鶴岡の名物花火大会らしい、赤川花火をすごく近くで見れた。終盤半ばヤケクソに打ち上げられまくってずっとクライマックスみたいな状態が続いてけっこう凄まじかった。ちょっと流行ものなBGMがうるさいけど。花火大会のあと、コインランドリーで洗濯待ちをしているあいだ、ショッピングセンターの大きな駐車場を散歩した。外灯の下に置いてある石のちょっとした隙間で蟋蟀が鳴いてる。銀色の灰皿の下にできた隙間でも蟋蟀が鳴いてる。のぞいてみると何匹もいた。力強い。居場所をみつける野生の力というか。彼らは草むらが駐車場になろうが居場所を見つけてしまう。いろいろ不都合はあるんだろうけど。すごい。もう秋みたいな気候だ。すずしい。

1日ずっとねむかった。ほとんど寝ていたような日。最上川沿いにあるチェリーランドという道の駅の芝生で昼寝をしようとしたら、そばにあったトルコ館から流れてくるトルコ(?)の音楽のヴォリュームがやたら大きくてうるさい。ほんと不自然なくらい大きい。でもすこし寝た。そこで食べたさくらんぼのソフトクリームがおいしかった。道の駅あつみで車中泊してみた。コンビニでフリーペーパーを何冊かもらって、外から車内が見えないように窓ガラスに目張りする。小さな車だけど意外と寝れるもんだ。

待ち合わせの間、鶴岡駅の待合室で宮沢賢治を読んでいる。藤田さんという人からメールがくる。藤田さんがしっている旅人のことをいろいろと書いてくれている。「経験」として日本一周するっていう旅人じゃない。毎年1年のうち8ヶ月は歩いている根っからの旅人2人組や、農ライフなるものを広めようとしている人や、たまにモンゴルのパオに住んでる人や、いろんな人がいるんだな。そういうつながりができるのは予想外だったけど嬉しい。彼らは志を近しくしながら群れずに行動している。

本を読んでたら、下はジャージを履いて上はTシャツ、手には傘と紺色の小さなビニール袋をもった男の人が入ってきた。目つきがなんとなくやばい。もうひとり、既に待合室に居た赤いタンクトップを着てるおじさんとすこし言葉を交わしてから、彼は待合室内にある自動販売機のおつり返却口に手を入れて小銭が残ってないか探っている。旅行案内のチラシを手に取り読むふりをしながら、ちらちらと周囲に目をやってる。なんだろう。まるでサバイバルをしているような目つきだけど、振る舞いがあんまりかっこよくない。でも気になってしまうのは、僕の中にも彼のようにおつり返却口をあさってまわりたい部分があるからなんだろうな。共感できるからなんだろうな。待合室を出て行ったのでちょっと後をつけてみた。彼は外にある自動販売機もひと通りあさったあと、缶ゴミを捨てるゴミ箱のふたを開けてあさりだした。アルミ缶を集めてるんだろうけど、あんまり本気でもなさそう。彼は捨てられたジュースの缶を取り出すと、中を確認してわずかな残りを飲み干した。すごいな。全く人目を気にしていない。しかも、それをやったところでわずかでも喉が潤うわけでもないだろうに。全然わからない。いくつかそれをやったあとフタをきっちりと、ほんとにきっちりと閉めてゴミ箱を去った。今度はベンチに座ってそばにすわっている人に話しかけている。いつのまにか口にタバコをくわえている。自分のものなのか、隣の人からもらったのかわからない。こうやって駅の待合室と、外のベンチを往復するのが日課なんだろう。これを続けている限り彼はボケなさそうだなって思った。

後をつけるのにも飽きたので「双子の星」の続きを読もうと思って駅近くのミスドに入ってみた。270円でアイスティを頼んでテーブルについた。店は混んでいる。みんながそれぞれの相手と夢中に話している。ここにはさっきみたいな紺色ビニールおじさんとか赤タンクトップおじさんは絶対入ってこなさそうな気がする。お洒落結界がはられている。20代半ばくらいの若い女子5人組がいて、空間がそれだけで華やかになる。5人集まってお茶をしているところを自分たちで写真に撮ったりしてる。ほんと、いろんな日々の過ごし方があるなあと思う。

お昼ごろなおこがレンタカーに乗ってやってきた。定食屋で定食を食べて花火大会を見に山形市に向かう。途中大きなダムを通る。農道に車を停めて、田んぼの中で花火大会を見る。地元の人たちが道路に座り込んでお酒等飲みながら花火を見ている。農道にはたくさんの車が停まっていて、もう無法地帯みたいになってる。毎年こういう状態になるんだろうな。
ここいらのラブホテルは、一部屋ごとに駐車場がある。車のナンバープレートが見えないように目隠しの板があったり、シャッターがあったりする。小さな町だと車種やナンバーから個人が特定されるんだろうな。

