5月2日
田原さんが授業のために武蔵美に行くので、僕も家を持って武蔵美まで遊びに行く。
大学時代の恩師の土屋公雄先生と会う。成り行きで、土屋先生が担当している学部2年生向けの「基礎造形」という授業で軽く話をする。
2,30人という少し多い人数を相手に話をするのは、何年か前に武蔵美で授業をした時以来。あの時はえらい緊張して、うまく話せなかった記憶があるけど、今回はすらすらと言葉がでてきた。僕は途中まで、学生たちの反応を見ながら話をしていたけど、みんながあまりにポカンとした顔をしているので、最後はもう勝手に喋っていた。
終わりぎわに土屋先生との対談のような形になる。先生は僕が「旅」という単語を使ったことをとりあげて(そもそも旅っていう単語をどこで使ったかを覚えてなかったのだけど)、こういう問いを立ててくれた。
「旅は、帰るところがあるから旅という。ジプシーは旅という言葉をつかわない。君の活動を旅というなら、帰るところはどんなところなのか」
そのときなんと答えたかはよく覚えてないけど、僕はこの制作活動に対して、飛行機のフライトのようなイメージを持っていて今は離陸したばかりのような状態にある。離陸した飛行機は着陸しなくちゃいけないから、いつかこの活動にも終わりを設ける。フライト中は上空にいるからこそ見える景色というのはあるはずで、それがいま僕が描いている家の絵にあたる。フライト中になるべく多くの絵を描きためて、着陸後に展覧会を開いて、フライト中に描いた絵をそこで観せる。あの生活圏から飛翔して、あの生活圏に舞い戻ってくる、それを旅というならそうなのかもしれない。
また土屋さんは僕の「この発泡スチロールの家は、邪魔でしょうがない」という発言を「とてもリアリティがある」と言い、えらく気に入っていた。それから自分の家族構成(娘が2人いる)の話をしてくれた。
子供が小さい頃のための間取りの家は、子供が大きくなったら不要な部屋ができたりする。生きているうちに家に対する見え方が変わっていった。でも家は車なんかと違って、簡単に取り替えたりできないものだ。それは家が不動産だから。
また、家は建てたばかりの時はいいけれど、いつか古くなり、そのうち壊すのにお金がかかる、邪魔なものになっていく。いま日本には670万戸もの空き家があり、それが問題になっている。建築学生の君たちに対してこんな話をするのは嫌だが、これから新しいものを建てる必要なんてあるのか?
というような話をしてくれた。僕の「家が邪魔な感覚」というのを空き家問題にダイレクトでリンクさせる飛躍はすごいな。
その後田原さんの家に戻る予定だったけれど、土屋さんの提案で土屋ゼミの大学院生の甲谷くんの家に、家を置かせてもらうことに。
そしたらその彼が翌日誕生日で、友達がサプライズの誕生日パーティーを開くのを目撃した。
学生が男子のみで誰かの家に何人か集まった時の、うだうだとした感じを久々に目の当たりにして、なんか新鮮だった。大学一年生のとき「ぬるま湯」と称して、男何人かで一人暮らししてる奴の家に、用もなく入り浸って酒を飲んでいたときの、非生産的な日々の単なる消費みたいな、そんな時間を過ごしていたことを思い出した。あの時に戻りたいとは思わないけど、あの何も考えてない時間への憧れはいつもあるな。
5月1日
家は今日も田原さんの家に置かせてもらう。ただし僕は外泊。前にも一度あったけれど、外泊も全然ありだ。家がおかれている場所を起点として生活が展開されるから、僕は何かルール(例えば「夜は自分の家で寝なくちゃいけない」等)を自分に課す必要は無い。
明け方近くまで、別の人の家で、ある話を聞いていた。深刻な話を聞きながら、頭にはいくつも言葉が浮かんできたけど、そのほとんどの言葉は口から先には出せなかった。良い言葉が浮かんだとして僕がそれをいったところで何になるのだろう。
