荒川修作+マドリン・ギンズの『建築する身体』を久しぶりに開いてみて、昔はまったく読めなかったけど、いまはすこし読めるようになったなと、嬉しくなった。「『有機体-人間』を場所として考える」というフレーズとか、とても興味深い。この齢になったからそう思えるんだろう。いまでもまったく意味はわからないけど、すこしずつ近づいているような気がする。

荒川修作の「言葉」についての言及。言葉は「現実から1%も真実なんかない」という発言。ここから汲み取るべきもの。もし言葉に現実的な真実など1%もないのであれば、だからこそ言葉を使うことに意味があるという一歩が踏み出せるのではないか。

先日ボルタンスキーの「最後の教室」を見た経験が出汁のように、ずうっと体にしみわたっている。芸術を諦めない。一見頼りなくみえるこの力を信じる。

なりゆきで近所のイトーヨーカドーに10時開店と同時に飛び込み、サービスカウンターでタバコを買ったとき「ちなみに店内に喫煙所ってありますか?」と店員のおばちゃんに聞いたら「それがないんですよお、すいませんねえ、タバコ売ってるのにねえ、全部禁煙になっちゃって…」と申し訳なさそうに笑っていた。正しい…正しい感覚だ…そうだよね、そう考えるべきだよね、おれ間違ってないよねと、ぐっと握手したい気持ちに。

歩道にいる踏まれそう虫をつかんではこつこつと草むらに投げ入れる日々

最も重要で、制作論としても考えても面白い概念

●純粋経験
「風がざわざわいえばざわざわが直覚の事実である。風がということもない。事実には主語も客語もない」
風で木がざわざわしているのを見た時、そこにはただ「ざわざわ」だけがある。私が、とか、木が、とか、風が、とか、主体と客体の区別はなく「ざわざわ」だけがある。さらに言えば
「花を見た時は即ち自己が花となって居るのである。」
このような経験の"後"に、主客がわかれるのである。経験の段階では、主客はわかれない。
これはデカルトへの批判でもある。「コギト」には「私」が他から切り離された存在であるという前提がある。ものが先行してある感じ。砕いて言えば「名詞族」である。対して西田はいわば「動詞族」で、これは「万物は流転する」「同じ川には入れない」などの言葉で知られる、イオニア自然哲学のからの影響がある。矛盾を孕んだ自然という全体を考えるという冒険。
・鴨長明も方丈記で似たようなことを言っていた。
・アリストテレスのカテゴリー論を参考にしつつ、「ものが存在するとはどういうことか」を考えていく。
「りんご(という特殊)」は「果物(という一般のなかにあるもの)」である。「果物」は「植物」である。「植物」は「生物」である、というふうに、何かは何かを包んでいるし、同時に何かにつつまれている。存在するとは、そのような、包み包まれる「場所がある」ということである。そのような場所がないものは、存在しない。
しかし、この「一般」という概念をどんどん遡っていった最後のものには、それを包む「一般」がない。例えば「生物は存在である」→「存在は〇〇である」の〇〇を考えるのは難しい。
しかし、先ほどは「場所がなければ存在しない」と言った。では、それは存在しないのか?そうではない。
「最高の一般概念は何処までも一般的なるものでなければならぬ。如何なる意味に於ても特殊なる内容を超えたものでなければならぬ。・・・。すべての特殊なる内容を超えた物は無に等しき有でなければならぬ。真に一般的なるものは有無を超越し而も之を内に包むもの、即ち自己自身の中に矛盾を含むものでなければならぬ。」
(この「無に等しき有」という概念を、荒川修作が「死なない」と言ったことに絡めて考えたら面白いのではないか?)

