がこわばってしまったように思う。

代官山蔦屋でも一泊し、書店員さんたちから色々と話を聞く。蔦屋書店は2時までやっていて、近所に住んでる小山一平に連れられてレコードが結構大音調で流れている良いバーで飲んでから蔦屋に置いてある家に帰ったりすることができた。しかし瀬野尾さんという店員さんを待たせてしまっていた。夜中2時までやって朝7時から開くということもあり、この店には24時間人がいるので眠らせてもらうことができた。書店員には同年代の人も多くて、友達のような気持ちになった。人の職場で一夜過ごしたらその人と友達になれるのかもしれない。ドミューンで働いてた人もいた。

25日に毎日こども新聞の取材を受け(記者の人は昔赤瀬川原平と街を歩く企画で一緒に仕事をしていたらしい。羨ましい。僕のこのプロジェクトを「赤瀬川さんに見せたかったですね」と言ってくれた。僕もそう思う。赤瀬川さんや今和次郎さんや吉阪隆正さんなど見せたかった人がいっぱいいる)、蔦屋を出て行こうとしたらスタッフに呼び止められる。「WIREDという雑誌の刊行記念で、WELL-BEINGについてのトークをやるんですがちょっと参加しませんか」と言われた。WIREDの編集長とドミニクチェンさんが対談するらしい。いいですよ、と言ってそうすることになった。進行がすでに決まってしまっているので、登壇することは難しいかもしれないけどイベントの最後にマイクをふるのですこし・・ということで、もう一晩蔦屋ですごすことにしたのだけど、それは結果的に二人の対談が時間オーバーで、僕は話すことはなくただ聞いていただけになったのだけど、面白かった。

ウェルビーイングという言葉は馴染みがなかったけどBeingというのが大事なのだと思う。Doingではなく。トークを聞いていて「自分の範囲」をどこまでのものに設定するのかという問題と「規範意識」をどうやってもつかということの問題だなと思った。

しかし一番やばいと思ったのはドミニクチェンさんが言っていた

「ビッグイシューを最近買って読んだらクオリティが高くてびっくりして、それまで買ってなかったけど売っているところを見たら何も考えずに即買うというアルゴリズムをインストールしたんですけど」

という話だ。誰も突っ込んでないし笑いもおこってなかったが、ドミニクさんはちょっと「どうかしている」と思った。「アルゴリズム」とか「インストール」というデジタルな言語を、自分の習慣にそのまま適用したりする。柔軟というかなんというか。しかしこれはとても効果的な気がする。自分で「インストールした」と思うことによって「買うことにしよう」と思うだけよりもずっと強く習慣化できると思う。

またフェイスブックやツイッターやインスタグラムと自分の生活との関係についても、基本的に僕たちは「いること」だけで何かを成しているのに、明文化できる「すること」をしないと投稿することができず、結果「いないことになってしまう」のが現状のSNSで、それは精神に良くないと思う。「すること」「していること」だけをとりあげて「していないこと」はなかったことになってしまう。そして「したこと」「すること」を呟いても反応が気になっちゃうし、呟かなくてもいないことにされるから嫌だ、という悪魔の連鎖。今読んでいる「ソウルハンターズ」で、

ユカギール人にとっての「知ること」は多くの場合、もともと言語によって作られた自己と世界の境界を越えるという問題であるということである。P121

と書いてあるのだけど、これはとても納得のいく言い回しで、遠藤一郎さん風に言うと「考えれば考えるほどバカになる」問題のことだ。つまり言語をつかうこと自体のなかに「自分」と「他人」の区別を強くしていく力が備わっていて、そうすると言語で考えれば考えるほどトークイベントの中で言及されていた「私のウェルビーイングを、私たちのウェルビーイングにしていく」みたいな話からは遠ざかっていくような気がする。「私たちのウェルビーイング」を「トーク」イベントのなかで取り上げること自体に無理があると言うか・・・。

そんなことを思っていたら、4月7日に新宿紀伊国屋で対談する内沼晋太郎さんが僕の本をツイッターで「これこそウェルビーイングついての本かも」と紹介してくれていて、7日にはその話もぜひ持ちかけてみようと思った。