人が自ら死を選ぶとき。「生」から「死」への決断を下す瞬間。大事な天秤が耐えきれずに傾いてしまう瞬間。その心境を想像しようとすると、こわくて最後までできない。
4月27日
今日は西荻窪の家から20分くらい歩いて、久我山の友人の家(というか、友人のマンションの部屋のドアの前)に家を置かせてもらう。
夜、20分くらい歩いたところにあるスーパー銭湯に行く。その友達は引越しを考えていて、「ここは静かでいい」とか「ここは車の音があるから嫌だ」とか「駅から近すぎるのもちょっと、、」という話をしながら銭湯に向かった。引越しの理由は、基本的には飽きたからということらしい。
共通の友達が、働いていた会社を辞めたという話も聞く。これは意外だった。そういえば前に別の人と「自分が働いている職場の人を見て、なんでみんな仕事に飽きないのかと思う」という話をしたのだった。
でも何をどうしたって、何かを続ければ飽きるようにできている。でも継続は力なり、という事実が他方にあって、その間で揺れ動く。揺れ動くようにできている。
ローリングストーンズのキースリチャーズがすごいのは、自分のギターが上手くなりすぎないように注意しているとしか思えないというところにある。と誰かが言っていたのを思い出した。ライブでのギターソロの映像なんか観ると、確かに素人っぽい初々しさがある。
http://m.youtube.com/watch?v=LI8WGX3afDs
明後日まで家を置かせてもらうことに。
04290535
いつだったか。仕事終わりにお酒をのむために仕事をする、そして年が過ぎていく。そんな人生だったら悪くないな、と彼女がいっていた。彼女がそう言ってるのを聞いたら、ぼくもそう思えた。閉じた生活とはどこかで気がつきつつも、それを受け入れて、日々を過ごして、その中で楽しいことをみつけていけるのだったら。僕たちはみんな一人で死んでいかなくてはいけないから、人と人の間には深い断絶がある。だから誰かといっしょに時間をすごす以外に、有意義な時間はありえないのだから。それ以外に、誰かと過ごすこと以外にやることなんて1つもないのかもしれないのだから。
あの生活を否定するつもりなんて全くない。ただ、これはたぶん業のようなもので、僕はこうせざるをえない自分を恨みさえする。
4月26日
(翌朝撮影)
今日は西荻窪に住んでる友達のマンションの駐輪場に家を置かせてもらう。
西荻に行く前に、家は中野に置いたまま、展示を二つ観にいくために外出(家を置いたもま外にでる事)する。
一つ目はギャラリー間でやってた乾さんの研究室の展示「小さな風景からの学び」
これは疲れた。。展示を観にいくつもりで行ったのかちょっと間違いだったかもしれない。展覧会としては全然良くなかった。写真が小さすぎ&写真同士の間隔が狭すぎで、一枚一枚の写真が頭に入ってこない。ただ、膨大な写真を分類しました。というだけの作業量をみせられた感じ。すごい作業量だと思うし、この分類をやった学生たちは、引きだしが増えて今後設計する糧になると思うけれど。。それで?っていう感じ。最終的なアウトプットは、映像とかのほうがよかったんじゃ。それか、この作業をやっと人と一緒に観るべきなのかもしれない。そしたらいろいろ話ができただろう。
見ているうちに、動機が激しくなって、体がだるくなってしまって。一枚一枚をみたいのに、他の写真が視界に 入ってきすぎて全く集中できない。分類したという作業そのもののを量として置いただけの展示。これをやった当事者たちは、この会場で何時間も話ができるだろう。その議論こそを見てみたかった。
その後国立新美術館で中村一美展。存在の鳥と題されたシリーズがずらっと並んだ部屋があるのだけど、そこがやばかった。民芸品を並べたような雰囲気。鳥の図像の絵画。