韓国で、やたらでかい段ボール箱に入っているものや、棚に並んでいるものたちが持っていかれないように監視するバイトをする夢。バイト仲間はほかにもたくさんいた。ぼくは、なぜこんな大事なものを野ざらしに置いておくのか、と人に聞いたが、理由はわからなかった。
そのうち中学の同級生の「山ちゃん」が出てきて、この春に結婚したんだという報告をしてくれた。僕は、今でも山ちゃんとサッカーをしている夢を年に一度くらい見るよ、と伝えた。ああ、見るよね。と山ちゃんは言ってくれた。山ちゃんの結婚相手もそこにいて、誰かがその二人にアップルパイかなにかの写真を見せたら、二人はなぜか泣き出した。

「iモード」の時代のころは、受信者側が受信ボタンを押さないとメールは届けられなかったのに、いつの間にか、送信者が送信したら、受信者側にすぐ通知がくるようになった。
つまり「送信者側の都合」に合わせるようになった。これはかなり大きな転換なのではないか?このことは人々の心に、後戻りできないほどの「傷」を与えてしまったのではないか?

「締切」は、あったほうがいい。締切がないというのは、愛ではないのではないか?

YouTubeでフジロックを見ながら事務仕事をしている。もう何時間もやっている。たびたびTwitterとかいろんなページを見てしまうのだが「学ぶ」という言葉がよく目に付く。「学ぶ」という言葉には違和感がある。なんだろう。好きじゃない。平和でいいなあと思ってしまうな。

岐阜現代美術館「荒川修作展A LINE IS A CRACK」塚原史講演「荒川修作再入門-「意味のメカニズム」から「天命反転」へのパサージュとしてのCRACK」メモ

・「Make reversible destiny happen」/荒川最期のメッセージ2010.5
・荒川からのファックス
「今世紀初頭の革命的な力は本当にどこに行ってしまったのか!」
ここでいう力とは、あの20世紀初頭の芸術の力である。ジャクソン・ポロックが最盛期だったころの。
・デュシャンの「泉」は
「作家の作品の関係の解体、レディメイド」
・トリスタン・ツァラの「ダダ宣言」は
「言葉と意味の切断、無意味の提案」
・アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」は
自動記述と夢の記述、無意識の開放
である
・馬場駿吉、荒川の最大の理解者
「荒川は死に対してペシミスティックな意味を負わせなかったと確信している」
・「LIVING ROOM 1969」という平面作品の下に書かれている文章
「このダイアグラムの左下の角は右上の角より1インチと5秒進んでいる」
デュシャンの名言「n次元の影=n-1次元」。つまり二次元平面の「居間」=三次元の現実としての「居間」の射影
・ある問いに対する答えを、通常の次元とは異なるところにワープさせること→escape root
・「場所はいまや緯度と経度で表されていて、場所というと、一つしかないと思われているが、本当にそうだろうか?」
→偏在する場
・リバーシブルディスティニー、荒川とギンズをそれぞれの心に受け継ぎ、繋いでいくこと。