その翌日蔦屋書店を出発し、松陰PLATにきた。松陰PLATに入っているぱっきゃまらーどという絵本屋さんや、タビラコというめちゃ良い喫茶店の人たちと仲良くなれた。good sleep bakerというクラフトビールをたくさん扱っているお店もよかった。石津ちひろさんという作家と福音館の編集者に偶然会ったりもした。

松陰PLATは良い敷地だ。世田谷区の住宅街と商店街の中間くらいにある場所で、家は二階のちょっとデッキになっているところに置かせてもらったのだけど、素敵なライティングがされていて気持ちがいいし、電源もWifiもトイレもあって銭湯も近くにある。キャンプのような気持ちだ。つつじヶ丘に帰ろうと思えば帰れるのだけど、発泡スチロールの家にあえて寝泊まりして、僕自身の、街の見え方を変えさせる。久々に発泡スチロールの家で野外で眠った。夜銭湯に行って家に帰る時、不思議と荷物が軽く感じる。

そんで翌日の昼に松陰PLATを出発。最近NONIO ART AWARDで準グランプリになった内田涼ちゃんに撮影してもらいながら移動。涼ちゃんに外から撮影してもらい、家の中からはJohnの映像人類学的な手法にならって、アクションカメラを家のあちこちに取り付けながら撮影した。

世田谷区の寺院を3箇所ほどまわって敷地交渉をしたのだけど、1箇所目は住職さんに「ちょっとうちはこまるなあ。このへんは浮浪者も多くて、一人寝るのを許したら他の人もそう思っちゃうから。昔門の前で、雨降ってるのに布団敷いて寝てるやつがいたこともあって・・」などと言われて断られる。僕があの白い家を置いて寝るのをみて「あ、ここで寝ていいんだ。俺もやろう」と思う人間がもしいるとしたら会ってみたい。でも住職さんはめちゃ人の良いおじさんだった。

そのお寺を出発しようとしたら、子連れの母親が僕の家を興味津々で眺めながらスマートフォンで撮影していたので話しかけてみたら、なんと近所に住んでる占い師(西きほ子さんという方)らしく、近所で良さそうなお寺を二軒紹介してくれた。その2軒にも敷地交渉にいったのだけど一軒目(公園と一体化している気持ちの良いお寺だった。ここで寝てみたいと思った)はインターホンを押しても反応がなく、2軒目は門の前にでかでかと「〜家葬儀」と書いた看板が掲げられていて、流石に葬式の最中に敷地の交渉はできないと思って遠慮した。もう暗くなってしまって敷地を交渉する気にもならず、翌日いく予定だった恵比寿のNadiff APARTに電話して、そこに置かせてもらうことに。29日15時54分現在もそこに置かせてもらっている。

撮影後にご飯を食べている中で、ワークショップのアイデアが生まれる。このワークショップの話を山梨県立美術館の「みなび」の雨宮さんと、Nadiffの川越さんに話してみたら二人とも乗り気だった。今まで思いつかなったアイデアだけど、5年このプロジェクトを続けてきたからこそ生まれたアイデアでもあると思う。

そんでいま僕は本郷3丁目の上島珈琲店にいる。慶野に誘われて佐藤浩司さんの退官記念シンポジウムを聞きにきている。「建築人類学」とはまた聞きなれない言葉だったけど、とても面白い。「都市で建築人類学は可能か」という話はまさに僕の興味と繋がる問題だ。

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3月 12, 2019

被災者とは誰で、被災者ではない人とは誰なのか。よくわからないし決められない。被災者ではないが、被災者ではないともいえない。そのくらいの曖昧な自我で生きていると思う。僕の他にもそういう人はいると思う。でも行政はその区分を考えなければまわらない。

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3月 05, 2019



・同じく3月に創元社より刊行される「あの日からの或る日の絵とことば 3.11と子どもの本の作家たち」という本に参加しています。編集者の筒井大介さんにお声がけいただき、すごいメンバーのなかに混ぜてもらいました….。荒井良二さんの装画が最高です!特に裏が好きです。

