アトリエの地面で茶色くて細長い紐状のものがうねうねと波打つように動いていて、はじめミミズかと思ったのだが近づいて思わず声が漏れた。久々に、本当に久しぶりに見るカナヘビのしっぽであった。手のひらにのせてもずっとうねうねと動いている。涼ちゃん!これ見て!田原さん!これ見てください!と、気がつけばみんなに見せて回っていた。本体から切り離されても、敵の注意を惹きつけるためかしばらく動き続ける習性、というかそういうシステムになっている。かなり長くて、15センチ以上はあったと思う。傷口からは白い半透明の四本の突起のようなものが飛び出している。たぶん、肉。四本の突起は傷口の四隅から出ていて、まんなかには骨らしきものの断面が見える。もしかして僕は気が付かないうちに踏んでしまったのか、だとしたら申し訳ないと思ったので、草むらに向かって謝っておいた。謝ってすむもんではないとは思うけど。何事もなく、新しい尻尾が無事に生えてくることを願う。
6月1日14時23分
昨日寝るのが4時前とかになってしまったので、今日の活動開始が14時を過ぎてしまった。アトリエに向かう途中、小学生の下校軍団とすれ違いまくる。毎日毎日、活動開始時間が遅いことに、なんだか焦っている。この焦りはどこから来るのか。おれはこれから一日を始めるのだという態度で堂々としていればいいのに。朝早く起きて活動すべしという昔からの刷り込みなのか。このままでは3時間くらいしか活動ができないと思ってアトリエに行くも、しかしアトリエでは、ずっと集中しているはずもなくだらだらと報告書の論文書きをして時間が無為に過ぎていく、そしてまた次の日に、なんとなくざわざわしながら過ごす。今やっている仕事が要するに性に合っていないからだろうが、この日々はつらい、せめて堂々としていたい。厄介な刷り込みを受けたもんだ。
真下を向きながら歩く小学生が二人いて、自分もむかし下ばっかり見て歩いてたことを思い出した。
それと、たぶん3年生くらいの小学生男子が、道路の向かいをうつむいて歩いていく小学生に対して「〜〜〜しなかったらわかってんだろうなあ!腹パンよんじゅっぱつ!」と叫んでいるところにも遭遇した。いじめられてたら嫌だなと思ったので、しばし、うつむいている子に、アトリエに遊びにくるかと声をかけようかとか思ったが、それはそれで不審者ではとブレーキをかけてしまった。
5月31日の日記
東京で北海道産ジャガイモのコロッケをかじった瞬間、北海道の風を感じるのは、その内部に含まれている空気を食べているからである。東京の空気とじゃがいもの粒子が混ざり合うことによって効果が生まれるのである。
またナスの素揚げを味噌汁に入れるとめちゃくちゃうまいということを発見したのだが、それはナスに染み込んだ油が口の中で味噌味の汁と分離しながらも混ざり合う感じが気持ち良いからだ。単に味が良いというだけもなく、風味ともまた違う、口の内側で感じる二種類の液体の「感じ」がうまい。味噌汁に揚げ焼き卵を入れたら美味いとか、カマンベールチーズ入れたら美味いとか、人から色々と教わって実践してきたけど、素揚げのナスはいまのところ最強。(05312212)
この瞬間の現実に永遠の相をみること
量としての時間。奨学金を完済するまで、唐辛子の種が発芽するまで、洗濯物が乾くまで、お茶が抽出されるまで、あるいは死ぬまでの待ち時間。これらを多く手にかければかけるほど鈍くなっていくもの。そこからの離脱。緑や、虫や、命。時間の中で見るという罠に陥らないように観ること。やっと発芽したねとか、まだもうすこし時間がかかりそうだね、とかではなく、種が発芽するという事態、そのものへの喜び。発芽する種のなかに永遠を観ること。
量としての時間を測ってみるのも面白い。近い未来に魚の漬け焼きを食べるため、あらかじめ魚を生姜醤油につけておくことや、近所で切り倒された桜を挿し技にするため、根が出るまで植木鉢に挿しておくことや、日々ぬか床の面倒をみることや、庭にブルーベリーを植えること。生活のなかで、一人の人間が携えている「時間」を全て書き出してみたらどれほどの量になるか。多かれ少なかれ、アメーバのように過去や未来に手を伸ばしながら生きている。僕は少ない方だと思うけど、それでも奨学金の返済、冷蔵庫の牛乳の賞味期限、淹れたコーヒーが冷めるまでの時間、読みかけの本、描きかけの絵、財布にある現金の残り、前回帰ったのが二ヶ月前だから、次は来月くらいまでには実家に顔を見せに行きたいな、と思うこと、書きかけの文、返事を待たせているメール。数えればキリがない。いくつもの時間をまたにかけている。今が、未来にも過去にもある。あるいは過去から未来にまたがる、複数の自分がいる。そういうものにまみれつつも、一つのことをやっているときは、他のことは忘れながら生活している。自分がいま手をかけている時間、全てを書き出してみることはできるか。何人かでやってみたい。一人の時間を合計したら何千時間になるのか計算してみたい。