僕は1泊1200円のドミトリーで寝ていた。いつの間にか夢に突入しており、いま自分が寝ているドミトリーの入口から、8年前に別れた昔の彼女が入ってきた。夢の中では一緒に泊まっているようだった。
二人で話していると、全く知らない高校生くらいの若い男の集団が、いやに親密な態度で近づいてきた。若干の悪意を帯びた目つきで、ドミトリーの入口にわらわらと集まってきた。
リーダー格らしき、丸坊主の男が僕に話しかけてきて、それに答えているうちに、別の男が彼女のバッグから財布を引き抜いた。彼女は「それはだめ!」と叫んで取り返そうとした。僕も、それはだめだ!と財布を取り戻そうとしたが、別の男たちに体を抑え込まれ、財布は持っていかれてしまった。僕の財布も同じように盗られた。
抑えられている手を振りほどいて、僕はリーダー格の男の肩を掴んだ。顔を突き合わせて、財布を返すように説得しようとした。相手の目を見据えて、自分がいまなにをやってるか、わかってるのか?と。顔と顔は30センチも離れていない。僕は男に逃げられても後で思い出せるように、顔をよく見て特徴を覚えようとした。彼はジャージを着ていて、その胸元には彼が通っている高校の名前が刺繍されていた。特殊な名前だったので、ネットで調べればすぐにわかると思った。
僕は男に名前を聞いたが、教えてくれなかった。
「そんなの教えられないですよ。つかまっちゃうじゃないですか」
僕は説得を続けた。なぜこんなことをするんだ。なにが不満なんだ?
男は僕から目を逸らし、こう言った。
「政治もふざけた状況だし、不満ばっかりですよ」
僕は必死で、声はかすれていた。
「俺も政治家は嫌いだよ。でも、こういうことをやったらだめだ」
男の目は、少し潤んできていた。
「こんなことをやっても、お前が困るだけで世の中は何も変わらない。俺はこのあと、警察に行く。お前の特徴を話す。そしてお前はつかまる。それで終わり。それでいいのか」
彼はその言葉を聞くと、隣りにいる別の男に目配せをして、軽くうなずいた。
「すいませんでした」
すぐに財布がふたつとも返ってきた。そして他の男たちはぞろぞろと出て行った。
リーダー格の彼は僕の目を見て、力強くこう言った。
「おれ、やりますよ!選挙に立候補しますよ!」
僕はなぜか、ものすごく嬉しくなって、「やっちまえよ!俺はお前に投票するよ!名前はなんていうんだ?」と聞いた。彼はこう言った
「外山恒一です」
気がつけば、若かりしころの外山恒一がそこにいた。僕は「え!まじでー?」と叫んだ。同時に後ろのほうからなぜか、夢のエンディングを告げるかのような音楽が流れはじめたところで目が覚めた。

ブライアン・イーノの展覧会を京都で見たが、このクソ暑い真昼にクーラーをガンガンにたいた真っ暗闇の旧銀行施設で、うとうとしながらソファにもたれてアンビエントミュージックと光る箱を眺める行為、なんて贅沢なんだ、ブルジョワ〜と思った。

ミシマ社と一緒にやったワークショップ企画をひとまず終えた。ぼくが希望した打ち上げもやってくれて、生まれて初めて鴨川の「床」で酒を飲んだ。いつかあそこで宴会をやってみたいと、もう15年くらい前から願っていた場所だったのだけど、唐突に叶った。
打ち上げのあとみんなと別れ、ホテルにチェックインするも、どうにもおさまらずに財布と携帯だけ持って再び鴨川へ行き、座ったり佇んだりして、それからビーサンにもかかわらず京都市内をうろうろとさみしいさみしいと呟きながら歩き回り、不意に、いつからおれはこんなさみしがり屋になったんだと立ち止まり、音楽を止めてホテルに帰ってくる。
札幌アートステージのときも、大分のフンドーキンマンションでの展覧会のときも、金沢の個展のときもそうだった。なにか魂をこめて準備していたイベントが終わりチームが解散するとき、手に余るほどのつらい時間がやってきてしまう。一番ひどかったのは札幌で、ぼくが駄々をこねてみんなを朝までカラオケに突き合わせ(カラオケなんか普段ぜんぜん行かないのに)、解散してから一人、空港へ向かうバスが出るバス停への道。あの短いながらも、永遠に続きそうに思われるほど辛い道は、たぶん今後も30年は忘れないだろうと思う。明日はもう来ない、今日ですべて終わりであり、僕にはなんの力もないと思われたあの時間。なぜこんなに厄介な感じになってしまうんだろう。

