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9月 08, 2018

いま金沢にいます。「変容する家 Altering Home」展に参加します。よろしくお願いします。

僕は「移住を生活する」と「看板図書館」というプロジェクト2点を2会場で展示しています。



撮影:CAN TAMURA


東アジア文化都市2018金沢 変容する家

我々の生きる現代では「家」は一つの社会システムとして構造化されています。建築的・物理的な 「家」は一般化しやすいのですが、表面化しない感情、慣習や文化全般に融解している「家」は、多角的に考察されなければ、その意味を捉えることは困難です。とりわけ、グローバル化によって移動が常態化した今日において、人々の「家」はどこにでも、いくつもあるのか、あるいはどこにもないのか。この問いを起点に、金沢の街なかに存在する使われていない日常空間を探し出し、日本・中国・韓国の現代美術作家が「家」をテーマに作品を発表します。
 

会期:2018年9月15日(土)– 11月4日(日)

開場時間:10:00 – 17:00

休場日:毎週月曜日(ただし、9月17日、24日、10月8日は開場)、9月18日、25日、10月9日 会場により異なる場合があります。

会場:広坂エリア、寺町・野町・泉エリア、石引エリア

料金:入場無料

企画:金沢21世紀美術館

http://altering-home.com/





Participating in the exhibition

Culture City of East Asia 2018 Kanazawa: Altering Home

In our modern age, a “home” is structured as a social system. Although the architectural, physical “house” is easy to generalize, the meaning of “home,” which is entwined with emotions, customs and culture, is difficult to capture unless it is considered multilaterally. In particular, nowadays when mobilization has become permanent by means of globalization, can “houses” or “homes” be found anywhere – or possibly, nowhere? Based on this question, within some of the unused spaces of Kanazawa, contemporary artists from Japan, China, and Korea will present their works on the theme of “home.”
 

Period:Sat. September 15 – Sun. November 4, 2018

Hours:10:00 – 17:00

Closed:Mondays (Open on Sep. 17, 24, and Oct. 8), Sep. 18, 25, and Oct. 9* It may vary depending on the venues.

Venue:Neighborhoods in Kanazawa city (Hirosaka, Teramachi/Nomachi/Izumi, Ishibiki)

Admission:Free

Planning by:21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa

https://altering-home.com/en/

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昨年制作した「清掃員村上3」の動画を公開しました

3月 01, 2018



清掃員村上3/Cleaner Murakami 3 (3rd version) from satoshi on Vimeo.

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12月 04, 2018

「アジアに目覚めたら西洋美術を参照しつつ、なんというか地面の上に立っている表現をたくさん見た。岡崎さんと松浦さんの理念と経験の話を思い出す。美術の歴史という理念と、現実の世界という経験のバランス。経験を、理念からの要請に応じて適度に切断しつつ、積み重ねていく。2018年の僕はこれを引き継ぎ、その上でやっていかなくちゃいけない。とにかく僕はもっとこちらに近づきたいと思った。韓国のイ ガンソという作家が、1973年にギャラリー内で酒場をやるという実践をやっていた。ティラバーニャのニューヨークより20年くらい前に。体型だてたものでないと理解ができないという、こちらの頭の構造をなんとかしなければいけないかもしれない。やっぱり韓国に行くべきかもしれない。

ソウルで結成されたという現実と発言というグループのマニフェスト

「現実とは何か」「それを見てどのように感じるのか」「発言とは何を意味するのか」「発言の方式はいかなるものか」

時代背景を考えると、胸に迫るものがある。

そして近美は立地が良い。展示を見たあと外に出て目に飛び込んでくる丸の内の高層ビルの光がすこし遠くのもののように感じる。いまのこの僕がいる現代が、近代の延長にあるという実感がうまれる。

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僕にとって本当の意味での「遊び」は一人で行っているときに生まれた。今では「あの本当に遊んでる感じ」になることはすくなくなったけど。誰かを相手にしないと遊べないと思っている人が多いけど、それは気のせいだ。

だから世の中こんなことなっているんじゃないか。と言いたくなるけど、そういうのはもうできるだけ控えたい。せっかく考えを進めているのにいちいち立ち止まって、我に返って、周りを見て、なのに世の中は、とか言うな。そういうのはもうやめよう。どんどん進めよう。

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久々に街に出かけて、絵本のためのドローイングを宅急便に預けた足でongoingに行って展覧会に行って来た。ストレートな政府批判の作品という情報を事前に入れていたけどそうは見えなかった。手や耳や口を塞いだ小さな人のような石膏像がたくさん置かれていて、”現実を見ていない人々”を皮肉りたかったのだろうと思うけど、それが作品として売買されていて、それが一番皮肉だった。この石膏像が誰を指すのかよくわからず、帰りに井之頭公園にいって犬の散歩をしてる人たちや鬼ごっこをしている子供達を眺めながら、この人たちのことを言っているのかと思うと、あんな単純な構図ではないと思った。昨日はPOISON-言いたいことも言えない世の中じゃ-という曲の歌詞について考えていて、この曲もこの作品と同じように、とかく自分の外側(にあると、作者が思い込んでいる)のもの(”世の中”とか”世間”とか)に対しての表現は、紋切り型というか、だいたいどれも同じようなメッセージになる。中心が空の、ドーナツのような物体を見ている気持ちになる。”中動態の世界”からいくと「誰かに騙されること」と「自分を騙すことなく生きていくこと」の境界は実はものすごく曖昧で、物事を見る側の網膜がレディメイドになってしまっている状態を解体しようとしたデュシャンから50年経っても、こんな感じなのかと思った。「中動態の世界」の対極にあるものとして、POISONや、今回の作品を考えてみると良い。テレビドラマのバックアップのもと、国民という”空想の総体”に向けて作られたもの。デュシャンはそれを暴こうとしていた。しかしpoisonに関しては、反町は俳優で芸能人であることを考えると、もっと複雑な話になってくる。。反町がこの歌詞を本心から思っているかどうかは関係なく、俳優としてのアイデンティティと個人としてのアイデンティティを分けて考えていて、つまり「死ぬまでピエロ」を決め込んで生きている可能性もあり、それはそれで「かっこいい」と思ってしまうところだが、それは本当にかっこいいことなのか?「死ぬまで語らず」的な「最後まで役者だった」的なそれ。そういうものを美徳としてしまう考え方も、単なるイデオロギーなんじゃないか?それはなんとなく「ブラック企業」を思い起こさせる。

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https://www.facebook.com/pg/ActionforEducation/photos/?tab=album&album_id=2152763928375282

https://www.facebook.com/pg/ActionforEducation/photos/?tab=album&album_id=2152764715041870

台湾の宜蘭でのワークショップが終わった。中学生20人くらいと一緒に1日半の長丁場だった。2つの学校で1回ずつ。計4日間。AGUA Designという事務所が中心になってやっているCITY YEASTという団体から招待いただいて17日から台湾に来ていた。子供達を都市を良くするための酵母菌と考え、action for educationというテーマで世界各地から招いた人と台湾内の学校(どうやら学校側からの立候補で決まるらしい)をマッチングさせてワークショップを行っている。とても良い企画だと思う。何が良いかと言うと、学校教育がこのままではいかんということは全員わかっているけど先生は忙しすぎて余裕がなく、学校内からこういうアクションをやろうと動き出すことは大変ハードなことが予想できるので、外部機関がこういうかたちで教育に介入して、文字通り学校の先生と協力して、その「1日半」ぶんの通常授業の枠をこじ開けて実行している。しかも、今回対象になった学校以外の学校にもこの成果を共有するため、他の学校の先生たちをワークショップ見学に招いたり、終わった後にディスカッション(2回)やフォーラム(1回)を何度もやったり、映像記録、写真記録、文書記録の人がそれぞれいて常にワークショップ中の様子を記録している。事前にインターネット上で顔が入った写真を公開されることの承諾を子供の親から取り、撮影した記録はほとんどリアルタイムで次々フェイスブック上にアップされている。最初にこのプロジェクトへのお誘いメールが突然台湾からきたときはびっくりしたが子供達のワークショップに関しては考えたいところがあったので、この機会にワークショップというものに真剣に向き合ってみようと決めてプランを考えた。最初は身近な材料から椅子を作り、それを被って街に出て、つまり自分が町のインフラになってオフィス街を歩く人たちの前に出てきて座ってもらうために頑張る、というようなアイデアを考えたがそれは「台湾では全員普通に座ってしまうからつまらない」というような理由で却下され、「町の中に自分の町を作る」というものになった。

まず身近なリサイクルの材料(ダンボールやペットボトルや紐など)で家を作る。ただし一人ではなく、3~4人のグループで。それができたら、次に町のなかにあるものを選んで作ってみてくれ、と言う。それは電柱、車、看板、市役所かもしれない、畑、ファミリーマートかもしれない、海や山かもしれない、ベンチかも。そしてなにを作ろうとも、それは自分の家と関連しているので、その家とつなげてみてくれ、と言う。家は最後に外に持っていってそこで町にします。そこで日本から持ってきたおやつがあるので、おやつタイムにしましょう。給食もそこで食べましょう、材料も時間も限られているので、工夫する必要がある。そのときは一緒に考えましょう。

