母の影響もあり携帯のミュージックライブラリにはサラ・ブライトマンが入っていて、いつものように音楽聴きながら歩いてたらランダムでquestion of honorが流れてきて、懐かしいなあと思っていたのだけどサビのところでぼろぼろと泣けてきてしまった。この歌は騎士道精神の「勝つか負けるかの問題ではなく、名誉の問題なのだ」という態度について歌っている。その道が間違っているのか正しいのかを、私は答えることはできない。ただ言えるのは、これは名誉の問題である。生か死かの問題ではなく、名誉の問題である。

先日たまたま買って読んでいたアガンベンのコロナ後のテキストをまとめた本の中で、彼はコロナ禍の混乱で人々が、文化的社会的な生とは切り離された、ただ「できるだけ長く生きたい」というだけの「剥き出しの生」に、なんの抵抗も示さずに、それに気がつくこともないまますっかりと支配されてしまっていて、感染リスクを減らすというただそれだけの理由のために、アンティゴネーから今日に至るまで歴史上一度も起こったことのない、愛しい人が、人間たちが、独りで死ぬのみならず、その死骸が葬儀もされずに燃やされるという事態が起こっている、リスクなるものの名のみにおいてそれを受け入れることができてしまった、それだけでなく、移動の自由の制限を、リスクなるものの名のみにおいて受け入れてしまった、と書いていた。かつては一つだった私たちの精神的な生と肉体的な生が、近代医学によって二つに分割されてしまった、とも。つまり僕たちは純粋な生物学的な生と、文化的な生が分たれた場所に放り込まれてしまっている。

「延命以外の価値を持たない社会とはどのようなものなのか?」という彼の問いに僕は、「宛名も文面も印刷物でしかない年賀状を互いに送りあう社会だ」と答ることができる。僕は10枚くらいしか年賀状は貰わなかったのけど、そのなかで裏も表も印刷物でしかない、手書きのメッセージが全く添えられていないものが3、4通あった。すごい比率だ。薄ら寒いものと、好奇心が湧いてくる。いったい年賀状にどんな意味を込めているのか。聞いてみたい。その「年賀状」は果たしてどういうものなのか。それは年賀状なのか?印刷物であるだけの年賀状は延命だけを価値とする態度そのものではないか。河原温の「I am still alive」も同じ郵便物で印刷物ながら、これほどまでに次元の違うものが可能なのかと驚いてしまう。

アガンベンの後に、年末に読み始めてこれは人生の一冊になるという確信を得た「重力と恩寵」を風呂場で読んでたら、シモーヌさんも「むき出しにされた生」という言葉を使っていた。「形のくずれてしまった生」とも。

「すなわち、生への執心がほかのあらゆる執着にとって代わってしまうとき、極限の不幸がはじまる。そこでは執着がむきだしにあらわれる。自分自身の中にどんな対象もない。地獄である。」

アガンベンが書いてることとまるっきり同じような気がするのだけど、どうりで彼の卒業論文はシモーヌ・ヴェイユらしい。(ジョルジョ・アガンベンも卒業論文とか書いてるのか!という純粋な驚き)

「歴史の概念について」の原稿を入手したのもアガンベンらしいし、彼は良いかもしれない。思想書は全然得意ではないのだけど彼のは読めそう。

とにかくサラ・ブライトマンの歌と、コロナ禍における移動の自由の制限や葬儀なき火葬と、ついでに言えば花の慶次における佐々成政の「よかろう、この首を打ち取り、末代までの栄誉とせよ」という台詞のメンタリティには関係がある。