5月30日の日記
幸せになりたい。この文言、それがどういうことを望んでいるのかがよくわからないから、そうは思えないのだけど、歓びと共に生きていきたい、とは思えるな。歓びとは、物事に対して先手を取ること。とにかく、受動的な感情に支配されないように気をつける。人を疑うこと、悲しみ、憎しみ、妬み。これら受動的感情に対して常に先手をとること。誰にも支配されないために、たえず能動的であること。ニーチェに言わせるなら「私が望んだのだ!」としてしまうこと。どんな状況におかれようと、私が望んだのだ!と叫ぶこと。マノウォーに歌わせるなら「俺の行く先に立ちふさがる者は皆、剣の錆びとなるだろう!」(05301252)
5月29日の日記
二日酔いがひどく、昼まで寝て回復してからニンテンドースイッチでマリオゴルフとスーパーマリオ64とスターフォックスをやっていたら外が暗くなっていた。19時にようやく能動的情動を獲得し、洗濯物を取り込み、たたみ、19時半、近所のイトーヨーカドーに入っている倉式珈琲店へドゥルーズのスピノザ本だけもって出かける。(05291935)
クラウス・ノミがすごい。ここまでの唯一無二、天下無双を地で行くようなアーティストは他に知らないかも。
自動車が走る道で一人だけ馬に跨って走りつつ(蹄の音がカツカツ響いてる感じ)、さらにその馬の上で肘を直角に曲げた腕を振子みたいに振り、目を見開きながら走り去っていく人を見ているような感じだ‥他人のことは全く気にせず、自分がやるべき音楽だけをやっているような‥素晴らしい‥
I wanna lasso you with my rubberband laser(05292118)
人の小銭が落ちる音で、過去に自分が落とした小銭の記憶が蘇ることがある
古本屋で、レジの近くの本棚を見てたら小銭の落ちる音がして、レジの女性が落ちました、大丈夫ですか?と声を発した瞬間、自分が小銭を落とした記憶、今日のことか、昨日のことか、もうわからないのだけどとにかく落とした瞬間に、あ、拾わなきゃと思ったのになにか手は別の作業中ですぐにはひろえず、後で拾おうと思ったことは覚えてるのだけど拾った瞬間のことは覚えておらず、という感じの、とにかく最近小銭を落とした時の記憶がザバーンと甦り、あのとき落とした小銭、結局拾ったんだっけ?と考え始めてしまった。(05251231)
5月26日の日記
仰向けの姿勢では、嗅覚は鈍る。パンの焼ける匂いがわからなかった。(05261523)
05270918
芸術にはなんの意味もない、なんの役にもたたないし、お金にもならないが、やらざるを得ないこと、やるように体が動いてしまうことほど、喜ばしいことはない。
5月28日の日記
地元のコンビニが潰れて釣具屋になった、という話を友達から聞いた。釣具屋が潰れてコンビニになった、という話なら全国にいくらでもありそうだけど、その逆はなかなか珍しいのではないか。ぼくは聞いたことがない。釣具屋はいつだって潰れる側の存在だと思っていた。コンビニがもう飽和状態ということなのか、あるいはコロナで釣り人の人口が増えてひそかにブームが来ているのか、とか色々と勘ぐってしまう。
そういえば少し前、うちの近所でもセブンイレブンが潰れたのだった。建物が空っぽになりテナント募集の紙が貼られたかと思ったら、そこから50メートルほどのところにある、美容院が潰れた跡地に新しいセブンイレブンがオープンした。これが噂に聞くセブン&アイグループの戦略かと震えつつも、そこで買い物をすることに慣れてきたころ、潰されたセブンイレブンの方のテナントで新しい美容院がオープンしており、ついに人間は頭がおかしくなったのかと思った。自分の尻尾を追いかけて延々と回転する巨大なマグロのような。
05271558
内田が自分で育てた唐辛子から種を取り、真空パック内に敷いた湿らせた紙に規則正しく並べ、一つ残らず発芽させているのを見せてもらい、その美しさから「神即自然」を感じてしまうのだけど、食べた野菜の種を発芽させながらスピノザを読むという集まりを開いたら面白いのではないかと思ったのでメモ。
5月24日の日記
思えばタンスを自分で買ったことがない。空鼠時代などは服をどこに入れていたかすら思い出せない。ものがないから、記憶が定着していないのだ。記憶は案外ものに宿るというか、頭の中だけで覚えておくのはすこし難易度が高いのかもしれない。日記にもそんな生活のことは書いてないのでいまはもうわからない。ただバスタオルを一枚しか持っていなかったことは覚えていて、ずいぶん洗濯もせず、しかも使い終わったやつを、室内の日陰で干していた(同居人たちも同じところに干していて、でもバスタオルを一枚しか持っていないのは僕だけだったので、他のメンバーのタオルは度々変わっていたが、僕のだけはずっと同じものが干されていた)のでたぶん匂いが取れず、でも僕は鼻がほとんど効かないのでそれがわからず、一度僕のタオルをシャワー後の友人に貸したら、くせえ!と言って、自分が脱いだTシャツで体を拭いていた光景が強烈に残っている。ぼくはどう反応すればいいかわからなかった。いまでもわからない。