というのが最初のアイデアだったが、実際始めてみると事前に考えた流れとはすこし違うものになっていった。僕も大変勉強させられた。

数人のグループで家をつくり、それを集めて町をつくり、その町の外には公共空間という、本物の町がある。自分たちで作ったその町は、公共空間の中での自分の居場所になっている、という構図を作りたかったのだけど、今回は学校内で作ったものを持学校の敷地外に持ち出すのは立地的に難しく(外には広い場所がなかった)、車やバイクも多いので断念した。なので学校の敷地内の外部空間に町を持ち出したのだけど、そういった、自分の空間と公共空間の関係というコンセプトにも支えられつつ、素材と向き合う作業が予想以上に面白くて、手を動かしながら身近な素材と向き合って、空間を立ち上げるためにどうしたらいいのか考える、するとその素材の性格が見えてくる。ダンボールは面で、紐は線だから、ダンボールは紐で縫うことができる。テープで止めるべきなのは細部の隙間などで、構造的にしっかりとダンボール同士を結合するには紐で縫った方が良い。とか、そのダンボールは、丸めたら棒にすることができ、重いけど非常に強い柱として使える、とか、ペットボトルも繋げれば柱にもなるし、また口が開いているので、そこから屋根を支える棒を入れることができるなどなど。「空間を作る」という単純なワークショップだが、全く侮れない、とても奥が深い。材料がもっと極端に限られていたら、ダンボールじゃなくて新聞紙だったら、など他のバリエーションを考えるとワクワクしてくる。

物は自分の力で読み換えることができ、別の利用方法を考えることができる、なんならそれで自分の居場所までつくることができるということを子供達と一緒に体験できた。僕の「まどり図」という考え方も同じだ。つまり僕の既存の銭湯やコンビニを「お風呂場」や「トイレおよびWiFiスポット」というふうに使って町を自分の家にすることと、紙とかダンボールとか、既存の身近なものを使って空間をつくることは、ほとんど同じことだ。

最初はなかなか手が動かない子もいたが、最後には自信満々に手を動かしていた。子供達からの感想は「自信ができた」というものが多かった。「家を作るのはそんなに難しいことじゃないことがわかった」というのも何人かいた。これには感激した。

2校目のときは外に持ち出すタイミングで少し雨が降っていたので、学校の先生たちは、外に面した廊下(屋根があるところ)に家を出そうと言った。風邪が心配だ、と聞いたのでとても迷ったけど、子供達が1日半かけて防水まで考えてつくった家を屋根があるところに出すのは、歌が上手い歌手をテレビ出演のために口パクさせるようなことになってしまうんじゃないかと思ったし、自分たちでつくったもので雨を防いで、中で給食を食べることができたという経験はさせるべきなじゃないかと思ってやはり外に出したいと言ったら了承してくれて、雨合羽を子供達に配っていた・・僕はこんな学校に行きたかった。

また各々、家に色々なデコレーションをしておりそれも興味深かったけど、何より僕は彼らが家に貼ったテープや、ダンボールに通した紐や折り目などが綺麗だと思った。それはやる必要があると思ってやった跡だからだ。というような話や、日本の津波の話と陸前高田の佐藤たね屋の話などをしてワークショップをしめた。

台湾は初めてきて、食べ物が美味しくて安いので安い安いと言っていたら通訳のハナさんに「最低賃金が125元だから安くないんですよ」と言われた。またちょうどワークショップ期間中は台湾全土にとって大事な選挙ウィークで街中が非常に盛り上がっていた。祭りみたいだった。候補人が車の上で演説しながらゆっくりと走る後ろから子供達が行列して旗を持ってついていくパレードも見た。台湾は最近投票率も上がっているらしい。

台北ビエンナーレも見て来て、julian charriereという作家の映像作品が面白かった。

 

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美術館に作品が収蔵されるときに行われる展示のルールなどを決める話し合いのときに、その作家の生前を知らない未来の人間がそれを展示するときに起こりうる問題を考えて、変なふうに解釈されたり展示されたりしないようにするための文言を考える作業は、法律をつくる過程と似ている。

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11250859

ワークショップのあいだに沖縄のおばあちゃんが亡くなった。お葬式にはいけなかったけど、先月入院中のおばあには親と一緒に会いに行けた。行って本当によかった。口からものが食べられなくなって体重が落ちても、おばあはたくましかった。

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11101636

住所に生えている木、について考えてみる。家は建てる物で生えるものではない。木は生える物で建てるわけではないが、住所が割り当てられてしまっている。

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10260000

おばあのお見舞いのために両親と沖縄に来ている。僕はいま母の実家に一人でいる。父と母は予約してあったホテルへ行った。僕は急遽沖縄行きを決めたので同じホテルが取れず、せっかくだからここに泊まりたいと言った。ここはおばあが眠っていた部屋らしい。蛍光灯のじーっという小さな音だけが聞こえていて他には何も聞こえない。庭と畑もある大きな家で、ほかに誰もいないので少しこわいなと最初は思ったけど、母が小さい頃から大勢の兄弟と両親と一緒に暮らしていた家だと思うと怖くなくなってきた。このおばあの部屋の入り口は襖なのだけど、さっき閉めようとしたらとても閉めにくかったので諦めた。おじいとおばあの二人暮らしになってからは、ほとんど閉めずに使っていた襖なのかもしれない。1階の他の部屋も襖は取り払われている。おばあは体重が半分まで落ちてしまっていて、今は点滴だけで命を繋いでいる状態らしい。明日みんなでお見舞いにいく。さっきまで一緒にいた母の姉の節子おばちゃんの話によると、普通に話はするのだけどときどきあっちの世界と交信するような状態らしい。向こうの世界に向かって何かを報告するように話すので節子おばさんが「神様と話してるの?」と聞くと、うんと答えてしばらくしてから、いや神様ではないと言ったり、そこに神様がくるからそこには座らないで、と言ったりするらしい。トイレとか、階段とか、表の作業台とか塀の飾りとか細々したものが、おそらくおじいの手作りで、色合いもカラフルで楽しくて、とても良い家だ。人が自分の手を動かしながら住んでいるという感じがする・・。沖縄の住宅街を歩くと、こういう手作りの良い家がたくさん見られる。家と住人のやりとりというか、何らかの”掛け合い”をみているような気持ちになる。小屋も作ったりする。明日おじいとも会うのだけどおじいもおばあも会うのは8年ぶりくらいになる。小さい時は遊んでもらったけど、そのときはまだ物心もろくについておらず、8年くらい前にあったときは85歳のお祝いの時で他に親戚も大勢いたので、おじいとおばあとはあまり話せなかった。でも三線を弾き語るおじいの姿ははっきり覚えていて、それを思い出すだけで十分に何かをもらったような気がする。沖縄の記憶の中の僕は、いつも大人数と一緒にいて宴会をしていたりバーベキューをやっていたりしている。いま僕がいるこの家が、その記憶の中で思い出される家よりも小さく感じる。小さい時に来た記憶しかないから、そのときのぼくの目線はいまよりもずっと低くて体も小さかったので大きく見えたのかもしれないけど、記憶の中では6畳以上はあった、宴会に使っていたテレビのある部屋は実際には4畳しかなかった。そしていまは誰も住んでいない。おばあは入院して、おじいはいまは老人ホームに入居している。こうやって日記を書いていると、この家の存在が僕の方に近づいてくれているような気がする。広い家に一人でいることがどんどん怖くなくなってくる。ただ、(僕はいまおばあが寝ていたというベッドにあぐらをかいているのだけど)正面にすこし大きな鏡があって、そこに自分の姿がうつっているのがすこしだけ気になる。

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09290000

展示のために金沢に滞在して居るときに、まあいつものことだけど狭い路地を自動車が結構なスピードで通り抜けて行くことに強い違和感を感じて、そのときメモとして「車は速いけど、なにかを逃している。歩くことのなかには明らかに時速60キロメートルとは違うはやさがある」と書いたのだけど、いま宇沢弘文先生の自動車の社会的費用という本を読んでいて、あの違和感の正体がひとつ腹に落ちた。宇沢先生は霞を食べて生きていそうな仙人のような風貌をしていて、まずそれが凄まじいエネルギーを発しているのだけど、この本を読んでそのエネルギーの出所を見たような気持ちだ。とても古い本なのだけど40刷以上されている。自動車が爆発的に普及した背景を

「自動車の利用者が自らの利益をひたすら追求して、そのために犠牲となる人々の被害について考慮しないという人間意識にかかわる面と、またそのような行動が社会的に容認されてきたという面とが存在する」

「自動車の保有台数が増えてきたのはなぜであろうか。さきにふれたように、そのもっとも大きな要因は、自動車交通によって第三者に大きな被害を与え、希少な社会的資源を使いながら、それらに対してほとんど代価を支払わなくともよかった、ということをあげることができる。すなわち、本来、自動車の所有者あるいは運転者が負担しなければならないはずであったこれらの社会的費用を、歩行者や住民に転化して自らはわずかな代価を支払うだけで自動車を利用することができたために、人々は自動車を利用すればするほど利益を得ることになって、自動車に対する需要が増大してきた」