カタログをめくっていると「飛翔しないものは存在ではない」という言葉があった。ポロックなんかのモダニズム絵画は、単なる画面の構成としての 絵画の枠を出ない。そこには飛翔がないとした宣言から、画家としての制作を始めている。なんとなく古臭い感じは否めないけれど、作品点数の多さと絵の大きさに圧倒される。
その後中野駅で人と会い、5月4日放送予定のテレ東の番組の進行表を見せてもらう。僕は7日にたまたまカメラに出くわして、VTRで出ることになったのだけど、その進行表に書かれていた僕の紹介に「奇人」と書かれていて、吹き出しそうになった。
奇人か。そうなっちゃうのか。だれか個人が悪いわけではないのだろう。テレビというメディアの体質の問題なのだと思う。面白い人を見つけて、それを多くの人に紹介したいという気持ちが最初にあるはずなのだけど、それをテレビでやる以上、いろいろと、視聴者にわかりやすいように(時に過剰に)噛み砕くように編集をしないといけないんだろう。
同じような理由で僕は「娯楽(エンターテイメント)」という言葉が嫌いだ。それをやっている彼等は、彼等の人生をかけて、命をかけてそれをやっているはずだ。それを平気で「娯楽」呼ばわりするのは失礼だと思う。彼らが命をかけてやっている以上、こちらも誠実に受け止めなくちゃいけないと思う。
本当にそれを楽しんでいたら、「娯楽(エンターテイメント)」なんていう言葉は出てこないはず。
僕は僕が好きな音楽や映画を「娯楽」とか「趣味」とか呼びたくない。僕はもっともっと切実な理由で音楽を聞いて、映画を観ているつもりだし、それは死なないためにでさえあると思ってる。
4月25日
今日も茂原のいえに家を置かせてもらう。バイト先の馬喰町arteatというカフェ兼ギャラリーに行ってご飯を食べて、仕事用の絵を一枚描く。
夜に人と飲みに行く。新宿で。久しぶりに来ると、本当に人がたくさんいるんだなあと、馬鹿みたいな事を思う。みんなが、みんなとぶつからないように歩いている。
みんな必死だ。人にはそれぞれにしか分からない切実さがあるから、誤解を恐れて話ができない事もあるのだ。話がしたくないわけじゃない。とってもしたい話があって、それは本当は、他のどの話よりも真っ先にしたいのだけど、あまりにその話をしたいがために、誤解のないように伝えたいので、結果話ができない。だから、触れないで置いた方が良いこともある、ということになってしまう。
アクトオブキリングで、あそこに映っていた彼らは、言葉を使いこなすことを初めから諦めていたようにも見えた。知らず知らずのうちに、本当に話したいことが自分でも思いだせなくなる。「思い出せない」ということにも気がつかない。
4月24日
朝、泊めてもらった人と一緒に出社した。
家を編集部に置かせてもらい、僕はギャラリー•間で友達も参加してる展示を観にでかけた。
この生活には二段階の移動がある。家ごと「移動」する時と、家を置いて「外出」するとき。特に「外出」が許されるとき(家を置いていいよ、という場所が与えれた時にだけできる)の解放感は毎度ものすごさがある。気持ちが良い。今日は天気も良い。
で、ギャラリー•間に行こうと思ったんだけど、切符を買おうとする段階で、なんとなく「地下鉄に乗りたくないな」と思い、しかも観たら頭を使いそうな展示だったので、急に行く気が失せてしまって。でもせっかく外出できるし、と思い、結局映画を観に行く。
渋谷まで行ってアクトオブキリングを観たのだけど、これがまたすこい映画で。
アクトオブキリング。安直に語ることが許されない。見なければよかったのかも、とさえ思ってしまう。
感想メモ。
登場人物がみんな人間的に歪みきっているように、僕には見えて。それは彼らがみんな、目の前の出来事をどこか「他人事」のように眺めていて、それでも涙や笑いや、嗚咽が「精神の防衛機能として変な風に」溢れ出してしまう。そんな風に見えて、この映画を観て、「この〜のシーンの入れ方は〜」というふうに、この映画を「映像作品」として語れる、ということは、彼らのような「歪み」を僕たちも知らず知らずのうちに抱えてしまっている事にもなるんじゃないかと思えて、話をするのも許されない。一人一人が観て、一人で考えるしかない。そんな映画。