家を安達家に預けて、僕はお盆休みする。東京からなおこが遊びにくる。4泊で山形旅行をする。もし僕がいま新潟にいたら新潟旅行だっただろうし、秋田にいたら秋田旅行だっただろう。その間はちょっと絵を描くのをやめて、日記だけ書ける時に書こうと思う。
安達家のおかあさんの実家を出て大山駅に行き、鶴岡駅まで電車にのった。電車は1時間に1本くらいだった。久々に電車に乗って、やっぱりこの平行移動とスピードはすごく画期的だなと思った。ただ、移動している感覚はあまりない。窓の外をいくら睨んでも、風景が変わって行く様はただの映像のようで、この肉体が動いて行く実感は全然無い。空気の匂いや、気温や、草が揺れて擦れる音や風などが全く感じられない。ちょっと不気味でさえある。電車じゃなくて歩いてる自分を想像してみる。大山駅から鶴岡駅は7キロくらい。歩いたら1時間半くらい。ノンストップで歩けるけど、汗はたくさんかくだろう。途中で誰かに出会うかもしれないし、蛇の死体を見つけるかもしれない。1時間半歩くということ。その時間の長さや辛さや足がどのくらい疲れるかみたいなことがいま僕にはなんとなくイメージできる。こちらの気分次第で、歩いてるうちに多くの発見もあるだろう。でも電車では数分でつく。何の曲を聞こうか迷ってるうちに着いちゃう。冷房が効いてるから汗もかかない。当然僕は今家と一緒じゃないので電車を選んだ。汗をかいて、たくさんの発見をしながら1時間半歩くよりも、190円払って一滴の汗もかかずに動いてるのか動いてないのかわからない数分間を過ごすことを選んだ。何故なら僕はいま家をもってないから。電車に乗れるから。家をもってたら電車には乗れないので歩くしかない。僕は弱い人間だから、どうしても便利快適で速い電車を使ってしまう。早く着いたとしても何にもならないのに。今日は予定なんか特にないのに。
でも僕は自分が弱い人間だということを知っているから家をわざと分解できないように作った。歩くしかない、動くしかない環境に自分を放り投げるというやりかたをした。そうすることでたくさんの発見があった。人は弱いから、ほっとくとどうしても便利な方に流れてしまう。思考がとまってしまう。電車にのることによって、どれだけ自分が損をしているかを知らない。どれだけ自分が馬鹿になるかを知らない。だって、歩くよりも電車のほうが快適だから。汗をかくよりは、馬鹿になってでも快適な道を選ぶ。そういう生き物。

鶴岡駅の近くにショッピングモールを見つけたので入ってみる。本屋を見つけて、なんとなく最近「農民芸術概論」が気になっていた宮沢賢治を読みたくなったので文庫本を買ってドトールに入る。こういうカフェにも久しぶりに入った気がする。店の内装とかメニューとかは東京と変わらないけど、客のおばちゃんは方言で話していて何を話してるのかよくわからないのが良い。

鶴岡駅についた。目をキラキラさせて口元から笑みがこぼれている外国人のバックパッカーが、ホームの階段を駆け上がっていった。僕は彼を見て、自分がむすっとした顔をしていることに気がついた。

結局なにも変わっていない。あの震災は日常を変えるチャンスだったはず。日々の生活について、消 費や生産や労働や社会のシステムについて見直していけるはずだった。だけどなんか知らないけど、 どんどん元に戻っていく。僕自身も、ふと気がつくとまるで何事もなかったかのように以前の生活に 戻っていこうとしていた。あんなことがあっても何も変わらないのかと思うとぞっとした。日常が終 わらないのが悔しい。いつまでもおんなじことばかりで、いつまでたってもなんにもかわらない。み んな戻っていく。あんなに、何かが変わる気がしたのに。結局全てが消費に回収されていく。 他人に対して「お前の日常を終わらせろ」なんていうことはできない。「それでその人が幸せならい いじゃないか」この言葉にもずっと苦しめられている。 僕は、他の誰でもない僕自身の日常を終わらせないといけない。日常を終わらせるために、家を出て いかなければならなかった。当時の彼女と二人で借りたばかりの家を出ていく必要があった。家を借 りた当時は、そこで彼女と二人で生活を築いていくつもりだった。いまでも思い出すと引き裂かれそ うな気持ちになる。でもそれまでの日常を捨てて、別の日常をつくりだす必要があった。「出ていき たい」「出ていきたくない」とかそういうレベルの話じゃない。そうしなければいけなかった。他に 方法が見当たらなかったし、他に方法はないと自分に言い聞かせていた。この日常を終わらせる。日常を終わらせるんだよ。