やはりどう考えても抵抗する必要がある。それはシモーヌさんの言うことに近い、自分が堕落しないというかたちでの抵抗になるだろう。

あいみょんばっかり聞いてしまう

実家にて1998年10歳の頃に書いた日記から大学時の殴り書きのエスキース帳やメモに書かれた、自分でも半分くらいしか解読できない文字を読んでみると僕は昔から「いっぱいいっぱい」だったことがよくわかり、ひどく安心した。We Are Dinosaurs!と可愛い恐竜のイラストが描いてある青くて薄いノートに書かれた10歳の日記には毎日「今日も学校に行けた」「今日も学校に行けた」とある。全く覚えていないが、人生の峠を一つ一つ越えているような必死さが伝わってくる。極め付けは最後の方、もう書くのも面倒になったのか「なしほんとはある」という一文だけが五日連続で書かれ、日記は突然途切れている。この時の気持ちを覚えている。書くのがもう面倒なので今日の出来事「なし」と書きたいのだけどそれでは嘘になってしまうと思った。だから「ほんとはある」と付け足した。エスキース帳の方には「3/25朝」に電車に乗ってきた「キチョウメンな男性」を観察した文章「メガネを取り、キチョウメンに上着の内ポケットにしまった。どうやらねる気らしい。目をつぶったはいいが、何か気になるのかしょっちゅう目を開けては体を動かしているそんな神経質な人が電車で寝られるわけがない」とか長々と記され、最後に「でもなんとなく僕はその人が好きになった。」と書かれていて、この一文がなぜかマルで囲まれている。他にも魚のシルエットのようなものや三角形が組み合わさった絵などがたくさん描かれ、おそらく建築の設計課題を検討しているページには「あいつが話をややこしくしている.」という一文がある。他に言葉は書かれていない。あいつとは誰で、なんの話をややこしくしているのか全く思い出せない。別のエスキース帳には「相手の精神にどううてるか」という一文の下に丸と線の繰り返しの図形を二重線で消したような跡。そして下に「何で僕はこうなってしまうのか」とあり、「ボウシとしたことが・・・・」「・ねてないから?」「・歩いたから」「・水」と続く。そしてもう一度「何でこうなってしまうのか?」と書かれ、こちらは赤いアンダーラインが引かれている。さらにその下に何故か「南方マンダラ」が描かれていて、「各々の線が交わるのは必然性によらない」とあり、「必然性によらない」の部分にアンダーライン、さらにその下に「必然性によらない」と再度強調している。また別のページには「会社をロックンロール退職した二人(ストロークスとの出会いがきっかけ) よってお金がない」とあり、その下に四角形を重ねたような、複雑な図形が二つ書かれている。昔からずっと、けっこうぎりぎりだったのだ。今に始まったことではないのだ。すぐに忘れてしまうなあ

「重力と恩寵」超やべえ本だと電車で読みながら渋谷に行って偶然と想像を観た。面白かった。笑えるんだけどふと笑ってる自分がちょっと恐くなるような。中島の存在感と声も良かった。パンフレットで小川哲さんも書いてるし最近宇宙誕生についての講義動画を観たのもあって、偶然生まれたものに対してフィクションを立ち上げたくなる人間の想像力それ自体を扱っているものだと思う。偶然てフィクションでは扱いにくいことだけどそこを振り切ってしまうことでこんなに面白くなるのかという。重力と恩寵と偶然と想像という韻が踏める並びの偶然に、つい重力と偶然、恩寵と想像について考えてしまうシモーヌヴェイユが「真空」と読んだものを「偶然」と読み替えてみると、彼女が言った「真空を受け入れること」「真空を埋める想像力を働かせないこと」はフィクションの否定とも読める彼女は多分「想像するな」と言っている。真空を真空のまま受け入れることで、大きな恩寵が降ってくると。

シモーヌ・ヴェイユは真空を求めてはいけないと書いた。真空からのがれるのもいけないとも。来年はそれを実行する。

世界で最後の一人になっても洗濯物を畳むのか

川村記念美術館「ミニマル/コンセプチュアル」さいこうだった最初の部屋初っ端のカールアンドレの作品から涙ぐんでしまった。工業的に切り出されたただの鉄の立方体を使ってることで、ダンフレヴィンやソルルウィットの作品よりも手仕事感がなくて、ただ、ものがそこに存在していることが感動的に思える奇跡が起きていた。リチャードアートシュワーガーという人のことを知れたのも良かったし、ローターバウムガルデンも良かった。リチャードロングの「歩行による線」が見れたのも良かったしロングの最初の個展のDMがダサかったのも良かった。スタンリーブラウンの作品をみて、自分の歩幅を1単位として、メートル法とかそういう既存の単位を使わないで東京を旅してみようと思った。「東京を旅する」は良いアイデアかも知れない。河原温のI am still aliveシリーズが始まる前に送られた3通の電報のことは知らなくて、「自殺しようとはしていない心配するな」という電報を一人に送ったことがきっかけで「私はまだ生きている」という電報を知人に送るようになったという話は、彼の作品と彼の日々の生活が思っていた以上に地続きになってることがわかって良かった。心にオン・カワラを飼う。ワンミリオンイヤーズも実物見れた。企画展もだけど川村記念美術館自体もさいこうでロスコの部屋ではもう絵が見えなくなるくらい泣いてしまったやる気出ないとか言ってすいませんと思った魔法がかかっていた近くで見ても離れてみてもどこが細部かわからない。魔法としか言いようがない