「自動車の普及によって、他人の自由を侵害しない限りにおいて各人の行動の自由が存在するという近代市民社会のもっとも基本的な原則が崩壊しつつある」

と言い、ここから

「どのような社会的費用を発生させているか、ということに十分な配慮がないまま、各人がそれぞれ自らの利益をのみ追求しようとする一般的傾向を生み出してきた」

と批判している。そしてこの本の目的として、自動車の社会的費用を具体的に算出し、さらにそのことを通じてより人間的な意義のある経済学を探ろうとしている。

70年代に書かれた本であるおかげで、問いかけがとても根本的で、読んでいて色々と思い出したことがある。「道路とはそもそも歩行者のための場所だったこと」「日本の都市部は欧米諸国と比べて公園が極端に少ないけど、それを道路で補っていたということ」「なので、『自動公園をつくる』ということも自動車の社会的費用とするべきだということ」

また『鉄道は鉄道会社が持っている土地とそこにおかれるレールを、利用者の運賃によってまかなうという自然な方法をとっているのに、自動車が走る道路は、自動車に乗らない人も払っている税金によってつくられているという理不尽がまかり通っているのはなぜか』という至極当たり前の疑問もわいてくる。そのようにして作られた車道なのに、歩行者は自動車から隠れて歩かないといけないという始末。なんでこんなことになってしまったのか。最初のルール作りを間違えてしまったために、色々と変なことが当たり前になってしまっていて、さらに宇沢先生も言うように、そういう習慣が知らず知らずのうちに僕たちの心に作用して、己の利益のみ追求するという雰囲気を育んでしまっているという可能性はないか。

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09151321

廊下に水道がある家

なんだかなつかしい

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09131641


8月29日、北小松のキャンプ場から金沢まで軽トラックで移動した。レンタカーの乗り捨てサービスで。出発する際、荷物の預かり賃として1000円払った。キャンプ場のおばちゃんに

「こんな仕事してるけど、お父さんお母さんは、反対してないの?」

と聞かれた。僕は応援してもらっています、と言って

「変な仕事ですけどね。」

と言ったら

「そんなことないわ。」

と言われた。それが無性に嬉しかった。

「気いつけて帰ってね。」

ちなみにこのキャンプ場、トイレだけは大津市のやつらしいがキャンプ場の運営は北小松がやっているらしい。おばちゃんは働いて四年目。昨日もフランスかどこかの兄ちゃんが来たと言っていた。

金沢に着いて21世紀美術館が準備してくれたレジデンス施設で1日休憩し、31日に敷地の交渉をしてまわった。映像作家のジョンに撮影してもらいながら。金沢は寺町というエリアがあり、そこにはたくさんお寺がある。しかし6軒交渉して回ったが全てだめだった。

1件目は

和尚が不在で、おばちゃんが「うるさい人やから。いまは寝とるんかなあ。」という感じでダメだったが、クリームパンと野菜ジュースをくれた。

2軒目は

この辺は住宅が多いから色々言われるから無理やわ。もっと上の方行ったら様子も違ってくるかと。とここが一番丁寧に断られた。

3軒目は不在

4軒目は

この辺は防火地区だからとか景観地区だからといろいろ言われ、変なものおけんから、うちも家直すのもいろいろ言われて大変なんや。だから無理やわ。と。この辺は全部そういう地区だから無理やわ。警察に捕まりたくないやろ?などと言われた。一晩でも厳しいんですか?ときいたらそうだと。

5軒目は

保育園と併設されていたお寺だったが、住職らしきおじさんに「うちはお断りします」とバッサリ言われた。

6軒目は

「もっと左のお寺がいいと思うわ」と言われ

「そっちからずっと無理だと言われてきたんですけど」

と言ったら

「うちも無理やわ」

と笑って言われた。

結局敷地交渉は諦め、9月15日からの展示会場に家を移動させた。

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金沢寺町敷地交渉文字起こし

-すいません

-ちょっとお伺いしたいんですが

-こういうちっちゃな家を

-あそこにちょっと置かせてもらってるですけど

-背負って歩いて絵を描きながら

-絵描きなんですけど

-絵を描きながら移動しながら生活っていうのをやっていて

そうですか

-いろんな所に家を置かせてもらって

-そこで寝泊りをしながら

この中で?

-はいはい

-寝袋で寝るんですけど

-それで今この辺で家を一晩置かせてもらって寝る場所を探してまして

この辺で?

-ここお寺ですよね?

うん

-一晩境内のどこか

あそこに家あるね

-そうそう

あれか

-あの白い家なんですけど

私だけなんやけどうちの和尚さん何言うかなと思って

-ああ、和尚さんが

-今いらっしゃらないですか?和尚さん

いないみたい

-ああ、そうか

-すいません

はい

-ちょっとお伺いしたいんですけど

-このお寺の方ですか?

はいそうですよ

-駄目だって

-民家があるから

-周りの人が言うとうるさいからっていう

(チャイムの音)

はーい

-すいません

なんでしょう

-ちょっと通りすがりのものなんですけど

はい

-ちょっとお聞きしたいことがあって

なんでしょうか

-あのですね、あそこに家を置かせてもらってるの見えると思うんですけど

何を?

-あの白い、家みたいなやつ

はい

-あれ僕こうやって背負ってですね

はい

-発泡スチロールで作ってあるんですけど

はい

-歩いてまわりながら絵を描いてまわってて

-日本のいろんなところを

はい

-で、あの家の中で寝泊りしながら移動生活してるんですけど

ここらへんは無理やわ

環境保全ほいくやったっけか

ここなんとかほいくになっとって

物おいたりできん

伝統環境保存地区になっとるから

やたらあんな・・

なんか家を背負って歩いて寝泊りしてるんですって

で、ここらへんは無理やわ

寺多いここは

-あ、そうですか

ずっと上の方までアレされてるんもんで

建物の色とかそんなもんも全部制限されてるので

無理ですわ

はい

-無理

ここ寺町地域のお寺多いところはそういうことになってるので

-なるほど

はい

-一晩でも厳しいですか?

うーん

置けない

だってうちでさえ直したりするのも制限されてるんですよ

木一本切るのも制限されるんですよこの辺は

伝統の地区だから

-わかりました

寺町はちょっと無理

もうちょっと上の方行くか、川を渡るかどっちか行かないと

ここら辺は無理ですわ

-なるほど

準防火地区で、伝統環境保存地区になってるから

だからそういうの置けない

お巡りさんもうるさいし

県とか市とかもうるさいですよ

-なるほど。わかりました

変に捕まったら困るでしょ?

-そうですね

別のとこなら・・

-失礼します

-すいません

はい

-すいません、ちょっと通りすがりのものなんですけど

ええ

-お寺の方ですか?

そうです

-ちょっとお聞きしたいんですが

ええ

-こういうちっちゃい白い家をですね、背負って

ええ

-絵を描いて日本をまわりながら歩いてて

-移動生活みたいなことをしてるんですが

ええ

-で、土地を一晩とか借りながら自分のこのちっちゃい家の中で寝泊りしてるんですけど

-今このあたりで敷地を探してまして、一晩寝る

-このお寺の境内どこかひと隅貸していただけないかなっていう

いや、うちはお断りします

-あそうですか。わかりました

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看板図書館part6日本語

part6

<しみず花店 スタジオ・ムー>

まあ趣味としてジャズが好きで

自分も演奏してるんだけど

時々ジャムセッションで

– 楽器は?

今はクラリネットに落ち着いてるんですけども

最初はトランペットとかサックスもやってたんですけど

– ライブとかもここでされてたって聞きました

まあ2回ほどやったんですけど

– ここのスペースですか?

このスペースでやったんですけど

– だいぶぎゅうぎゅうな感じですか?

いやそうでもないです。特に宣伝はしてなかったんですけど

仲間で、今日は暇なので集まってみんなでやろうよってことでやりました

– バンドのメンバーというかその方は金沢の?

ほとんど金沢の人です

– 香りがすごく良いです

わたしたちわからないんです、慣れちゃって(笑)

でも学校通ってる子どもたちが

ここの前通ると「わーっ」て言って

家帰って、ここの前だけはいい匂いがするって

うどん屋さんの前はやっぱりお出汁のにおいがしたりとか、あるので

– においはいろいろ暮らしの中にありますよね

<石引Public>

『収容所のプルースト』が凄い面白いんですけど

収容所でみんな、もういつ死ぬかわかんないみたいな状況で1人、

プルーストの本もないんだけど

自分の覚えてる内容で講義をし始めるんですけど

– 収容所の中でですか?

中です

プルーストの話の内容は貴族たちのダンス会とか、別になんともない話もいっぱい出てくるんですけど

とにかく現実の生きるか死ぬかわかんないみたいな時に

そういう話を、毎晩毎晩続きがあるっていうのを期待して聞いていくことが

その人たちの生きる望みになっていって、続きはまた明日とか言って

その講義ノートを、生還した人が自分でつけてたやつを翻訳した本です

– このお店はいつからやってるんですか

このお店はそんなに歴史は無いんです

2016年の夏です

– 砂原さんは金沢の人ですか?

そうです。もともと金沢で、大学で東京に出て働いて

そしてこっちに戻って来たんですけど

それで本屋をやったるぞって思ったんですけど

ぜんぜん知らないんで、業界も。でもやりたいから

アルバイトで、でっかい本屋とかあるじゃないですか

ああいうところに面接行っても落ちたりとかして

もうどうしようもないから

街の書店みたいなところ

本屋さんを金沢で探したら

ほんと2、3店舗しかないんですよ、街の本屋で

でもそういうところで1軒だけやさしいおじさんがいて

お金いらないから働かせてくれって言ったら

そしたら「そんなの困る」って言われて。超良い人すぎて

それで、いろいろ教えてあげるよって言ってくれて

いろいろ教えてもらったんですけど

結局取次とか通せなくって。というのも、そういうのもトライして

東京とかにも小取次みたいな、

フランチャイズに入れば取次と契約できるというのがあって

それで一回契約して

店舗も別のところで借りて

もう店をやるってなった時に

日販さんが現場見に来て「これだめや」っていって

契約が破棄されてしまって

– ここですか?