タンスに限らず家具を買うということをほとんどしたことがなく、いま使っているベッドも机も自分で木材を切り出して作った。本棚は、制作に必要だったから買った。布団も制作に必要だったから買った。カラーボックスも制作に必要だったから買った。制作のために買った者たちは、その後ぼくの生活用のものに変わっている。必要があればまた作品のために駆り出されるだろう。書いていると、ぼくは自分の生活を作ることにほとんど興味がなく、それが制作に絡んだものになれば惜しみなくお金も時間もかけられるのに、自分の生活のために、という名目ではとうていやる気になれない。料理は好きなのに。レンジやオーブンは自分の生活のためでも買えるだろうに。(05242344)
5月22日の日記
アトリエにて千川さんのスピノザ講義の夜。終盤に近所に住んでいるダンサーのゆずさんがビール(前にここでクラフトビールもらったから、似たようなやつ探したと言って、見たことのないアサヒの「ホワイトビール」など)と共にやってきて、講義終了後に軽く宴会になり、舞踏とコンテンポラリーダンスの話を聞く。白塗りになって踊るような、いわゆる「舞踏」は世界的にはザ・ニッポンのコンテンポラリーダンス(つまり舞踏)として知られ、もう百年くらいの歴史があるという。彼らは舞台の上で踊るというよりも、いかに舞台の上に「立つか」を探求し、それはやがていかに大地に立つか、いかに生きるかという問題にまで昇華され、最終的に村など作ったりして、共同体になることも珍しくないと。
またバレエなどは身体が老いて足が上がらなくなったら直ちに引退、後進の育成に回るというルートがほとんど決まっているけど、コンテンポラリーダンスにそのような厳格な共通ルールはないので、基本的に年齢制限などはないのだが、老いて足が上がらなくなると、自然と「舞台の上にいかに立つか」ということを考えるようになり、舞踏の人たちが考えてきた問題と近づいていく。
しょぼい話だけど老いることが表現スタイルの変化を促すという話を聞いたとき、ハゲたら髪型のバリエーションが限られてくる話に似ているかもしれないと思った。(05220159)
5月19日の日記
久々にバイト先のパブに行き、5年ぶりにベーシストのマリさんと会う。カウンターに座ってすぐに、ましゅ?と声をかけてくれた。僕はここではましゅ、と呼ばれていた。わかります?ときいたら、わからないわけねーだろと。僕は5年前に、3ヶ月ほど働いていただけなのに。「わかります?って、ウケる笑」と。
働いていたときにかなりお世話になった、ハルさんがやっているバンドのウォーターフォールという曲、今でもたまに聞いているのだけど、そのミュージックビデオに出ている俳優もこの店で働いてた人で、滝で撮るというアイデアも、ここで働いていたヴィンセントのアイデアだと教えてもらった。みんなここの人じゃねえか。最高か。ハルさんはその後社員になり、音楽はもうやっていない、家で一人で弾いたりはしてるかもだけど、と言ってた。いまは別の店に飛ばされていて、まりさんは社員にならないんですかと聞いたら、なるわけねーだろと。ここで働き始めて12年。もういやだよお、と言っている。(05191135)
猫は逃げた
猫は逃げた/新宿武蔵野館。主人公の夫について。妻がサインして、はいあなたの番、と手渡してきた離婚届にすぐサインせずに、これって一番最後なんじゃないの?財産分与とか、家具のこととか全部終わってから、最後にサインするもんなんじゃないの?(他にも、もっと話そうよ、話してないじゃん、と、ろくに話し合いもできないくせにただ話すこと、をやたら重要視する感じも、味わい深いところがあるけどそれは置いておいて)と言うところや、本当は小説家になりたいんだけど、死ぬまで芽が出なかったら悲惨じゃん、と、こいつは小説が書きたいのではなく小説家になりたいだけなのではと思わせることを言ってしまうところとか、夫婦とそれぞれの恋人四人で並んで話してるときも、しばらくの間会話に入っていなくて、いざ口を開いたと思ったら、声が大きいよ、もう夜なんだからと言ってしまうところ、自分の気持もわからず、まして言葉になどできず、しかし世間体や外見(そとみ)はとても気になってしまう、ある種男にかけられた呪いのようなものを緻密に作り込んでいる。よくここまで脚本つくったなと。(そしていま本を読んでいる影響でどうしてもスピノザを思い出してしまう。事物の外に出て、外から事物を見ることができるというのは幻想なのだ)
あとLightersのエンディングテーマ、歌詞がネコ目線なのが良かった。そして猫のカンタ、異常に可愛かった。(05182525)