無愛想なお姉さん達が接客しているという、近くの病院の内部にあるパン屋さんのメープルパンを食 べた。おいしい。
「いつもはこんなにたくさん買ってこれない。」
って安達家のおかあさんが言う。とっても人気があっていつも売り切れてしまうらしい。
家を安達家に預けて、今日僕は安達母の実家に泊まらせてもらうことになった。鶴岡市の大山町とい うところ。行ってみると、ここもなかなか高齢化と人口減少がやばそうな町。その家はおばあちゃん とおじいちゃんが二人で静かに暮らしてる家だった。おばあちゃんは家の窓のどこが開いていてどこ が閉まっているのかを把握しているようだ。6時過ぎに早めの晩ご飯を食べながら話をした。
「この町が鶴岡市に合併されてから高校がなくなっちゃって、さみしくなっちゃったの。やっぱり 高校がないとさびれちゃうのね。若い人がいないと。」
「若い夫婦とかが引っ越してきたりはしないんですか?」
「このあいだ、子供が4人いる夫婦が引っ越してきて事件になったの。みんなに大歓迎されて。子供 会も四人も増えたって喜んでね。鶴岡市内から、家賃が安いからって越してきたみたいだけど」

夜7時半頃僕が散歩から帰ってきたらもうおじちゃんは寝ていて、おばちゃんは一人でテレビを見た り書き物をしたりしていた。僕が隣の部屋で絵を描いてると、ときどきおばちゃんの笑い声が聞こえ てくる。もう何年も、こうして夜を過ごしているんだろうなと思った。昨日まで僕が名前も知らなか ったこの町で、もう何年もこうして夜を過ごしてきたんだろうな。

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僕の家は、家だけど家じゃない。僕は家を呼んでるけど、他の人がこれを「家」と呼んだり、発泡ス
チロール製の瓦を「瓦」と呼んだりしたとたんに、このイリュージョンの仲間入りをしたことになる。ママゴトの世界へようこそって感じ。

今日は早く目が覚めた。自分の家の窓を開けて外を眺めてみる。台風はまだ近くにいる。風は弱まっ たけど雨が強くなってる。カラスが蝉を捕まえた。蝉が鳴き叫んでいる。カラスはそれに構わず、ケ ヤキの木の枝の上で蝉を食べはじめた。
ツイッターで「酒田市か鶴岡市で家を置かせてもらえる所を探してます」って呼びかけてみたら岩手の瀬尾ちゃんが友達を紹介してくれた。ちょうど酒田市と鶴岡市のあいだに三川町っていう町があっ て、そこに同い年の男友達の実家があるらしい。お寺を出て三川町に向かった。
風が強くて家がギシギシと軋む。特に川を渡ったときは風が強すぎて今にも屋根が分解しそうで
「頼むからあと少しもってくれ」
って家に向かって語りかけながら歩いた。パニック映画の主人公みたいな気持ちだった。でもすぐ隣の車道では何百台っていう車が僕をどんどん追い抜いて行く。こんな風なんともないんだろうな。
途中でおまわりさんに
「仕事ですか?物騒な世の中だから気をつけて!」
と声をかけられた。あと車の中から子供が
「ホームレスですかー?!」
って叫びながら走り去っていった。あとバイクの後ろに「日本一周」って看板を掲げた男性にも出会 った。彼はなんとなく気持ちが高揚しているようだった。若い旅人ってそういう人が多い気がする。 彼と話して僕は「旅」っていう言葉が嫌いだってことに気がついてしまった。日常化のバイアスが既にその言葉に含まれてる。これまで何万人という人たちが日本一周という看板を自転車やバイクや 車やバックパックの背中にくくりつけて日本を一周して、そして「帰っていった」んだろう。遊牧民 に対して「旅ですか?」とか「どこまで行くんですか?」なんて問いは成立しないはず。僕は移動生活を 成り立たせたいだけだ。そしてその経験を、奴らのいう「将来の糧になるよ」とか「いい経験だね」 っていう言葉に回収されたくはない。確かに良い経験だと思ってやってるけど、僕が使う「経験」と 奴らが言う「経験」は全然意味が違う。あんな日常化のバイアスがかかった「いい経験」なんてちっ ともいい経験じゃない。 そして徹底的に見て回りたい。誰かの編集した情報を通して何かを知った気になりたくない。自分か ら数えて3番目の物語が見たい。僕でもあなたでもない、第3者の物語を直接見たい。これまでもず っとそれをやってきた。
三川町まで13キロ、ノンストップで歩いた。待ってる人がいれば疲れないもんだな。三川町の安達 家の全員が歓迎してくれた。特にその同い年の彼とは、夜中まで話し込んだ。日本酒と白ワイン(山 形はワインも美味しいらしい)とビールを交互に飲みながらいろいろなことを話した。瀬尾ちゃんあ りがとう。