ここじゃなくてまた別のところで。わたしが

それで、取り次ぎはやっぱ無理やなってことになって

方法をいろいろ考えたりとかいろんな人に聞いたりとかして

直取引っていうのがあるから

出版社で、ミシマ社とかタバブックスとか、夕書房さんもたぶん直取引やってると思うんですけど

<石引温泉 亀の湯>

20軒しかないんです、金沢

– 公衆浴場がですか?

はい。スーパー銭湯は多くなってきてますよね

これはやっぱり、結局建物の構造の規制があるのと

それから営業する時の規制もあるので

そういうことを考えると、まあどっちかっていうと衰退してます

実際にはレジャーの方のスーパー銭湯の方が多くなってます

– 銭湯は着替えるところと浴室の間あいだがガラスで仕切られてますよね

そうそう。あれは昔の基準です。昔は今みたいな監視カメラとか無いですよね

スーパー銭湯なんかは監視カメラついてるけど

我々のところは監視カメラついてないので、昔は全部中がみえるようにね

あいだはぜんぶガラス張りっていうルールになってるんです

それでそういう構造にしちゃうと、結局自由度ききませんよね、何も

昔は身体をきれいにするのが目的だったんですけど

今はどちらかというと家にみんなお風呂があるし、レジャーで来られるので

そうなるとお風呂入って例えば食事してっていうことになると、我々のところはそういうことができないので

やっぱりスーパー銭湯の方ってことになっちゃうんですね

基本的には、昔はあんまり塩素なんか入れなかったんですね

それで実際には温度でやってました

温度を上げていくと、細菌死んでしまいますので

だいたい42℃くらいの温度にしてます

塩素はできるだけ少なくしてる

スーパー銭湯はレジャー施設ですから

昔の我々が入ってたような温度にすると

お客さんは熱いって言うと思います

だからぬるくしてあるんですけど

ただスーパー銭湯くらいのぬるい温度にするとね

38℃とか39℃というのは

細菌培養してるようなもんですよね

だから我々のところは塩素少ないけど

毎日お湯を替えていると。全部掃除をして

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看板図書館part5日本語

part5

<平野屋>

ご主人が始められたお店ですか?

いえいえ、私で3代目です

-この商店街、皆さん三代目とか..

そうだねえ。やっぱりお城の前で、この通りっちゅうもんは昔から豆腐屋さんやら向かいの薬屋さんやらは、江戸時代の寛永やら

うちらまだ明治やさけえ、ほんでも100年以上は経っとるけども

おまんじゅう屋さん、いま四十何軒しかおらんけども

わしら学校出て商売継いだ時は百二十軒から金沢にはおったね

昭和40年になるかならんかの時は百二十軒あった

いま3分の1やわね

ほんでもこんな忙しくならんということは、そんだけおまんじゅうとかお餅を食べんようになったちゅうことやわね

食べもんが変わったちゅうか、こんだけケーキ屋さんとか色んなもんがでてきて

昔はやっぱり餅っていうものは、今はお正月の餅しか注文ないけど

昔は今みたいな時でも毎日こうしてお米持ってきて

これひとつ。ひとつってのは二升やけども

これでお餅ついてくださいっちゅうて、そんなもんがいっぱいあったもんやけど

こんだけ平生からお餅を食べんようになったちゅうことやね。食生活が変わってしもうて

ちょうどそういうころ田植えしとったもんやさかい

機械なんかあんまりないさけえ、たくさんの人が田植えしとる

そういうときにおやつとかおまんじゅう持っていくんや。田んぼへ

それがだんだんお寿司に変わったり

今じゃ機械になったら、あんまりそういうことしとらんもんね。コンビニでなんでも買ってきて

昔は田んぼに配達に行ったもんや

で、田んぼって言ってもいっぱい田植えしとってどの田んぼかわからんだわね

<ひがし洋傘店>

ここで傘張っとった。おばあちゃんの実家が、傘の骨をつくっとったんや

ほんで、うちに女の子おるからどうやけえっちゅうてお嫁に来た

大正や。大正9年にうちのおばあちゃん生まれて

大正時代にもう傘張りをしてたのよ

傘張りだったんです

それが和傘がだんだん駄目になったので、洋傘に変わったんです

-ここで傘張ってたんですか?

張ってたんです。柿渋も作ったし

和傘張る糊も全部手作りで

わたし小さい時見てた。子供の頃やから

小さいときにここに養女に来とるから、見てるんやそれを

渋柿の青い小さいときに採って、それを潰して踏んで、それで柿渋を作って

穴蔵みたいなところに1年分柿渋入れて

糊はわらび粉でつくってたよ

わからないでしょう(笑)

糊をこうして炊いてつくってたんですよ

柿渋はお洋服につくと取れないでね、気いつけなさいよとかって言われてた

それでね、油引いて干すとこがないから

向かいの福光屋さんのうしろに空き地があったの

そこをお借りして、傘を干して

雨が降ると一家総出で傘片付けに行かんなんのよ

いま福光屋さんの蔵になってる、あすこなんですけど

-金沢雨が多いから

昔はねえ、和傘で

いつも私のいとこのうちが傘の骨作ってて

不思議やねえ、あんな傘の骨を作ってて

子供は9人、親とで11人食べていけたんやねえ言うて

<JO-HOUSE>

お店自体は1972年オープンなんですけど

この場所になったのは2004年です

もともとJO-HOUSEはうちの奥さんのお父さんがやってたんですよ

JO-HOUSE30周年の時に、僕と夫婦で代替わりして継ぎました

昔から美大生とか音楽好きな人のたまり場でした

Jazzが流れて、でフォークの人がライブしたりとか

-高田渡のポスターがありましたね

そう高田渡さんと、西岡恭蔵さん、あと加川良さん、友部さん、大塚まさじさんは

ルーティンでずっと毎年やってもらってて。ライブを

今は毎年やってるのは友部さんだけなんですけど

-友部さん毎年来てるんですか?

毎年2月か3月にやってますね。友部正人さん

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看板図書館part4日本語

part4

<千取寿し>

-このお店って、いつから始められたんですか?

ええとね、昭和28年。わたしは二代目です

こないだおったのは三代目です

先代の初代の方が始められた時はどういったきっかけで始められたんですか?

先代の28年の時はね

やっぱあの時はねもう戦後ですからね

いろいろとそんなに職業もかちっと決まって、これがいいというようなところではなくて

みなさんね大変な時ですから

まあ最初は鮨屋じゃなかったんですよ

料理兼、洋食兼というようなね

そういうような感じでやっとったんですけど

やっぱりね、だんだん

わたしは最近思うのは

本物をみなさん知らなくなった

鮪(マグロ)の旬の時に鮪をお出しすると

この鮪ちょっと酸味ありますねと、こう言われちゃう

鮪っちゅうもんは、本鮪は酸味があってちょっと脂が薄いんですよ

と、こう聞かしても

ちょっと理解に苦しむ人がものすごく多くなった

なぜかっちゅうとみなさんスーパーとかいろんなところで地域の養殖鮪を食べてるでしょ

だいたい80%はみんなそうですよ

だからそれに関連してこの地域の旬のものが

説明しても納得されない

やっぱりいつも食べてるものの方が鮪は美味しいとされてる

脂があったり

本当に好きな方には電話かけて今日入ってますから来て下さい、言うと

ああそっか入ったかやっと、待っとったよ、というようなお客さんが少ない

そうすると本物のほうが我々が何かみなさんにごまかして売っとるような感じになるんですよ

<片岡薬局>

これが石引びっきぃに載せた資料です

その時には1860年て書いてありますけど

明治頃にはもうやってたらしいです

じゃあもう片岡家はずっとここでご商売されてる?

そうですそうです

まあ最初は本当のこのOTCっていって普通の薬しかやってなかったの

平成6年から薬局調剤っていう処方箋をやるようになった

だから平成6年って言った方がいいのかもしれない

それまではこういう薬ばっかり

あともっともっと前になると

薬局で風邪薬とかって調合してつくることができてたんですね

決まってるんです。決まった処方があって

それはつくってもいいですよという許可をもらって

そんなのを作って。そんなこともしてたんですけど

<吉野薬局>

実質ほんとうの薬局やったのは二代目ですけどね。医療関係は三代目です

初代の方は何をされてたんですか?