「18時50分に岩波ホールのチケット売り場に集合ね、もし会えなかったら、それぞれ適当に観よう」という連絡を友人と取り合った携帯を家に置いたまま出かけて、まずは新宿のルミネでビーチサンダルを買い、トイレ前のソファで新しいサンダルに履き替え、古いのは店でもらった袋に入れて、それから外に出て「珈琲タイムズ」に入りミックスサンドとアイスカフェオレを口にしながら『水中の哲学者たち』を読んで、冷房の寒さに耐えられなくなり店を出たら、さっきまではあんなに辛かった暑さが心地よく感じられ、「天国だ」と思ったのだった。ふつうは暑い屋外から冷房の効いた屋内に入ったときに出てくるセリフだと思うのだけど、逆転することもあるようだ。
『水中の哲学者たち』のなかにお笑いの話が出てきたこともあって、ビーチサンダルを買ったときにたまたま目についた「ルミネザヨシモト」というホールに行って生まれて初めての漫才ライブでもみようかと思ったのだが、もう夜まで公演はなくて、しかし気持ちは漫才を見るセッティングになってしまっていたので、手持ちのiPodを新宿フリーWi-Fiに繋いで、マップで「お笑い」と検索したら渋谷にも「ヨシモト∞ホール」という場所があることを知り、渋谷へ向かった。
1800円を支払って、16時からの公演をみた。すり鉢状になっている、天井も高くてそこそこ大きなホールに、客は僕の他に9人しかいなかった。9人とも最前列に座っている。その列に新しく入る余地はもうなかったので、僕は3列目に座った。なんとなく2列目ではなく3列目に座った。
1800円で1時間のお笑いのライブ、ちょっと高いなと思ったけど行ってよかった。なかにはちょっときついものもあったけど、ぜんたいに面白かった。声出して笑っちゃうものもあったし、最前列の人たちがみんな楽しそうに過ごしていたのがよい。なにより「ものすごくでかい声で元気よく話す大人」を久しぶりに間近で見れたのがよい。それだけで笑ってしまうし元気がもらえる。
司会のコンビが客席に向かって、いままでここに20回以上来たことある方いますか?という質問をなげかけ、一人が手を挙げていた。大学生の頃、高円寺とか下北沢のライブハウスに通って1500円くらいで3,4組のインディーズバンドが見られるライブを見ていたことを思いだした。そのなかからメジャーデビューしたり、フジロック出演を果たしたりするバンドが出るたびに、厚かましいことだが子供が巣立っていくような気持ちになり、嬉しくて、ライブハウスに通う人たちはこれもひとつの楽しみなんだろうなと思っていたのだけど、こういったお笑いライブに通う人たちも似た心持ちのところはあるかもな。
ライブのあとは神保町に移動して中華料理屋で餃子定食を食べ、岩波ホールに行って無事友人と合流し、ヴェルナーヘルツォークがブルースチャトウィンにまつわる場所や人を訪ねるドキュメンタリー『歩いて見た世界』を鑑賞する。岩波ホール、初めて行ったのだけど「鑑賞」という言葉がぴったりだ。上品で、ちょっとすました感じ。
観賞後、友人と神保町の居酒屋に入り23時過ぎまで酒を飲み、帰る。近況報告や、最近の政治に関することなど。
・『それで君の声はどこにあるんだ?』という本がよい
・ロシアで開発されたエントロピー測定器がすごいらしい
・ウーウェンさんという人の料理教室に通っているのだが、よい
・『わたしの解放日記』『ポーズ』というドラマがよい
というおすすめをもらった

バス停に自分しかいなくて、やってきたバスが自分の待っている路線ではないときに、運転手に向かってする「停まらなくてもいいですよ!」というサインを考えるとしたら、どんなのがいいだろう。

美容師学校を出た人は一度美容師になるが、長くは続かなくて多くの人が辞めてしまい、そこから「庭師」になる人も一定数いる、という衝撃的な話を聞く。世界一面白い話のひとつではないか。