外出していて、僕のあの家は「いちおう中で眠れはするけど、基本的に何の役割も果たさない」所が愛おしいなと思った。ただ重くて目立つだけの、家の形をしている荷物。
映画に行く途中、大塚駅ホームに鳩の死体。何の文脈も前兆もなく、突如挿入される死の風景。背筋が伸びる。
あと、映画の帰り。路上でネズミがぼーっとしてた。
福音館書店に戻って、家を取って出発する。記念撮影。
このあいだ御茶ノ水美術学院で話した高校生と路上で偶然再開した。
夜は、吉原での展示のスタッフをやってくれてた茂原さんたちの家に、家を置かせてもらう。中野。
先輩作家の田原唯之さんから突然下のリンクが貼られたメールが来る。
Julie-O/Kevin Olusola
4月23日
今日は、巣鴨にある絵本の出版社「福音館書店」に家を置かせてもらう。僕が以前ここを通った時に、ここの編集部の人たちが何人か家を目撃したらしく、それを見た、美術好きの編集者の高松さんが僕にツイッターで連絡をくれた。
なんでも瓦の造形をみて、「これはキチガイではない、美術方面の人だ」と、ビビっときたらしい。
話を伺ってみると、この福音館書店は「ぐりとぐら」や、大竹伸朗さんの「ジャリおじさん」も出版している、攻めた出版社で、高松さんも現代美術が好きらしく、面白い話がたくさん聞けた。
住所と一緒に暮らしていた頃に比べて、躁と鬱の落差が大きくて、それが楽しいといえば楽しい。朝に襲われる絶望がいちばんきつい。
「(日本をまわりはじめる)出発の日はいつですか?」という質問をよく受ける。
僕は「既に出発してる」のに。「どこか目的地に向かって動いてるわけではない」から「まだ出発していない」という結論に結びついてしまうのだと思う。
すでに出発していることに気がつかないまま、いつか出発する、という意識にとらわれてしまうのは危ない。いつも「既に出発している」のだ。気をつけないと。
夜は、セキュリティの問題で、僕が社内に残って眠るわけにはいかなかったので、福音館書店に勤めている夫婦のおうちに泊めてもらう。
4月22日
今日はむさびの先輩にあたる坂田さんがやってるリノベーション専門の設計事務所、夏水組の事務所の前に家を置かせてもらう。で、僕は坂田さん夫婦の引っ越し先のマンションに一泊。今日も家と別々のところで寝た。
「一晩置いていいよ」と言ってくれたところに家を置けた時の開放感は、毎度すごいものがある。重い重い荷物から解き放たれた感覚。
移動を始めて、まだ二週間とすこししか経ってないけど、バイト生活時代に日記をつけておいて本当によかったと思う。読み返すと、いろんなことを思い出して、自分がいまやりはじめた事が間違ってないのだという元気をもらえる。
農業をしている人は、自分が土地に根ざして、土地に縛られながら生きているということを実感しやすいけれど、農業をしてない人も、自分が仕事や、貯蓄(お金やモノや他者との信頼関係もろもろの貯蓄)によって、土地に縛られながら生活を営む。それを否定なんかできないし、それは人間が争わずに社会を発展させるために生み出したすごい方法で、その中でパートナーを見つけたり子供を育てたりして、幸せを感じながら生きていくのが人生なのだろう。
だけれど、毎日同じところに仕事をしに行って、仕事を続けてると、まわりの人達からの信頼度があがっていって、給料も上がっていって、家に帰ったら仕事先であった嫌なことを忘れるためにビールを飲んで、でもその家の家賃はバイトの給料で払っている。あの生活が、あの閉じた生活が。ひとつのバージョンでしかない可能性を提出するための展覧会のために。他の生のありかたを考えるために。