宝くじの、当店の高額当選!赤い文字の張り紙を見ると江戸時代みたいな気持ちになる。

好かれたら嬉しい人は居る。好かれているかもしれないということだけで元気が出てくるような人は居る。性別とか年齢差とか仕事や趣味の一致とか関係なく。

宇宙の最初は10のマイナス25乗cmとかそのくらいの大きさしかなかったと考えられる。

しかも宇宙にははじめ、水素とヘリウムしかなかった。私達の体を構成する炭素や窒素や酸素や鉄等は全て星の内部で作られ、超新星爆発によって宇宙にばらまかれた。

「私達は星屑でできている」

宇宙においては、遠くを見れば過去が見える。138億光年先を見れば、138億年前のビッグバンがまだ見える。
星の中の酸素が燃え始めたらその星の寿命はあと半年。ケイ素が燃え始めたら、あと一日。寿命を迎えたら、超新星爆発が起こる。
オリオン座のベテルギウスが、近い将来爆発するんじゃないかと言われている。ベテルギウスの見かけの大きさが15年で15%も小さくなっているから。
原子核の周りを電子がまわるためにはヒッグス粒子の力が必要。ヒッグス粒子は宇宙のどこを見てもギュッと詰まっていると言われている、空気のようなもの。

「ヒッグス粒子が今この瞬間になくなったら、私達の体は約10億分の1秒でバラバラになる」

太陽までの距離は光で8分。今この瞬間に太陽がなくなっても、我々は8分間はのほほんと生きている。
太陽は毎秒40億kg軽くなっている。文字通り身を削って光を放っている。そこから放たれるニュートリノが毎秒100兆も私達の体を通り抜けている。
宇宙が生まれてから三分後にはヘリウムが生まれた。
地球は毎秒30kmで回っているが、慣性の法則で我々は振り落とされない。太陽系は毎秒220kmで銀河系を回っている。なぜ中心からふっ飛んでいかないのかわかっていない。星の重力だけでは足りない。暗黒物質の力だと考えられている。

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同じ山を登りたい人

美術館でぱしゃぱしゃと写真撮ることの、その態度が許せない。映画館で上映中に隣で携帯をいじるのと同じ。作品をなめている。自分の目もなめている。人間の目なめんな。上から目線、消費者精神、自分の価値観を揺るがす気がない。極論かもしれないがそういう人には美術館に来ないでほしい。自分が寄って立つ足場を揺さぶられる気のないひとには来ないでほしい。シャッターをきることの怖さをしらない。書くことで忘れてしまうのと同じで、撮ることで忘れることをしらない。ナメんなと思うのだが、しかし美術館側がそれを後押ししているところがある。来場者が増えるからか。今後世界のトレンドがいかに変わろうとこれには断固反対するせめて一回の展示で1回までとか音はナシとかルール考えてくれ

「自分の行先に前もって荷物を送るタイプの人間」と「自分の行先に前もって荷物を送らないタイプの人間」の二種類がいるとすれば、自分は「送らない側の人間」に分類されるだろう。間違いなく。

その理由のひとつとして、自分には、いわば「押されて押されて生まれるオリジナルの形態」への美学があるからだと思われる。

フランシス・アリスのメキシコでの写真作品(とんでもない量の風船を抱えて歩いている行商とか、どんでもない高さまで荷物を積み上げた自転車を走らせている人とかの写真)が好きなのもその美学に即しているからだ。

例えば僕は先月始まった京都の展覧会の準備のために、10日に京都に着かねばならなかったのだけど、その際9日の夜まで制作作業をやっていた。作った木製の什器を自分の手で運ぶために分解して、その部品である長い角材をスーツケースに突っ込んだ。すると、長さ2mの細い角材数本と、長さ1mのツーバイーフォー材が2本飛び出た、冗談みたいな姿のスーツケースができあがった。僕はそれを引きずり、10日の電車に乗った。(きっと「荷物を送る側の人間」たちは、8日ぐらいには制作を終わらせて、9日は梱包・発送作業をして、10日には身一つで京都に行くのだろう。そして荷物を京都で受け取る)