・腸内細菌多様性指数75〜90が平均のところ、現在118。良い感じ。ただし腸内環境は数時間で変わる。
・食べた48時間後に便が出る。
・細菌の割合
バランス調整菌(かつて「善玉菌」とよばれていたもの):7.32%
バランス撹乱菌(同「悪玉菌」):0.5%
能力未知数菌(同「日和見菌」):91.88%
ほとんどが能力未知数じゃないか!
・ビタミン不足気味
特にビタミンAをとれば免疫力が上がるのでおすすめ。にんじん、緑黄色野菜。なにより色々な種類の野菜を食べること。
・ビフィズス菌を増やせれば、ストレス緩和スコアが上がるかも。GABAが有効。あとカルシウムも。
・集中力持続のためにも、ビタミン摂取量、つまり野菜を増やすこと。今までは選ばなかった食材を選ぶようにすること。
・食物繊維も足りない。
・セロトニンの腸内細菌スコアがめちゃくちゃ低い。体内セロトニンの9割は腸で作られている。そのためには乳酸菌(ラクトコッカス)が必要なのだが、全然足りない。「ほぼない」と言われた。ひどい。
乳酸菌サプリをのむといいかもしれない。「ビオスリーhi」おすすめ。あるいは、発酵食品系の食べ物。キムチとか、ナチュラルチーズ、プレーンヨーグルトと蜂蜜とか。
・睡眠力はなぜか高い。「ストレプトコッカス」という菌のおかげ。
・とにかくビタミン、ミネラル、食物繊維をとる
・悪い脂を取りすぎると下痢になるし、良い油を取らないと便秘になる。むずかしい。
・野菜は葉物野菜ではないもの。根菜が良い。旬を意識すること。
・「まごわやさしい」を意識。豆、種子、海藻、野菜、魚、きのこ、芋類。
・これに加えて「果物」「ねばねば系」「発酵食品」
・魚は毎日でも食べてください。魚の脂は血管の詰まりを回収する。刺身が良い。ローテーションで色々な食べ方をすること。
・肉の脂は血管を詰まらせる。肉は消化に時間がかかるから、二日に一度程度の間隔をあける。肉の時は米はたべないほうがいい。消化にエネルギーがかかる。腸の中で腐敗して、おならが臭くなったりする。
・「水」を飲むこと。ふだん麦茶とか蕎麦茶を飲むなら、同じ量の「水」を飲むと良い。
・朝は体の外に悪いものをだす時間帯である。そのときに、消化に時間がかかるものを入れると、よくない。朝は食べないか、果物がおすすめ。お腹をいっぱいにするのはおすすめできない。
・蒸し野菜が一番おすすめ。シリコンクッキングシートで野菜挟んで鍋に入れ、蒸す。
・電子レンジは栄養素の破壊がすごい。1/3くらいしか残らない。

初めて読者会というものに行った。近所の「書原」にて、早稲田の現代文芸コースを出た書店員の方が始めた企画で、独立系書店とかではなく、街の本屋である「書原」が読書会、しかも小説の読書会をやるという看板を店頭で見つけた時、あつい!なんてあついイベントだ!と、すぐに申し込んだ。
読書会は、ファシリテーター役の書店員さんが醸し出す「かたさ」がたまらなかった。内臓がきもちよくかきまわされるようだった。
参加者は5人いたのだが、それぞれに重きを置いていることが全然違っておもしろかった。「わたしなんか歳いってるから、ここで書かれてる、こういう人いる〜とか、こういうことある〜っていう、あるあるが多くで共感しきりで、若い人に人気なのは、中身よりも、ルシアベルリンの生い立ちからなんじゃないか」とか。僕の場合は、こういう人ってたしかにいるけど、あるある〜みたいな軽い感想にはならないなあと思った。
小説の中に「みんなの輪に入れない自分」を描写してるところがあり、この人の作品は全般的に、群れからはぐれてしまう人の言葉として読める、とかも、くくりが大きいなあと思った。また参加してみたい。

●ルシアベルリン『掃除婦のための手引書』表題作についてメモ
・一語一文の情報量の多さが、読者をつっかえさせる。簡単に先へとは読ませない
・読者はいろいろな解釈をしようとするのだけど、深読みを拒絶するような雰囲気がある
・作品が自立していて、読者を突き放すようなところがありつつも、日々のささいな出来事や人々の会話にたいするこまかやかな眼差し、つまり「共感」が両立している不思議
・過去形ではなく現在形で書かれているところが、切迫感を演出している。絶望的な気持ちになったとき、身の回りのことを現在形で書きまくるという経験は、僕にもある

「元映画館」というスペースでやっていた、シーシャバー「SERA」の4周年イベントに誘われ、久しぶりに踊った。このどうしようもない世界で生きているなかで、踊っているときだけが一番マシになれる、ということを思い出した。めっちゃ踊った。アメンボみたい、と言われた。そして筋肉痛になりそう。
SERAのオーナーが言っていたという、「ただ待っているだけじゃだめだ。音を探しに行け」という言葉、染みる。

