スマートフォンで女性主人公のオフィスもののノンフィクション漫画などを読んでいると、結婚にはお金がかかるという描写が頻繁に出てくる。結納をしたり給料三ヶ月分の指輪を買ったりするというセオリーが当たり前だったころ(これもある年代からある年代までの、ごく短い期間だと思うけど)は、そりゃあたいそうなお金を用意して、人生をかけて準備をせねばという感じだったと思うけど、最近は割とフランクにカジュアルに入籍だけしましたとか、レストランでパーティーだけやりましたとか、そういう例が確実に増えているのに、結婚にはお金がかかるという思い込みはまだ刷新されないまま根強く残っているのかもしれない。天動説が覆ってから500年も経っているのに、いまだに「陽が昇る」という言い方をしてしまうのと同じように。(05100723)

もう名前は忘れてしまったのだけど(「なんとかじい(さん)の音楽なんとか」みたいな感じだった気がする…)さまざまなジャンルの音楽をアルバムごとにレビューしまくっている個人サイトがあって、自分の好みと重なる部分が多かったので、高校のころはそれを参考に日本のロックバンドを片っぱしから聞いていた。そのサイトで絶賛されていたCOCK ROACHというインディー・バンドがあり、そのファーストアルバム『虫の夢死と無死の虫』が、奇跡的に文京区立図書館に在庫があったので借りてみたのが最初だった(音源はTSUTAYAで借りることが多かったけど、文京区立図書館にはCDも豊富に置いてあって、しかもインターネットで検索できたので、無料で聞けるならそれに越したことはないと、よく使っていた。のちに摘発されたwinnyも便利だった)。しかしそのジャケットからなんというか、煙たくて咳き込みそうな何かが漂っていて、これ大丈夫かなと、悪く言うとB級感があったので不安を覚えつつ聞いてみて、最初はよくわからなかったけど、「孔子の唄」を何度か聞いているうちにある日、どうも自分はとんでもなく深い闇を掘り当ててしまったかもしれないと思ったのだった。死をテーマにした日本語ロックのコンセプトアルバムなど当時の僕は他に知らなかったから、音楽はこんなことも歌えるのかという大きな発見をしたような気持ちというか、今思うとシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』のテキストに出会った時の感動に少し似ている。
すでにバンドは解散していたけど、すこしずつ手に入る音源と映像を集めた。セカンドアルバム『赤き生命欲』だけがどこにも置いてなくて、ずっと気にしつつ高校生活を送っていたのだけど、どこかのタワレコで偶然発見し、躊躇わず買ったのも記憶に刻まれている。騒々しい店内であの赤いジャケットを手にした僕の手は軽く震えていた。多分、新品として出回っていた最後の時期の、遺物のようなものだったじゃないか。Amazonで見ると今ではプレミア価格になっている。
それからなんだかんだずっと、僕の人生という部屋の片隅にはCOCK ROACHという存在があり、しかも人に「これめっちゃいいから聞きなよ!」と薦められるような代物ではなかったので(何度か友人に勧めたことはあるけど反応がイマイチで、というか人に薦めるという行為自体、なにか間違ってるんじゃないかと思わせる力が、COCK ROACHにはある)、ずっと一人で聞いていて、とうとう他に聞いている人に出会うことはなかったので、今回の水戸ライトハウスでの再結成一発目のライブ(その名も『静かなる虫たちの調べ』)の会場で順番待ちをしている黒いバンドTシャツを召したファンの群れ群れを見た時、こんなにも多くの同志がいたのかという純粋な驚きと、なんだか地球に送られて秘密裏に活動しているエージェントがお忍びで集まっているような感慨があった。
ボーカルの遠藤仁平がMCで「生きてましたか?」と聞いていたのが、とてもよかった。なにか、その場のことを言い当てていた。
コンサートについては言葉もない…素晴らしかった。演奏もうまいし、遠藤仁平の喉も強いので、ハードな曲ばかりでも聞いていて辛くない。気持ちがいい。不思議なことに音源で聞くよりも歌詞が耳に入ってきた。
COCK ROACHが再結成するというニュースを聞いたとき、不安を感じたことを思い出す。既発のアルバム三枚で、キャリアが綺麗に完結していたから。死ぬこと、生きること、命のことの次に歌えるものなんてあるのか、何を歌うのかと思いきや、4枚目のアルバムは『MOTHER』というタイトルであると知り、なんてこった、まだそこがあったかと。さすがです、と。ライブでは昔の曲で泣くだろうと思っていたら、新しいアルバムからの曲で思いがけず涙が出たのだった。ストレートな言葉選び。すべてを当たり前とせずに生きようとか、普通は恥ずかしくて言えないようなセリフをバンドで鳴らす。公式ブログで「音楽を仕事にはできない」と遠藤仁平は書いていた。刺さる。この言葉は楔にしたい。こういうことのために音楽はあるのだと、原点に戻る気持ち。音楽に限らず、表現とは、こういうもののことをいうのだと。
仕事にした途端、お金を稼ぐために、という意識がすこしでも入った途端に失われるもの。お金をもらう以上、なにか意義深いものをとか、人に伝わるものをとか、そういう余計な念が入り込んでしまうことによって失われる、ささやかながら取り返しのつかない損失。全てが商品にされ、全てが消費されていくこの環境下で、自分がよいと思うことだけをよいものとすること。そのラディカルさを失わないようにしながら、しかしそんな素朴で純粋なものだけがよいものではない、やるべきことはたくさんある、まずは少数でもいいから人に伝わらなければだめだと、ナイーブになりすぎない態度。この夜のことを忘れないようにしたい。他の感情に邪魔されたくないので、本も読まず、泊まりもせずにバスで帰っている。

