昔あるところに、夜な夜な民家に現れては、あらゆる結び目を人外の力で締めあげ、ほどけなくしてしまう妖怪がいました。その仕事は非常に丁寧で、とにかく結び目っぽいものはぜんぶ被害にあいました。
翌朝出すつもりで玄関先に置いておいたゴミ袋の口などは、やられても大した問題になりませんでしたが、お弁当を包んだ風呂敷などは、ハサミで風呂敷ごと切らなければ昼御飯にありつけませんでしたし、米袋やコーヒー袋の結び目がやられると、その袋はもう使い物になりませんでしたし、軽く結んで上着のポケットに入れたイヤフォンのコードなんぞは、内部で断線してしまいました。
一番厄介なのは、靴でした。妖怪は玄関に出された靴のみならず、靴箱の中のすべての靴ひもを締めあげてしまいましたので、出かける時にみんなが困りました。被害にあった結び目は強力で、人の力ではほどけません。そこで専門家が必要とされました。専用の工具を持ち、通報から五分以内にかけつけてくれる、結び目ほどきのプロ集団です。
筋骨隆々の彼らは多くの場合、二人一組で仕事にあたりました。一人が靴を押さえ、小さな鉄板を結び目の下にすべりこませると、もう一人が合金でできた針のような工具を結び目にあて、ハンマーで叩いて差し込み、すこしずつ緩ませて、最後には二人で一丸となってテコの力を利用し、一つあたり十五分ほどかけて結び目をほどいていきました。
十五分という時間が、本物のプロかそうでないかを分ける境目とされました。プロになるためには少なくとも二年間の筋トレと修行が必要とされ、専門家を養成する学校も各地に設立されました。腕に自信のある者たちは副業としてこの資格を取得し、近所で通報があれば周辺の専門家とペアを組んで現場に出向きました。
たった十五分と思われるかもしれませんが、人々は忙しく、いつも時間に追われていました。結び目が被害にあったときの時間的損失を補償する保険会社もありました。この妖怪に対する社会的な危機感は、それだけ大きかったのです。
ある日、都内の民家から通報を受け、ベテラン専門家の二人が現場にかけつけました。二人は結び目を見るなり、驚きました。それは、これまでにほどいてきたどんな結び目よりもきつく、しかも複雑に結びなおされていたのです。それまでは、すでにある結び目をかたく締めあげていくだけだった妖怪が、専門家が増えつつあった社会の変化に対応し、新しい攻撃を仕掛けてきたことの証左でした。
二人の専門家は家主に、我々だけでは太刀打ちできない旨を伝え、協会に援護を要請しました。協会は「兵吉さん」という、当時最強と言われた専門家の指示のもとに、力士と、指物師と、プログラマーを含めたチームを民家に派遣しました。
やがて民家には六人のチームが集結しました。どこからか騒ぎを聞きつけたテレビ局と野次馬も押し寄せてきましたので、警察は非常線を張り、あたりは物々しい雰囲気に包まれていました。
作戦はまず指物師が結び目を見聞するところから始まりました。複雑怪奇なその構造を丁寧に分析し、スケッチにおこしていきます。現場の様子は全国に生中継され、画面越しに大勢が見守っていましたが、その人智を超えた結び目に、誰もがため息を漏らしました。指物師などはスケッチをおこしながら、感動で涙をこらえきれないほどでした。
スケッチをもとにプログラマーがCGを作成し、六人でタブレットを囲みながら、結び目をほどく手順を考えていきました。作戦開始からここまでで二時間が経過し、生中継の視聴率は50%を突破していました。ほとんどのテレビ局が緊急特集を組み、野球中継や料理番組を中断して、現場の様子を伝えました。スタジオでは議論が行われました。「これほどの結び目は、後世のために保存したほうがいい」とするタレントの発言が波紋を呼び、SNSで「#結び目をほどくな」がトレンドになりました。その勢いに乗じて「ここで結び目を保存できないようでは、公文書を残せない行政の体質は変わらない」と野党の政治家が発信し、いっとき支持を集めましたが、「結び目の情報が敵国の産業に利用される可能性を排除できない」と与党の政治家が反対し、SNSは紛糾しました。やがて「今後同じ被害があった時の対策を考えるためにも、結び目はほどくべきである」という意見が現れ、人々もおおむね同意しました。「#結び目をほどくな」というトレンドは下火になり、「#がんばれ六人組」がトレンドになりました。
場外のすったもんだとは対照的に、現場では緊張した空気が流れていました。いよいよ結び目をほどく工程に入っていたのです。兵吉さんの指示のもと、力士が靴を押さえこみ、専門家がそれぞれの道具を駆使して作業をおこなっていました。まるで外科手術のような連携がなされ、結び目は少しずつ紐解かれていきました。
兵吉さんの道具には独自の改良が至る所になされており、長年の経験がそのまま結晶化したような代物でした。最初に通報を受けた二人の専門家は、そのひとつひとつに驚き、感嘆の声を漏らしました。プログラマーは専門家たちの作業と同時進行で、ほどき方のアルゴリズムを組み、指物師は結び目がほどかれていくのを見るに耐えられず、部屋の隅で涙を流していました。
途中三十分のお昼休憩を挟み、作業は六時間に及びました。複雑に編まれた迷宮のような結び目を、アルゴリズムも参考にしながら、兵吉さんと二人の専門家がひとつひとつほどいていき、いよいよゴールが見えてきたその時、それまでとは違う結び目が現れました。プログラマーと専門家は頭を抱えました。「ここまでは305通りの結び方のどれかにあてはまっていたんですが、これはまったく新しいパターンです。対処方法がわかりません」プログラマーが言いました。チームの間に重たい空気が流れ、部屋には指物師の嗚咽が響いていました。
しばしの沈黙ののち、ふと、汗だくになって靴を押さえていた力士が、ぼそりと言いました。「もしかしたら、まわしの締め方に似ているかもしれません」兵吉さんはハッとして「まわしをここで締めてみてもらえますか」と力士に頼みました。
家主が着物の帯を持ってきて、力士がその場でまわしを締める手順を説明しました。プログラマーと専門家たちは驚きました。問題の結び目と、実に多くの類似点があったのです。「これでいける」全員が、そう確信しました。
そして、ついにその瞬間が訪れました。最後の結び目がするりとほどかれ、一瞬の沈黙ののち、「終わりました」と兵吉さんがつぶやくと、現場は割れんばかりの喝采に包まれました。プログラマーはパソコンを投げ捨て、何度も万歳をしました。作業にあたった六人の顔は汗と涙にまみれてぐしゃぐしゃになっており、この数時間で十年分くらい老け込んでいました。指物師はいつまでも、悲哀と歓喜が入り混じった泣き声と嗚咽がとまりませんでした。力士はその場で倒れてしまい、歓声に笑顔で答えながら、救急車で運ばれていきました。
二人の専門家は口を揃えて「あなたと仕事ができたことは、一生忘れません」と、兵吉さんにお礼を言いました。兵吉さんは軽く会釈をして、引き止めようとするカメラを振り切って、家に帰っていきました。
やがて時が経ち、人々の生活も変わりました。風呂敷を使う人はいなくなり、米袋は機械式の米びつに、コーヒー袋はジップロックに、イヤフォンは無線式になりました。人々が結び目を作らなくなるにつれて、妖怪も姿を消していきました。
という話を考えた。長らく放置していたビニール袋の結び目が、信じられないほどかたくて、解くのに苦労した日だった。