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朝、お祭りの片付けを手伝って9時半頃には出発した。午後から風が強くなるという予報があったか ら。いつもなら絵を描いてから出るのだけど、午後3時の予想風速が10mだったので、早く行かな いと動けなくなると思った。

お昼頃に、酒田市の市街地に入った。道ばたでなんとか会っていう宗教法人の勧誘を2回うけた。こ のあたりは会員が多いらしい。1人目に勧誘してきた人は9年前から会員で、入ってからずっと人生 が幸せだと言っていた。良い事だと思った。でも年中無休でずーっと幸せってのもつまらなそうだな とも思った。
お寺がたくさんある地区を見つけたので敷地交渉を始めた。3軒くらいまわって全部NGだった。お 盆が近いのでどこのお寺も忙しいっていうのもありそう。町を歩いていて気がついたんだけど、どこ の家にも「身元調査お断り」と書かれたパネルがドアのそばに貼付けられていた。なんのことかわか らなかったんだけど、よく見ると「同和問題~~会」と書かれている。そうか、同和問題か。そういえば昨日のお祭りで焼き鳥を売ってる兄ちゃんは普通に自分たちの地区のことを「部落」と言ってたな。いいなあと思った。部落。かっこいいじゃん。

4軒めのお寺でOKをもらえた。
「忙しいから中で泊めてやることはできねえけど、一晩くらいならどこでも泊まってっていいぞ。台 風くるぞ」
と言ってくれた。もう風がかなり強くなっていて、台風前夜って感じの不穏な気候だったので本堂の 縁側みたいなところに家を置かせてもらい、そこで一晩台風をやり過ごすことにした。
なんか体調が悪い。鼻水がでてくる。肉とか食べて早く寝ようと思って、近くの焼き肉屋に入ろうと したけど、一人で焼き肉とは贅沢すぎるなあと思って、そばにあったセブンイレブンでご飯を買っ た。

夜中、喉が渇いて自動販売機に水を買いに行った。風はとても強いけど雨はあまり降ってない。水を 買って、自分の家に帰ろうとしてお寺に入るとぞっとしてしまった。こうして改めて見ると、僕はめ ちゃ怖いところに居を構えている。本堂はとっても大きくて迫力がある古い建物だ。そして真っ暗 だ。通りから本堂を見ると、暗くて中が全く見えない。自分の家がそこになかったら、絶対に近寄り たくない雰囲気。でも入っていくと目が慣れてくる。自分の家もちゃんとそこにある。自分の家がそ こにあるってだけで、この闇が怖くなくなる。闇を味方につけられる。この生活をして何度もお寺と かお墓のそばに家を置いて寝てきたけど、「こわい」とかまったく思わない。これがテントとかだっ たらまた全然違うと思う。自分の家があるってだけで、なんていうか幽霊とかそういうものが全て 「こっち側」にまわってくる。敵対するものじゃなくなる。

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今日もずっと曇り空でたまに雨が降る。そういえば台風が近づいてるらしい。新田さんが心配してく れている。今回もかなり強い奴で、日本を縦断して日本海まで抜けてくるらしい。嫌だ。