小学生のとき、一階の廊下で、東京の「県庁所在地」について友達と軽く言い合いになった。
友達は「皇居があるところが中心なんだから、千代田区に決まっている」と言った。そう感じるのはわかる。しかし僕は、東京の「県庁所在地」(都庁所在地というべきなのか、しかしそんな言葉はあまり聞かない)はどこかと聞かれたら、新宿区だと答えるのが正しいのではないかと思い、反論した。
そこへ偶然、担任ではなかったけど同じ学年のクラスを持っていた先生が通りかかったので、僕は呼び止めた。「先生、東京の中心てどこですか?都庁は新宿じゃないんですか?」と聞いた。先生はこちらを向いた。顔が一瞬、わずかに歪んだのがわかった。そしてなぜか、怒ったような顔でこう言い切った。
「とうきょうと、ちよだく」
言い終えるとすぐに、こちらの反論は受け付けないという態度を全開にするようにぷいっと顔をそらし、つかつかと去っていった。僕は「いま先生が言った、東京の中心は千代田区であるという感覚はわかる。しかし都庁は新宿にあるではないか」という話がしたかったのに。
あのとき先生から漂ってきた悲しいもの。自分は先生だから、なんでも知ってなくちゃいけないから、この答えにはあまり自信がないのだけど、ここは断言せねばならない。先生は生徒に答えを教える存在であり、話し合う相手ではない。という刷り込みから生まれたであろう、あのムッとした顔と、つんとした言い切り。そしてあの去り際の足音。突き放すような態度にぼくは呆然としてしまって、去っていく先生を呼び止めることができなかった。とうきょうと、ちよだく。あのときの先生の顔、いまでも目に浮かぶ。怒っているのに、なぜか悲しみが伝わってくる。

安倍さんが銃撃されたとき、情報から身を守るために発作的にTwitterを停止してしまったけど、その後、この件がどんどん面白くなってきている。旧統一教会と自民党の関係、もっといえば公明党と創価学会の関係も含む、政治と宗教の根深い問題に関して、これまで口をつぐんでいたひとたちや長らく取材を続けてきた人たちが、水を得た魚みたいにいきいきと発信をはじめていて、僕を含めこれまであまり関心をもっていなかった人たちが刺激されて、これはなんとかしないとまずいんじゃないかという雰囲気になっている気がする。つまり盛り上がってきている。
候補者は選挙のときにポスターを貼るのがとても大変なので、統一教会が動員をかけて無償で手伝ったり、秘書を派遣したりすることで政治家との結びつきをつくるという手法があるという。また新興宗教にとっては、子供に独立した人権が与えられてしまうと家庭内で信者を増やすことができなくなるので、「こども庁」を「こども家庭庁」という名前に変えるという圧力が働いたという話もある(そもそも、子供を家庭から切り離して人権を認めようという理念から始まった「こども庁」のはずなのに)。そして当然のごとく、公明党もその名称変更に賛成していたという話も。
他にも自民党の有力な政治家の多くがいまだに家父長制的な価値観から抜けられない問題と、コロナの給付金が個人ではなくなぜか「世帯主」に支払われた話、同性婚や夫婦別姓に反対する勢力がいること、これらすべての点が今回の事件で線になり、コナンのひらめきばりの白い閃光が走っている。
ずっと名称変更を許していなかったのに、2015年に文科省大臣だった下村博文のもとで急に許可がでて、悪名としてしられていた「統一教会」から「世界平和統一家庭連合」に変わった件。そして国葬。20世紀少年の世界のようだ。
警察のなかでは、オウムの次に統一教会を潰すという空気になっていたのに、いつまでたっても何も起こらず、ジャーナリストの有田さんが、数年後にどうなってるんだと聞いたら「政治の力です」と警察関係者に言われた件もおもしろい。
国葬が終わったら例によってまた話がうやむやになりそうなので、そこまでが勝負か。政教分離が憲法に規定されているのに、なぜか、ほぼ宗教団体である公明党が与党にいるという件についてまで議論が進んでほしい。