5月18日の日記
昼間、アトリエのメンバー5人で屋根に登った。平屋なのにとても高くて、隣の二階建の家の屋根よりも、少し離れた3階建ての屋根よりも高いように感じられた。さっきまで自分がいた庭がとても小さく、遠く見えた。いつもわたしはあそこで過ごしているのか、と。小さな庭にいるなと思った。遠くのマンションの屋上に、赤い鳥居が立っていた。風が気持ちよかった。遠くに見える銀杏の木の実が屋根の上に集められていて、鳥がここに運んできたんだろうという話をした。
映画を見るために新宿に向かう電車に乗っているとき、目線がちょうど昼間の屋根の上と同じくらいだったので、あの気持ち良さを思い出した。あの風はよかった。とてもよかった。(05181820)
例えば箸入れ、コップ、タンスなど。これらの役割を「中間搾取」とよんでみる。
箸入れは、洗った箸を乾かしているカゴから直接取って食卓に持っていけば必要ない。コップは宮本浩次みたいに牛乳パックに口をつけて飲めば必要ない。着用→洗濯機→物干し竿→着用というふうに服を回していけばタンスも必要ない。企業と顧客の間に入ってお金をふんだくり、意味のわからないイルミネーションを広場に設置したりする広告代理店と同じで、本当は必要ないのにそれがないと生活が成り立たないかのようにアジテートしてくるプロパガンダ家具によって、この生活は中間搾取されていると考えてみる。しかし彼らの存在しない生活はあまりにも、なにかがまずい。これらをマジで中間搾取だと信じこみ、徹底的にそういうものを排除してしまうと、たぶん人間ではなくなってしまう。高橋ヨシキが言っていたように、人間には「象徴」がないと生きていけない。たとえ不必要に思えても、たんなる儀式に見えても、それがなくなってしまうと、たぶんぼくたちは人間としての生を生きられない。コンビニで買った惣菜でも、直接食べるのではなく、とにかく一旦皿に盛り付けて食べたほうがいい。そうに決まっている。しかしそんなことは百も承知で、中間搾取と呼んでみたい。そんな気持ち。(05181042)
5月17日の日記
以前寄稿した雑誌の発行元企業のCEOが登壇するという情報がたまたま目に入ってきたベンチャー系のオンラインセミナーを受講してみた。内容も面白かった、というか、そういう界隈ではすでに有名な話だったりとか、名のしれた会社があったりとか、そういうことが暗黙のうちに了解されている雰囲気を感じ、マルチバースを思った。世の中にはたくさんの人びとがたくさんのレイヤーの上で活動しており、レイヤー間を行き来したりしなかったりして、気の遠くなるような情報をやりとりのうえで営まれているひとつの世界。美術や建築に限ってもいろいろな戦い方というかフィールドがあるのだから。世界は広い。自分がおもっているよりもずっとずっと…。常に広い。絶えず広い。しかし内容はともかくそのセミナーは、ぼくが勝手に抱いていた「ベンチャー系」のイメージにかなり近い形で、カタカナ言葉を会話のなかで多用していて驚いた。香川県民はうどんばかり食べているというイメージがあるけど、実際うどんばかり食べている、あの現象と同じ。もっとも衝撃的だったのは「ペインを解決」という言い回し。「ニーズを満たす」に近いが、もうすこし切実な時に使うようだ。現状よりもすこしプラスになる、という感じではなく、ストレスをなくす、という感じか。他にも「グロースのために」「ラーニングできる」「グループインしたときに」など。M&Aのことを「グループにジョインする」とも。こういった言葉たちが、ごく自然に使われていた。僕もドローイングとかタブローとかサブロクとかシハチとかコグチとか業界っぽい言葉使うことあるけど、彼らのそれは単語という単位ではなく熟語になったときにオーラを纏う点がユニーク。(05171216)
5月16日の日記
昨日からアトリエの裏門と植木の間に蜘蛛が巣を張って暮らしているのだが、門を開けるとすーんと巣が縮み、閉めるとぐいーんと元の大きさまで戻る。素晴らしい柔軟性、伸び縮みする家。(05161648)
都現美の吉阪隆正展トークとギャラリーαM高柳恵里展トークの日
・東京都現代美術館の吉阪隆正展トークイベント
吉阪の「乾燥ナメクジ」はいつ出現したのか、という問いについて。今和次郎が「自分は湿原を歩くカタツムリだ」と書いた文を藤森照信さんが発見した。しかしこれは藤森さんが今和次郎のことを調べているときに見つけたテキストで、本に載せられていたものではないので、吉阪は知らなかったはずだ。でも吉阪は今和次郎の弟子なのでなにか影響はあった可能性はある。
東京オリンピックの時期に乾燥ナメクジが吉阪の夢に出てきた。もともと「土の建築」に感動した吉阪だが、文明の発達によって資本主義が加速していく過程で、そのような土着的な価値観が失われ、自分も干からびていき「乾燥ナメクジ」になってしまったと考えた?