お昼頃に新田家を出発。軽トラックで次の道の駅まで送ってもらった。走ってたら山形県に入った。 道の駅で敷地交渉してみたら、ここもNG。キャンピングカーはいいんだけど、テントなどを張るの は禁止しているらしい。「どうしよっかなー」と思って歩いてたら、路上で男の人に
「どこまで行くんだ。昼飯のアテはあるのか?」
と言われた。
「今日は何もアテがありません」
「いま祭やってるんだよ。よかったら休んでいけよ」
祭か…。数日前に祭で追い出されたのを思い出して
「邪魔になりませんか」
って聞いてみたら
「みんな酔っぱらってて、気のいい奴ばっかりだから」
と言う。すぐ近くの公民館の前の広場で焼き鳥やら焼きそばやらかき氷やらを準備している。盆踊り 用のやぐらも建っている。みんな笑ってこっちをみている。なんか大丈夫そうだ。すぐに缶チューハ イと焼きそばを手渡される。
「今日ここ泊まっていっていいからな」
とみんなに言われる。
「ただし手伝わないとだめだぞ」
という感じで、僕は焼き鳥を焼く人になった。吹浦地区の西浜部落のお祭りらしい。僕の他にもう一 人焼き鳥を焼いてる兄ちゃんがいて、いろいろ教わりながら焼き鳥を焼きまくる。その兄ちゃんは僕 の1つ年上で、土建屋らしい。
「こっちの方言わかんないでしょ?」 「わかんないっすねー。特に年寄りはさっぱりです。この祭は昔からやってるんですか?」
「やってるよ。部落でやってるだけの小さな祭だけど、自分は幼い頃からこの人たちに世話になって んですよ。雨が降らなければ、他にも出店がたくさんあって、盆踊りもやるんだけど」
向かいのテントでフライドポテトを作ってるのが、その兄ちゃんの仕事の上司らしい。いいな。
お客さんはあんまり来なかったけど、お酒を飲みながら自分たちで焼いた焼き鳥やらフランクフルト やらを食べながらとても楽しそうに過ごしてる。ていうか途中からは誰が客で誰が店番なのか、焼き 鳥1本はいくらなのかとかがもう全然わかんなくなる感じになった。1本50円て書いてあるけど「3 本で100円だよ!」とか言い出す人がいたり。1本百円て書いてあるフランクフルトを売ってる隣の おじさんは
「1本食ってけよ」
って言って前を通る人に渡したりしている。いいなあ。みんなすっごく楽しそう。僕の隣にいた兄ち ゃんなんかいつの間にか居なくなっていて、かわりに別の兄ちゃんが座って接客してた。隣にかわい い彼女さんも座ってる。
となりのおじちゃんが町会長さんに
「こいつここ泊めていいですよね」
と言ったら、町会長さんは困っていた。 「一応公民館利用は22時半までということになってるし、なあ。誰か泊めてやれる人いないのか」 という。「いいよとは言えない」って感じが全面に出ている。
出店が終わってからも、公民館の中で宴会が続く。僕は途中で離脱して何時だったか覚えてない。気持ち悪い。また飲み過ぎた。。

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いま日記はその日の夜か、翌日の朝に書いてるんだけど、これもなんかおかしな話だな。出来事は過去のことなので、過去形になるはずなんだけど書いているうちに頭の中に蘇ってくるので現在形でもいけるようになる。そうすると過去形と現在形が混ざったような文章になる。書いてると、この過去と現在のせめぎ合いが絶対にあるんだけど、世の中の日記を書いてる人たちはみんなどうやって折り合いをつけるんだろう。

いまは8月9日。長崎に原爆が落ちた日。昨日のことを思い出して書いている。昨日もたくさんのことがあって、日記を書かないと頭が整理できないままだし、絶対わすれてしまうから日記にしないといけないんだけど、どうも書こうという気力がわいてこない。「できごとを記録する」っていう目的を持ってしまうと、途端に日記がめんどくさくなる。うまくいかないしつまんない文章になっちゃう。でも油断するとそうなっている。気をつけないと。昨日はお酒を飲み過ぎた。夜寝る時のことを覚えてない。夢がまた強烈で、そこから目覚めたら知らない暗い部屋の床で毛布を被っていた。目の前に犬の形に見えるシルエットがあって「うわ!」ってびっくりしたけどそれはテーブルの足とか置いてあるものがそういうシルエットを作ってるだけだった。「どこだ。ここは」って思って起き上がろうとしたら頭が痛くて「なんでこんな頭痛いんだ」って考えてみると、そういえば昨日はたくさんの人たちと一緒にバーベキューをして日本酒をしこたま飲んだんだった。そうだそしてここは、新田さんの家のトレーニングルームで、僕はみんなより早く寝たんだった。時間を見たら4時半だった。外に出るとバーベキューの跡地があった。僕の家もある。昨日教えられた場所で立ちションをして、自動販売機を探してお水を買っていっぱい飲んでまた寝た。