しかし遠藤仁平氏、「カニバリズム・ン・カーニバル」を歌ってる時に、ペコちゃんの手提げ袋を思い出したとMCで言っていた。ぺこちゃんの目玉がぐるぐるまわる手提げ袋を学校の同級生が持ってきていて、それが気になって仕方なかったと。その怖すぎる目のくせして、キャッチコピーが「ミルキーはママの味」だから、これはカニバリズムもしくは近親相姦の気があるのではないかと。「海月」を歌ってる時に、エンバーミングした恋人の死体と共に何年も暮らした「カールおじさん」のことを思い出したとも。へんなひとだ…。
(05072220)

金沢21世紀美術館から送られてきたムン・キョンウォン&チョン・ジュンホ(男女二人組ユニット)の展覧会のチラシのテキスト、作家を紹介する文中の代名詞が全て「彼女たち」になっているのを発見して、執筆者の意志を感じた。そして自分が恥ずかしい。普段から僕は集団のことを指すとき、その中に男性が一人でもいたら「彼ら」と呼んでしまっていたかもしれない。下手をしたら男1人に女3人でも「彼ら」と呼んでいる。逆に女1人男3人のグループのことを「彼女たち」と呼ぶことは、パティスミス・バンドとか、明らかに女性が中心になっている集団の場合を除いては、ほぼない。特に意識もせずに、あまりにも長くそれを続けてきてしまった。このささいな文言の積み重ねによって人を少しずつ傷つけていた可能性がある。阻害感を与えてきた可能性がある。こういった細かい言い回しの中にこそ、知らず知らずのうちに内面化されてしまった差別意識の種のようなものが現れるような気がする。
(04181533)

・腸内細菌検査を受けてから人生が変わった、という話を知人から聞き、それが最近の自分の興味にも近くて、しかも検査は三万円でできると聞いたので、思いきって申し込んでみた。腸内にいるどの種の菌が優位かどうかなどがわかるらしい。キットが届くのを楽しみに待っている。
最近買った『あなたの身体は9割が細菌』によると、僕の腸内には数百兆の細菌がいるし、この足の指先にもイギリスの人口よりも多い微生物がいるという。身体がなしていること、なしうることについて、ぼくはほとんどなにも知らない。この身体は無数の微生物と細胞と、細胞間の気の遠くなるほどの信号によるネットワークもろもろによって維持されており、僕はそれについてほとんど何も知らないし、意識もできない。意識できるのはそれらの運動の「結果」ばかりである。
このことを発見したスピノザは本当にえらい。これはそのまま腸内環境の説明にも使える。体調がわるくなったり、落ち込んだりするのは、いわゆる「自分」のせいではなく、腸内細菌のバランスが悪くなること(だけでなく、気圧や免疫力や、その日朝ごはんを食べたかなど様々にあるけど)によって引き起こされる機械的な運動の結果である。
つまり感情とは常に受動的なものなのだ。なぜならわたしたちの身体や精神が何かと出会ったとき、この体や精神は、その結果しか手にすることができないからだ。わたしたちはただただ、その原因に対するひとかけらの意識も持てず、起きた出来事の結果をこうむるばかりの毎日である。そりゃあ落ち込むのも無理ない。
そればかりか、その順序を転倒し、結果を原因と取り違える。わたしたちの中にある原因は意識できないから、それを外部に求める。つまり自分のせい、他者のせい、にする。
(ちなみにこの身体と共生する菌たちはわたしにとって「いい」ものである。いい出会いとは、ふたつのものが合一して、より高次の全体をなすことである。より大きな完全に近づくことであり、神を分有することである。それが「いい」もの。たいして「わるい」ものとは、自分を維持するものを混乱・破壊するものである。道端でいきなり変なおじさんに怒鳴られたりとか、毒にあたったとか、そういう「わるい」ものたちは、自分と合一することはなく、ただそれを破壊しようとしてくる。場合によっては、修復不可能なほどに)
悲しみに取りつかれそうになったとき、それは機会的に起きた必然なのだと、自ら説明してみることが大事。なぜなら「説明」とは能動的行為であるから。なんのことはない、説明している時点ですでに救われている。能動的なものは「歓び」だけだから。