今じゃ大手に合併されたんですけども

大手の卸し。卸の、昔でいうと番頭さんなんですか

そういうのをやってたんですよね

わたしの父を薬剤師にして

金大(金沢大学付属病院)の前の前進の金沢医専ていうのが一番最初にできたんですけど

それがここにできるから、まあ薬剤師としてやったら

場所がいいだろうといってここでやらされた

やらされたって言ったら怒られますどね、父には

そういう話になってますね

昔はいい時があったみたいですけどね。まあ保険制度になって

それで今のように処方箋が出た時はいいですけど

今分業になって処方箋がどんどん出てるからいいんですけど

当時はそんなことはなかったですから

法律がかわって医薬分業になると言われたんですけど

なんていうんですかね、特別条項がついて

医師の管理のもとでは例えば看護師さんとか一般の方でも

一般て、(医師の)奥さんでも調剤してもいいという条件がついたために

日本は先進国の中でも最も遅れて分業になったところなんですよね

初代の金沢市の石川県の薬剤師会の会長に聞いたら

厚生省のまえで筵の旗を振ったという。本当かどうか知らないですけど

医薬分業を推進するべきだっていう運動を一所懸命やったっていうのは聞いたことありますね

このへん見たらわかると思うんですけど

当時13軒くらい薬局があって、今じゃまともに残ってるのは2軒です

わたしともう1軒片岡薬局さんていうその2軒だけで

もうあとは全部新しい薬局です。いっぱいできてますけど

全部調剤専門です

うちの父はそれから医薬分業にならなかったんで

実質法的にはしましょうって話になったんですけどね。形上だけだったんで

いわゆる一般のお化粧品とか家庭雑貨なんかも置くようにしてやったっていうのが本音みたいですよ

ネットの社会とか色々なことによって

自由化の解禁なんかによって

法律的には買えないものもありますけど

簡単に薬でもネットで買えるような時代が来てますから

結局かかりつけというか、地元に密着した薬局を目指していかないとだめだというふうに思っていますけどね

<SEED Graphic Space 시지스

最初はお金を稼ぐためにこの会社を始めました。

デザインが世界を変えて、人々の認識を新たにしたく、誇りを持って始めました。

しかし、今は色んな事があり、うまくいかないこともあります。

昔は今より良かったのです。

最近は過当競争でクオリティーより価格で競争することになっている。

仕事としてはパンフレットやリーフレット、広告物をつくっています。

屋外広告や編集、グラフィックデザインも合わせて全部やっています。

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看板図書館part2日本語

part2

<小松屋>

昭和24年やったか26年やったか
なんかその頃です

お母さんが(お店を)始められたんですか

いやいや
主人の父ですね
お爺さんですね

じゃあ二代目?

主人は30年前に亡くなってるので
三代目になるのかな

ここで石引の市電が
ちょうどここで終わりで
ここから引き込んで
もうちょっと行ったところが
電車の乗るところだったんです
うちのお隣のところまでが道が広くて
あとは狭かったんです
ここが終点で
ここから山って言ったら悪いけど
ここから奥の人はここで電車降りて
こんど国鉄のバスに乗り換えて
行ってるんです
昔は
それでここへ
朝みんなお弁当にご飯とちょっとだけおかずを入れて
うちへ来て
金時豆やなんやらを詰めて
持って帰ったという
学校なり会社へ行かれたという話も
わたしは知らないんですよ
わたしは嫁に来た人間ですから

じゃあそのご主人のお父さまがされてた時には、割とみなさんの台所みたいな

そう惣菜屋さんというかんじで
惣菜よりもギフト関係に力を入れだしたのが
まあ主人と父の後半ですね

そのあとから結局スーパーが出だしたでしょう
それでもうスーパーと対抗してやってもしょうがないから
もうギフト専門の方に
細かいものは全部切ってっていう感じ

これはふぐの粕漬けと、これはぬか漬け
福井なんかは鯖のへしこというぬか漬けありますでしょう
金沢はフグとニシンとイワシがぬか漬けで
粕漬けだけがフグがあるんです

<和洋酒たかはし>

四代か。三代か

足軽しとった人が八百屋したっちゅうんやろ

武士のあれを、無くなって

そんで八百屋をして、ね

– 足軽をしていた人が八百屋に…?

もう武士が無くなって

そうそう

– で八百屋になった

八百屋

それで前からもうずっと

その時代はお酒はどうかわからんけど

早い時代からお酒も一緒にしとったんやけど

八百屋が主たるもんね。果物とか

でもスーパーができ始めたもんで、お酒に切り替えて

姑がスーパーが嫌いって

言われて

スーパーに入るのは絶対いやっちゅうて

個人でって言ってずっとそのかんじでしてる

電車のあるときはねほんとに

大学のお見舞いのお客がすっごく

電車着くたびに盛り籠がパッと売れたけど

このごろほらいろいろと病院内に持ち込みダメとかね

あんなんなって

売れなくなったのもあるしね

– ここの病院が特に厳しいんですか

いや、どこでもです

国立でもやっぱ一緒ですね

42年に電車がなくなったから

そのときもうすでに

ないっちゅうことやね

前からなくなってると思う

先生にお礼にウィスキーとか、よくでたよ

<コウダ>

わたしで三代目やね

わたしのお爺ちゃんから

直してっていうのも割とあるね

寸法直してって

着物をつくりますって人はおらんけど

袖の丈を直してとか

振袖の袖を短くしてとか

お婆ちゃんの着物やけど

ここが短いもんで

昔の人小さいから

これをもっと出せるだけ出してみたいな

そんなんとかもあるし

– 着物のお直しができるってなかなか

普通の人できんからね

わたしができるわけじゃないけど

うちの母は簡単なことならできるけど

やっぱり袖ぜんぶ外して直してもらったりは

ほんとに仕立屋さんじゃないどできんし

昨日もひとつ振袖短くしてってやつ

納めてきたし

振袖つくってもらえたら一番いいんやけども

まあお直しでもって

(振袖を) 作ってっていうお客さんは全然いないですか

いやいないことない

こないだもやっぱり

したいっていうお客さんおって

でも振袖は今年なかったね

つくるっていう人はない

うちは今ここに振袖っていうのは置いてないけど

お客さんの振袖欲しいわっていう人おったら

金沢に問屋団地ってあるやん

あそこの問屋さん行けば

呉服の問屋さん行けばいろんな振袖あるから

ちょっと貸してって借りてきて

お客さんに見せる

買い取ってしまうとそれが売れんかったらもう在庫に残ってしまうわけやから

うちらもう振袖みたいな特殊なもんは

もう見せて欲しいって言われたら

問屋さんから持ってきてお客さんに見せるみたいな

そんなんで

品物は置いてありません

<三花嶺>

お茶は嗜好品ですから自分なりに楽しみながら頂くのがいいと、私は思います。

ここは誰もが気軽に来てお茶を一杯飲んで帰れるところですね。

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看板図書館金沢part1日本語

part1

<福光屋>

このお店がオープンしたのが2003年なので

21世紀美術館の1年前なんですけども

日本酒需要の低迷というものが何十年も続いていまして

だけどアミノ酸が豊富だし

旨味成分のおかげで

お料理とも非常に合うし、ワインとも同じような醸造酒で

日本が誇るべきお米のお酒ということで

女性をターゲットに切り替えてマーケティングをはじめて

その一環がこのお店なんですね

置いてあるものも少し女性を意識した作家さんの器だとか

ラベルにしてもちょっと女性が買っても違和感のないお洒落なものだったりとか

ということで、いまこのお店は観光客が多いんですけれども

お化粧品をつくったり

発酵技術ですね、お米と発酵のかけ算によって生まれたものをいろいろ

スイーツもいろいろつくっています

伝統というものは革新があるからこそ続いていく

福光屋も革新を続けているからこそ、その時代時代に合ったものをつくって

地元の方にも認められて393年続いているという

そういう家訓は大事にしながらやっていますね

<田矢靴店>

わたしで三代目

大正九年だから。こういう下駄からきたので

これがHush Puppiesの靴がメイン

あの竪町の店。Hush Puppies

あそこはうちでやってるんです

このワンちゃんね

<エレガンスフワ >

このお店を一言で、どんなお店ですか?

普段着の店

-めっちゃおしゃれな普段着じゃないですか

お洒落な普段着?

主人が二代目で、わたし三代目になるのかな

主人亡くなったもんで。そのまんま継いでます

母が一代目で主人が二代目で、わたし三代目になるんだねやっぱりね

やめたいなぁって(笑)

ご主人もこういうレディース専門店を

そうですね

まぁずっとそのまま継いできてるんじゃない?

商売好きなんやて二人とも

でもわたし嫌いや

あんまり好きじゃなかった

ご主人のお母様が始められて

そうですね

わりとレディース中心の?

あの時分は紳士物もありましたし子ども物もありました

わたし昭和42年に嫁に来たときには

子ども、紳士、婦人服と

生地もやってた。お仕立ても

だんだん削っていったんじゃないの

でも二人ともほんと商売大好きだったわ

じゃあ最初からお洋服メインで

そうです洋服メインでしたね

そしてだんだん鏡子さんのテイストが入って..