吉阪は一次元、つまりまっすぐに進むナメクジのように生きたいと思っていた。吉阪邸やヴィラクゥクゥの時期のことだが、建築家や大学の教員として色々な仕事をこなし、いわば色々な風土に耐えているうちに自分が乾燥ナメクジになっていることに気がついた。じとじと雨が降り、湿気がいっぱいあるときだけ羽根を伸ばすが、それ以外の時は耐え忍ぶ(大学教員としての仕事とか。吉阪はちゃんと大学に顔を出す、とても真面目な先生だった)。その数少ない羽根を伸ばす時期にできたものが、セミナーハウスと三沢邸、ではないかという藤森さんの読み。
磯達夫さん。セミナーハウスが円谷プロの「怪獣ブースカ」の最終回にでてくるということで映像を見せてもらう。磯さんが「内部も撮影に使ってくれている」と言っていたことが気になる。建築がナラティヴを得た途端に歴史的に残るものになる、と言うせりふに聞こえる。建築単体ではナラティヴとしては語り得ないのか?建築はただ舞台装置としてそこにあるだけなのか。
二人の対談で話が出た、「不連続統一体としての家の理想は、寅さんの家ではないか」これは吉阪ではなく、樋口さんの言葉らしい。
・ギャラリーαM高柳恵里展『比較、区別、類似点』トーク
高柳恵里と千葉真智子
「例えばホームセンターで売っているいくつかの剪定ばさみの性能を比べようとして、何本か買って枝を切ってみても、そこには切られた枝が並ぶだけ、切られた枝がそこにあるだけ」というようなこと。(性能とは?)
(剪定をするとき、後で移植するとかそういう目的があれば別なのだが、なにも目的がない(実をつけさせたいとか)場合でも、陽当たりがいいように切ったりするとか、背が伸びすぎないようにするとか、なにか「判断の尺度」は必要で、そのために枝が分かれたところから15センチのところを切るとか、葉の手前で切るとかはするだろう。そこではじめて「判断の尺度」の次の段階である「判断」がでてくる。しかしそういう意志がなにもなくても、本当に何もなくても「この枝を切る」という判断は起こる。切るべきだと思うから切る。そのときの判断の尺度とは?)
(また切っていると、何が正解で不正解なのかわからないが、とりあえず切り始めないことにはわからないので切ってしまう、ということもある。庭師なら、経験からわかるのかもしれないが。
そして、剪定した木を引いて見たときに、ウオ〜なんかいい感じに剪定できた!と思えること。それを人に見せたときに、あ、なんかいい感じだねと盛り上がれること。それは何故か?完璧な「樹形」などはないだろう。だけど、なにかしらその、樹形のイデアみたいなものが皆の中に知らず知らず共有されていて、そこに近づいているということなのか?)