神保町の中華料理屋で餃子定食を食べたあと、タバコが吸えるところを探してうろうろしているのだが、ない。タバコを売っているコンビニはたくさんあるのだが、そのタバコを吸うところが一箇所もない。その代わり、いやらしいくらいに「路上喫煙禁止」と書かれた張り紙、プラスチックのパネル、道路標示が目につく。

ちいさいタバコ屋を見つけ、ドアが開け放たれていたので、中で新聞を開いて暇そうにしている店主のおっちゃんに、この辺に喫煙所ってないですかね?と聞いたら、喫煙所はないですねえ、と、こちらには目をやらず、新聞をめくる手もとめずにすみやかに、しかしゆっくりと答えた。ないですかあ、わかりました、と去る。タバコを売っている店に喫煙所はないかと聞いたら、ないですねえと言われる、この世界なんだこれ。

東京の神保町にあたらしくオープンする劇場PARAの「実作/発表コース」内にて、『ぜったいに「学び」のないゼミをやる』をやります。
ジャンルは問わず、それぞれに何かをつくって、話をする集まりにしたいです。意気込みとしては以下のステートメントの通りです。よろしくお願いします。9月15日にPARAのウェブサイトが完成して、20日20時から申し込みが始まる予定です。

https://paratheater.com/63d510e2dcd446b99c2bf943974b4780

定員
5名
価格
30,000円
日程
日曜夜月に一回19時‐21時11月6日、12月4日、1月15日、2月5日、3月12日
この日程の他にも、相談して集まる日をつくります
選抜方法
作文 申し込み後、9月30日(金)24時までに提出 「クラスの志望動機」800文字程度
申込期間
9月20日(木)20時ー30日(金)20時
<ステートメント>
学ぶことの怖さについて
 