うーん。あんまり主張性無いから

でもねスタッフさんも

そうねんて。ずっと30年以上居るんだよ二人。三人で35年ほどかな

ずーっと。だからうちの主人も亡くなる時に三人でやってくれって

せめて三年。だったけど

守ってやってる

お客様のおかげかもしれんね。そんな気がしますけどね

奥のあの写真がご主人ですか

そうそう。いい男やろ(笑)

ただ地域のこといろいろ知ってるからあの人は

消防をしてて

俳句の

ぜんぶ長までいって

することなくなったんよ。だから死んだんやわ(笑)

消防の金沢市の団長してて

それから石川県の俳文学協会の会長して

そんで亡くなった

地元で頑張った

石引のここも結構いろんなことしてきたよ

わたしは黙って店におったけど

好きやったんだね。いろいろ

死ぬのが残念やったかもしれんね

やりのこしたことあったかもしれない。わたしわからないけど

たぶんそうやったと思う

石引もっと良くしたかったんじゃないかな

もう亡くなられてからだいぶ経つんですか

丸3年過ぎて4年目かな

愛想ないっちゃ愛想ないけど、まあまあ三人でやってますわ

喋りながらやかましく

– 仲良し三人組

そうやねみんな同じような歳やからね

やっていけると思います

まあどこまでやっていけるかやってみます

試してみます

<高砂屋>

金沢ね芸所ですし

美術的なものと

わたしはお菓子はやっぱ文化とつながらないと

お饅頭っていう総合的な

お餅とかお饅頭とかって総合的じゃなしに

ひとつの銘菓っていうのは銘があるから銘菓なんです

銘と一緒に楽しんで頂く

文化とともに楽しんで頂くっていう

それがわたしは金沢の文化の深さだと思います

今日送るんです

御煎餅なんです

御煎餅って、餅米の御煎餅で

上にお砂糖

要するに型染めですね友禅でいう

ですから型をね

たとえばこれですと一、二、三枚ね

これですと一、二、三、四枚

これと一緒ですね

これ一、二、三、

これはぼかしてますけどね

こういうふうにして型染めの型つくって、こうお砂糖すり込むんです

<中華食材 龍一>

買おう これ1個ください

ありがとうございます

150円です

温めれば食べられるんですか

はい。そのままでも大丈夫です

これスプーンがついてますので

– あ、これスプーンなんだ

自宅でえーなんだろう

自宅で

本格中華を(笑)

つくってください

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看板図書館金沢part3日本語

part 3

<niginigi>

niginigiは「おにぎりにぎにぎ」もあるんですけど

農耕の神様で瓊瓊杵尊っていう神様がいてそこからもちょこっと、かけてというか。

あと「にぎわう」のにぎにぎ

<chomsky>

はい。「ノームチョムスキー」からとりました

もともと僕がいたコーヒー屋さんが県庁の方にある

チャペックっていうコーヒー屋さんで

こっちのお店作るときに、人名シリーズでいこうかなと

人名シリーズで、Cの字

厳密にいうとチェコ語のシーなので、Cじゃないみたいなんですけど

Cの字ひと文字もらってもう少し新しい人物でっていうのでチョムスキー

の名前もらったというような経緯があります

<陶作家 平井悠一/陶工房つばめ>

陶芸は、自分はやり始めて8年目ぐらいになります

陶庵ってところで働き始めて

5年間そこで。陶芸教室なんですけど

そこで働いて、3年前辞めて

-今日午前中陶芸教室されてたって聞いて、何人ぐらいの方が

教室ががっつりメインでもないので

まだ、今のところ三人きてます

午前中1人ですね

<STRAWBERRY CONES>

-いつからこの仕事をされてるんですか?

この仕事自体は、たぶんもう20年経ってます

この店できてそんなに何年も経ってない頃からここで働いています

-このお店を一言で紹介すると

むずかしいなあ

一言っていうのはどの程度の一言ですか?

他みんなどんなこと言ってるんですか?

-「常連さんがくつろげるお店」だとか

-「履きやすい靴」とか

田矢さんですか?それ

-田矢さんです

むずかしいなあ

<荒間石油>

-この店はずっと2人でされてるんですか?

昔はもっと従業員おったんだけどね

暇になったらこんなようなもんです(笑)

やっぱ根本的に考え方変えていかなあかん

だから、オカダ・カズチカが強いんか

棚橋が強いんか

どっちがチャンピオンなんや

あ、オカダがチャンピオンなんや。いま

知らんか(笑)

いまおいくつなんですか?

-いま29です。今年30になります

でも30ならまだやりなおせる

やっぱね30前から大体筋トレしてれば絶対ね

新日本プロレスに入れる(笑)

美大生の方にはみんな言うねん僕

いくつ?って言ったら、十九とか二十歳とか

いまからでもやりなおせる

大丈夫や!

中邑を見よ

ニュージャージー州で頑張っとるがいね

<釜山現代美術館>

この美術館が設立された経緯を教えてください

まず、釜山ビエンナーレを開催する会場が必要だという議論がありました。

今ある市立美術館以外の空間が必要だということにみなさんも同意して

海雲台(ヘウンデ)エリアではなく、他のエリアに美術館を建設しようということになりました。

新しい美術館は、釜山ビエンナーレの実施以外に美術館としての役割を果たすことを期待して、新たな釜山市立の美術館を建設することにしました。

この美術館は現代美術館なのですが、ここではビエンナーレの実施だけではなく、美術館の役割を果たすこと、これまでの美術館よりは同時代の美術や、実験的で新しい美術、未来に関する考察などを含めようとしました。

特に自然環境問題、またニューメディアとテクノロジー、科学の関係。

芸術と市民が出会って良い関係を構築できるような美術館にしたという考え方です。

これからは地域と世界をつなげ、海外とのネットワークをつくり、未来につながる環境問題、過去と現在の問題を芸術を通して反省し、将来どのように芸術として結びつけられるか。

新しい未来に向けた答えを芸術を通して、提示する準備をしています。

今、みなさんから多くの関心を示して頂いています。これからも新しい試みや実験的な試みを美術館という空間で市民と一緒にやっていきたいと思います。

<加賀友禅うえだ>

この赤い箱全部加賀友禅なんです

ある時は100枚から持ってた

でもやっぱり今じゃ制作してなくて、必要な時だけに

やっぱり何しとってもその時代性を汲み取っていかないと難しいかな

やっぱり心が通じるっちゅうことが大事かな

だから福井の振袖のお客さんなんかのときも

子供さんの七五三の時の着物作っていただいて

1枚欲しいって言われて、土曜日の午前中わたし

五、六千円ぐらいの帯揚げ一本持って

福井まで高速走って持っていってきたの

だから、商売っちゅうのは損得考えとったらできない

それが、後にこうしてつながっていくのよね

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09042245

昔、僕の弟からひいおばあちゃんまで4世代で住んでいたころの実家は、祖母が民生員をやっていることもあり客が多かったのですが、茶の間と呼ばれていた部屋は親戚以外の客を入れることはほとんどなかったように思います。僕にとってそこは半ばおおやけの場所として記憶(僕が茶の間を思い出すとき、当時の身長よりもずっと高い位置から、みんなが掘りごたつに座っているのを見下ろすような形で思い出されるのですが、これは多分、のちにみた写真か何かの視点だと思います)されていて、家の中なのに心地よい緊張感があり、僕にとってそこは学校の教室とすこし似ている共同の場だったように思います。

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09012101

地図は自分と世界の境界線上に現れる

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08291359

車は早いけど、なにかを逃している。歩くことのなかには明らかに時速60キロメートルとは違うはやさがある、

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08281416


時間があいてしまった。今は8月27日12時16分。21日のお昼前に堅田教会を出発。さらに北を目指す。まだまだこの巨大な琵琶湖の半分もきていない。教会の敷地で眠った時は気候も良く、周りも静かでよく眠れたはずだけど、疲れが溜まっていることは薄々感じていた。結局竹内牧師には会えず、置き手紙を書いてドアのガラスに貼り付けて来た。

11時25分

琵琶湖大橋交差点の前で黒いTシャツの関西弁のおばちゃんに「コーヒー奢ろか、一杯」と言われる。「金沢今日中につくか?途中どっかとまらんの?」「いやあ、今日中は無理ですね。あと2週間以上かかるかもしれないです」というような会話をした。

12時40分ファミリーマート和邇南浜店で休憩。

14時14分志賀清林パーク沿いを歩いてる時、細かい雨が降っていることに気づく。

そして夕方17時過ぎに北小松の駅近くにあるセブンイレブンに到着。すぐ近くにキャンプ場があることがわかり、そこへいった。キャンプ場は琵琶湖の目の前でとても気持ちが良い。日中も木陰になりそうな松林で、地面は砂地。僕のほかに二つだけ小さなテントが貼られていた。白人の男性二人がそこに寝泊りしているようだった。キャンプ場の事務所は「巡回中。すぐ戻ります」という張り紙が貼ってあり無人だった。どこか勝手に置いて明日説明すればいいかと思って家を置くのに良い場所を探そうと思ったら、駐車場にシートを広げてなにか宴会をやっている三人組(30代くらいの男性一人と40代くらいの女性1人と30代くらいの女性1人)から声をかけられた。「なにそれ」と。僕は「事務所人いないんですかね」と言ったら男性が「5時でここの人帰っちゃうから、大丈夫だよ。明日も7時半までに出発すればお金払わずに泊まれるよ。奴らは8時ごろにくるから」といろいろ教えてくれた。「ありがとうございます」と言って立ち去ろうとしたら30代くらいの女性のほうが「お腹空いてない?いろいろあるよ。食べ物。おいで」とお誘いしてくれたので「ありがとうあとで行きます。」と返す。家を落ち着かせ、荷物を降ろして一通り回りの写真を撮ってその宴会に合流した。