(あるいは靴を買うときに、その場で100点の判断はできないけど、ある程度「判断の緩衝地帯」を作って、80点を探す感じになる。靴は選んでいるとキリがなく、もっといい靴もあるんじゃないかと思って次へ次へ、となってしまう。「選択の袋小路」に入ってしまう。
だが、とりあえず「この一足」に決めて、それを買って歩きはじめると、選んでいたころの苦悩は吹っ飛び、ただ新しい靴をはいている気持ちの良さでいっぱいになる感じ。それが高柳さんの言う「解放」ではないか。デカルトからスピノザへ、みたいな?)(05141424)
エモい瞬間にスマホを掲げまくっている人
ローラ・デイ・ロマンス@渋谷WWW。コロナの影響で、今回が初のソロライブらしい。整理番号は最後の方ではなかったけど、会場にはいったらもう客でいっぱい。なんとなくわかってはいたけれど、やっぱり目の当たりにするとこんなにファンがいたのかと驚く。みんな若いし、おしゃれ。香る清潔感。パフォーマンスも、バンドメンバーみな衣装を揃えていて、清潔感のあふれるディナーショーみたいだった。世界観の構築。人に認知してもらい、雰囲気として覚えてもらうための演出。こういうところはぼくもほんとうに見習ったほうがいい…自分は自分という人間として、他人からどう見えているかの自覚。
「いいバンド」という言葉がぴったりだ。音楽をやるのっていいなあ。うらやましい。「ランデブー」のライブアレンジかっこよかった。他はわりと音源通りに淡々と演奏している。3週間連続で行ったライブの中で、他の2つに比べると狂気とか熱気には乏しいかもしれないが、気持ちの良いコンサートだった。
しかし撮影オッケーのライブだったので、エモい瞬間にスマホを掲げまくって撮影しまくっている人がいまくっていたのには参った。選択的夫婦別姓のことを思い出した。選択的夫婦別姓を禁止にするならライブ中の撮影も禁止にしてくれと思った。
この制度は配偶者と同じ姓にしても別の姓にしてもいい、個人が好きに選べるという案なのに、反対する人たちは一定数おり、彼らは選択権とかいらないので、全ての夫婦が同じ姓になってもらわないと困るという意見を持っている。理解に苦しむけど、暗いライブ会場で、画面が光る携帯電話を開いて写真や動画をとったり、人によってはラインでメッセージのやり取りまでしていて、僕は絶対にやりたくないし、眩しいし気が散るから、自分だけでなく誰もやらないで欲しいと思ったとき、これは選択的夫婦別姓問題だと気が付いた。なぜあれはだめでこれが許されるのか理解できない。遥かに罪深いことだと思う。美術館でぱしゃぱしゃ撮影している人に出くわすのも嫌だけど(美術館で美術作品を前にして、携帯電話を取り出すという行為自体かなりどうかしている。美術館は作品を適切に鑑賞する条件が整われているべき場所という「定義」なので、ミュシャ展とか、人が大量に来てしまう展示は美術館ではなく、東京ドームでやったほうがいいと言っていた某先生の言葉が思い出される)、あれはまだ時間帯を選べば回避できる。しかしライブだとそうもいかない。(05132103)
5月10日の日記
ここしばらく京都・滋賀付近で土地を探しているのだけど、ネットで目星をつけていた物件をいくつかピックアップして、今日初めて見にいった。夜行バスで。夜行バス、なかなか良い。もう体力的に乗れないなあと思っていたけど、いざ乗ってみると楽しい。だいたい新幹線や飛行機のスピードは常軌を逸しており、長距離を移動した感じがない。その点夜行バスは、日にちを跨いで移動するし、夜を駆ける感じが良い。なにか単純に安いという魅力以上のものがある。
早朝に京都駅につき、レンタカーを借りてまずは一番期待していた亀岡の土地に行った。ところが現場はグーグルの衛生写真でみるよりもはるかに鬱蒼としていて、この木を刈るだけで大仕事になるな、と。道も狭く、道からの段差も大きくて、要するに全然だめだった。衛生写真では状況は何もわからなかった。やっぱり安い物件にはそれなりの理由がある。レンタカーをぶつけなかっただけ偉い。
それから大津市にある不動産屋をふたつ訪ねる。そのうちのひとつが、普通の一軒家みたいな事務所で、前に車を停めたはいいものの、入るのをためらってうろうろしてしまった。一応ガラスの引き戸に不動産取扱者を証明するステッカーが貼られていたので、意を決して開けようとしたら鍵がかかっている。左に外階段があり、二階にも入り口がありそうなのだけど、なんの案内も掲示されてなくて、しかしここまできたのだからと階段を上がり、ドアを開けたら開いた。玄関の目の前に大きなコピー機があってので、ああやっぱり事務所なのかとほっとして、すいませーんと声をかけてみたら、はーいと男性の声。入ると、めちゃくちゃ採光の良い部屋にデスクが五つばかり並んでいて、書類で雑然としている。おじさんが二人いた。おじさんはふたりとも僕を見ていた。ふたりとも、手が止まっていた。白い光に包まれた、すこし埃っぽいけど神々しい部屋で、二人の幸福そうなおじさんに見つめられながら時間が止まった一瞬の景色。しばらく脳裏に刻まれそうだ。