目の前の仕事を一生懸命、締め切りのぎりぎりまでやって、やべーもう出ないと間に合わない!とか言って、取り急ぎ手持ちのバッグに突っ込んで出かけた結果生まれた姿は、作ろうと思って作れるものではない。そこに美学を感じている。

もう一つ「そこには僕も行くのに」という理由が考えられる。

「荷物を送る」ということは、「自分以外の誰かがそこに行く」ということだ。でも「そこ」には僕も行くのだ。二人も行く必要はないじゃないか。

だから僕は「自分が行かないところに荷物だけ送る」ことに抵抗は感じない。その場合、僕はそこに行かないから。「そこ」に行く人間は一人でいい。

そもそもみんな、荷物を送るということは、誰かがそこに行くことだ、ということを忘れていないか?なんか、電子データ送るみたいな感じで荷物をおくってはいないか?荷物がそこへ行くには、ドライバーが車を運転する必要がある。多分このことをみんな忘れている。ドライバーは透明人間になっている。

この問題は、ひいては介護士とか保育士とか、再生産労働者(あるいはエッセンシャルワーカー)など、社会に必要な職業であればあるほど、給料が低いという問題にもつながる。みんな、自分の生活のために人を使うことにそれほど大きな抵抗を感じていないし、なんなら、やってもらって当然だと思っている。

建築家が建築事務所でやっているような、プロジェクトごとにかっちりと頭を切り替えてアイデアを出したり考えたりするようなことが苦手だ。というか、一人では難しいことなのかな?他に人がいれば、その雰囲気にのって切り替えられそうだけど一人では…。キュレーターとか編集者とかも担当している作家と打ち合わせをするごとに頭を切り替えてるんだろう。自分がシングルタスク脳なのか、あるいはそもそも困難なことなのか。文なら割と瞬時に切り替えて書けるのだけど、文とアートプロジェクトを同時に考えることはできない。一つのことを思い続けてしまう。終わらせないと次に進めない。SNSで見た偉そうな白人の先生風に言えば、水の入ったコップをいつまでも持ち続けてしまう。

昨日午前中に二回目のファイザーワクチンを打って、昨日はびびりつつ熱なんかはでなかったので、今日は普通にアトリエで書き物をやっていたのだけど、なんだか体がいつもと違う。熱はなさそうだ。だけどインフルエンザなんかの症状に近い感じで、体が重たくて、頭の命令が四肢に伝わるのが遅いような気がして、多分いま走ってもいつもよりだいぶ遅いと思うのだけど、そのくせ神経が過敏になっている。いま腕をぶつけたらいつも以上に痛く感じそうな、神経質になっているような感じ。でもこの感じは嫌いじゃない、とも思う。

子供のころインフルエンザで寝込んだ時は天井がパズルみたいにガチャガチャと動いていた

ワクチン打ったあと、休むと決めて家で鍋を作って食べたりするのにふさわしい、良い天気だ。

亀山城址公園のあたり、なんの鳥がわからんがお堀の向こうの森から鳥の声が絶え間なく聞こえてきて、えでぃまあこんの麻雀砂漠を聴いて歩いていた。

空は淡い青で晴れていて薄い雲がゆっくり流れていて、左からはこれまた絶えず車の音が聞こえていて、黄色と緑のグラデーションのイチョウの並木を歩いていたとき、MONOのeverlasting lightという曲について、メロディーラインの演奏を聴衆の脳内に託しているということに気がついた。つまり、それまで繰り返し聞かされてきたギターのメロディーラインは途中から鳴らなくなり、ノイズの中に消えていくのだけど、その轟音の中であのメロディーが聞こえてくる。鳴っていないのに。それまでずっと聞かされてきたから、頭の中でまだそれが流れていて、その伴奏として現実に鳴っている音が耳から入ってくる。音楽ではこんなこともできるのか。それで、いま、また此岸にもどってきた。と思った。世界を情報ではなくて、物質や材料。マテリアルとして眺めることができる瞬間。たぶん芸術はこのことと関係がある。有用性に埋没しない、世界から大地へ移行する瞬間。
紅葉のグラデーションはきれいだ。あれは葉緑素が壊れて色が変わるから、葉が死んでいく色なんだろうけど、循環を感じるから