もう数時間前から宴会をやっているらしく、いろいろ食べ物が出ていて女性2人(30代くらいの人の方は特に)は結構お酒が入っているようだった。

「ラオス料理って食べたことあります?」

「いやあ、ないかと思います」

「いまラオス料理の会やってるんですよ」

と男性が色々教えてくれたのだけど、彼は小松さんという人でこのイベントは不定期に開催している「小松亭」というものらしい。この三人は飲み屋で知り合った飲み友達で、こうして時々集まる。40代の女性の方はチエさん(ジャリンコチエで覚えてと言っていた)といい、もう1人の女性はのんこさんと自己紹介してくれた。小松さんは大学で淡水魚の研究をしているうちに内陸国であるラオスにたどり着き、魚の研究もしているのだけどラオス料理がとても美味しいということで、ラオス料理も勉強している(数日前までラオスにいたらしい)。ラオスでは必需品というお米を炊く道具や食べ物をすり潰しながら混ぜるための鉢のような道具をつかって、持って来た食材で色々作流だけでなく、琵琶湖でその場で捕まえたというフナや鮎も調理し、他に亀の爪や生キクラゲなどが並んでいる。彼はなんとも不思議な居心地の良いオーラを醸し出していて、しかも僕と同い年だった。

小松亭はラオス料理だけじゃなくて寿司のケータリングなどもやっているらしく「お店は出さないんですか?」と聞いたらチエさんが「ちょうどその話もしてたの」と言う。小松さんは「やってみたいんですけどね」と。彼は近々お店を出しそうな気がする。

小松さんは僕の家を見て

「網戸はないんですね」

-「ないんですよー。つけたいんですね。夏は特に」

「網戸大事ですよね。」

とか、「リュックが上にぶら下げられるようになってるのは居住スペースの確保のためですよね。」など色々と鋭い指摘をする。彼も色々経験してきているんだろう。

「寝るスペースが大事なので、寝るときは、全ての荷物が木のフレームにぶら下げられるようになってます。」と言ったら

「僕もぶら下げるの好きなんですよ。このへんにS字フック落ちてたと思うんですけど、これ好きなんですよ。日本の家ってぶら下げられるようにできてないじゃないですか」

ワタリガニをちぎって色々調味料を混ぜたものを出してくれたのだけどそれが韓国で食べたカンジャンケジャンに見た目がよく似ていてその話をしたら、「ラオス版ケジャンみたいなもので『ヤム ガプー マー』といいます。ワタリガニサラダというような意味です」とのこと。ビールも買って来てくれて、僕が来たということでもう一度乾杯してくれた。40代の女性のほうは(「わたしは小松くんやあんたと違って一般人だからさー」と言っていた)高校生の娘がいて、美大に入りたがっているという。「美大楽しいですよ」と言っておいた。30代の女性の方は大阪の美大のテキスタイル専攻を卒業していまはOLをやっていると言っていた。しかし彼女はとても酔っていて、そのうち車の助手席と運転席にまたがって倒れ込んで寝てしまった。年齢差もある3人組で不思議な距離感がありつつ親しそうにしている。僕も居心地が良かった。小松さんは最後に「握手をしてください」と言って握手をして、名刺を渡してくれた。彼らはすっかり暗くなったころに1台の車で帰っていった。別れ際はとても軽く、のんこさんとはろくに挨拶もしなかった。彼らはそれぞれ大津、大阪、京都に住んでいるらしい。後で何もなくなった駐車場を見ると少し寂しい気持ちになった。

小松さんが帰り際に、「ここシャワーありますよ」と、シャワーの場所を教えてくれた。僕はシャワー室があるのかなと思ってついていったがシャワー室ではなく、野外の砂地の上に立って浴びれるシャワーが2つ立っていた。完璧な野外なので、ここで浴びるのは勇気がいる・・。


「水道水がでるようになってるので、石鹸の一つでもあればかなり快適にシャワーが浴びれます」と小松さんは言う。「詳しいですね」と言ったら「僕ここめっちゃ来るんですよ」と。また「そこの錆びた階段の四段目に蜂の巣があるので気をつけてください」と。

湖は荒れている。海みたいだ。台風が近づいている影響かもしれない。4年前に来た時は嘘みたいに波がなかったのに。彼らと別れてから銭湯を探したが近くにはありそうもなく(ここらは湖と田んぼと山と少しの建物と道路、という景色だった。民家もさほど多くない。オフィスに使えそうな場所もなく、セブンイレブンだけがWiFiスポットとして存在している。この環境でキャンプ代2000円は高い)、意を決してあの野外シャワーを浴びることにした。こんなあからさまな野外で素っ裸になるのは初めての経験だったけど、まわりはかなり暗くて人通りもなく、なぜか水温もちょうどよくて気持ちが良かった。ただ途中、例の外国人二人組がすぐ近くを通りかかった時は緊張したが、彼らは何を気にする様子もなく過ぎ去っていった。

翌朝、小松さんの言った通り8時ごろにキャンプ場の事務所のおばちゃんが現れた。活動を説明したらおばちゃんは

「すごいな」と一通り感心したあと、「ここキャンプ場は7月から営業しててな、泊まるとお金かかってしまうねん。これ、まあタープみたいなもんやろ。タープ張って一泊二日は2000円かかってしまう。どうする?」と聞いてきた。どうすると聞かれても払うしかないのではと思い「払います」と言ってお金を支払った。「今日は1日ゆっくりしてな」と言ってくれた。ちなみにおばちゃんが来る前にあの白人二人のテントは跡形も無くなっていた。

小松さんもお酒を買ったし、僕も頻繁にキャンプ場とセブンイレブンを行き来したように、このキャンプ場の運営はあの近所のセブンイレブンにかなり支えられていると思う。またあのセブンイレブンにもキャンプ場からの客がきているはずだ。このキャンプ場とセブンイレブンの関係のように、家と街の関係を考えるのが自然だと思う。それがとてもよくわかる敷地だ。

松林にはベンチがない代わりに座るのにちょうど良い石がいくつか並んでいる。そこに座って湖を眺めていると、トンボの羽音、クマゼミとツクツクボウシ、ニイニイゼミと、雀の鳴き声。それと波の音が聞こえる。他には何も聞こえない。

気温があがってきて、またなぜか鼻水が止まらないという身体の不調をきたし、キャンプ場で絵を描いたり日記を書いたりするのがしんどくなって来たのでオフィスになりそうな場所を探したが近所にはなく、あのコメダ珈琲オフィスに行こうと電車に乗って堅田駅まで行った。洗濯機もあるのでついでに洗濯もできる。

洗濯を済ませ、その洗濯物をバッグに入れて抱えたままオフィスで仕事をし始めたのだけどなんだか体調が優れず、どこか快適な環境で仮眠を取る必要があると感じたので2時間ほどしてオフィスを出て、近くのラブホテルに行った。3300円ほど支払って3時間休憩できるラブホテルに1人で入り、お風呂を溜めて入ったあと眠った。ラブホテルなのでダブルベッド。

起きてもまだぐったりしてしまっていて、フロントで、「休憩のつもりで入ったのだけどこのまま泊まるといくらになるか」と聞いたら「17700円になります」と言われたので「チェックアウトしますわ」と言ってチェックアウト。近くの餃子の王将で餃子定食を食べてから北小松の家に戻った。帰って夕焼けを眺めながら湖沿いを音楽を聴きながら散歩。

19時10分。

三拍子の波の音。火星と月。真っ黒いシルエットになった松を風が揺らしている。

水面が月の光で光ってるように見えるけど水面のその場所が光っているわけではない。この水面が光っているのは僕がここに座っているからだ。僕が座っているここと、月のあいだにある水面が光っているのだ。他の場所に立っている人にはこの光る水面も暗く見えているのだ。とても不思議だ。この水面の月の光はわかりやすい。

光源から地面を伝って伸びてくるという意味では、影に似ている。でも影とは違う。影は、誰からみても同じ場所にある。でもこの光は何故僕にしか見えないんだろう。世界は僕がいる場所と光との間に立ち現れるものなんだろう。音も似たようなものなのか?ここできこえるこの音。波と風の音。と僕がここにいることとの関係性は?

と、こんなことを考えながら(当時のメモ)ぼーっとしていたらすこし元気を取り戻した。やはり必要なことばかりやっていると体によくない。

翌朝。

もしかしたら気圧のせいもあるのかもしれないけどとにかくからだがぐったりしてしまっている。バイクで人を二人後ろに乗せて家に向かうのだけど全然家にたどりつけず、後ろに載せていた2人がいなくなって代わりに箱が積まれており、その中に入っちゃったかと思って重さを確かめたりした。「現実とも思えないのだけど夢にしては長すぎる」と思い、もしかしたら俺はもう死んでしまったのか?とさえ思った。起きたら真っ赤な朝焼けの光が、家の中に差し込んでいた。僕は琵琶湖にいた。波の音がする。

これは限界だと感じ、キャンプ場の事務所の人が来るのを待って(あのおばちゃんの他に麦わら帽をかぶった清々しい若い男の人も来た)、家をここで1週間ほど預かってもらえないかという相談を持ちかけたら「じゃあ倉庫に入れよう」と即快諾してくれた。

8時4分

「一泊延泊したので、お金払います」と言ったらおばちゃんは

「このあとすぐ出るんやろ?延泊のお金はええんちゃう?」といってくれた。

「そんなん背負って、あんたあれやわ。感心するわ。はいどうぞ。きいつけてかえってください。」

男の人の方は「お名前と連絡先聞いといていいですか。何かあれば連絡しますし。はい。で、引き取り予定が、、28。で大丈夫ですか。か29日。ほな、預かっときます。きいつけてください。 」と笑顔で。救われた。