現代ビジネスに記事を書きました

・アーツカウンシル東京が行なっているプロジェクトART SUPPORT TOHOKU-TOKYOのなかで、仙台の荒浜地区を訪ねて、その津波で流されたこの町の2018年6月20日時点の様子をドローイングにしました。セルフビルドの漁師小屋やスケーターパークが野原のなかに点在していて、松林が作られようとしていたり、誰かがたてた鳥居があったり、でも行政による復興計画があったりそれが進んでいなかったり、時間のポケットみたいな場所でした。PDFで全文読めます。

murmur magazine for men 4号にコラムを書きました。

・3月に福音館書店から単行本「家をせおって歩く かんぜん版」が出ます。それにあたって「本を一緒につくっている人たちに会いにいく」という連載をやっています。

3331アートフェアに出品します。金沢21世紀美術館の黒澤浩美さんが嬉しい推薦コメントを書いてくれました。僕は昨年京都のARTISTS’ FAIR KYOTOというアートフェアに出させてもらったんですがいつものドローイングなどをだしたら一点も売れなかったのが残念でしたので、今回は「アートフェア」という場と僕の活動の接点を考えて制作した「住所に生えている木」(仮)という新作を出品してみます。

I will participate the exhibition”3331 ART FAIR”. Hiromi Kurosawa(Chief curator of 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa) recommended me for this art fair. And she wrote a great recommendation comment. I’ve thought about the point of contact between “art fair” and my project, and then I have made a new work “A tree grew in address”.

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3月 04, 2019

自分の友人が言っているところを想像して一番きついのは「Tポイントカードお持ちですか?」だ。

友人のそういう場面をみたくない。モザとかが一番見たくない・・。

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3月 01, 2019

組織的隠蔽がなかったという報告を正当化する話、ギャグかと思ったけどマジメにそういう話をしている。まず隠蔽という言葉の定義をして、隠蔽には当たらないという論法。定義なんて誰も聞いてないし本来どうでもいいのだけどマジメにそんな話をしている。言葉も不正使用しているというか。人は中身のやりとりをするために言葉という入れ物を使っているに過ぎないことを、忘れたフリをしているというか。メタ言葉のようなものまで作らないといけないのか。そのうち2+2=5とも言えるわけです。とか言いそうでこわいけどこれは何か作品のアイデアにもなるかもしれない。

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2月 22, 2019

調布市のゴミ袋には、日本語中国語英語韓国語に加えて、ポルトガル語。

三鷹市のゴミ袋には、日本語中国語英語韓国語に加えて、タガログ語が併記されている。

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2月 20, 2019

現代ビジネスの少し前の記事で、福島から東京に母子で避難したお母さんが自殺してしまったという青木美希さんの記事を読み、復興庁は「避難者」の定義をしていないと書いてあってびっくりした。復興庁が各都道府県から避難者の数を聞いてその数を毎月ウェブで公開しているのだけど、参議院の議事録で吉田忠智さんという議員が首相に対して「復興庁が二〇一四年八月二十九日に公表した「全国の避難者等の数」には、「埼玉県については、今月から公的主体が提供している住宅に避難されている避難者以外も調査対象としたため、人数が大幅に増加しています。」との「なお書き」が付記されている。これは埼玉県においてのみ、避難者の定義が他の都道府県と相違していたという意味か?という質問をしていて、最近の統計の適当さはやっぱり以前からあったのかと思ったりしたのだけど、ルポを書いたり、避難者を救済するために動いている人たちのことを知ると、しかし自分はこんなことしてる場合なのか?自分は自分が面白い人になりたいだけなんじゃないか?

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COCKROACHを久々に聞いて、高校生のころ、この歌を通していろいろな話をしたような気がしていたけど、コックローチなんて聞いてたのは僕だけだった。でも、たしかに濃密なコミュニケーションをしたような感じが記憶として残っている。音楽を通して、彼らとたくさんのことを話した、というか彼らを通して自分と話をしていたんだと思う。話し相手だったというか。自分の死後のことを歌うとは、なんてことを考えるんだとか、「純真の目」とか「孤独に輝く石」とか「食人欲求者の謝肉祭」とか、こんなことを言ってくれる人は彼らしかいなかった。ほんとうに不思議だ。ぼくは彼らと会ったこともなければ、ライブに行ったこともない。でも本当に彼らと話をたくさんしたような記憶として残っている。