あらかじめプリントしておいた物件情報の紙を掲げて、この物件をみにいきたいという旨を伝えると、手前にいたおじさんがきわめて和やかに、ああ、それね、ええと、地図が欲しいですか?と対応してくれた。
そこはね、いいですよ。最近問い合わせ増えてて。市街化区域外だから自由にできるし。何に使うんですか?ソーラー?と聞いてくる。ソーラーパネルを設置するために土地を買う人がかなりいるということだろうか。ソーラーではない旨を伝えると、固定資産税は8000円くらいだけど、そこ水道引くのが大変なんですよ。近くの家の人に聞いてみたら、こっちの道路の公共水道から自分で引いたって言ってました。たぶん何十万か、かかる。博打打つなら、何メートルか井戸を掘れば水出てくるかもしれけどね、と。博打打つのもいいですねえ、とかなんとか言って地図をもらい、また連絡しますと出ていく。
それからもう一件、同じく大津市の別の不動産屋へ。女性が対応してくれたのだけど、たぶんその人ひとりだった。それほど広くない事務所で、密室で、そして僕は男性なので、なにか緊張させたりするようなことはしなかったか。そのときに意識的に、もっと丁寧すぎるほど丁寧に振る舞えればよかったけど、大丈夫だったかとか、色々と考えてしまう。過敏か。でも逆の立場だったらまあ嫌だろうなと。
しこたま物件を見た。そのうちのひとつはどこからどこまでが対象の土地なのかも分からない、山奥にある水の音がする森。大きな岩があって、立派な木がぼんぼん生えていて、あまりにも森だったので、うわあ、森だあ、と気がつけば一人で呟いていた。滋賀県高島市、めちゃくちゃ綺麗だった。大津にもひとつめぼしいところを見つけた。
帰りぎわ京都で友人たちが激うま弁当をご馳走してくれた。久々に飲むと、酒ってほんとうにおいしいなあと、ほんとうにおいしそうに言っていたのが印象に残る。ビールとワイン。気がつけば帰りの夜行バスの出発30分前とかになっており、慌てる。けっこう走ってどうにか間に合ったのだけど、車内で吐き気に襲われ、焦った。過去最高レベルに焦ったかもしれない。ここで吐いたらとんでもないことになる。もしかしたら伝説になるかもしれない。幸いなことにトイレ付きのバスと書かれていたので、見渡してトイレを探したのだけど、車内は寝静まっていて、暗くて、トイレがどこかわからなかった。そしてあちこち首をまわしているうちにまた気持ちが悪くなり、窓の外を見る、と繰り返していたら、ちょうどドンピシャなタイミングでサービスエリア休憩に入った。トイレで吐こうとしたが吐けず、うろうろしているうちに吐き気はおさまり、バスに戻る。おさまった。断じておさまった。
結婚に金がかかるというのは思い込みだ。離婚には必要だけど。
スマートフォンで女性主人公のオフィスもののノンフィクション漫画などを読んでいると、結婚にはお金がかかるという描写が頻繁に出てくる。結納をしたり給料三ヶ月分の指輪を買ったりするというセオリーが当たり前だったころ(これもある年代からある年代までの、ごく短い期間だと思うけど)は、そりゃあたいそうなお金を用意して、人生をかけて準備をせねばという感じだったと思うけど、最近は割とフランクにカジュアルに入籍だけしましたとか、レストランでパーティーだけやりましたとか、そういう例が確実に増えているのに、結婚にはお金がかかるという思い込みはまだ刷新されないまま根強く残っているのかもしれない。天動説が覆ってから500年も経っているのに、いまだに「陽が昇る」という言い方をしてしまうのと同じように。(05100723)
COCK ROACHというロックバンド
もう名前は忘れてしまったのだけど(「なんとかじい(さん)の音楽なんとか」みたいな感じだった気がする…)さまざまなジャンルの音楽をアルバムごとにレビューしまくっている個人サイトがあって、自分の好みと重なる部分が多かったので、高校のころはそれを参考に日本のロックバンドを片っぱしから聞いていた。そのサイトで絶賛されていたCOCK ROACHというインディー・バンドがあり、そのファーストアルバム『虫の夢死と無死の虫』が、奇跡的に文京区立図書館に在庫があったので借りてみたのが最初だった(音源はTSUTAYAで借りることが多かったけど、文京区立図書館にはCDも豊富に置いてあって、しかもインターネットで検索できたので、無料で聞けるならそれに越したことはないと、よく使っていた。のちに摘発されたwinnyも便利だった)。