家を倉庫に入れ、一旦東京に行く。休む必要があるのと、これまで完成させていないドローイングが多すぎる。色々作業もたまっている・・。展覧会が近づいている・・。

北小松駅で駅員に京都方面は何時ですかと聞いたら、時間を教えてくれたあと「今日は台風の影響で15時以降運休になるかと思われますので早めのご帰宅をお願いします。」といわれた。6日間は帰宅しないです。と思ったが、わかりました。と言った。台風をギリギリで避けた形だ。

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08211032


例のコインランドリーで出会った秋田の金足農業はなんと甲子園決勝進出したらしい。秋田勢としては100年以上ぶりの快挙らしい。彼らはさらに延泊していることだろう。

いまオフィスとしては最高のコメダ珈琲にいる。大津堅田店。ここは電源もWiFiもあり、朝7時から夜11時までやっている。朝はモーニングセットもあり、何時間いても大丈夫な雰囲気も良い。昨晩も夜8時前から11時まで居た。

昨日は朝11時ごろになぎさ公園を出発。「堅田教会」を目指して歩いた。途中、日焼けした兄ちゃんに「すいませんなにやってるんですか」と声をかけられたので「これを家にして生活してるんです」などと歩きながら適当に答えていたら

「アサラト下げてるじゃないすか。僕もアサラトやるんですよ。」と腰にぶら下がっているアサラトを見せてくれた。驚いた。アサラトについて食いついてきた人は彼が初めてだった。

「えー!本当ですか!これ広島で・・」と言ったら

「メンダーから買ったんですか」と、メンダーという名前にすぐにピンとこなくて

「買ったっていうかもらったんですよね。」

「だれからですか?」

「だれだったかなー。名前。広島の結構上手い人ひとで」

「メンダーって名前じゃないかな。」

「あ!メンダーさんです!知ってるんですか?」

「友達ですよ。めっちゃ友達。」

「えー!よろしく言っといてください。」

「写真撮って送っていいですか?」
「お願いします!」
「頑張ってください」

と言う会話。メンダーさんというは広島のギャラリーGで出会ったアサラトがめちゃくちゃ上手い人で僕にアサラトを教えてくれた。

14キロくらい歩いて堅田教会に到着。堅田教会は4年前僕がこのプロジェクトを始めて1年目に、金沢から京都になんかしている最中、原発事故で福島から大津に引っ越して来た夫婦に紹介してもらった竹内さんという牧師さんがいる教会。ウイリアムメレルヴォーリズという建築家が設計した小さいけどとても良い建築物でもある。竹内牧師は熱い人物で、ヘイトスピーチに対するカウンターデモをやったり、「歴史上最も人を殺した宗教はキリスト教だ」と、キリスト教を批判的に学ぶ勉強会を教会の中で開いたりしている。

教会に着いたのは16時ごろだったのだけど誰もいない。すぐとなりに公文式の教室があって、そこで女性に「牧師さんて今日教会に来られるかどうかわかりませんか?」と聞いたら「わからないけど、あなたの名前だけ聞いときましょうか」と言われたので名前を伝えて、4年前に来たことがある、と、僕の活動の話をしはじめたら「えー!」とかなり興味深そうに聞き始めてくれたのだがもう一人、つまらなそうなおばさんが教室からでてきて、早く帰ってくれと言わんばかりの雰囲気で「扉が開いてなければいません。夜も帰ってくるかもわからない。うちは(教会の一部の)場所を借りているだけで、全然教会とは関係ないので」と言われたので引っ込むしかなかった。教会の入り口に「もし教会に戻られたら下の電話番号までご連絡いただけますか」という旨の置き手紙をして、お風呂に行った。ここはお風呂場が遠い。バスを使って琵琶湖大橋を渡り、みずほの湯という温泉へ。お風呂場までの交通費だけで行き330円帰り320円。風呂台は600円。でも良い温泉だった。大展望露天風呂みたいな名前の浴室があるとのことなので行ってみたが4畳半くらいの大きの浴槽だったが。お風呂から帰って来ても竹内さんが教会に来た形跡はなく、このオフィスで仕事をしてから家に戻ってもまだ誰もおらず、僕はそのまま眠った。そしていま朝の10時半だけどまだ連絡はない。このまま会えず、なにか手紙を残していくしかないかもしれない。

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08201030


A-Qusビル(あちこちの看板に「アーカスビル」という表示がありなんのことかと思ったがラウンドワンが入っているA-Qusのことだった)のロビーの椅子に座って日記を書いている。オフィス(ロッテリア)のオープン待ち。さっきまで琵琶湖浜大津港旅客ターミナルのオフィスでパソコン作業をしていて、なぎさ公園に置いてある家の様子を見に戻ったら「ここは駐車場ではありません。至急移動してください。大津港指定管理者 琵琶湖汽船株式会社」という張り紙が瓦に貼られていた。「すみません11:30までには移動します」と書き加えてきた。

昨日の敷地は琵琶湖畔なぎさ公園という公園。お昼の1時半ごろにnowakiをでて山科を通り琵琶湖方面へむかい、「湖の駅」という施設が地図に表示されていたのでそこに見当をつけて歩いてきたが、それはほぼROUND1 のビルだったので交渉する気になれず、このなぎさ公園がとても気持ちが良いので敷地にした。家の近くに水場の跡はあるが塞がれている。座る場所には困らない。トイレもA-Qusもしくは周遊船の港(琵琶湖浜大津港旅客ターミナル)のビルのトイレがある。お風呂場もオフィス(ふたつある)も近い。昨晩は気候も気持ちよかったのでよく眠れた。時々合唱するカエルの歌(カエルはなぜか合唱する)に囲まれながら。ただし公園なので明け方に散歩しているご老人に起こされたりする。5 時半ごろに話し声で起こされた。

一昨日も引き続きnowakiに泊まらせてもらったのだけど、二人が晩ご飯を作ってくれた。なにか返さなければと思ったので出発する前にnowakiを描いたドローイングをプレゼントした。僕はそのコピーをとった。一昨日のお風呂場は前日の孫橋湯ではなく柳湯。16:30-00:00。昨日の朝洗濯しにnowakiから10分くらい歩いたところにあるコインランドリー(洗濯300円。乾燥8分100円)に行ったのだけど中・高校生くらいの学生によって占拠されており、混み合っていて使えなかった。一旦nowakiに戻り、絵を描いてまたお昼前にいったら今度は東北訛りの男性二人組が使っていて2台しかない安い洗濯機が使えず、コインランドリー内のベンチで絵を描いて待った。男性たちが終わったので「洗濯機、使っていいですか?」と声をかけたら、「すみません」と言って、「甲子園に勝っちゃって帰れなくなったんですよ。ベスト4に残っちゃって」と言う。「え!おめでとうございます!どこですか?」と聞いたら秋田の高校らしい。のちに調べたら金足農業高校とわかった。言わずにはいられない、という感じが伝わったきてこっちも嬉しくなった。もしかして朝学生さんたちがたくさん使ってたのも、といったら、そうです。使えなかったでしょう。(すいません)と、みんなこの辺に泊まっているらしい。彼らは東北訛りで乾燥機と、自動洗濯乾燥機について話している。「結局1時間くれえかかるな」

(第二オフィスに入ってロッテリアハンバーガーセットを注文して席に着いた)

洗濯をすませ、nowakiに戻って出発。琵琶湖方面を目指した。14時52分にセブンイレブンで昼飯休憩。コンビニの前で腰の曲がったおばちゃんに、その時履いていたアルマーニエクスチェンジの植物柄の水着を「かわいいズボンですなあ。こんなんあるんですか、どこで買いはったんですか。」と突然褒められた。ズボンをひっぱりながら。大阪だったかなと言ったら、ああ、この辺じゃこんなのは買えませんなあ、と言って去っていった。衝撃の体験。あのおばちゃんはいろいろなところで人を笑顔にしながら生きているに違いない。セブンでそうめんを買って食べようとしたのだけど食べる椅子がない。近くのバス停の椅子しかない。バスがこないことを確認して座って食べる。

夕方になぎさ公園に到着。少し絵を描いてからお風呂場(湯~トピアきりしま)へ。晩御飯はA-Qusに入っているPダイニングというオムライスの種類が豊富で安いレストランで食べた。A-Qusの隣には琵琶湖ホテルがあるのだけど、その中にあるビュッフェレストランのGoogleマップ情報に「LGBTQフレンドリー」という表記が。

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08192232

夜の琵琶湖畔の公園にいる。風もあってTシャツでは肌寒いくらいの気候。気持ち良い。秋の虫と時々カエルの大きな声と、控えめな水の音がする。琵琶湖ホテルという、オレンジ色の光がとても綺麗な窓がたくさん並んでいる琵琶湖ホテルというホテルを背に、琵琶湖を前にしてベンチにちょうど良い高さの石垣に座ってパソコンを開いてこれを書いている。

こんなに気持ちの良い街なのに、街中は人が少なくて、人は湖の前に建てられたラウンドワンに集まっている感じだ。(とはいってもラウンドワンにもそんなに大勢いるわけではなさそう)。食べ物も安くて、観光地化されていなくて良い。思えば十和田湖も諏訪子も似た雰囲気だった。

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