朝のことから思い出して書く。道の駅の休憩室で目が覚めたとき。
「家で旅してる人がいるんですよ。家もって歩いてるんすよ。ほらこれ写真」
「へえー。初めて聞いたな」
っていうふうに、他の旅人達が話してるのが聞こえてきた。
「雨の日も自分の家で寝るらしいっすよ。他の旅人から聞いたんすけど。」
と言っている。うわあ。ここで寝てますとは言いづらいなあ。と思った。そういう噂になってるのか。みんなどこで情報やり取りしてるんだ。
雨が降ったり止んだりしてる。涼しい。家の様子を見に行ったら、風で倒れていた。中に水がたまっていた。悪い事をしたなあ。ちょっと散歩して休憩室に戻ってきたら、小学生が宿題をしていた。道の駅の休憩室で、小学生が宿題をやってる光景はなかなか見られない。そのお父さんもいる。手帳に日記を書いている。夏休みに親子で旅をしてるっぽいな。しかも自転車らしい。それぞれの作業が終わったら二人で地図を広げて「ここは行ったな。ここは行ってないな」なんて話をしている。すごいな。

で、僕がその道の駅のベンチでカップラーメンのなんとかチキン味を食べてたら話しかけてくれたのが新田さんで、地元の消防署で働いている人。このトレーニングルームも、その体作りのためにあるらしい。成り行きで「今夜うちくるか。バーベキューするし」ということになって、いま僕はここにいる。バーベキューは職場の仲間の家族とか、イタリアのミラノで寿司屋をやってる人とか、大人と子供あわせて15人くらいの大宴会だった。よくこういう会をするらしい。すごくいい関係だなと思った。
子供達は僕の家を見て興奮していた。僕が
「これは仕事なんだよ。信じられないかもしれないけど」
って話をすると子供達は
「ええ?うそ」
って感じでぽかんとする。そしたらお父さんが
「そうなんだよ。じゃあお前これできるか?って言われても、できないだろ」
って言ってくれた。嬉しい。仕事って言葉はそういう意味だと思う。

で、僕はどうやら21時くらいには寝たらしい。後半のことをほとんど覚えてないけど、新政酒造の「ひのとり」って日本酒がすっごく美味しかったのは覚えている。ほんとおいしかったなあ。

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秋田県上空に雨を降らす前線が停滞しているらしく、天気予報がこの先一週間雨になっている。昨晩からずーっと雨が降ったりやんだりして、梅雨が また来たみたい。寝袋が湿っていて気持ち悪い。
なんとなく無気力になってる。腰も痛い。右の後ろがきりきりと痛む。一昨日母親から「父がぎっく り腰をやってしまいました」っていうメールが来てしばらくしてから腰が痛くなってきた。そういうことってあるよなあ。

マックスバリューというスーパーで弁当とサラダと牛乳を買って「お客様休憩所」というテーブルとイスがいくつか並べられたところで朝ご飯を食べ た。冷房が少し効きすぎすぎて肌寒い。お客様休憩所のそばに「嬉しい!楽しい!アイデア商品大集合」というコーナーがあって、そこに並べられた 6台のモニターからそれぞれの商品の紹介映像が流れている。6つの音声が混ざって耳障りなノイズと化しているそれを聞きながら、のり弁当を食べ る。

どうも無気力感に襲われて身動きがとれないので家でごろごろしてたら寝てしまった。12時頃起きて、今日も動かないで休むかって思ったあとすぐに「のまれちゃダメだ」って気持ちを切り返した。無気力なのも腰が痛いのも昨日から 動いてないせいだ。あと雨。そうすると腹が立ってくる。腰痛と雨のせいで無気力にされている状態を許しておくわけにはいかない。だから思い切っ て歩き始めた。ここからまた20キロくらい南に道の駅がある。そこまで行く。歩いていると前向きになる。 さっきまでいた道の駅は「いつまでも居られそうな場所」だった。そこに甘んじて動かないでいるとやる気がなくなってきて鬱っぽい状態になる。や る気がないから動かない。っていう悪循環に陥る。普通に家賃を払って暮らしてるときもこういうことがあった。まず動き始めないと。
5時半頃に道の駅についた。さっそく敷地の交渉をしてみたら、なんと泊まることは許可してないらしい。まさか道の駅でダメな場所があるなんて。
「でもテントとか張ってる人はたまに居ますからね。そういうのはまあ短期間なら黙認してるんですよ。だから今日1日くらいなら…。」
と言われた。 従業員の駐車場に家を置かせてもらって、家を夜モードにセッティングしていたらおじさんが話しかけてきた。埼玉から車で旅をはじめて今日で三日 目らしい。
「ここ家置いたらダメって言われたんですよ~」
と言ったら
「そりゃ聞かれたらダメって答えるよ。でもバイクとか自転車の旅人はこういう所では店のシャッターが閉まってからそこでテント張ったりしてる よ。夜はどうせ誰もいなくなるからね。」
と言われた。なるほど。みんなたくましいなあ。
また彼は
「あと一週間くらいしたら家に戻るかな」
とも言ってた。いい生活の仕方だなあと思った。「日本一周!」みたいに気をはらずに、何日間か車中泊であちこち動き回って家に戻ってくる。日々 の暮らしに新鮮な気持ちが保てそう。