先月あるロックバンドのライブに行ったとき、ライブ開始前に「演奏中の動画撮影もOKです」というアナウンスがあり、驚いてしまった。なんでライブにきてまで、人が携帯をいじる姿を見せつけられなくてはいけないのか、勘弁してくれと思ったし、なぜそんなことをわざわざ言うのかも理解できなかった。
が、すぐに理由は判明した。そこで撮影された動画は即SNSに載せられ、広告として機能するのだ。集まった人たちは観客であると同時に(「である前に」と言った方がいいかもしれない)広告塔なのである。好きなアーティストの役に立てるし、自分はこれが好きなのだという自己主張もできる。バンド側としても、お金を払ってくれる上に自分たちの宣伝をしてくれるのだから、利害が一致しているのだ。
ライブが始まったとたん、前の人も隣の人も、みんなスマートフォンの四角い光を手に持ち、画面越しにライブを見始めた。中にはリアルタイムで友人に動画を送り、メッセージをやりとりしている、さながらリポーターのような人までいた。ここが地獄かと思った。
いままで広告というものは、何かモノや公演などの「商品」を人々に認知させるためにあるものと思っていたが、どうやら事情が変わっているらしい。当の商品である「公演」それ自体も広告として機能してしまうのだとしたら、もはや「純粋な」商品や、公演の「本番」などは存在しないことになる。いわば万人による、万人に対する広告という闘争状態である。
広告は全てを日常に回収する。なぜなら広告とは、「選択」「購入」といったことがらと関係のある、資本主義という日常空間に根ざしたものだからである。
ぼくにとって音楽、特にライブは、商品としての顔を持ちつつも、そのような日常から離れたところへ人々を連れていく側面を持っていると思っていた。「選択」も「利害」も「自己主張」も消えた世界への没入を促してくれるものだと思っていた。そこにスマートフォンという、日常の権化とでも呼びたいものが持ち込まれ、ライブ会場はバンドの宣伝会場と化したのである。ぼくは目をつぶった。
ハイデガーは『芸術作品の根源』のなかで「道具」について、「履いている靴のことを意識しないでいられればいられるほどそれは靴として優れている」と書いている。それは「ある素材が有用性に埋没すること」を意味する。それに対し、有用性に埋没しないように素材を扱うことによって「真理」を顕現させる、というのがハイデガーのいう「芸術作品」である。たぶんそんな感じである。
さきほどのライブは芸術活動でありながら、有用性に埋没した道具と化してしまったように思われる。なぜそうなってしまったのか。それは目的が与えられてしまったからである。もっと売れたいとか、役に立ちたいという目的が与えられてしまい、ライブ会場は「目的と手段」という資本主義の円環に閉ざされてしまい、いわば道具の奴隷になってしまった。
さてここからが本題なのですが、「学ぶ」という言葉には、この「有用性への埋没」に近い、危険なものがあるように思われるのです。誰にも頼まれず自分でなにかを学んでいるぶんには一向に構わないのですが、美術館や企業が主催するワークショップや教室、あるいは書籍などのキャッチコピーやテーマとして、この言葉が使われるているのを見ると、すこしこわくなります。「学び」という名詞になるともっと気持ちが悪いですね(どうでもいい話かもしれませんが、学校の「校」という字は、組まされた足に木製の足枷がつけられた形を意味するそうです)。
この言葉はなにか、到達するべき正しい場所を思い起こさせます。なんらかの知識が説明によって伝達され、自分のものになることを通して、ある高みへのぼり、それを利用できるようになるという目的を想起させます。これは「道具」となにが違うのでしょうか。目的と手段に支配された日常空間となにが違うのでしょうか。その空間から逃げつつ、学ぶことはできないのでしょうか。
『芸術作品の根源』のなかには、なにかを利用したいという気持ちは「制圧欲求」であるという主旨の記述があります。そして、芸術作品はそれに端的に抵抗するとも書かれております。
ぼくはこれに賛成します。あらゆる場所や時間が広告で埋め尽くされ、商品に変えられてしまう世界のなかで、目的と手段の円環から逃げるためには、芸術をやるしかないと思っています。なにかに利用され、なにかを利用することを拒み、ものを道具とみなし、人を素材とみなすあらゆることがらから逃げつづけるプロセスのなかに体をひたし、慣れさせる。そのために集まることはできませんかね。
とはいえ、これだけではなにをすればいいのかわからないので、道すじを考えました
・特権的な説明がなにもされない集まりである
・集まった時間を過ごし、話をする集まりである
・制作や発表が要求される集まりである
以上です。少人数で話がしあえる集まりにしたいと考えています。よろしくお願いします。

人にたいする期待はどんなかたちであれ、そこには必ず嫉妬心、自分のことを見てほしいというエゴイズム、あるいは自己投影が少なからず含まれている。

酒の席で男の友人が、彼に特有のユーモラスな雰囲気を湛えながら、しかし皮肉っぽく、あるアーティストのことを「フェミニストでしょ?」と言った。僕からすれば彼ほどフェミニスト的な態度を大事にしている人も珍しいと思うのだが、人をなにかで定義することの怖さや、それでこぼれ落ちてしまうものに対する愛が彼の中に強くあるので、そう名乗っている人に対してなにか思うところがあるのだろう。その言葉はある種のボケとして機能し、ボールは我々に投げかけられていた。いま思えば、あの問いに対してどう答えるかは、ささやかながらも大事な瞬間だった。僕は「フェミニストなのかなあ」と言ってしまった。口にしてすぐに、なにか別のことを言うべきだったと思ったが、かなり酔っ払っていたのでそれ以上考えは進まなかった。それからもう一人の友人が、「フェミニストでしょ」と断言し、「俺もフェミニストだから」と付け加えたのだ。しびれた。「私はフェミニストです」という文章は、「私は日本人です」に近い違和感があるにはあるのだけど、たぶんいまはそこで立ち止まっていいフェーズではなく、どんどん使って、もっともっと軽い宣言にしていったほうがいいんだろうということは、わかる。自分もそう明言できる人間になりたいと思った。次からはもう、ひとまずそう名乗ることに決めた。