そして憎しみとか悲しみとか嫉妬とか羞恥心とか、もろもろの受動的感情はしばしば、支配のために使われる。圧制者は人々のくじけた心(悲しみの受動的感情に捉えられた人間)を必要とし、心のくじけたひとびとは圧制者(悲しみの受動的感情を利用し、事故の権力基盤として必要とする人間)を必要とする。そしてそれを風刺し、嘲笑し、悲しむ人、この三種の人間を、スピノザは告発する。
支配されないためにも。いや支配される・されないという次元すら飛び越えて生を解放するためには、ただ自分がよいとおもうことのみを、よいこととすること。それが生の倫理(エチカ)。
スピノザは私たちの生が、善悪や功罪や罪とその償いといった概念によって毒されていると考える。私たちの生に敵対する、そういった一切の超越的価値を告発する。なぜなら「これをしてはいけない」「これをすべきだ」という道徳的なものの言い方は、隷属的なものだから。
同じように彼は、動物を種や類といった抽象的な概念によって定義することを、超越的規範に基づいた道徳的な視点が含まれていると考え、採用しない。すべての超越的規範を注意深く退けようとする。

・能動的に食べること。外では美味しいと思っていたペットボトル飲料を家に持ち帰って食卓で食べると、あんまり美味しくない。なにか魔法にかけられていたような、錯覚を起こしていたようなきもちになる。やはりこういうものを買って飲むこと自体(それがいかに、いくつかの選択肢のなかから自分の自由意志で選んだのだと思っていても)商品として売られているものを食べることは受動的なふるまいである。創造的でなければ能動的とは言えず、歓びもない。料理とは未来への賭けであり、能動的に食べるには必要なものだ。それがいかに味の良いものだとしても、受動的な歓びは錯覚である。

・スピノザの哲学。割り切って生きること、妥協すること、だましだましやること、死を待つように生きること、そういったあらゆる受動的態度への批判に思われる。道徳的規範を内面化させるな、と言っているように聞こえる。つまり、お前だけの歓びを求めて楽しく生きろと言っている。

展覧会に参加します!東京は久しぶりです。

「半開きの家」
@NITO MICHIKUSA

[会期] 2022年6月3日(金) – 6月27日(月)
[時間] 11:00 – 19:00
[定休日] 火、水
[観覧料] 400円 (ポストカード付き) 小学生以下無料
[会場] 東京都大田区蒲田3-10-17

家とは不思議なものです。
壁を立てて、領域を囲むことで、そこは心休まる場所となります。
そんな家に、どのようにすれば、外部を招き入れることができるのでしょうか。
完全に壁を壊し、野ざらしにするわけではなく、家を保持したまま、扉を半分開いておく。
元々民家であったアート/空家 二人を舞台に、内と外の共存について考えます。

アート/空家 二人では、10名のアーティストが継続的に参加する展覧会「NITO」を行なっています。その合間に「NITO MICH IKUSA」と冠した特別な企画展を、年に数回の頻度で開催しています。本展はその第2弾です。