夜寝ようとしたら突然すごい豪雨になった。ここまで降られるとあちこち雨漏りする。顔に水滴が落ちてきたりする。酔っぱらってるのもあって、雨 漏りしていることが楽しくなってくる。家に対して「そこもかよ」っていうツッコミを一人でいれる。でも寝れなくはなさそうだな~ってうとうとし てたら稲光がして、この家ごと雷に打たれるイメージが脳裏をかすめる。それは嫌だ。雷は嫌だ。迷ったけど、今夜は道の駅の休憩所で寝る事にし た。家には一晩がんばって耐えてもらう。休憩所では自転車の旅人(チャリダーという)らしき人達が5人くらい寝てた。なんだみんな寝てるじゃな いか。ほんとたくましい。

今日は動かなかった。天気がものすごく不安定で、突然雷雨になったりちょっと晴れたりする。
夏休みの自由研究で自分の家をつくりたいという小学生の少年とそのお母さんとおばあちゃんが訪ねてきた。少年は僕の家を見て目を輝かせていた。
「すげえ」
を連発していた。
僕は
「まず自分が寝るのに必要な広さを測って、家の大きさを決めるといいと思うよ。作ったらそこに一晩寝てみるといいよ。」
とアドバイスしてみた。彼は「ざいりょうははっぽうスチロール」とか「ボンドとガムテープとベニ ヤ」とかって熱心にメモを取っていた。最後に何度も
「ありがとうございました」
と言ってくれた。別れてしばらくして、道の駅の休憩室にいる僕を再びその親子が訪ねてきた。少年 はまた
「ありがとうございました」
と言って、僕に千円を差し出した。笑ってしまった。お金くれるのか。
母親が
「餞別をあげたいんですって」
と言っていた。嬉しいな。そして小学生ながらそういう経済感覚を持ってることに感激した。今日の銭湯代にします。

そういえば昨日は、4月に自転車で東京を出発して山口県まで行ったあと、日本海沿いを北上している旅人の女の子に出会った。大学を休学して旅をしているらしい。女一人旅なので、親との約束がいろい ろあるらしい。野宿はダメとか、毎日宿が決まってから連絡するとか。そういうのを守りながらもう 4ヶ月旅をしているという。えらいな~。
彼女はいったん別れたあと、数十分後に引き返してきて
「なんでこういうことやってるんですか?」
と聞いてきた。なので近くの芝生に座り込んで2時間くらい話した。今まで考えてきた事を思いつく限り話した。
「そういう事は考えたことがなかった。頭がパンクしそうです」
って言われて嬉しかった。それだけ僕の話にリアリティがあったってことなんだろう。また会いたいな。
夜、休憩室で絵を描いてたら今度は茶髪で日焼けした若い男の人に話しかけられた。彼は名古屋出発の自転車の旅をしているらしい。
「毎日絵を描いてるっていう人ですか?」
と聞かれた。そういう噂が流れてるのか。 彼は僕が家を持って歩いてることは知らなかったので説明してみたら、わっはっはと笑いながら
「変態ですね」
を連発していた。変態でもなんでもいいんだよ。彼からは
「なんでやってるんですか?」
という質問は来なかった。ははーん。

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この移動生活をしながら旅をしたらどういうことになるんだろう。この発泡スチロールの家をどこかに1ヶ月くらい置かせてもらって、僕はリュックだけもってどこかに行く。 旅が終わったら自分の家を置かせてもらっているところに帰ってきて、また移動生活を再開する。そうなってくるともう訳がわからないな。とにかくそうやってごちゃごちゃに して、日々の別の在り方を可能な限り想像したい。