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日韓関係がうまくいってないという幻想を生きている人たちに対して、どう切り出せば波風を立てずにこちらの話をするかというところはほとんど永遠のテーマみたいに考えていかないといけないと思うのだけど、ビデオニュースで吉澤文寿さんの話を聞いて考えたのは「僕は韓国との関係うまくいってますよ」こう言えばいいんだ。最初の切り出し方としては。「だから僕と韓国の関係に水をさすようなことをいう政治家たちは、日本人でも韓国人でも、嫌だなと思います。」。じっさい観光客も文化交流もめっちゃあるわけで、なんか政府同士が上の方で勝手にやりあっているというのは事実だ。

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僕はテニスや卓球などラケットを使うスポーツが好きだけど、インパクトや丸ノコなどの道具を使うことも好きだ。両者は似ている。どちらも、道具を介してすこしからだが延長する感じがする。僕の清掃員のプロジェクトも、移住を生活するプロジェクトも、これまでにやってきたほとんどのプロジェクトも同じだ。体の動きを「道具」を介して世界にすこしおしひろげる感じだ。

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何を作っているのか。一体何を作っているのか。一瞬だけ使われるものを、作っていると言えるのか。あれを続けるのはきつい。ものづくり、とかではない。あの時間は一体・・

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やはりバイトはきつい。時間を無駄にしているような気がする。とりあえず体を動かして死ぬのを待っているような気がする。しかしこの場所で30年以上も同じメンバーで、同じような仕事をやりつづけている人たちがいる。最中はただ面倒だけど労働の最中でない時にこの現場のことを考えると不思議と感動する。本当にすごい。

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ここのところ、テレビ中継されるサッカーの試合で両サイドのゴールのそばの芝生の上に置かれて、テレビで見ると立ち上がってみえる絨毯ような広告をつくるバイトをやっているのだけど、毎日同じの会社の広告ばっかりつくっていて、これがサッカーの試合のさなかでテレビにうつると広告になるのにここで見るぶんには全然広告にならないどころか、毎日同じ生命保険会社の広告ばっかり作らされて、この会社の保険には絶対に入らんと思ってさえいる。広告には広告である時間とそうでない時間がある。広告はいつ広告なのかを考えるといいかもしれない。広告物という物体が、全く広告になっていない時間帯がある。広告が広告になる条件とは。お金を出して楽しませてもらっているという背景が透けて見えないと、広告は広告にならないのか?

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「なおみちゃんのお姉さん、…..だっけ?」というふうに、社長が突然話し出すのを受けて、他の人が「…..ですよ」と受けていて、誰か知り合いの姉妹の話をしているのだろうなと思って聞いていたら、プロテニス選手の大阪なおみさんの話題だった。こうやってテレビでしか見たことをない人を、知り合いの親戚か近所の人のように突然話し始めるのをよく聞くのだけどそのたびにとても驚いてしまう。テレビを全然みないからなのか、違和感さえある。この感覚はわからない。

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1月 19, 2019

ハンストは本当にすごい。パフォーマンスだ。誰かを阻むとかするわけではなく、ただ自分が食べない、ということが、強いメッセージになる。

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1月 12, 2019

SPAの「ヤレる女子大生ランキング」なる記事が女性軽視だという署名活動があって、そんなに騒ぐことかというか、くだらないなと思って賛同できずにいて、それを人と話すうちに、署名には賛同できないが「ヤレる」という言葉遣いは違和感があるというか、女性をモノとして見る空気があるのは問題だろうと思っていたのだけど、昨日のデイキャッチで宮台真司がこのことについてツイッターのフェミニストの人の発言を援用しながらわかりやすく解説していて、「SPAの記事には基本的には問題はない、これを問題にするならヤリチン大学ランキングとか、ナンパされたくない学校ランキングとか、寝たい男ランキングとか、出世する大学ランキングとか、東大合格者ランキングとかカテゴリーでランク付けしている全てのランキングを問題にするべきで、そんな息苦しい社会あってたまるか」というものだった。さらに「ヤリマンは悪い」もっというと「ヤリマンは侮辱だ」というのがさもみんなの共通前提であるかのように話す署名を集めている側こそが、フェミニズムの歴史からいくと女性差別であると。「ただスパの記事には別の問題があって、それはヤリマンを尊敬する感じに書かれていないことだ。女性をモノ化することを助長する感じに書かれているのは問題であると。でもヤリマンであることは問題ではない。」議論がふたつに分けられた。この話題は色々な人と話してみたい。