参加作家

久留島 咲 前田 耕平 村上 慧 森山 泰地

イベント

・村上 慧「いる」日程

6月4、5、11、12、18、19、25日

●本展では大田区で京急線沿線にある2つの施設、KOCA、heimlichkeit Nikaiと連携し、合同のレセプションパーティと、3施設を巡るギャラリーツアーを行います。

・合同レセプションパーティー

6月4日(土)18時 KOCA A棟 (東京都⼤⽥区⼤森⻄ 6-17-17)

・連携開催・3ギャラリーツアー

KOCA

「曲直 / right or wrong 中島崇」

「HISUI HIROKO ITO 2023 S/S展示会 <1人でも、2人でも…>」

heimlichkeit Nikai

「Play Double – プレイ・ダブル展 -」

6月4日(土)15時 3ギャラリーツアー heimlichkeit Nikai から開始

→詳しくはこちら

https://nito20.com/exh/exhibition

vimeo内のページで、2020年に行った《移住を生活する》プロジェクトのYOKOKU-HENを一般公開しました。

名付けることについて。名前をつけるという行為自体が好きではなくて、ほとんど悪の所業だと思っていた。音楽のジャンルにしても、作品タイトルにしても。名付けることは、名付けられる前のものとものの間の関係を断ち切ることであり、活きているものの動きを止めて殺すことだと。全て名前を捨ててカオスに向かうほうが面白いと思っていた。でもカオスを守るためにはむしろ逆に、名付けることが必要なのかも。
社会的な問題に起因する違和感やジェンダーに新たな名前を与えることの利点はわかりやすくて、その物事に指をさすことができるようになると、人と問題が共有できるようになるし、それまで名付けられていなかった、硬直して悪いものになってしまった習慣や権威にも同じように名前を与えることになり、それが攻撃になる。
でもそれ以上に面白いのは、名付けることで初めて、名付けないことが可能になること。ひとつに新たに名を与えたとき、同時に名前を与えられていない領域も生まれ、名付けられる前よりも、むしろカオスが広がる。
(小説は名付けと相性が良く、詩は破壊、シュルレアリスム、野生と相性がいい?)

調布の喫茶店、60代くらいに見えるが雰囲気は若い店主夫妻と、青いエプロンをした若い女の子。女の子が配膳やら注文取りやらをやっているのだけど、店主夫婦が、さすが、とか、ありがとう、とか褒めていて、女の子の方も時々タメ口をまぜながら話してる。従業員と雇用主の上下関係を感じさせない。ほんとに働いてもらうねとお母さんが言ったり、いいよいいよと女の子が言ったり。彼女は今日、本当は休みなのか、あるいはもう辞めたひとなのか?
キッチンの雰囲気も良い。僕がブレンドのモーニングセットを頼んだら、お父さんが、順番にやる、と呟いて、お母さんが、そうだね、と、相槌。

団地内の、昨日の雨でぐしょぐしょにぬかるんだ、柵に囲われた運動場で子どもたちが3人、下半身を泥だらけにしてボール遊びをしている。その姿を、母親らしき三人が立ったまま遠まきに眺めていた

《移住を生活する》は、隣人でもなく、家族でもなく、その間にもう一層場所を作る感じ。そういう、ぎりぎり大丈夫な距離感の場所を作り出して体をねじ込む、というイメージだった。いろいろなコミュニティの外縁から外縁へ、渡り歩くようにして回っていると、外だと思っていた場所が実は中だったことがわかってくる。
誰も指をさせないのだが、確かにそこにある場所。

ステレオガールがほんとうに素晴らしい。久々にど真ん中級大好物バンドに出会ってしまった。ローゼズとかスーパーカーと出会い直したような気持ち。音を聞いてるだけでよだれが止まらない。ライブに行きたかったがもう売り切れている。

たとえずっと年下の、高校生とか中学生と接するときであっても。相手がわたしのことを目上とみなしているとわかったうえで、こちらがタメ口を使うときに感じる「なんかわたしえらそうだな」という違和感を大事にする。ときどき、その上下関係を脱臼するように、敬語を差し挟む。どんなに親しい関係であっても、関係に少しでも上下がある場合は危ない。