10時頃に道の駅岩城を出発。次はまた20キロくらい南下して「道の駅にしめ」に向かう。このへんは道の駅がだいたい20キロごとにあって、しかも全てに温泉施設がつい てるからとても動きやすい。 今日もたくさんの車に抜かれながら国道を歩く。トラックが通るときに風がおこる。僕と家は、道に生えてる草花と一緒になって風に揺れる。なんか笑っちゃう。今日だけで3 ヶ所くらい、歩道に花束が置かれているのを見た。死亡事故があった現場なんだろう。花束を見つけるたびに手をあわせた。交通事故はかなしい。
車に轢かれた蛇の死体も今ま で何回も見てきた。それらに蛇の原型はなくて、ただ細長い楕円形をした平べったいものがアスファルトにはり付いているように見えるだけ。鱗や口元を見るとかろうじてそれ が蛇の死体だってことがわかる。ぐちゃぐちゃの死体だ。この蛇が轢かれた瞬間を想像してみる。自分が死んだ事もよくわからないまま死んでいったんだろうと思う。それは一 瞬の出来事だから。車を運転しているドライバーの方も「カタッ」っていうちょっとした衝撃を感じるだけだ。もしかしたら全く気がつかないまま轢いているかもしれない。そ の「カタッ」ていう取るに足らない些細な衝撃の瞬間、蛇の頭蓋骨や骨がグシャッと粉砕される。そんな瞬間を想像してみる。轢いた方も轢かれた方も気づかないまま蛇が死ん でしまったとしたら、それはあってはいけないことのように思える。だから蛇の死体を見つけたら、報告しなくちゃいけない。
「ここに蛇が死んでます!」
って。誰にむかって報告するのかわかんないけど、なんか空とか海とか、大いなるものに対して報告しなくちゃって思う。神聖な生き物だし。「蛇が死んでいるところ を確かに発見しました。蛇さんご苦労様です」って。そんで、僕はここで蛇が死んでいることを発見できて良かったと思う。
「この蛇を救いたかった」とか「車のせいで、道路のせいで蛇が死んでしまっ た。許せん」みたいな事は思わない。それは仕方のなかったことだから。ただそれを見つけたとき、「ここに蛇が死んでます!」っていう報告をしなきゃいけないんだ。何に向かって報告するのかはわからないけど。

「日本一周ブログランキング」なるものがあるらしい。登録してはどうかっていうコメントが寄せられていた。迷った。確かに見る人は増えそうだし、敷地交渉もすこし楽にな りそうだ。でも、そもそも僕はなんでこの日記をつけているのか考えた。以前も書いた気がするけど、出会った物事や考えたことを自分の中で完結させるために書いているってのが一番大 きい。ランキングとかに参加し始めたら、なんか他人に向けた文章になってしまうんじゃないかと思って、それはやっぱりやめようと思った。そもそも目的が「日本一周」とか では無いしな。結果的に本州を1周する形になりそうってだけだし、1周で終わるのかもまだわからないし。ためしに「日本10周」とかで検索してみたら、意外とヒットしなかった。

夕方「道の駅にしめ」についた。敷地交渉をしたらあっさりOKだった。
「どこか置いちゃだめなところはありますか?」
って聞いたら
「そういうのはありません」
とのこと。道の駅では敷地交渉を断られる事はまず無いと思ってよさそうだ。この駅は敷地内にお風呂とレストランとスーパーとカラオケと土産物屋がある。ここで暮らせるじ ゃないか。

今日も蒸し暑い。海に入りたい。昨日は泳いでる人けっこういたけど今日は数えるくらいしかいない。でも「ここは海水浴場ではあり ません」っていう看板が立っている。きれいな砂浜が広がっていて気持ちよく泳げそうだけどな。「海水浴場」ってなんだ。お昼に波 打ち際まで行って足を海につけてみたりした。

朝から晩まで道の駅にいた。ずっと絵を描いていて、たまに近くのコンビニにいってジャンプを立ち読みしたりした。道の駅にはいろ んな人が来る。家族連れが多いけど、カップルや老夫婦(道の駅にいる大抵の老夫婦はキャンピングカーに乗っている)もけっこうい る。バイクでツーリングしてるグループや、一人で走ってる人もいる。いろんな地名のナンバープレートの車がある。そういう人が休 憩室に入っては出て行くさまを見ながら、僕はずっと絵を描いていた。すぐに夜になっちゃった。21時になって、蛍の光が流れはじ める。休憩室や、温泉施設の大広間でごろごろしていた人たちがみんな帰っていく。外には犬の散歩をしている人もいれば、車のカー ナビに目的地を入力している人もいる。僕は彼らを見送るような気持ちになっている。さみしい。僕は今日一日道の駅の住人だった。 移動しつづける事と、道の駅に居続けることは似ている気がした。僕も明日にはここを出ていく。見送る人はいないだろうけど。
遠くの海が2ヶ所ぼんやりと光っている。漁火だと思うんだけどかなり遠くでぼやっと広範囲に光っていて妖しい。今日は少し風があ るので、風車が回っている。キィィィィィっていう高周波な音が鳴ってる。風車はすぐそばにあるので、気にしだすと結構うるさい。 そういえば十和田湖のグリランドのオーナーが、風力発電の風車による音が生態系に及ぼす影響があって、その調査の仕事もしてるっ て言ってたな。