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白田一馬さんが生きていることが確認されたという話を阿部君から聞いて、昨日hpgrpギャラリーに白田さんの個展のオープニングを見に行った。3年ぶり?に展示をしたらしいが、前回吉原で見た時以上に呪縛から解き放たれていて、生涯ベスト級に最高だった。ストリートと絵画が同時に迫ってくる。バスキアよりも切実なバスキア感がある。絵の他に、ギャラリーの中央にモニターやパソコンが積まれていて、白田さんがベトナムとか中国とかの建設中の超高層ビルのてっぺんまで登って撮影した自撮り映像が流れているのだけどそれがすごすぎて笑うしかなかった。あんな映像は見たことない。。そしてその映像がその展示空間にあることに全く違和感がない。あの映像と絵は完璧にリンクしているのを感じる。それが不思議だ・・。hpgrpの坂井君も言ってたけど、彼の絵には事件性があるというか、なんというか事故現場っぽい。事件現場というか、事故現場というか、そういう場所で撮影された現場写真のようで、その事件現場の絵と、文字通り事件現場(彼はビルに登る過程でいろんな国でなんども捕まって留置所にも入れられている。その話も最高だった)だった超高層ビル自撮り映像が同じ空間にあるのは違和感がないはずだ。白田さんが別れ際にハグしてくれたのも嬉しかった。

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左足の大腿筋を痛めてしまって身動きが取れなくなったり、左肩がすこし違和感があるなと思って医者に行ったら軽い四十肩になっているという診断を受けたり、風邪を引いてその咳が10日間以上続いてしまったりしていた年末年始を乗り越えた。あと去年10月に久々に歯医者に行ったら虫歯が三つ見つかったりもした。2ヶ月半かけて全て治療した。体調の記録として。

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こまばアゴラ劇場で「これは演劇ではない」というフェスティバルをやっていてそのなかの新聞家の「遺影」という作品を見てきた。新聞家は「塒出」以来2回目。役者二人が椅子に座ってそれぞれ一回ずつ、すこし長い文章を話す(彼の作品は役者が「文章を話している」という感じがする)だけのストイックなものだったのだけど、役者の二人の話し方に不思議な緩急があったり語と語のあいだがあいたりしていて(話をしようとしているのではなく、文章を話そうとしている)、その余白の感じから荒川修作のICCのインタビューを思い出した。二人の役者があの感じで「あー、、」と、次の語を探すようなフィラーが入ると、もう荒川さんの話し方になる。

荒川修作 インタヴュー


荒川さんに限らずインタビューに答えてる人の挙動と、今回の遺影の二人の役者の振る舞いには共通点がある気がする。インタビューに答える人は、自分が発話したものが文字起こしされて文章になってしまうということを考えながら話したりするので、話しながら言葉を選んだりする時に生まれる一瞬の合間とかが、普通にその人が友人と話したりするときとは違う「その人の見え方」をつくる。その点今回の役者二人は、覚えた文章をたどたどしく(なにか演出家からの指示があるのか?)再生していたことが、言葉を選ぶ仕草に似た時間をつくっているというか、インタビューに答える人とは逆のことをやっているのに、似た仕草として現れているというか、それが面白かった。

その構造と、二人の台本を覚えている「プロンプター」が変装して客席にいたことによって、役者二人はそのプロンプターを探すような目の動きをしていたわけだけど、人を探すっていう、演技でもなんでもないごく自然な仕草を舞台上の人がしていて、二人の役者は舞台上にいるのにある種客側にもまわってしまっている構造が似ている。今回の上演でプロンプターとしての人を発見できたのは村社君にとって大きな収穫だったんじゃないか。

あと日常生活のなかで、誰もが持っているであろう「テッパン」の話を人にするときのことも考えた。以前誰かに話した同じ話を、別の人に話す時に人は言葉を話す主体というよりは、言葉によって動かされる客体側にまわる。

塒出のときもそうだけど、新聞家の作品からは台本のテキストを役者に読んでもらっているのに、テキストと役者を引き剥がそうとする力を感じる。

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