デカルト曰く、悲しみは食欲を減退させない。ただし、そこに憎しみが混ざっている場合は別。

表現に関して子供の自由な発想は良いよね的な話に対して、いや表現は知識と鍛錬が必要なのであって、最初から何の縛りもなくただ自由にやるというならそれは良い表現とは言えないという意見があり、またそれに対する反論として例えば子供の落書きとアクションペインティングの作品の区別がお前につくのかと言う質問が飛んでくるが、表現とは何かを志向している状態そのものに宿る凄みのことのであって、自分がはまってしまっている枠組みを自覚しそれを打ち破ろうとする過程それ事態が重要で(そして大抵の場合はそうとそうでないものの区別はつく)、表れたもので判断できるかどうかだけを議論しても意味はない。

埋まったスケジュール全体を見渡して、これをこなすのか…と絶望するとき、ひとつひとつの予定は見えていない。逆に予定をひとつずつ、これは楽しみだと練っていくときは、全体のことが見えていない。拡大縮小する時間の例。

夜行バスに乗っていたのだけど、パーキングエリアで停車したので休憩かと思ってトイレに行った。トイレから出たら、遠くでバスのドアが閉まり、発車してしまった。行かないでーと、手を振りまわしながら走って近づくも、結局バスは行ってしまった。僕は遠ざかるバスをずっと眺めていた。その後ろ姿がなぜかコンクリートミキサー車だった。とりあえず携帯で近くのホテルを取ろうと操作を始めた。地図アプリを開き、西に大きな川があり、そこに長い橋がかかっていることを確認。あのバスは、これからこの橋を渡るんだろうと思ったあたりで目が覚める。焦った。

なんらかの言い間違い、嘘の発覚、情報の行き違い、あの言い方は良くなかったなあとか、そういった心の機微をちゃんと伝えずにいることを繰り返すことによって、あるいは単に相談不足によって、ドミノが倒れていくように、人間関係が決定的に壊れてしまったとき。政府間外交の失敗のちいさな積み重ねによって、衝突が避けられなくなったとき。手に取ろうとしたケチャップのわきに醤油差しが置いてあるのが目にはいらなくて、袖にひっかけて倒してしまい、醤油が床に零れた瞬間。

出来事が不可逆的に進行してしまい、取り返しがつかなくなった、ありとあらゆる瞬間に「ピタゴラスイッチ」のテーマソングを再生する。最後の「ピタ・ゴラ・スイッチ♪」のところで、その出来事は仕方のないことだったのだ、回避できなかったのだ、という諦めを軽やかに与えてくれる。

「廃電化製品無料回収」の白いチラシがポストに入っている。 その末尾に電話番号が書いてあって(担当:小田)と書かれている。小田さんはこの電話番号を受ける「担当」という役柄を与えられている。この二文字を企業のチラシなどで見るとしんどい気持ちになる。小田さんが小学校や中学校の日々のなかで勉めていた学業や遊びや、家族に育てられた思い出や、恋や人生の葛藤などが消され、なかったものにされているような感覚。

世の「長生きしているおばあちゃん」の多くは、ある一定のスタイルに収束していく。

地方の電車、山ちゃんと二人で乗っている。僕が先に降りるのだが、ドアが閉まってから、車内の山ちゃんが手に僕の財布を持ち、「盗ってやったぜ」と言わんばかりの笑みを見せてくる。僕は怒り、急いで改札を出て、駅員さんに事情を話し、タクシーに乗れば500円くらいで次の駅まで行ける、といわれる。僕は山ちゃんに電話をかけ、するとおばさんの声がする。確認したら、まちがいなく山ちゃんの電話だったので、これは多分母親なんだろうと推測して、この人にも事情を話す。タクシーに乗ろうとするのだが、それはものすごく古い、おもちゃの木箱のようなものだった。ワンルームマンションの浴槽くらいの大きさしかなかった。乗ると、子供用のゴーカートのように、足で漕いで前に進むものだった。運転手が漕いでくれる。結構速いが、僕の方にもペダルがあればもっと速いのに、と思った。途中、坂道を下った先で猿の群れに遭遇し、猿を払いつつそこを過ぎた途端に、猿が車の後ろから飛び乗ってきて、髪の毛を引っ張ってきた。痛い、痛いと、運転手も僕も言った。タクシーの運転手は途中で交代し、その娘らしき人が出てきた。しょうこさん、というらしい。どうやったのかはわからないが、とにかく最終的に財布は返ってきて、イベント会場みたいなところで山ちゃんと再会し、わざと盗っただろうと怒ったら、また盗ろうとしてきたので、階段を降りていく山ちゃんに僕は空のカップアイスを投げつけ、山ちゃんをキレさせる。僕はジャンプして山ちゃんの目の前に着地。そのまま取っ組み合いが始まったところで目が覚める。