しかしそのジャケットからなんというか、煙たくて咳き込みそうな何かが漂っていて、これ大丈夫かなと、悪く言うとB級感があったので不安を覚えつつ聞いてみて、最初はよくわからなかったけど、「孔子の唄」を何度か聞いているうちにある日、どうも自分はとんでもなく深い闇を掘り当ててしまったかもしれないと思ったのだった。死をテーマにした日本語ロックのコンセプトアルバムなど当時の僕は他に知らなかったから、音楽はこんなことも歌えるのかという大きな発見をしたような気持ちというか、今思うとシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』のテキストに出会った時の感動に少し似ている。
すでにバンドは解散していたけど、すこしずつ手に入る音源と映像を集めた。セカンドアルバム『赤き生命欲』だけがどこにも置いてなくて、ずっと気にしつつ高校生活を送っていたのだけど、どこかのタワレコで偶然発見し、躊躇わず買ったのも記憶に刻まれている。騒々しい店内であの赤いジャケットを手にした僕の手は軽く震えていた。多分、新品として出回っていた最後の時期の、遺物のようなものだったじゃないか。Amazonで見ると今ではプレミア価格になっている。
それからなんだかんだずっと、僕の人生という部屋の片隅にはCOCK ROACHという存在があり、しかも人に「これめっちゃいいから聞きなよ!」と薦められるような代物ではなかったので(何度か友人に勧めたことはあるけど反応がイマイチで、というか人に薦めるという行為自体、なにか間違ってるんじゃないかと思わせる力が、COCK ROACHにはある)、ずっと一人で聞いていて、とうとう他に聞いている人に出会うことはなかったので、今回の水戸ライトハウスでの再結成一発目のライブ(その名も『静かなる虫たちの調べ』)の会場で順番待ちをしている黒いバンドTシャツを召したファンの群れ群れを見た時、こんなにも多くの同志がいたのかという純粋な驚きと、なんだか地球に送られて秘密裏に活動しているエージェントがお忍びで集まっているような感慨があった。
ボーカルの遠藤仁平がMCで「生きてましたか?」と聞いていたのが、とてもよかった。なにか、その場のことを言い当てていた。
コンサートについては言葉もない…素晴らしかった。演奏もうまいし、遠藤仁平の喉も強いので、ハードな曲ばかりでも聞いていて辛くない。気持ちがいい。不思議なことに音源で聞くよりも歌詞が耳に入ってきた。
COCK ROACHが再結成するというニュースを聞いたとき、不安を感じたことを思い出す。既発のアルバム三枚で、キャリアが綺麗に完結していたから。死ぬこと、生きること、命のことの次に歌えるものなんてあるのか、何を歌うのかと思いきや、4枚目のアルバムは『MOTHER』というタイトルであると知り、なんてこった、まだそこがあったかと。さすがです、と。ライブでは昔の曲で泣くだろうと思っていたら、新しいアルバムからの曲で思いがけず涙が出たのだった。ストレートな言葉選び。すべてを当たり前とせずに生きようとか、普通は恥ずかしくて言えないようなセリフをバンドで鳴らす。公式ブログで「音楽を仕事にはできない」と遠藤仁平は書いていた。刺さる。この言葉は楔にしたい。こういうことのために音楽はあるのだと、原点に戻る気持ち。音楽に限らず、表現とは、こういうもののことをいうのだと。
仕事にした途端、お金を稼ぐために、という意識がすこしでも入った途端に失われるもの。お金をもらう以上、なにか意義深いものをとか、人に伝わるものをとか、そういう余計な念が入り込んでしまうことによって失われる、ささやかながら取り返しのつかない損失。全てが商品にされ、全てが消費されていくこの環境下で、自分がよいと思うことだけをよいものとすること。そのラディカルさを失わないようにしながら、しかしそんな素朴で純粋なものだけがよいものではない、やるべきことはたくさんある、まずは少数でもいいから人に伝わらなければだめだと、ナイーブになりすぎない態度。この夜のことを忘れないようにしたい。他の感情に邪魔されたくないので、本も読まず、泊まりもせずにバスで帰っている。
しかし遠藤仁平氏、「カニバリズム・ン・カーニバル」を歌ってる時に、ペコちゃんの手提げ袋を思い出したとMCで言っていた。ぺこちゃんの目玉がぐるぐるまわる手提げ袋を学校の同級生が持ってきていて、それが気になって仕方なかったと。その怖すぎる目のくせして、キャッチコピーが「ミルキーはママの味」だから、これはカニバリズムもしくは近親相姦の気があるのではないかと。「海月」を歌ってる時に、エンバーミングした恋人の死体と共に何年も暮らした「カールおじさん」のことを思い出したとも。へんなひとだ…。
(05072220)