そして雪虫が大量に飛んでいる

鴨川沿いを湯川潮音を聞きながら歩いていて、七条のあたりで橋を渡ったとき、晴れていてとても暖かくて、本当にきれいな街だ「この景色のためなにかしてあげたいな」と思った。川面は凪いでいてビニールの床みたいで、浅瀬にサギが立っていて、鴨が岩の上で休んでいた。雑草、河川敷の一年草が枯れていたり新緑だったりして、地面がカラフル。紅葉は梢の上の方が紅くなっていて、徐々にグラデーションで幹に近い葉はまだ緑。雀が桜の木に4羽、枝から枝へ飛び移っていて、それを見た時急に鳥肌が立って、泣けてしまった。時間が溶けていくようで、気持ちも久々に穏やかで、いま自分は「此岸」に戻ってきたと思った。つまり、いま僕はここにいると思えた。

寿司は、大将が亡くなるまではそれを差し置いて自分の店を出すことはできない。それに、地黒だから寿司は向いてないと言われた。と聞いた

人に酒を奢ってもらった和食屋の席

うまくいかないことがあってもいいんじゃない?

と言われたこと

京都には、鴨川のおかげで影の部分というか、設計されてないところがあってそれが良い。橋柱の裏とか、河原から道路に上がる坂の、坂を上がらずに脇に入ると歩けるけど人が来るようには設計されてないところとか、それがよい。僕はそういうところに入って行きたくなっちゃうけど、例えば橋の下の水が来ていない砂地とかに一人で川面を見たりしていると。ひとからあやしまれたりするかも、と感じてしまう。そういう場所が必要だとか思ってるのって実はものすごく少数なんじゃないかと思うと、そういうことを人前で書いたり行ったりすること自体が馬鹿らしくなったりもする
GP80とか0.7とか、両側に矢印がある線とか、東九条の道歩いてたら書いてあって、なんだこれ

自分だけの感情。独り占めの感覚。棚に並べたもの。自分のルールで並べた、自分にしか価値のないもの、誰にも共有しない、自分だけの足跡。人には知らせる必要のないもの。書く必要のないもの。伝える必要のないもの。自分だけのおとぎ話。自分で生み出し、自分だけが語り継ぐもの。書く必要がないから書ける。書かれないもの。書かない。なにも書かない。表現しない。伝えない。シェアしない。作らない。つくる必要がないという救い。作らなくてもいいという救い。
長く忘れ去られていた話。湧いてくるが、書かない。読んだ本のことも、面白かった映画や演劇のことも、仕事の帰り道に虹を見たことも、日曜の夕方ふいに窓から富士山が見えたことも、家の前で五百円玉を拾ったことも書かない。
意味から逃れる。その入り口は棚にある。棚を見れば思い出せる。あの昼下がりの公園の光、夜の川面。わたしは書かない。誰にも伝えない。
いつのものかわからない水筒、ふるいどこかの塩ビの雨樋の一部。ホース、ブリキの小さなバケツ、なにかの木片、もう出ないスプレーとほとんど芯になったテープとなんの一部かわから金属の部品が詰まったコンテナ、なにかのときに使ったブルーシートの切れ端。茶色くシミのついた雑巾、いくつかの新品のコンクリートブロック、もう使えないであろう灯油缶、波板の余り、何が入っているか忘れた一斗缶。頭から意識を引き剥がし、自分の脈を確認しろ。手首に親指をあてて、自分の心拍を感じろ

阿佐ヶ谷スパイダース「老いと建築」
今和次郎とか清原さんの「わたしたちの家」とか映画「ファーザー」とか、荒川修作とか、谷崎潤一郎とか保坂和志とかイタロ・カルヴィーノとか、あと過去のレジデンスの家、金石とか珠洲の家のこととか思い出した傑作だった。これは傑作ではないか。

落ち葉がチャイナ・タウンみたいだった

紅櫻公園にて45リットル袋で18袋と70リットル袋で10袋集めた。佐野さんと

 

開いていた本にトンボがとまった

布団の上でエコノミー症候群になりそう