風呂で考えたこと
・さいきんマイミーンズの「そういうことだった」を聞きまくっているせいで、もしかしたらあの一言が原因だったのかなあとか、あれとあれはつながるかもしれないと思ったときに、「そういうこと〜だったのか〜」という一節が脳内に流れるようになった。
・土屋公雄が最終講義で僕に向かって言った、「アーティストになんかなって欲しくなかった」という言葉。みんな笑っていたし、僕も笑っていたが、なぜこれが笑い話になるのか、考えてみたらよくわからない。そして、今考えるとそれが「こんなに苦労が多いのに報われない」というよりも、「制作なんかやってなければ、思い悩んだりせずに過ごせる日々がきっとあるのに」というニュアンスだとしたら、共感できる。
・遠藤一郎さんと先日神保町で偶然、しかも数年ぶりに再会してから、ものの1,2分で「さとし、あそべ」とわざわざ面と向かって言われたこと。あんなに真剣な「遊べ」は、聞いたことがない。背筋が伸びた。遊べと言われたのに。彼はまた、「遊ばないと、腐るから」とも言っていた。それは、いまとても、痛いほどよくわかる。彼からしたら、まだ僕の「遊ぶのが大切」という認識は甘いのかもしれない。彼はそれを感じたから、僕から何らかの、いっぱいいっぱいなオーラを受け取ったから、そう言ったのかもしれない。でも、昔よりは理解できるようになっていると思う。人は歳をとってしまうと、遊ばなくなる。気をつけないと遊ばなくなる。そしてそれは、その人は気が付かない方法で、その人を腐らせていく。

ロニ・ホーン展。彼女が語っていた「黒い水の話」がとても良かった。自分も消えたくなる。水彩のテキストのコラージュやドローイングは、彼女の集中力の凄まじさを見せつけられた。展示のやりかたなども含めて思ったのは、「ささいなアイデアでも、徹底的にやればモノになる」ということ。最初はささやかでいい。誰にでも思いつきそうなことでいい。でも、それをずっとやり続けること。人の目を本当の意味で気にしないこと。「黒い水」の中に体ごと入り込み、その水と一体になると同時に、「水の外側」との接続を経つこと。そんな制作態度が伝わってくる。これは元気がでる。これからも制作をしていこうと思える。
美術館は人がとても多くて驚いた。美術見にくる人って、こんなにいるのかあと思った。良いことだ。カメラのシャッター音は本当にやめてほしいが、こちらが彼らとかち合わないタイミングで観に行けばいいことだ。棲み分ければいい。そう。たとえ断絶があっても、仮にお互いに全く分かりあえなくても、「同じ部屋」にいること。ここをおさえる。
ロニ・ホーンを観た後、閉館時間ぎりぎりで3分だけ観たモネの絵画がすごすぎて、ロニ・ホーンの印象がかなり消し飛んでしまった。やはりモネはすごい。僕が運転で疲れていて、ハイコンテクストな展示を観る体力が少なかったこともあるだろうが。

ウェルベックの新作は「夢」が重要なファクターになっていて、朝目が覚めて、夢がまだ頭の中に残っている状態で執筆を開始していたらしい。ちょっと試してみるかと僕も朝早く起き、なにかかけるかなとパソコンにむかってみたが、すぐに鼻水がでてきてとまらなくなり、たまらずパソコンを閉じて仰向けに横になる。二度寝してもう一度起きると、ぴたりと鼻水はおさまっている。ほんとうに鼻にもう一人べつの生き物が住み着いているみたいだ。

0856

原因がわからないなら、そこにとどまることもしばらくは許されます。道路上で車が動かなくなってしまった時、本人にその原因がわかっていない限りにおいて、それが許されるのと同じように。それでもいずれは警察がやってきて、追い払われてしまいますが。

0858
斉藤先生に、大きな作品を買ってもらい、倉庫でそれを運んでいる夢。高橋先生もいて、後ろ姿が斉藤先生みたいだったのでそちらに話しかけてしまった。

全ての土地を所有したら、それは土地を所有したことになるのだろうか